*
翌日────事態は急変する。
「マキアス・レーグニッツ。貴様を逮捕する!」
重々しい音を立てて、手枷がマキアスの両手首に嵌められる。
朝一でユーシスが父親から呼び出され、三人で実習を始めることとなった二日目。編成を見直し出来る範囲で依頼をこなしていた途中に、街道で突如として領邦軍の兵士に囲まれた。告げられた容疑は、昨日の昼にエマ達も見かけた銀色の飛行物体がオーロックス砦への潜入を幇助し、深夜には機械仕掛けの魔獣を操り砦を襲撃したという内容。当然覚えのないマキアスはその場で抗議したものの取り合ってもらえず、詰所まで無理矢理連行されることとなった。
「どうしよっか?」
「こうなっては、特別実習は続けられません。何とかしてマキアスさんの無実を証明しないといけませんが……」
近場の喫茶店に移動した二人は情報を整理する。
抗議の為に立ち寄った詰所で聞いた話では、まずオーロックス砦が襲撃されたのは昨日の夜十一時頃。そこでマキアスの顔を領邦軍の兵士が多数目撃していたという証言がある。証言を素直に取ればマキアスがオーロックス砦に辿り着くには徒歩で一時間から二時間、つまり九時過ぎにはホテルを出ていなければならない。
しかしその時間の彼は部屋でレポートを進めていたはずであり、ユーシスと同室だった。帰りも含めれば約四時間の間単独行動など出来る筈もない。
だがアリバイを証明出来るはずのユーシスは実家のアルバレア城館におり、取り次ぎもARCUSでの連絡も不可能。まず間違いなく今回の為に隔離されていると見るべきだ。
(先月のケルディックであったような自作自演……いえ、革新派重鎮の父親ならともかく、息子のマキアスさんを捕らえるためにそこまでするのはリスクが高過ぎます)
オーロックス砦が襲撃された事実は、領邦軍にとっては醜聞以外の何物でもない。革新派の耳にこの話が届けば容赦なく追及されるはずだ。増して一連の出来事がマッチポンプであれば、露見した場合のマキアスの立場は人質から一転して自陣を破滅させる爆弾になってしまう。
「マキアスさんは、この後どうなると思います?」
「しばらくはここの留置場に預けられて、砦が落ち着いたらそっちに搬送かな。正直そうなると手出しが出来ないかも。……処刑はされないと思うけど、尋問があれば相当手荒になるかもね」
「今現在、マキアスさんが収容されていると思われる場所はどの辺りだと思いますか?」
「普通なら、もし脱出されてもどこに逃げたら良いのか分からない場所に閉じ込める。心理的に追い詰めるなら変化のない環境……窓が無くて暗くて、空気が籠っている場所」
「……地下、ですか」
年端もいかぬ年齢のはずのフィーの口から次々と物騒な内容が飛び出す。それらは世間話のような軽い口調とは裏腹に、骨身に染み込んだ経験を思わせる重さを含んでいた。
突然のことに今のマキアスはかなり追い詰められている筈だ。途中で心が折れてしまえば、謂れのない罪を自供してしまうかもしれない。
残された時間は多くない。危険な橋を渡ることになっても、学生に過ぎない自分達がこの状況に干渉できるタイミングはここしかない。
「私達の手でマキアスさんを救出しようと思います。危険はありますが付き合ってくれますか、フィーちゃん」
「勿論。戦友は見捨てないのがわたしの流儀だしね。でも具体的にはどうするの?」
「実はこの街には地下水路が各所に張り巡らされているようでして。上手くいけば領邦軍に見つからずにマキアスさんかユーシスさんに接触出来るかもしれません」
エマが実習地の予習をしていた時に、公都の地下には中世に整備された水路が今でも利用されているという情報を調べていた。こういった目につかない場所は、有事の際の避難通路を兼ねているというのがよくある話。城館の他に公都の要所──領邦軍の詰所にも繋がっている可能性は低くない。
