すまん、ありゃ嘘だった
※今回は亜美ちゃん視点です
あれから何分経っただろう。先生が未だ戻ってくる気配はない。もし先生に何かあれば……。あの時のあの言葉が最後になってしまう。
ーーー先生が放送室に行こうなんて言うから!
止まることのない熱いものを頬に伝わせながら、私がついさっき先生に向けて言い放った言葉が頭の中で繰り返される。
「私は……! 私は……!」
どうしてあんな事を言ってしまったんだろう……。
先生は奴らが押し寄せてきたあの時一番後ろで私たちを逃がそうとしてくれていたのに。私たちの命を助けてくれた人なのに。そんな人に向かって私はなんて事を……。
拭いきれない後悔が心を蝕んだ。
「私があんな事を言ったから……! 私のせいだ……! 私のせいだ……!」
私のせいだ。私が自分の立場で物事を考えることが出来ていたなら、気持ちをわかっていたなら先生が一人で鍵を取りに行く事もなかったのに。
黙っているのが辛く、自然と口は動いていた。
頭では何も考えていない。考えることなどできない。
「月野瀬さん……」
天飛先輩が私の背に手を回してくれた。
その手はほんのり暖かく、私の心に一瞬だけ少しの余裕をくれた。でもそれだけでは私の気持ちが落ち着く事はない。本当に帰って来なかったら……そればかりがいつまでも頭の中をぐるぐると回っていた。
「私のせいで……っ。私があんな事言わなかったら……!」
先生は行ってしまったんだ。進んだ時はもう戻すことなど出来ない。今更ここで何をしようと先生がここに戻ってくることも、あの時に戻る事も。
今のこの瞬間は実は夢で、目が覚めたらいつもの何でもない日常になってたら。そんな《非現実的なこと》をつい思ってしまう。
「待つしかないよ……」
わかってる……そんなこと。私に出来ることはただ自分の先生の身を顧みない身勝手な言葉を後悔しながら待ち続けるということだけ。
いかに自分が無力か。いかに自分勝手か。卑怯者の私はただそれを先生という自分を守ってくれるであろう存在に甘えて押し付けただけなのだから。怖くて、行けば自分が恐ろしい目に遭うとわかっているから。
「でも、でもっ……ふっ……ぅっ……!」
心も身も騒ついている。込み上がってくる何とも言えない不快感に、心は針を刺されたかのような痛みさえ感じた。同時に胸を締め付ける圧迫感に、呼吸のし辛さも覚えた。
「ふぅっ……ふぅ、っく、はぁっ……!」
気のせいかと思ったそれは揶揄でも何でもなく、とても苦しい。
呼吸の感覚が掴めない。息を吐こうとするも、吸う息の方が多くて自分でもそのリズムを制御する事が出来なかった。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
やがて頭に靄が掛かっていくような感覚を覚えた。体調が悪い朝の寝起きのような、頭が真っ白なあの感じだ。視界は定まらなくなり、いつしか立っているのがやっとなほど身体から力が抜けていく。
「ぅくっ、ふっ、うぅ……ふっ、う、ぅ……」
「落ち着くんだ……! 大丈夫、大丈夫だから……!」
崩れ落ちそうになる私を天飛先輩が抱きしめ背中を撫でた。
「大丈夫、ゆっくり呼吸して。とにかく落ち着いて……」
「はぁっ、ふぅっ、ふぅぅっ……」
指示に従いがむしゃらになりながらも意識的に呼吸してみる。意識は朦朧としていたものの、天飛先輩のその声だけは聞き逃さないよう気を付けていたつもりだ。結果的にそれが良かったんだろう。身体も、心も少しだけ楽になっていく気がする。
「ーーーはぁっ、はぁっ……ふぅ」
やがて多数回の呼吸の後、頭に蔓延る靄は晴れつつあり、意識もよりはっきりとしてきていた。その間も天飛先輩はずっと「大丈夫」と声を掛けながら私の背を撫でてくれていた。やはりこの温もりはあろうと心を落ち着かせてくれる。この地獄が始まりを迎えてから今までを共にしている仲間からのものであるならば尚のこと。
「……どう? 少しは落ち着いたかな?」
「……はい。何とか……」
答えながらゆっくりと呼吸を続ける。
心臓の鼓動も今や落ち着きを取り戻し、少しだけ速いものの一定のリズムで脈動しているのがわかった。先輩のおかげで何とか私自身、幾分かは落ち着きを取り戻す事が出来た。
「先輩、ありがとうございます」
