PRIMEVAL - Reverberation   作:Tutu-sh

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番外編 ほんの最近の過去へ

行方不明児童の案件から2日後。メインフロアの中央に設置された机の上で、白夜と里亜が会話を交わしていた。里亜は机そのものに腰かけ、ブラブラと脚を揺らしている。机には二人分のカップとコースターが置かれ、休憩中のようである。

「それで~明々後日がコンサートなんですよ」

「へー、誰の?」

「やだなあ、私の推しですって!分かりますよね!?寺田翔央ですよ!」

興奮気味に喋り立てる里亜の声には、歓喜の色が混ざっていた。その燃え上がる情熱を片手でどけるような仕草をしつつ、白夜は相変わらずの低血圧なトーンで返す。

「ゴメンねー、分かんないや」

「えええええ……この前探知装置にもダウンロードしておいたんですよ、誰でも気軽に聴けるようにって」

「ああ、あれね。ああいうの、探知装置に負荷がかかるからあんまりよくないよー。この前注意された電気代の件、そのダウンロードのせいかもしれないしね」

「ええーっ……何のためのハイテク機器なんですか……」

「うん、曲のダウンロード用の設備じゃないよ?」

「うーっ、正論だ……」

がっくりと項垂れる里亜をハハハと笑い、白夜は手元のティーポットから自分のカップへ紅茶を注いだ。彼曰く、本場イギリスから取り寄せた茶葉だという。かつて世界を席巻した大英帝国の正の遺産。コポコポという音とともに、長い歴史と伝統の渦巻く香りが漂う。

「いるかい?」

「ありがとうございます。あ、ミルクあります?」

「あるよー。入れといてあげる」

市販のミルクを取り出してペリペリとビニールの蓋を剥がし、そっと傾ける。紅茶に白い線が入り始め、やがてそれは全体にまどろんで広がっていった。ピアニストさながらの気品ある指で行われる一連の操作は、とても優美な雰囲気を醸していた。

里亜は礼の言葉を述べると、注がれたカップを手に取って口へ運ぶ。非常にまろやかな味が口に広がり、つい舌鼓を打ってしまう。甘すぎるわけでも、苦いわけでもない、しつこさのない簡素な味わい。何かケーキでも欲しくなる感覚だった。

「やっぱり美味しいですね~……いつもありがとうございます」

「うん、どういたしまして」

 

しばらくの団欒を楽しんだ後、じゃあ文献が残ってるんで、と言って彼女は自室へ戻っていった。独り残された白夜がまだ紅茶を嗜んでいると、今度は織部が自室から姿を現した。

「お、また斎賀と飲んでたのか」

「あなたが言うとお酒みたいですよねー。どうです?新しいカップも出しますよ?」

「いや、俺はいい。紅茶は好きじゃあなくてな。ビールなら付き合ってもいいが」

「まだ昼ですよ。……まあ、僕はビール、嫌いじゃあないですけど」

「なら今度のナイター中継で飲むぞ」

「あっ、良いですねー」

口角を持ち上げ、織部は白夜の横に椅子を出して腰を下ろした。溜まっていた作業疲れをいやすためか、肩をグイグイと伸ばす。やがて指先を機械的に動かすと、最後に首を鳴らして大きく息を吐いた。どうやら、ルーティーンが完了したらしい。

「そういえば、葦人くんとは打ち解けたんですか?」

「……あの兄ちゃんか。まあまあだな。とりあえずは」

「随分曖昧な返事ですねー。それがあなたらしいと言えばあなたらしいんですけど」

「フン」

「──最初は、随分嫌ってましたよね。彼の参加に反対したのも、あなただけでしたよ」

「……あいつの安全を考えたまでだ。いくら研究者として優れていても、現場には体力が要る。調査チームに加えるのは危険だった」

そう答えながら、ある過去が記憶の底から湧き上ってくるのを彼は感じていた。この組織に配属される以前の記憶。彼が鍛え抜いた鋼の肉体を持つ、その所以。

 

 

 

現在はURAに籍を置く彼ではあるが、かつては彼らと共に行動を共にする組織──自衛隊に所属していた。決して上の階級ではなかったが、上官と部下の双方から厚い信頼を受け、その能力は高く評価されていた。部下の間では毎日共通の話題に上り、上官からも期待を受けた。そうして日々を送るうちに、優秀な部下も配属される。知識と人徳に長けた部下を多く引き連れ、織部は自衛官としての充実した日々を送っていた。共に飯を掻き込み、共に風呂で羽を伸ばし、共に訓練で汗を流す部下がいた。しつこいぐらいにコンタクトを取ってくる部下も、あまり感情を表に出さない部下も、彼には尊敬の眼差しを向けていた。

 

ある日、URAとの合同任務が織部の隊に割り当てられた。

雨の中の任務だった。狂暴な有害鳥獣の駆除と聞かされていた。相応の装備と心構えを部下にさせ、隊長としての責務を果たさんと力を込めていた。実戦投入に緊張の色を隠せない部下も、ちらほらと姿が見えた。一人一人に声をかけて勇気づけ、いつもの訓練と同じでいけ、と直前の集合で激励の言葉を飛ばした。