ただ一点、懸念があるとすれば。
「リインがどうなるのかが、ちょっと不安だけどね」
フィーの言うように、今もオーロックス砦にいるはずのリィンを領邦軍がどのように扱うかは読めない。最悪砦の襲撃を内側から手引きしたとして共犯者に仕立てあげられる可能性もある。
それでも、エマは首を横に振った。
「大丈夫ですよ。爵位は低いですが、リィンさんは貴族の嫡男です。無下に扱われたりはしないでしょう」
不安はある。けれどその可能性に足を絡め取られてしまえば本末転倒だ。彼の為にも今はただ自分に出来ることをするのだと、昨夜悩んだ末に結論を出したのだから。
「それじゃ今から侵入経路の確保だね」
「ええ。すぐに行動を起こしましょう」
すっかり温くなった飲み物を胃に流し込むと、小走りで店を出る。その後ろ姿を一人の男が見送った。
「ったく。久々に会ったと思ったら随分な無茶を考えてやがる」
白いコートを羽織った短い金髪の青年は、やれやれと肩を竦める。話に熱中する余り外への配慮が足りていなかったのは、普段そういったことに気を配れるご愛嬌といったところか。
「仕方ない。あっちは俺が確認に行くとしますかね」
「あ、いたー!」
地下水路への入口を探している内に偶然城館近くまで足を運んだエマとフィーの下に、十歳前後の男の子と女の子が駆け寄って来た。エマはその顔を知っている。昨日ユーシスに懐いていた子供達だ。彼らはエマの手を取りながら話しかけてくる。
「ねえねえ、ユーシスさまはいないの?」
「ユーシスさまに会いたいのに、兵士さんが聞いてくれないの!」
「えっと、どうしてユーシスさんに会いたいんですか?」
「まっくろな犬をさっき見たの。とっても大きくて怖かった」
「犬、ですか?」
頷いた女の子が、幽霊を見たかのように顔を青ざめさせている。
「頭から煙を出しててよく見えなくて、影みたいに平べったいの。何だか変な感じした!」
エマの表情が凍りついた。
「えー、まっくろさん絶対に鳥だよ。飛んできたの見たもん!」
「……そのまっくろさんは、どこに向かったの?」
「あっちへ泳いでいった!!」
二人が揃って指差した先は、水路とその先の鉄格子。
積み重なる緊急事態に痛む頭を抑えながら、エマは怒涛の勢いで思考を回す。昨夜ユキノから聞いた話を考えると、場合によってはマキアスを後回しにしなければならないほどに事態は深刻だ。
「フィーちゃん、地下への入口探しを任せます」
「委員長は?」
「ユキノさんの所に行ってきます。噴水広場の前で合流しましょう」
「了解」
子供達と別れると、フィーは持ち前の俊敏さを解放し街中を跳ぶようにして駆ける。エマは大急ぎで《ルクルト》まで向かい戸を開けた。
「いらっしゃい。お望みの
店の主はいつも通り、カウンターの奥で全てを見透かしたように微笑んでいる。机の上には高級感のある箱が二つ置いてあり、その中には薄い封筒がそれぞれ一枚ずつ入ってた。これ見よがしに並べられたそれはエマが今最も知りたい情報。どちらも相応の値がついている筈だ。身内相手だろうが非常事態だろうが、取引に関してユキノが妥協することはない。
時間もないので、前置き無しで本題に入る。
「この街の地下水路に、例の≪獣≫が入り込んでいる可能性が高いです」
ユキノから笑顔が消える。僅かな間思案すると、手元のメモ帳にペンを走らせながら言った。
「……いいわ。その情報のお礼にお代はまけてあげる」
「では残りはツケでお願いします」
「あら横暴」
ユキノが虚空に指を滑らせると、置いてあった封筒の片方とメモがひとりでにエマの元まで飛んでいく。
「私は最悪の事態に備えておくわ。……貴女はレーグニッツ君を助け出すことに集中すること」
「……はい。よろしくお願いします、ユキノさん」
