オリジナル回だけあって、今回特に捏造設定が多めです。
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自己紹介もそこそこに、エマ達は島へ向かうことになった。港に停めてあった導力ボートに乗り込み発進する。
晴れ渡る青空の下、飛沫を噴き上げながら白船は海を進んでいく。後方に残る飛沫の跡は碧いキャンパスに引かれた白線のようで、遮るもののない海原に吹く風が火照った身体を冷ましていく。陸地では決して味わえない、海の旅の醍醐味がそこにはあった。
ただ、その心地よさを全員が共有できるかと言えばそうではなく。
「う……」
「大丈夫ですかマキアスさん? エチケット袋を持ってきているので無理はしないでくださいね」
顔色を悪くした副委員長は、背中を丸めて口元を押さえていた。典型的な船酔いで、空は平気でも海は駄目だったらしい。足下が常に揺れている感覚に慣れないようで、現在エリオットとエマが必死になって介護中である。
運転席でハンドルを握る監督役のトーラは、背後の様子を見て豪快に笑った。
「ははは、あと少しだから頑張りたまえ少年。女子の前で無様は見せたくないだろう?」
「ぐ……分かりました。なんとか耐え、うぐぅ!!」
「待って待って僕にもたれかからないで顔こっちに向けないでよ!!」
「……もういっそ出すものを出してしまった方が楽になるのではないか?」
「今それやったら被害受けるの僕なんだけど!?」
「(ちょっと、その位置はアタシにもかかるじゃない!?)」
セリーヌ含めぎゃあぎゃあと騒ぎながらも、最終的にはエマの持つ酔い止めを飲んだことで最後の一線を越えることなく落ち着けることに成功した。介抱を(マキアスの男として最後のプライドを汲んだ)エリオットに任せ、女子陣はトーラの話を聞いている。
「身分や出身の区別なく集められたクラスと聞いたが、仲がいいじゃないか。私の時には考えられなかった試みだな」
「アンセルム子爵閣下もトールズに通われていたのですか?」
「一応はね。あと仰々しい呼称はやめてくれ。十年前に家督を息子に譲って好き放題している身だ」
「父から聞いたこともありますが、悠々自適に過ごされているようですね」
「君の父君……ヴィクター殿とは彼が当主になる前からの付き合いがあってね。最近は交友が無かったが……どれ、久しぶりにご息女の活躍を添えて文をしたためてみるとしようかな?」
「そ、それは……いえ、寧ろ望むところです!!」
気合を見せるラウラにトーラはまた笑う。先月と同じ四大名門のお膝元ということで若干警戒していたが、この男性にはバリアハートの貴族が見せた無自覚な隔意が感じられない。
出発から三十分もしない内に、目的地は見えてきた。
雑誌では観光地として紹介されていたが、実像はイメージと異なって見えた。岩礁に囲まれた地形と、岩肌が剥き出しになった背の高い山。例の巨像はあの裏手にあるのだろう。
桟橋からすぐの場所には十数人規模で泊まれそうなコテージが建っていたが、ボートを降りた一行が通されたのはその横に併設された管理小屋だった。小屋と言っても物置のようなものではなく、一般向け宿屋の大部屋に近い。生活できるだけの設備は用意されていた。
「実習ではここを拠点にしてもらう。私は隣のコテージに詰めているのでなにかあれば言うように。で、これが君達への課題だ」
「……拝見します」
お馴染みとなった校章入りの封筒をエマが受け取り、中の書類を検める。
特別実習一日目。内容は以下の通り
課題:『巡礼路』の整備
監督役の指定したルートへ導力灯の設置、及び近辺の魔獣退治を行い安全を確保すること。
必須の依頼が1件だけ。これまでよりも少ないのは開始時刻が昼からだろうか。
