私には、妹弟子が居る。
かつて黒騎士様の元で共に鍛錬を積んだ同輩。
クリーム色の艶やかな髪に、空色の澄んだ瞳の美しい少女。名を、スノーと言う。
あの戦争が終わって、黒騎士様が旅に出て以降疎遠になっていた彼女だったが……何を思ったか、この度私も所属するライン連邦軍に入隊してきたらしい。
彼女をよく知る身としては、一抹の不安を覚えざるを得ないのだが……。
申し遅れた、私の名はロラン。
ライン連邦軍に所属し、恐れ多くも連邦トップクラスの実力者とも呼ばれている。
§
どうやら彼女が配属されたのは、『紺碧少女』と言う女性兵士のみで構成された特殊部隊らしい。
その舞台に配属されているメンバーは、アイドルや民間人のハッカー……正直に言って、お飾りの部隊としか思えない。
彼女にとっては不満かもしれないが、私はむしろ安堵した。
……兵士になるには、彼女は優しすぎる。
そんなことを悶々と考えながら日々の任務をこなしていた私の耳に、『紺碧少女』が帝国の秘密に行われた侵攻を瀬戸際で食い止め、一部隊で撃退したというニュースが届いた。
どうやらこれについては私の不見識でしかなかったらしい。
専門のハッカーが情報を拾い上げ、参謀のスノーが作戦を立案し、アイドルたちが撹乱しつつ、レイラ隊長率いる実働部隊が一撃離脱を繰り返して敵を排除する。
その戦いが起こっていた時、私は別の任務に従事していたのだが、この全てをスノーが立案したというのなら脱帽するほかない。
胸を撫で下ろしつつ、基地の自室へ向かっていた私だったが、安堵で周囲への警戒が甘くなっていたらしい。
曲がり角から歩いてきた人影に気が付かず、正面からぶつかってしまったのだ。
相手は小柄な少女だったようで、相手の方だけが弾き飛ばされる結果になってしまい焦ったが、怪我はないようでほっとする。
「す、すいません! 私の不注意で……!」
「い、いえ……こちらこそ申し訳ない、少し注意が……?」
ふと気付いた。どこか聞き覚えのある澄んだ声。
思い当たるものがあって少女の顔に目を向ければ、クリーム色の美しい髪が私の視界を席巻した。
こちらを見上げる瞳は、優しげな、しかしその奥底に強い意志を秘めた空色。
不思議そうに私を見つめる少女に、信じられないような思いで私は口を開いた。
「…………スノー、ですか?」
「えっ? どうして私の名前を……いえ、あなたは……もしかして、ロランですか?」
「あ、え、えぇ、そうです。久しぶり、ですね……スノー」
「はい! 黒騎士様が居なくなられて以来ですね!」
ぱっと表情を華やがせるスノーに、思わず胸が高鳴る。
……あの頃から見目麗しい少女だとは思っていましたが、まさかここまで美しく成長するとは……。
おっと、早く返答しなければ。
「もう数年ぶりになりますか……そういえば、スノー。聞きましたよ、活躍しているそうですね」
「あの迎撃作戦についてですか? 耳が早いですね」
どこか気恥ずかしそうにはにかむスノー。
「ですが、あの成果は決して私だけの力によるものではありません。レイラやポーラ、ハイジやガスナにグレッタ……部隊のみんなの力がなければ、決して成しえませんでした。みんなの存在があってこその『紺碧少女』です!」
そう語るスノーに、私は酷くばつの悪い気分になる。
「申し訳ない、スノー。私はあなた方の部隊について聞いた時、不躾にも『お飾りの部隊』などと思ってしまった。あなた方の実力を知りもせず、ただ先入観のみで判断したのです。……本当に、申し訳ない」
「ロラン……いえ、いいのです」
真摯に頭を下げた私に、スノーは悲しむような素振りを見せることはなく……その空色の瞳には、燃えるような決意の炎が灯っていた。
「あなたのように思う人が他にも居るというのは、私も知っています。そしてそれは、とても残念なことだと思いますし……悔しさもあります。──ですが、だからと言って、私が止まることはありません」
「……!」
「言いたい人には好きに言わせておけばいいのです。私たちのことを馬鹿にする人が居るならば、彼らが何も言えなくなるような戦果を上げればいいのですから。彼らが認めざるを得ないほどの結果を!」
鋼のような力強さを宿すその言葉に、私は圧倒された。
彼女の言葉には、決意と同時に暖かい優しさも宿っていて……。
「……いい、仲間なのですね。あなたの部隊は」
「はい……みんな、みんな私にとって、かけがえのない大切な仲間です」
