施設の灯りが煌々と周囲を照らしていた。太陽が沈んでも市民文化ホール周辺は日中の騒がしさが残っている。さっきから何人もの人が正面玄関を行ったり来たり。何かを運び込んだり、何かを持ち出したり、目まぐるしく動く人の波に気分が酔ってしまいそうだった。
だから、お目当ての人を見つけたとき、正直ホッとした。最初の打合せから数日が経過。あれから侑はずっとイベントの手伝いに付きっきりだ。忙しそうなところ申し訳ないけれど、私はすぐに彼女に声をかけることにする。見失ったら大変。ただでさえ今は会えていないのだから、と思ってのことだった。
「お疲れ様。調子はどう?」
「七海先輩!? どうしたんですかこんな時間に。もうとっくに生徒会は終わってるはずじゃ」
「様子を見に来たに決まってるじゃない。それと、はいこれ、差し入れ」
左手に持っていた紙袋をそっと体の前に押し出した。つまらないものですが。その言葉を添えて侑に手渡す。ありがとうございます。ぎこちないお礼の返事に思わずクスリと笑ってしまう。まぁ、差し入れっていうのは口実で、本当は侑に会いたかっただけだけど。
「忙しそうだね。打合せのときとは雰囲気が違う気がする」
「そうですね。今日は舞台を使える数少ない日ですから、実行委員含めてみんな気合が入ってるみたいで」
「へー 普段はここで活動してるんじゃないの?」
「いつもは別館を使ってます。舞台施設は予約制で、市民みんなのものですから」
なるほど。限られた時間の中で準備や練習を進めないといけない。みんな本気になるのも当然か。あわよくば、舞台稽古そのものを見れるかもしれない。そんな淡い期待を寄せていた自分が恥ずかしい。
「侑は確か小道具班だったよね? 文化祭の生徒会劇もモノを揃えるのは大変だったから、今回も苦労してるんじゃない?」
「…ん~~ まぁ、なんと言いますか、最初はその苦労を味わう予定だったんですけどね…ハハ…」
そう言って侑は苦笑いを浮かべる。彼女にしては何だか煮え切らない態度だ。
「今は違うの?」
「…はい…実は私、演技班に移りまして」
ちょっと待って。と言うことは―――
「ええ!? 舞台に出るってこと!?」
「あ、いや、そうじゃなくて、私はあくまでも役者さんたちのサポート役ですよ―――!」
侑は両手をパタパタさせながら慌てて私の早とちりを否定する。それでも頭の中にははてなマークが広がった。どうして班を移動? 気楽にやれるから小道具班で良かったって言っていたのに。
「演技班かぁ。もしかしてそれって宮代さんの演技を間近で見れるってこと?」
「えっ…ん~~…まぁ……」
「すごいじゃない。最初は『接点なんてないに決まってる』なんて言ってたのに。いいなー 私も見たいなー」
「またそういうことを…」
「へへ 冗談だよ」
口ではそう言うけれど半分は本音だ。でも侑に呆れられた視線を向けられては引っ込むしかない。
「でもさ、近くでプロの演技を見学できるって正直貴重な経験だと思う。どう? 宮代さんの演技は?」
「…そうですね。やっぱり他の人とはものが違うと言うか、あの人はきっと、努力することに手を抜かない人なんだと思います。まるで―――」
侑はそこで言葉を切った。その後に続く言葉に耳を傾ける。けれど、結局そこで会話はお開きとなった。タイミングよく侑の名前が呼ばれたからだ。どこからともなく聞こえた声はとても明瞭なもので、呼び主の姿は見えなかったけれど、侑はその声に引き付けられるように施設の奥へと戻っていく。どうやら一緒に帰るのは無理そうだ。ちょっと残念ではあったけれど、「頑張ってね」の言葉を残して手を振った。
「先輩もッ! もう暗いんですから気を付けて帰ってくださいね!」
「それはこっちのセリフ!」
そのやり取りを最後に彼女の後ろ姿は見えなくなった。しばらくしてから私もその場で回れ右。暗くなった外の世界に足を踏み出す。
「うわぁ、寒い」
太陽が沈むのが本当に早くなったと思う。日中が短い分、一日があっという間に感じる。そこに一抹の寂しさを感じるのは、どこか検討違いだろうか。
劇の打合せが終わって舞台を下りた。今日はこれでジュリエットの出演パートは終わりだ。残り少しとなったミネラルウォーターを飲み干し、ペットボトルを握りつぶす。そのまま簡易的に用意されたごみ袋に投げ入れた。
おっといけない。誰かに見られたら行儀が悪いと思われるところだ。
私は大きく深呼吸をした。気持ちを切り替え、演技の対象をジュリエットから宮代アイカにシフトする。いつもならこんなことをやらなくても一瞬で切り替えられるはずなのだけど、今日に限っては切り替えの合図にしていたトリガーが現れなかった。小糸侑―――彼女のことだ。
練習が終わると真っ白なタオルと冷たいミネラルウォーターを片手に私に近寄ってくるのに、今は前後左右どこを探してもその姿は見つからない。
班分け以降、いつも舞台袖に待機している女の子。私の顔を見るといちいち嫌そうな顔を返し、ことあるごとに反発してくる。だから無性にちょっかいを出したくなる。まぁ、周りの目があるからみんなの前で馴れ馴れしくするのは極力控えないといけないけれど。
「まったく、私ってバカみたいね……」
なんとなく、気になる子にちょっかいを出す少年になった気分だ。気になる子……その言葉には違和感しかない。私とあの子は同じ、男の子ではないもう一方の人間。そこに「特別」の感情は芽生えない。あの二人が特別。あの二人が異常なだけだ。そのことを心に刻み付けておく。でも、まぁ、今は、
