小糸侑ともう一つの舞台劇   作:HirakeGoma

13 / 20
13  暗闇にひびく

 工事現場で使う鉄骨類の保管場所に、腐敗した金属臭が充満するガラクタ置き場、大小様々なタンクが並ぶ用水エリアなど、あれから当てもなく逃げ回った。身体は既に限界。もう息だって上がっている。足は重く、転んで打ち付けた場所からは鈍い痛みが広がっていた。

 

 こんなナンセンスな非日常はごめんだ。そう頭の中で強く念じるけれど、未だに夢から覚める気配はない。口を突いて出るのはこの現実に対するやるせなさ、それだけだ。だけど出口は未だに見つけられず、おまけに敷地内は迷路みたいな複雑さ。本当に嫌になりそうな現実だった。

 

 それでも走り続けるのは、きっと止まったらそれまで―――そんな恐怖感に駆られているからだ。理由は得体の知れない“アイツ”。海外映画のアクションシーンにでも登場しそうな長い刃物、サバイバルナイフのようなものを見せびらかしてアイツは私に付き纏ってくる。捕まったら殺される。理屈じゃない。私の中の直感がそう言っていた。

 

「…ハァ、ハァ…何なのよここは…誰なの、アイツは―――ッ」

 

 後ろからは再び甲高い金属音。黒板を引っかいたような気持ちの悪い音が背筋をかきむしる。まるで、自分はここにいる、とわざわざ居場所を教えているかのようだ。もしかしたらこの状況を楽しんでいるのかもしれない。アイツが本気で追ってくる様子がないのがその証拠。もし本当にそうなら狂っているとしか言いようがない。

 

 黒い影は建物の死角から現れるとゆっくりとこちらを振り向いた。相変わらずフードの中は見通せない。だけどその無言の態度が「見つけた」と言っているようにも聞こえ、さらなる恐怖へと繋がっていく。こちらは無我夢中に叫び返すが、相手は反応一つ返すことなく、一歩一歩距離を詰めてきた。

 

―――くそッ、くそッ、くそッ……

 

 汚い言葉が口から漏れる。もう一度力を振り絞って走り出す。さっきからこの繰り返し。同じことを何度も何度も頭がおかしくなりそうだ。隙を突いては椚や事務所に連絡を入れているが、未だに携帯の先には出てくれない。物理的に閉じ込められ、電話も通じない。絶望的な状況に気が狂ってしまいそうだった。でもなぜ

 

―――私がこんな目に遭わないといけないのだろう。

 

 頭の中には恨み節の言葉が並んだ。これは何かの罰なのだろうか。もしそうならいったい何に対しての罰なのだろう。仕事で恨みを買ったから? いつも身勝手でわがままだから? 思い当たることは無数にある。でも仮に神様がいるとして、私に天罰を与えるとしたら、それは今までに取ったある行いに対してしか考えられない。それを思うだけで悔しくて苦しくてたまらない。

 

 

 

 唇を噛んで下を向いていたからか、また何かに躓き転倒した。雨も降っていないのに転んだ先には水たまり。臭いし、気持ち悪いし、身体が重い。胸が苦しくて、何よりも心が痛かった。もう一度立ち上がり、ふらつく身体をやっとの思いで前に進めるものの、既に体力は限界だ。擦りむいたところが充血して、服には赤い血が滲んでいる。

 

 もう迷っている暇なんてないのかもしれない。右手に持っていた携帯を今度は両手で握り直す。抱き締めるようにそっと。

 明日は大切なイベント。ロミオとジュリエットの舞台劇。だからずっと迷っていた。

 

『お互いが片方のお守りを持って、二人の祈り事が重なれば、その願いは成就する。そういうふうに願掛けをするそうです。だからこのお守りに祈願して、ロミオとジュリエットを成功させましょう!』

 

 あの日、あの子と交わした約束を思い出す。舞台劇を成功に導く。その約束だけは何があっても守りたかった。何を犠牲にしても、絶対に―――

 

 いち、いち、ぜろ、と感覚の鈍くなった指先を動かして順番に番号を打っていく。使いたくなかった最後の手段。大ごとになってイベントに出演できなくなるのが怖かった。あの子との約束を破ってしまうのが辛かった。ごめんなさい。あの子の顔を思い浮かべるだけで、自然とマイナスの言葉が溢れてしまう。

