小糸侑ともう一つの舞台劇   作:HirakeGoma

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09  誰かがそこに

「うわぁ すごく綺麗。ほら見て侑。ガラスで創られた飾りブローチだってさ」

「いろんな色があるんですね。先輩は宝石とか好きです?」

「宝石を嫌いな人なんていないよ。まぁ、特別好きってわけでもないけどね。でもどうしてだろう、こういう透き通ったものを眺めていると気が付いたら惹き込まれてるっていうか、見ていて飽きないっていうか、不思議な感覚になるの」

「なんとなくわかります。洗濯機の中で回ってる洋服を見るとき、私もそんな気持ちになりますから」

「もう、またそういうこと言って…」

 

 呆れた表情を浮かべているが、それでも先輩は楽しそうに笑っていた。あれから少し遅めのお昼ごはんを食べ、その後は二人で街中へ移動。周囲のお店をぶらぶらと回った。カラオケにも誘われたけれど、それだけは断った。特に理由なんてない。なんとなく歌う気分になれなかったからだ。

 

 それでも正直なことを言うと、先輩と過ごす時間は楽しかった。次のお店に入るとき、自分の服を選ぶとき、喫茶店で甘いデザートを食べるとき、先輩はいちいち私の反応を気にする。例えこっちが嫌な顔をしても「なにその顔は? ほらっ 侑も!」と、強引に腕を引っ張るくせに。自分勝手なのか、気遣える人なのか、その矛盾に笑ってしまう。

 

「さてと、もうこんな時間かぁ。一日なんてあっという間ね」

「電車の時間調べなきゃですね」

「そこは心配いらないわ。さっき椚に迎えに来てもらうように連絡しといたから」

「いつの間に」

「ふふ その辺抜かりはないわ♪」

 

 青色半透明のスマホケースを片手に先輩はドヤ顔を見せた。気が付けば、時刻はもう夕方。私たちはマネージャーの椚さんが指定したという通りの一角で二人並んで待つことにする。お昼から続く穏やかな時間。そんなひとときの延長線上だけだって、あたりの時間はゆっくりと流れていた。

 

 けれど、時間が経つに連れて、宮代先輩は周囲を必要以上に気にするようになった。最初は迎えの車を探しているのだろうと思った。でもその瞳がキョロキョロと動き回る様子に、私は居ても立っても居られず、思わず言葉を挟んでしまう。

 

「…先輩? どうかしました?」

「あっ、ううん、なんでもないよ。椚遅いなーと思って……」

 

 明らかに動揺する様子。さっきまでとは別人にすら思えるその態度に私はじっと黙り込む。先輩はこちらが気にしているのを知ってか知らずか、それともただ沈黙に耐えられなかっただけか、意を決するように言葉を選びながらこんなことを話し始めた。

 

「侑ってさ、人から好意をぶつけられたとき、最初はどう思った?」

「…また、その話ですか…?」

 

 「冷たい」と表現するには言い過ぎる。けれど、その話を切り出したときの先輩の表情はあまりに無機質で感情が読み取れない。心の底が隠されている。そう表現した方が適切かもしれない。ただただ明らかなのは、彼女の雰囲気ががらりと変わった、その一点だけだ。

 

「…急にどうしたんです?」

「正直、迷惑じゃなかった?」

 

 ひと通り買い物を済ませ、後は帰宅するのみ。いつの間にか空も暗くなって、地平線の一部が赤く染まっている。私たちを照らす光が太陽から人工灯に移り変わる中、先輩の瞳はどこか遠くを見つめていた。

 

「…迷惑っていうか、何で私なんだろうって、思ったことならあります」

「…そう…ごめんね、変な質問しちゃって…好きになってくれる人との関係ってやっぱり難しいよね。適度な距離を、大人の関係をキープする。言葉にするのは簡単だけど、気持ちを押さえるのってやっぱり難しいんだよ。きっと…」

 