「この巡礼路というのは何なのでしょうか?」
「この島には山頂に祭壇があってね。夏至祭には教会の司祭様やオルディスの有力者が集まって式典を開くのが習わしなんだが、巡礼路というのはその祭壇までの山道のことを言うんだ。ルートは同封している地図で確認するように」
続いてトーラが小屋の一角を指差す。そちらに目を向けると、壁際に一抱えほどの段ボール箱が多段積みされていた。
「あれが設置してもらう導力灯だ。少し特殊なタイプで、十台ある」
「じゅ……!?」
予想を超える数にエリオットの顔が引き攣る。以前の課題で交換した導力灯が決して軽くは無かったことを思い出したからだ。
その他一通りの説明を聞き終えると、ラウラが手を挙げて質問する。
「何故、今回夏至祭の準備を我らで行うのでしょうか? 貴族が主催する祭事であれば、その警護と安全確保は領邦軍の仕事の筈では?」
彼女の指摘は尤もである。この手の祭事は貴族にとって重要な責務の一つであり、自家の権威を示したり民衆の不満を解消させる意味でも失敗は許されないものだ。その安全が脅かされる危険があるのなら、取り除くのは当然貴族の私兵たる領邦軍の役目である。それを士官候補とはいえ学生四人に任せるというのは腑に落ちない。
「ラウラ嬢の言う通りだ。毎年ラマール州の領邦軍の方から準備に人手を割いて貰ってたんだが……今年は
「あの人が……」
「それに当日はかのオーレリア・ルグィン伯が来てくれる。彼女がいれば万一の危険もないだろう」
「確かにあの方がいれば島の魔獣も近づきはしないでしょうね……」
乾いた笑みで納得する妹弟子であった。
「それでは荷物を置いたら始めてもらおうか。ひとまず十八時になったらここに戻ってくるように」
時刻は午後二時。夏の日差しの下で、三回目の特別実習は始まった。
*
「さっきの話、どう思う?」
「さっきの?」
「領邦軍がいない件だ」
監督役が去った後、小屋の中で山登りの準備を始めたエマ達。荷物の整理をしている最中、マキアスは唐突に口にした。
「毎年の仕事すら放り出して、その理由を責任者にも明かさない。僕は正直悪い予感しかしないな」
「それは……否定できないかも」
冤罪で投獄されたマキアスは当然として、四月のケルディックで領邦軍が窃盗を手引きしていたのを目の当たりにしたエリオットも、何らかのトラブルに巻き込まれるのではないかという懸念から表情を曇らせる。
「其方らの懸念も無理はないが、今回は恐らく心配ないと思う」
否定したのは得物のチェックを終えたラウラだった。
「オーレリア将軍が総指揮を務めるラマール州の領邦軍は精鋭揃いで有名だ。全員が高潔とは限らないが、少なくともあの人の目の届く範囲の兵は非道な行いはしないであろう」
「オーレリアって、さっきトーラさんが言ってた人だよね? ラウラの知り合いなの?」
「私の姉弟子の一人だ。≪黄金の羅刹≫の二つ名の方が有名かもしれぬな」
「アルゼイド流とヴァンダール流。帝国の二大剣術の皆伝を収められた方ですね」
「聞いてるだけでとんでもないな……」
「どちらにせよ今は気にしても仕方ないことだ。任された以上は我らで果たすしかあるまい」
各々準備を終えるが、ここで問題になるのは設置する導力灯だ。魔獣との戦闘が考慮される中で、十台纏めて持って歩くのは現実的ではない。話し合った結果、まずは人数と同じ四台を持って山道の様子を確認することに決定した。
「それじゃあ、私達は行ってくるわ。留守番よろしくね」
「にゃあ」
流石に実習にまで飼い猫を連れてはいけないので、セリーヌは小屋の中で大人しくしてもらうことになる。無論三人の目を欺くためのフェイクであり、彼女は彼女で一足早くこのブリオニア島を調べるつもりのようだ。
