PRIMEVAL - Reverberation   作:TUTUの奇妙な冒険

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血染めの軌跡 Part4

5階での戦闘はまだ続いていた。

カフェテリアのテーブルは全て横倒しになり、床に転がる木板には割られたものも少なくない。椅子の脚は奇妙な形状にねじ曲がり、天井から釣り下がった照明はことごとく床に落ちて砕け散っている。その上を自衛隊が軍靴で踏みしめる奥で、厨房の一角が大きく弾け飛んだ。キッチンを破壊して、ワニが飛び出してきたのだ。

破裂するように自衛隊員が吹き飛ばしながら、ラザナは逃亡する。ガラスを金属枠ごと破壊してカフェテリアから脱出を果たす。飛び出した先の通路は自衛隊の射程圏内だだったが、既にEMDを学習したラザナンドロンゴベには周知の事実であり、EMDの死角となる壁に逃れてゆく。彼を追ってカフェテリアから織部と葦人も飛び出し、まだ痺れの残る脚に全力で鞭を打つ。自らよりも遥かに強大な相手を万全と言えない身体で追う、過酷なレースに身を投じていた。

 

曲がり角のたびに振り切られ、対面すると猛烈な破壊力に晒される。何度かそのやり取りを繰り返すうちに、莫大な疲弊が体にのしかかってきた。

肺が擦り切れそうなほどに呼吸が激しさを増し、脚に震えが走る。訓練を積んでいる織部はそうでもなさそうだが、それでも膝に体重をかけて体を支えているところを見るに、相当な疲労が来ているようである。

やがてワニの呼吸音が耳に届いた。音の方向に目を向けると、意匠をこらしたデザインの焼き肉屋の陰に、巨大な影が潜伏しているのが見えた。間違いなく、数秒以内にこちらを血祭りに上げるつもりだろう。

「来るか……」

身体に鞭打って、織部がEMDを担ぐ。その照準を木枠越しに奴の目へ合わせる。隊員たちと葦人もそれに倣い、銃口を生物へ向ける。今度こそ絶対に倒してやるという、固い信念が疲れ切った場を統一する。

ワニは後ずさった。木枠から姿を消し、死角へ突入した。

「動くのは不味い。あいつのことだ、探りに行った我々をその場で全滅させる気だ」

「じゃあどうします?ここで待ちますか」

「……そうだ。ここに繋がる全ての通路を見張れ」

葦人が、自衛官が、一斉に360°に展開する。東西南北どの方位から巨体が迫ろうと必ず銃を叩き込める陣形配置。この場で終わらせてやる。民間にも政府にもこれ以上の死傷者は出さない。強靭な遺志に、空気が張り詰めていた。

 

姿を目撃したのは葦人だった。真正面に続く通路にラザナが姿を現した。

「来たぞおおおお!!!」

葦人の絶叫。自衛隊と織部が一斉にEMDを向けるよりも早く、ワニの脚が床を蹴りつけていた。大顎を開いて突撃する怪物を前に、EMDと麻酔銃が一斉に火を噴く。怪物の耐久力と銃の火力のいずれが勝るか、地獄の闘争が勃発した。

 

射撃開始から0.5秒。その身に衝撃を受けてなお、ラザナは止まらない。

 

射撃開始から1秒。自衛隊のEMDがエネルギー切れを起こす。

 

射撃開始から1.5秒。ワニのバランスが崩れるが、いまだその躍動は止まらない。

 

射撃開始から2秒。完全に横転した大質量の生物が、人間たちに突っ込んでくる。

 

射撃開始から2.5秒。自衛官と葦人がその直撃を受け、弾き飛ばされる。

床に叩きつけられた彼らであったが、微塵の間隙さえ開けない勢いで武器を向けた。寝込みを襲うことなど想定済み。即座に電撃を浴びせて今度こそ眠らせてやろうという気概があった。

だが既に、ラザナンドロンゴベは床で動かなくなっていた。

呼吸はしている。鼻を空気が通るとともに、腹部が拡大と縮小を繰り返しているのが見て取れる。だが四肢はピクリとも動かない。顎をこれ以上広げることもなければ、閉じることもなかった。

 

 

「……倒せた、のか?」

恐る恐る、確認するように葦人が口を開いた。

「……あれだけ全員で麻酔とEMDを撃ち込んだんだ、これで倒せていなければ絶望だ」

横たわるラザナンドロンゴベを見下ろしながら、織部が大きく息をついた。それを聞いて自衛隊にも安堵の空気が流れ、彼らは緊張しきった顔を緩めた。葦人も足腰から力が抜けてその場に座り込む。

