──……心って、なんだろう。
目には見えず、触れることは出来ない、酷く曖昧な代物。
“私”が“僕”として生まれ変わった事を漠然と理解した時、何となくそう思ったことがある。
「どうして、急にそんな事を?」
「どうしてでしょうか……」
フィリア祭の当日。時刻は朝の九時に届きそうな頃。
街中は祭りの踊り出しそうな喧騒に包まれ、僕たちのいる東のメインストリートも多くの一般人で賑わっていた。
数えきれない出店が建ち並び、香ばしい匂いやジュウジュウと何かを焼く音が絶え間なく聞こえてくる。通りそのものは飾り付けなどで、普段よりも華やかさを増していた。
そして大通りに面する喫茶店、その二階。
僕は目の前に座るフレイヤ様に『会わせたい神がいるから、変装してきて』と言われ、何故か最近
「心象に干渉するなんて、よく解らない力を理解できないまま使って大丈夫なのか……とね。幼い頃はもう、知恵熱を出すくらいに悩みました」
「それで私を見て、魂ってどんな色をしているのだろう。魂を見るってどんな感じなんだろう……そう思ったのね?」
「まぁ、そんなところです」
銀の双眸がこちらに向けられる。魂の色を見るとは言うが、見えた色から何がわかるのだろうか。彼女が見る色と僕の見えるだろう心象に違いはあるのだろうか。そして彼女の眼に、僕の魂はどう見えているのだろうか。
吸い込まれるような瞳から意図的に視線を外し、彼女がさっきまで見下ろしていた街並みを眺める。そんな僕を見て、彼女は艶めかしく声を漏らした。
「本当にあなたって、可愛いわ。好奇心と不安で揺れているのね。それで?」
話の続きを促され、僕は言葉を紡ぐ。
「完全に人の心を理解できる日なんて一生ありませんし、それでも尚、理解しようとするからこそ、人は他者とわかりあえるのでしょう。生きとし生けるものには必ず心があり、心ある者は他者の心のうちを理解しようとする。それは人の営みの中では必然で、当然な事で、だからこそ尊い。
まぁ結局何が言いたいのかというと、自分が心で感じた事を大切にしよう、と。『心なんて曖昧な代物はこちらも曖昧でいい。ただ心で感じ、語りかければ伝わる』って事です。……と、偉そうに言いましたけど僕もこれに関しては最近になってやっと答えを得たんですけどね」
「なるほど……ヘスティアね。初めて私と会った時から随分と成長したようね?」
「それはもう掘り返さないでくださいって。重々承知していますよ」
「あなたに足りないのは経験ね。大成した精神性をしているのに、対
「……はい。反省していますから許してください」
対人ではなく、対神と言うところは流石フレイヤ様というべきだな。彼女のご慧眼は健在だった。
僕の知っている神といえば我が主神のヘスティア、祖父であり育ての親のゼウス、師匠のタケミカヅチ様と天照様、ご近所の良心ミアハ様、ヘスティア様の元居候先ヘファイストス様、そしてフレイヤ様だ。
誰も彼もが人格者で、……まぁ賛否両論ではあるけど、フレイヤ様はこの中で一番の付き合いが長く、性質的にも僕との相性が良いので人格者枠に入っている。
もしかしたら僕は神運が良いのかもしれない。
「ふふふ、今日はこのくらいで許してあげるわ。もうそろそろ来るだろうしね」
「そういえば僕に会わせたい神って、誰のことなんですか?」
面会の相手を聞かされず、ただ時間と場所を言われた僕は何時に無く緊張していた。
女装自体は好きでやっていることだけど、そもそもこの女装は旅先で歌い始めた時に【歌姫】として有名になったしまったせいで辞めに辞めれなくなり、どうせなら姫と呼ばれる人が男と思わないだろうと考えた末に女装は【歌姫】の時だけとしてたのだ。そうすれば普段の僕が【歌姫】だとは思われないだろうから。
それでも今日この姿なのは、僕の変装は女装であるというのがフレイヤ様との共通認識だったからだ。
「───当てられるかしら?」
挑戦的に、そして楽しげに僕を見る。柄にもなく緊張している僕を見て楽しいのか、……彼女の場合は萌えているのかもしれないが、僕はそんな彼女を見返そうと思考に没頭し始めた。
「そもそも『同盟』は精霊になって
「ふふふ……ほら、来たわよ?」
僕の背後にある個室の入口に目を流すフレイヤ様。
カツ、カツ、カツ、と木張りの床を歩く音が段々と近づいて来た。
え、うそ、まさか、本当に?
