まず外に出た僕とフレイヤ様が行ったのは情報収集だった。
騒ぎの中心が迷宮都市の東端に築き上げられた
……と言っても、僕達がいるのは屋根の上である。人が多すぎて道を進めないと判断した僕が例の如く《歌》で風を纏った上で重力を軽減する効果を付与した僕達の体は、軽く跳んだだけで屋根を越えることができた。
眼下では混雑を極め、軽い混乱に陥っている。そんな彼らの共通点は『恐怖』と『憤慨』──自分たちよりも強者であるモンスターが脱走したことに対する感情が【ガネーシャ・ファミリア】へ向けている、と言うことだ。そのような周りが見えていない状態では通常の判断ができず、怪我人も増えるだろう。
まずこんな中をフレイヤ様を連れて歩くことなんて出来ないし、上を進んだのは英断だった。
ちなみに背中に羽が生えたかのようにふわふわと屋根上を飛び跳ねながら移動する僕達の姿を下から見ることは叶わない。それも《歌》で施した効果であり、自分達が上から見られているとは知らず、市民たちは我先にと道を走っている。
そんな彼らを見下ろすフレイヤ様はフードの奥で目を細め、ポツリと言葉を零した。
「……おそらくだけど、フィリア祭のために用意されていた
……突っ込んでほしいのかな?あんなマッチポンプを仕組む神が何を言っているのか、と。いや、別に僕は気にしてないけど。
ただ何処からか、お前が言うな、って聞こえた気がしたんだ。気の所為かもしれないけど。
そんなことを考えていると、此方を怪訝な目で見る視線を隣から感じた。伺い見れば、目が『私との会話中に他のことを考えているの?』と語っている。やだ、この女神様の愛が深い。そのことに僕は最近、というか今日気づいた。
いや、女の子大好きな僕からすれば大歓迎なんだよ?でも未だ人の身だと、フレイヤ様だけに溺れそうだ。ていうか絶対そうなるから今はまだ我慢。
「……誰かがやったとすれば僕は
「えぇ、行ってらっしゃい」
「行ってきます、よっと」
……まるで仕事へ行く新婚の夫を妻が見送るシュチュエーションのようだと、僕は思ってしまった。
何故かさっきからずっとこんなことを考えている気がする。
そんな思いを振り払うようにかぶりを振りながら人のいない所で着地し、後ろからエイナさんに声を掛けた。
「エイナさん」
「ベル君っ!?どうしてここに?!」
「情報収集にですよ。僕もフィリア祭を楽しもうとさっき来たばかりだったのですが、どうやらモンスターが暴れているようでして。僕は調教前のモンスターが脱走してしまったと予想しているのですが、何か協力できることはありますか?」
「そうじゃなくて!いえ、騒ぎが起こっているのは事実よ。でもベル君はまだ冒険者になってまだ一ヶ月も経っていないのよ?私としては安全なところにいてほしいの」
「……まぁ、エイナさんの気持ちもわかりますけど、落ち着いてください。ほら、今日は武器も持っていないですから、戦うことはありませんので安心してください。避難誘導や救助に専念するので」
「…………そうね、ベル君も武器なしで戦うなんて無謀はしないと思うし。では情報を開示しますので、これ以上混乱させないように広めないでくれますか?」
「了解です」
口調も態度も、僕のアドバイザーとしてではなく、ギルドの一職員としてエイナさんは話し始める。それに合わせるように僕は背筋を伸ばし、耳を傾ける。
「では、まずモンスターに関しては【剣姫】を始めとした【ロキ・ファミリア】の方々が協力してくれているので大丈夫です。それよりも東のメインストリートの一角が一般市民達の混乱のせいで怪我人も出ています。行方不明者でも出たら大変なので、ベルベット・クラネルは市民の避難誘導と救助をお願いします」
「……えぇ、わかりました。お任せください」
「ほんっとぉおうに!!ベル君は無謀はしないけど無茶はするから、本当に気をつけて!絶対モンスターと戦ったらダメだからね?!」
少し過剰ではないだろうか。
確かにミノタウロス相手に今の僕が頑張っても勝てないのに挑んだり、恩恵を刻んでいないのに冒険者と喧嘩したりしてるけど。
…………結構僕って無茶しているんだな。思い返してみれば意外と分かるものだ。って今はそのことは置いておこう。フレイヤ様に待たせ過ぎるのも悪いし。
「……えぇ。重々承知しました。ではこの件が片付けば僕に時間をください」
「へっ?」
「では、僕はもう行きますね。後でまた会いましょう」
そう言い残して、僕はその場を立ち去った。
後ろから僕を呼ぶエイナさんの声が聞こえる。ふふふ、やっぱり揶揄いがいのある人だ。