「よかった、よかった……」

「なんとか鎮めたな」

織部はそう言うと、静かに自衛隊の方へ顔を向けた。疲れ切った顔をした自衛官のうち、幾人かは織部の視線に気づいて会釈した。

「君たちの仲間が何人散ったか分からない……それは済まなかった。だが全滅という、最悪の事態は避けられた。許してくれないか」

葦人が何かに気付いたように、ハッと顔を上げた。織部と目を合わせた自衛官は彼を真っ直ぐに見つめたまま返す言葉を考えていたが、じきに口を開いた。

「……許すも何も、問題はありません。これが仕事ですので」

「……そうか。俺たちだってそうさ」

 

織部の静かな顔つきに、葦人はあることに気が付いた。自衛官たちに対する申し訳のない気持ちが、ある程度弱まっている。以前は夜も眠れないほどに心を抉った事例であるが、アドレナリンのせいだろうか。犠牲が少なく済んで良かったという思考が浮かび、もしかすると今の自分の顔には微笑みさえ浮かんでいるのではないか。

おそらくはEMDが彼らにも支給されイーブンになったことが要因であろうが、既に計三回の亀裂災害を目にして慣れが生じたのかもしれない、という考えが浮かんだ。亀裂調査を続けるうちには良いことだろうが、人としてはどうなのか。だが彼らが全滅を避けられたのは良いことである、という思考が自分の中にも生まれている。確かにその通りではあるが、これを手放しで喜んで良いものか、葦人は考え込んだ。

 

「っと、トランシーバーは……」

心境の変化が生まれている葦人をよそに、織部は倒した成果を報告しようとしていた。通信機を探る手に機械が触れる。これだと思い取り出してみると、それはトランシーバーではなく携帯式の亀裂探知装置であった。

(間違えたか)

所在の分かっている亀裂に対し、探知装置は必要ない。装置を戻して改めてトランシーバーを探そうとしたが、その手にストップがかかった。

探知装置の表示が奇妙だった。

その奇妙な感覚の原因は掴めないが、何かが奇妙だった。何かがおかしい。どこがに違和感がある。織部は探知装置を手に取り、その表示に目を走らせた。

「──亀裂が、閉じた?」

 

 

 

「亀裂が閉じただと?」

3階の大吾と里亜、監視室の白夜も、織部からの報告を受けた。確かに探知装置には亀裂の存在を示すマークが何も表示されていない。駅の構内に出現した電波障害は消え失せており、全く何の異常現象も検出されていなかった。

『1階の自衛隊の皆さんも、結構慌てていたみたいですね。ほら、3階だと丁度ベッドが飛んだ頃です。とりあえず、僕が本部の研究員に連絡取ってみますねー』

「頼む、白夜」

「それにしてもタイミングが悪いですね……」

心なしか口を尖らせる里亜の台詞に、大吾は疑問符を呈した。

「いや、むしろ助かったぐらいだ。伝えていなかったか?封鎖装置が一頭に破壊されて、亀裂は誰でも通過できる状態で開いていた。あのままでは危険極まりなかったんだ」

「それは聞きました。でもリーダー。既にURAの生物収容施設はテオソドンとブロントルニスですし詰め状態ですよ?あんなワニを入れたらもういつパンクするか──」

「……そうだな。近隣の動物園にでも相談してみるか?」

「動物のプロに任せたら古生物だなんてすぐバレませんか?」

「ううむ……」

『話を遮って申し訳ないが、そっちのはもう片付いたのか?』

考える大吾に、トランシーバーから織部の声が流れた。

「ええ。私がEMDで撃ちました。今は眠ってます」

『それなら眠らせたままURAへ運ぶぞ。リーダー、1階でいいか?』

「問題ない。亀裂のあった、1階の吹き抜けで会おう」

『了解だ』

 

通信が切れたのを確認して、大吾と里亜は捕獲した生物の方を向いた。その巨体は相変わらず床に転がり、静かに眠りについている。大吾は高らかに手を鳴らし、周囲の自衛官の注意を引いた。

「諸君、こいつを1階まで運ぼう。台車か何かがあればいいが」

幾人かの隊員がその場を離れ、何か運べるものを探しに行った。指示を下した大吾も道具を探しにその場を後にし、その場には数人の隊員と里亜が残されることとなった。里亜はワニを見下ろし、冷たい目線を浴びせた。

(こいつがいなければ、私は今頃──)