*
昨夜の襲撃を受けて、日中のオーロックス砦は物々しい雰囲気に包まれていた。施設の被害は少ないが犠牲者は出ており、何より領邦軍の一大拠点が攻撃されたことが彼らにとってはプライドを逆撫でされる出来事である。装甲車がいつでも出動できる体制で整えられており、蟻一匹通さないと言わんばかりの厳重な警備が敷かれていた。
そんな中、リィンは医務室ではなく客室にいた。
「……はあ」
狭い室内で一人、ため息を吐く。
襲撃時の爆音で夜中に目を覚ましたリィン。状況が分からず戸惑う彼を迎えたのは、医務室に次々と運ばれてくる負傷者達だった。医師の話を聞いたリィンは、自身の体力がほぼ回復していることを把握すると医師に手伝いを申し入れ、救護活動を行いながら夜を越した。治療が一段落した朝方、兵士の一人に連れられてこの今の部屋まで案内されたのだ。
曰く、負傷者でベッドが埋まったので動けるなら別室に移って欲しいとのこと。また非常事態につき部屋から出ることを禁止された。太刀やARCUSといった装備も返されず、ただ無為に午前を過ごしていた。部屋の階層は二階で窓の下には兵士が巡回している。扉の先には一人分の気配が感じられ、動く様子はない。
(実質監禁だな……)
手伝いの途中で断片的に聞こえてきた情報を繋ぎ合わせると、どうやら昨夜の襲撃犯はマキアスとされているらしい。兵士から目撃情報が上がっているようで、領邦軍は間違いなくマキアスを捕らえに動くだろう。彼の父親が帝都知事、つまり鉄血宰相に次ぐ革新派の重鎮であることを考えれば単なる事情聴取は済むまい。
そしてマキアスと同じくトールズの学院生で襲撃前にオーロックス砦に怪我人としていたリィンに関連を疑うのことも不自然ではないだろう。一応は貴族の嫡男の身なので、どう扱うか悩んでいるからこそこのような半端な措置なのかもしれない。
このまま大人しくする気はないが、情報が少ない内は下手に動けない。瞑想で気持ちを落ち着けながら今後に考えを巡らせていると、部屋のドアがノックされた。
「失礼するよ。傷の具合はどうかな」
入って来たのは目覚めてから最初に出会った、自分を治療してくれた医師だった。柔和な笑顔で差し出してきたのは太刀を始めとしたリィンの装備品だ。
「少し状況が変わって来てね。これは返しておくから、君はここを出てバリアハートに向かいなさい」
「え……? でも領邦軍が許可するはずが」
「心配ないさ。このメモの通りに行けば誰にも見つからずにここを出られる」
四つ折りにされた紙片を渡される。中を開けると砦の内部図と順路が書かれていた。信じられないが、この医師は独断で自分をここから逃がそうとしている。
「急いだほうが良い。君のお仲間が命の危機かもしれないからね」
「……え?」
「君に怪我を負わせたモノが、今バリアハートに移動しているようだ」
「!!」
瞬間、リィンの脳裏に浮かぶ黒い≪獣≫の姿。あれにはかつて討伐した魔性の気配を感じ取っていた。エマはともかく、恐らく他の面々の手には余る。
一体どこまで知っているのか。目の前の医師の皮を被った『誰か』を睨み、リィンは訊ねた。
「貴方は一体……」
「ただの奇術師だよ。それでどうするかね?」
問いに逡巡すること数秒。立ち上がったリィンは奇術師を名乗る男の横を通り過ぎ扉を開けた。部屋の前に立っていた兵士はリィンに何の反応も示さず、虚ろな表情で視線を宙に彷徨わせていた。
「正直あなたを信用できませんが……一応お礼は言っておきます」
「それには及ばないさ。私の為にやっていることだからね」
鬼の力の影響か、既に体力も回復している。最後に一度だけ男の背中を振り返り、リィンは廊下を駆け出した。
「フフフ……さて間に合うかな?」