つい最近あったばっかりで凄く会いづらいというか、着替えたいというか、なんて言えばいいんだろうというか───
「……ベル?」
「ほんまに【歌姫】なんやな。仕草も女の子やし、誰が見ても男には見えへんわ。めっちゃ可愛いし」
「そう言って頂けるなら、こうして女装した甲斐がありますね」
───……開き直るしかないよね。うん、そうしよう。
そうと決まれば僕はふふふ、としたり顔で悪戯っぽく声を零してみせる。
「……男、やんな?」
「こういう子なのよ。自分の容姿が可愛いって自覚していて、その上で『可愛いなら着飾るべき。可愛いと美しいは正義』って、神みたいなことを言うのよ。まぁ私はどちらの姿も好きだけど」
「色ぼけ女神は筋金入りやな。まぁ、それはええわ。ただちょっとして欲しいことがあってな?…………ロキ様、って一回言ってみてもらってええか?」
……。
…………。
…………………………。
「ベル、話が進まないからお願いできるかしら」
「え、えぇ。いいですよ。では……───」
少し戸惑ったけど……うん、分かるよ。ヘスティア様なんか呼ぶ度に顔が緩みそうになるのを我慢してるし。
神ってみんな同じこと考えるんだなぁと思いつつ、椅子から立ち上がった僕は神ロキの前に立つ。
そして一礼、カーテシーを披露し、顔を上げる。さらに僕のチャーミングポイントである赤い宝石のような瞳を潤わせ、彼女の手を優しくとった後、こう言った。
「───ミスタ・ロキ。私と一曲踊っていただけますか?」
「はぅ……っ!! これはあかん! ミスタって言われたのに嫌じゃなかった?! やめてーー! ウチは女や!! あとベル!! フレイヤが『男装したら?』って言ってきたのはあんたのせいやな!?」
「──っふ、く──ふふ、ふふふふふ──はぅっ、て……ふ、ふふっ──」
「笑いすぎやフレイヤ!!」
「ミス・ロキ。この後のお時間を僕に貰えませんか?」
「ぅぐっ!!揶揄われてるのが丸分かりやから複雑やわ!!てかいつ着替えたんや!?」
「──ふ、ふふ──っ、ふふっ──ぅぐっ、って──ふ、ふふふふ──」
「あーーーー!!!!!やかましい!!一旦静かに!!脱線しすぎや!!言い出したのウチやけどな!!」
「……ロキが一番煩い」
「ガーーン!!」
……カオスだった。
落ち着いた。と言うよりも落ち着かせた。
じゃないと話が進みそうになかったし、神ロキとアイズさんにはこの後予定があるそうだったので僕が《歌》を見せ、そこから僕の『心象』に干渉する力や転生に対する祖父の考察、フレイヤ様との関係性を語り始める。
語り手は僕。吟遊詩人として各地を渡り歩き、様々な文化を見てきた僕にとっては神を楽しませる事すらお手のものだった。ただ今回はかなり話を省略している。冒険も含めて話してしまうと、それこそ日を跨ぐ事になるだろうから、また機会があれば、ということになった。
そのような感じで順を追って話し、全て聞き終えた神ロキが元々薄い目を中央に寄せるように難しい表情で思考に耽り始めてからそれなりの時間が経つ。そうしてニヤリと不敵な笑みを見せた神ロキの第一声は、僕にとって青天の霹靂と言うべき内容だった。
「───いや、違うな。ゼウスの考察は合ってるけど決定的なところが微妙に違ごうとる。転生じゃなくて、正しくは『憑依』やな」
「……どういう、ことですか?」
「どういうことって、んー……これ言ってもわかるかなぁ? どう思うフレイヤ」
「大丈夫よ。ベルは『心象』を感じ取るという一点だけで言えば、私を『美』と『豊饒』の女神だと見抜く程の感受性と理解力があるわ。いずれは私の眼と同等かそれに準ずる能力を得るでしょうね。……最も、その時には精霊として完成しているでしょうけど」
