奴らを生徒と認識していた要。
南方の攻撃を受け、倒れた奴らを介抱していた。
しかしそれには何の意味もなく、起き上がった奴らのうちの一体が要へと牙を剥いた。
南方がそれを処理するも、要の目にはそれがただの生徒を殺したものと見えており、要を助けた南方と、それを止めようとしなかった亜実、先生を激しく非難する。
だが亜実がついに痺れを切らし、要に奴らの亡骸を見させると、要は混乱した様子を見せたのち再び意識を失ってしまった。
屋上は静寂に包まれていた。
いや、正確には下からは奴らの煩わしい呻き声が相変わらず聞こえており、完全な無音というわけではない。今少なくともこの視界に見える範囲のもので何一つとして動いているものはなく、動的な静けさがまるで煙のように私達を包み込んでいる。それによって音も、気配も、完全にこの空間からは遮断されているように感じた。
これがいつもの、今までの日常であれば屋上を囲む転落防止策に肘を突き夕日でも見ながら黄昏てみるのも良いものだが、勿論今はそんな事をしている暇も、精神的余裕もない。
……そもそもいつまでも屋上にいる事でさえ本当はあまりよくはないものではないだろうか。ゾンビ映画なんかでは屋上に逃げ込んだ人々は真っ先にゾンビのその圧倒的物量に命を散らしているではないか。ましてや先程までの私達はお世辞にも静かだったとは言えず、その声を聞きつけた奴らが今にもここへ上がってくるかもしれない。
しかし何か行動を起こせるほどの考えが思いついていないというのも事実。この状況において一番ベストな選択を出せる者がいるとすれば、そんなものただの思い込みであり、そいつはただの馬鹿だろう。
「取り敢えずこれからどうするか、考えよう……」
長い沈黙を破り、止まった時の秒針へと手を掛ける。
いつまでもここへ留まっているわけにも、落ちゆく夕日を眺めているわけにもいかない。やがて太陽は沈み、夜が訪れれば当然視界も効かなくなりその身を更に危険に晒すことへと繋がる。まだ外は明るいが、そんな中でも奴ら三体相手に私達は命の危険を感じていた。幸運にも怪我一つなく退けることが出来たが、今より条件が悪くなっては最悪の事態までも引き起こしかねない。そうならない為にもなるべく早い段階から案の一つや二つ、練っておかなければならないだろう。
「……そうね。こんな時こそしっかりしなきゃ」
とは言うものの、やはりこんな状況の中、少ない時間でこれだけの
再び辺りには静寂の時が流れようとしていた。
……と、思われたが、その時意外にも口を開いたのはつい今まで横たわる尾楽さんを呆然と見詰めていた月野瀬さんだった。
「……それならまず要を安全な場所に連れて行きましょう!」
震えるその声は弱々しくも、大切な友人を守ろうとする、彼女の強く、優しい意思が含まれていた。その目。その顔。その声。そして彼女の友人を思う気持ちは、その心や意思がどれだけ強いかということをよりはっきりなものとさせた。
尾楽さんから決別を言い渡されたとしても彼女からすればやはり尾楽さんは大事な人。その思いは変わっていないようで、私は少しだけ安心した。
「そうだね、わかった! 私が先行して様子を見てきますので、尾楽さんを寝かせられる安全な場所を教えて下さい!」
「そうね……。一旦放送室に行きましょう! あそこならここから近いし扉も丈夫なはず! そう簡単に奴らも入ってこれないわ!」
確かに……!
