小糸侑ともう一つの舞台劇   作:HirakeGoma

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14  鼓動のはやさ

 目の前の現実を飲み込めないでいた。暗い倉庫内の一角で崩れた荷物の下敷きになった女の子。お腹から下半分が埋もれ、身動きできる状況では決してなかった。ましてや何事もなく立てるはずがない。そのはずなのに、今私の瞳に映っている彼女は平然とした態度で仁王立ち。足に付いた埃を手で払い退けている。苦悶に満ちたさっきまでの表情は欠片もない。あなたは誰? さっきまでの君はどこにいったの? そう問い掛けたくなるほど、目の前で起こっている出来事が信じられなかった。

 

―――私も嘘つきなんです。

 

 冷たい石床に尻餅をつきながら、その言葉の意味を考える。だけどやっぱり頭の中はぐちゃぐちゃで、口を開きはするものの声の形になってはくれない。

 

「…最初に謝らないといけません。嘘をついたこと、怪我をさせてしまったこと、そのすべてに…本当にすみませんでした」

「…侑?」

「崩れた荷物ですが、この周辺一帯の中身は全て軽いものに入れ替えてあります。さすがに鉄骨類まで崩れたのは想定外でしたが、そこは運が良かったです。足にのっていた鉄製のガラクタは私めがけて落ちてきたんじゃなく、床に崩れ落ちた後に私が足を押し込んだんです。明るい場所ならバレたかもしれませんが、この暗闇ならと思いました。私はそれに賭けたんです―――」

「…何を、言ってるの? 賭けるって何を!?」

「…アイカ先輩が真実を打ち明けてくれることにです」

 

 落ち着いた声だった。子供を見守るような優しいまなざしに、透明色の澄んだ声。小さく微笑む姿はとても魅力的で、どこか大人っぽさがある。

 

「…真実を、打ち明ける―――?」

「そうです。誰かにずっとストーキングされている。直接話してはくれませんでしたが、時々見せる先輩の態度は明らかでした。だから最初はそれを信じたんです。もしかしたら良からぬ人に追われているんじゃないかって…先輩は有名人ですから、そういうこともあるんじゃないかって……」

 

 そうだ。侑の言っている通り、それが私の狙いだった。あたかも第三者がいるように装い、この子には後で宮代アイカが誰かに狙われていると証言してもらう予定だった。この世にいるわけもない第三者の存在を。すべては虚像。私の演技によってつくり出した幻影だ。

 だけど、それに侑は気付いていたと言うのだろうか。演技者として最高の演技をしたはずだった。その自負だけは人一倍持っている。

 

「もちろん、先輩の演技は完璧でした。見事に騙されたと思います。でもそれはあくまで“そのときに限っては”の話です。アイカ先輩ってスイッチがオフのときはやっぱり警戒感がなさ過ぎるんですよ。施設の控え室には鍵をかけない。携帯を放置したまま舞台練習に向かう。普段見せる何気ない行動が私に小さな疑問を与えてくれました。誰かに付き纏われて、常に緊張感を持たなくちゃいけない。そんな人の行動にしては軽過ぎますから」

 

 侑の話を聞き、内心引きつった笑いが起こった。演技には細心の注意を払った。それなのに、なんて不本意な結末だろう。演技者として生き残る。そう決心し、(あやま)った道だろうと構わず突き進んできたというのに、演技とはまるで関係のないところで不信を招く結果になった。詰めが甘いとはきっとこういうことを言うのだ。

 

「…どこから気付いていたの?」

「何かがおかしい。その疑問が大きくなったのは、水族館に行ったあの日からです。直接的に考えれば、アイカ先輩は誰かにストーキングされている。だから時々見せる疲れた表情も、遠くを望むまなざしも、そこに理由があると思うのが普通です。でもそれだと、私がおかしいと感じた疑問に答えが出ません。だから私はある可能性を考えました。先輩の周りには誰かがいる。でもそれってそう思えるだけで、実際には誰もいないんじゃないかって…その場合、先輩が嘘をついていることになりますが、そう考えるとたいていのことに説明がつきました。ただ」