「うわ、マジかいな。洒落にならんぞ……」
……何か、『下界では神の力を使ってはいけない』の他にも取り決めがあるのかもしれない。そんな神にしか理解できないやり取りの後、神ロキは話の矛先を僕ヘと変えてきた。
「ま、それなら話は早いな。……まず『起源と終焉と回帰の連続性』。これを言葉通りに捉えると『始まりと終わりは繰り返される』って意味なんやけど、神の言うそれは『エネルギーの循環』を指してる」
「エネルギー、ですか」
「この世のあらゆるものにはエネルギーがあって、それは一つの存在として確立された時に初めて発生する。これを『起源』。
そしてそのエネルギーは時間経過と共に消費されて最終的に終わるのが『終焉』。人とかは“死”という形で分かりやすく表れるけど、その後の魂は冥府に連れて行かれるって寸法や。そんで死んだ魂は例外なく冥府の神に回収されて、経験や記憶といった蓄積されたもんを洗い流されてから体……つまり赤ん坊が生まれるまで天界で管理されて、また新しい生命として生まれる。ちなみにこれが輪廻転生で、転生とはまた別物やし。ここまでで分からんところはあるか?」
えぇっと、少し頭が混乱してきた。
まず何かが生まれる時には必ず『エネルギー』が発生していて、時間経過……人の場合は老いや病気で消費されるってことかな。だとすれば“命を燃やす”って表現の方がわかりやすいな。それで全て燃やし尽くすと死ぬ、ってことか。
「えっと、いえ……今のところはなんとか」
「そうか。まぁこっからが肝で、さっきまで引っ張ってた『エネルギー』。これは何処から来て何処に消えるんやーって話なんやけど……」
そこで神ロキが言い淀む。どうしたのだろうか、と怪訝に思って表情を伺い見れば、まるでその先を言うことが不本意ではないと、そのような表情を浮かべていた。
「……変わったわね、本当に。天界での破天荒ぶりを思えば、過去のあなたは目を疑うのではないかしら?」
「茶化すな。これはこの子の、ベルベット・クラネルの根幹を揺るがしかねへん。下手したらアイデンティティ・クライシス真っ逆様やねんぞ?」
「大丈夫よ」
「……ぁん?」
「ずっとこの先の話でしょうけど……いずれは精霊になる運命なのだから。それを知るのが今か、ずっと先になるかの違いでしかないわ。それに……」
「それに?」
「……私はこの子を、ベルを信じているわ。その程度で褪せるような子ではない、って」
そうでしょう?と、銀の双眸が語りかけてくる。
そんな美の女神の全幅の信頼に嬉しく思うのと同時に僕は男としても、己を理解してくれる友としても応えなければと、肩を震わせた。
「ふふ、えぇ……フレイヤ様。では神ロキ、話の続きをお願いします」
「……ハッ、一丁前に女の顔しやがって。ま、変わったのはお互い様ってことか」
神ロキは不敵に、そして優しげに笑う。
今までは敵対するファミリアの主神として啀み合っていたらしいけど、お互いに良き理解者を得たのだと、僕は二人の表情から読み取ることができた。
「ま、それは置いておいて……。話を戻すけど、『エネルギー』ってのは、答えを言ってしまうと精霊のことを指してるんや。今言ってる精霊は英雄譚とかに出る精霊ではなくて、言葉としての超自然的な力って意味な?」
「ですが、無関係ではないのでしょう」
「まぁな。『エネルギー』にも色んな種類がある。風やったり、水やったり。火もそうや。……そして《心霊》──心のエネルギーも。ゴーストとかは怨念が集まって生まれる精霊の亜種なんやけど、英雄譚とかで出てくる精霊が神の眷属って言われとるんは、神の力で集めた『エネルギー』に神秘──要するに【不変】という生命力の欠片を与えることで正真正銘の精霊が生まれるからや。
