妄想メンヘラ女はバニーガール先輩の夢を見ない 作:強炭酸カボチャ
時刻は深夜二時半。麻衣は一時間程度しか寝ておらず寝不足感は否めなかったが、仕事をしていて忙しかった時期には、そんなことも少なくなかった。麻衣はインスタントのコーヒーを2つ作ってリビングへと運ぶ。紅葉の部屋のキッチンはアイランドキッチンであるため、麻衣がインスタントコーヒーを作っている間にも、真っ赤な髪となった紅葉、自称『花楓』がソファにちょこんと座って落ち着きなくモジモジしているのが見えていた。
「はい、コーヒー」
「あ、ありがとうございますっ」
テーブルに置いたコーヒーを、両手で持ってふーふーと息を吹き掛けている様子は、紅葉の仕草とは違う気がした。
「で、花楓さんだっけ。説明してもらえる?」
色々と省き過ぎた言葉であったが、ある程度状況を察することができる人間ならば何のことかは理解できるだろう。
「あの、お姉さんは一体……」
麻衣が状況を一切把握していないように、彼女もまた何も分かっていない様だった。
「桜島麻衣よ」
「桜島麻衣さん、ですか……」
桜島麻衣という名前にはピンと来ていない様子だった。桜島麻衣の名前の認知度は二年前なら総理大臣と同じくらいにはあった。今でも思春期症候群と思われる現象さえなければ、余程テレビを見ない人間でもない限りそれくらいの知名度はある。
「紅葉って、友達はいないって」
「そうね、私と紅葉は二回しか会ってないし、友達という定義に当てはまるかどうかは微妙なところね」
麻衣自身、紅葉に心を許している自覚はある。でなければ、一緒に寝たりはしない。麻衣が学校で友人を作らないように、麻衣は心の壁が厚い。なのに不思議と麻衣のパーソナルエリアに入ってきて居座ってしまう。
心の中を見透かされているようで、なのに、不快ではない。会ってからそう長い時間が経っていないのに、深いところまで踏み込んできて、麻衣もまた、紅葉の深いところまで踏み込んだ。
ただそれは麻衣の定義する友情というのとは少し違う。この居心地の良い関係性に付ける名前を、今はまだ決められずにいた。
「あ、もしかしたら日記に書いてあるかも!」
結局、花楓としては麻衣がどういう人物なのか分からずに頭を悩ませている様子を見せていたが、すぐにはっとなにか気がついたようで、立ち上がって本棚に向かった。
そこから取り出したのはパンダのシールがベタベタと貼られたノートで、花楓はそれを膝に抱えるようにして読み始めた。
「えっと、今日の分は――」
無意識なのか意図的なのか、花楓はそのノートに書かれた内容を声に出して読み始めた。
『このノートをかえちゃんが読んでいるということは私はもう……寝たということだ』
麻衣は一瞬にしてこのノートを書いたのが紅葉であることを察した。ふざけた文面から伝わってくる空気感は正しく紅葉のものである。
『もしかしたら乱れた格好の女の人がいたりするかもしれないけど、それは大丈夫。熱い夜を過ごしただけさ☆』
「乱れた格好……?」
花楓が首を傾げる。麻衣はきっちり服を着込んでいたし、別に乱れてはいない。
「紅葉の妄言よ、気にしないで進めて」
「あっ、は、はい!」
やはり無意識で声に出していたのか、聞かれていたことにやや赤面する花楓。こほん、と仕切り直すと先程より力の入った声で音読を続ける。
『その女の人は桜島麻衣さん。私も今日知ったのだけど同じマンションに住んでいて、学校の先輩。お家の前でお腹ペコペコにして座り込んでいたのでお家に連れてきました』
「お腹ペコペコ、ですか?」
「進めてもらえるかしら?」
「は、はいぃ!」
ニコッと笑顔で揉み消す麻衣。花の咲くような笑顔なのに、花楓は何故か圧力を感じてノートを慌てて持ち直した。
『詳細は別の紙にまとめてあるけど、麻衣さんはまず間違いなく思春期症候群。
麻衣は、紅葉がせっせと麻衣の話を紙にまとめているのを思い出した。ああも熱心にまとめていたのはこのためだったのか、と察する。
そのテーブルの上に置いたままだった紙を、花楓は上から下まで読みながら、百面相している。
全くの無表情である紅葉に対して花楓は人並みに表情を変える。麻衣としては、そこに枯木紅葉のまだ麻衣に見せていない何かを感じて、じっと見つめた。
「た、大変じゃないですか!」
読み終えた花楓の放った言葉がそれだった。紅葉の顔で驚いたように慌てているのが少し面白い。
「まだ、続きがあるんじゃない?」
麻衣が諭すように言うと、そうでした!と床に放り投げていたノートを拾い上げ再び膝を折った姿勢でソファに座り、小さくなって読み始める。
『相談もしないで決めてごめん。でも私は麻衣さんに私達のことを知ってもらいたいと思いました。話しても良いと思いました。それに、麻衣さんを一人には出来ません。そうなるときっと夜にはバレてしまうから』
麻衣も何となく気がついていた。紅葉がきっと麻衣のことを案じてなるべく一人にならないようにしていたことを。料理をしているときでも話しかけてきて、紅葉がお風呂に入っている時でさえ、時折大声で声をかけてきた。
麻衣さん、私が見てますから。
そんな、紅葉の声が思い出されて、麻衣の耳が僅かに赤く染まる。
「お姉さん?」
「な、なんでもないわ。ノートはそれで終わりかしら?」
「はい、たぶん本当は
内容からして、紅葉がノートを書いたのは麻衣が、一旦部屋に帰っていたタイミングなのだろう。
麻衣さん、今日泊まっていきませんか?