 誰のことを言っている? それが素直な疑問だった。私と七海先輩のことを言っているようにも思えて、やっぱり少し違う気がする。それだけに反応が難しい。何かの例え話にも聞こえるし、どう返していいかもわからない。ただ、そのセリフの直後、宮代先輩があまりに投げやりに微笑むものだから、胸の奥が締め付けられた。いったいそのくたびれた笑いは何なんですか、そう問い正したいくらいに。

 

「…宮代先輩は…これからどこかに行くんですか―――?」

「…どうして?」

「なんとなく、そう思っただけです……」

「…そう……」

 

 私はどこにも行かないよ、と先輩はそう言った。

 

「役者の仕事をするようになって応援してくれる人が増えたの。それはとても嬉しいことだけど、時々考えちゃうんだ。この人はなんで私のことを応援してくれるんだろうって…まったく、めんどくさい女よね。自分でもそう思う……」

「…こんなこと聞いていいのかわからないですけど、宮代先輩はどうして役者になろうと思ったんですか」

「…さぁどうしてかな?…最初から演技が好きだったわけじゃないと思う。きっと自分を変えたかったんだよ。自分じゃない誰かを演じて、自分に開いた穴を補って」

 

 「急にごめんね」と先輩はもう一度繰り返した。その後に続く言葉は「ありがとう」。でもその後に「君には関係ないのに話を聞いてくれて」が添えられる。

 

 秋の風が身体を包んだ。私には関係ない。その言葉のせいで寒さが何だか身に染みる。

 

「さあ! 折角の休日なんだしもっと楽しい話をしましょう。そうだ! なんだったらこの後夕ご飯も一緒にどう? こうなったら私がいつも行くとっておきのお店に連れてってあげる―――!」

 

 先輩はそう言って顔を上げた。いつもの表情、いつもの雰囲気。だけどそのとき、彼女の視線が泳いだのを私は見逃さなかった。何かを捉えたようにわずかに揺れ動く瞳。ほんの一瞬の出来事だったけれど、確かにその瞳の先には何かがいた。

 

 私は視線だけ動かして、彼女が一瞥していた方向を注視する。通りには大小様々なお店が並び、通行客が行ったり来たり。街灯が照らす街並みは至って普通だ。

 

 ただひとつ、ひとつだけ気になる場所を上げるのなら、通りから一つ横道に逸れた年代物の雑居ビル。その脇にひっそりと存在する謎の空間。その一個所だけが異様な存在感を放ち、妙に引き込まれるものがあった。近くに街灯はなく、光はその空間には届かない。陽が落ちた今となっては奥に何があるのか、ここからではまったく確認できなかった。

 

「それにしても椚遅いわね。ここに迎えに来てくれるはずなんだけど。あっ もしかしてあれかしら?」

 

 直後、私たちの目の前に黒のセダンが現れた。見た感じレンタカーのようだ。これが先輩の言っていた迎えの車だろう。そう思っていると車は近くの路肩にゆっくりと停車。先輩は勢いよくそれに近づくと、後部座席を開け放って中へととび乗った。

 

「侑もほらっ、家まで送るから!」

 

 先輩は隣の席をポンポンと叩く。それと同時に前の窓が開いてその奥から一人の女性が顔を出した。

 

「こんにちは。あなたが小糸さんね。宮代の担当マネージャーの椚です。宮代がいつもお世話になっています」

「あっ、いえ、私の方が面倒を見てもらっているというか」

「二人ともそういう話は後で! さあ、早く乗って!」

 

 後ろの席でこちらを急かす宮代先輩。そんな彼女を視界の端に、私は後部座席のドアをそっと閉めた。

 

「ごめんなさい。この後予定があるので私はここで失礼します」

「えっ 侑?」

「今日は誘ってもらってありがとうございました。すごく楽しかったです」

 

 キョトンとする先輩をよそに、車を出せるよう数歩程度後ろに下がる。それからマネージャーの椚さんに、いつでも発進できます、という意味を込めて軽く会釈した。

 

「ほんとに送っていかなくていいの?」

「はい。私は用事を済ませてから電車で帰ります」

「…そっか。今日は付き合ってくれてありがとう。私もすごく楽しかった。また明日から一緒に頑張ろうね」

「はい。劇の練習頑張りましょう。と言っても私は裏方ですけど」

「何なら侑も出ちゃえばいいんだよ。私が実行委員の人に頼み込んでおこうか?」

「それだけは遠慮させてもらいまーす」

 