くすぐったそうに微笑むスノーの姿は、とても可憐で。
私は暫し、彼女の笑顔に見惚れてしまい──
「あっ、ロラン! 私と一つ、手合わせをしていただけませんか?」
「……えぇ、いいですよ。妹弟子の今の実力を見定めて差し上げましょう」
「ふふっ……負けるつもりなんてありませんよ、兄弟子!」
そう言って朗らかに笑ったスノーは、私の手を取って走り出した。
§
妹弟子との手合わせを終えた私は、シャワーを浴びて体の汚れを落とした後、自室のベッドに寝転がっていた。
天井に翳すようにして見つめるのは、己の右手。
幾千幾万と剣を振るい、多くの命を奪い……そして、彼女に握られた手。
どうにもおかしい、と私は自分の状態を訝しむ。
一言で言えば、落ち着かない。いつものように精神統一をして静めようとしても、上手く心が纏まらない。
……彼女の笑顔が脳裏を過って、その度に集中が乱される。
けれどその動揺は、私にとって決して不快なものではなくて──
「……未熟、だな」
自身の問題を他人の、それも妹弟子のせいにしようなどと未熟の極み。
こんな様では、我が師に笑われてしまうだろう。
予想以上に強くなっていた妹弟子にも追い抜かれてしまう。
精進せねば。
§
それから一ヶ月。今日もまた、偶然出会ったスノーと手合わせする。
基地の修練場で互いの剣を打ち合わせる。
鋼と鋼がぶつかる澄んだ音が響き渡り、火花が散る。
体格を生かして剛剣で以て圧倒せんとする私に対し、スノーはその小柄な体格故の身軽さを武器に果敢に攻め込んでくる。
こちらが打ち込んだ剣を最小限の動きで回避し、研ぎ澄まされた一閃を急所へと打ち込んでくる。
頸動脈めがけて突き込まれた一撃を首を傾げて回避しながら、これまでで何度かも分からない戦慄に背を震わせた。
──本当に、この少女の才能は凄まじい。
今の一撃だけを見ても、初めて手合わせをした時と比べれば雲泥の差だ。
手合わせをすればするほど、剣を打ち合わせれば打ち合わせるほど、彼女は成長する。
実践経験の差から、今はまだ兄弟子としての面目を保てているが……。
「はぁっ!」
そして、何より……何より。
彼女の剣を振るう姿は、
振るわれる剣の軌跡、飛び散る汗の滴、怜悧な視線、清冽な闘気──その一つ一つが、私の心を強く揺さぶる。
目の前でクルリとターンしたスノーのクリーム色の髪が、翼のように大きく広がった。
宛ら、優雅に空を舞う天使が如く。
彼女のそんな姿は、私をどうしようもなく魅了して──
「隙あり、ですッ!」
「っ……いや、隙はない!」
胴に迫る横薙ぎの一撃に、辛うじて強引に引き戻した己の長剣を挟み込んで防御する。
……今のは、本気で危なかった。一瞬、敗北を覚悟する程に。
完全に自分の油断による隙とは言え、まだまだ負けるわけにはいかない。
彼女に、みっともない姿を見せたくはなかった。
§
それから更に一ヶ月後。
その日の私は、酷く機嫌が悪かった。
スノーは、最近は毎日のように私のところに来るようになっていた。
彼女が来ること自体はいい。私としても楽しい時間であることに違いはないのだ。
だが今回は別だ。今日私のところにやって来た彼女は、それはもう酷い有り様だった。
体の至るところに傷を負い、腕や足には痛々しいほどに真っ白な包帯が巻かれていた。
満身創痍と言うべき有り様なのに、その負傷を押してまで私のところへやって来たのだ。
少し失敗しました、と気まずげに笑うスノーを、私は無理矢理帰させた。
……彼女の笑顔は私の心を華やかにしてくれるが、あのような痛々しい笑みは見ていられなかった。
──怒りが抑えきれない。
私が居れば。私がその場に居れば、彼女が傷つくことはなかっただろうに。私が居れば、彼女を守れただろうに。
分かっている。『紺碧少女』のメンバーから話を聞いて、もはや負傷が避けられない状況だったと言うのは理解している。
そして、彼女たちに与えられた任務に無関係な私が関与していいはずがないと言うのも、嫌と言うほどにわかっている。
それでも、腹立たしいものは腹立たしいのだ。
現実を見るだけではどうしようもないのだ。
何も出来なかった自分への怒り。彼女を傷つけた者への怒り。
どこかで予感していたはずなのだ。
──彼女は兵士に向いていない。
スノーは元々戦災孤児だった。野垂れ死ぬ寸前に黒騎士に拾われ、私と共に修行を積み、そして今に至る。
黒騎士に救われ、『希望』を与えられた彼女は、全ての絶望に沈む人々に──彼女にとっての黒騎士のように──『希望』を与えたいと願っているのだ。