管理小屋を出て、海を右手に山道に入る。普段人の行き来が無いためか、巡礼路は整備出来ているとは言い難い険しい坂道だ。手にした導力灯の重さを常以上に感じながら、一行は最初の設置ポイントに到着した。周囲の警戒をラウラとエリオットに任せ、まずは
手のしていた導力灯──高さ五十リジュほどの筒型のオーブメントを地面に置いて土台を固定した後、内部の伸縮棒を伸ばして高さを百二十リジュくらいにまで引き上げる。最後にクオーツを嵌め込んでスイッチを入れれば完了だ。箱型の台座に収められた光が、まるで本当に火を焚いているかのように揺らめいている。
「説明書きから特注品なのは分かっていたが、燭台みたいだな」
「似せて造られているのでしょう。これなら火種を準備する手間も、倒れて火事に発展する心配もありませんから」
「正直道すがらの導力灯に凝るくらいなら別の部分にミラと手間を回すべきと思うんだが……」
「まあまあ。きっとこれも重要なことなんですよ」
一度経験してしまえば然程難しい作業ではなく、アッサリと二台目の設置を終えた二人は順路の外に目を凝らすラウラとエリオットに声を掛ける。
「終わったのか?」
大剣を構え、周囲を油断なく睥睨していたラウラがそのまま二人の方を向く。重く、威圧感のある眼差しにマキアスが一歩後退った。エマも一瞬気圧されるが、すぐに立ち直って口を開く。
「ええ、設置はそれほど難しくはありません」
「ならば次に向かうとしよう」
「あ……」
言うや否や、ラウラは早足で山道を進んでいく。遠くなっていく背中には、表情を見なくとも分かるほど張り詰めた雰囲気が滲んでいた。
「ふう……」
「大丈夫か?」
「いや、魔獣はいなかったんだけど……なんか、息が詰まっちゃって」
「まああの様子では無理もないか。行き道でも口数が少なかったが、どうしたんだろうな」
「……あ、もしかしてあれかな?」
「心当たりがあるんですか?」
「うん。帝都で降りる時、フィーがラウラに何か言ってたみたいなんだ。内容までは聞こえなかったし変な様子も無かったから気にしてなかったけど」
「それは……大丈夫なのか?」
「とにかく様子を見ましょう。ラウラさんですから滅多なことはないと思います」
みるみる内に遠くなっていく背中を、三人は小走りで追っていく。
その不安は、程無くして現実のものとなった。
*
「──ハアッ!!」
下段から上段へ、掬い上げるように振るわれる大剣が敵を吹き飛ばす。即座にステップを踏んで横から割り込んできた魔獣の突進を回避。カウンターで斬り伏せた。重い大剣に振り回されない身体捌きと果敢に攻め立てる勇猛さは、かつての獅子戦役で常に先陣を切ってきたアルゼイドの剣士に相応しい。
「待ってくださいラウラさん! 離れ過ぎです!」
その遠い背中へエマは必死に呼びかけていた。
巡礼路を歩いてしばらくの後、エマ達は道中を塞ぐ魔獣の群れと遭遇した。すぐに臨戦態勢を整えるが、戦術リンクを繋ぐや否やラウラが一人飛び出したのである。呆気に取られる中いち早く復帰したエマはこれを追いかけるも、足の速さでは追いつけない。エマが近づく頃には、ラウラは一人で群れのボス──巨大な猿のような魔獣を追い詰めていた。
「洸刃ッ、乱舞!!」
光剣が槌の如き腕を斬り落とし、返す刀で胴体を袈裟掛けに一閃。血飛沫と悲鳴を上げながら巨体が傾く。止めを刺すべく踏み込むが、最後の足掻きで振り回されたもう片方の腕がラウラの肩を打ち据えた。痛みに顔を歪めるも、強引に前へ踏み出して大剣を突き出す。心臓に差し込まれた刃は今度こそボスを絶命させた。
「はっ、はっ、は……残りもこのまま……」
「ラウラさん!」
ふらつきながら立ち上がろうとするラウラの、大きく上下する肩を掴む。消耗も怪我も度外視した前のめりな姿勢は暴走状態と言ってよく、とても放置できるものではない。