んで、おそらくベルは前世で『多くの人の心を動かすことに通づる“何か”』をやってた。違うか?」
「……えぇ。確かに“私”は生前、
「……マジかーー。そっちかぁーー」
何故か呻いている神ロキを尻目に、僕は彼女の凄さに舌を巻いていた。
具体的には神ロキの思考能力が抜群過ぎて、流石は天界切ってのトリックスターと称される神だと……今までヘスティア様は神ロキの事を女と酒好きの碌でもないヤローと言っていたけど、全然そんな事はない。
こんなに頭が切れる彼女であれば
アイズさんにも慕われているようだし、都市最大派閥の主神だし、かなり凄いんじゃないかこのヤローって感じで少し動揺しながらも、僕は彼女のことを神として好ましく思っている。ヤローじゃないけど。
あとでヘスティア様に文句を言っておこう。先入観で神と、特に彼女のような策略や駆け引きを得意としている神と相対するのは、誤った情報で間違った対応をした状態でモンスターに挑んでしまうのと同義なのだ。鷲掴みの刑に処そう。うん、それがいい。
「……はぁ。時にして人の想念は奇跡を起こす、か。人から聞くのと、実際に目の当たりにするはやっぱ全然違うなぁ」
「……?」
「あぁこっちの話やから気にせんでええ。それよりも、ベルはどうやって転生したのかわからへん〜って最初に言ってたやろ」
「えぇ。もしかして何か思い当たることが?」
「いや、流石のウチも転生した方法はわからんけどなぁ……でも、何で転生したのかはわかったで」
「……それは?」
ゴクリと唾を飲み込み、耳に全ての神経が集まっているような気さえした。
それほどまでに聞き逃しのないよう、僕は彼女の声に耳を傾けていた。
「さっきも言ったけど、集められた『エネルギー』に【不変】という生命力の欠片を与えられた存在……それが精霊や。けどな、実は必ずしも『エネルギー』を集めるのは神じゃなくても問題はないんや」
「問題、は?」
「そうや。ベルの前世ではウチらみたいな神は居なかったんやろ?やのに何で精霊になれたのか。そこが鍵なんやけど、……答えは偶像崇拝。偶像として向けられた膨大な想念──『エネルギー』がベルの魂を精霊の域まで昇華させたんやろうな」
「……」
それは、転生した理由にはならないのでは?
そう言葉にしかけた口は、あまりにも優しげな彼女の眼差しに当てられ、無意識に閉ざされた。
「……まぁ下界に降りてからウチも曲がりなりに家族として、そして主神として子供達に接してきた。ダンジョンで死んだ子もおるし、冒険者を辞めた子も確かにいる。だけど、一人たりともウチは忘れたことはないし、これからもずっと覚えていたいと思ってる」
「……それは、とても素敵なことですね」
「やろ?……まぁ、下界に降りてきて色々あったけど───人を想う力ってのは最も偉大な奇跡やって、ウチは思うようになったんよ。そんなウチから見たら、ベルは余程沢山の人から想われてたんやろうなぁ……」
そう、万感の想いで語るロキ様は、子供を見守る神の顔だった。
だからだろうか。こんなにも胸が熱い。音が、声が聞こえる。
『貴女は詩織、月宮詩織よ』
『芸名……で、いいのよね?詩織はそのまま『詩を織る』って意味で付けたんでしょうけど……名字まで変える必要あるのかしら』
『ないわ』
『ないの?』
『えぇ。でも───』
ぁ……あぁ。確かに、本当にその通りだ。
どうして、“私”はこんなにも近くに居た理解者を忘れていたのか。
『───
そう言って笑った彼女の瞳は一点の曇りもなく、澄んだ空色はあまりにも綺麗で、ありのままの姿を映していた。
感想待ってます。