PRIMEVAL - Reverberation 作:Tutu-sh
「断層?」
「そうか、説明してなかったな」
先刻まで亀裂の開いていた吹き抜けの最下層。ラザナンドロンゴベが着弾してヒビ割れた床の上に、調査チームが円を描いて話し合っている。織部と葦人は5階で倒したワニをエレベーターで輸送して自衛隊車両に預け、監視室で大吾の目と耳になっていた白夜もこの場に集まっていた。
白夜は研究者の報告を一言一句聞き漏らさず、観測された事実をそのままに調査チームのメンバーに伝えた。アリーナに亀裂が移動したこと。亀裂の断層を知らない葦人を除いて全員に衝撃が走った。特に目の前でワニをむざむざ逃がし、心待ちにしていた場所に災害の矛先が向いた里亜には、莫大な数の感情が呼び起され渦巻いている。見るからに消耗した表情で、異様な雰囲気が放たれている。
「時空の亀裂は移動する。これは2007年に当時の研究者ニック・カッターが発見した法則だ。時空の亀裂とは時間の流れが傷ついた場所に他ならない。時空間の破壊が起こった断層線に沿って亀裂は移動する。一見すると消えたようだが、別の場所にまた開くんだ」
「それがアリーナに?」
「ああ。それもツいてないよー。ワニがそっちへ逃げた可能性もあるんだから」
「一種の帰巣本能のようなものだろう。目を覚まして亀裂の移動に気付き、その方向へ向かったかもしれない。亀裂が閉じる前に、元の時代へ戻るために。アリーナは地下鉄と直接繋がっていて、地下鉄の利用者がすぐにアリーナへ足を運べるようになっている。全く便利な世の中だ、よりによって」
「戻ってくれるのはありがたいんですけどねー。いかんせん民間人が……」
「アリーナの方へ向かったのは確実なんですか?」
葦人が続いて疑問を呈した。生物を追う上では重要な情報だった。ワニの向かう先をアリーナと断定していては、他の場所に出現したときに対応が遅れる。鉄道路線は複数の駅と繋がっているため、他の駅に出没する可能性は十分に指摘できる。これだけの大破壊をもたらした生物がノーマークの駅から逃走すれば、一都市を相当の脅威に晒すことになる。
「それは大丈夫。監視室で地下鉄構内の映像も見れたからねー。アリーナのある方向に線路を走って消えていくのがバッチリ映ってたよ」
「亀裂の所在が分かるよりも前に奴が逃げたから、既に自衛隊は各駅に出動させた。もしアリーナに出没しなければ彼らが相手を──」
「白夜さん」
大吾の話を遮り、これまで沈黙していた里亜が口を開いた。静かに荒れ狂っていた感情の波は抑えられたらしい。だが、エントロピーが減少に転じて1つに固まった感情は、普段の穏和な空気からは遥かにかけ離れたものであった。その目は怒りを通り越して次の段階に至っている。
「……どうしたんです?」
尋常でない空気を感じ取り、思わず丁寧語を使ってしまう。大吾も里亜の突き抜けた情緒に気付き、腕を組んで静観を決め込んでいた織部も里亜に目をやった。
「轢き殺しましょう。あいつを」
その場に居た全員が戸惑う。群を抜いた度胸を持つ織部も、破天荒と評された白夜も、彼女の発言に絶句した。彼女の言葉が本心であることは、目つきを見れば分かる。
「──何を言ってるんですか、そんなこと──」
「最高出力のEMDからも回復する化け物です。このまま逃走を許せば甚大な被害が街を襲いますよ。数十トンの鉄の塊で轢き潰すのが、この場で取ることのできる最善手です。幸いにも鉄道は前線封鎖済み、電車は自由に走れます!」
「しかし亀裂生物を殺すのは──」
「リーダー!そんな悠長なことは言ってられませんって!今を生きる人間と、過去の生物!どっちが重要なんですか!」
「過去の生物を殺せば歴史が変わる!分かってるだろう!」
「落ち着け」
見かねた織部が横槍を入れた。この場ではリーダーの大吾よりも年長である彼は、この空気を止めるのに十分な貫禄を発揮した。荒んでいた里亜も一時口を噤み、場の進行が彼に一任される。
