妄想メンヘラ女はバニーガール先輩の夢を見ない 作:強炭酸カボチャ
1話 やせいの バニーガールの どつく こうげき
その日、私、
ゴールデンウィークの最終日の出来事だ。
意味が分からないと思うけれど、私だって分かっていない。当たり前のような日常に、それは突然現れた。RPGの最初の冒険で、スライムが飛び出してくるように。
私はこの春からこの街、鎌倉へ引っ越してきた。一人暮らしだ。
鎌倉と言えば観光地として有名で、修学旅行の定番だろう。残念ながら私の中学校では修学旅行は京都と決まっており、そうはならなかったため、引っ越してくるまで足を踏み入れたことはなかった。
住み始めて数ヶ月。
私が住んでいる地域は学校からの近さを考え、観光地からやや離れているものの、海が近く、部活の練習が砂浜で行われたり、サーファーなんかがサーフボードを持って半裸で歩いてたり、コンビニの駐車場が駐車料金を取ったりと、今まで住んでいた地域では中々見られない光景が広がっていて、面白い街だ。
私はそんな街が気に入っている。
が、まさか面白い街とはいえ野生のバニーガールが出現するとは知らなかった。
半裸のサーファーがノーマルだとするならば、バニーガールはシークレットレアくらいのレアリティでこの街に現れるというのだろうか。
残念ながらここは、バニーガールがゴロゴロ転がっている(想像)ラスベガスではない。
そんなことはありえなかった。
しかし、後に分かるのだが野生のバニーガールが出現したのは必然だったのである。
現れるべくして現れ、悪い悪いハンターに捕まってしまった。
今から語るのはそんな物語。
野生のバニーガールが、妄想癖があって、ちょっぴりメンヘラな女に見事に捕獲されてしまう――そんな話。
◆
私は図書館が苦手だ。本を読む、読書という行為は好きなのだが、この空間が苦手なのだ。
私は本を好きで読んでいる。なのに、この空間にいると、どうもそれを強制されているような気になってきて、気持ちよく本が読めないからだ。
だから私は専ら本は借りて家で読む派だ。
どうせ暇なのだから態々借りていかずにここで読んでいった方が効率が良いのだが、私は常にそうしている。
小田急江ノ島線、相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄の三線が交差する湘南台駅付近の街並み。郊外らしく背の高い建物があまりない落ち着いた雰囲気のベッドタウン。私が住んでいる地域とはやや趣が違うが、都会感はこちらの方が強いかもしれない。
私は、その一角にある図書館に来ていた。
定期的に訪れるわけではないが、暇になるとふらっと向かうそんな場所だ。家から徒歩だと30分くらいかかるのだが、海が広がる景色を眺めながら散歩気分で丁度良く行ける範囲だ。
この図書館は、この辺では一番大きいだけに、利用者の数は多い。駐輪場の駐車スペースにパンパンに自転車が詰まっていたくらいだ。みんなゴールデンウィークだと言うのに、他に行くところがないのだろうか。自分のことを棚にあげてそんなことを考えながら、周りを見渡す。
入ってすぐのところにある雑誌新聞が置かれたコーナーには、よく見かけるおじさんが、ひいきの球団が昨日は負けたのか、難しい顔でスポーツ新聞を睨んでいたり、よく見かける学校で『病院送り』なんて噂されている先輩が現代小説コーナーにいたり、概ねいつも通りの光景だ。
奥に並んだ勉強用の机の大半が埋まっており、高校生や大学生、ノートパソコンを広げた社会人の姿が真面目な顔してお行儀良く座っている。
マナーが良いのは素晴らしい限りなのだが、この凝り固まったような雰囲気も、私がこの場所を好きになれない理由の一つかもしれない。
私は特に目的もなく歩き出す。本を借りることが目的であるのだが、目当ての本はない、という意味だ。しばらく読んでいたシリーズ物も読み終え、次に何を読むか決まっていなかった。
適当な本棚の、あいうえお順に整頓された本の背表紙を順に目で追っていく。
この時間は好きだ。次々に流れてくるタイトルの情報から、本の内容を想像する。興味を引かれるものは中々ないが、それもまた楽しい。
しばらくそうして本棚を周り、私の手には数冊の本があった。大変満足である。
私はその本を貸し出しカウンターに持っていくべく、本棚に囲まれたスペースを抜け出した。
正面だ。正面の本棚で本を選んでいる人がいた。
いや、本を選んでいるバニーガールがいた。
輪郭も存在もはっきりしているが私の妄想、幻です、と言われた方が自然だ。
すらりと伸びた両足を包んでいるのは、肌の色が透けて見える黒のストッキング。
同じく黒のレオタードは、細身ながらメリハリのある体のラインを際立たせていて、胸元には控えめながらしっかりと谷間を作っていた。
足元には艶のある黒のハイヒール。
手首にはアクセントとなっている白のカフス。
ヒールの分を差し引いた身長は約165センチ。
首にはやっぱり黒の蝶ネクタイ。
凜とした顔立ちには、どこか退屈そうな表情が浮かんでいて、大人っぽい気だるさと色気を漂わせている。
