やっと運び終わった。これで何往復しただろう。さすがにこんなときは、生徒会室と校舎の位置関係を嘆きたくもなる。一年生に手伝ってもらうこともできたけれど、あまり雑用みたいなことを頼み過ぎるのも良くない。ここは上級生の私たちで片付けてしまおう。そう心に決めて、もう一人の生徒会役員に声をかけた。
「沙弥香大丈夫? 少し休んできたら?」
「これくらい何ともないわ。強いて言うなら、こんなになるまで資料整理を放っておいたどこかの誰かさんに一言不満を言いたいくらいね」
「それはごめんて、だってなかなか手が回らなかったんだもん」
「はいはい。言い訳は後で聞くから、早く終わらせましょう」
「休む」は自分自身に向けた言葉でもある。でも、沙弥香はその言葉を受け入れない。だから私もサボらずに仕事を続けられる。断ることを知っていながら、それでも聞くのは確認のためだ。あなたは変わらないよね? その事実を確かめたくて、茶番に満ちた言葉を交わす。この関係が、距離が、ずっと続くことを願って―――
「さてと、私は奥を片付けてくるから、燈子はこっちをお願いね」
「うん、やっぱり沙弥香に頼んで良かったよ」
「調子に乗らないの」
段ボール箱に入った資料を棚のファイルに入れ替える。絵に描いた単純作業だけあって、正直とても退屈だ。手を動かしてはいても、自然と頭は別のことを考えてしまう。ダメだ。今は作業に集中しないと……でもやっぱり……
「侑、どうしてるかな」
さっき会ったばかりだというのに、あの子のことが気になってしまう。思えばここ最近、侑に甘え過ぎかもしれない。どこまでも私を受け入れてくる大きな器を持った女の子。その度量が時々怖く感じることがある。私だけを許容してくれるならいいけれど、侑はきっとどんな人にでも優しくなれる女の子だ。きっと、今だって、その優しさは私だけのものじゃない。だから、私は侑に「好き」という言葉を伝える。「好き」は相手を束縛する言葉だから。
次の資料に手を伸ばした。足元に置いた段ボール箱の一つがこれでようやく片づく。さて、この資料はどのファイルに閉じればいいだろう。それを判断するために古びた紙の1ページ目をめくった。
「これって……」
中身に目を通した瞬間、思わず目を見張った。明らかに今までの資料とは毛色の違う内容。紙に綴られたセリフや地の文に視線が吸い寄せられる。間違いない。これは数年前の生徒会劇の脚本だ。それも没案となった演劇のもの……
「シェイクスピアかぁ。やってみたら案外面白いのかなぁ」
今年のオリジナル劇とは違う。だけど、これはこれで目を惹かれるものがあった。ただ一つ疑問に残るのは、なぜやらなかったのか。その一点に尽きる。表紙のタイトルに大きく押された「没」のスタンプ。薄くなった赤線を指先でなぞりながら、当時の生徒会劇に想いを馳せた。もちろん、文化祭で披露した今年の生徒会劇を重ねながら―――
「…子…ちょっと燈子!」
「えっ、あっ、ごめん沙弥香」
「もう しっかりしてよね生徒会長。何か考え事? その資料は……」
「うん。昔の生徒会劇の台本みたい。これを読んでたら夢中になっちゃって」
「興味があるのはわかるけど、せめて仕事が終わってからにしてほしいところね。先はまだ長いんだから」
「はーい」
やっぱり沙弥香を誘って良かったと思う。私だけだったら、このまま時間を忘れて台本を読みふけっていただろう。いけないなぁ。今度こそ集中しないと……両手で左右の頬を軽く叩く。眠いわけではないけれど、気合を入れ直す合図にする。やらないよりはマシだろう。
だけどこの日、結局資料整理を終わらせることはできなかった。理由は簡単。生徒会にある一つの依頼が持ち込まれたからだ。それは突然現れた、ある先生の一言から始まった。
「生徒会長いるー?」
資料室の扉を開け放った人物は、私の顔を見るなりホッとしたような、それでいてどこか申し訳なさそうな複雑な表を浮かべた。
「よくここだとわかりましたね。箱崎先生」
早速沙弥香が応対するが、
「生徒会室まで行ったらここだって聞いたから」
と生徒会副顧問の箱崎先生は手短に答えた。わざわざ私たちを探していたのだから急ぎの用事なのは間違いない。でもいったい何の用件だろう? キョトンとする私たちの様子を察してか、先生は「安心して」と前置きを忘れなかった。
「大丈夫、あまり変な用事じゃないから。そうね、ここで話すのもなんだから事務室に行きましょうか」
手振りで職員室方向を示すと、先生は身体を翻して背中を向けた。私も沙弥香も顔を見合わせる。お互い渋い表情だ。内心溜息を漏らしながら、ここは先生に付いて行くしかないだろうと気持ちを切り替えた。
一年生に見えを張ったはいいけれど、どうやら資料整理は後回しになりそうだ。手伝わなくて大丈夫ですか?そう執拗に心配していた侑に何て言い訳すればいいだろう。侑とのやり取りを思い返すとちょっとだけ足取りが重くなった。
「あっ ごめん沙弥香、先に行ってて」
「えっ? うん、いいけど、あまり遅れちゃだめよ?」
「わかってるって」
そう言って、私は一人資料室に残った。なんてことはない。さっき見つけた生徒会劇の脚本。それを棚のファイルではなく、段ボール箱に戻すためだ。後でゆっくりと読んでみたい。そう思っての行動だった。
「これでよし、と!」
再び歩き始める。迷ったけれど、やっぱり資料室の照明は消すことにした―――
「急な話で申し訳ないけど、端的に要点だけを言うとね、地域イベントに生徒会も参加してもらえないかと思って」
