灰と焔の御伽噺   作:カヤヒコ

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騎士が護り、魔女が手を貸す『お姫様』の登場です。


※今回の話は時系列的に大きな矛盾が発生していますが、それに気づいた時には八割方書き上げていたのでどうしようもなくそのままにしています。どうか大目に見ていただけると嬉しいです。


シュバルツァーとミルスティン

 

 五月最後となる休日の朝。アリサがリビングの掃除をしていると、階段を降りてくるリィンを目にした。カジュアルなデザインの、如何にもお出かけ用といった感じの私服に身を包んでいる。

 

「おはようアリサ」

「ええ、おはよう。どこか出かけるの?」

「妹と会いに帝都に行ってくる。夕方には戻るよ」

「リィンの妹さん? 帝都にいるの?」

「聖アストライア女学院に通ってるんだ。距離が近くなったし、久しぶりに会おうって話になってね」

「わ、すごい。アストライアって言えば貴族子女の名門じゃない」

「ああ。俺には勿体ないくらいの自慢の妹だよ」

 

 誇らしげに破顔するリィン。なるほどシスコンか、とアリサが思っていると、今度はエマが同じく私服で降りてきた。

 

「すみませんリィンさん。お待たせしてしまって」

「まだ時間に余裕はあるから心配ないって。何なら列車の便一本後にしたって十分間に合うよ」

「そういう訳には行きませんよ。エリゼちゃんと合流する昼前までに買い物は済ませておきたいですから」

 

「エマ、リィンの妹さんと知り合いなの?」

「ちょっと歳は離れてますけど、お友達です。帝都で欲しいものがあったんですけど、折角なのでご一緒させてもらうことにしました」

「というより、エマとエリゼの買い物に俺が荷物持ちで付き合うことになったっていうのが正しい。誘ってくれたのはエマからだし」

「いやエリゼちゃんが本当に誘いたかったのは……まあいいです」

「仲良いのねー。ちょっと羨ましいかも」

 

 一人っ子で姉妹にちょっとした憧れを抱いてるアリサが素直な感想を漏らした。身の上の問題で何かと気を遣ったり遣われたりしてきた彼女には、気軽にショッピングに誘える相手はそういない。Ⅶ組の女子達は誘えば来てくれる気がするが、これまでなんとなく機会を逃し続けてきた。

 

(私の方が気後れしてるだけ、なんだけどね……)

 

 家名を隠しているという事実があと一歩ところで自分を押し留めてしまう。自立の為に母に内緒でトールズの合格を勝ち取ったというのに、これでは何のために苦労してきたか分からない。

 

「アリサさん、どうかしましたか? 表情が暗いような……」

「あ、ううん何でもないの! ほら折角の休みなんだし楽しんで来なさいって!」

 

 表情を笑顔に切り替え、心配そうにこちらを見る二人の背中を押した。後ろ髪を引かれていた様子の二人は「お土産買ってくるよ」とアリサに告げて第三学生寮を出て行った。

 

「また気を遣わせちゃった……」

 

 一人になったリビングで自己嫌悪のため息をつく。別にマキアスとユーシスや、最近ちょっと危ない気がするラウラとフィーのような感じではないのだが、時折場の空気を微妙に外してしまう。

 

「……よし!!」

 

 サイドテールを弄っていた手で袖を捲り、立ち上がる。見送りが良くなかった分、せめて帰ってきた二人を気分よく迎えられるように掃除を頑張ろうと決めた。

 

 そうして雑巾を手にしたアリサだったのだが、壁に掛けられた時計を見てあることに気づいてしまった。

 

 

 先今は午前八時。列車なら帝都まで遅くとも九時には着く。先の会話でリィンの妹と会うのは昼前と言っていた。つまりそれまでは二人で帝都を巡り、買い物して、もしかしたら休憩の為にカフェでお茶したり………………?