 

 それを確かめる(すべ)を私は持っていなかった、と彼女は語った。だからマネージャーである椚を頼った、と。

 

「自分の考えが合っているのか正直不安でした。もしかしたら本当に誰かが先輩のことを監視しているかもしれない。その可能性はやっぱり消えてくれなくて、椚さんからすべての真相を聞くまで気が気じゃなかった。それに私は劇の練習に付き合っただけの付き人です。時間にすればたったの3週間…私が踏み込んでいい話かもわからないし、相談することで物事を余計ややこしくしてしまうかもしれない…その怖さもありました」

「…待って…すべての真相って…?…椚から何を聞いたって言うの?」

「すべてです。先輩が抱える悩みと焦り、今まで犯した間違い、そのすべてを―――。それがつい昨日のことです」

 

 彼女は昨日の時点ですべてを知ったと言い張った。だけど、私はすぐにその主張を否定する。私の犯した過ち、そのすべてを知った? そんなことは有り得ない。だって椚は―――

 

「全部知っていましたよ」

 

 自信を持った言葉に息が詰まった。椚がすべてを知っていた? 予想だにしなかった告白に頭の中は真っ白。また否定の言葉を並べるも、やはり目の前の少女にその主張を跳ね返される。

 

「いいえ、椚さんはちゃんと気付いていましたよ。ファンレターの件も、空き巣の件も、先輩が自作自演で行ったことだって……事務所にも相談できず、秘密にしたままずっと一人で悩んでいたそうです。先輩が追い詰められていることも、心が壊れる寸前であることもあの人は知っていた。だけど、下手に触れたら本当に壊れてしまいそうで、近くで見守ることしかできないって…自分の力不足をひどく嘆いていました。だから、椚さんは怒らないでくださいね。今日この計画を持ちかけて実行しようと提案したのは私の方なんですから―――」

 

 その子が口にした“計画”という言葉。私はハッと我に返って、自分の後ろを振り返った。

 

「それじゃ今まで追いかけてきたアイツは―――」

「椚さんです」

「そんな……ッ」

「ごめんなさい。でも先輩って自分で気付いてます? すごく頑固な性格してますから、こうでもしないと打ち明けてくれないと思ったんです。もっといい方法があれば良かったんですが、私にはこんな方法しか思いつかなくて……」

 

 身体の力が抜ける感じがした。ただただ怖かった。自分が誰かの手によって殺されるかもしれない。それも相当な恐怖だけれど、自分の大切な人が自分のせいで傷ついてしまう。その事実が何よりも怖かった。

 彼女がガラクタに生き埋めになったのを目撃したとき、生きた心地がしなかった。自分なんて死んだって構わない。だから、せめて、暗闇の中に横たわる彼女だけは助けてほしい。心の中は無垢な叫びでいっぱいで。

 

「大変だったんですよ? 倉庫業者の方を説得して、約束の時間までに段ボール箱や袋の中身を入れ替えて、棚やパレットの配置まで変更して…間に合わないかもと思っちゃいました」

「…この倉庫に誘導したのも、身体をぶつけて携帯を落とさせたのも、侑の計画だったの?」

 

 はい。と小さな声が暗闇に響いた。服が汚れボロボロだったのは倉庫内での準備のためか。もしくはそれもまた、彼女が仕組んだ演出なのかもしれないが。

 

 すべてはこの子が描いた物語。私はまんまと脚本に乗せられた。これほどの計画を思いついて実行にまで移すのだから、相当肝が据わっている。悔しいけれど、今日見せてもらった彼女の演技と演出は間違いなく本物だった。それこそ、私の上を行くほどに。

 

「でも、一つだけ後悔しています……」

 

 腰が抜けて立つことのできない私を前に、侑は片膝を付いた。片方の手を前に差し出すと、そのまま鉛のように固まった私の足にそっと触れる。ひんやりとした感覚。彼女の視線は転倒したときに擦りむき血が滲んだ傷跡に集中している。すみません。言葉にしなくても表情はそう語っていた。