砦を抜け出すまで、不可解なことに誰一人として止められなかった。砦にいる兵士は皆リィンが近づくと何故か別のものに意識を逸らされ、あるいは眠らされていた。奇術師と名乗ったあの男が仕組んでいることは明白だったが、今は思惑通りに動くしかない。砦の裏手から抜けて峡谷道を駆ける。遠目に翡翠色の屋根が見えるところまで近づくと、突如として目の前の空間が光を発した。
足を止めて警戒すると、現れたのは二体の異形。巨大な歯車を背にした、
「こいつら、確か結社の……」
先制して放たれた二条のレーザーを飛び退いて躱し、太刀を抜く。続いて繰り出される銃撃の合間を縫って、一閃。片方の体勢を崩すが、もう一機の攻撃を回避するのに止む無く追撃を中断して距離を取る。
それからは同じ展開の焼き増しだ。二機のゼフィランサスは積極的に攻撃を加えてくることはなく、先を行こうとするリィンの妨害に特化した挙動をしている。リィンも一息でゼフィランサスを破壊できない以上はこれを受け入れざるを得ない。救援に行くのに自分の方が負傷していては本末転倒だからだ。
ギチギチという駆動音が、まるで嘲笑うかのようにリィンを煽る。
「こんなところで止まっている暇は無いのに……!!」
リィンは焦燥に駆られ──無意識の内に、自身の左胸に手を当てていた。
*
マキアスの救出はスムーズに進んだ。
フィーが見つけた地下水路への入口を魔術でこっそりと鍵を開け、ユキノの情報の通りに最短経路を走る。途中で城館を抜け出したユーシスも合流し、三人で牢番を強襲。囚われから解放されたマキアスは深く頭を下げ、それをユーシスが皮肉って言い争いに発展し、エマが笑顔で鎮圧する。お決まりになってきたやり取りには、かつての険吞さはもう存在しなかった。
改めて脱出しようとしたところで、四人は水路に反響する轟音を聞いた。
「何だこの音。狼の遠吠え?」
「……多分軍用魔獣だね。猟兵団でもよく使われるクーガータイプかな」
「チッ、急いで脱出するぞ。追いつかれては敵わん!」
脅威を知るユーシスに促され、一同は全速力で出口まで逃走する。だがフィーを除けば一般人の域を出ない足では振り切れず、次第に距離を詰められていく。
「足音からして二匹……このままだと追いつかれるね」
「止むを得ません。この場で迎撃します!」
開けた場所で転身し、戦闘態勢を整える四名。通路の先からは装甲を纏った猟犬が二匹、姿を見せた。人間が騎乗することも容易であろう体躯に組み伏せられれば怪我では済むまい。獲物の姿を認めた二匹はぐっと身体を沈め──
水飛沫を上げて飛び出した影に、引きずり込まれる。
「な……!!」
一瞬の出来事だった。
黒い触手のようなものが猟犬を軽々と持ち上げると、その巨躯は派手な音を立てて水面に叩きつけられる。抵抗する二匹は触手に全身を絡めとられたまま力を失っていき、やがて弱々しい鳴き声をあげて沈んでいく。
「……何だ、今のは」
「……来ます!」
派手な水柱が上がり、黒い影がエマ達の眼前に降り立つ。遠近感の掴めない黒一色の外見と靄で隠された頭部は忘れもしない、昨日遭遇した無貌の獣だ。
「エマ君から聞いていたが、本当にいたのか」
「……皆さん、最大限注意を」
張り詰める空気の中で、四人と≪獣≫は向かい合う。≪獣≫はしばらくの間こちらをじっと見つめ──顔も目も見えないので感覚でしか無いが──その肉体が、水を吸い過ぎた泥のように崩れた。目を見張る一同を余所に、黒泥は別のカタチへと変じていく。
最初に縦長の胴体が飛び出し、そこから四肢と頭部が形成される。先とは違い二足歩行であり、両腕に巨大な爪を備えた姿は色彩こそ違えど見覚えがあった。
「昨日の手配魔獣だと!?」
マキアスの驚愕に釣られるように、漆黒のフェイトスピナーと化した≪獣≫がその爪を振り下ろす。四人は散開し、戦術リンクを展開。床に描かれる二条の光線が、敵を中心として交差する。