 

 

「いやそれってよくよく考えなくてもデートなんじゃ……!?」

 

 謎の焦燥感に駆られたアリサが玄関を振り返った時には、二人はトリスタ駅のホームを潜っていた。

 

 

 緋の帝都ヘイムダル。皇族のおわすエレボニア帝国の首都であり、人口八十八万人を抱えるゼムリア大陸屈指の大都市でもある。その上休日ともなれば近郊から遊びに来た人や国外からの観光客も加え数字以上の人数が詰め寄せることになる。二人は人の波に押されるようにして駅を出た。

 

「何度来てもこのスケールには慣れないな」

 

 駅と皇城バルフレイム宮を結ぶヴァンクール大通り。そこに列を成す導力車と歩道を行き交う人達を眺めてリィンは呟いた。お互い田舎育ち、巡回魔女の役目上帝国巡りも僻地が多かった彼らにこの活気は刺激が強い。

 

「エリゼとの待ち合わせが11時にサンクト地区のヘイムダル大聖堂前。移動を考えると動けるのは大体一時間半くらいか」

「手早く済ませちゃいましょう」

 

 そんな訳でまずは比較的手頃な値段の商品が並ぶヴェスタ通りにやって来た二人。まずは有名なベーカリー≪ラフィット≫で腹ごしらえをしてから、お目当てを探して通りをぶらぶらと歩く。ハーシェルという聞き覚えのある名前を掲げた雑貨屋に入ってみれば、予想通りそこはトワ会長の実家だったりした。

 

「なんだか凄くおまけしてもらっちゃいましたね」

「これ買った分より貰った分の方が絶対多い……。お人好しなのは家族揃ってみたいだな」

 

 学院の後輩だと言ったら随分と喜んでいた女性店主──トワ会長の叔母らしい──から貰った紙袋を抱え、顔を見合わせて苦笑する。第三学生寮の人数は少ないが、それでも食べるのは育ち盛りの学生である。最近はこれまで外食が多かったマキアスとユーシスが寮で食事を摂る機会が増えたこともあり、食材は多めにあっても困らない。

 

 袋の中を覗き込んだエマが表情を綻ばせる。

 

「……トリスタの店だと置いてない食材も手に入れられたし、これならちゃんと再現できるかも」

「? 新しい料理でも作るのか?」

「へ?……え、ええそうです!! マゴットさんから新しい魔法料理のレシピをいただいていたので、今度挑戦してみようかなって」

「それは期待しておくよ」

「それはもう! ……あ、次はここです!」

 

 逃げるように別の店に入ったエマの後を追う。室内に入った瞬間、土と緑の匂いが鼻先に触れた。店内にいる主婦と思しき女性達の間を抜けてエマの隣に行くと、彼女はプランターの置かれた棚を眺めていた。

 

「家庭菜園?」

「はい。実は里の薬草を寮内で栽培できないか考えてまして。誰かさんのせいで里から持ち込んだ分の薬草が尽きかけてるので」

「それはその……申し訳ない」

 

 実習で≪獣≫に襲われたリィンの腹部の傷を治療する時に使われた軟膏も、エリンの薬草を使って作られたものだ。これまで傷を負った際には幾度となくお世話になっており、もしなければこうして健康体で過ごせているかはちょっと自信がないリィンである。

 

「屋上の一画にプランターを置きたいと思ってるんですけどね」

「いいんじゃないか。今のところ洗濯物干すくらいにしか使っていないし」

「ただ問題も多くて……。効能の高い薬草は特殊な霊地でしか採れませんから、同じ環境を整えるのは難しいですし」

 

 結局ここでは何も購入せずに店を出て、二人は通りから外れた脇道に入る。何度か角を曲がると、日の差さない裏路地へと辿り着いた。

 立ち止まったリィンが、周囲にそれとなく目を配る。

 

「……人の気配なし。終わるまで見張っておくよ」

「お願いします。五分程度で済みますから」

 

 リィンの置いて更に奥へと進むエマ。暗闇と埃に満ちた狭い行き止まりで、星杖プレアデスを召喚した。艶やかな唇から詠唱が紡がれると、淡い水色の光が魔女の足下から波紋を広げていく。

 

 彼女が行っているのは霊脈の探査。その通り自身の魔力を地面に流し、その反応で異常がないかを探る術だ。≪裏≫の異変は霊脈の乱れが引き起こしていることが多く、巡回魔女にとっては必須の技能である。

 

