妄想メンヘラ女はバニーガール先輩の夢を見ない 作:強炭酸カボチャ
誤字あったらごめんなさい。
浜辺を歩いていたことで潮風をたっぷり浴びている。
多少のベタつきと、潮の臭いはシャワーで流してしまいたい。麻衣さんは一直線に自分の部屋のシャワーへ向かい、私も自分の部屋でシャワーを浴びたのだけど、女子力の圧倒的差により、出るのは私の方が早い。
そんなことは分かりきっていたため、シャワーを浴びている麻衣さんを待つ間、私はカレー作りを進めてしまおうと思ったのだけど、麻衣さんが私も一緒にやる、と頑なだったのでその案は却下された。
カレーの材料は買ってくるまでもなく家に揃っている。我が家は食材だけは豊富に取り揃えており、切らさない。カレーに使う材料ならば、スパイスから各種取り揃えているのだ。
下準備だけでもやってしまおうかとも思ったけれど、料理とは別にやっておかなくてはならないことがあるのに気がついた。
つまりは、思春期症候群の検証である。
「桜島麻衣先輩のことなんて私より紅葉の方が詳しそうだけど?」
私は覚束ない手付きでなんとか家電を操作して、過去の履歴から部長の電話番号を選択して電話をかけていた。部長にした質問は一つ。桜島麻衣を知っているか?だ。
「それもそうなんですけど、新しい発見があるかと思って」
面倒そうに部長は、桜島麻衣について知っていることを淡々と並べていく。それは女優としての桜島麻衣の経歴と、高校の先輩である桜島麻衣の様子、そんな感じで峰ケ原高校の生徒なら大半が知っているようなことだったけれど、それはつまり、部長は桜島麻衣という存在の何一つも忘れていないということに他ならない。
「そういえば紅葉、今日も部活サボって――」
「ではではまた部活動で会いましょう!」
話が不穏な方へと向きかけていたので、一方的にバイバイ感を出しつつ電話を切った。まあ、次に部活行くときには土下座から入れば良いだろう。えぐいくらい綺麗な土下座を披露すれば、あの部長もどん引いて許してくれるはず。たぶん、きっと。
「峰ケ原高校の生徒はまだ忘れていない、と考えられそうですね」
以前、麻衣さんの思春期症候群の考察として、この世に存在する全てのものは、誰かが観測して初めて存在が確定する観測理論を挙げ、シュレディンガーの猫という思考実験で考えてみたのだけれど、それよりずっと厄介なことになっているのかもしれない。
この数日間、私と麻衣さんは四六時中一緒にいて、つまり、私は麻衣さんを観測し続けているわけだけども、たぶん、個人の観測時間=麻衣さんを覚えていられる時間ではなく、また、誰かが麻衣さんを観測し続けてもこの事態は止まらない。麻衣さんの存在を確定させられない。
麻衣さんの観測時間が最も長いのはほぼ間違いなく、マネージャーも務めていた麻衣さんの母親だ。なのに、その母親は麻衣さんを認識できなくなっていて。
逆に殆んど麻衣さんを観測していない部長は麻衣さんを完璧に認識していた。
そう。私と部長を含め、峰ケ原高校の生徒は麻衣さんを認識できているのだ。母親すらも認識できなくなっているというのに。
素直に考えるのならば、この麻衣さんの思春期症候群は、学校が中心にあるのではないだろうか。
私や部長が未だに麻衣さんを認識できているのは、学校こそが箱であり、私達が観測者だからなのではないだろうか。
観測者である生徒達が麻衣さんに無関心で、空気のように扱っていたのが、観測結果として世界中に蔓延している。
荒唐無稽な、酷くファンタジックな考え方かもしれないが、状況からしてこれが最もしっくりくる。
これは酷く厄介な状況だ。
例えば、何かしらの実験の授業があったとして、私が数値を測定して皆に報告しても、それを皆は信じずに数値を記入しなかったのなら、私以外の皆にとっては、その欄はいつまでも白紙だ。
これが今の状況なのだ。
私がいくら麻衣さんを観測して存在を証明しても、私以外の大多数がその結果を無視するのならば、それは証明したことにはならない。そして、やがては私もその大多数に呑み込まれてしまうのだろう。
対抗手段は一つ。
峰ケ原高校の生徒達に、桜島麻衣という人間がここにいるのだと観測させること。
興味を持たせ、関心を買い、注目を集める。そうすればこの蔓延した桜島麻衣の観測結果を覆し、桜島麻衣の存在を確定させられるはずだ。