故に、彼女は見捨てられない。消え行く命を。終わりゆく生を。例えそれが、どんな悪人のものだったとしても。
……スノーは、優しすぎるのだ。兵士としては、致命的な程に。
やるせない気分で昼食を掻き込む私の対面に腰かける者が一人。
桃色の髪を後ろで三つ編みにした、アメジストの瞳を持つ中性的な美貌の少年。
私の同僚で、『理性が蒸発している』とまで言われる凄腕の戦士、アストルフォである。
ドカッ、と椅子に腰を下ろしたアストルフォは、彼の持ち味でもある底抜けに明るい笑顔で、
「おーいどうしたんだよ、ロランー。そんなめっちゃくちゃきびしー表情しちゃってさー」
「……そんな表情をしていたのか、私は?」
「うん。もうこーんな顔!」
眦を指で引っ張り無理矢理引き上げるアストルフォの愉快な仕草に、思わず笑ってしまう。
そんな私に、アストルフォは心底嬉しそうにする。
「よしよし! やっぱり笑顔が一番だ! ……それで、一体全体どうしたっていうのさ。君がそこまで感情を乱すなんて珍しい」
「あぁ……」
少し迷ったが、目の前の彼の顔に浮かぶのは、純粋にこちらを気遣う色のみ。
『理性が蒸発している』と言われる彼だが、それはつまりいつでも自分に正直ということ。故に、彼の言葉に虚飾などひとつもない。
だから、私は話した。
スノーという少女と再会してから私たちの間であったこと、私の心情の変化など、全てを包み隠さず。
黙って全てを聞き終えた彼は──何故かにんまりと笑った。
「どうしたんです、そんなに笑って」
「いやいや、これが笑わずにいられるかって! いゃーほんとに驚いた……まさか君が、よりにもよって君がこんな悩みを持つなんて!」
「……バカにされているのか、私は……」
「違うって! むしろ嬉しいんだよボクは!」
満面の笑みで人差し指を私に向けて、
「だってさ、それって要するに────…………」
彼が口にした、たった二文字の言葉は。
不思議なぐらい、私の心にストンと落ちた。
§
未だ傷も癒えぬスノーは、新たな任務に従事していた。
近頃の活躍から成果を期待された『紺碧少女』は、連日多くの任務に駆り出され、今日もまた――……
「……スノー、大丈夫?」
「えぇ、大丈夫です、レイラ。心配してくださってありがとうございます」
「うぅん……ぶっちゃけあなたの姿を見て、そうは思えないんだけどねぇ」
痛々しい負傷の跡が残るスノーを見て、ツインテールにした水色の紙にワイン色の瞳の美少女、『紺碧少女』のリーダーであるレイラは苦笑する。
しかし引く様子のないスノーに、呆れたように肩を竦めた。
「ま、あたしから強要することは出来ないけどさ……無理だけはしないでよ? もしスノーが死んだりしたら、あたし泣くからね? とんでもなく泣くからね?」
「……分かりました」
最後に念押しをして、レイラは自身の機体へと歩き去った。
その後ろ姿を見送って、スノーは儚げに笑って瞑目した。
「ごめんなさい、レイラ……その言葉は、聞けそうにありません」
今回の任務は、国境付近に巣食う10機以上のBMを擁する盗賊の討伐。
この盗賊団が脅威となっているのは、BMによる戦力も然ることながら、特筆すべきはその統率である。
優秀な指揮官がトップに立っているようで、巧みな連携によってこれまでの軍からの追跡を躱し続けているのだ。
そんな厄介な集団を一網打尽にするためには……
「まず、頭を潰すこと……」
ひっそりと呟き、スノーは一人行動を開始した。
§
数時間後、決然と剣を握るスノーの足元に、一人の痩せぎすの男が蹲っていた。
盗賊団の長をしていたその男は、倒れ伏す手下たちに舌打ちすると、警備が手薄になっていた本拠地に単身で乗り込み制圧してみせた少女を忌々しげに睨み付ける。
「チッ……まさか、こんなガキにやられるとはな……」
露骨な侮蔑にも耳を貸さず、スノーは端的に告げた。
ここに辿り着くまで数回の敵との遭遇があったが、いずれの場合もスノーは誰一人殺していなかった。
それは偏に彼らへの憐れみのためだった。
生まれついての悪などいない、スノーは常々そう考えている。
彼ら盗賊たちも、盗賊に身を落とさなければならない境遇だっただけ、好きで盗賊でいる訳ではない……スノーは本気でそう思っていた。
故に、
「投降してください。あなた方とて、無為に命を落としたくはないでしょう」