 特にここヘイムダルは帝国でも有数の太い霊脈が集約する要所だ。過去には暗黒竜や夜の眷属(ノクト・ファミリア)等多くの人ならざるモノが暗躍し、無辜の人々の命を奪った。故にそんな悲劇を繰り返さないよう、歴代の巡回魔女は定期的に帝都を訪れ、霊脈の様子を探るようにしている。

 

 

「この後はどこに行く?」

「時間的に近場を二つが限界ですね。付き合っていただけますか?」

「勿論。途中で他に良い店がないかも探してみよう」

 

 ヴェスタの本通りに戻っての会話は朝の喧騒に紛れている。具体的な単語を省いてしまえば、年若い男女のデートにしか見えないやり取りをしているこの二人が帝都の治安を守っていると誰が考えているだろうか。

 

 ──伝承や御伽噺に於いて、魔女は隔絶された環境に住まうと語られることが多い。

 未開の森、無人の島、光の届かない闇の中。そこに訪れる旅人や英雄に試練を課し、乗り越えた者には力や知恵を授ける奇跡の遣い手として。或いは災害に匹敵にする力を己の為に振るい人々を苦しめ、最後には勇者に打ち倒される理不尽の権化として。人の手に及ばぬ御業への羨望と畏れが物語性と組み合わさって、そのイメージは作られた。エリンの里が外界から隔離されているので決して間違いではないのだが、それは側面の一つに過ぎない。

 

 本物の魔女はどこにでもいて、誰の目にも留まらないだけ。報酬も称賛も与えられない行いを、何百年も連綿と続けている。

 

 歴史の影に潜むとは、そういうことだ。

 

「私の顔に何か付いてますか?」

「何でもない」

 

 傍らの少女から視線を切って、リィンは前を向く。人知れず世界を守る彼女達に少しでも力を貸せるこの立ち位置を、密かに誇りに思いながら。

 

 

 サンクト地区。帝国最大級のヘイムダル大聖堂を中心に高級住宅街が立ち並ぶ、帝都で最も治安の良いとされる場所だ。エリゼの通うアストライア女学院もここに建てられており、駅周辺とは異なる穏やかな空気が流れている。

 

 時間通りに大聖堂に到着して周囲を見渡すと、見慣れた少女の後ろ姿が目に入った。リィンは手を挙げて名前を呼ぶ。

 

「エリゼ」

「……!」

 

 呼び声に反応して、濡羽色のストレートヘアーが流れる。去年の暮れに会った時と変わらぬ、いやより一段と大人びた容姿となった最愛の義妹エリゼ・シュバルツァーは、その表情を明るくさせて駆け寄ってきて──リィンの横をすり抜けた。

 

「……え?」

「エマさん!! お久しぶりです!」

「こんにちはエリゼちゃん。今日はわざわざありがとう」

「いえ、寧ろ私の方こそお手間を取らせてしまって……今日はよろしくお願いしますね」

「うん、一緒に楽しみましょう」

 

 朗らかな笑みで再会を喜んだエリゼは、続いて表情を反転させてリィンに向き直った。まだ幼いながらも整った顔立ちは不機嫌さを隠そうともせず、じとっとした視線が突き刺さる。

 

「ど、どうしたんだ?」

「……今回のお出かけ、エマさんからのお誘いでした」

「ああ、そう聞いてるけど」

「トリスタから帝都まで三十分ほど。駅からサンクト地区まで導力トラムで二十分程度。妹の顔を見るのに、その程度の時間すら割けないほどお忙しかったという事ですか? クラス委員長として苦労されているエマさんはこうして時間を作ってくれたというのに」

「いや、それはその……」

「加えて四月入学以来エマさんとは三通ほど手紙をやり取りしていた間、兄様からの返信は一度しか来ていないのですが」

「……リィンさーん」

 

 眼鏡越しの視線が痛い。完治したはずの脇腹がチクチクする。エマがいる以上あらゆる言い訳が通用しないことを悟ったリィンは、拗ねた妹に素直に頭を下げた。

 

「済まないエリゼ。色々と忙しかったのはあるけど、お前を蔑ろにしていい訳じゃないもんな」

「……まあいいです。兄様にそういった甲斐性は求めるだけ無駄なのは分かってますので」

「いやそこまで言うことか!?」

「「はい」」

「即答……しかも二対一……」

 