「問題ない」
「そんな訳ないでしょう!? さっき肩に一発貰っている筈です。先に手当しますからひとまず座って──」
「問題ないと言っている!!」
乱暴に手を振りほどかれて睨まれるが、エマも退かない。青と琥珀の視線が正面からぶつかり合い火花を散らす。
その頭上を、影が覆った。
エマは咄嗟にその場を跳び退いたが、反応が遅れたラウラの身体が押し倒される。彼女を襲ったのは崖上から飛び掛かってきた狼型の魔獣だった。更に数体、同じ魔獣が続けて降り立つ。群れ単位での襲撃。漁夫の利を狙う狡猾さまで併せ持つ厄介な相手だ。
「うわああああ!」
聞こえた悲鳴にエマの背筋が凍りつく。視線の先では別の個体がエリオットとマキアスに向かっていた。ラウラを追ったエマと二人の間には距離ができており、魔獣達に分断された形になる。言うまでもなく後衛の彼らには危機的な状況だ。授業で得物を無くした時のことを想定した格闘術の手解きは受けているが、複数の敵相手に対応出来るほどではない。
エマは魔導杖を振るい、ラウラを組み伏せていた魔獣に導力弾を叩きこむ。横合いからの攻撃に怯んだ隙を逃さず、ラウラは魔獣の腹に蹴りを放って押し退けた。最低限の援護に上手く呼応してくれたことに感謝しつつ、後方──マキアスとエリオットの方へ駆け出す。狼の群れは二人を囲んでおり、今まさに牙を突き立てようとしていた。
敵と味方が重なった状況ではアーツを誤射する危険がある。
(まだ十分に試せていないけど、やるしかない……!)
走りながら≪エアストライク≫を駆動させたエマは、
アーツも魔術も、根本的には同じ霊力を扱う技術。ならば双方を組み合わせ、より状況に即した術へと昇華させることも不可能ではないとエマは考えた。導力について学びつつ、試行錯誤を繰り返すこと三ヶ月。辿り着いたのは、魔術によるアーツの術式改変──優れた魔術使いとしての技量と明晰な頭脳を併せ持つエマだからこそ成せる、新しい技術だった。
「≪ゲイルカノン≫」
仕組みはジェット風船と同じだ。魔力で作った膜に風を注ぎ込み、膨張させたところで小さな穴を開ける。膜の中で渦巻く空気が穴から噴射され、一気に突き進む。
「二人とも、耳を塞いで!」
叫ぶと同時に空気ミサイルが三つ発射され、着弾と同時に破裂した。ベースにしたのが下級アーツの為に威力は然程ないが、風船のように破裂した際の音は凄まじい。大音に怯えた狼の群れは蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
「一旦退きます! ラウラさんもこちらに!」
一時的に退けたが、囲まれていることに変わりはない。立て直しの為に、合流したエマ達は魔獣のいない方向へ走り出した。
*
追ってくる魔獣を振り切り、山道から外れた茂みの中で四人は息を整えていた。
「少し戦術を見直そう」
眼鏡のズレを直したマキアスが、班員を見渡してそんな提案をする。
「ラウラ君はあまり前に出ず、僕達の護衛に徹してほしい。攻撃はエマ君のアーツを主軸にしていくべきだと思う」
「先に受けたダメージなら気を遣わなくても良い。回復アーツもかけてもらった」
「それも心配だが、正直今の君は少し危険だぞ。さっきのように飛び出してもらっては支援もロクにできないし困るんだが」
「そなたらが追いつけばいいだけの話ではないのか」
「君なあ……」
いつになく剣呑な眼差しと乱暴な物言いに、マキアスが苛立ちを露わにする。ピリピリとした空気が二人の間に満ちるのを察知したエマが宥めようと立ち上がり、
「僕からもお願いするよ、ラウラ」
それより早く、エリオットが間に入った。
「情けない話だけど、僕やマキアスじゃ敵に近寄られたらどうしようもないんだ。出来るだけ支援はするから、僕たちを守って欲しい……君に頼り切りになっちゃうのは、申し訳ないけどさ」
