PRIMEVAL - Reverberation   作:Tutu-sh

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血染めの軌跡 Part1

メインフロアの机に向かって腰かけ、白夜が独り手を動かしている。その手の中では、カラフルな立方体が硬いプラスチックの音を立てている。連続的なその音は一定のリズムを刻んでいたが、やがて彼が手を離すと、その音も止んでしまった。

「ルービックキューブですか?」

気付いた白夜が振り向くと、背後には葦人が立っていた。彼は興味深そうにキューブを覗き込みながら、白夜の横へ椅子を出した。そこに腰を下ろして彼は言葉を続ける。

「変わった模様ですね。イギリス国旗ですか」

「そうだよー」白夜が手に取り、キューブを振ってみせる。「面一つ一つで色を揃えるんじゃあなくて、ユニオンフラッグを完成させる。色はどの面も同じだけど、線の向きを揃える必要があるから、こっちの方が難しいかなー」

そう言うと白夜はキューブを葦人に差し出した。受け取って回してみると、彼の説明の通り、赤・白・青の国旗が6面に並んでいる。面が正方形であるゆえに本来の国旗の比率からは外れているが、それでもイギリスの旗だとは一目で分かる。

「それでも、もう完成してますね」

「何度もやってたからねー。昔ロンドンを旅行したときの思い出の品さ。ちょっと思い出したから、久々にやってみた」

「へえ、良いですね」

「ああ。……でも、もう飽きてきたよ。面白いけど、やりすぎちゃってねー」

「あ、そうなんですか」

そう言えば、白夜は業務中・非業務中に関わらず、よく他の誰かと喋っているような印象を受ける。織部は普段からトレーニングルームを愛用しており、今頃ダンベルでも持ち上げているのだろう。大吾も彼とトレーニングしていることがあるが、チームリーダーという役職上、他の部署や局長との会議も多いらしい。つまり、白夜が普段よく喋る人間は葦人、そして里亜のことが多かった。

今日は朝から里亜を見ていない。言われてみると、彼女は昨日いつもより浮ついた雰囲気を漂わせていた。普段も亀裂調査に直接乗り出している時以外はふわっとした態度を取る彼女だが、昨日はそれに輪をかけていた。どこかに外出したのだろうか。白夜は話し相手の一人を失って、それで退屈に任せて指を動かしていたのだろうか。

葦人はルービックキューブを机に置いた。

「斎賀さんはどこへ?」

「今日は彼女の好きなアーティストのコンサートがあるんだってー。ずっと前から楽しみにしていたみたいだよー。有給まで取っちゃって、本気だよありゃ」

「なるほど……僕は音楽、サッパリですね」

「僕もさー」

瞳を閉じておちゃらけたように笑みをこぼす白夜を、葦人は意外に感じた。その長い指はいかにも鍵盤上を滑るのに向いているし、赤色の長髪はビジュアル系バンドに近いものを感じさせるというのに、音楽にはサッパリだという。

だが確かに、アフリカ系の人間が皆ヒップホップを愛するわけでもないだろう──という考えが頭をよぎった。織部や先日の白夜がそうだったように、人間の好みや特性というものは外見から見抜けないものである。そう考えると、白夜の賛同を意外に感じた自分は少し愚かしいようにも感じられる。

「音楽の分野で特に好きなアーティストはいなくてね。でも絵画なら──」

白夜が雑談の続きを振る。思考の海へ潜っていた葦人の意識は、彼との会話へ戻っていった。

 

 

 

駅は雑踏に呑まれていた。

通勤ラッシュなどとうに過ぎ去ったはずの午前11時、何かを楽しみにした表情の民衆で構内はひしめき合っている。数メートルもまともに歩くことができず、横切る人間に足止めを食らったり、前が突然詰まってやむを得ず迂回して回ったりの連続であった。隣を歩く人間が急に右へ左へと詰めかけてきて、靴が突っかかり、余計にフラストレーションが溜まる。

(ああ~もう、やっぱり混むかあ……それだけ人気ってわけで嬉しくはあるけど、これはちょっと何とかしてほしい……)

里亜は私服で地下鉄のホームを歩いていた。私的目的で交通手段と費用を政府は負担できない、という事実をしぶしぶ受け入れつつ、期待と高揚に胸を膨らませて彼女は外へ出ていた。しかし、大都市圏での混雑はポジティブな感情を物凄い勢いで削っていき、一刻も早く会場に着いて心を浄化したいという現状であった。