あの部屋の扉であればそう簡単に破られることもないはず。咄嗟に放送室が思い浮かぶとは、さすがは先生といったところだ。校内のことをよく知っている。
この学校は生徒の数が他の私立高などと比べ少しばかり多い方だろう。教室の数も多いし、勿論家庭科室、工作室といった、それ以外の用途に使われる部屋も沢山ある。その分校舎は無駄に広く、一番端の教室から今回の目的地とする部屋である放送室までは、歩いただけでは数分は掛かるほどだ。だがそういった教室以外の部屋は一部を除いて校舎の中心部分に固まっている為、屋上からはとても近い。放送室は3階にあり、屋上の下の階へ降りて少し右へ走れば着く。安全を確保する上で条件のいい部屋がすぐ近くにあるというのは非常に幸運だった。
「了解です! 私が戻るまで絶対に扉を開けないで下さい!」
「少しでも危なかったらすぐに戻って来るのよ!」
私は頷くとなるべく静かに扉を閉めた。
「ふぅ……よし」
一呼吸吐き、心を落ち着かせこれから起こるであろう事に備え呼吸を整える。
やや急ぎ足で階段を下ろうと足を踏み降ろした時、今まで屋外にいたためか気付くことのなかった校内に漂う不穏な空気に、堪らず絶句することとなる。
「っ……!!!」
校内からもやはり奴らの獣のような呻き声は響き渡っている。校舎の壁に反響した幾重もの轟は肉食獣が徘徊しているのかとさえ思わせた。それは校内に複数の奴らが存在している事を示しており、私の身体を恐怖により硬直させた。
私だって剣道有段者である事を除けばただの18歳の女子学生だ。勿論怖い。だけどここで先生や月野瀬さん、尾楽さんを失うことはもっと怖い。もしそれで私だけが生き残ってしまったりでもすれば絶望のあまり自殺だってしてしまうかもしれない。けれど私には私の、いや、私にしか出来ることがある。それがこれなんだ。
今にも震えそうな足を一段ずつ下げていき一歩一歩と階段を降りる。
やがて手すりから身を乗り出せそうな位置まで来ると、姿勢を低く保ち、より慎重に階下へ向けて足を下ろした。
最後の一段を降りるとデッキブラシを握る手に力を込め、身を屈めながら階段の手すりからゆっくりと踊り場へと顔を出す。
「……?」
……どうも様子がおかしい。
そこで見た光景を不思議に思いつつも、確認を終えると今度は立ち上がり踊り場の陰からゆっくりと左右の廊下を見回す。
「どういうことだ……?」
意外にも廊下や階段の踊り場など目に見える範囲に奴らの姿はなく、私が仕留めたあの三体がこのフロアに残っていた最後の奴らであったようだ。
(あれだけ大声で怒鳴りあっていたというのに……何故ここには奴らがいないんだ?)
奴らは高所を嫌う傾向でもあるのだろうか?
ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリは鳥類に自らを食わせるため敢えてその姿の目立つ高所へと移動するというが………逆に奴らには高所を避けなければならない理由があるのかも知れない。まあ、実際には寄生されたカタツムリが移動しているわけではなく、繁殖を目的としたロイコクロリディウムがカタツムリを操り高所へと移動させているわけなのだが。
(……いや)
……今はそんなことはどうでもいい。現実として奴らは屋上に来たし、食われるとすれば私達だ。それに奴らはカタツムリではない。ここにいつ来てもおかしくはないのだ。尾楽さんの為にも早いところ放送室を確保しなくては。
踵を返し、元来た道を戻る。
「今のところ廊下には奴らはいません! 行くなら今です!」
屋上の扉を開け、屋内の情報を手早く伝える。
いきなりの声に先生は一瞬驚いたのかその目を丸くさせ身構えたが、その声の主が私だと分かると首を縦に振り、倒れたままの尾楽さんの元へと駆け寄り彼女を背負う。
「わかったわ。行きましょう! 月野瀬さん!」
「……はいっ!」
先生に続き、月野瀬さんが私の待つ屋上出口へとやってきた。
「奴らはいませんがいつ来るかはわかりません。念のため慎重に行きましょう」
階段を降りる前に二人へ向け警告の言葉を掛ける。
「ええ、わかってるわ」
先生は静かに返事をする。それに続いて月野瀬さんも黙って頷いた。
奴らが何を頼りに私達を探し出すのか。それが視力なのか、聴力なのか、嗅覚なのかは分からないが、用心に越したことはない。それでなくともただでさえ現実感のないこの悪夢のような現実で常に恐怖が付き纏うというのに、階段から転げ落ちでもして大きな音を立てるようなことがあれば、それでこそ心臓でも止まるかと思うほど驚くことだろう。それが原因で死亡するなどということがあればそれはもうお笑いにもならない。