先輩だって辛いはずなのに。それなのに取り返しのつかないことをした私の事を介抱してくれた。正直私の事が憎いだろう。でも先輩はそんな私の事を……。
「気にしなくていいよ。……こんな時こそ落ち着かないと。 あんな姿を先生が戻って来た時に見られでもしたら私が怒られてしまうからね」
そう言って笑顔で受け入れてくれる。
先輩には感謝の気持ちしかない。奴らが襲って来た時も先陣切って戦ってくれた。先輩も私たちより年上だという事実を除けば普通の女の子なのに、奴らと戦うことに恐怖心なんてないはずがない。奴らに噛まれればきっと物凄く痛いんだろう、女の子だし、身体に傷だってつけたくないはずなのに。それでもこうして優しい言葉を掛けてくれるのは、先輩もまた、先生とおんなじで私たちのことを思ってくれているからなのだろう。
そう思うと止まっていたはずの涙も再び溢れ出て来てしまう。
「先輩っ! 先輩っ!」
今度は私から縋るように先輩へと抱き着いていた。私はきっと今酷い顔をしているだろう。涙やら鼻水やらできっと顔はグシャグシャだ。制服も汚してしまうだろう。でも先輩はそれを気にする素振りも見せず、そんな私をまるで幼子でもあやすかの様に優しく頭を撫でてくれた。
やがてひとしきり泣いた後、先輩はまた「大丈夫だよ」と声を掛けてくれ、私をそっと身体から離した。
「先生ならきっと大丈夫さ。あれだけの強い意志を持ってる人が奴らごときに負けるはずがない。剣道でも最後まで諦めなかった剣士だけが勝てるってものだよ」
「はい……っ! そう、ですよね!」
理由なんてどうでもよかった。先生が無事に戻ってくる。その事実だけが大事だから。
でも先輩の言葉には不思議な説得力があった。先輩が剣道では腕の立つ剣士だから? それとも奴らを倒した事があるのが先輩だけだから? それはわからない。けれどもその言葉の一つ一つからそう思わせるだけの、言葉では言い表すことのできない根拠のようなものを感じる。先生も、先輩も、私とは生きてきた時間も、歩んできた人生も違う。年長者だからどうとか、そんなことは関係ない。ただ一つ言えるのは、経験があるからこそ言葉の一つ一つに重みというものが生まれるんだということ。だからこそ信じられるのかも知れない。
「それに実際奴らと戦ってみてわかったけど気を付けてさえいれば案外なんとかなるかも知れないよ。丸腰でも奴らに噛み付かれる前に振り解くことが出来れば無傷でも済むだろうしね」
正直、これは詭弁だろう。聞いてすぐにはそう思った。でも今はその言葉ですらも縋りたい気持ちだった。それに、先輩がそう言うならそうなんだろう。半ば無理矢理に納得してる私はコクリと頷いた。
実際、奴らと戦ったことがあるのは先輩ただ一人だけ。奴らがどんなものなのか、どういった行動を取るのか、戦闘経験のない私には想像すらつかない。勿論、先輩も奴らの行動原理を把握しているわけではないだろうけど、奴らに関して今は先輩の言うことこそが最も信頼の置ける言葉だ。
先生だってきっと奴らを上手く躱して戻って来てくれるはず。
それまで黙って待っているのも中々に苦だ。きっとまだ時間も掛かるだろう。
「それにしても要、いつまで寝てるんだか。今日の遅刻だってどうせ寝坊なんでしょ……」
「……? 尾楽さんは遅刻をよくするのかい?」
ちらり、と要を見る。少し遅れて先輩も要へと目をやった。
ただ待っているのはなんだか落ち着かない。私は今のこの状況に何気なく思い出した今朝の出来事を混じえた。
要はあの時意識を失ってから未だに目を覚まさない。でも先生と同じだ。ただ焦っても事態に好転の兆しなんてものは訪れる事はない。それならば少しでも笑って話していた方が気もいくらか紛れるというものだろう。
私は先輩の問いに苦笑いで頷いた。
「ふふっ。彼女はしっかりものだと思ってたけど……意外と抜けてる部分もあるんだね」
抜けてる部分もある、というのは少しだけあっている。長い時間を一緒に過ごして来た私には分かる。抜けてる部分がある、というよりは抜けてる部分の方が多い、と言ったところだろう。今まで要には何度振り回されて来たことか。今朝だって私は要の家の前で10分以上は待っていたのに。
それよりも先輩は"しっかりものだと思ってた"と言った。……一体要の何を見てそう思ったんだろう?
