灰と焔の御伽噺   作:カヤヒコ

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二話分を圧縮したため今回は長めです。返って時間がかかるわ書いてて混乱するわで碌なことにならなかったので、次回からはもう少し短めを心掛けます。


魔との遭遇

 

 リィンが自室を飛び出してから数分後。エマも外に出てリィンを探していた。

 

「リィンさん、一体どこに……」

「全く面倒臭い……。あんなのが候補者だなんて、≪灰≫(ヴァリマール)ももう少し考えて選びなさいよね」

 

 騒ぎを聞きつけて付いてきたセリーヌが嘆息する。

 

「セリーヌ、リィンさんの行方探れる?」

「ちょっと待ってなさい。ロゼの魔力を辿るから……こっちね」

 

 リィンに施された封印術に用いられた魔力は当然行使者のローゼリアのものだが、彼女の魔力は良くも悪くも桁外れだ。眷属のセリーヌであれば探知はそう難しくない。

 

 先導するセリーヌを追っていくと、昼に彼と出会った広場に辿り着いた。手にしたランタンを翳せば、足跡が広場の更にその先──魔の森まで続いている。名の通り濃い霊力が渦巻く森林で、魔女には馴染み深い場所。しかし同時に霊力に惹かれて人ならざるモノが集まり、魔女の管理が行き届いていない場所は魔獣や悪霊の巣窟と化している危険地帯でもあった。

 

「嘘でしょあの男……里の外に出ないよう言ってたのに!!」

「……でも、この足跡って」

 

 エマが光源を地面に近づけると足跡がより鮮明に照らし出されるが、どうにも妙だった。ここまでは一直線だった足跡は、魔の森へと続く分だけがフラフラと左右に揺れている。それはまるで酔いが回った、或いは夢遊病のような、とにかく正気とは言い難い人間のもので。

 

「……誘われたのかもね」

「森の悪霊にってこと? でもここだって結界の範囲内の筈……!?」

「そうだけど、外側から干渉できない訳じゃない。アンタが言うには、アイツ相当参ってたんでしょう? そこに付け込んで憑りつくなんてのは奴らにとって常套手段よ」

「────!!」

「ちょっとまずいわね。森に入られたら探知も難しいし……仕方ない、アンタはロゼを呼んで──って、ちょっと待ちなさいエマ!!」

 

 セリーヌの静止を振り切り、闇の中へと駆け出していくエマ。用なくして外に出てはならないという祖母の言いつけを破り結界を越える。

 

 魔の森は濃い霊力の影響で、星空のように無数の光源が宙を漂っている。遠くまでは見通せずとも、里の付近であればエマもある程度道に覚えがあった。目の届く範囲を走りながら少年の名前を叫ぶが反応はない。途中で息が続かなくなり膝を折るが、胸中の焦りは増すばかりだ。

 

「落ち着きなさいエマ! さっきからどうしたのよアンタらしくない」

「落ち着ける訳ないわ。もしリィンさんに何かあったら、私顔向け出来ない」

「顔向けって、ロゼに?」

「ううん。リィンさんの──」

 

 言いかけたエマの口が閉じる。空間が震えるほどの強大な圧が、森の中を奔り抜けた。ちょうどエマ達が今いる場所の奥からだ。すぐに圧の元へ駆け付ける一人と一匹。そこには探し求めた少年の後ろ姿があった。その頭上には浮遊する半透明の骸骨──俗に言う亡霊が彼に覆い被さっている。

 

 その正体は獲物と定めた人間の親しい相手、もしくは負い目のある相手の幻を見せて誘惑し、隙を見せた対象に憑りついて精神を貪る魂喰らい(ソウルイーター)の類。何の防護策も持たない一般人が捕食されれば生ける屍となってしまう危険な魔性である。

 

「リィンさん!!」

「待って、何か変よ」

 

 顔を青くしたエマをセリーヌが止める。リィンを囲う亡霊は蹲ったままその身を震わせている。人間という極上の餌を口に出来ることに歓喜している……のではない。注視してみれば亡霊の輪郭が段々と解けていき、粒子となってリィンの身体に吸い込まれている。その意味を理解したセリーヌが、あり得ないと声を震わせた。

 

「アイツが、悪霊を喰ってるの?」

 

