休み明け。場所はお馴染みの生徒会室。時刻は黄昏時と呼べる時間帯。窓から差し込む陽光が部屋全体を赤く染めている。生徒会のみんなは先に帰宅したため、生徒会室には私ともう一人―――七海先輩だけが取り残されていた。
「あ、あのね、考えなしに引き受けた訳じゃないんだよ。これも学校のためだと思ったから……」
「嘘ですね。ものすごく私的な理由を感じます」
「そ、そんなことないよ! 地域交流だって生徒会の立派な仕事だよ。断るなんてもったいないよ」
長テーブルを前にパイプ椅子に座る自分と、その隣に立ってそわそわする七海先輩。先輩はイベント参加を決めた理由を必死になって説明している。言葉では尤もな理由を述べているけれど、正直どこまで本当かも怪しい。声が上ずっているのがその証拠だ。
「資料整理が終わって戻ってきたのかと思ったら、何で別な仕事を増やしちゃうんです? もうすぐ中間テストですよ。テスト前は生徒会の仕事もお休みにするって言ってませんでしたか? 私はともかく、先輩たちは大事な時期じゃないですか」
「侑の言う通りだけど、もう引き受けちゃったし…ね?」
自然と溜息が漏れた。人に反対されたからといって意見を変えるような人じゃない。それがわかっているからこその溜息だった。きっとイベントに参加したい理由が何かしらあるんだろう。このまま意地を張っていると最終的には一人で行くとでも言い出しかねない。それだけは避けたいと思って、私は一歩だけ引くことにする。
「…はぁ、あまり大変な仕事じゃないといいんですが―――」
「ありがとう侑!」
駄々をこねる子供の表情が一転。先輩は曇りのない笑顔で私に抱き付いた。甘え上手は相変わらずだ。だけど引くのはここまで。“一歩だけ”と決めている。可能な限り素っ気ない態度を装いつつ、私は先輩の身体を引き離した。
「それでどういうイベントなんです?」
「遠見の市民文化ホールを貸し切ってステージ上で出し物をするんだって。それ以外にもいろいろな企画があるみたいだけど、詳しいことは初日の打ち合わせで説明があるみたい。私たち高校生は主にサポート役だけどね」
サポート役―――つまりはお手伝い要因ということになる。大した役割でないのなら、人数をかける必要はないのかもしれない。
「箱崎先生は全員じゃなくてもいいって言ったんですよね?」
「えっ? まぁ、そうだけど……?」
「なら私一人で十分です」
キョトンとする先輩を前に私はそう断言した。わざわざみんなを巻き込むような話じゃない。文化祭が終わったばかりで、中間考査だって控えている。先輩にはそっちに集中して欲しい。要らない気遣いだと言われようと、これ以上引き下がるわけにはいかない。
「だっダメだよ! 侑に押し付けるなんて! 東高の代表として参加するなら、私が一番適任だとおも―――」
「だめでーす。先輩は生徒会長なんですから学校を離れるわけにはいきません。先輩が抜けたら誰が生徒会を取り纏めるんですか?」
「それは沙弥香が―――」
「地域イベントのお手伝いは私に任せてください。いいですね?」
「だ、だけどほらっ 他のみんなはいいとしても、せめて私と二人で参加するっていうのは」
「せ、ん、ぱ、い」
「…はい…わかりました……」
やっと納得してくれた。ちょっと強引だったかもしれない。まぁ、これくらいは勘弁してほしい。先輩が残念がる理由はわからないけれど、学校の代表で行く以上は気を引き締めないといけないだろう。私は気持ちを切り替え、箱崎先生から依頼があったそのイベントについて話を続けようとした。
「…どうかしました?」
先輩はなぜか笑っていた。何か可笑しなことでもあっただろうか。
「ううん、なんか今のやりとり、どっちが生徒会長なのかわからないなーって思って……そうだ、侑が依頼を引き受けてくれたお礼に後でアイス奢ってあげるよ」
「子供のご褒美じゃないんですから」
「もちろん、ちゃんとしたお礼はイベントが終わった後にするよ。とりあえずはアイスで許してってこと。それともキスの方が良かった?」
「遠慮しときます」
「ええ~ ひどーい」
先輩はなおも笑っていた。夕陽に照らされ顔が赤くなっている。私はこの時間が大好きだ。生徒会室での何気ない会話、心地のいいひととき。できることなら、この時間がずっと続いてほしいとそう思う。
「ねぇ侑? 言ってなかったけど今回のイベントには有名な俳優さんも参加するらしいよ」
「はぁ、俳優さんですか……」
「宮代アイカって知ってる?」
「…誰です?」
「あー 侑も私と同じ側の人間だ」
朱里とこよみからのプレゼント、双子石に祈るわけではないけれど、私のその願いは心からくるものに間違いないはずだから―――