そう紅葉が提案したとき、もう紅葉は麻衣に話すつもりだったのだ。それから深夜1時まで起きていたというのに、紅葉は切り出すことができなかったと、そういうことらしい。
花楓が呆れたようにへたれ、と称するのも甘んじて受け入れるしかないだろう。
「それじゃあ、話は最初に戻るのだけど貴女の説明をお願いしていいかしら?」
「はい」
花楓はノートを置いて、姿勢を正した。
「私は花楓です。それしか……分かりません」
花楓は両手をぎゅっと握って膝の上に置き、俯いて話し始めた。
「私は紅葉が眠っている間、こうして表に出てこれます。その時、髪が赤くなるんです」
紅葉の黒髪は花楓となってから鮮烈なまでの赤に染まっている。この物理的にあり得ない現象こそ、正に思春期症候群の証拠と言えるだろう。
「二年前くらいです。私は突然、紅葉の体で目覚めました。自分の名前だけしか覚えていなくて、凄く怖かったです」
二重人格。
麻衣は詳しいわけではないが、フィクションの世界では良く取り扱われるため、そういうことがあるのだと知っていた。しかし、その人格が紅葉ではない別の名前で最初から自分を認識しているというのもおかしな話である。
「私の存在に気がついた紅葉は私の存在を――大層喜びました」
紅葉が花楓のことを疎ましく思っていないことは、ノートの文面を見れば分かる。
「紅葉は頭が良いから、色々実験や検証をして、私という存在がどういうものなのか、1つの結論を出しました」
紅葉の頭が良いというのは、麻衣も感じていた。麻衣の身に起きていることも、瞬時に把握し対処法を提案する程だ。非現実すら受け入れて、理論を形成する紅葉の思考は普段の言動からは考えられない程、知性を窺わせるものだった。
「私は紅葉から生み出された人格ではなく、全く他者の人格だということです」
1つの体に2つの人格、という意味では二重人格であるのは間違いないが、紅葉の考える現象は通常、二重人格として扱われるものとは少し趣が違うようだ。
「つまり、私、花楓には本体があって、紅葉に取り憑いている状態なのでは、ということでした」
紅葉がどのようにしてそう結論付けたのかは分からないが、麻衣はその意見に納得させられた。麻衣は二重人格というものが実際にはどういうものなのかも知らないし、そういう人にあったこともなかったが、とにかく、紅葉と花楓が全く別の存在なのだということは、感覚として分かった。
「紅葉、学校に遅刻ばかりするんです」
麻衣は紅葉が学校でどんな生活を送っているのか全く知らなかったが、話の腰を折るまいと、そのまま頷く。
「私のせいなんです。私は紅葉が眠っている間しか出てこられない。こうして私が深夜に起きているから紅葉は朝起きられなくて」
紅葉の意識は眠っていても、花楓が活動していれば、肉体的な睡眠は0だ。実質的に、肉体としての睡眠は花楓が寝た後ということになる。結果、紅葉がそれなりの睡眠時間を取ろうとすると遅刻するしかないのだ。
「私の好きな本も借りてきてくれます、ケーキだって私の分も買ってきてくれて、休みの日には、昼間に私を表に出してくれたりもします」
思い起こせば、麻衣が最初に紅葉とあった場所は図書館であった。
紅葉がその場で本を読まずに態々借りていくのは花楓にも読ませたいからなのだろう。『由比ヶ浜かんな』の本だけがしっかりまとまって並んでいたのも、花楓の好きな本だからだ。あの部分だけ花楓が鼻歌混じりに整理したために、一部分だけが綺麗に並んでいた。
ケーキを一人暮らしなのに6個も買っていたことは麻衣も多少疑問に思っていたことだ。どちらにしろ一人で食べることにはなるが、花楓に食べさせるためだったのだろう。それでも1人3個で、肉体的には6個だ。麻衣には恐ろしくてとても出来ない。何なら今日も食べ過ぎたため、しばらくは体重計には乗らないことを決意したくらいだ。思春期症候群と同じくらい、数字が増えていく体重計も、恐ろしいのである。
「私、消えた方が良いんだと思うんです。私のせいで紅葉はいっぱい大変な思いをしているから」
ああ、紅葉が私に花楓を会わせたかったのはこれが理由なのか、と麻衣は瞬時に理解した。