 捕食者と被捕食者の逆転。亡霊は苦悶に身を捩らせその場から逃れようとした時には既に頭部以外が消失している。選ぶべき獲物を見誤った愚者は断末魔を上げ、その霊体はリィンの身体に完全に飲み込まれた。

 

 そして、

 

 

「オ……オオオオオオオオォ!!!」

 

 

 

 雄叫びが、夜の静寂(しじま)を破壊する。リィンの身体から噴き出す桁外れの霊力の奔流に、眠りに就いていた魔獣たちも目を覚まして逃亡する。

 

 黒髪は白髪へ。開かれた双眸は真紅に染まり、優しかった眼差しは殺意に濡れていた。身に纏うどす黒い瘴気はリィンのシルエットを覆い隠すほど。その変貌ぶりは、エマに吸血鬼の存在を思い起こさせる。

 

「リィン、さん……?」

 

 呆然とする一人と一匹に向けて、白髪の鬼が飛び掛かった。

 

 

 ロビーの目立たない一角に集合したA班一同は早速依頼の入った封筒を開け、この後の方針を立てることにした。

 

 依頼は三件存在し、手配魔獣の討伐を除けば依頼主はどちらもバリアハートにいる。時間を有効に使うならば二手に分かれて話を聞けばいい、とまでは五人とも意見が一致した。

 

 問題になったのは、もう一方の封筒の中身だ。

 

 

「魔獣の変死体の調査……?」

 

 目を通していたマキアスが怪訝な顔をする。

 

 この一帯を巡回中の兵士からここ一週間で立て続けに寄せられた報告のようだが、その内容がまた常軌を逸していた。対象の魔獣にこれといった共通点はなく、場所も種族もバラバラ。遺体にも損傷はなく、体内に毒物のような物も検出されていない。ただ発見者の報告で唯一合致しているのは、死体となった魔獣は皆壮絶な、苦悶に満ちたような表情を浮かべているように見えた、とのことだった。

 

 ルーファスからの依頼はこの件に関しての新たな情報提供であり、今日を含め二日間バリアハート周辺を歩き回るⅦ組は好都合だったのだろう。ユーシスがいることで領邦軍の面子を潰すこともない。評価基準が不明瞭な為課題には出来ないが、有益な情報があれば相応の報酬は出すと書かれている。内容が内容の為、いたずらに公言することは控えるように、とも書かれていた。

 

「俄かには信じがたい話だな……。これが人為的なものだったとして、目的はなんだ?」

「新種の毒の実験っていう可能性なんかもありそうだけど、それでも痕跡が残らないのはおかしい」

「……」

「どうした委員長」

「……いえ、何でもありません」

 

 ユーシスに対し首を横に振った後、エマは意味ありげにリィンを見る。視線で頷いたリィンは書類を封筒に戻しながら言った。

 

「ユーシスとマキアスはどうしたい?」

「何故僕らに振る?」

「列車でああ言ったからには実習を優先してもらわないと困るけど、これを放置していれば誰かに危険が及ぶかもしれない。その辺を踏まえた上で、この件にどこまで深入りするかは事前に考えておくべきだと思うんだ」

 

 先月の実習についてはエマにざっと聞いたが、両名の不仲が原因で最低限の依頼すら満足にこなせなかったらしい。つまり今回のA班はリィンを除いて、自分たちが本当はどこまでやれるかすら把握できていない状態であると言える。先月の失態を取り戻したいのであれば依頼の全達成はほぼ必須。この依頼に割ける余裕があるかどうか。

 

 

 「……気にはなるが、実習の評価に影響しないというのであれば後回しにすべきだと思う。そもそも領邦軍がさっさと解決出来ていないのが問題じゃないのか」

「ちょっとマキアスさん……」

「構わん。そこの男の言う通りだ」

「なんだ、随分と殊勝じゃないか」

「……事実を言ったまでだ」

 

 憮然とした表情でユーシスが言う。依頼書を見ても情報不足が見て取れることから、領邦軍も手を焼いているのだろう。これが人間まで被害を被るようなことになれば、クロイツェン州の領邦軍の威信の低下は避けられない。

 

 マキアスの言う通りひとまず実習に集中すると結論を出して、一同は街に繰り出す。さり気なく歩調をずらしてエマの隣に並んだリィンは小声で魔女に問いかけた。

 