「ふかふかのタオルが欲しいところね」
アシスタントの仕事放棄を叱咤すべく、私はあの子を探しに舞台袖を離れた。
結論から言うと、あの子はすぐに見つかった。施設の正面玄関付近で誰かと話しているところを発見。そのまま軽く脅かしてやろうかと思った。でも、話し込んでいた相手が彼女―――七海燈子だとわかったとき、思わず身体を引っ込めた。自分の取った行動に思わず苦笑する。隠れる必要がないことくらい頭ではわかっている。それでも身体は言うことを聞いてくれなかった。
奇しくも通路の陰から二人をのぞく格好だ。悪趣味なのはわかっている。だからこれはただの暇つぶし。そう自分に言い聞かせた。
でも楽しそうにする七海燈子に、満更でもない表情をする侑を眺めていると、何だか無性にイラついた。遊んでいたおもちゃを取られたような子供じみた感覚。侑のあんなにも優しい目は初めて見るかもしれない。決して私の前では見せてくれない彼女のまなざしと表情。
居ても立っても居られず、私は陰に隠れてあの子の名前を呼んだ。話の途中だろうと、別に構うことはない。イベントまでの期間中、侑は私の、ジュリエットのアシスタントなのだから―――
「侑!!」
その声に彼女は後ろを振り返った。するとすぐに嫌そうな顔をする。私が呼んだことに気づいたようだ。ここ数日変わらない態度に思わず声を殺して笑った。ほんとに頑固なんだね、君は。
控室に来るように。通路の一角で私が伝えた言葉はそのたった一言だけだった。
控室のドアを叩く。だけど返事はなかった。あれ? おかしいな。一旦ホールに戻りたいと言ったら、ちょっと拗ねた顔をして「先に行ってるから」と言っていたのに。
―――宮代アイカ。世間が注目する期待の若手俳優。謎めいた雰囲気を持った大人な女性。今では役者として活動範囲を広げ、屈託のない明るさが周囲を魅了する―――
そう、前に読んだ雑誌には載っていた。なのに現実は
「スキありッ!」
「冷たッ! もう、びっくりさせないでくださいよ」
「私をほったらかしてどっかに行ってたバツよ。あなたはジュリエットのアシスタントでしょ? そのアシスタントがジュリエットを放って、他の女に
宮代先輩は私の頬にミネラルウォーター入りのペットボトルを押し当てた。どうやら物陰に隠れて脅かすタイミングを見計らっていたようだ。こういうところは嫌に子供っぽい。世間の評価と真逆の部分の一つだ。
「他の女って…別に私は―――」
「いいわけご無用! そうね~何ならもう一つぐらいバツを受けてもらおうかしら」
先輩はそんなことを爽やかな顔で言い切った。今日もいつものわがままっぷりは健在だ。大人の男性を相手に臆せず立ち向かっていけるような人。それが宮代アイカ先輩だ。どうにも普通じゃない。気が強くて、わがままで、自分のやりたいことに正直で……それが私の先輩に対する印象と評価。世間のそれとはだいぶ違っているとそう思う。
「それで控室に呼び出した要件はなんです? もう脅されてもカラオケ店には行きませんよ?」
「言ったでしょ。バツを受けてもらうって」
「はぁ…?」
どうにもピンとこない。生返事をしつつ次の言葉を待つけれど、先輩はおもむろに携帯を取り出した。
「さて、お魚デートは嫌いかしら?」
画面に映っていたのはとある施設のホームページだった。トップページに掲載された特徴ある建物。見覚えのある外観だ。ここは確か、夏休みに訪れた、あの…それをどうして宮代先輩が……
「二人で遊びに行きましょ? それが侑に課せられたバツよ。次の日曜日は劇の練習もないし、私も完全なオフの予定だし、どうかな? 侑が良ければだけど」
てっきり「付いてきなさい」と強要されると思ったから、ちょっと意外だった。この水族館を選んだのは先輩の気まぐれだろうか。
「でもいいんですか? 有名人なのにこんなに人の多い場所に行って? お客さんに見つかったら遊ぶどころじゃなくなっちゃいますよ」
「大丈夫、みんな意外と気付かないものよ。純粋に展示を楽しみたい、友達と仲良くしたい、ただ時間を潰したい。人にはそれぞれの目的があるから。そこから外れたものに興味なんて示さない。そうでしょ?」
「それは…」
だったら、先輩の目的は何だと言うのだろう。そうまでして、なぜ私に構うのだろう。単なるバツと言うけれど、それはただの口実に過ぎない。それくらいは私にだってわかる。やはり、この人の心は見通せない。
「本当に遊びに行くだけなんですね?」
「他に何があるって言うの? 強いて言うなら“侑と仲良くしたい”からに決まってるじゃない」
「そう、ですか…」
まただ。言葉ではそう言っているけれど、笑う仕草の裏には別な色が見え隠れする。それともこれは私の考え過ぎ? 先輩のこの感じは、かつての七海先輩に似ている気がする。やらなければいけないことに縛られ、疲れた感じのあの表情。時折見せるこの表情に私は何も言えなってしまう。
「…わかりました。次の日曜日ですね。楽しみにしてます」
「全然楽しそうな顔には見えないんですけど? でもありがと。せっかくの休みなんだから楽しまないとね♪ そうだ、お昼ごはんくらいは奢ってあげるわよ?」
「先輩の意地だか、有名人の意地だから知りませんが、調子に乗らないでください。割り勘で結構です」
「ふふ…君って、やっぱり頑固者だね」
先輩は小さく笑った。その笑いが本物なのか、やっぱり判断がつかなかった。