 

「きゃあッ」

 

 そのとき、また何かにぶつかった。本当に今日は最悪の日だ。強い衝撃のあまり身体は後ろに倒れ、今度はお尻が打ち付けられた。また鈍い痛みが身体に広がる。

 

「…いったぁ…もうっ、何だっていうのよ…!」

 

 だけど瞬間、空になった右手を捕まれ、強引に身体を引き起こされた。何が起こったのかわからず一瞬困惑。そのまま手を引かれる形で走り始めるけれど、頭の中は多くの疑問でいっぱいだった。でもそうだな、一番の疑問は、なぜここに、どうしてここに、君がいるのか、その一つに尽きる。

 

「先輩ッ さあ早く―――!」

「…どうして…どうしてここに侑がいるのよ―――ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「侑、待って! どうしてあなたがここにいるの!? アイツは誰なの? いったい何がしたいのよッ!?」

 

 その質問に侑はすぐには答えてくれなかった。さっきから周囲に視線を配り、あたりの様子を窺っている。自暴自棄に近い私とは対照的に、どこか冷静さ感じられる対応だった。

 

「先輩、こっちです」

「ちょっと―――!」

 

 侑はまた私の手を引き付け、前に立って走り始めた。聞きたいことはたくさんある。だけどその前にまずは君について教えてほしい。ねえ? 侑…何でそんなにも服がボロボロなの? 何でそんなにも汚れているの? 髪はぼさぼさ、握っている手は冷たく、肌寒い秋の夜だと言うのにアウター一枚着ていない。何で侑がこんな悪夢のような現実に巻き込まれているの? 私の危惧する最大の疑問はまさにそれだった。

 

「…アイツが犯人です―――」

「え?」

「宮代先輩を付けていた犯人。アイツなんです。ごめんなさい。先輩が何かに悩んでいることを私は知っていました……こうなる前に、もっと早くに、何とかしていれば……」

 

 侑は下を向き、唇を噛んでいた。何かを悔やんでいるその態度にかける言葉を探すも見つからない。

 

「いったんどこかに身を隠しましょう。アイツ、長時間は追ってきませんから―――ッ」

「待って! アイツが犯人ってどういう意味!? 何だっていうの!? アイツはいったい誰なのよッ」

 

 そのとき突然侑が足を止めた。前方を凝視したかと思えば、身体の向きを変えて進む方向を一気に変える。私はその後に付いていくだけ。頭の中は靄がかかったみたいに不明瞭でどうにも考えがまとまらない。

 

 侑が言う“犯人”。それはたぶんあの人物のことを、私を―――宮代アイカを監視するあの人間のことを言っているのだろうか。侑をカラオケ店に誘い込んだあの日、二人で水族館に遊びに行ったあの日、私でも侑でもない第三者がこちらを見つめていた。侑が言う“私を付けていた犯人”とはきっとあの人物のことを指しているのだと思う。あのとき、私をのぞいていた犯人は、今こうして私たちを追うアイツなんだと。

 

 でも考えれば考えるほど思考はぐじゃぐじゃになって、ポップコーンが弾けるみたいに突発的に酷い頭痛に襲われた。あのときの人物が今のアイツで、今のアイツは私を追い回して殺そうとしている? まさか…そんなことが有り得るというの? だって、私を監視していたあの人物は……

 

 

 

 狭い建物の隙間をくぐり抜けると、そこには開けた場所が広がっていた。周りにはコンクリートづくりの倉庫群。何十年前に建てられたのかはわからないけれど、年季の入った佇まい。それらが中央のスペースを囲むように立ち並んでいた。

 

 しまった、と侑は確かにそう言った。私もあたりを見渡し同じように慌てた。原因は立ち入ったエリアが行き止まりだったからだ。かといって今まで通って来た道を戻ることもできず、完全に行き詰る格好になってしまった。

 

