妄想メンヘラ女はバニーガール先輩の夢を見ない   作:強炭酸カボチャ

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21話 桜島麻衣の帰還

体育館は全校生徒でごった返していた。生徒の人数に対して体育館が狭いというわけでもないのだけど、生徒達は整列させられ、ギュウギュウに詰まっている。

 

急遽、授業時間を一部カットして行われることになった集会。入学したばかりで学校のことをまだあまり知らない一年生はともかく、ここ数年、緊急集会などは一度たりとも無かったことを知っている二年生・三年生のエリアはざわついていた。

 

全校生徒約千人が揃って数分。司会の先生の進行に従って、校長先生が登壇した。

校長先生が登壇したところでピタリと静かになるわけではないが、騒がしさは無くなった。真面目に話を聞いている者はそんなにいないだろう。話の内容も迫るテストで良い結果を出せるように頑張りましょう、というような内容を薄く引き伸ばした面白くもない話なのだから。

 

「紅葉、そろそろ準備しないと」

 

部長の声で現実逃避していた思考が戻ってくる。八つ当たりで校長先生の話を随分酷評してしまったが、今は少しでも長く続いて欲しいと思う。誰も聞いていなくても、滅茶苦茶詰まらない内容でも、ユーモアのつもりで飛ばしたギャグがダダ滑りしようとも、続けていて欲しいと思う。

 

「たった千人くらいよ、何てことない」

 

「クラスメイトと一対一でも緊張するんですよ?」

 

「でも今日は私がいるのよ?二対千になるわ」

 

「それは強そう」

 

麻衣さんが生徒達を千切っては投げている光景が想像できた。私はそれを、いけー!とかそこだー!とか言いながら応援している。負ける気がしない。実質的に一対千なんじゃとか言ってはダメだ。

これは妄想だけれど、今の状況では強ち間違っているというわけではなくて、今日のメインは『桜島麻衣』であって、私はそれを応援するだけなのだ。

 

麻衣さんと話していると緊張が解れた。麻衣さんは女優だから、私の緊張が解れるように話題を誘導してくれていたのかもしれない。

 

「私だって頼りにしてる」

 

麻衣さんが私の肩に手を置いて、言う。その言葉だけで私が頑張らなきゃって気になってしまうんだから本当に麻衣さんって凄い。あの、桜島麻衣が私を頼りにしてくれてるんだって、自信が漲ってくる。

 

「ほら、出番よ」

 

ステージ上では、意気揚々と終始面白くない話を繰り広げていた校長先生の話が終わったところだった。

麻衣さんが言う通り、そろそろ始めなくてはならない。麻衣さんを世界から取り戻す一世一代の大勝負。

 

私はぐっと力を入れて、その一歩を踏み出した。

 

誰もいないステージ上に突然現れた私に生徒達はにわかにざわつき出した。そりゃそうだ。何の脈略もなく、校長先生が降壇した直後に、ステージの脇からチョロチョロと生徒が出てきたのだから。

約千人の生徒達の視線が、一点に私へ注がれる。最悪の気分。注目されることには慣れているはずなのに、学校という空間はどうも私を弱くする。

 

麻衣さんの方を振り返った。そこに麻衣さんはもういない。

 

私達は三人しかいないのだ。人手が足りないため麻衣さんにも私を見守っている余裕なんてない。頼りにしている、そう麻衣さんは言ったのだ。その信頼に応えたい。その気持ちが少しだけ私を強くした。

 

私は何も言わずにステージ中央でお辞儀をして、ステージの端の端にひっそりと置かれていたピアノの前に座った。

 

黒と白の鍵盤。見慣れた景色。私の逃避の象徴。

 

私は随分多くの習い事をしてきた。その一つがピアノ。結構長く続けていたし、それなりに結果も出した楽器だ。でも、別に誇れるわけじゃない。ただ私は逃げるための道具としてピアノを利用していただけなんだから。

 

これを弾いている間は誰も私に何も言わない。弾いている間は私は私でいられた。だから自分はピアノが好きなのだと思っていたけれど、案外そうでもなかったらしい。一人暮らしになってからは気まぐれに弾くくらいで、没頭したりはしなかったからだ。

 

自分の空っぽ振りに本当に悲しくなるけど、でもこうして役立つ時がくるのならきっとそれも無駄ではなかったのかもしれない。

 

「突然ですが、これより科学部による発表を始めさせて頂きます」

 