「要ってしっかりしてるように見えますか?」
純粋に気になった私は先輩へと質問を投げかけてみた。
先輩はその質問に対し「うーん」と答えを迷っていたようだったものの、少し考える素振りを見せた後それに答えていった。
「……私は剣道を学んでいるけど、立会いの際には相手の目を見るようにしてるんだよ。その時に相手の状態がわかってね、コイツは強いな、とか、凄く緊張してるな、とか。だからこう……経験則っていうのかな、何となくわかるんだよ。その人の目を見るとどんな人なのかなってさ。勿論必ずって訳でもないけど……まあ、なんというか、そんな感じかな?」
前半こそスラスラと喋ってはいたものの、話が後半になるに連れ次第に言葉を途切らせるようになっていた。うん、先輩、少なくとも今は私の方がよく分かってるみたいですよ。
「つまり……なんとなくってことですか?」
「そう、そういうことだね。なんとなくというか……まあ、勘でわかるものなんだよ!」
先輩は些か誇らしげにそう言った。私はそういう意味で言ったんじゃないんですが……。
冗談っぽく言ってみたけど先輩には伝わってなかったみたいだ。意外にも天然なところがあったりするのかも。
まあ、私たちが出会ってからここまでの間要はほとんどこんな感じだし、話も全然してなかったから仕方ないといえば仕方ないか。
「……先輩って口下手だってよく言われたりしますか?」
「うん、まあ結構言われる。なんでわかったの?」
私の質問に先輩は顔に無垢なまでのハテナを浮かべながら答えた。
結構言われる、と。でもこの口振りからするに先輩自体はそれに気付いてないのかな?
なんでわかったか……。それは私自身もかなり口下手でこの手はよく使うから。困った時は適当に言ったりすると意外と当たったりするものだ。
とは言っても今回ばかりはその限りじゃなかったみたいだけど。
「私も"勘"ってやつですよ!」
先輩と同じように自分なりに少し誇らしげに答えてみせる。するとふふっと小さく笑みをこぼすのが見えた。
「ホント、勘っていうのは結構バカに出来ないものだよ」
先輩は一言、呟いた。
妙な関心を受けて私は小さく「へぇ」と相槌を打つ。
小さな笑顔を崩さないまま一度私の方を横眼で見て、続けた。
「相手の次の一手を勘で受け流した事もあるし、逆に私が勘で打った一手がそのまま一本になった事もある。野生の勘って言葉もあるし、それが不意に、なんとなくわかるって事から言えば虫の知らせなんかとも似てる。ある種の本能なんじゃないかと言う人もいる。勘っていうのは昔から言い伝えられた人間の不思議な感性の一つ。私は人にとって結構重要なものなんじゃないかと思うんだ」
「確かに、そうかも知れませんね」
「全部が全部を勘で生きてるって人間はどうかしてるとは思うけど、案外大きな決断をする時ほど勘に頼ってみるっていうのも大事なものさ」
なるほど。
先輩の力説で、そう聞いてみれば勘というものは大事なものなのかも知れないと思ってしまう。
私も信じてみよう。なんとなく、勘というものを。
「……先生、待ってますからね!」
先生は必ず帰ってきてくれる。それは私たちにこの部屋の鍵を持って来るという事だけではなく、また先生の事を見ることが出来る、先生と話すことが出来る、という意味も含めて。
「大丈夫、必ず先生はーーー」
チャリン。
先輩が言い掛けた時、小さな金属音が私たちのすぐ足元から聞こえた。目線を足元の床へと合わせるとそこには小さな鍵が。
拾い上げて見るとタグには『放送室』と書いてある。先生が取りに行ったものだ。……と、いうことは?
顔を上げ先輩の後方へと目線をやると、私たちが待っていた、待ち侘びていた人の姿がそこにはあった。
「先生!」
ようやく、ようやく先生が戻って来てくれた!
溢れそうになる涙を抑えながら私は先生へと駆け寄った。
しかし、そんな私の腕を先輩が掴んだ。
見ると、先輩は何やら浮かない表情をしている。先生が戻ってきてくれたというのに何故そんな顔をしているのだろう?
「先輩、どうしたんですか?」
その表情にも、行動にも疑問があった私は先輩へと問い掛ける。が、返事はなく、俯いた表情のまま首を横に振るだけだった。
「先輩、離してくださいよ!」
ラチがあかないので掴んでいる腕を振り解こうと腕に力を入れるも、先輩の握力は想像していたよりもかなり強く、ガッチリと私の腕を掴んでいて、振り解く事は出来ない。それでも諦めずに何度も繰り返していると、やがて先輩はゆっくりとその口を開いた。
「月野瀬さん、もうダメだ……」
もうダメ? 一体何が?
「先生は……もう」
先輩の言葉を受け恐る恐る先生の顔へと目を向ける。
……薄々そうなんじゃないかと思ってはいた。
……気付きたくなかった。知りたくなかった。わかりたくなかった。知らないフリをしていたかった。
「二人とも……早く放送室に入りなさい……!」
肩から血を流しているのに、気付かないはずなんかなかった。左腕を伝い、やがて指先へと滴り落ちるその血に。鍵のタグについたその赤に。
「そ、そんな……!」
先生の背後に迫るあいつらに。
はい、というわけで第9話いかがだったでしょうか?
前回の投稿から二週間程時間が空いてしまいましたね……
言い訳するわけではないのですが、プライベートが忙しく中々書き上げることができませんでした……本当に申し訳ないです
今後はもう少しペースを上げられればなぁとは思ってはいるんですが、一体全体どうなることやら……