小糸侑ともう一つの舞台劇   作:HirakeGoma

6 / 20
06  ふたりの距離

 翌日の放課後。私の前に突然現れた女性――宮代アイカはさも当然のように声をかけてきた。

 

「私が演技班ってどういうことですか!?」

「どうって…言った通りだよ。君は小道具班から演技班に移動。ジュリエット役の専属アシスタントとして劇に協力してもらう、以上!」

 

 人の気持ちを意に介さない傍若無人な采配。彼女は昨日の今日で私にジュリエット役、つまりは自分の付き人をやれと言う。その内容にも驚いたけれど、強引に物事を押し進める身勝手さには言葉が出なかった。私を呈のいいお世話係とでも思っているんだろうか。まぁ、この人の場合、そんな打算的な目的ならまだマシに思える。考えていることの底が見えない。彼女の怖さはそこにある。

 

「そもそも班を移動するなんて納得できませんよ。しかも移った先での仕事がアシスタントなんて」

「いいじゃない、昨日は班分けしただけで実質的な作業入りは今日でしょ? 君の場合は最初の顔合わせにも参加できなかったわけだし。ね?」

 

 すました顔が何だか腹立たしい。有名人と呼ばれる人たちはこうも強引な性格なんだろうか。わがままで身勝手なお姉さん。先輩に対する印象は正直に言ってそんなものだ。

 

「それに、侑だけは特等席で私の練習を毎日見学できるんだよ。悪くない条件でしょ? 小道具班にいるよりもこっちに来て正解よ」

「勝手に決めないでください! 私は小道具班で良かったんです…ッ!」

「まぁまぁ、そう言わずに。そうね、それじゃまずはタオルとミネラルウォーターでも持ってきてもらおうかしら?」

「だからっ、アシスタントをやるなんて一言も―――」

「あの子との関係をばらされてもいいわけ?」

「…ッ」

 

 背筋が凍った。洒落にすらなっていない。私が恐れているのはたった一つのことだ。七海先輩に迷惑をかけること。槙くんに関係を見抜かれて以降、注意を払ってきたつもりだった。あの日、施設の外で交わした一つのキス。それをあろうことか宮代アイカに見られていたなんて……完全に弱みを握られてしまった。一瞬でも気を抜いた自分が恨めしい。

 

「なーんてね! 冗談よ?」

「…約束してください」

「ん?」

「私がアシスタントを引き受けたら、あのとき見たことは絶対に誰にも言わないって、約束してください―――ッ」

「…へぇ、取引条件かぁ。あの子のことは売れないってわけね。それともただの保身かしら?」

「宮代さんは―――」

「アイカよ」

 

 少しだけ時間が止まった。名前で呼べなんて言われても困る。呼び方は人と人との親密性を現すものだ。私と宮代アイカはそんな距離じゃ決してない。

 

「…宮代“先輩”は―――」

「ほんと頑固ねー。まぁいいわ、そんな強情なところも私は好きよ」

 

 瞬間、先輩は顔をぐっと前に突き出した。額と額がぶつかってしまうのではないかと思うほどの至近距離。あまりに唐突な行動に身体が硬直。思わず目を逸らしてしまった。昨日から思っていたことだけど、この人の距離の取り方って何かがおかしい。

 

「あの子との関係をばらすなって話。約束するわ。人に口外するような真似は決してしない。だから私とも約束して。最後まで私から目を離さないって♪ いいわね?」

 

 そのとき、控室の扉が叩かれた。誰かが先輩の名前を呼んでいる。正直ホッとした。私は数歩程後ろに下がって先輩との距離を取る。

 

「せっかくいいところだったのにな~残念♪……はいっ どうぞ!」

「…失礼しまーす。あの、実行委員の瀬波さんに頼まれて改稿版の台本を持ってきたんですが」

 

 恐る恐る部屋の中に入ってきたのは二人組の女の子だった。別の高校の生徒だ。制服が違うのがその証拠。私と同じ協力参加組だろう。

 

「わざわざ持ってきてくれたんだね。二人ともありがとう。短い間だけど、舞台劇頑張ろうね」

 

 先輩は二人組を相手するが、声の抑揚がさっきまでとはまるで違っている。夏の青空のような晴れやか笑顔に、透き通った声。そして裏表を感じさせない気さくな会話。まるで別人がそこに立っているようだった。どちらが本当の宮代アイカなのだろう。それすらもわからなくなってしまいそうだ。

 

 二人は先輩と話せるのが余程嬉しかったのか、何やら浮足立っている様子。そんな二人の姿を前に、この人は本当に有名人なんだ、ということを思い出す。

 

「あのっ 良かったらサインもらえませんか!? それと、も、もしよければ一緒に写真を取ってもらいたくて!」

「うん、喜んで。って言いたいところだけど、事務所が設定した正式な場じゃないとサインは書かないようにしているの。マネージャーにも注意されてるしね」

「そ、そうなんですか……」

「でも、こうしてあなたたちと知り合えたことだし今日だけは特別。このことは誰にも言っちゃだめよ」

 

 人差し指を唇の前へ。秘密にしてね、のポーズ。一瞬にして二人の顔には嬉しさの色が広がった。期待を落としてから持ち上げて、秘密の共有まで図る。これでファンにならない人はいないだろう。

 

「ありがとうございました! 一生大切にします!」

「大袈裟よ。でも来てくれてありがとう。またね」

「はい!」

 

 甲高い返事を残し、二人は小走りに帰っていった。きっと、とても嬉しかったんだと思う。世間を騒がす話題の人に会えてサインまでもらえたのだから、それで嬉しくないはずがない。それを見て溜息が出てしまう自分はきっと何かの間違いで心が穢れてしまったのだ。とそう思うことにする。

 

「それで? いつになったら侑は私のサインを求めてくれるの?」

「そんなものいりません!」

「それは残念ね♪」

 

 けらけらとまた笑う。先輩はどこまでいっても楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ああ!ロミオ! お父さまと縁を切り、その名を捨てて! それが無理なら、私がこの家の名を捨てましょう。私の敵はあなたの名前。名前を捨てて私をとって―――』

 

 

 舞台上にジュリエットの、私自身のセリフが響いている。何もないただの床板の上。ただそこに立って演技をしているだけなのに、気分はさながら中世ヨーロッパのイタリアだ。

 

 普段の練習でも私は一切手を抜かない。一つ一つの積み重ね。それが普段の自信に繋がっていくことを知っている。だから、練習で力を抜いたことなんてない。

 

 でも今日の練習はいつもと何かが違っていた。原因はたぶんあの子だ。舞台脇で袖幕を握りながらこちらを見つめている女の子。名前は小糸侑。一見すると気弱で流されやすい性格に見えるけれど、付き合ってみると案外そうでもないらしい。少し不思議な雰囲気を持った女の子で、同時にからかいがいのある女の子だ。

 

 正直、練習が楽しかった。こんな感情を持って演技に望むのはいつ以来だろう。あの子が見ていると思うと気分がのってくる。まるで大観衆を前にした舞台挨拶のよう。

 

 きっと私は誘惑に負けたのだ。ジュリエットがロミオに一目ぼれしたように。“あの子なら”と私の直感がそう言っている。ジュリエットの一目ぼれとは、意味はきっと違うけれど―――

 

 

『ああ!輝きを失った短剣よ。この身体をお前の鞘にして、ここで錆びて。私を死なせて―――』

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。