部長の声が体育館に響き渡る。部長も本来、こういうのは苦手だろうに、頑張ってくれている。部長の役割は司会進行、この麻衣さんを取り戻すショーの案内人だ。

 

突然始まった科学部の発表に、生徒達は何事かとざわつき、収まらない。部長にはこのざわつきを静めるような話術は無いし、淡々と原稿を読んでいくだろう。それを覚悟していたのだけど、ここで思わぬフォローが入った。顔を青くした校長先生が、部長からマイクを受け取り、生徒達を宥めたのだ。とはいえ校長先生の言葉など生徒達にとっては効果がなかった様で、ざわつきは益々大きくなった。すると慌てた様子の校長先生が、物理のテストでこの発表の感想や考察を書けば点数に加算する、と言ったのである。えぇ!?という我らが科学部顧問にして物理を担当している教師に極めて良く似た声が教師エリアから聞こえたかと思えば、ワァーと歓声が上がった後、パッと静かになって私に集まる視線。静かにはなったけど、逆にやりづらい。

 

こちらをチラチラ見てくる校長を無視して、私は目を瞑って集中する。

 

思い出すのはいつも一人だった部屋。ただ広く、ただ冷たく、ただ無機質。でもそれで良かった。誰からも何も言われない、ピアノを弾いているときは自分の世界に入れた。人形みたいな自分が自由な気がしたから。

自分が切り替わったのが分かった。

 

「えっ?」

 

曲が始まってすぐに、どこからかそんな驚きの声が聞こえた。たぶん、ピアノを良く知っている人なんだろう。私が今弾いている曲は、蒸気機関車が走る様子を曲にしたものなのだが、とにかくテンポが早くて難しい。科学部の部員が突然弾くようなレベルの曲ではないのだ。

 

弾くのは久し振り。鍵盤が重い。まともに調律もされていないのだろう。音はそんなに綺麗じゃない。馴染まない感触に悩まされながらも、不思議と私の調子は頗る良かった。

 

――頼りにしてる

 

そんな麻衣さんの言葉だけで、いつものピアノと全然違う。いや、ピアノだけじゃない。

 

麻衣さんがいるだけで、何もかもが違って見えて、楽しくて。誰かと食べるのがあんなに美味しいなんて知らなくて、誰かが笑ってくれるだけで自分も幸せになれるなんて知らなくて、誰かのためにこんなに頑張れるなんて知らなくて。

 

私は麻衣さんとずっと一緒にいたい。もっと色々なことがやりたい。私にもっと知らないことを教えて欲しいんだ。

 

また、生徒達がざわついたのが分かった。すかさず、部長のナレーションが入る。

 

 

「そうです。突如として何もない空間に階段が現れました」

 

こうして私が弾いている間も、部長がナレーションを続けてくれていた。そして、そのナレーションの通りに、ステージには三段程の階段があるのだろう。楽譜と鍵盤に集中しなくてはならないため、ステージを見れないが、そこでは麻衣さんが、せっせと部長のナレーションに合わせて準備をしているはず。

 

「テンポの速い曲を聞きながらだと作業がいつもより速く、ゆったりした曲を聞きながらだと落ち着いてじっくり作業に取り組めた、なんて経験はないでしょうか。音楽は、こうして人間の心理と密接に繋がっています」

 

部長のナレーションは適当だ。それっぽいことをそれっぽく言っているだけ。肝心なのは、これから何かが起きるのだと生徒達に思わせること。

 

「今の曲には科学的に皆さんの思考を誘導する音が混ざっていました。するとどうでしょう、階段が突然現れたように感じたのではないですか?」

 

部長の平坦で無感情なナレーションがそんなことを言うが、私はただ元々あった楽曲をその通りに弾いただけで何の仕掛けもありはしない。ただ、私の曲と部長のナレーションに合わせて、麻衣さんが(・・・・・)移動させただけだ。

そう、麻衣さんの触れているものは、麻衣さんの一部として麻衣さんの思春期症候群に巻き込まれる。つまり、麻衣さんのことを認識できない生徒には、階段は麻衣さんが離すまで見えていないのだ。

 

突然現れた階段に、生徒達の興味が集まったのが分かった。これからあそこで何かが起きるんだ、と生徒達が身構えている。

 

曲が進むと、それに合わせてステージ上に変化が訪れる。階段の上にレッドカーペットが敷かれ、何かを祝福するように花びらが降ってくる。

麻衣さんが堂々とレッドカーペットを敷いて、手動で花びらを撒いていたのに、誰もそれを認識できない。レッドカーペットが敷かれ、花びらが舞っているという結果だけしか見えていない。