「何か分かったのか?」

「確証はありませんが、思い当たることがありまして。出来れば今日の夜にでも調査に向かえればいいんですけど」

「……今日の実習次第かな。何となく一筋縄ではいかなそうだ」

 

 

 

 

『この仕事やってるとな、想定外の事なんていくらでも起こるもんだ』

 

 あれはいつだったか、興味本位で遊撃士のことを訊ねた時に彼はこんなことを言っていた。

 

『そりゃ俺達だって仕事の前には段取りくらい組むぜ? でも依頼の詳細は現地で依頼人に話聞かないと分からんし、いざ始めてみれば目論見とズレることなんてザラだ。想定より時間がかかって後の依頼が間に合わなくなった時もあれば、依頼人がめんど……まあトラブルがあったりな』

 

 その短い金髪をガシガシと掻きながら、彼は最後に口を濁していた。単なる愚痴を自分たちに聞かせるべきではないと考えたらしい。

 

『まあ要するに、いかにトラブルを上手く対処できるかってのが遊撃士の腕の見せ所って訳だ。これが高位クラスになると、時にそれすら利用してより良い結果を出したりするんだが』

 

 市民の味方とされる遊撃士だが、その実情は地味で苦労も多いようだ。それでも語る姿は誇らしげだったのを覚えている。遊撃士に限った話ではなくトラブルへの対処というのは人生について回るものだが、職業柄特にその頻度が高いのだろう。

 

 

 つまり特別実習が遊撃士の仕事と似ていると気づいた時点で、こういった事態も想定しておくべきだったのかもしれない。

 

 

 

 ドアを開けると、そこには別世界が広がっていた。

 

 鼻腔を擽る木の香り。丁寧に手入れされているであろう調度品は光沢を放ち、吊るされたランプと壁時計の針音がは、森の中にポツンと佇む一軒家のような雰囲気を作り上げている。ここがバリアハートの外れ、平民の居住区にある安アパートの一角だと誰が思うだろうか。

 

「ようこそアンティークショップ《ルクルト》へ。あ、その辺は学生さんでも手の届く値段だから良ければ見ていって頂戴」

 

 

 ここまで案内してきた女性──このアンティークショップの店主は、後ろを歩くリィン達に向けてそう告げる。

 

 毛先を緩く巻いた黒髪が特徴的な妙齢の女性だった。無地の白シャツとロングスカートというシンプルな格好ながら、その雰囲気はどこか浮世離れしたものを漂わせている。

 

 

 女店主がカウンターの奥に消えてから、ユーシスは店内を見渡して首を捻っていた。

 

「しかしまたこのようなところに店など……客足はあまり期待できそうにないな」

「この店は半分道楽でやっているんです。各地を転々としながら商売してるんですけど、毎回こんな目立たない場所み店構えしてて」

「……知り合いらしいが信用出来る人なのか?」

「まあ雰囲気的に怪しいのは否定出来ないけど、悪い人じゃないのは確かさ。……お、湯呑なんてあるのか。久しぶりに東方のお茶が飲みたいと思ってたところだし、どうにか手持ちで……」

「君は呑気に買い物している場合か!」

「そうですよリィンさん。ただでさえ寮内に色々と揃えたせいで余裕がないんです。たかが湯呑一つでも易々と買って良い訳じゃありません」

「駄目なのはそこなのか!?」

 

 最近になって金庫番もするようになったエマ(アリサと共同)からは許可が下りずリィンは肩を落とす。現在サラが暫定的に管理してる第三学生寮の鍵がエマの手に渡るのも時間の問題と言えよう。

 

 

「お待たせ。それじゃ商談(おはなし)といきましょうか」

 

 そうこうしているうちに戻ってきた女店主は、カウンターの上に宝石用のケースを置く。その中には半透明の琥珀──半貴石、ドリアード・ティアが納められていた。

 

 彼女の名はユキノ。リィンとエマにとっては色々と世話になった恩人の一人でもある。

 

 彼女と出会ったのは一時間前のことだ。必須依頼である半貴石の採取を行うべくターナー宝石店で詳細を聞いていたところ、偶然にも(・・・・)その場に居合わせたブルブランと名乗る男爵家の男がその所在を知っていた。リィン達は話に聞いた場所までクロイツェン街道を歩き、そこで件の石を手にした彼女を見つけた。