急にくしゃみが出た。やめてほしい。メイク中だっていうのに。
「どうしたの? 風邪?」
「なんでもないわ。誰かが私の噂をしているのかも」
「気を付けてよね。今は大事な時期なんだから」
そんなこと、言われなくてもわかっている。演技者の仕事を続けられるかどうか。この業界で生き抜けるかどうか。それがこの先の実績で決まってくる。「私」という売り物にとっての大事な時期。改めて言われるまでもない。
「…アイカ?」
「わかってるわ。せいぜい期待していいわよ」
振り返ればここまで長い道のりだった。この業界に入って、俳優を目指すのがこれほど難しいとは思わなかった。オーディションに行くのが怖くて、ドラッグストアに立ち寄って胃薬を飲んだこともあった。今思い出すと恥ずかしさが込み上げてくる。マネージャーの椚にも教えられない私だけの秘密だ。
モデル業はそれなりに楽しかったけれど、ずっと続けようとは思わなかった。目指すはあくまでも別世界、モデルと一線を画す異色の職業―――俳優という名の「演技者」だ。都内有名ホールの舞台演者に、ネットの大型企画ドラマに、今まで引き受けた仕事はいくつかあった。だけど、そのどれもが自分を満足させるには至っていない。
「…冴えない仕事が続くわね」
「何を言ってるの。少し前に放送された地上波のドラマ、あれ けっこう評判良かったのよ」
そのドラマだって本筋には関係ないワンシーンに出演しただけだ。セリフ量だって原稿用紙一枚に満たない。多少SNSでは騒がれたみたいだけど、所詮はその程度で終わりだ。顔を覚えてもらうのは悪い気はしない。だけど、私が求めるのはもっと違うものだ。
「…それで明日の予定は?」
「午前中は女性雑誌の写真撮影。午後はまた遠見に移動して3週間後に控えた市民イベントの打ち合わせ。移動時間があるから実質打ち合わせは夕方になるでしょうね。今後数週間は遠見に滞在することが増えると思うから覚悟しておいてね」
「市民イベントかぁ、おばあちゃんの出身街じゃなければこんな依頼引き受けなかったのに」
「こーら 地元のイベントにも積極的に参加することでイメージアップが図れるって言ったのはどこの誰?」
「はいはい、私ですよ……」
確か先方からの依頼は舞台芝居の出演者に是非、というものだったはず。駆け出しの頃ならまだしも、今更地方で行われる小芝居に参加するというのは気が進まない話だ。
「今からでもその依頼断れないの?」
「ええ!? 無理言わないでよ。向こうも準備を進めているのよ。ここで断ったら迷惑がかかるわ。こちらのスケジュールにわざわざ向こうが合わせてくれたんだから」
信頼に傷がつくのは避けないといけないか。めんどうだけどやるしかなさそうだ。鏡を見ながら何度か顔の向きを変えてみる。こんなところだろうか。机に広がったメイク道具一式を素早く片づけ、緩慢な動作で服装チェックに移行。そろそろ専属メイクがほしいところだ。どのくらい有名になれば付けてくれるのだろう。
「…ねぇ? そう言えばさ、この前の事件ってどうなった?」
「えっ ああ 警察からは何も連絡はないわね。何かあったら連絡しますとは言っていたけど……」
「…そう」
必要以上、詮索しないように注意する。あまり気にしていると思われたくもない。だけどちゃんと考慮はしてほしい。そんな意味を込めつつ、私は椚に視線を送った。
「心配しなくても大丈夫よ。新しい住居のセキュリティは厳しいし、戸締りさえ怠らなければ何も問題ないわ」
「…そうね」
「でも気は抜かないようにね。売り出し中とは言っても、あなたの顔は多くの人が知っているのだから、夜にふらふらと一人で出歩いたりしないこと。ニュースでもやってるでしょ? 都心では女性が連れ去られる事件だって起きてるのよ」
行動に制限がつくのは頭が痛い話だ。まぁ、これからしばらくは地方営業になる。面倒なことは考えず、少しくらいは気晴らしになるだろうか。
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもないわ。誰か素敵な人に巡り合えないかなって」
「珍しいわね。そういうこと言うの」
「…別に」
「きっと、いつか必ず素敵な人に巡り合えるわよ。まぁ、事務所としてはそうなる前に教えてほしいところだけどね」
本当にそうだろうか。昨日の二人組のように世の中には碌な男がいないように思う。この胸を高鳴らせる人間なんて、本当に現れるのだろうか。
「…まぁ、どうでもいいことだけど―――」
捨てセリフを吐き捨てて、私は狭い楽屋を後にした。