 アイツが来るまでもう時間もない。どうしたらいいだろう。絶望に打ちひしがれる中、それでも侑だけは諦める素振りを見せようとはしなかった。彼女は周囲を物色し始め、倉庫内への出入り口を探し始めた。建物内に隠れこの場をやり過ごす、そのつもりらしい。

 

「先輩ッ さあ―――!」

 

 運よく正面のシャッターがわずかに開いている棟を見つけ、私たちは一目散にその隙間に身体をねじ込ませた。中は当然真っ暗。外の闇が可愛く思えるほど、内側の闇は深く、視界なんてないに等しかった。それでも目を凝らして障害物を避けながら中へと進む。ドラム缶に段ボール箱に、何が入っているのかわからない麻袋の山。様々なものがごちゃ混ぜに棚や床に積まれ、大きな山がいくつもでき上がっている。歩くスペースもやっとの状態。どうやって資材を取り出しているのか不思議に思えるほどだった。

 

 侑は一歩先を突き進み今も私の道しるべになってくれている。今までとは真逆の立場。強く引いてくれる力が何だかとても頼もしく、今日の彼女は一段と大人に見える。それに対して私は駄々をこねる子供のように足を止めて歩くのを拒否。どうしましたか? と訴える彼女をよそに、この状況に対する不満をまくしたてた。

 

「お願い、侑、少しだけ整理させて…話が全然飲み込めない…アイツが犯人? 意味がわからないわ。お願いだからもっとわかりやすく説明して―――ッ」

 

 必死の訴え。精神的な余裕なんてない。刃物を持った人間に追い回される。こんな異常事態、簡単に飲み込めるわけがない。だってそうでしょ? こんな現実、悪い夢を見ていると言われた方がまだましだ。こんなストーリーが許されるのは映画やドラマ、そして舞台の上だけだ。

 

「…落ち着いて聞いてください…絶対に取り乱さないって、誓ってください……」

 

 侑はほんの一瞬辛そうな顔を見せた。でもやがて両手を私の肩にそっと置くと、真剣さを増した瞳でこちらの顔を直視する。力のこもったまなざしと淀みのなさに思わず息を飲む。でも小さく瞳が揺れ動いている。それがどこか気になった。

 

「…アイツはたぶんただの協力者です。本当の犯人はもっと他の、別の人です」

「本当の犯人?」

「…はい…アイツを裏からコントロールしている人間です…そして…」

 

 その人物は先輩がよく知っている人、と侑は言った。思っても見ない言葉に唖然とする。アイツを手引きして、この状況をつくった人間がいる? そしてそれは私のよく知る人物? そんな…まさか……

 否定を続ける私をよそに、彼女は「そうです」と手短に答えた。確信めいた力強いセリフ。その一言に反発する言葉は出てこない。

 

「この状況をつくった犯人、それは―――」

 

 暗闇の中、聞き漏らさないように彼女の口元に視線を集中する。だけど聞き覚えのあるその名前を前に私の反応は遅れることになった。思考は同じところをぐるぐると回る。なぜあの人が。そんな疑問ばかりが頭の中を支配する。侑の言っていることは本当なの? そんな問い掛けばかりが頭の中をループする。

 

「…そんなの嘘よ」

「嘘なんかじゃありません。現に私をここに連れてきたのはあの人です。考えてもみてください。アイツはずっと先輩を追い回していました。東京でも遠見でもどこへ行ってもアイツは先輩のことを尾行できるんです。まるで先輩の予定や行動パターンがわかってるみたいに。そんなこと部外者ができるわけありません」

 

 侑の言おうとしていることを察し始め、私は自分の頭を押さえつけた。刃物で刺されたような痛みがさっきから消えてくれない。

 

「先輩の行動を把握できる人。その人の手引きがないと無理な話です。先輩の身近にいる人が協力しないとできないことなんですッ」

「…だけど…そんなはずない。だって彼女は―――」

 

 私のマネージャーで、小さい頃からの理解者で、仕事で失敗して辛かったときも、大きな仕事が決まって嬉しかったときも、ずっと側にいてくれた…それが“椚”なのだから。

 

「…先輩?」

「…私は信じない。どうして椚がこんなことをする必要があるの? きっと侑は私に嘘を付いて驚かそうとしてるんでしょ? ねえ? そうだと言って…お願いだから…ッ」

「しっかりしてくださいッ!!」

 