「エリオット……」
「それに今のラウラはやっぱり冷静じゃないと思う。せめて今日だけでもマキアスの言う事を聞いてくれないかな?」
「…………分かった、それでいこう。マキアスも済まない。少し冷静ではなかった」
「ああいや、僕の方こそ言い方が良くなかったよ」
遂に頭まで下げたエリオットを前に、流石にバツの悪い顔をしたラウラが頷いた。元よりマキアスの提案が理に適っているのは認めるところ。意固地になっていたのを自覚してしまえば、自分の非を素直に認められるのが彼女の美徳である。
逃げている内に分からなくなってしまった現在位置を確認する為にマキアスが地図を広げ、対面からラウラが覗く。そちらに歩み寄りながら、エマは隣のエリオットに感謝を述べる。自身に非がなくとも周りの為に頭を下げる行いは、中々出来ることではないからだ。
対して、エリオットは力なく笑って言った。
「いいよ。事実だしね」
*
日の光が茜色に変わりつつある頃、B班は山の中腹に差し掛かっていた。道中襲い来る魔獣相手には、マキアスの提案した戦術が功を奏していた。ラウラとマキアスで敵を牽制し、エリオットの援護を受けたエマのアーツで葬り去る。シンプルだが役割が明確な分連携が上手くいき、順調に進むことが出来た。
「ここは……?」
四人は小さな広場に出た。恐らくは休憩として用意されたであろうベンチが置かれており、柵で囲われた崖の先からは、美しい海と砂浜を一望することができる。山道に疲れた一行も、自然と足を止めることになった。
都会っ子二人がベンチに腰を下ろし、深々と息を吐く。
「「疲れた……」」
「そなたら、少し情けないのではないか」
「頼むから君と一緒にしないでくれ……」
「でも、そういうマキアスさんも体力ついてきたじゃないですか。最近は筋肉痛も大分少なくなりましたよね」
「最近慣れてきた自分が少し恐ろしくなってくるよ」
卒業後に軍属となる生徒は全体の四割程度だが、それでもトールズは歴とした士官学院である。カリキュラムには当然武術教練も含まれており、特に基礎体力に関しては徹底的に鍛え上げられる。入学までスポーツや武術と縁の無かった生徒は、まず最初の二、三ヶ月は筋肉痛に苛まれるのが毎年の恒例行事であった。生徒は自ずと身体のケアに関しては詳しくなり、マキアスの場合は湿布や軟膏を部屋に常備するようになっていた。
自分のふくらはぎを揉んでいたエリオットが、何かを思い出したように顔を上げる。
「ラウラは分かるけど、委員長も結構健脚だよね。思い返せば介抱してもらった記憶しかないような」
「実際大したものだ。
「あはは……一応、入学前から体力作りはしていましたから」
転移魔術を習得できない内は、各地を徒歩で巡ることになる巡回魔女にとって人並み以上の体力は必須条件である。偶にリィンの山籠もり修業に混ぜてもらっており、女性らしい外見とは裏腹にエマのスタミナは相当なものがあった。
広場の中央には、岩礁に腰かけて海の方角を向く人間の像が鎮座してた。ワンピースのような衣装を身に纏った若い女性。像に近づいてみれば足下には名前が刻まれている。
「碧のオンディーヌ……エマ君が飛行船で話してくれたのはこれか」
「はい。海の大精霊の娘とされていて、船乗り達の守護者としてこの辺りではよく信仰されているみたいです。船首に女性の像を置く時は大抵この方なんだとか」
「言われてみればオルディスの港でも見た気がするね」
メモに書き込んでいたマキアスが、ふと像を見上げる。
「そもそもの話、精霊とは何だろうな。教会の教えが広がる以前に信仰されていたとは言うが、詳細が書かれた本はあまり見たことがない」
「む……言われると私も上手い説明はできないが」