 

 付近の木々を軽く調べてみたが半貴石に足るドリアード・ディアは見つからず、一つしかない石を巡り両者は必然的に対立することになる。先に見つけたのはユキノだが、リィン達も必須の依頼を達成する為に易々と譲ることは出来ない。

 

 結局その場では話が纏まらず、落ち着ける場所を求めてユキノの店へと案内されて今に至る。

 

 

「なるほど。少年(・・)達は実習の課題でこれが欲しのね」

「ええ。そしてユキノさんもこの石が必要だと」

「実はこれ、上手く加工すれば薬になるの。貴方たちには実感が湧かないでしょうけど、滋養強壮の効果があったりして結構需要があるのよ」

「他にドリアード・ディアを採取できそうな場所を知っていたりは……」

「さあ? 私も人伝に聞いたから知らないわ」

 

 ひらひらと手を振りながら、ユキノは退屈そうに話す。基本的に欲しいものは手放さない質の女性であることをリィンとエマは知っている。二人と親交が無ければ、出会ったその場で突っぱねていた筈だ。

 

 どうしたものかと悩んでいると、埒が明かないと踏んだユーシスが一歩前に進み出た。

 

「こちらとしても、それが必要な人がいる。おいそれと譲ることは出来んな」

「あら、領主様のご子息らしく力づくで奪い取る気? それとも言い値で買ってくれる?」

「…………」

「そこで黙るのね。ダメよ、そこは脅しをかけて主導権を取りに来るくらいでないと」

「……今の俺は、ただの士官学院生だ。アルバレアは関係ない」

 

 睨むユーシスを興味深そうに見つめ返すユキノ。二人を取り巻く空気が重くなっていくのを察知したリィンが割り込んだ。

 

「その辺にしてくださいユキノさん。大人げないですよ」

「えー少年はそっちを庇うの? 私とは人に言えないようなことをした仲じゃない」

 

 反応したマキアスにフィーが白い目を向けていた。

 

「適当言わないでください。彼の言う通り、今の俺達は士官学院生としてここにいます。緊急時でもない限り、外の力を借りるのはフェアじゃない」

「それは別に構わないけれど。半貴石(これ)はどうするつもり?」

「それについては一つ提案があります。……ユキノさん、今の手持ちに七耀石はありますか? 例えば指輪の宝石に加工出来るような」

 

 リィンの問いにユキノは薄い笑みを浮かべる。それは興味深い事象を目にした記者や学者のような、好奇心に富んだものだった。

 

「……専門の店で手直しする必要はあるでしょうけど、手頃なのがいくつかあるわ。お望みならすぐに用意できるわよ」

「分かりました。ちょっと待っててください」

 

 リィンはエマ達を店の外に連れ出した。

 

「何かアイデアがあるようだが、どうするつもりだ?」

「元々依頼人のベントさんが半貴石を欲しがったのは、宝石付きの結婚指輪に手が届かなかったからだ。なら、こっちで七耀石を用意できれば丸く収められるんじゃないかと思ってさ」

「……宝石の加工費だけなら予算内に収まる可能性はある、か」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ。依頼はあくまで半貴石だ。それをこっちの判断で勝手に変えるなど」

「あちらにとっても悪い話ではないし、話してみる価値くらいはあるだろう。頭の固い副委員長殿はこれだから……」

「なんだと!?」

「……そもそも半貴石を先に見つけたのはあっちだけど、交渉になるの? 向こうは損しかしないよ」

「それは多分大丈夫だと思います」

 

 表向きは商人だが、彼女の性根はどちらかというと研究者に近く世間一般の価値観とは若干ズレているところがある。自身の興味を惹くものがあれば、時に採算を度外視した取引をするときもあった。エマもかつてはユキノから物品を融通してもらう代わりによく頼み事をされており、今回もその類だろう。

 