横からスーツ姿のサラリーマンがぶつかり、「すみません」と一言謝罪を入れて顔も見せずに足早に去って行く。

(クソ、次に何か来たらEMDで吹っ飛ばすか──)

苛立ちとともにポケットに手を入れたその瞬間に、前方からスマホを片手でいじりながら男が突っ込んでくる。衝撃で体勢を崩すとともに、彼女の中で何かが音を立てて切れた。

謝罪もせずにそのまま歩み去る男に向け、脇に小型EMDを挟み込む。すかさず引き金を引く。苦痛の声と共に何かが吹き飛び、落下してタイルに叩き付けられる音がした。立ち去りながら後ろに目をやると、腕や脚を震わせながら鼻を押さえる男がやじ馬に囲まれている。床にはスマホも転がっており、おそらくはEMDの電撃で破損したことだろう。

(よし!)

ひとまず胸に溜まった鬱憤が晴れ、里亜は乗り換え先の電車を待つ列へ加わった。

 

 

 

その頃、駅の地上部もそれなりの人が集まっていた。空きコマで遊んでいるらしい茶髪の大学生がたむろし、そのすぐそばをこれから昼食らしいサラリーマンが団子になって通っていく。その奥では、観光案内とにらみ合いながら外国人のカップルが立ち往生している。大都市圏ではデフォルトで見られる、普段の光景そのもの。コンサートに向かう一定数の人間も、雰囲気を大きく崩す要因にはなりえなかった。

 

問題はその奥にあった。

 

土産物屋が売店を構え、珍妙な現代アートが通路の中央に鎮座する。その近傍に、光り輝く芸術品が浮かぶ。周囲の光を反射する鏡の集合体なのか、見えないように工夫を凝らした電線が通っているのか。その芸術品はどこか不思議な音を立てながら、未知の仕組みで光を放っている。

道を行く人々はその球体を目に入れていくが、皆通り過ぎて行った。クリスマスでもないのに、いつできたんだ、新しいオブジェ綺麗だな、どういう仕組みなのかしら──口々にそんなことを言って通り過ぎて行く。当然この球体の正体に気付く人間はおらず、その異常性を真剣に気に留める人間も片手で数えられるほどだった。

 

「おう何だァこりゃァ?」

「こんなんあったっけー?まあいいや、ストーリー上げよ」

高校生くらいの年だろうか、若者数人が球体の傍でたむろしている。スマホとドリンクをそれぞれ片手にはしゃぐブロンドの少女の横には、ピアスをはめた少年たちがポケットに手を挿し込んでブラブラと動いている。決して育ちが良いと言えそうもない笑い声や奇声に周囲の人間が遠のいてゆく中、苦々しい表情を刻んで警備員が近づいてきた。

「ちょっとボクたち、静かにしてもらえるかな?」

「あ?何すか?」

「他の人たちもいるから、ちょっと静かにしていてね。展示物にも触らないで──」

「うわひっどー。ウチら遊んでるだけなんですけどー?」

「逮捕するんすか?警察の横暴!」

「ねえおじさん、これどうなってるんすか?」

「おい、触るんじゃ──」

少年の一人が球体に向かって手を伸ばしていた。その手首から先が、虚空へ消えている。錯覚でも、単にオブジェの陰に入り込んだのでもない。手が光の中に包まれて亜空間へ移動したようだった。この世から断絶された、どこか別の次元へ送られている。だが彼に痛覚はないようで、好奇心から笑顔までもを見せている。

「──!?」

当然、理解が追い付かない。周りにいる少年少女たちは、まだ事の重大さに気付いていないらしい。周囲を取り巻く民衆の中には恐る恐る様子を窺っている者もいる。無理解・無知・躊躇。その場にいる誰もが、各々の理由を以て少年の静止に動けない。警備員は現在進行形で起きている未知の怪奇現象を前にして、脚が超重力に囚われたかのように自由を失っていた。

「凄いよな、この細かさ……」

少年が顔を近づける。極限まで近づけていく──否、球体と外部空間に明確な境界線は存在しない。少年の顔が、瞳が、宙を漂う破片の間を縫ってゆく。やがて表情は光に消えて読み取れなくなった。その顔に何が浮かんでいるのか。驚嘆か、畏怖か、好奇心か。その答えを知る者は、この時点では少年を置いて他にいなかった。