 

不思議な現象に、生徒達の期待は最高潮、曲も最高潮だ。

 

作戦の準備は整った。

 

私が麻衣さんの存在を確定させるために選んだのは、私の桜島麻衣の観測結果を押し付ける方法だ。

校庭の中心で愛を叫ぶ、という部長の悪ふざけのような冗談をヒントにこの作戦を立案した。

 

観測結果を押し付ける、つまり、そこに桜島麻衣という人がいるのだと信じ込ませれば、私の麻衣さんの認識が勝つはずだ。

 

これはそのためのショー。

 

突如として現れた階段と変化していくステージ。全てがナレーションの通りに進行し、非現実を演出する。私のピアノは、その演出のためと、麻衣さんの作業音を消すためのBGMだ。

 

「さあ皆さん、階段にご注目下さい。我らの姫の登場です」

 

心臓がうるさい。大丈夫。大丈夫。

今、生徒達はそこに誰かが現れるのだと、確信に近い想いでステージに注目している。それは観測だ。そこにあるものを見ようとしているのだから。後は教えてあげれば良い。そのステージに立つのが誰なのか、どれだけの人なのか、その、名前を。

 

 

「――桜島麻衣」

 

 

部長のナレーションに照明が落ち、私の曲が終わる。私は全力疾走したような疲れと息切れがあったけども、それを堪えて、息を殺してステージを見る。

真っ暗になったステージに、一筋の光。一本のスポットライトに照らせた麻衣さんが確かにそこにいて。

 

――なのに、変わらず静かな体育館。

 

グラッと視界が揺らぐ。失敗、そんな言葉が頭に過った時――――どこからか声がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――桜島麻衣だ!」

 

それは梓川先輩の声だった。

 

「ああ、そうだ!桜島麻衣だ!」

 

どこからか、また、男子の声。すると、それに反応するように、桜島麻衣だ!という男子の声が色んなところから響いてきて――。

 

「うおっ、桜島麻衣!」

 

「どっから出てきたんだ!?」

 

噴出するように、驚きの声が響く。それは感染するように広がっていき、やがて声援へと変わった。

 

ステージに立つ麻衣さんは驚いたような顔をしていて、両手で強くマイクを握り締めていて。

 

ああ、今すぐ抱き締めたいな。ここから駆け出して麻衣さんに飛び付きたい。そう思っていたら――目の前に麻衣さんがいた。一瞬の出来事で視界が追い付けない。そのままぐいっとステージの袖に押し込まれ、強く抱き締められた。

 

「皆、私が見えてる」

 

涙を堪えていたんだろう。恐怖心も不安も拭いきれぬままステージに立ったはずだ。これで駄目ならどうしよう、そう思わなかったはずがない。それでもステージに立ったとき、そこにいたのは女優の桜島麻衣だった。ステージの上では涙を見せなかった。その弱味を私にだけ見せてくれることが、甘えてくれるのが嬉しい。

 

「そうです、麻衣さんを皆が待ってます」

 

思春期症候群だけじゃない。麻衣さんが活動を休止しても、その知名度が衰えることがないように、桜島麻衣を皆が求めてる。皆が待ってる。

 

麻衣さんが、よしっと顔を少しだけ拭うと、もうそこにいたのは、自信満々で笑う桜島麻衣だった。

 

「紅葉、もう一曲弾きなさいよ。私の知ってる奴ね」

 

マイクの調子を確かめるように、手の中で弄びながら、麻衣さんが軽く言った。その仕草はまるで――

 

「えっ!?麻衣さん歌うんですか!?」

 

麻衣さんは女優だ。歌手ではない。私は女優の桜島麻衣をそんなに詳しくは知らないけれど、アイドル活動のようなことはしていなかったはずだ。

 

「だって、紅葉のピアノ素敵だったから」

 

今までどれだけ有名な人に褒められても、コンクールで賞を取っても、何も思わなかったのになんでこんなに心が弾むんだろう。ピアノを弾きたいって思えるんだろう。不思議だ。不思議だけども、きっとこの気持ちが私の欲しかったものなんだ。

 

「それに心配ない」

 

そうだ。麻衣さんがやるというのだから、出来ないはずがない。私はただ精一杯のピアノを、胸一杯に気持ちを込めて、弾くだけだ。

 

 

だってこの人は――

 

 

「私、桜島麻衣よ」

 

 

この日、大歓声と共に桜島麻衣がこの世界に帰って来た。


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