「くそ、どうなってるんだ……」
「まともに相手をしている暇はない! 水路に叩き落として逃げるぞ、分かっているなレーグニッツ!」
「わざわざ僕を名指しで言うんじゃない!!」
散弾から貫通弾に切り替えたマキアスの一射が敵の甲殻を穿ち、ユーシスが上段から剣を振り下ろす。口とは裏腹に、昨夜お互いに歩み寄った二人はここに来てリンクブレイクを克服していた。
四月以来ようやく一つのチームとして成立したエマ達は、全力を以て≪獣≫に抵抗する。リィンの抜けた穴は大きいが、ユーシスとマキアスの連携が≪獣≫を押し留めてくれるようになったお陰でエマは攻撃アーツに注力することが出来た。
「『フレイムタン』」
緋色の剣山が≪獣≫の足下に殺到し、炎の華を咲かせた。余波の熱風に他の三人が思わず顔を腕で覆うほどの火力に≪獣≫は大きく仰け反るが、すぐに復帰してこちらに突撃してくる。頼みの綱のアーツが効いていないことにエマは苦い顔をする。
突破口が見えない中、≪獣≫が新たな動きを見せる。フェイトスピナーとしての輪郭がブレたかと思うと、直後に『飛んだ』。跳躍ではなく飛翔。顔を上げれば、そこにいたのはフェイトスピナーではなく黒い怪鳥。
「オーロックス砦までの舗道で見た魔獣だね」
フィーが言うのが早いか、≪獣≫は翼を広げて急襲する。迫る鉤爪は地面を転がって回避するが、≪獣≫はすぐに飛び上がりこちらの頭上を支配する。
そこからは一方的で、ヒットアンドアウェイを繰り返す≪獣≫にまともな攻撃を加えられないままスタミナだけが削られていく。銃やアーツで撃ち落そうにも、まるで空を泳ぐようにして翼を巧みに動かす相手に狙いを絞れない。動きやすいようにと広い場所を選んだことが裏目に出た。
「っ、このままだとこちらが保たんぞ」
「なら私が落とす。一瞬でいいからアイツを止めて欲しい」
「頼みます! マキアスさん、あちらに追い込んでください!!」
リンクをマキアスと繋ぎ直したエマは、実技テストで見せた魔剣を召喚した。マキアスのショットガンから吐き出される散弾は命中しないものの、上手く壁際に追い詰めたタイミングで魔剣を突貫させる。≪獣≫の前方を塞ぐ壁のように展開された魔剣に黒い翼が衝突し、失速する。その隙を逃さず、真下に走り込んでいたフィーが腕を振った。
バシュ、という空気の抜ける音がして、袖口からワイヤーが射出される。オリエンテーションの床抜けトラップを回避するために使用していたものだ。
天井に向けて伸びるワイヤーは、怪鳥と化した≪獣≫の脚に絡みつく。疾走の勢いのまま跳躍したフィーの身体は≪獣≫を中心に弧を描き、その頭上を取った。落下の勢いを乗せて振り落とされた双刃が翼を裂き、黒い泥が噴き出す。
「離れろフィー! ──『エアリアル』!」
「『ダークマター』!」
折り重なる翠と金。竜巻に揉まれてバランスを崩した≪獣≫は、エマが生み出した引力の力場に囚われ墜落した。苦悶の声を上げ悶える怪鳥に、着地したフィーの囁くような宣告が落ちた。
「行くよ──」
空気の淀んだ地下を、銀色の疾風が吹き抜ける。残像が見えるほどの急加速とその勢いを殺さない独特の歩法による転身。まるで踊るようにステップを踏みながら、しかし見舞うのは容赦の無い刃弾の嵐。
故にこその
妖精が躍り終えた舞台には黒塗りの肉塊が転がっていた。入念に潰された翼と頭は染みとなって床に広がり、残された胴体がビクビクと蠢いている。これが確かな血と肉を持った生物であれば、目撃者の多くは嘔吐していただろうと思わせる凄惨な光景である。
「これが猟兵……」
「や、やったのか……?」