「斎賀、興奮しすぎだ。リーダーも言った通り、生物は極力殺さないのが我々の方針だ。それをなんだ、列車で轢くなんざ完全に頭から殺しにかかってる。頭を冷やせ」
「でも──」
「でも、じゃあない。お前が自分の趣味を破壊されて荒れているのは分かる。だが職場にプライベートを持ち込むな。私情を挟むな。お前の長所は切り替えの速いところだと俺は思っていたが……違ったようだな。感情がその場に大きく振り回されているだけだ。その振れ幅があまりにも極端で大きいから、お前は現場に立つと真剣かつ冷静になっているように見えるだけだ。癇癪を起こすただのガキだ」
「なッ──」
熱意がこもり、それでいて淡々とした織部の指摘。それが図星だったのか、里亜の中で大きく炎が湧き上った。だが爆発的に膨れ上がったその衝動も織部は涼しい顔で停止させる。
「反論できるのか?理論整然と、泣きわめかずに」
「う……」
「……今、支離滅裂に言い返してこなかったのは褒めてやる。そのくらいの冷静さは保てよ」
荒い息を吐いて顔を赤くしながらも、里亜は押し黙った。何かを言えば織部の正当さを補強するだけになってしまう、そんな気がした。この主張合戦で自らが劣勢に立っていることは、興奮の冷めないこの状況でも判断が付いていた。
目の前で展開される里亜と織部のやり取りを、葦人は意外に感じていた。
(──僕も、そうだと思っていた。フクイラプトルの時だって、いつもの軽いと受け取れる態度と真摯な態度、二面性を持つほどに切り替えの上手い人だと思っていた。でも実際は、まだ感情をコントロールできていないだけ。彼女が子どもだとは思わない。まだ、自分を大きく変える出来事に遭っていないんだ)
白夜に目を向ける。彼がURAでいじっていたルービックキューブは、単なる旅行の記念というだけではなさそうだった。具体的な根拠はない。ただ、どこか寂しそうな顔をしていじっていたように感じた。
織部も過去を語りそうにない人物だが、年長者である彼は四十年を超える中で何かに出会っていたのだろう。自分にそんなものがあるとすれば、おそらくはフクイティタンとフクイラプトルとの邂逅だろう。だが里亜にはそれがない。里亜だけは、過去との
「リーダー。ワニの挙動に関わらず、亀裂が開いたなら行かないとな」
織部が大吾の方へ顔を向けた。一時的にでも場を仕切って悪かった、と統治権を大吾に返上するかのようだった。彼は戻ってきた権力を受け取り、発案者の織部へ頷いた。
「ああそうだ。至急車で向かう。私が運転するから、里亜は助手席に座れ」
「……はい」
駆け出す四人とともに、当然葦人も車に向かって走り出した。その前方で、いまだ黒く塗りつぶされた目をして髪を揺らす里亜が視界に入る。
(──あるいはこれが彼女の
ラザナンドロンゴベが線路上を走り抜けていく。元の時代では決してお目にかかることのなかった鋼鉄のレールと添木の上を、太古の島を支配した脚で踏みつけていく。封鎖された地下鉄は電車はおろか作業員の一人もおらず、都会の喧騒から隔絶された静寂の空間を形成していた。
数百メートルから一キロほどの感覚で並ぶ駅は暗闇に満ちた線路の光源をなしていた。そこだけが光に満ちており、離れるごとにその恩恵も薄れて小さくなってゆく。この長い洞窟は大部分が夜の世界にあった。
その慣れない世界を、故郷へ帰還せんとラザナは駆ける。時空の亀裂の存在が、自然界で培われた彼の感覚器官をくすぐった。その距離も、場所も、朧げながら察知できた。人間には存在しない勘とでも言うのだろうか。
やがて、その"位置"が来た。目の前に広がる光源。ここに間違いない。ここを乗り越えると、あと少しで故郷だ。
ワニが線路から駅のホームへ飛び乗る瞬間、里亜の提案した作戦は完全に瓦解した。ワニは人類の持つ大質量の鉄塊の軌道を回避し、その牙を哺乳類の柔肌へ向けられる領域に足を踏み入れた。改札口を破壊し、階段を駆け上がる。
光に満ちた世界が顔を覗かせるとともに、目の前に立ち塞がる邪魔者が存在を主張した。自衛隊だった。銃口を向けて攻撃を開始するが、迷彩服は数秒後に軽く飛び散り、幾名かは壁に押し潰されて絶命する。進行方向に捕捉されるだけで数百キログラムの力が加わり、自衛官は内骨格の砕ける音を奏でた。