随分考え込んでいたのか、麻衣さんのシャワーが終わった様で、部屋のインターフォンが鳴った。
「お待たせ」
部屋はオートロックであるため、私が玄関までドアを開けに行ったのだけど、こう、お風呂上がりのやや赤みのある肌で、湿った艶っぽい髪を軽くまとめた姿は反則なんじゃないかと思う。国民的美少女のお風呂上がりなのだからそりゃ破壊力がとんでもないのは当然なのだけど、何度体験してもこの瞬間のドキドキ感は凄まじいものがある。
「さあ、今日は二人で作るわよ」
張り切った様子の麻衣さんはウサギ柄のピンクのエプロンを着けながら言う。
私も負けじと黄色のエプロンを装着して、手を洗う。帰って来てからずっと難しいことばかり考えていたけど、まずはご飯を食べよう。麻衣さんと一緒に作って一緒に食べればいつもの100倍は美味しいはずだ。
「プロ仕様の調理器具ばかりじゃない」
麻衣さんが包丁を手に取って呟く。確かその包丁は5万円くらいだったはず。私が良く使っているもので、刃の反りがなく、まっすぐになっている典型的な三徳包丁だ。日本の食文化に合わせてこの形になっているから、普通に料理するならこれ一丁あれば、だいたいの調理をこなせる万能包丁である。
見ただけで包丁の高級さに気がつくとは、麻衣さん相当料理をしているみたい。
「お店で一番良いやつを下さいってどや顔でお願いしましたから」
えっへんと胸を張る。この部屋を与えられた時に料理器具やら調理機器はめちゃくちゃ拘ったから!たぶん、この部屋で一番お金かかってるんじゃないかな。正直このキッチン、調理器具抜きでも高級車一台分くらいは軽くかかってるからね!完成した時は嬉し過ぎてキッチンで寝たから!まあ、起きた花楓が何事かと驚きながらもベッドに入って、日記帳でめちゃくちゃ怒られたからそれ以来やってないけど。
「食器も高級ブランドばかりよね」
「祝いの品で大量に送られてくるんですよ」
お中元・お歳暮なんかが毎年えげつないくらい実家に送られているのは知っていたけど、まさか私のところにまで送られてくるとは思ってもいなかった。お中元・お歳暮は季節的にまだまだなのだけど、引っ越し祝いとか、高校進学祝いとかで、引くくらいの量が届いた。幸いなことに一人暮らしには広すぎる部屋のため、使っていない部屋があったからそこに封印してある。食器とか使えそうなものは出して使っているし、食べ物はニコニコ(気持ちは)で食べているけど、インテリアとか絵とか訳の分からないものは売るのも面倒で全部放置してるのが現状だ。大分落ち着いてきたものの、今でもたまに送られてくるのだから地味に困っている。
私が一人暮らしを始めたということで気を利かせて食器とかを送ってくれる人ばかりなら良いんだけどね。とりあえず高いもの送っとけっていうのは本当に迷惑。シカの頭とかもらってもどうしようもないよ!女子高生の一人暮らしにシカの頭は普通関わらないよ!
「どうしてそんなに?」
「私に媚を売ってるつもりなんじゃないですか。自分で言うのも何ですけど、私、結構お嬢様なんで」
丁度、何日か前に届いたものがキッチンの端に放られている。そんなに重くなかったし、箱のサイズからしてブランド物のバッグとかポーチだと思うけど、麻衣さんのこととかあって忙しかったから、開けも片付けもせずに端へ寄せておいたのだ。
「そこにあるのもそうなんで開けてみて下さい。何が入ってるかは分からないですけど」
麻衣さんは至極丁寧に梱包を解いて箱を開ける。箱の中には予想通り、超有名海外ブランドのバッグが入っていた。こういうものは売りやすいから助かる。
「な、ななな何かしら、これは?」
麻衣さんが撮影中だったら間違いなくNGな噛み噛みで聞いてくるから何事かと思ったら、麻衣さんの手元には折り畳み式の写真台紙があった。もっと分かりやすく言うのならお見合い写真である。
どうやらバッグと一緒に入っていた様だ。
「ああ、結構ありますけど、こういうことをしてくるのは小物なんで無視ですね。人の写真を捨てるのって嫌な気持ちになりそうなんで全部仕舞ってありますけど」
「今すぐ全部燃やしましょう」
麻衣さんがにこりと言う。いやいや、どうしたんですかね、急に!サイコ過ぎませんか!?いくら私でも人の写真燃やすのは躊躇しますよ!?