「地域イベントって、この街の、ですか?」
「ええ。東高に限らず、周辺のいくつかの公立校に案内がきているみたい。主催はあくまでもNPOや大学なんだけど、幅広い層の交流型イベントにしたいということで、うちにも協力依頼がきたみたいね」
先生は一枚のコピー用紙を目の前に突き出した。白のA4用紙にはイベントの日時や概要が記載されている。どうやら嘘ではないらしい。場所は遠見の市民文化ホール。ええと、開催日は……
「って! イベント開催って3週間後じゃないですか!?」
「ええ。うちも文化祭が終わったばかりだし、もうすぐ中間考査もあるでしょ? どうしようかって話になったんだけど、一切を断るのも角が立つというか、なんというか……」
「学校として積極的な参加はできない。だけどご近所付き合いは悪くしたくない。だから生徒会のメンバーを参加させる形で手を打つことになった。そういう話ですね」
今まで黙っていた沙弥香が口を開いた。何か腑に落ちていない、棘のある言い方だ。まぁ、気持ちはわからなくもないけれど。
「私も申し訳ないって思ってるわ。生徒会劇を含め文化祭の準備や運営をあれだけ頑張っていたあなたたちだもの、またすぐにこんなお願いをするのは正直気が引けます。でも数人でいいから人手を貸してもらえないかしら?」
「イベントを開催するのは自由ですが、協力を依頼するのが3週間前というのは常識に欠けると思います」
沙弥香の指摘はもっともだと思った。なぜもっと余裕をもって依頼をしなかったのだろう。ある程度時間をかければ、より多くの人と協力して、もっといいイベントにできたかもしれないというのに。
「主催者側もバタついていて無理は百も承知みたい。この日程でしか調整できなかったみたいなのよ」
「調整って…開催場所とかの話ですか?」
思わず聞き返す。当然の質問だと思う。イベント会場が特定の日にしか使用できないとか、最初はそんな理由なのかと思った。けれど返ってきた答えは想像の斜め上をいくものだった。
「そうね。まだ伝えていなかったわね」
先生は携帯を取り出し、おもむろに何かを検索し始めた。意外だ。生徒の前で携帯なんて使用していいのだろうか。
「この子、二人は知ってるかしら?」
そう言って、箱崎先生は携帯のディスプレイを私たちが見える位置に突き出した。わざわざエコモードまで外している。明るくなった画面―――そこに映し出されていたのは、ある一人の女の子だった。
「“宮代アイカ”っていうの」
宮代アイカ……知らない、そんな名前の人なんて―――。苗字が漢字で名前がカタカナとか、何かアンバランスな印象だ。私は顔を傾けてわからないとの意思表示を示す。だけど隣に座る沙弥香の反応は違った。
「確か有名なモデルさんでしたよね? 少し前に放送していたドラマにも出演していたと思いますが」
「意外ね、佐伯さんてそういうの興味ない人なのかと思ってた」
「先生、私にどんなイメージを…」
「あ~ごめんごめん。そういう意味じゃないのよ」
沙弥香と箱崎先生の会話でようやく納得する。今回のイベント、つまりはこの子がメイン人物というわけだ。主催者側は“宮代アイカ”という有名人のイベント出演を取り付けた。だけど、参加可能な日程を調整した結果、こんなに窮屈なスケジュールになってしまった。と、そんな感じだろうか。
まぁ、イベントの日程については沙弥香同様思うところはある。でも、私が興味を持ったのはもっと別なところだった。
「沙弥香」
突然名前を呼ばれたからか、驚いた様子の沙弥香。先生も私の顔に視線を戻した。単純と言われるかもしれないけれど、俳優という職業には少なからず興味がある。現実には存在しない、自分じゃない誰かを演じる。その行為に私は特別な何かを感じている。
生徒会劇で演じた役は自分を見失った一人の女の子だった。だけどそれ以前から私はずっと“ある人”を演じてきた。その行為にはいつも後ろ暗さが付き纏う。だから演じるという行為に“特別”を感じること自体が初めてだった。全てはあの生徒会劇から始まったんだ。
「……燈子?」
「この依頼、引き受けちゃおっか」
沙弥香は困惑顔、箱崎先生は安堵の表情を浮かべる。まったく異なる二人の反応。沙弥香には悪いけれど、二人の反応の差がちょっとだけおもしろかった。
「で、でもいいの? 文化祭は終わったけれど、生徒会の仕事はまだまだ残っているし、中間考査だってあるのよ」
「そこまで長期間に跨る依頼じゃないし、それに何よりも地域交流は生徒会の立派な仕事だよ。文化祭が終わったばかりでまだバタついているのは事実だけど、断る理由はないと思うな」
「そ、そう……燈子がそこまで言うのなら、私が反対する理由はないけれど……」
「ありがとう、沙弥香」
沙弥香に向けていた視線を再び携帯画面へ。
―――宮代アイカ。
いったいどんな子なんだろう。そこまで大きくもない街のイベントに参加してくれるのだから、もしかしたらけっこういい子なのかもしれない。万が一にも私たちと接点を持つことはないと思うけれど、できることなら会ってみたいと思った。
気がかりなのは生徒会みんなへの説明だ。部屋に戻ったら何て説明すればいいだろう。侑はどんな顔をするだろう。厄介事を持ち込んだと怒るだろうか。それとも溜息を漏らしながら許してくれるだろうか。まったく別な反応を見せるだろうか。沙弥香と先生がまだ何かを話している中、私の頭の中は一人の後輩のことでいっぱいだった。