 味方がいないことに肩を落とすが、仕方ない。忙しさにかまけて蔑ろにしてしまったのは事実なのだ。

 

 パン、とエマが胸の前で手を鳴らす。

 

「さてリィンさん。今まで寂しい思いをさせた分、今日はしっかりエスコートしてあげてください。エリゼさん手紙で愚痴を書き連ねてましたよ?」

「エ、エマさんっ!? それは内緒にしてって最後に書いたじゃないですか!」

 

 慌てるエリゼを見て、少なくとも嫌われてはいないようだリィンは安心した。

 

 そうと分かればやる事は明白。昔いつも一緒にいた時のように、或いは姫君に忠誠を捧げる騎士のように、リィンは妹に手を差し伸べた。

 

「今日は何する? どこだって付き合うぞ」

「……っ!」

 

 少女の白磁のような頬に朱が差す。持ち上がった彼女の手はしばらく所在なさげに宙を彷徨っていたが、やがてゆっくりとリィンの掌に重ねられた。

 

 

「……なるほどなるほど。あれがエリゼ先輩の仰っていたお二人ですか」

 

 そんな三人を、女学院の制服を着たミント髪の少女が愉快そうに見つめていた。

 

 

 昼食は、あらかじめエリゼが目を付けていた喫茶店で取ることにした。女学院で密かに話題になっているものの、大人びた雰囲気の店内は少女だけで行くには敷居が高かったらしい。エリゼはやはりトールズの生活が気になるようで、基本的には彼女からの質問に二人が答える形でランチタイムは進んでいく。途中話題に上がったⅦ組の女子については何故か異様な喰いつきを見せていた。

 

「それで兄様」

「ん?」

 

 食後の紅茶を啜っていると、対面のエリゼが訊ねた。

 

「士官学院だけあって荒事も多いようですが、怪我などはされていないのですか? この前手紙で母様も心配していましたよ」

「心配いらないさ。武術教練は厳しいから無傷とはいかないけど、大した怪我はしてないよ。こうしてお前と普通に話せていることがその証拠じゃないか」

 

 嘘である。

 

 この男、つい先週に臓物が零れる一歩手前くらいの深い傷を負ったことを大したことないと言い切ろうとしていた。表情にこそ出さないがエマは絶句した。

 

「……エマさん、どうなんでしょうか?」

「ははは何も問題ないよなエマ」

 

 そして敬愛する兄の言葉を欠片も信じていない妹は疑いの眼差しを隣に座るエマにスライドさせた。爽やかスマイルを維持したままどっと冷や汗をかくリィンからは懇願を込めた視線。自覚があるなら嘘をつかなければいいのにと思うエマだったが、妹の前で強がってしまうのは分からなくもなく。

 

「大丈夫ですよエリゼちゃん。ちょっと危なっかしい場面はありますけど、私も目を光らせてますから」

 

 本音を言えばありのままを告げたかったが、ここはリィンの嘘に乗ることを選んだ。久方ぶりの兄妹の時間を説教で浪費してしまうのは余りにも惜しい。

 

「エマさんがそういうのであれば……」

 

 完全に疑いが晴れた訳ではないが、エリゼは素直に引き下がった。信頼の差に泣きたくなるリィンに自業自得であるという自覚はない。

 

 喫茶店を出た後、三人は近場の名所や店通りを巡りながら雑談に興じる。

 その最中で、エマが小さく手を挙げた。

 

「すみませんリィンさん。この後少しだけ、エリゼさんと別行動しても構いませんか?」

 

 

 リィンと別れた後、少女たちはヴァンクール通りに面した百貨店に足を運んでいた。中に入っている多くの店舗を冷やかしながら、二人が行き着いたのは紳士向けの物をメインに取り扱う雑貨屋だった。

 

 エリゼは女学院に入学して以来、偶の休日には友人に連れられて色々な店を巡った。中には大人向けの下着店など色んな意味で刺激の強いところもあったが、男性向けの店はまた別の意味でハードルが高い。こんなところを女学院の生徒に目撃されてしまえば、意中の殿方でもいるのかという話になってしまうだろう。特に仲の良いあの二人に知られればそれはもう素敵な笑顔で弄ってくるに違いない。学内の知り合いを除くと、この手の相談で頼れるのはエマしかいなかったのだ。

