移ろう空模様 作:あかざ
「朝早くから申し訳ございません。この辺りで、鱗滝左近次と言う者を見かけませんでしたか?」
「鱗滝だぁ?嬢ちゃん、ワシは結構長くこの地に住んでおるが…その名字は聞いたことがねぇなぁ。あぁでも、この辺では昔から子拐いが多くてなぁ。丁度嬢ちゃん位の年の子供…特に孤児が多いが、天狗に拐われたってェ、よぉく話題に上がるのよ。嬢ちゃん、そのナリじゃあ女剣士だろう?大抵の男ならば良いのかもしれんが、天狗相手は無理じゃぁろうし。ま、行くも行かぬもお前さんの自由じゃから、ワシはなんもせんよ。そぉじゃ、ちょいと嬢ちゃん、ワシの家に上がりンさい。茶と、行き路の飯を用意してやろう。」
これ、こっちゃ来い。
優しそうなお爺さんだ。私は、ご厚意に甘えることにした。ゆったりとした歩調で歩むお爺さんに肩を貸しながら、お爺さんの家へと向かった。
質素だが、しっかりとした家だ。立派な門構えに驚いていると、お爺さんがこれ、と私に呼び掛けた。
「こっちゃ来い。飯はもう炊けるからの、いろりの前で座っときンさい。」
お爺さんは随分手際がいい。焼魚と、大根おろしと、醤油。すべてを手際良く用意してから、お爺さんはご飯をよそい始めた。
「白いご飯だ…。」
私は貧しい家庭で育ったこと、師範の意向で精進料理がほとんどだったことから、白米を食べる機会には恵まれていなかった。もちろん、玄米になにも不満はない。味も悪くはなく、栄養も満点。しかし、つやつやと淡雪のように光るご飯に、思わず喉が鳴った。
「ほれ、食べンさい。嬢ちゃん位の子はたくさん食べて、力をつけんといかんからねぇ。お代わりも沢山あるよ。慌てず、ゆっくり良く噛んでお食べ。」
さて、ワシは味噌汁でも飲むかねぇ。
お爺さんはお味噌汁を飲みながら、白いご飯を無言でかきこむ私を眺めてニコニコしていた。噎せそうになると、お茶を渡してこれ、気を付けンさい。諭してくる。ごめんなさい。と謝ってから私はすぐに、白いご飯を頬張った。
「っ…ご馳走さまでしたぁ…」
「よく、食べたねェ。ほら、お茶だよ。熱いから、気を付けな。」
湯呑みに、淹れたてのお茶。何から何まで至れり尽くせりで、少しだけ申し訳なくなる。
「日の出まで、ワシと少し、話さんかぇ?ご飯のお代は、それで結構じゃよ。」
懐から銭を取り出した私に、お爺さんはそう言った。
「ワシには丁度、お前さんの年くらいの孫がおってなぁ…錆兎、というのじゃが、きりっとした眉の、我の強い子じゃった。宍色の髪の毛に、小さい頃に負ったという傷が、右の頬にあってのぉ。物心ついた頃に、両親が殺されたんじゃ。錆兎は何にも言わなんだが、ワシは寝床で泣いておった錆兎をみて、胸が痛くなったよ。息子夫婦がなぜ早くに死んだのか。親の居なくなってしまった錆兎は心が壊れてしまうんじゃなかろうか、となぁ。三年ほど、そんな日々が続いた。しかし、ぽつりと錆兎は、何処かに行ってしまったんじゃ。」
お爺さんは、孫…錆兎との思い出を一通り話したあと、やけに真剣な表情でこう言った。
「なぁ、嬢ちゃん。お前さんの気が向いたらで構わん。だから、ひとつ、この爺の願いを聞き入れてくれんか。」
「何でしょうか。」
「たまにでもいい。嬢ちゃんの旅が、終わってからでもいい。ワシに、嬢ちゃんが旅で感じたことを教えてくれんか。嬉しかったこと、悲しかったこと、何に怒り、何を悲しみ、何に愛を抱き、何を守ろうとして旅をしたのか。もし、ワシが死んでいたのならば、一度でいい。墓前に、顔を出してくれんか。」
「…」
答えられない。私に、そんな資格はないと思うから。
「日が、上りましたので。」
「…そぉか…達者でなぁ…」
お爺さんは寂しそうに笑う。私は、背を向けて歩きだす。一歩、一歩、また一歩。十歩ほど重い足取りで歩いて、やはり、と後ろを振り返った。
「お爺さん!また、また、来ます!何年経つか、私が生きているかも分からないけれど!いつか、必ず!だから…だから…」
「―――――――――――――――――――!」
声の限りを尽くして叫ぶ。近所迷惑なんて、そんなの今は知ったものか。
「あぁ!約束じゃ!必ず、必ず、ワシはここで待つ!何年経とうと、ワシが死のうと、魂だけでもここで待つ!だから!行ってらっしゃい!」
お爺さんの声は、掠れていた。けれど、確かに聞こえた。
「いってきます!」
短くそう告げ、振り返り、走り出した。目指すは狭霧山。
頬を伝う水がうっすらと凍るような寒さのなかを、私は駆け抜けた。ずっと、ずっと。