エイナさんの焦り様を想像した僕は思わず笑みを零し、さっきまでいた屋根の上へ登ると声がかけられた。
「……随分と楽しげに話していたわね?」
「っと、フレイヤ様。それにオッタルさんも来ていたんですか」
「あぁ、さっきな。流石にフレイヤ様の側に誰かいた方がいいと声が出たんだが、今日はベルとの約束をしていたはずだと思い出し、俺が来たわけだ。まだ団員たちには明かさない方がいいだろうからな」
「そうですか」
うむ、と頷くオッタルさん。彼が来てくれたのなら心強い。フレイヤ様の身の安全は確保されたも同然だし、僕も側を離れての行動ができるようになる。
(……ところでフレイヤ様の様子が変わった気がするのだが)
(まぁ心当たりはあります)
(ならどうにかしろ。ここまでフレイヤ様の態度があからさまだとファミリアにも支障が出るし、何よりベルがフレイヤ様の寵愛を受けていると気づかれるぞ)
(え、それはまずいですよ)
「ねぇ、何コソコソと話しているのかしら。除け者は寂しいわ」
「……いえ、その、フレイヤ様?」
「なぁに?」
「この腕を絡めてくるのとか、抱きついてくるのとか。そういうことは僕も大歓迎なんですけど、せめて僕達の関係を知っている人がいる時だけにしてください。貴女の団員や神々にでも見られれば、僕が嫉妬で引っ掻き殴られ殺されます」
「……それは猫パンチと引っ掻く様を言い表しているのかしら。あと二人きりの時はダメなの?」
「…………はい、二人きりの時はダメです。僕はまだ我慢できますけど、フレイヤ様の抑えが効かなそうなので」
僕がそう言うと、フレイヤ様は「ふ、ふふ──ふふふふふふっ」と狂ったように笑い始めた。え、なに怖い。……でも、なんて言えばいいんだろう。ちょっとヤバい感じが漂ってるのに、凄い。何がって言うと色気が。『美』の神だからと言ってしまえばそれでお終いだけど、あれか。美しいものには棘があるってやつか。
……落ち着こう。少し動揺していたみたいだ。
そんな一方で、僕とオッタルさん。
僕にフレイヤ様のこの態度の原因があるので少し気まずげに、オッタルさんは敬愛する主神の変わり様に唖然として……は、いない。相変わらずオッタルさんは「流石にフレイヤ様。どんな姿であっても美しいです」とか思ってそうな顔をしていた。ダメだこの人。
狂おしく、艶やかに笑っていたフレイヤ様は暫くして落ち着いたのか、今度は長く大きな法悦の溜息を「はあぁああんっ……」と、零した。……やめて、エロいから。
「ベル?」
「あー、はい。どうしましたかフレイヤ様。別に見惚れてなんていませんよ」
「今のベルみたいなのを語るに落ちるって言うのよ。まぁ今回は良しとしましょう。……ベルも満更でもないみたいだし」
「……」
「確かに貴方の言うことも一理あるわ。手を出した時点で『約束』は無効になるし、二人きりの時と関係を知らない人の目がある時は自重することにします」
何かを決めたのか、毅然とした態度で言うフレイヤ様。おそらくさっきの笑っていた時に心境の変化があったのだ。正直言えば彼女がどう思っているのかを聞きたい気持ちはあるけど、それを聞いてはイケナイと僕の本能が言っていた。
「……えぇ。そういうことにしてください」
「えぇ、そうするわ。だから私にご褒美があってもいいわよね?」
なんのことだ。脈絡というか、話をすっ飛ばし過ぎな気がするのは気のせいではないと思う。
「ところで何のご褒美なのか聞いても?」
「何って……ロキとの面会のセッティングと私が我慢することに対してのご褒美よ」
「えぇ……確かに神ロキとの話は有益で僕の為にもなりましたし、感謝はしていますがフレイヤ様が我慢すると決めたご褒美は……そういうのって後にするものじゃ?」
「……そうね。ではそのことについては、また貴方が私のモノになった時にご褒美をもらうことにするわ」
何をなさるつもりなんでしょうか。その言い方は酷く魅惑的ではあるけど、それと同時に怖くもあるから聞くに聞けない。
というか一緒にすればフレイヤ様の言う“ご褒美”を二度あげなくて済むのでは?……いや、フレイヤ様との時間を二度作れたと前向きに考ることにする。うん、そうしよう。じゃないと僕が死ぬ。具体的には【フレイヤ・ファミリア】の団員達に絞め殺される。
……断っても死ぬ、引き受けても死ぬ。…………詰んでないか?死ぬは言い過ぎかもしれないけど、どう考えても何かしらのアクションは取ってくる。そしてそれが彼らの場合、フレイヤ様への愛が天元突破しているからか過激派は本当に過激なんだ。