 倉庫内に怒声が響いた。思わず肩がびくりと跳ねる。目の前に立つ彼女の剣幕に身体はひるみ硬直する。

 

「お願いですから認めてください…これが現実…夢でもお芝居でもない、これが現実なんです…アイカ先輩はもうとっくにわかっているはずでしょ…ッ!」

 

 こんなことがあっていいわけがない。瞳からは無数の涙が零れ落ちる。もう歯止めなんて効かなかった。心も体もボロボロで、今まで守ってきた何かが音を立てて崩れていく。無我夢中に築いてきたものが涙となって地面へと落ちていく。

 

 ずっと信じていた。疑ったことなんてなかった。これから先ずっと自分の隣にいてくれるものだと思っていた。それがどうして……

 

 侑はなおも話を続けていた。昨日の夜、椚にここに連れてこられたと。ずっと身を隠していたと。外が騒がしいから様子を見てみると、私が逃げ回っていたと。なぜ彼女―――椚がこんなことをするのか心当たりはないのかと。そう問い掛ける。

 

 わからない。私には何もかもがわからない。暗闇の中で答えを探すも、手に掴めるものは何もない。真相はすべて闇の中。人の心も、思惑も、私にわかることなんて何一つなかった。

 

 

 

 やがて大きな音を立ててシャッターが叩かれた。時間切れ。タイムリミット。あの黒い影は既にそこまで迫ってきている。もう目を瞑ってしまいたい。そのままこの場で眠りに就くのもいいだろうか。そんな弱気な考えが頭の中を支配する。もう足を止めても、いいだろうかと。

 

 けれど、そこに手を差し伸べ、力強く私を引っ張ってくれる子がいた。もちろん侑だ。彼女は倉庫のさらに奥へと続くスペースを確認すると、アイカ先輩、と何度も私の名前を呼ぶ。自然と身体は前のめりになり、鉛になった両足はまた前へと進み始めた。大丈夫です。何があっても私が側にいますから。笑顔でそう断言する彼女に、心の中では否定の言葉を並べた。

 

 “何があっても”なんて言わないで欲しい。それじゃまるで君は―――私と一緒に死ぬと言ってるようなものじゃないか。

 

「―――あっ…」

 

 そのとき、ふらつく足を制御できずにバランスを崩した。また転んでしまう。今日はいったい何度地面に身体を打ち付けているだろう。でも私はいいとしても、彼女だけは巻き込めない。そんな思考が働いてか倒れる瞬間、侑の手を手放した。身体はそのまま前のめりになって、積み上がった荷物棚に突っ込む。自分の身体だと言うのに、もう言うことを聞いてくれない。せめて倒れた先がふかふかのベッドだったなら。そんな甘い考えがまた頭の中をループした。

 

「―――先輩ッ!!!」

 

 その直後、強く身体を突き飛ばされた。再び倉庫の床に倒れ込み、激しい痛みに襲われる。どうやら背中を打ったようだ。同時に倉庫内には埃が舞い上がり、耳の奥を大きな音が突き破った。周囲にあった荷物が雪崩を起こしている。そのくらいの判断は付くものの、暗さもあって状況が掴めない。

 

「…ゴホッ…ごめんなさい、身体がふらついちゃって…侑?…どこ?……」

 

 ようやく轟音が鳴り止んだ頃、暗闇の中に侑の姿を探した。首を左右に動かしはするものの、埃のせいか目が痛む。さっきから咳も止まらない。目の前の床は崩れた荷物で無法地帯化。ドラム缶に段ボール箱にステンレス製タンク、中には工事現場で使うような鉄骨類まで転がっていた。改めて自分の犯した惨状に背筋が凍る。あの子は、侑は大丈夫だろうか。ぱさつく唇を動かして彼女の名前を何度も叫ぶ。一言でいい、返事が欲しかった。

 

「…ここです…ゴホッ…ケガはありませんでしたか……」

 

 散乱したガラクタの中からか細い声が聞こえた。ホッとすると当時に、地面を這って声のした方向へと向かう。

 

「侑、ごめんね。私は大丈夫…早くここから―――」

 