 先輩との挨拶が終わると、車はようやく動き出した。路肩から本線に切り替えたかと思えば、瞬く間にその速度を上げていく。その場に残った私はというと、もちろんこの後の用事をすませようと…なんていうわけもなく、その足は宮代先輩が気にしていた?例の空間に向いていた。

 

 

「…さて、と―――」

 

 太陽が完全に沈む中、街中に一人立っていた。目の前には光の届かない謎の空間。といっても、階段が広がっていて、どうやら地下に続いているようだ。すぐ隣の5階建てビルはもぬけの殻状態。照明が点灯している階はなく、人の気配も一切しない。

 

 私がこの場に立っているのは確かめてみたいことがあったからだ。それは、先輩の挙動の変化―――その理由。さっきまで私と話し込んでいたはずが、あの人は途中で明らかに態度を変えた。すぐにこの場から離れたいような雰囲気で、その視線は私じゃないどこか別な場所を見つめていた。その視線の先にあった場所、それがたぶんここだ。

 

 表通りから一本わき道に逸れた細い通りの中にあって、周囲に人の姿はまったくない。ずっと傍目で気にしていたけれど、このビルへの人の出入りもなかったと思う。怖さはない、と言えば嘘になるけど、この胸のモヤモヤを晴らしたい。その気持ちの方が強かった。

 

 真っ暗な空間の前に立つと、季節に似合わない生暖かい風が吹き抜けた。一歩足を踏み込むと、そこは通りの街灯が届かない暗闇の世界。それこそ異空間にでも迷い込んだ感覚に陥ってしまう。上下左右の壁が圧迫感を演出し、今にも息が詰まる思いだった。

 

 私は携帯の光を頼りにゆっくりと中へと踏み込んだ。階段を下がるに連れて視界に映るのは変色したコンクリートの壁。そしてその途中に放棄された家電や段ボールの山。誰も通らない場所なのか、半分物置き状態になっている。

 

「うわぁ、変な臭い」

 

 錆びた金属の独特な臭い。それがあたりに充満していた。さっきまで風が吹いていたのに、ある程度中に入ると湿った嫌な感覚に襲われる。だけどそれもあと少しの辛抱だ。もう少しでどこかに突き当たるはず。永遠に続く階段なんて存在しない。そう念じながら階段を降りるスピードを上げていく。表通りの喧騒は奥に進むに連れて耳に届かなくなった。手探り状態で降りる一本道。その一番奥にはあったもの。それは、一つの部屋だった。

 

 位置的にはビルの下、つまりはビルの地下階ということになる。部屋の両開き扉はなぜか片側だけが開いていて、人一人分が行き来できる状態になっていた。この扉をくぐった先にはいったい……そう思って部屋の中へ、さらに奥へと足を踏み入れる。でもその瞬間―――

 

―――え?

 

 携帯画面の光が消えた。途端に目の前は真っ暗。おかしい。充電は十分だったはず。誤って変な操作でもしただろうか。携帯を左手に持ち替え、右の指で画面をタップする。光がないのがこんなに怖いと感じたことなんてない。今更ながらちょっとした好奇心を抱いてしまった自分を恨んだ。小さな光でいい。視界を確保できる灯りを。そう心から願って、慌てて携帯を操作する。

 

「ひゃあ―――ッ!」

 

 とそのとき、異様な轟音が身体を包み込んだ。咄嗟の出来事に変な声が漏れてしまう。同時に一筋の風が身体の横を通り抜け、私の髪や頬をなでていった。驚きのあまり閉じていた瞼をゆっくりと上げていく。でもやっぱりそこは暗闇の中。急いでフラッシュアイコンを起動させ、もう一度白色光を点灯。そうして部屋の奥に光を当てた。

 

―――…これって……

 