 

 営業スマイルで近づいてくる女性店員に、目的のコーナーを尋ねて案内してもらう。買うものは大方決めてあった。 

 

「万年筆ですか?」

「はい。少なくともこれから二年は筆記具を使う機会が増えるでしょうから」

 

 洒落たケースに収められた万年筆を幾つか手に取りながらエリゼは答え、エマの顔を見上げる。

 

「エマさんはどんなのが良いと思いますか? 出来れば長く使ってくれるとその、嬉しいんですけど」

「日常使いするなら高級品だと遠慮しそうですし、手頃な値段のものを用意したほうが良いでしょう。余った予算分は補充用のインクに充てるとして……実習込みならどちらも……」

 

 呟きながら、エマはショーケースに視線を走らせる。お目当てを見つけるとエリゼの手を引いてそれの正面に立たせた。

 

両用(コンバーター)式?」

「インクを補充する時に、吸入式とカートリッジを併用できるタイプですね。余り普及はしていませんので種類は限られますが、あの人ブランドにこだわりないと思います」

 

 インクは昔ながらの吸入式が一般的だが、携帯はし辛い。かといってカートリッジ式は補充が簡単だランニングコストがかかってしまう。そんな双方の問題を解決する為に最近生み出されたのがコンバーター式だ。インクの吸入機構が取り外せるようになっており、規格の合うカートリッジを装着することで、いざという時の素早い補充を可能としている。学生でありながら特別実習で定期的に遠出するⅦ組には最適だ。

 

「凄い……こんなことまでご存じなんですね」

「偶然ですよ。寮に入っていたチラシで見ただけです」

 

 説明に深く同意したエリゼはアドバイスに従った。彼女の目を惹いたのは、やや青みを帯びた黒色の万年筆。艶と深みを感じる色合いは兄の髪を連想させた。それを手に無言でエマを見つめれば、思うところは伝わったのだろう。微笑を浮かべて頷いた。

 

 インクと合わせてカウンターに持って行き購入する。店を出て休憩の為に座ったベンチで、エリゼは膝上に置いた店のロゴ入りの紙袋を不安そうに見つめた。

 

「兄様、喜んでくれるでしょうか……」

「エリゼちゃんがくれたものならなんだって喜びますよ」

 

 子煩悩ならぬ妹煩悩のリィンである。物に関係なく、自分の為に悩んで選んだという事実だけで最高のプレゼントになるに違いない。

 

 ですから、とエマは続ける。

 

「そこに仕舞ってあるものだって、必ず喜んでもらえます」

「………………え?」

 

 口の中が干上がった。弾かれたように顔を上げれば、エマはエリゼがずっと手にしていたハンドバッグを指差している。

 

「リィンさんと会ってから、ずっと気にしていたみたいですから」

「……本当に、何でもお見通しですね」

 

 エマの推測は正しい。バッグの中にはずっと前から兄へ渡すために用意したものがある。しかし、今日渡すのに相応しくないとも思っていた。

 何故なら万年筆が純粋に兄の為を思って選んだものに対して、『これ』はただ自分が抱く溢れんばかりの思いの丈を詰め込んだ爆弾だ。彼の手の中で炸裂して欲しいのか、永久に不発弾で合って欲しいのかも定かではない不良品。

 

 だから──この人にだけは、こんな中途半端なものを知られたくなかった。

 

 エマから見えない角度できゅっとスカートを握りしめる。内から滲みだす黒い感情を堪えていると、隣のエマが立ち上がってエリゼの正面に移動する。膝を曲げて目線を合わせると、白い指をエリゼの額に伸ばした。

 

 

 額に触れる指先に、光が灯り。

 

Gratulor tibi in itinere(貴方の旅路に祝福を)

 

 囁きは、耳の奥で反響する。

 

Natare(海往く) calceamenta faciam(靴を拵えましょう) Volantes(空往く) alis texentes subtilia(翼を織りましょう) Omnia ex imo corde meo(全ては貴方の胸の内から) Et figura(踏み出す勇気に) tua virtute(私が容を与えます)