初めて目にする猟兵の戦技──貴族の語るものとは異なる一種の美しさにユーシスは目を奪われ、マキアスは呆然と呟く。言葉にこそ出さないが、フィーも会心の手応えに得物を下ろしていた。常識的に考えて、どう見ても即死。張り詰めていた空気が弛緩してしまうのも無理はないだろう。
ただ一人。昨日の失態を繰り返さない為に、一切の油断なく目を凝らしていたエマだけがいち早く気づいた。
「フィーちゃん!」
零れた黒泥が急速に結集し、先刻の軍用魔獣に姿を変化させながらフィーに飛び掛かった。
声と殺気に反応したフィーが振り向いて双刃を交差させる。迫る牙をどうにか阻み、
「……っ、ぁ!」
勢いを殺しきれず押し倒されたフィーの腹を、《獣》は前脚で踏みつける。鈍い音が響き、口からは逆流した血液が零れた。
驚いたのも束の間、三人はフィーを助けるべく≪獣≫に攻撃を加える。
マキアスの放った散弾は、一回り膨れ上がり凹凸の生じた肉体──甲殻のように堅牢となった外皮に阻まれ。
エマの魔剣は、背中から生えた漆黒の翼が巻き起こした風に吹き散らされ。
ユーシスは、大鎌の如き鋭利な尻尾によって剣ごと腕を切り裂かれた。
そんな馬鹿なと、マキアスの声はこの場の全員の思いを代弁していた。
翼に刃尾、そして鎧を手にした、二つ頭の黒犬。無数に枝分かれした生命の系統樹を無理矢理一つに束ね直した、女神の摂理に反する存在。かつての暗黒時代から中世にかけて、魔導士たちによって研究されたとされる
「見つけたぞ、侵入者共……って、何だあれは!?」
「ウチで手懐けてある魔獣……いや、あんなのは知らないぞ」
追い付いて来た領邦軍の兵士たちが≪獣≫の異形に足を止める。≪獣≫は頭を振ってフィーを投げ捨てると身体を兵士に向けた。
「駄目、逃げて──!!」
エマの叫びも彼らには届くことなく、黒い影が通る道に真紅の花が咲く。即死の者が居なかったのは、果たして幸いなのか。理解の追いつかないまま崩れ落ちる兵士の一人に圧し掛かった≪獣≫が、二つの顎を開く。
引き攣った声の命乞いが相手に伝わるはずもなく、その場の誰もが、数秒後に彼が貪れられる光景を確信し。
「
知らない
飛び退いた≪獣≫のいた場所に群青色の炎球が着弾した。当然のように組み伏せられていた兵士が炎に包まれるが、それが彼を焼くことはない。寧ろ切り裂かれた傷口の痛みが引いていくように感じられた。
「
続いてエマの足下から銀色の光が広がると、触れた人間の傷が塞がっていく。高位の回復魔法のようだが、これだけの人数に対して瞬時に駆動できる魔法を彼らは知らない。
「マキアスさん、ユーシスさん、フィーちゃん。動けるならあの人達の救護を頼みます。アレはしばらく私が引き付けておきますから」
「エマ君……?」
魔導杖を地面に落としたエマは、虚空に手を伸ばす。その掌から白い光が瞬き──気づけば、新たな杖がその手に握られていた。
柄は芯まで炭化したような黒い樹木。杖の先端には拳大のアメジストが収められており、その側面を銀糸で編まれた三日月型の装飾が覆っている。大まかな形状は、如何なる偶然か彼女の魔導杖に近いと言えるだろう。
霊杖プレアデス。エマが自身の手で一から造り上げた、魔女としての愛杖だ。
黒い樹の正体はサングラール迷宮の最奥に聳える霊木であり、即ち一人前の魔女として迷宮を踏破した証。エマの魔力に呼応した杖が仄かな光を纏い、紫の宝珠が輝きを放つ。
対峙するは、人に害を成す異形の『魔』。であればいつもの責務を果たすだけ。
「貴方が何者なのかは分かりませんが、これ以上皆さんを傷付けさせはしません」
眼鏡を外し露わとなった金色の双眸で≪獣≫を見据え、最新の巡回魔女は宣言した。
少なくともⅢ以降のエマは魔女として十分な実力があるのに杖が魔導杖のままなのはおかしくないかという疑問が私の中であったので、魔術用の杖を持たせてみました。名前はⅡのゼムリアストーン(最強)装備から。