 

その結果は、全滅。

雨でぬかるんだ地面に足やタイヤを取られ、隊は平常時の動きを展開できなかった。激しい雨は人間たちから視覚を奪い、雨音は彼らに迫る危機の察知を遅らせた。時空を超えて来訪する超生物たちに対して、劣位のコンディションにあった。

相手も悪かった。彼らを襲ったのは、今の地球上には存在しないと確実に言い切ることのできる生物だった。化石記録さえも残されてはいない。どういうわけか常に部隊の動きを先回りし、悪天候の中で次々に部下が消されていった。環境も相まって、敵の気配を全く感じられない。悲鳴も掻き消され、人員が削られていく。駆除に投入されたはずの人間側が、逆に狩られる立場にあった。見えない敵との戦いは、地獄と形容しても生ぬるいほどの残酷さを突き付けてきた。

 

ようやくその生物に鉛弾を撃ち込んだときには、周囲に居た部下は皆、紅に染まって地に伏していた。既に動かなくなった者が大半であったが、息のある部下もそこに転がっていた。そういった者にはできる限りの応急処置を施し、心を掻きむしられるような思いで病院へ運び込んだ。だがその彼らも、清潔な病室の柔らかい布団の中で、謝罪の言葉を喉から漏らしながら息を引き取っていった。

 

『足を引っ張って、すみません』と。

 

この時に彼は確信した。実戦に不得手な味方を表に出すべきではないと。任務に耐えられる強い者だけを危険に晒すべきなのだと。そして、自分もさらに強くなくてはならない、と。

部隊の全滅を以てスカウトされた彼は、新たに配属されたURAで肉体に極限まで鞭を打った。苦痛に耐えながら、そして周囲の人間に目をやりながら。二度とあのような惨禍を繰り返してはならない。自分が防波堤にならなくてはならない。心の奥底に誓ったのだった。

 

 

 

「ハハ、それ、僕と里亜にも刺さる言葉ですね」

白夜の台詞に、ハッと織部は現実に引き戻された。

「僕たちだって、リーダーや織部さんほど体力があるわけじゃあないですよー。武器の扱いだったり、それなりの得意分野はあるんでしょうけど」

「それはそうだが……俺自身のケジメとして──」

そこまで口にして、ふと織部の口が止まる。突然黙った彼を白夜は不思議に思った。

「……どうしました?」

「……そう言えばお前達、随分仲が良さそうだが……その割には」

白夜の動きが止まる。

「その割に……何です?」

「『武器の扱いだったり』──そう言ったな」

「はい」

「斎賀は決して武器の扱いに長けた方ではない……例を挙げればキリがないが、そうだな。石済と初めて出会った山中でも、あいつはEMDを上手く扱えずに苦戦を強いられた。この前のボートの操作は良かったが、それでも武器に完全に手馴れているとは言えない」

「まあ、大学を出て1年経っただけですからねー……」

「いや、理由は問題ではない。重要なのは、あいつが武器に長けていないという事実だ。お前はあいつよりEMDを巧みに扱えるが──口ぶりからして、さっきのは斎賀についての話だろう?」

「──ああ、なるほど。そういうことですかー」

ふむ、と白夜は顎に手を当てて、少し考え込む様子を見せた。

「……ごめんなさい。ちょっとよく考えてなかったですねー。すみません」

「……他人の職場恋愛に首を突っ込むタチではないが、まあ、何だ。その辺はよく見ておいた方が良いんじゃあないか?」

わずかに目を逸らしながら忠言する織部。だが白夜は、その言葉を受けて目を丸くしていた。少し状況が飲み込めないような様子だったが、じきに腑に落ちたようだった。

「あ……そうか。ああ、そう見えてたんですね。僕と里亜がくっついていると」

「……何?」

「ああ、ああ、そうだったんですねー。確かに紛らわしかったですね、でも、違うんです」

「おいおいどういうことだ?具体的に主語を使って話してくれ」

「ああ、ごめんなさい。いやね、僕と里亜は確かによく触れあってますけど、決して恋仲とかそういうんじゃないんですよー」

「……そうなのか?お前、男専門というわけでもないだろう?」

「ええ。僕自身は男女どちらでもイケますけどねー。でも、これは僕の好みというよりは主義の問題でして。ええ。なるべくボーイフレンドもガールフレンドも作らないようにしているんです」

「……一体どうしてまた?」

それまで予想外の勘違いに驚きながらも笑っていた白夜の顔が、急に冷え込んだ。何かあるな、と突然の変容に織部も感じ取った。

「聞きますか?」

「……無理がないのなら」

「分かりました。ちょっと長くなりますけど──」

 

 

 

三条白夜。性に関する偏見が抜けきれていない時代の日本に、彼は生を受けた。

多くの人間は成長するにつれて、やがて思春期という時代を迎える。多くの男子が女子に惹かれて絶妙な距離を取り、女子が憧れの男子の話を裏でしていた頃。白夜もその例外ではなかった。

