PRIMEVAL - Reverberation 作:Tutu-sh
捕食動物が今まさに迫りつつあることなどつゆ知らず、URAのチームは応急救護と亀裂の封鎖に勤しんでいた。比較的軽傷であった里亜が自らの目立つ擦り傷を洗浄し、続いて百夜と織部の裂傷を処置した。織部の首の傷も太い血管は辛うじて損傷を免れており、病院送りになる事態は避けられた。とはいえ激しく動けば再び血が噴き出すことは容易に想定され、仮設ベッドの上での絶対安静が条件であった。
「それにしてもやってくれましたね~、彼……」
「しくじったな。部外者に気を取られすぎていた」
白夜の腕に包帯を巻きながらぼやく里亜に、大吾が装置をいじりながら返事をする。その装置は亀裂の前に鎮座する金属の台の上に置かれ、大吾はそのスイッチを調整して電子音を立てていた。最後にボタンを押すと、独特な音を立てて空気が歪み、亀裂と呼ばれた球体が形を変えた。外側に向かって開いていた硝子の空中破片たちがまるで外敵から城を守るかのように亀裂を取り巻き、より真球に近づいた形態へ変化した。大吾がそばに落ちていた小石を拾い上げて投げつけると、小石は亀裂に弾かれ、再び地面に転がる石の群れに混ざっていった。
「よし、封鎖した。これを最初にやっておくべきだった」
「我々が来る前に亀裂から侵入したのだろう。出入りする者は見ていない」
「そうかもな。だが我々が話している間にも亀裂が開いていたのは確かだ。我々の落ち度だ……彼を取り逃がしたのもな」
「上手くやりましたねー、彼。グスッ……失礼。こいつらが襲ってくるのも見越していたんでしょうか?」
「どうだろうな。……ありうるか。山中にいる自衛隊に指示を出して、彼と残りの獣脚類──いや、彼の言うことには竜脚類もいたそうだな。とにかく彼と生物の捜索の指示を出さなくては。里亜、頼めるか」
「了解です。必要ならヘリも要請しますか」
「……そうだな。行方不明者捜索として隠蔽しよう、具体的な判断は君任せる」
「分かりました」
里亜がトランシーバーを取り出し、自衛隊との連絡を取る。男を相手していたときのふわふわとした態度は消え去り、人命の危機が肩にかかった組織に相応しい態度が表れていた。
その間に白夜は痛みをこらえて立ち上がり、積み上げられた獣脚類のそばに置かれたディスプレイを見下ろしていた。あの小型獣脚類のものらしい記載論文、そして化石の写真が複数の窓で表示されている。
「あー、結果出てますよ千代田さん」
「読み上げてくれ」
その獣脚類との攻防に巻き込まれたEMDをチェックしながら、大吾が視線も送らずに返事をする。織部のEMDは設定に必要な部位が穿たれており、無数の傷に装飾された空洞が嘲笑っていた。基地に帰って修理が必要なのは明らかだった。対して白夜と里亜のEMDは地面に叩き落されたか銃身を咥えられただけであり、大した損傷もなく続投できそうではある。念のため簡単にオーバーホールして点検する。
「えーと、こいつらは論文に記載されている中だと、フクイベナトル・パラドクサスに似ていますねー。日本のでしたか、珍しいですねえ。こんなナリでドロマエオサウルス科じゃあないんですって……ふうん」
「フクイベナトル・パラドクサス……手取層群、北谷層か。時代は白亜紀の前期」
「ええ、だいたい1億3000万から1億1500万年前だそうですね。この時代だとえーっと……?」
「フクイティタン、フクイサウルス、とにかくフクイの付く奴らが多い。どれも大陸の奴よりは小型のはず──そうか、彼が見た竜脚類とはおそらくフクイティタンのことだな」
「あーなるほど、よし。データベースに追加できますね」
「そうだな、後でよろしく頼む」
大吾がEMDの確認を完了して装置を閉じた時、通信を完了した里亜が振り返った。
「千代田さん、30分後にローラー作戦が展開されます。ヘリも2機出動が決定しました」
「ご苦労。30分ならまだ下山できまいよ、良い判断だ」
「……ところで自衛隊の方から気になる報告がありまして」
「……どうした?」
突如立ち込め始めた不穏な空気に、大吾が眉をひそめる。画面を見つめていた白夜も、空気の変化を感じ取って里亜の方に顔を向けた。仰向けに寝そべる織部も、静かに目線を彼女の方へ送った。
「小型獣脚類の捜索にあたっていた自衛隊員が数名、音信不通のようです。私たちがそうだったように、奇襲を受ければ無理もないかと思いますが──」
「フル装備で警戒中の自衛隊員が、か?」
「茂みの中だと無理も無いんじゃあないでしょうか?いくら訓練された自衛隊員でも、コンクリートジャングルに慣れた人間と野生動物じゃあアドバンテージの差ってものがありますよ」
「……何とも判断しかねるな。だが警戒しておいて損はない」
「同感です。彼らにもそう伝えておきました」
「よし。白夜、里亜。EMDは使える。構えておけ」
白夜と里亜がEMDを取りに行こうとしたその時だった。茂みを掻き分けて突如、ギャアギャアと叫び声を上げながらフクイベナトルが1匹飛び出してきた。その形相は必死ではあったが、先ほどとは打って変わってURAのチームを襲う様子は全く無い。むしろ何かに怯え、ひたすらに逃げている様子だった。