色とりどりに輝く照明、熱狂するオーディエンス。飛び交う黄色い声援を一身に浴びるアーティストの姿が目に浮かぶ。楽しくコンサートに聴き入る自分の姿が想像される。

だが現実はせっかくの休日も職場に駆り出され、生物との対峙用でない、力を入れた私服のままワニを見下ろしている。凶悪な歯が並ぶ現実と、究極の娯楽とも呼べる理想。それぞれの極致が残酷なほどの落差を生み、彼女の心は滝に落ちたかのように沈んでいた。

ハア、とため息をついてもう一度現実に目を向ける。禍々しい巨大な歯に、呼吸を繰り返す外鼻孔。そして大きく輝く目。どれをとっても理想とはかけ離れ──

 

──大きく輝く、目?

──眠ったはずの生物が、目を輝かせているとでも?

里亜の体から、一気に冷汗が噴き出す。ラザナンドロンゴベの瞳が、大きく動き始めた。顎が開き始め、呼吸音とは明らかに異なる"声"が発せられる。

自衛隊も異変に気付いた。驚きながらも銃を向けるが、筋肉の詰まった尾はそれを許さなかった。盛大なフルスイングが銃ともども自衛官を吹き飛ばし、一撃で彼らを戦闘不能に陥らせた。

今度ばかりは里亜の激情を驚嘆が上回った。驚きの表情を浮かべる彼女をよそに、ワニは彼女の背丈を越える高さまで体を持ち上げた。その光景は破壊音を耳にした大吾の目にも、ふと監視映像に目をやった白夜の目にも留まった。

『里亜!』

「下がれーッ!」

大吾の叫びと同時に、ワニは走り始めた。全速力で駆けるその先には、1階まで床を貫く吹き抜けが存在する。そこからの転落を恐れないかのように、むしろそれを狙いとしているかのように、ラザナが床の端に向かって突進してゆく。

「まさか──」

里亜の懸念をよそに、ラザナンドロンゴベは飛び上がった。その巨体は吹き抜けに向かって吸い込まれていき、3階の床を越え、2階の床の高さまでもを突破する。落下運動は1階の床に阻まれ、床板を叩き割って停止した。着弾時の爆音に続く破片の散る残響が、1階にいた自衛官たちをどよめかせた。

ワニは彼らにも関心を向けず、一点に向かって駆け出した。その先に立ち塞がるシャッターをぶち破り、ワニは階段を駆け下りて行く。その先に存在するのは、里亜が先ほど使っていた地下鉄であった。

「嘘でしょ……」

吹き抜けに駆け寄った里亜は、ワニが1階に落下して逃走する様子をその目に焼き付けていた。追いついた大吾も、ラザナの尾が地下鉄の方へ消えていくのを目にした。

「地下鉄も封鎖済みですよね?」

「ああ、人はいない……が、線路を辿れば別の駅へ行ける。危険だ」

大吾は即座に振り返り、駆け寄る自衛隊に向けて大声を放つ。その手にトランシーバーを持ち、全隊員に一斉通知する。

「生物が地下鉄へ降りた。繰り返す!生物が地下鉄へ降りた!」

 

 

 

一方で、URAにもどよめきが起こっていた。白夜から連絡を受けて亀裂の状況を調べていた研究者たちが探知装置のスクリーンの前で息を吞んでいる。スクリーンに表示されているのは、亀裂が存在するという証拠。電波障害は消滅しておらず、時空の亀裂は今なお権限している。

だがその場所は調査チームや自衛隊のいる駅ではなかった。そこから地下鉄で3駅離れた駅に隣接するアリーナ。里亜が待ち望んでいたコンサート会場の中央に、亀裂の存在を示すマークが表示されている。既に開演時間はすぐそこまで迫っていた。アリーナは数万人の観客に埋め尽くされ、アーティストは既に準備の段階に入っているはずだ。

たった一つの亀裂が、数万人の命を奪い、数千万人の心を破滅させられる位置にいる。間違いなく、亀裂調査プロジェクト発足以降最悪の事例の一つに数えられる。研究者は戦慄した。一日に亀裂が2つ開く驚異と、危機に瀕する人命の脅威。

 

『過去ではある一点に留まる亀裂が、現在では流動する。つまり亀裂は、移動するんだ』

ある研究員の脳裏にある言葉が浮かぶ。それはURAの先駆けとなった亀裂調査センターの初代調査チームリーダー、ニック・カッターのものであった。

彼が予測した"時空の断層"現象が今、大洋を隔てた日本の地でも生じていた。


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