「遠慮することないの。どこの馬の骨とも分からない男の写真なんて持ってるだけで病気になるわよ」
「偏見が凄い!?」
私の感覚がおかしいのだろうか。
私はまだ結婚出来ない歳だけど、それこそ私が五歳とか六歳の頃からこういう写真は送られてきていて。まあ実家で選別しているから、それが私の目に触れることは無かったのだけど、こうして一人暮らしを始めた途端、チャンスとばかりにそれらがドシドシ届くようになったのだ。つい最近まで箱入りも箱入りのお嬢様(迫真)だった私などチョロいと思っているようだけど、だからこそ、こんな贈り物も、お見合い写真も、意味がないというのに。
欲しいものはなんでも手に入って、結婚相手は親が決める、そういう感性を持ったお嬢様を射止めようと思ったら、経済力や容姿を見せつけ関心を買うよりも、心情に訴えるような衝動こそが必中の矢になるのだ。うん、別に私のことじゃないけどね、一般論としてね、本当に私のことじゃないんだけどね。別にたった一言で初恋したりしてないけどね。
「政略結婚目当ての人も多いですけど、やっぱり全体的にはこれを機に私と仲良くしたい、少しでも心証を良くしたいっていう人達ですから害はないんですけどね」
このお見合い写真、中には五十代、六十代の人の写真があったりして、ドン引きする時がある。害はないと言ったものの、その歳で女子高校生と結婚しようという発想が気持ち悪過ぎて精神衛生上はよろしくない。世間体が悪過ぎるから、どんなに好条件でも、貪欲な私の実家でさえ突っぱねるだろう。
「害に決まっているでしょ。大体歳いくつなのよ、こんな汚い顔で良くもまあ写真を送ってきたものだわ。犯罪者よ、犯罪者」
「麻衣さん、口悪過ぎませんか!?」
写真を睨み付けた麻衣さんから、国民的美少女が口にしてはいけなさそうな罵詈雑言が飛び出す。
私が指摘すると、麻衣さんも言い過ぎたと思い直したのか、咳払いをして一言。
「まあ、死刑ね」
「罪が重過ぎる!」
別に思い直した訳じゃなかった!ただ判決が言い渡されただけだったよ!私の頭の中で、デフォルメされた裁判長っぽい服を着た麻衣さんが、駄々を捏ねるように死刑を連呼している絵が浮かんだ。可愛いのだけれど、言っていることは理不尽極まりない。
「このゴミは後で燃やすとして、料理を始めましょうか」
「あ、燃やすのは確定なんですね」
「よくよく考えてみると、燃やすのは手間だからシュレッダーにかけましょう」
「何となくそっちの方が酷い気がする!」
確かに、市のルール的に、勝手に燃やしたりするのはダメだろうし、物を燃やすのは手間だけども、お見合い写真をシュレッダーって、無慈悲過ぎるから気が引けるのだけど、麻衣さんの目は本気だし、もう料理始めちゃってるし。すまない、私に写真送ってきた人達!
私は適当に心の中で謝罪して、そのことをすっぱり頭から消し飛ばす。まあ、正直どうでもいいと言えばどうでもいいからね。
そんなことより今は料理だ。まさかこのキッチンを誰かと使うときが来るなんて……と、ささやかな感動を噛み締める。今日はカレーということで、麻衣さんが野菜を切っている間にスパイスを調合していく。そうして調合したものをフライパンで炒めれば、キッチンはすっかりカレーの匂いで満たされた。
「ねぇ、あんまり辛くない奴って言ったわよね」
カイエンペッパーという唐辛子の実を乾燥させたカレーの基本的な辛味となる香辛料の匂いを感じたのだろう。麻衣さんがジトッとした目を向けてくるが安心して欲しい。
私がグッとサムズアップすると、麻衣さんは安心したのか、再び調理に戻った。ふぅ、かなりカイエンペッパーを入れすぎたけど、バレなかったらしい。他のスパイスでどうにか誤魔化せないか調整中なので紅葉さんの腕に期待してほしい。どんどん辛くなっていってる気がするけど、きっと気のせいだ。
私は、炒めた特製スパイスを、麻衣さんに大量にみじん切りにしてもらった玉ねぎ・オリーブオイルと共に加えてさらに炒める。玉ねぎの甘さで辛さは緩和されるし、スパイス独特の癖をマイルドにして、私が今回目指す、本格的ながらどこか日本的なカレー、に近づくのではないだろうか。
「紅葉、レシピも見ないで良くそんなスパイスから作れるわね。計量もしてなさそうだし」
「慣れと勘、ですかね」
「つまり適当ってことじゃない」
感心したような表情から一転、一気に不安そうな顔をする麻衣さんに、私は自信満々で言う。
「前回美味しかったでしょ?私の腕を信じてください」
「それは、確かにそうね」
麻衣さんが、今日カレーを指定するくらいには美味しかったカレーも、勿論私が一から作ったものだ。あのカレーもレシピなんて見ていないし、楽しみが無くなっちゃうから味見もしていない。まあ、元々人に出す予定じゃなかったし、そもそも私には人に手料理を振る舞う機会なんてないから味見をあんまりしない。やっぱり、食べて初めて味が分かった方が楽しい気がするのだ。かえちゃんは基本的に私が食べた後に食べるわけだから、実質味見済みの状態で振る舞えるしね。
麻衣さんに振る舞うとはいえ、いや、だからこそ、私は麻衣さんと共に最初の一口の感動を味わいたいのだ。決して、分量と香りからして相当辛そうだから味見しないのではなく、麻衣さんと感動を共有したいという乙女心からである。大丈夫、牛乳とヨーグルトは大量に用意してあるから!