「マキアスだって、将来政治の道に進むならこういうことだってあるかもしれないじゃないか」

「確かに父さんも要望の調整に苦労していると言っていたな……まあ、何事も経験か。では宝石店には僕が行こう。君たちはユキノさんと話を進めておいてくれ」

「待て、俺も行く。貴様一人を野放しには出来ん」

領主の子息()の相手だと依頼人が委縮してしまうと思っての配慮だったんだが?」

「これは驚いた。道中で貴族相手に噛みつかないようにと考えての申し出なのだがな」

「貴様、僕を犬呼ばわりする気か?」

「何もそこまで自分を貶めなくとも構わんぞ?」

「「…………」」

「エマ、頼めるか?」

「……はあ」

 

 

 一触即発の二人とストッパーの三人が宝石店に向かい、リィンとフィーは再び店内へ。棚の整理をしていたユキノは可笑しそうに笑っていた。

 

「中々個性的な子たちみたいね。帝都知事とアルバレア公の息子同士なんて、面白い組み合わせだし」

「チームメンバーとしてはめんどくさいだけ」

「……貴女に訊くだけ無駄なんでしょうけど、どこまで知ってるんですか?」

「それを知りたいなら情報料を追加で頂かないと」

「吹っ掛けられそうなので遠慮します。それで、七耀石をくれる代わりに俺達は何をすれば良いんですか?」

「話が早くて助かるわ。頼み事は……いつもの範疇になるのかしらね」

 

 ユキノは用意しておいた紙束をリィンに差し出した。受け取ってパラパラと流し読みしている内に、リィンの表情が険しくなっていく。

 

 驚きと納得、そして疑念を込めた視線を向けると、彼女は──在野の魔女は微笑んだ。

 

 

「実はこの辺で魔獣の変死体がよく出るようになったんだけど、君達は知ってる?」

 

 

 

 

 宝石店でベントから了承を得ることができ、リィン側もユキノからの依頼を受けて交渉が成立。手配魔獣の生息地ともう一方の実習課題であるバスソルトの採集ポイント、そしてユキノから指示された調査場所──ルーファスのそれと同一の内容だったことがリィンの警戒度を跳ね上げている──全てがオーロックス街道沿いにあることから、リィン達は昼食を取ってからそちらに足を運んだのだが……

 

「………………」

 

 パーティの後方を歩くマキアスが明らかに不機嫌な様子で口を噤んでいる。下手に刺激しようものなら背後からショットガンで撃たれかねない険吞さだ。

 

「合流してからずっとあんな感じだけど、何があったんだ?」

「それが……」

 

 エマが言うには、宝石店でベントに事情を話していると、横にいたゴルティという伯爵家の男が食って掛かってきたという。何でもドリアード・ディアをミラで買い取る契約をしていたようで、目当ての物が手に入らないと分かって大層ご立腹だったらしい。その場で激しく怒鳴り散らし、「下賤な者共はお使いもまともにこなせんのか」と罵られたそうだ。

 当然マキアスの堪忍袋の緒が保つはずもなく、あわや取っ組み合いになりかけたところをユーシスが割って入る。公爵家相手に罵ったことを知り一転して顔を青くしたゴルティ伯は謝りながらそそくさと立ち去り、自分含めその場に居合わせた人達が一斉にため息を溢したと語った。

 

 因みにマキアスはバスソルトの採集依頼の詳細を聞きに行っており、そこで依頼を出したにも関わらず自分達と話をしようともしない青年貴族二人を目撃している。その時はギリギリのところで抑えてくれたのだが、爆発しなかった分と合わせてストレスが限界に達しようとしていた。

 

「俺が言うのもなんだが、ああいうのは程度はあれどバリアハートでは珍しくはない。特に貴族が集うあの街では、自然と似た価値観を持つ連中で固まりがちだ。ゴルティ伯にとっては、あの物言いも悪いことだとは思っていまい」

「……最悪だね」

「価値観の齟齬……という問題で済まされるのでしょうか」

「そんな訳ないだろう!! あんな風に人を人とも思わないような連中が、必死に生きている民衆の稼ぎを搾取している社会が問題でなくて何なんだ!?」

 

 開いた口の隙間から炎を吐き出すようだった。怒りに火のついたマキアスは、領邦軍の巡回ルートでもある渓谷道なのも気にせず貴族への不満を早口で捲し立てる。側で聞いて控えめに言っても気分が良いものではなかったが、バリアハートで目にした貴族の振る舞いから強く否定も出来なかった。

 

 

「下らん。さっきから聞いていれば随分と勝手な言い分だ」

 