 

 熱の無い灯はエリゼの額に吸い込まれる。涼風のような爽快感が脳天から足指の末端に至るまで通い、少女の緊張と自己嫌悪を払い去った。

 

「今のは……」

「エリゼちゃんが勇気を出せるように、おまじないです」

 

 柔らかな微笑みは、相手の幸福を心から願うものだ。後押しを受け、エリゼの中にあった迷いが消える。

 

「ありがとうございます、エマさん。私、『どっち』も渡します」

 

 

 リィンと同様、エリゼ・シュバルツァーとエマ・ミルスティンの付き合いも四年になる。

 

 出会った当初は、兄との距離に嫉妬して冷たい態度を取ってしまったこともあった。それでも彼女は真心を込めて接してくれて、気づけば心を許してた。兄のこと、家のこと、女学院での生活のこと。抱えた悩みを相談すれば親身になって考えてくれて、解決まで導いてくれた恩人だ。

 ……物心付いた頃から抱いていた、義兄への想い。これさえなければ、何の憚りもなくこの優しい人を姉として慕えたのに。お似合いの二人だと祝福出来るのに。

 

 ──貴女の目に、義兄はどう映っているのですか?

 

 恐くて一度も口に出来ていない問いを思い浮かべ、沈めた。

 

「……結構時間が経ってますね。この後はどうしましょうか」

「もう少し二人で歩きませんか? エマさんと行きたかった店、沢山あるんです。勿論エマさんの『お願い』も手伝いますから」

「ふふ、そういうことでしたら喜んで」

 

 心に秘めたものがあっても、二人の間にある友情に嘘はない。互いの手を取って微笑み合う少女達は、本当の姉妹のようだった。

 

 

 エマにARCUSで呼び出された先は、帝都市民の憩いの場であるマーテル公園だった。

 

 既に西の空は紅色に焼けていた。家路に就く家族連れを見送りながらリィンが足を進めると、彼女は公園の隅に位置する小さな滝を背に待っていた。

 

「エリゼだけか?」

「エマさんはまだ用事があるみたいです。そう時間は掛からないと言っていました」

 

 通話で「エリゼさんをおまかせします」と言われたので、恐らく午前中に回れなかった箇所の霊脈を診ているのだろうとリィンは予想する。

 

「……」

「エリゼ?」

 

 俯いまま動かない妹に首を傾げていると、彼女は勢いよく顔を上げた。

 

「兄様っ!!」

「お、おう?」

「少しだけ早いですけど……」

 

 眼差しは真っすぐに、手にした紙袋を差し出して。

 

「お誕生日、おめでとうございます」

 

 涼やかな声で、祝いの言葉を口にした。

 

「……もしかして今日の買い物は」

「ええ。兄様へのプレゼントを選ぶのに、エマさんにお力を借りました」

 

 エマを除くⅦ組の面々に話したことはなかったが、二日後はリィン・シュバルツァーの誕生日である。当然エリゼも知っており、二人がユミルにいた頃は家族で毎年ささやかなお祝いをしていた。エリゼが女学院に入ってからは簡単なメッセージカードが届くだけだったので、面と向かって祝われるのは久しぶりだった。

 

 自分の為に貴重な休日を潰してしまったことに申し訳なさを覚えるリィンだったが、ここで謝るのは違うことくらいは分かる。心から「ありがとう」と告げると、エリゼの表情は一気に華やいだ。許可を得て袋からラッピングされた小箱を取り出せば、中には万年筆。日が沈みきった後の西空を思わせる色合いは一目見て気に入った。

 

「それで、ですね……実はもう一つプレゼントがあるんです」

「もう一つ?」

 

 ポーチから包装紙を取り出す手が震えている。表情は強張り、赤らんだ顔は幸か不幸か西日に隠されて。強く、脆い光を湛えた瞳は潤んでいた。そこに込められた感情をリィンには読み取ることができず、首を傾げながらそれを受け取った。

 

「ハンカチ……?」

「……私の手編みです」

「え、これがか!?」

 

 リィンは驚いて手元を見返す。白黒のラインを交錯させたチェック柄に、対角の隅には目立たない程度に花柄──白いマーガレットの刺繍が施されてある。素人目には既製品と比べても遜色がなかった。