 暗闇の中には所狭しと空調機や圧縮機、配管に水系タンクといったいろいろな設備が並んでいた。どうみても機械室といった感じだ。きっと上のビルのものだろう。そのうちの一つ、空調機だけが異音を響かせながら今まさに作動している。ビルに人が帰ってきたということだろうか。でもホッとしたのも束の間、私は得体の知れない肌寒さを感じていた。

 

 室内で聞こえるのは空調機の動作音ただ一つ。通りから地下へと続く階段に、部屋の扉、ビルの下に広がる機械室。ここに来るには私が通ってきた道を進んでくるしかない。部屋の中に他の扉は見当たらない。ここまでの間、誰かとすれ違ったこともなければ、もちろん、私が今立っている部屋に人の姿はない。その場所には私以外、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホテルに帰り、ぼんやりとテレビ画面を眺めていた。別におもしろくて見ているわけじゃない。四角い画面が点灯し、部屋の中に音が聞こえる。それが生活の背景色になっているだけだ。

 

「はぁ…」

 

 大きな溜息と共に手元に視線を落とした。青い色をしたスマホケース。ベッドの上に放り出されたそれを手繰り寄せ、カレンダーアプリを起動させる。小さな画面には1から続く見慣れた数字。早いもので今年ももう少しで年の瀬だ。

 

 でも、私の照準はあくまで年初に合わせている。迫るのは有名舞台の一時選考。それが私にとって来年最大の、いや、下手をしたら人生最大の山場になるかもしれない。演技者の道を続けていけるかどうかの分岐点。それなのに……

 

「…私、何してるんだろう―――」

 

 言葉にするだけでひどく憂鬱な気分になった。私が欲しいのは演技の先にあるはずのもの。なのに、今はその演技者を続けられるかどうかでこんなにも苦悩している。これを憂鬱と言わないのなら、何と表現したらいいのだろう。

 

「この街に来て、良かったのかな…」

 

 ちょっとした気分転換になればいいと思っていた。そのためにこんな片田舎の仕事を引き受けた。でも、悩みはますます深まるばかりだ。今まで通りの自分でいい。何度も何度も自分自身に言い聞かせる。

 

 

 テレビから笑い声が漏れた。同時に部屋の中の電話が鳴った。特に驚くこともなく、受話器を取った。聞こえてくるのはフロントスタッフの声。相手は女性だった。

 

「―――ええ、はい。わかりました。教えてくれてありがとうございます。いえ、大丈夫ですよ。はい、それじゃ、おやすみなさい」

 

 30秒ほどの短い会話を続け、受話器を置いた。女性スタッフが言うには、今しがた私宛に電話があったらしかった。でも相手は名前を名乗ることもせず、すぐに電話は切れたという。イタズラ電話。このホテルに滞在してから数えて3回目。

 

―――警察に相談した方がいいのでは?

 

 女性スタッフはそう言った。その優しさに感謝しながらも、その申し出は丁寧に断った。事をこれ以上大きくしたくない。もう少し様子を見てから判断したい。スタッフにはそれで納得してもらった。

 

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、水を数口含むとベッドに身体を投げ出した。さっきから頭が重い。体は丸まり自然と瞼は落ちていく。

 

 今日はとても、とても楽しかった。魚を眺めながら目を輝かせる女の子。手を引かれて少し戸惑う姿に、思ってもいなかった言葉に傷つき、怒りを露わにするその姿に目が離せなかった。全ての行動が一生懸命で、飽きることのない感情を抱いてしまう。仕事を忘れて休日をこんなに楽しめたのは久しぶりだ。一つ、私自身がその雰囲気に水を差してしまったけれど…叶うことならもう少し、あと少しだけ……

 

 またテレビから笑い声が漏れた。バラエティーなんて付けておくんじゃなかった。私はリモコンを取り上げ、電源をオフにする。すると部屋の中は不気味なほどの静けさに包まれた。ベッドの上でもう一度目を閉じる。脳裏に浮かぶのはやっぱりあの子の小さな笑顔。さっきまで会っていたはずなのに、私はあの子にもう一度会いたかった。

 

 

「…もう嫌……助けてぇ…侑――――――」

 

 

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