 ただ一人、対照的に冷ややかな怒りを美貌に貼り付けたユーシスだけが真っ向から反論する。

 

「お前が貴族に何の恨みがあるかは知らん。だが、さも貴族が平民の上で何の苦労もせず自由に過ごしているかのような物言いは控えておけ。己の無知を晒すだけだ」

「なんだと!? 結局君もあのゴルティとか言う男の肩を持つ気か!」

「あれを肯定する気はない。だがどんな事情や経緯があれ、貴族を名乗るのであればそれに相応しい教養や立ち振る舞いを身に付けねばならん。自身の一手が領民の人生を左右する……そんな重責を背負いながら、領民を庇護する為にな」

貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)だな」

「そうだ。立場ある者にはそれ相応の義務がある。そこをはき違えている輩もまあいるが……兄上のように、真に貴族の誇りを持ち、平民にも誠実に接することの出来る者たちもいるのだ。貴様の狭窄な視野に映っていないだけでな」

「その誇りとやらは、本当に民衆の為にあるのか!? 先月のA班の実習、シュバルツァー達に何があったか知らないとは言わせないぞ!」

「っ……それは」

「お二人とも、そこまでです」

 

 見かねたエマが割って入る。反撃の機会を逸した形になったマキアスが睨むが、珍しく鋭利な表情をしたエマの前には敵わない。

 

「そろそろ手配魔獣の居所です。ユーシスさんとマキアスさんには、ホテルで話した通り戦術リンクに挑戦してもらう予定ですが……止めておきますか?」

 

 道中の魔獣ならば辛うじて維持する程度のリンクでも何とかなるが、手配魔獣クラスの強敵となればそうもいかない。逆にその状況で戦術リンクを活かした連携ができれば、それは確かな成果として評価の対象になるだろう。

 

 列車での約束を、お互いの目の前で撤回するなどこの二人が言えるはずもなく。

 

「少し、頭を冷やしてくる」

「……」

 

 二人は街道を離れて歩いていく。数分もすれば戻ってくるはずだ。

 

「ふう……」

「ごめんなエマ。二人を煽った手前、俺が積極的に仲裁する訳にもいかなくて」

「それは役割分担ですから構いませんよ。……手配魔獣相手の時はフィーちゃんとリンクしてください。私はあの二人のサポートをします」

「ん。めんどくさいから任せた」

「いやフィーも丸投げは止めような?」

 

 

 

(どんな事情や経緯があれ、か……)

 

 先の言葉を思い出して、リィンはマキアスと真逆の方角に歩いていくユーシスに改めて尊敬の念を抱く。先の言葉にはただの一般論ではない、彼の確かな自負が窺えたからだ。

 

 ずっと縋って、誇りとして、けれど心のどこかで遠ざけようとしているこの家名を、いつか彼のように背負える日が来るのだろうか。

 

 

 やがて二人が戻ってくるまで、リィンは出口の見えない問いに思いを巡らせていた。

 

 

 

「唸れ──螺旋撃!!」

 

 迫る剛爪を掻い潜り、太刀を振るって強引に弾く。こじ開けた隙にリンクしているフィーが即座に呼応し、肉薄。地面スレスレから跳ね上がった双刃が甲殻にハッキリとした傷を刻んだ。

 

「オオオオオオオオオオオオォ!!!」

 

 絶叫を上げるのは、巨大な爪を備えた二足の甲殻型魔獣──手配魔獣のフェイトスピナー。依頼書の通りこのオーロックス街道の付近で遭遇したのだが、先ほどから様子がおかしい。あらぬ方向に突撃したかと思えば、急にこちらの方へ苛烈に攻め立ててくる。所謂狂乱状態で動きが読みづらく、思うように連携が出来ないでいた。

 

 加えて、やはりと言うべきか。

 

「──チ」

「ぐっ、また!」

 

 ユーシスとマキアスを結ぶ光のラインが弾けて消える。戦闘が始まった当初は繋がっていた戦術リンクも、今は途切れてしまっている。今のでリンクを試みたのは三回目だが、回数を重ねる度に維持できる時間は短くなっていた。

 

 リンクブレイク時にどうしても生まれてしまう隙は、エマのアーツが魔獣を足止めすることでフォロー。リィンとフィーが追撃し確かなダメージを与える。

 