 散らばったものを押しのけて、崩れたものを掻き分けて、彼女の元へと進んだ。私たちが倉庫内に隠れているのは既にバレバレだろう。またアイツが追ってくる。痛む足を引き摺りながら、せめてこの子だけでも逃がさなきゃ、とそう思った。なのに、肝心の侑はその場から一向に動こうとはしなかった。仰向けで寝転んだまま荒く息をしている。なぜそんな恰好をしているのか不思議でならなかった。

 

「…侑?」

「へへ…ちょっとだけしくじっちゃいました」

 

 軽く微笑む女の子。その後、彼女は突然顔を歪めた。見たことのない苦悶の表情。その原因を探すために視線を彼女の下半身へと移動させる。怖かった。確かめたくなんてなかった。認めたくなんてなかった。だけど、これが現実。侑の言う通り、夢でもお芝居でもない現実なんだ。そう自分自身に言い聞かせるものの、受け入れるにはあまりにも残酷で。この気持ちをどう整理すればいいかもわからない。ああ神様、ここまできて、こんな仕打ちはあんまりだ…このときばかりは、神様を呪い殺したくて仕方がなかった。

 

「…うそ…侑っ 足が―――ッ!」

 

 彼女の肢体、その半分がガラクタに埋まっていた。暗く埃っぽい倉庫内。床に散らばる無数の資材。それに身体を押しつぶされる形で床に倒れ込む女の子。白く華奢な足の上には黒く大きな鉄骨類が横たわっている。

 

 そうだ、この子は崩れ落ちるガラクタの山から私を庇ってくれたんだ。身を呈して危険から救ってくれた。刃物を持った人間からも私をこうして救おうとしてくれている。なのに、それなのに、その代償がこれだなんて……

 

「…侑、そっとでいいから足を―――」

「…ごめんなさい先輩…さっきからやってるんですが、全然動かなくて……」

「待ってて、今私が…」

 

 足元のガラクタを取り除こうとしたとき、不意に侑が私の腕を掴んだ。何をしているの? そう思って振り解こうとしても、彼女は離そうとはしてくれない。そればかりか取り乱す私をよそに小さく首を振った。どうしてそんなに落ち着いていられるの? どうしてこの手を放してくれないの? 浮かび上がる疑問が私をさらに苦しめる。

 

「…もう、いいんです」

「変なこと言わないで…いいって、何が!?」

「…先輩は…先に行ってください―――」

「…ッ」

 

 溢れ出る涙をそのままに今度は私が大きく首を振った。そもそもの標的は私だった。侑は巻き込まれただけで、こんな悲劇に巻き込まれる道理はどこにもない。私が昨日ホテルになんて誘わなければ、この場に侑がいることもなかった。呪い殺されるべきは神様なんかじゃない。それは私の方だ。

 

「そうじゃない、そうじゃないでしょ? 私に言うことはもっと別にあるはずよ? 私と関わったばっかりに君は今こんなことになってる。言わないといけないことだったらもっと他にあるはずなの。だってアイツの狙いは私で侑は私を助けようとしてくれただけ。君がこんな目に会う必要なんて、どこにもない」

 

 悪夢に巻き込んだのは私で、すべての原因は私にある。それを力一杯に訴える。いっそのこと罵倒してくれた方が楽だと言うのに、彼女はそれすらもしてくれない。

 

「…それでも私はアイカ先輩と出会えてよかったです。先輩にはいろいろと振り回されてばかりで、最初はどうなっちゃうんだろうって思ったけど、感謝することはあっても、後悔することなんて一つもありません…神様の気きまぐれで私はこんなことになっちゃったけど…先輩はまだ諦めるには早過ぎます。だから―――」

「いやだッ 侑をこのままにして逃げろとでも言うの? そんなことできるわけない!? アイツが私を狙ってるって言うのなら好きにすればいい。こんな命なんていくらだってくれてやるわ。でも最後は君と…侑と一緒じゃなきゃ嫌だ。だから、逃げろだなんて言わないで―――ッ!」

 

 互いの叫びが交錯。倉庫内に響き渡った。

 