 

「先輩の身体をこんなにも傷つけてしまったこと、そして何より嘘を付き騙したこと。それだけは謝らないといけません」

 

 悲しい瞳をのぞかせる彼女に、私は首を左右に振り返した。思うところはある。だけど、本来謝らないといけないのは私なんだ。自分の目的のために周りを騙し、侑を利用した。それこそ嘘で塗り固めた行動によって。それは謝っても謝り切れるものじゃない。

 

「…一つだけ…一つだけ、言い訳してもいいかな?」

「…はい?」

「侑だったからだよ」

 

 意表を突く言葉に侑は首を傾げた。

 

「控室に鍵をかけなかったのも、携帯を放置したのも、侑がいたから。君がジュリエットの付き人でずっと側にいてくれたから、私は安心して劇の練習に臨むことができたんだ。君がいたから―――」

 

 私は警戒を怠った。結果としてそれが仇となったわけだけど、それはきっと仕方のないことで、それを回避する選択肢なんてきっとなかったのだとそう思う。

 

「…ありがとう」

「…アイカ先輩……」

「やっちゃいけないことをたくさんしてきた。自分を含めて多くの人を騙してきた。でもね、すごく不思議なんだけど、ホッとしている自分がここにいるの。これでもう嘘を続ける必要はないんだって…周りの人に対しても、自分に対しても。私を元の道に戻してくれたのは他の誰でもない、侑だよ。勝手な話で呆れるかもしれないけど…私は…君に救われたんだ」

 

 彼女は大きく目を見開いた。驚く様子が伝わってくる。君のそんなに驚く姿は、私がわがままを言って振り回していた最初の頃以来だね。こんなこと言える立場じゃないけれど、どうか安心してほしい。今の言葉は嘘なんかじゃない、私の心からの気持ちだから。

 

 手を差し伸べてくれてありがとう。叱ってくれてありがとう。私の側にいてくれて本当にありがとう。

 

 いつしか冷え切った頬には大粒の涙が流れていた。今日の私は泣いてばかりだ。だけどさっきまでと違うのは、この涙は悲しくて流すものではないということ。これは私を救ってくれた、たった一人の女の子に捧げる、感謝の気持ちそのものだ。

 

「…きっと大丈夫ですよ」

「え?」

「アイカ先輩なら大丈夫です」

 

 突然の“大丈夫”。具体性の欠片もない言葉なのに、どこか暖かさを感じる。不思議と口元は緩み、不意に笑ってしまった。

 

「…まったく、簡単に言ってくれるわね」

「理由がないわけじゃありません。私にはわかるんです。私と先輩は似た者同士ですから―――」

 

 いったいどこが? そう聞き返したい気持ちはあるけれど、きっとこれは無粋な質問だろう。口から出かかった言葉を飲み込み、私はコクリと頷いた。

 

「…そっか。そう、かもしれないね……」

 

 そのとき、彼女はその華奢な両手を私の頬に押し当てた。またひんやりとした感覚。思ってもいなかったその行動に心臓の鼓動が一瞬にして速まる。この手はいったい何? そう思っていると彼女はいきなり頬をつねった。いたずらっ子の悪い笑顔。してやられた、と思った。

 

「さあ、帰りましょう! もうすぐ劇の本番ですよ。悔いのないよう頑張らないと!」

 

 差し出された手をそっと握り締める。本当に小さな手だ。何かあったらすぐにでも折れてしまいそうな手だ。だけど私を引くその力はとても力強くて、頼りがいのあるもので。

 

―――この鼓動の速さはいったい何だろう?

 

 もう片方の手で胸を押さえているけれど、この高鳴りはしばらく収まってくれそうにない。頭のスクリーンに映るのは直近に迫った舞台劇のワンシーン。私はジュリエットもロミオも嫌いだ。でも今なら、ロミオに惹かれたジュリエットのその気持ちが、ほんの少しだけわかりそうな気がした。

 

 

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