「最近見なくなったなぁ」
口から出たその言葉に深い意味がないことぐらい私にはわかっていた。だけど、雑誌に載っているある一人の女性を眺めながら言うものだから、変に意識してしまった。
「…菜月?」
「ああ、ごめん。宮代アイカのこと。最近全然テレビとかで見ないなーと思って。どうしたんだろうね。侑はあれから何もないの? 連絡が来たりとか?」
「まさかー、ないない、そんなの」
「ほんとに? 二人で水族館に遊びに行ったり、劇で主役を演じ合った仲なのに?」
「……水族館へは案内しただけ。劇もロミオ役の人がたまたま体調を崩して…それで私が臨時で代役を務めただけだよ」
「ほんとにそれだけか?」
「もー菜月こそどうしたの?」
彼女にしては珍しくねばっこい。何かあったのかと思ってそれとなく聞いてみると、
「いや、私さーあの人の演技好きだったんだよね。何ていうのかな、他の俳優さんにはない独特な雰囲気っていうの、彼女にしかない不器用さみたいなもの、うまく説明できないんだけど…で、観てるこっちがドキドキするみたいな…そういう感じがすごく好きだったんだ」
「…うん。菜月が言おうとしていること何となくわかる気がするよ」
「でしょ!? だから文化ホールの舞台劇もスゲー楽しみにしてたんだ。そしたら…」
「そしたら?」
「思ってた通り、感動した。侑の演技もすごく良かった」
菜月の笑顔に思わず胸が熱くなる。時間はだいぶ経っているというのに、あのときの熱が身体の中から湧き起こるような感覚がする。
ただただ必死だった。みんなでつくり上げたものを壊したくなくて、アイカ先輩との約束を破りたくなくて、自分自身にできることに食らいつき、持てる力を一生懸命に出し切った。余裕なんてなかった。自信なんてもっとなかった。だけどこうして「良かった」と言ってもらえると、それだけであのときの努力が報われた感じがする。
「またジュリエットみたいな役を演じてるところ、観れたらいいんだけどなー」
「きっとそのうち観れるよ」
だって彼女は“女優”なのだから。そう菜月に伝えると、どこか嬉しそうに彼女は笑っていた。
「ん?」
すると、ちょうどそのタイミングで携帯が鳴った。画面に表示された相手先の名前を確認する。まさか噂をすれば? と隣で茶化す菜月を尻目に、私は四角いディスプレイを耳元に当てた。
「どうしました?」
用件は「これから会えないか?」というものだった。用事があって近くに来たからだとその人は理由を説明してくれた。店番が終わるのは今から1時間後。それ以降の時間なら大丈夫だと伝えると、通話先の相手は妙に弾んだ声で「待っているから」と言葉を添えた。
目の前では購入予定の雑誌を片手に菜月が小首を傾げている。“誰と話しているの?”といった感じだ。私は特に慌てることもなく、通話を切るその前に、正直な気持ちを相手に伝えた。
「私も楽しみにしてます! 七海先輩!」
とある地方の撮影現場に私はいた。屋外に簡易的に設けられた椅子に腰を下ろして、ページ数の少ない台本を読み返す。今日は観光PR映像の撮影会だ。ドラマや舞台といった花形の仕事ではないけれど、仕事のオファーが寄せられたとき、私は迷わず快諾した。ふと目線を上げると、そこには太陽が当然あって眩しいほどに輝いている。この世全てを照らすスポットライト。そんな例えが脳裏をかすめた。
「日陰に入らなくて大丈夫? 夏じゃないとはいえ、日焼けしちゃったら大変よ?」
「椚は心配性ね。子ども扱いはやめなさい」
「はいはい。この後の予定だけど、もう少ししたら出番が回ってくるはずだから、それまでは自由にしてていいわ。ただし気は抜かないでね」
「はーい」
あれからいろいろと考えたけれど、演技者の仕事は続けていくことにした。あの子との約束もある。それもあるけれど、私はやっぱりこの仕事が好きだ。それが役者を続けていこうと決心した一番の理由だった。
テレビ画面に映ることは昔と比べれば少なくなった。それでも世界とは恐ろしいもので、何の不具合もなく今日も今日とていつも通りの日常が廻っている。まるで宮代アイカという女優はいなかったと言うくらいに。世間では私はもう過去の人なのかもしれない。
だけど、まぁ、それはそれで少し寂しい感じはするけれど未練はない。今はこうして細々と役者を続けていけることに喜びを感じている。確かなものをこの手に掴み取っている、そんな確かな手ごたえが今の私にはあるのだ。
「さーてと…こんな山奥で蚊に刺されているところ見られたら、あの子には何て言われるかしら……」
ある日、ある街で、私は一人の少女と出会った。その出会いは突然で、私とその子に接点という接点があるわけではなかった。性格上、運命も奇跡も信じないけれど、あの子と過ごした日々はまるで夢のようだったと改めて思う。短くも激動の日々。毎日が刺激的で、甘い充実した時間の連続だった。
ただ一つ、心残りがあるとするならば……
―――例のお守りへの願い事がついぞ叶わなかったということだろうか。
あの子からもらった小さな小さな贈り物。双子石と説明を受けたそのお守りは今も私の胸の上でその存在を誇示している。半分に割れた欠片をそれぞれが所持し、二人の祈りが重なれば、その願いは成就するという迷信を持つ小石。それが双子石という名の緑王石だった。
今になって思う。きっと、あのとき、あの場所で、あの子はただただ純粋に舞台劇の成功を祈っていたに違いない。今までみんなで頑張ってつくり上げた物語。その努力を無かったことにさせないようにあの子はいつだって必死だった。けれど、対して私はどうだっただろう? あの瞬間、スポットライトに照らされたあの場所で、私はいったい何を祈っていただろう。あの舞台の上で、
「…そりゃ 叶うわけないかぁ」
椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。遠くの方では木々が揺れ、少ししてから心地のいい風が身体の横を吹き抜けた。
「アイカ! もうすぐ出番が回ってくるみたいだからそろそろ準備をお願い!」
離れたところからは椚の呼び声。さーて、ようやく出番だ。今日も頑張りますか。
私は台本を畳んで椅子の上に戻すと、その場で胸の上に手を置いた。この緑王石に祈った一つ目の願い事は叶うことはなかった。でも、一つしか願い事をしてはいけないと教えてもらったわけでもない。私は宮代アイカ。その欲はどこまでも深いのだ。もう一つ、あと一つくらいこのお守りを当てにしたってバチは当たらないだろう。そう、次に私が願うこと。その答えはもうすでに決まっている。
風に髪をなびかせて、みんなの待つ撮影場所へと足を進めた。大切な願い事は心に秘めて。この先の幸いを私は求めるつもりだ。
―――完―――
〈後書き〉
やがて君になる ~小糸侑ともう一つの舞台劇~
描きたかったことは一つです。原作7巻で燈子の大きな決断がありましたが、逆に侑側の大きな決断をあからさまに目に見える形で第三者視点で描いてみたかった、ということで本作品を投稿しました。
最後まで目を通してくれた方、評価をしてくれた方、感想を書いてくれた方、お付き合いいただきましてありがとうございました。半年間に渡る投稿となりましたが、これにて完ということで改めて感謝を。ありがとうございました!