 

「そう大したものでもないですよ。手芸の授業で作ったものに少し手を加えただけですから」

 

 嘘である。

 

 手芸の授業がきっかけだったのは事実だが、そこで作ったものとは全くの別物だ。何度も失敗作を重ね、親友にからかわれながら、一月掛けて編み上げた渾身の一作。とはいえ出来上がった乙女心の具現を冷静になって見直しせば死ぬほど恥ずかしかった上に誕生日プレゼントにしては不純もいいところだと思い直し、エマに助けを乞うたのだが。

 

 多分、編み込んだ想いをこの朴念仁は気付いてはくれないだろうけど。

 それでも、この気持ちを無かったことにはしたくない。

 

「……参ったな。こんなに良いモノを貰ったのに、お返しの用意なんてしてないぞ」

「誕生日プレゼントなんですから構いません。私の時に奮発していただければ結構です」

「高いハードルだな……分かった。ちゃんと考えておくよ」

 

 言いながら、自然とエリゼの頭に手を置いていた。幼少期を懐かしみながら、黒絹のような髪に指を滑らせる。

 

「あ──」

「……っと、悪い。もうそんな歳でもないのにな」

「……いえ、兄妹のスキンシップですし問題ないかと。むしろもっと気軽にしていただいても良いと思いますが」

「そ、そういうものか?」

「そういうものです」

 

 妙に力強い物言いに押し切られ、リィンはしばらく妹の頭を撫で続ける。エリゼはそれを目を細めて受け入れていた。

 

「兄様」

「ん?」

「今の生活は、楽しいですか?」

 

 唐突な問いかけだった。

 

「昼食の時はああ言ってましたけど、士官学院の生活は大変だと思います。本当に無理はされていませんか?」

「………………」

 

 こちらを気に掛ける上目遣いに、口を閉ざして自問する。

 

 どう、なのだろうか。魔女に導かれ、いくつかの約束に支えられ、いずれ訪れる選択に悩む自分は。昏い異能と眩い縁の狭間で彷徨い続けながら、日々を過ごしている自分は。

 

「……充実はしているよ」

 

 しばらく考えて、正直な気持ちを口にする。きっと妹を安心させられる答えではない。それでも、この紺碧の瞳に嘘を吐きたくなかった。

 

「……なら、いいです」

 

 何を思ったのかは口にせず。黄昏に染まる風景の中で、少女はただ穏やかに微笑んだ。

 

 

 数日後のとある夜。エマはこっそり寮に招き入れたセリーヌと共にリィンの部屋を訪ねていた。

 

「すみません、勉強中でした?」

「いや、そろそろ夕食の時間だから切り上げようと思ってたところだ」

 

 机と相対していた身体をエマの方に向けながらリィンは答える。その手には見覚えのある万年筆が握られていた。

 

「使い心地はどうですか?」

「ペン一つでここまで違いが出るなんて思わなかったよ。エマも手伝ってくれてありがとう」

 

 万年筆に台座に置いて、リィンは立ち上がった。

 

「もう夕食の時間か? 配膳手伝うよ」

「その前にエマから渡すものがあるから待ちなさい」

「渡したいもの?………あ」

「流石に察してくれましたか」

 

 苦笑を溢す。毎年やっている上につい先日祝われたというのに、頭から抜け落ちていたようだ。らしいといえばらしいが、少しは期待してくれててもいいのにとは思う。

 

 彼の正面から向き合って、真っすぐに見つめる。一年で一度の特別な日に告げる言葉を、満面の笑みで口にした。

 

「お誕生日おめでとうございます。貴方のこれまでの努力と変わらぬ信頼に感謝を。──これからも、よろしくお願いしますね」

「ま、おめでとさん。今後も精々頑張りなさいな」

「……こちらこそ。二人には苦労を掛けると思うけど、これからもよろしく頼む」

「ええ、勿論。という訳でこちら、簡単なものですがプレゼントです」

 

 背中に隠していた小箱をリィンに渡す。受け取ったリィンが簡単な包装を剥がすと、そこには組み紐が二本収められていた。金と青、黒とやや暗い紅。それぞれ二色で編まれた紐からは微かな魔力が漂っている。