なるべく音を立てずにゆっくりと階段を降り、手すりから階下の踊り場までを見られるようになると、念の為もう一度下を覗く。やはり奴らの姿はない。
「ほ、本当に一人もいないんですね……」
階段を降り切ったところで月野瀬さんはボソリと呟いた。私の言葉を信じていなかったわけではないのだと思う。ただ、それが意外過ぎてつい口から溢れたのだろう。
「一応周りを見ておきます。先生達は先に行ってください」
反転し階段と、逆側の通路を同時に見れるようにデッキブラシを構える。その私の横を先生達が引き続き慎重に通り過ぎて行く。
それを確認すると先生達を背に、警戒しながら後退する。
十歩ほど退がったところで奴らの来る気配がない事を確認し一度警戒を緩め、私も放送室へ向かおうと後方へと向き直った。
そこで目に入ったのは壁にもたれ掛けるように寝かせられた尾楽さん。そしてドアノブを何度も必死に回す月野瀬さんと、それを見て焦りの表情を浮かべる先生の姿だった。
「……どうしたんです?」
不思議に思い問い掛けると、慌てた様子の月野瀬さんが開かれることのないドアを何度か引きながら答えた。
「あ……開いてないんです!」
「そんなはずは……」
月野瀬さんに変わり私もドアノブを捻り手前へと引く。が、ドアは無情にもガチャッと引っ掛かりのある音を立てるのみで開くことはない。
「……うっかりしてたわ」
その様子を見て先生が何か思い出したようで、一言呟く。その言葉だけでは何のことかは分からず、ドアノブに手を掛けたまま先生へと注目した。
疑問の表情を浮かべている私と月野瀬さんを交互に見ながらそれを話す。
「今朝のHRで不審者が出ているから部活動のある生徒も休みにして早く帰るように言ってたんだったわ……」
「……あっ」
「……そういえば今日は帰りに校内放送がなかった……!?」
……言われてみれば確かにそうだ。
我が校には一日の終業に放送部が校内放送を流すという決まりがある。それは今日も当然行われているものだと思いこんでいた。しかし今日は先生の言った通り不審者が目撃されている為部活動も一切行わず速やかに帰宅するように周知されていたのだ。
……どうしてそんな単純な事に誰も気が付けなかったのだろう。いや、みんな内心パニックになっていただろうし、仕方ないことなのかもしれない。先生も、月野瀬さんも。当然この私も。この中の誰が悪いというわけではない。
そのことに関しては月野瀬さんも勿論分かっているのだろう。それでも彼女は親友を少しでも危険には晒したくなかったのだ。
「……どうするんですか、先生」
「どこか別のところを探すしか……」
「別のところってどこですか! どうせ他の場所も閉まってるんですよ!!!」
もっともだ。先生には悪いが今日の周知があったからには他の部屋も大半が施錠されているだろう。もしかしたら運良く開いている部屋もあるかもしれないが、それを探し出したのでは今からではとても時間が掛かるだろうし、何よりどこの部屋が開いているなんて想像もつかない。
私たちに比べるとまだ冷静に見えた先生も、内心はパニックであっただろう事に加え、予想外の展開に頭が回っていなかったのだろう。
「……ごめんなさい」
「ごめんなさいで済む問題じゃないんですよ!!!」
静かな校内に月野瀬さんの怒声が響く。先生の申し訳なさそうな、悲しそうにも見える複雑な表情を見て、月野瀬さんは顔を落とした。
「……のせいです」
「月野瀬さん……」
俯きながら呟いた。その握られた手は僅かに震えている。
そして顔を上げると鋭い目付きで先生を捉えた。……溢れた感情を抑えることが出来なかったのだろう。恐らく、今一番言ってはいけないであろう、その禁忌の言葉をついに口にしてしまった。
「先生のせいですよ! 先生が放送室にしようなんて言うから!!」
気持ちはわかる。わかるのだが……。
「っ……本当にごめんなさい……!」
言い切り、先生が謝罪を口にした所で我に返ったようで、口を噤み、再びその顔を俯かせる。
友人を思う月野瀬さんの気持ちも、仕方のないことだが先生の自分の犯したミスを悔やむ気持ちも理解出来ていたため、その二人のやり取りを見た私には何も言うことは出来なかった。
再び校内には奴らの声が僅かに響くだけの静けさに戻る。今はこの静けさがとても嫌になる。
このやり取りで奴らは今度こそ確実に私たちを狙ってくるだろう。ここは一旦もう一度屋上へ引き返した方がいいのか。しかしこうなった以上奴らも屋上へ押し寄せて来るかもしれない。逃げ場などどこにもなくなる。そうなれば手詰まりだ。
どうする……?