「完成ね」
「はい、最高のカレーになりましたね!」
そんな感じで紆余曲折あったものの、完成したカレーはとても美味しそうだ。
麻衣さんと一緒に料理するのが楽しくて、野菜を多めに切ったので、ゴロゴロ野菜の入った野菜カレーである。女優復帰に向けて準備とやらを始めている麻衣さんは、今日の昼間に食べ過ぎたことをまだ気にしているので、お肉は入っていない。その分、野菜達には工夫を凝らして拘った。
アスパラ、カボチャ、ズッキーニ、ナスを焦げ目がつくくらい焼いて、大きめのレンコンは素揚げにしてサクサクに。彩りを一気に鮮やかにするトマトはカレーが煮上がってから投入したので、トロトロながら食感が残った絶妙さで酸味と甘さがカレーの美味しさを引き立ててくれるはず。
お米だってカレーに合うように、弾力のある歯ごたえに淡白な味の品種を選び、食感を良くするために玄米を混ぜた。さらに一手間加えて、それを油を引かずに、焦げ付かない特性を持つテフロン加工のフライパンで軽く炒めて、香ばしさ際立つパラパラのライスに。
最強のカレーと最善のライスの組み合わせである。
「それじゃあ、冷めない内にいただきましょうか」
「そうですね!食べましょう!」
いただきます、と二人で声を揃えて一口目を食べる。この瞬間が堪らない。このいただきますが嬉しい。誰かと食べる食事が楽しい。それが麻衣さんと一緒に作って、一緒に食べるのだからもうどうしようもなく幸せだ。
そんな幸福感でいっぱいで、でもお腹はペコペコで。
そんな状態で食べた、二人で作った初めての料理。
「ねえ、紅葉。私、あんまり辛くない奴って言ったわよね、大丈夫みたいな反応したわよね!」
一口食べて涙目の麻衣さんが、人差し指で私の額をグリグリした。麻衣さんのコップの水は無くなっていて、それでもまだ辛いのか、口をむずむずしている。正直に言おうと思う。
これは辛いよ!激辛だよ!私って辛いのは女子にしては強いかな?という程度なので普通に涙目だ。今、私も麻衣さんも涙目でカレーを頬張っているのである。カオス過ぎる。
「でも、美味しいでしょ?」
「美味しいけど、辛過ぎなのよ!」
私は辛過ぎるのを涙目になりつつ、ひいひい言いながら食べるのも好きなのだけど、どうやら麻衣さんはそうではないらしい。程良い辛さのものをスマートに優雅に食べたかったようだ。私としては涙目の麻衣さんも一つのスパイスなので、定期的にやっていこうと思うくらいなのだけど。
「紅葉、牛乳!」
「はいはい、持ってきます!」
女子高生二人が涙目になりながら、カレーを食べては牛乳をがぶ飲みし、カレーを食べてはヨーグルトを飲み物のように掻き込む、そんなカオスな夕食は、私のこれまでの人生でも一番楽しい食事になった。
その日の夜。
「か、辛い!?ま、ままま麻衣さん、牛乳を!」
「あ、ごめん花楓ちゃん。全部飲んじゃった」
「えぇええええ!?じゃ、じゃあヨーグル――」
「それも食べちゃった。ドクターペッパーならあるわよ」
「絶妙に今必要としていない飲料水ですね!?」
「仕方ないわね、はい、お水」
「ありがとうございます!でも、最初から出してくれませんか!?」
「それじゃあ面白くないじゃない」
「私で遊ばないで下さいっ!」
悪戯っ子のような笑みを浮かべる麻衣に、花楓が悲痛な叫びを返すが、麻衣は何のその。今日食べた分を少しでも消化しようとストレッチを始める始末だ。
「……紅葉に、麻衣さんがいじめるって言い付けてやる」
「花楓ちゃん、実はお土産を沢山買ってきてあるのよ。そうだ、辛いものを食べた後に丁度良い、甘いプリンを買ってきてあるんだったわ。良く冷えているから美味しいはずよ。今持ってくるわね」
花楓が恨みがましくぼそっと言うと、麻衣は手のひらを返したように、怒濤の勢いで話すと、花楓の大好物であるプリンを取りに冷蔵庫へ向かった。
こうして夜は更けていく。
人々の記憶から、美しい一人の少女の記憶が刻々と抜け落ちていきながら。
パワーバランス
花楓>麻衣>紅葉