「…劇の練習に打ち込んだ3週間…はとても楽しかった。アイカ先輩のジュリエット姿、すごくカッコ良かった…先輩には感謝ですね…あのとき声をかけてくれて、私を付き人に選んでくれて……」

 

 涙を湛えた彼女のまっすぐなまなざし。弱々しい口調から溢れ出る感謝の気持ち。一方の私は堰を切ったように泣くだけで、暗闇の中には悲痛な嗚咽が交じり合っている。

 

 そうじゃない。ありがとう、なんて言ってもらいたくて君に声をかけたわけじゃないんだ。私が君に目を付けたのはもっと身勝手な理由から。例え幻滅されることはあっても、感謝されるようなことは何もない。

 

 痛みに耐え続ける女の子に私の心は罪悪感で押しつぶされそうだった。私は君が思っているような人間じゃない。心の内側には黒い感情が渦巻いていて、その中心には悪魔が巣をつくっている。そんな人間なんだ。

 

―――ごめんね、侑。

 

 泣き続けても涙はなかなか枯れてくれない。もう、いいだろうか。そう心に問い掛ける。これがこの子と話す、この子と触れ合う最期の場面と言うのなら、クライマックスには事の真相を打ち明けなければいけないだろう。それが物語の締めくくりと言うのなら。それが身を呈して、悲劇を悲劇でなくそうとしてくれた、この子に対する贖罪だと言うのなら。私は―――

 

「……ごめんなさい…私はね、嘘つきな登場人物なの」

 

 その言葉を前に、侑はひっそりと目を瞑っていた。呼吸は落ち着き、表情はとても穏やか。まるで身体そのものが暗闇と同化しているようだった。

 

「すべては私のわがまま。私が描いた物語…侑、君に近づいたのはね、私の願いを叶える歯車になってくれる、そう思ったから。あなたを選んだ理由はそれ以上でも以下でもないわ。それにイベント最初の打合せで運よくあなたの弱みを握ることができた。それを利用できると、私は考えた」

 

 

 

―――君は役者に向いていない。

 

 ある日、とある舞台のオーディションでそんな言葉を投げ掛けられた。指摘者は年配の女性。演技が上手い。将来有望。そんなセリフを言われ続けることに慣れっこになっていた私は、当時その指摘を何かの冗談だと受け止めた。

 

 けれど、それからしばらくしてオーディションに落ちる日々が続いた。今までいくつかのドラマや舞台劇にも出演していたけれど、「また出演して欲しい」「継続して出て欲しい」といった話はどこからもこなかった。演技が上手い。将来有望。そんな甘い言葉を真に受け、人気女優だなんてその気になっていた傲慢さ。それに対する罰が今更やってきたのだとそう思った。

 

 生きた心地がしなかった。私にはこの道しかない。ずっとそう思っていたから、演技の仕事が減っていく現実を前にどうすることもできず、自分自身を否定された感覚だった。そのうち事務所内では売り出し方を変えようなんて話も上がるようになって、いつしか心は焦り始め、余裕なんてなくなっていた。

 

 このままじゃいけない。今のままじゃ私は演技者として生き残れない。そう思った私はある賭けに出た。来年に控えた業界切っての大舞台、その出演者選考。それにすべてを賭けようと思ったのだ。役は人間関係が原因で心に傷を負った女の子。自分に好意を持ったある男性に付き纏われ、次第に心は疲弊し、自我を見失っていく。そんな役柄だった。その役を勝ち取るためなら手段は選ばない。どんな手を使おうと役を勝ち取って見せる。私はそう心に決めた。だから

 

「悲劇の少女、そのイメージをつくりたかった。選考過程でみんなが一目おいてくれる何かしらのバックグラウンド、それがあればもしかしたら…選考がプラスに働くかもしれない、ひいきな目で見てくれるかもしれないって…今思えば甘い考え…でも、それでも私は、そんな方法にすがりつくしかなかった……」

 

 すべては話題づくりのため。すべてはこの業界で生き残るため。そうやって私は行動を開始した。

 