うん、オッタルさんは英断だったと思う。本当に。
閑話休題。
いい加減に話を戻そう。
ご褒美をあげること自体に異論はない。感謝しているのは本当だし、日頃からお世話になっているお礼も込めればフレイヤ様も喜んでくれるだろう。もはやそれが喜びどころか歓喜となることは請け合いだろうけど……と悩むなぁ。
ご褒美が欲しいと仰せられたフレイヤ様の為に、僕は何ができるだろうか。
そうやって、うんうんと僕が悩んでいると……───
「……何かしら。この揺れ」
「地震ではないとは言い切れませんが、この下にあるモノを考えると」
「明らかに異常事態よね。ベルはどうする、……ベル?」
「……来ます」
───そして、轟音。
蛇のような黄緑色の長大なモンスターが爆発のような音を轟かせながら地面の石畳を突き破り、オラリオの街並みを見下ろしていた。
「何かしら、アレ」
「情報にないモンスターとしか」
「……ねぇ、あの気持ちの悪いモンスター、ベルを見てない?」
「顔はないようですが、確かに僕を見ているようです。でもあんなモンスターなんてダンジョンでも見ていませんよ」
暢気に話している僕たちだが、実際そこまで慌てるような状況でもない。フレイヤ様の側にはオッタルさんがいるし、僕は僕で自分の事だけに集中すればいいのだから。
そう、考えていた時のことだった。
ぞるるるるっ、と不快感を催す音に反応したオッタルさんが、背後に迫るモンスターを一刀の下に屠る。
「ベル。これを受け取れ」
大剣を片手に投げ渡されたのはシミター、半月刀とも呼ばれる刀と形を同じくした“一対の双剣”だった。そしてこの刀を受け取り、やっぱり、と呟く。
オッタルさんには似つかわしくない武器を、彼は大剣の傍に携えていたのだ。彼が双剣を扱えないとは思わないけど今見た通り、やはり大剣以上に優れているわけではない。オッタルさんの技は“豪”の剣であり、何より自分の主武装を持ち込んでいる時点で他の武器は必要がないのだから。
であれば、それはフレイヤ様が僕の為に用意してくれたのだろうなぁ、と考えていた。
自分からそのことを言うのは、少し厚かましい気がして遠慮していたのだけど……クスクスと笑みを浮かべるフレイヤ様を見ると、僕がチラチラと見ていたことには気付いていたらしい。
「……ありがとうございます。これ、結構なお値段では?」
「あぁ。
「えぇ、暫く使って慣らす必要がありますね。到底今の僕では買えないものを……ありがとうございます」
「フッ……別に構わん。どうしても礼がしたいと言うなら、その武器を使い熟すことでフレイヤ様への返礼としろ」
そう言われ、僕の脳裏に良い考えが浮かんだ。というかこれしかないと思う。
再度迫るモンスターを端から斬り刻んでいくオッタルさんを尻目に、僕はフレイヤ様の目の前で膝をつく。そして魔力を奮起させ、
「【我が祖父たるゼウス、主神ヘスティア、そしてベルベット・クラネルの真名に誓う───貴女の御心が私を離さない限り、私は共に在り続けましょう】」
そして手に取った彼女の白魚のようにか右薬指へ口づけを落とせば、僕の心象──“宝石を冠する銀の指輪”が具象化される。
「今まで『約束』は本当に口だけのものでしたからね。ですがこれがあれば私が精霊になった時、どこに居ても貴女の下へ来る事ができます……そういう【魔法】をかけましたから」
「……うそでしょう?ベル、これは───」
そう告げた僕はフレイヤ様の声を振り切るように、この場を立ち去る。
おそらく僕の顔は真っ赤に染まっているだろうから。こんな経験は前世も含めて初だったから恥ずかしいのもあったけど、本当の理由は違う。
あの【魔法】は言葉通りの効果を発揮しており、そもそもフレイヤ様の僕に対する想い──《心》が無ければ成立し得ない“指輪”だった。結果、【魔法】は成ったことで彼女の愛情といった気持ちを実際に理解し、僕もその気持ちを嬉しいと実感してしまったのだ。
もう僕は彼女を、そして今日のことを一生忘れることは出来ないだろう。
ただ、フレイヤ様も同じ気持ちで居てくれたらいいと、願うばかりであった。
テッテレ〜♪
───【約束の指輪】が女神フレイヤに贈られました。
副次効果として、愛情値が大幅に加算されます。
フレイヤ様:D 513
【約束の指輪】
・想いが続く限り、相手の居場所を感じ取れる事ができる。
・女神の神秘を溜め続ける特性を持ち、『約束』が果たされる時まで効果を発揮する。
・『約束』が果たされた時、この指輪は砕け散る。