 

「おいフリが長ぇって!」

「もうやめろよー」

いまだ状況に無頓着な少年少女が場違いな声をかける。だが警備員には既に見えていた。少年の脚が震えている。その震えは次第に増大し、やがて脚は体重を支えきれなくなった。少年はその場にへたり込み、その風貌に似合わない姿で怯え切っている。陸に打ち上げられた鯉さながらに口を動かし、その目には圧倒的な脅威を目にした色が如実に現れている。ここでようやく彼の仲間も状況の異様さに気が付いたようで、彼に駆け寄って安否を確かめ始めた。

「来る……あれがッ、来る……!」

慣れない手つきで介抱しようとする仲間の手を跳ねのけ、少年は尻を床につけたまま必死に逃れようとする。目の前に浮かぶ光の球体から、力の入らない腕と脚で全力で距離を取ろうとする。精密な動作が出来ず、床を転がり回りながら、羞恥心なども掃き捨てる。ただの防衛本能、それだけが彼を突き動かしていた。

「どうしたんだよあいつ……」

「さあ──」

いまだ実態を把握できていない少年らが、仲間の醜態に半ば呆れた様子を示す。だが、警備員がそれに関して特別に思うことはなかった。

 

というのも、彼らが巨大な物体による襲撃を受けたためだった。

 

光る球体から突如として、巨大生物が姿を現す。人の背丈ほどあろうかというその四足歩行の動物は、真っ先に少女の首に白い歯を突き立てた。横に居たもう一人の少年はその巨体にあえなく弾き飛ばされ、タイルに頭部を強打して瑞々しい音を立てた。

「げぼッ」

悲鳴とも断末魔ともつかない、ただ空気や胃液の漏れる音が少女の喉から零れる。だが人間の肩を容易に収められるであろうその顎は、その程度の破壊に留まらなかった。体格こそが力であるとでも主張するように、大顎が少女の華奢な肩帯を破砕する。骨の砕ける音とともに少女の絶叫が構内に響き渡った。

彼女の絶叫は民衆の叫びに掻き消され、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。パニックに陥った民衆は追突を繰り返した。倒れ込んだ者は後続の避難者に立て続けに踏み潰され、この事故は視界に入る構内の至る場所で発生していた。生物の出現による二次被害、すなわち"人災"が連鎖してゆく。

逃げ惑う民間人は、他の人間を押しのけて我先に助かろうと出口を目指す。引き倒された人間が次々に蹴り飛ばされ、靴底に押し固められて鼓動が止まる。何十もの人生が人命の下で幕を下ろし、紫色の打撲を作ったオブジェとして床に転がった。激痛に呻きながら腕を辛うじて蠢かせている肉体も、じきに亡骸の仲間入りを果たすはずである。

出口はさらに凄惨さを増していた。一斉に民間人が押し寄せた出口では、出口の壁に押し潰された人間が続発した。養鶏場の鶏が大量死を遂げるように、一度に多くの命が潰れていた。すぐ隣の人間が崩れ落ちても、彼らは逃げることを止めない。その身を赤黒く染めながら、保身のために逃げてゆく。

 

この光景を目にして、生物が沈黙しているはずもなかった。顎に挟み込んだ少女の体を噛み潰すと、生物は地面に転がる遺体や瀕死の人間を蹴散らし、逃げる民間人を追い始めた。その動きは軽快とは言い難いものであったが、思考の鈍った人間たちを駆逐するには十分すぎる走力があった。最後尾を走る人間に追いつき、その肩に食らいつく。次々に人間を後ろから屠り続け、遺骸のシャワーをその身に浴びて走り抜ける。

奇跡的に地獄を逃れた者たちは、呆然としてその場に立ち尽くしていた。映像を監視室で眺める警備員も、フロアに降りた警備員も。脅威が過ぎ去って分岐路から姿を現した民間人も。戦後日本の歴史で最悪の1つに数えられよう惨事が、目の前で起こっていると感じていた。だがその一方で、現実離れしたこの惨状を受け止められない自分がいる。一体何が起きているのか、己が目に信頼を置けないでいた。

 

 

しかし、立ち止まる猶予は残されていない。

この事故で立ち込めた鉄の臭いは亀裂を抜け、過去の世界へ流れ込んでいたのだから。

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