自衛隊の総力戦もむなしく、彼らの陣形はラザナに突破された。いっそここで邪魔者を全滅させても良かったが、真の目的は人間たちの先にある。関所を突破した後に控えるのは、民間人の多く集うコンサートホール、そして時空の亀裂。すぐそこに亀裂が存在すると、全身の感覚が告げている。
轟音と銃声に驚いて飛び出した警備員が、瞬く間に吹き飛ばされた。軽く宙を飛んだ警備員の体は頭から自由落下して大きな窓ガラスに叩き込まれ、その破片とともに地面へ落ちて鮮血を散らした。その音と光景は他の警備員や設営係を大きく震わせ、ホールの外に阿鼻叫喚をもたらす。
だがその騒動も、防音設備の整ったホールの中には届かない。むしろホールの中は今、突然姿を現した宙を舞う光の球が混乱を巻き起こしている。既に球体の出現に奔走していたスタッフたちは加速度的に慌てふためき、なりふり構わず逃走を始めていた。
事の元凶であるラザナンドロンゴベが動く。真っ直ぐに亀裂へ向かう。亀裂のあるホールへ向かう。逃げ遅れた有象無象を蹴散らして、ワニは全力を込めてホールのドアを吹き飛ばした。
「里亜!あそこがアリーナか!?」
「……はい」
いまだ本調子ではない里亜を助手席に乗せ、大吾はアリーナに向かって車を飛ばしていた。高速道路かと見紛うほどのスピードを出し、クラクションを鳴らされながらも辛うじて無事故でアリーナの手前まで到達していた。
「よし、もう少し車を近づける。窓を破ってもいい。多少の荒いことは私が許可を出す。一早くアリーナに突入して亀裂を保護──」
そこまで指示を出して大吾の口が止まる。突然黙った大吾を不審に思った里亜が彼の顔を見上げると、彼の目は斜め前を見つめていた。まるで何か異様な物を見た様子で、一点をひたすらに見つめている。里亜も前を向いた。残る調査チームの面々も、彼らの視線の延長線上に広がる光景に目を大きくした。
無数の人間が逃げ出していた。透明なガラスの向こうで、ホール側面の出入り口を軒並み全開にして、夥しい数の民間人が腕を振り回して濁流のごとく逃げている。涙を目に浮かべて口を押さえる者、大きく口を開いて叫ぶ者。ついにここでも民間人に被害が出た、その証左。
「──!」
「突破されたか……!回り込んで間に合うかッ──」
大吾がハンドルを切ろうとしたその時、側方から勢いよく腕が飛び出してハンドルを鷲掴みにした。突然の動きに全員が驚きの目を向けた先には、当然助手席に座る里亜がいた。彼女は目を再び燃やし、シートベルトを既に外して立ち上がっていた。大吾の力をも利用してハンドルを全力で大きく回転させると、車の進行方向が大きく変動し、アリーナのガラスに向かって真っ直ぐに突っ込んでゆく。
「おいッ何を──」
「あそこからは観客が逃げていない……!つまりあの場所はワニに最も近い位置ッ!突っ込みます!掴まってッ!」
叫びとともに脚を蹴り出し、アクセルペダルを物理抵抗の生じる最奥まで踏み切る。キックダウンが発動し、猛烈なエンジン音とともにガラスに向かって1トンの金属塊が加速した。
突然捕食動物に襲われた動物は、通常その反対方向へ逃れる。わざわざ捕食者に向かって逃げる生物など、例外はあれど、人間のような思考をしているのであれば通常は考えられない。出入り口があるにも拘わらずそこから人間が溢れ出さないというのは、そこに捕食者がいるからだ。里亜はそこに目をつけていた。
「ああッ、もう仕方ない!」
大吾が全力でハンドルの中央部に拳を叩き付ける。大音量のクラクションがけたたましく鳴り響き、ガラスの向こうの民衆は乗用車の接近に気付き慌てて遠ざかった。弾着用に広く用意された人間バージンロードへ、ガラスを突き破って車が飛び込む。屋内外の段差で車が跳ね上がるが、そのような些末なことは気にしていられない。
「このままアリーナに突っ込むぞッ!!」