「カラオケ店に行った日の帰り道、私が何かに気が付いて突然走り出したのを覚えてる? あのとき侑にはファンか何かじゃないかってごまかしたけど、このイベントが終わった後、侑には証言してもらう予定だったの。誰かに追われているみたいだったと。誰かに付き纏われているみたいだったって…あれはそのための下準備……もちろん、あのとき私を監視していた人なんて誰一人いなかったわ。すべては演技。誰かがいると、君に勘違いさせるためのもの。二人で水族館に行ったあの日もそう…ごめんなさい。ほんと、私ってどうしようもないばか……」

 

 事務所に送られたファンレターも、アパートに空き巣が入った事件も、当事者なんていなかった。すべては私が仕掛けた自作自演。困難に直面しても、ひたむきに前を向いている。そんな世間体をつくるために私が用意したフィルターだった。

 

「…最初は半信半疑だった。でもね、写真入りのファンレターを送ったときぐらいから事務所が大きく騒ぐようになって、想像以上に心配してくれて、周りの人からは励ましの声までもらえて…正直に言って、上手く利用できるんじゃないかって手ごたえを感じたの。周りのみんなが想像通りの反応を示してくれたから、これなら世間のイメージだってつくることができるはず。そう思った」

 

 だから、今度は外の人間にも同様の演技を仕掛けた。その最初の舞台に選んだのが遠見だ。種はいくつか撒いた。ホテルへのイタズラ電話も犯人は私だ。椚には内緒で携帯をもう一台契約して、あたかも迷惑電話に困っている呈を装った。そして遠見におけるもう一人のターゲット、それが侑だった。

 

「最初はね、女の子同士でキスしているところを見てすごくびっくりしちゃった。侑には言ってなかったけど、私はロミオとジュリエットの物語が大嫌い。あの日、君と、あの七海燈子の姿を目撃して、なぜか二人が物語の登場人物と重なった。自分でもわからないけど、何だか無性に腹が立って、あなたたち二人の関係を壊してみたくなったの。弱みに付け込んで君をうまくコントロールしてね…今考えたら、笑っちゃうよね」

 

 私の身勝手でわがままな理由からすべての物語は始まった。それが今ではこんな取り返しのつかない状況と化してしまっている。自分で書いた脚本のつもりが、今となっては自分の手を離れて想像していなかった結末へと向かっている。大切な人を傷つけるという最悪の結末に。

 

 今更悔いても仕方ないのはわかっている。それでも、今の私には後悔することしかできそうになかった。見えもしないものに気を惹かれて、本当に見えなくちゃいけないものが見えていなかった。私に付き纏う本当のストーカー。私に目を付けていた実在の人間。周囲にそんな人間たちがいたなんて、視界の片隅にも見えていなかった。これは私の不注意。悔やんでも悔やみきれない大罪。泣いたところで、時間を戻すことは叶わない。

 

 

 

 倉庫内は依然静まり返っていた。積まれてあった荷物が崩れ、轟音を響かせてからだいぶ時間が経つ。だけど未だにアイツが倉庫内に入ってくる様子はなかった。

 

―――…侑?

 彼女はずっと目を閉じていた。辛さのあまり眠ってしまったのだろうか。ごめんなさい。こんな思いをさせて、本当にごめんなさい。意図せず漏れる言葉に嗚咽が混じった。

 

 

 

 そのとき、床に伏せていた女の子がようやく動きを見せた。握っていた手に力が入ったかと思うと、ゆっくりと黄土色に輝く瞳をのぞかせる。“それは私も同じです。”そう告げる彼女の顔はとても穏やかで、真剣な表情はさっきまでと変わらない。唯一変化があったとするならば、頭を持ち上げ身体を起こそうとしているところだった。

 

 無理はダメだ。だって君の身体は―――

 

「侑ッ 無理しないで、足がまだ……」

 

 途中で言葉を失った。少し前まであれほど苦痛の表情を浮かべていたのに、その子は上半身を起こすと、そのまま潰れたはずの両足をガラクタの下から引き抜いた。まるで目に映った映像を低倍速にでもしているかのように、そっと、ゆっくりと、確実に。

 

「…謝るのは私も同じです…アイカ先輩、実は私も―――」

 

―――嘘つきなんです。

 

 その言葉を残す彼女は、両膝を付く私の前で、完全に立ち上がっていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。