消えたくないと怯える麻衣と、消えた方が良いのだと思い悩む花楓。相対しているようで、お互いにお互いの気持ちが分かる。
紅葉が、麻衣に求めていることも、なんとなく分かる。
「紅葉はそんなこと思っていないわよ。貴女のこと大切にしてる」
「それは……はい、きっとそうだと思います」
はにかむように笑う花楓。少し照れたようなその仕草は、紅葉を自慢しているようにも見えた。
「焦らなくても、考えなくてはならないときが来るわよ。何事もきっとタイミングがあるの……私もそう」
決めなくてはならない時が来たのだと、麻衣は思う。思春期症候群なんて不可思議な現象に襲われなければ停滞しているだけだった自分が情けないけれど、今ここがターニングポイントなのだと、気付かされた。
『麻衣さんが芸能活動を再開すれば、注目が集まり自ずと認識されるようになると思いますよ』
そう、紅葉は言っていた。認識されないのなら、認識せざるを得ないくらいに目立てば良い、そういう理論なのだろう。麻衣自身、それは気がついていたことだ。だから多少なりとも目立とうとバニーガールの衣装に身を包んでいたりしたのだから。
それでも踏み出さなかったのは、やはり言い訳のしようもなく、麻衣の子供染みた意地――いや、それすらも建前で本当は勇気がなかっただけなのかもしれない。
『頑張ろうって、思えたなら頑張れば良いんです。やりたくないことやったり、我慢したり、そんなの詰まらないと思いません?』
悔しいことに、頑張ろうと思えたのは紅葉のおかげで、その言葉に自分の今までがどれだけ意味のないことだったのかを悟らされた。でも、何となくそういう止まってる時間というのが必要だったんだ、とも思わされる優しい言葉だった。
二年休んだ。私はまた頑張れる。
好きなことを我慢してまで、
何故なら、今、麻衣の胸に沸き上がっている、感情は昨日まではなかったものだから。
ドラマに出たい。映画に出たい。舞台にも出たい。尊敬できる監督や共演者、スタッフ達と良い仕事をして――私も『あー生きてる』と感じたい。
「ねえ、花楓さん。おしゃべりしましょうか」
麻衣は進むことを決めた。やりたいことをやることにした。そのやりたいことは、芸能界復帰、という世を騒がせることになる大それたことだけではなくて。
もう少し、紅葉を知りたい。
そんな、麻衣が今までに感じたことのない感情もあって。
嬉しそうに頷いた花楓と、麻衣のおしゃべりは、日の光が窓から差し込んでくる、そんな早朝と呼べるような時間まで続いた。
◆
「えぇええー!なんで私、麻衣さんに膝枕されてるの!?かえちゃん、どんな魔法を――おぶっ!」
目覚めると、私は麻衣さんのスベスベの太ももに頬を押し付けているという、世の男子の八割くらいは妄想していそうなシチュエーションだった。が、そのあまりに唐突な状況変化に叫び声を上げてしまったことで、ばふっ、と麻衣さんの膝から落とされた頭はそのままソファに沈み、私は謎の言語を発することになってしまった。
「じゃあ、私寝るから」
欠伸しながら立ち上がった麻衣さんがベッドに向かう。ソファでうつ伏せに倒れる私には一瞥もくれない。
「麻衣さん、学校は!?」
「休む」
「えー!じゃあ私も休むー」
そりゃ、もうベッドに入り込んで寝る気満々ですからね!行く気ないだろうね!でも、その考え、嫌いじゃない。むしろ私レベルになると、前日から明日は遅刻しよう、と決める計画遅刻すら使いこなすからね。 悪の紅葉さんは学校休むくらい余裕です。いや、意外にも高校休むの初めてなんだけどね!遅刻はしても登校はしてたから!
「なら丁度良いわ、一眠りしたらちょっと付き合いなさい」
「デートですかっ!?」
かえちゃんには悪いけど、デートとなれば譲れないね!私の妄想力で作り出した理想のシチュエーションを麻衣さんにおねだりしちゃうもんね!
「いえ、ただの尋問よ。ねぇ、花楓ちゃんに全部押し付けたへたれさん?」
かえちゃん、今すぐ代わって。
今話で、花楓関連は謎を残しつつ、小さな伏線も回収し終えました。本格的に花楓関連が動き出すのは少し先になりそうですが、花楓も物語にガッツリ絡んでいきますのでお楽しみに!