白夜が冷静にEMDを向けてフクイベナトルを射抜く。騒音の元は吹き飛び、羽を散らしながら地面にどさっと落下した。動かなくなったのを確認して、百夜はフクイベナトルの方へ歩を進める。大吾も白夜の様子を視界に入れ、他の場所からの別固体の出没を見張るべくその場を後にする。
「何だったんでしょう、何かから──」
「シッ」
疑問を口にする白夜がそれを言い終わらないうちに、里亜が黙れと指示を出した。白夜はその意図を図り取ろうと振り向こうとするが、その必要はなかった。彼の耳にも、今この場で起きている異変が感じ取られたのだ。
騒がしかったフクイベナトルはEMDで沈黙し、そこで失神して無防備に横たわっている。しかし奇妙なことに、茂みの中の音は消えていなかった。むしろ、フクイベナトルが飛び出した時よりも枝葉の擦れる音が大きく奏でられている。
三人と、そばで寝そべる織部が視線を送る。四人の視線の交点にあたる茂みが大きく揺れ、フクイベナトルよりも遥かに大型の獣脚類が茂みを破って飛び出してきた。半ば想定していたことではあったが、飛び散る枝の破片が地に着くよりも早く三人の表情が驚嘆に呑まれる。
「フクイラプトルかッ……」
フクイラプトル・キタダニエンシス。日本では数少ない恐竜の1つであり、当時の生態系でも上位に位置していたとされる。かつてドロマエオサウルス科と誤認される原因となった禍々しい爪が前肢に備わっている。しかし最大の武器は爪ではなく歯であり、フクイサウルスの幼体や弱化個体を顎でもって血祭りに上げていた。フクイベナトルが逃げ出したのも当然の話であり、たかだか七面鳥より一回り大きい程度の彼らが──いくら錯乱状態とはいえ──人間を優に狩れるほどの存在に一対一で戦いを挑むはずがなかった。
しかしこのフクイラプトルはそばで気を失っているフクイベナトルには微塵も興味を示さず、最初から追ってすらいなかったようである。彼の興味が向いていたのは血の臭いを漂わせているフクイベナトルの山だったが、すぐそのそばに横たわっている哺乳類に意識が向いた。同じく血の臭いがそこから流れており、動かないところを見るに衰弱しているようであった。
フクイラプトルは織部に向かって進撃を開始する。運悪く織部のEMDは使用不能であり、そもそも彼の手の届かない場所に置かれていた。フクイラプトルに最も近い場所にいたのは大吾だった。既にEMDを向けていたが、フクイラプトルは大吾を相手にせず回避する軌道を取った。放たれた電撃は茂みの中へ消えていき、逆に大吾は強靭な尾の一撃をお見舞いされることとなった。地面を削りながらその上を転がり、砂利の混ざった唾を吐き捨て、歯を食いしばって立ち上がる。
フクイラプトルは既に山中で自衛隊との戦闘を経験していた。背中に見える黒い穴とそこから流れた血の跡がそれを物語っている。彼は人間の持つ何かが危険な代物であることを学習し、それを回避する術を覚えていた。自衛隊員と初めて交戦して血を流して以降、遭遇しては逃げ出すのを繰り返していた。だが何度目かの遭遇で偶然にも尾で銃を叩き落としたことがあり、このときに二足歩行の哺乳類が何も手出し出来なくなったことに気付いた。この奇妙な物体を奪えば連中は脅威ではない。その絶対的な真理に気付いた彼は、山中を動き回る自衛隊を逆に邪魔者として抹殺して回った。人間の性能と限界を把握しているのである。
特に彼らを胃に入れようという気は起らなかった。亀裂からやって来た直後に敵対要素に遭遇し、彼も食料どころではなかったのである。だが、いかにもご馳走ですと言わんばかりに横たわる肉体を見て気が変わった。邪魔者ではなく獲物の息の根を止めるために、彼は疾走する。
そしてEMDの性能もフクイラプトルへ味方していた。EMDは生物を傷つけず対処できる便利アイテムのようであるが、その射程距離に難があった。熟練の兵士がスナイパーライフルを扱えば2キロ前後は弾が届くだろうが、EMDはその物理的特性から数十メートルが限界であった。織部を標的に回り込む動きを取ったフクイラプトルは、既に白夜の射程圏内にはいなかった。
フクイラプトルを射程内に捉えていた里亜にも問題があった。それは射撃の腕前によるもの。今のまま接近するフクイラプトルを撃つなら、誤って織部にEMDの放電を食らわせてしまう可能性が捨て切れない。射程圏内に入れるため、誤射の危険を減らすため、EMDの放出電力を最大にしながら二人が駆け出す。
「くッ……!」
フクイラプトルは織部の命を奪える距離まで迫っていた。歯の並んだ顎が覆い被さる寸前に織部は寝返りを打ち、辛うじて攻撃をかわす。耳元で口の閉じる音を嫌でも聞かされながら、彼は仮設ベッドから地面へ転落して逃れた。先のフクイベナトルの襲撃で受けた傷に尋常でない痛みが走り、苦痛に喘ぐ。
「ぐあッ……」
そんな事情など全く関知せず、無情にも攻撃は続行される。鉄槌として振り回される前脚の鉤爪と顎が織部の顔をかすめ、生暖かい風に髪が揺られる。目の前で爪がその存在を激しく主張し、織部の脳には諦めの2文字が生じ始めていた。