一体今はどうするのが最善の方法なんだ……?
回らない頭を必死に回し考える。だが、いくら考えたところでその答えにはどこかにしこりが残る結果にしかならない。
恐らく最善であろう選択肢は一つだけあるのだが、それをするには余りにもリスクが大きすぎるし、考えただけでも最悪の選択肢だ。
(どうする……? どうする……!?)
ここは暑くはなく、むしろ少しひんやりした空気が漂っているくらいだ。なのに額からは嫌な汗が伝う。私の心臓はそんな焦りを笑うかのようにドクドクと煩く鼓動を早めた。
やがて先生はそんな私を見兼ねたのか、それともこの空気がそれを言わせたのか。
「……行ってくるわ」
「……え?」
聞こえていた。でも聞こえないフリをしてしまった。許容など出来ない、その言葉を。
「先生が放送室の鍵を取ってきます」
……最悪の選択だ。
同時に、これが最善の選択なのだ。
でも駄目だ。行かせてはならない。生きて帰れる保証などどこにもない。
「ダメです! 危険すぎますっ!」
横を通り過ぎる先生の腕を少し遅れて掴む。
先生は私の手をそっと離すと優しさの中に決意の篭った目で私を見た。
「先生に行かせて……。ね?」
「……っく」
……その目を見てもはや何を言葉は出なかった。
「っ……! せんせっ……」
月野瀬さんも手を伸ばし今まさに地獄へ足を踏み入れようとしていた先生の腕を掴んでいた。
彼女は自分の放った言葉に後悔しているのだろう。瞳には未だ見える夕日を多く反射し、潤んでいるのが一目でわかった。
先生はその手すらも優しく解くと、振り返り月野瀬さんを抱きしめた。
「大丈夫……。必ず鍵は持って帰るから」
それだけいうと先生は抱きしめていたその身体を離し、再び私たちから離れて行く。ダメだ。絶対に行かせてはならない。先生が行くくらいならばまだ自衛できる私の方がいいに決まってる。
「先生! 私が行きます!」
先生はピタリとその足を止めた。
やった。先生を思いとどまらせた……!
そう思ったが、先生の、先生としての意思は半端なものではなく、私の言葉なんかでは覆すことなど出来ぬくらいに固くて。
「ダメよ。生徒に何度も危険なことはさせられないわ」
返ってきたのは私の思いとは真逆の強い決意だった。
一呼吸ほどの時間を置くと、もう一度だけ振り返り笑顔を浮かべた。
「それに……二人とも私の可愛い教え子だもの」
「……っ先生」
「先生……!」
……頬を涙が伝う。
もうこれ以上何も言うことはない。
ここで止められなければ後悔するかもしれないのに。もうその声も、怒った時のあの顔も、笑顔も、優しさも、二度と感じることが出来ないかもしれないのに。
私たちはただその背中を霞んだ瞳で見送ることしかできなかった。
さてさて、第8話いかがだったでしょうか?
前回の投稿からほぼ一日が経ってしまいましたが、構想を考えては書き直し、中々うまく行きませんでした。
今後もこんな感じか、これならもっと悪いペースでの投稿となってしまいそうです……。
最低でも週に1ページは投稿したいと考えておりますので、楽しみに待っててくださる読者の皆様には申し訳ないのですが、どうかごゆっくりお待ち頂ければと思います!
では、また次回もお楽しみに!