「へっ、甘ちゃんだなァ……単騎で乗り込むなんて大胆な真似をしやがるくせに、よォッ!」
「……っ!?」
そんな風に考えていたから、突然飛びかかってきた男に対し反応が遅れたーー躊躇ってしまったのだ。
ほんの一瞬動きが固まり、再び動き出そうとしてーーカシュッ、と。
小さな音がして、スノーの手から剣が零れ落ちた。
そればかりか、全身に力が入らず、満足に動くことすら出来ない。
何とか首だけで振り返って背後に目を向ければ、何らかの薬品を打ち出す小さな器具を持った別の男の姿があった。
伏兵か、と思う間もなく……無防備なスノーの腹部へ、容赦のない拳が突き刺さる。
かはっ、と肺の中の空気を吐き出してくずおれるスノー。
「ったく、この女……好き勝手やりやがって」
「どうします、お頭。殺しますか?」
「まぁ待て。よく見りゃ相当の上玉だ。少し楽しんでからでも、遅くはなかろうさ」
血に這いつくばって彼らの会話を聞くスノーの心に、絶望がチラつき始める。
状況は最悪の一言。体は動かせず、剣は手放され、すぐ近くに二人の屈強な男。
もはやどうしようもない。
こちらに向かって伸ばされる手を為す術もなく見つめるスノーの唇から、小さな声が漏れる。
「…………ロ、ラ……ン」
瞬間ーー風が吹いた。
ぞっとするような切れ味を備えた、黒い突風。
「ぐ、ぎゃぁぁぁぁ!?」
響き渡る悲鳴。飛び散る血潮……転がる右腕。
瞠目するスノーの視線を遮るようにして、黒い外套が翻る。
そこにはいつの間にか、一人の青年が立っていた。
両刃の長剣を携えた、黒髪の青年である。
彼ーーロランは、背後に庇ったスノーの姿を一瞥すると、ギリッと唇を噛み締めた。
そして、
「……貴様らに送る言葉などない。ただ、死ね」
全ては一瞬だった。
強靭な膂力で振るわれた長剣が、男たちの首を一度に撥ね飛ばすまで。
ゴロンゴロン、と二つの首が転がり……場に、奇妙な静寂が広がる。
沈黙に先に耐えられなくなったのは、スノーの方だった。
「あの……ロ、ラン……」
「ーーやはり、あなたは甘すぎる」
そう言って、ロランは倒れ伏すスノーを抱き起こした。
厳しい口調ながらも、彼女に触れる手はガラス細工に触れるような繊細さがあった。
「その甘さは、兵士にとっては致命的です。いつか、こんなことが起きる……私は以前からそう予感していました。そして今回、懸念が現実になってしまった」
「……ッ」
ロランの有無を言わさぬ声に肩を竦めるスノーだったが、
「けれど」
「……?」
「一人の人間として……ロランと言う男として。私は、あなたのその甘さを、好ましく思う。その思いやりを、貴いと思う。その優しさを……愛しいと思う」
「え……」
「だから、スノー」
言葉を切ったロランは、抱き起こしたスノーの手をそっと包み込んで、
「私に、守らせて欲しい。その得難き輝きを。このロランと言う男に、スノーという女性を」
「それ、は……」
「ーー私は、あなたを愛しています」
「ーー……!」
どこまでも真っ直ぐなその言葉。
スノーの頬が、ポッと色付いた。
「い、いつから、そんな……」
「自覚したのはつい数日前のことですが……この感情を抱いたのは、あなたに再会したあの日のことです」
「そ、そんな前からですか……!?」
「はい。……恥ずかしながら、友人に指摘されるまで気付きませんでした」
気恥しそうに微笑むロランは、スノーを腕に抱いたまま勢いを込めて立ち上がった。
自然、横抱き……所謂、お姫様抱っこの形になる。
「きゃっ」
「返事は今でなくとも構いません。あれは、言わば決意表明のようなものですから」
それだけ伝えて歩きだそうとするロランだったが、ふと胸が引っ張られる感触に視線を下に落とす。
彼の腕に抱かれたスノーは、どこか拗ねたように頬を膨らませて、
「……思ったより鈍感なんですね、ロランは」
「はい?」
「どうして私が、あんなにもあなたのところに通い詰めていたと思っているんですか」
「え……手合わせのため、では?」
「それは口実ですっ! 本当は、その……さ、察してくださいっ!」
恥ずかしげに視線を逸らすスノーに……ロランは何故か、腹の底から笑いが込み上げてきた。
「な、何で笑うんですか!」
「いえ……お互い不器用だな、としみじみ思いまして」
漸く笑いをおさめたロランは、スノーを抱く腕の力を強める。するとスノーもまた、ロランの腕にそっと手を添えてくれた。
二人は笑い合い、歩き出した。
そして、騎士は雪花と共に。
多分続かない!