だが彼の性の興味は、複数のベクトルをなしていた。運動部で汗を流す男子生徒の引き締まった肉体に心を動かされ、一方で艶やかさを徐々に帯び始めた女子生徒の肉体にも得も言われぬ気持ちを味わった。そして男女どちらの会話の空気も、彼にとっては快適そのものだった。男子生徒との親愛、女子生徒との友情が両立し、毎日が刺激に満ちた学園生活を送っていたのだった。

初めてできた恋人は、高校の剣道部の男子生徒だった。毎日朝早く登校して懸命に竹刀を振るその姿に、次第に心を動かされていたらしい。幸いにも彼には同性愛に対する理解があり、両者はすぐに打ち解けた。冷やかす人間も周囲にいるにはいたが、同じ中学出身の生徒たちが彼を守っていた。

 

しかし、そのボーイフレンドは交通事故で命を落とした。人格者だったから子どもか動物でも助けようとしたのだろう、いや同性愛を嫌う人間に突き飛ばされたのだ、と根も葉もない噂が飛び交った。深い関係にあった白夜にもその言論の矛先が向かった。擁護してくれる友人たちにも申し訳なさを覚え、その場に居づらくなった彼は高校を移り、そのまま遠く離れた地の大学へ進学した。

大学ではガールフレンドができた。全く違う地方からの出身の彼女には、方言や文化の違いといった興味深いギャップが感じられた。だが真に惹かれたのは、彼女の中枢を通った人間性であった。かつてのボーイフレンドを失った心の穴を、すっぽりと埋めてくれるような深い存在だった。共に講義を受けていた二人はいつしか足を揃えて外出するようになった。日本の文化遺産にはあまり興味が向かないな、という話をして、2年生の終わりにはイギリスへの海外旅行を計画した。

 

その日は曇りだった。厚い灰色の雲の下で栄える文明都市、ロンドン。その中心部に彼女を待たせ、近い露店でフィッシュ&チップスを買っていたときのことだった。約束の場所へ戻ると、彼女がいない。遠い異国の地ではぐれるなんて、と街中を捜し回った。道行く人に慣れない英語でたどたどしく話しかけ、自らの足を使って隅から隅まで走り回った。

そのサイクルを何度繰り返したことだろう。高い煙突の備わった、煤けた茶色の大型施設に、彼は辿り着いた。かつて発電所であったというこの建物の裏側に、彼女の体が横たわっていた。ついに発見した安堵と、様子が奇妙だという不安。その二つを心のキャンバスで複雑に混ぜ合わせながら駆け寄ると、既に彼女は冷たくなっていた。首が不自然な方向にねじ切られており、体の随所に抵抗したらしい痕が生々しく残されていた。明らかに殺人であった。

彼は旅行の日程をキャンセルしてロンドンの滞在期間を延ばし、地元警察に必死に訴え続けた。しかし、結局彼女の遺体から有効な指紋は検出されず、彼の訴えは封殺されることとなった。警察組織への失望と、愛する者を二度も失った苦痛を抱え、彼は日本へ帰国した。2011年のことであった。

 

 

 

「──だから、もう恋愛はしたくないんですよ。男性とも、女性とも。僕が関わったせいではないのかもしれませんけど、そう思ってしまうんです。……もう二度と、あんな思いは」

白夜の目は潤んでいた。普段よりも多くの塩水を湛えていることが、表情から読み取れる。彼は天井に顔を向け、目を温めるように手で覆った。

「……済まなかったな。石済に忠告していたも、そのせいか」

「……そこは、ご想像にお任せしますよ」

「フン……」

織部が返事をしないと、メインフロアは静まり返った。鼻音を立てながら白夜が目元を指でこする。その様子を、織部は腕を組んで眺めていた。やがて目の周りを赤くした白夜が、ふう、と前を向いた。

「ああ、すみませんね、こんな辛気臭い話を──」

「野球中継は夜からだが、録画していた試合がある。見るか」

ポカン、と口を開けて呆然と織部を見る。彼は白夜の方へ目を向けず、いまだに腕を組んで難しい表情をしていた。

「……え?」

「見るか、と聞いている。どうせ今溜まっている作業なんざ、明日には終わる」

──ああ、これか。この態度がやはり彼らしい。

「……良いですよ。でも、大丈夫ですか?」

「何が」

「結果の分かっている試合なんて……僕は初めてですけど、見て面白いんですかね?」

「……お前次第だな」

 

 

9時間後。出張から戻ってきた大吾が、メインフロアの扉を開けて入って来た。まだ研究を続けている人間がいないか見回りもして、彼自身就寝するつもりである。

真っ先に目に入ったのは、白い光が漏れている織部の部屋であった。近づくと、何か音が聞こえてくる。ラジオかテレビらしい。また何かしているな、とドアを開けられる距離まで足を運ぶ。

「……おや」

窓ガラス越しに、部屋の中が一部垣間見える。床や机の上に無造作に転がった無数の缶ビールに囲まれて、二人の人影があった。白夜は机に突っ伏して、織部は大きくのけぞるようにして熟睡している。テレビの光や音を一種の子守歌にでもするかのように、泥のように眠っている。

その様子をしばらく眺めた後、大吾はテレビを消して自室へ戻っていった。

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