全開にされたドアの間隙を通り抜け、鉄の馬がアリーナに躍り出る。調査チームが目にしたものは、鮮やかに輝くスポットライト、煌びやかなステージ。いまだ脱出できずに逃げ惑う民間人と、煌々と周囲を照らし上げる時空の亀裂。そして座椅子群を崩しながら歩を進める陸ワニが、目の前に姿を現した。
「うおおおおおッ!!!」
高速でアリーナへ突入した車は、椅子の列を削り、壊し、吹き飛ばしながら突き進んだ。車内は猛烈な振動により頭を上下左右に打ち付ける悪夢の様相を呈していたが、その前方にいるラザナンドロンゴベも、突如凄まじい不快音を立てて襲い掛かってきた物体には驚いた。急いで離れようとするが、人間用に設計された椅子はラザナの脚を妨げる。文明の利器による破壊がトラップされたワニをその射程圏内に捕らえ、一気に破砕するかのごとく衝突エネルギーを叩き込んだ。
本来は音楽の響いていたはずのホールに、車体同士の事故とでも言わん限りの衝突音が反響する。ラザナンドロンゴベは猛烈な運動量を受けてその身を宙に浮かせ、座席最前列前に叩き落された。だが1トンを超す大型動物に特攻をかました乗用車も決して無事では済まない。自滅する形でフロントガラスを崩壊させながら、車体そのものも座席群の上に乗り上げて力なく転がった。次第次第に角速度が小さくなるのを見計らって、調査チームは車外への脱出に動いた。
「こっちが上だ、登って来い!」
「急いで!ヤツが起き上がる!」
衝突を受けたワニが、首を振りながらゆっくりと立ち上がる。だが打撃は相当に堪えたらしく、四肢には完全に力が入りきらず微細な振動を起こしている。ワニがまだ全身のプログラムを復旧し終えるまでに、逃げ遅れた最後の民間人が脱出を果たした。
車から出た調査チームの目に入ったのは、ラザナンドロンゴベが歩んだであろう座席の破壊痕、割られたステージ、そして床や座席に転がる民間人の遺体であった。数万人の絶叫は彼の神経を大きく刺激したらしく、血を噴いて横たわる肉体は数人では済まなかった。駅で目にしたのと同じように、出入口の傍にも死体が積み上がっていた。
「あれは──」
里亜の目には別の物が映っていた。
ステージの上に残された布地。十中八九本日脚光を浴びるはずだったアーティストのものだろう。決して新品ではなくむしろ着古されてもいるが、綺麗に手入れの行き届いた衣装であったことは、無残に引き裂かれて露出した繊維の様子からも見て取れる。今日のコンサートのために、楽しみにしてくれる観客のために、丁寧に仕上げてきたのだろう。ファンの声援の中で輝く様子を、この目で見たかった。
彼女の目に涙が浮かぶ。
最高出力のEMDをワニへ向けた。
「おい斎賀──」
「分かってますよ、織部さん」
ラザナンドロンゴベは満足に歩ける程度に立ち直ったらしく、調査チームの存在に気付いた。張り付いた邪悪な笑みにも見える顔を彼らの方に向ける。里亜もまた、怒りや憎しみといった単調な言葉では形容の仕様がない呪いの嵐を、その視線の中に纏っている。頬を伝う涙には、単なる化学成分以上の何かが溶けている。
両者の睨み合いが続き、膠着状態は1分にも10分にも感じられる長大な時間経過を調査チームに与えた。
「──行きなさい、ラザナンドロンゴベ・サカラヴァエ」
彼女はEMDの銃口を下ろした。調査チームがすぐさま里亜の方を向き、ワニもまるで首をかしげるかのような動きを見せる。様子を窺い尾を揺らすワニに、里亜は続けて言い放つ。
「元の時代に戻り、仲間がいるなら伝えろ。この場所には私がいると。お前に狂わされた人間がいると。復讐心を持って立っていると。そして二度と、この時代の土を踏むな」
沈黙が流れる。ワニはさらに様子を窺っていたが、その十数秒後だろうか。前脚を持ち上げ、四肢を動かして向きを変えた。時空の亀裂に向かって歩み始め、光の中へ包まれていく。巨体がみるみるうちに異世界へ呑まれてゆき、やがて鈍器のような尾の先端までもが消えていった。
ラザナンドロンゴベが去った後のホールには、スクラップと化した車とともに調査チームが佇んでいた。