 

「実習の前準備もあって簡単なものしか用意出来なくてすみません。その分セリーヌと一緒に加護を込めましたので」

「色々と使い道のある魔導具よ。後で説明してあげるから、アンタ達は先にご飯食べてきなさい。そろそろいい時間でしょ、エマ?」

 

 セリーヌに追い出されるようにして二人は廊下に出る。瞬間、馴染み深い匂いがリィンの鼻腔をくすぐった。

 

「この匂いって……」

「気づきました? 二ヶ月だとまだ懐かしさもないかもしれませんが」

 

 驚くリィンに悪戯っぽい笑みを見せる。サプライズは成功だ。

 

「今晩のメニューはキジ肉のシチュー……リィンさんの好物をご用意しています」

 

 ただのシチューではない。リィンの母ルシアが作った、所謂お袋の味というやつだ。エマもユミルで何度も振舞ってもらったものを、今回自分なりに再現してみたのである。キジ肉などトリスタでは入手が難しい食材を帝都で買い揃え、実家の味を良く知るエリゼにもアドバイスを貰った。二日前の帝都巡りには、そんな目的があったのだ。

 

「さ、行きましょうリィンさん。皆さん下で待ってますから」

「え? 皆って……」

 

 リィンの背中を押して階段に向かわせる。二人がリビングに降りると、そこにはサラ教官を含むⅦ組が揃っていた。外食がメインの面子もいる中、全員で卓を囲うのは実は結構珍しい。

 

「あ、誕生日おめでとうリィン!! さっき委員長から聞いたよ」

「おめでとうリィン。今日という日に、風と女神の加護が君にあらんことを」

 

 近くにいたエリオットとガイウスを皮切りに、クラスメイトから祝いの言葉が次々と届けられる。照れくさそうに頭を掻くリィンを横目に見ながら、エマはシチューに最後の仕上げを施すべくキッチンに入った。

 

 

 ──リィン・シュバルツァーは、自身の幸福に無頓着だ。

 

 捨て子であることと、それが原因で家族に迷惑をかけたことが理由なのだろう。根本的な部分で自己を肯定出来ていない彼は、人の役に立てない自分に価値がないと考えている節がある。度が過ぎたお人好しっぷりは生来の善性の他に、贖罪めいた義務感もあるのだろうとエマは思っていた。

 それはとても危うくて、何かの拍子にバランスが崩れてしまえば躊躇いなく命を投げ捨ててしまうだろう。過去に肝を冷やした回数はもう数え切れない。何とかしてこの自己犠牲精神を改善させようと思い立ったのに、そう時間はかからなかったと思う。

 

 それとなく色々と試したが、一番効果があったのは人との縁によって繋ぎ止めることだった。

 当たり前のように他人の幸せを願えるリィンは、当たり前のように他人に幸せを願われている。自分が傷つけば悲しむ人がいるという事実を理解させていけば、いつかは自己を顧みるようになるはずだ。……数年かけてもあまり改善の兆しが見えないが、そこは根気よくやっていくしかない。

 

 この誕生日会もその一つ。ユーシスとマキアスの仲がある程度改善され、ようやくⅦ組が一つのクラスとして纏まりそうなタイミング。皆で同じ釜の飯を食べて結束を深めてもらい、主賓のリィンを知ってもらいたくて企画した。

 

 何気ない日々も、振り返れば掛け替えの無い思い出になる。こうやって、少しずつでも喜びを積み上げていこう。

 

 

 いつか自分の道を見出して、歩き始めた彼を見送る時。

 

 その両腕に、抱えきれないくらいの幸せがありますように。

 

「……よしっ」

 

 味見で出来栄えを確かめたエマは、シチューを皿に盛り付けてテーブルに運ぶ。温かな湯気を立てるシチューは歓声を以て迎えられた。

 

 ささやかな祝宴が始まり、その日の第三学生寮の夜は騒がしく更けていく──。




バリアハートの実習終わりが五月三十日なので、その後に五月生まれのリィンの誕生日を差し込める隙間がある訳ないんですけどね……。何故か脳内で一週間の猶予が生まれてました。
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