これが私の妄想で幻だというのなら私は私を称賛しよう。この堅苦しく真面目な図書館という空間で、バニーガールが本を選んでいる、というシチュエーションは芸術的エロさだ。シコいし萌える。
黒のストッキングとか分かってるじゃないか。いいよ、私の性癖にジャストフィットだよ。最高だよ。
ありえない状況を前にして、私がそんな童貞男子中学生みたいな感想を浮かべながら、ドン引き間違いなしの性癖を晒していると、私はいよいよおかしなことが起きていることに気がついた。
実際のところ何かの撮影なんだろうな、と思っていた。周囲を見回しても、カメラマンやTVスタッフらしき大人たちの姿はなかったが、どこかに隠しカメラでも仕掛けているんじゃないかと。
そうして、図書館の利用者たちの反応を撮影してるんじゃないかなと。テレビっ子な私は思っていたわけなのだが。
これだけ派手で目立つ格好をしているのに、誰も彼女を見ていない。
無反応だ。すぐ近くのスーツの男性も、主婦らしき女性も、そこにバニーガールなんてラスベガスにしか生息していなそうな、稀有な存在などいないかのように、何の反応も示さない。
男ならガン見するだろう。
あの魅力的な足や、控えめながら可能性を感じさせる胸の谷間、メリハリのあるくっきりした蠱惑的な腰。
夜のお供間違いなしな光景を前に、無反応で過ごせるわけがないのだ。
普通刺激的なウサギさんが側にいれば、難しい顔で六法全書と格闘している学生さんだって顔を上げる。
新聞を読んでいるおじさんだって、新聞を読むふりをして、ちらりと盗み見る。
ちなみに、私はなりふり構わずガン見する。
「……これ、帰りは病院かな」
どうやら私の妄想癖はいよいよ幻にまで昇華されてしまったらしい。部活の先輩が『妄想女』と私を表していたが、それを否定することはもう出来そうもない。
近くにいた司書さんが「なんだこいつ?」という不審者を見るような視線を投げかけてくる。そりゃ立ち止まったまま、目をかっ開いている女子高生なんて、不審以外の何物でもないですよね。
「やっぱ私にしか見えてない」
誰もバニーガールを気にしていない。気にも留めてないどころの騒ぎではなくて、気づいてすらいない様子だった。
私より不審なバニーガールをスルーして、今も私にジトーッと視線を向けている司書さんが良い証拠だ。
あんな歩く卑猥うさぎ、司書さんだって、「そのお召し物では……」とか、「ニーソでお願いします」とか「踏んでください!」とか、丁寧に注意をしてしかるべき状況のはずだ。
私は近くの精神科のある病院をリストアップし始める。
それと同時に、バニーガールは一冊の本に手を伸ばすと、奥の勉強コーナーに足を向けた。
が、すんなりと勉強コーナーには向かわない。
途中、彼女は勉強中の女子大生の顔を覗き込みべーっと悪戯っぽく舌を出す。可愛すぎだ。ちゅーしたい。
タブレットPCを操作している社会人らしき男には、見えていないことを確認するように、顔と画面の間に手を出して、上下に動かす。
二人とも無反応だとわかると、彼女は満足げな笑みを浮かべた。可愛すぎだ。舐めたい。
そうして可愛すぎる奇行を繰り返して、やっと一番奥の空いていた席に座った。
真正面の席で調べ物をしている男子大学生は彼女に気づかない。
彼女が少しずり下がったレオタードの胸元を、くいっと持ち上げる仕草をしても、まったく反応していなかったのだから間違いない。その大学生はしばらくして、調べ物が片付いたのか、何事もなかったかのように、その場から立ち去っていく。去り際に、ちらりと彼女の胸元を見下ろしたりはしなかった。
あの仕草を認識できないとは、勿体ない。私はしっかり堪能させてもらった。小ぶりながら確かに存在する谷間のなんと尊いことか。本を持っていなかったら拝んでいたところだ。
私はその空いた空席に座ることにした。
そろそろ司書さんの目が不審者を見る目ではなく、危険人物を見る目に変わりはじめていたこともあるし、何より、あのバニーガールをより近くで堪能したかった。
目の前に座り、バニーガールをじっと見据える。舐め回すように見る。
バニーガールという圧倒的パワーコスチュームによって隠されていたが、そもそも彼女は美人だ。スタイルも抜群。
剝き出しの両肩から流れる二の腕のやわらかそうな曲線。首から胸元の白い素肌。呼吸のたびにゆっくりと動くそれらはバニー衣装の黒とのコントラストが鮮烈で、扇情的で、筆舌に尽くし難い程に感動的だった。
どれだけ時間が過ぎたのか分からないが、彼女を見据えていた私と、手にした本から視線を上げた彼女との目がぱっちり合った。
目を逸らす。
彼女は「気のせいか」とばかりに首をやや傾げて、再び本へ視線を落とした。
また、凝視。
綺麗な黒髪を耳にかける仕草とか、読書中の女性のずるい仕草だ。そんなの萌えるに決まってる。
私の視線に気がついたのか、彼女がまた顔を上げる。
目を逸らす。
彼女は「気のせいか」とばかりに首をやや傾げて、再び本へ視線を落と――したふりをして、まだ私を見ていた。
目が合った。
お互いに瞬きを二回、三回。
沈黙を破ったのは彼女だった。
「貴女、私が見えてる?」
「はい、えっちな格好ですね」
ど突かれた。