「もういい。一人の方がマシだ」

 

 四回目、いよいよ接続すら出来なくなったリンクに見切りをつけ、ユーシスは魔獣の背後に回る。冷気を帯びた騎士剣を振るえば氷の波濤が迫るが、本能的に危険を察知したのかこれまでにない俊敏さをみせたフェイトスピナーはそこから飛び退いた。そしてユーシスの視界に飛び込んできたのは──目を見開き、こちらに銃口を構えた気に入らない男の姿。

 

「待てっ、射線を重ねるな!!」

 

 リィンの静止も間に合わず、氷波と銃弾は真っすぐに突き進み、互いの数リジュ横をかすめた。

 

 挟み撃ちが失敗した──本当にそれだけか? 疑念を拭いきれず、二人は殺意すら宿した視線を交わす。最早リンクがどうとか言っている段階ではない。方針を切り替えたエマは叫ぶ。

 

「フィーちゃん、五秒足止めを!!」

 

 指示を出しながらリンクをリィンと繋ぎ、エマは『ファイアボルト』を駆動させる。標的は、敵ではなくリィン。迫る三つの火球をリィンは焔を宿した太刀で打ち払い──爆発したそれらを螺旋の動きで取り込んだ。ラウラの洸刃乱舞に負けないほどの光と大きさを備えた焔ノ太刀……否、業焔ノ太刀とでも言うべき一刀は、フェイトスピナーを焼き払った。

 

 

 一息ついたリィンは、念のため黒焦げとなった魔獣を軽く調べる。手応えはあった為、絶命しているのは確実。他に不審な点は無く、だからこそ先の狂乱状態と魔獣の変死体の件が気にかかった。

 

 しかしそれよりも、衝突する両名を止めなくてはならない。最早言葉は不要とばかりに拳を握りながら片方の手で互いの胸倉を掴んでいた。リィンは頬に一発貰う覚悟で間に入ろうとして、

 

 

 その耳は、固いものが徐々にひび割れていくような微かな音を捉えた。

 

(……なんだ、この音)

 

 振り返ると、ある一点が目に留まる。それはフェイトスピナーの頭部に走った亀裂。マキアスのショットガンが命中し、小さくない損傷になっていたことは知っている。だが、

 

 (あんなに大きな傷だったか……?)

 

 掴み合いをしている二人と、それを止めようとしている女子は気づかない。亀裂は更に広がっている──否、内側から破られようとしている。やがてパキリという乾いた音がして、甲殻の一部が剥がれ落ち。

 

 

 ────内に潜むナニカと、目が合った。

 

 

「離れろっ!!」

 

 鋭く叫びながら、反射的に身体が動いていた。弾けるように駆けだして、口論を続けていた二人を突き飛ばす。

 

 

 直後フェイトスピナーの頭部が砕け、そこから飛び出した『何か』がリィンの脇腹を引き裂いた。

 

「な……!」

「シュバルツァー!?」

 

 鮮血が舞う。白熱する腹部と意識。ぐらりと傾いた身体がうつ伏せに沈む。血液は止めどなく流れ出し、リィンの赤い制服をより濃い色に染め上げていく。

 

 同時に、フェイトスピナーの口や甲殻の継ぎ目などのあらゆる隙間から黒い液体が流れだす。コールタールのようにどろりとした粘性のそれが足下に黒色の池を作り出した。

 

 抜け殻となった手配魔獣が倒れ、黒泥の中より一つのカタチが這い出でる。

 

 

 縦長の胴体を支える四つの脚。頭部は黒い靄に覆われて詳細を伺うことは出来ない。黒一色の肉体に陽と陰の差は無く、影絵のようなのっぺりとしたシルエットが視覚に強烈な違和感を与えている。

 

 

 何もかもが異質な、貌の無い獣がそこにいた。

 




FGOのソウルイーター(脂を落とすヤツ)的なやつをイメージしてくれれば良いです。



創の軌跡でユーシスとマキアスの戦闘終わりの会話見ると、この時期から本当変わったよなあと子の成長を喜ぶ親目線になってしまいますね。


あと最近やっと創で過去作のあらすじを見てみたのですが、閃の軌跡Ⅰの最初のページでエマの名前だけ省かれてたのは何故なんですかねファルコムさん……

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