三人の視線は自然とエマに集中する。
「そんな風に見られても大したことは言えませんよ?」
「構わぬ。さっき話してくれたことも含めて、其方の意見を聞いてみたいのだ」
「……まあ、学術的な観点から成り立ちを推測するくらいでしたら」
何やら歩く辞書のように見られている気もするが、そこは頼られれば断れない系才女。あくまで一説に過ぎないと前置きしてから口を開いた。
「オンディーヌは海の大精霊の娘であるように、精霊は大自然の化身や象徴として祀られるケースは多いのですが……その成立の根底には未知への恐怖があるとされています」
「恐怖?」
「自然災害が起こるプロセスや、かつて未開であった場所。当時の学問や技術では解明出来なかった現象は、そこに住んでいた人に強い不安を齎していたでしょう。……理解のできないものは恐ろしい。だから当時の人は、それらに名前や
地震が起きるのは大地の精霊の怒りを買ったせいだ。あのおかしな場所には化け物が住んでいるから決して入るな。
説明の出来ない事象に架空の存在を当て嵌めて、その存在のせいだ、或いはお陰だと理由付けをすることで納得する。文明が失われた暗黒期以降の古代人にとって、それは現代の物理法則と同じ常識となって根付き、やがて拠り所となった。
「精霊が本当に実在したのかは私達には分かりません。ですが多くの人から恐れられ、形を与えられ、語り継がれることで『在る』と信じられたものには力が宿ると言われています」
実際のところ、魔女達にも正確な究明は叶っていない。元より存在していたから語られるようになったのか、架空の存在が語られることで現実のものとなったのか。卵が先か鶏が先かという話だ。
だが精霊に限らず、同一の指向性を帯びた人の想念がこの世ならざるモノを生み出すのは事実である。
精霊、幻獣、悪魔、──そして怪異。魔女にとっての隣人であり宿敵。
「そうなるとこのオンディーヌは……嵐や高潮のような、航海を妨げる要因への恐れから生まれたのかもしれないな」
「航海の無事を祈る対象となったということか」
「あくまでこの理論に当て嵌めるなら、ですけどね。後はこのオンディーヌ、ひとつ興味深い話があるんです」
エマはオンディーヌ像の下半身に触れて続ける。
「このワンピース、随分と丈が長いと思いませんか? この座高なら大体足の倍以上はあるはずです」
「確かにこれは……後ろで誰かに持ってもらわねばまともに歩けそうにないな」
「これはどのオンディーヌ像にも共通してることなんですが……その理由として、彼女は自らの下半身を隠しているのではないかという説が有力なんです」
「……もしかして、正体は人魚ってこと?」
「少なくともモデルになった可能性は高いでしょう。そしてこの人魚は、実は船乗りを脅かす怪異としても語られているのが……────」
解説を続けようとしたエマが、何とはなしに視線を海に向けた時、
「──え?」
視界に入ったものに、強烈な既視感と違和感があった。
若い女性だった。
こちらに背中を見せており、崖の先に広がる海面から上半身だけを出している。陽光を弾く、長く鮮やかなブロンドヘアーが特徴的だった。
エマが違和感を覚えたのはその距離。女性は浜からおよそ三十アージュは離れていて、浮き輪でもしなければ沈んでいる筈である。
「どうしたのだ?」
「ラウラさん、あそこに……」
隣からの呼びかけに、一瞬だけ横に動かしていた視線を沖に戻す。
しかしそこにいたはずの女性の姿は、まるで幻のように消えてしまった。
碧のオンディーヌは、一応名前だけ原作でも登場します。(オルディス商業区中央にある女性像がそうです)
精霊信仰というメッチャ面白そうなのに最後まで掘り下げが無かった設定を独自解釈で広げていくつもりです。
また今回のラウラは先月のマキアスポジです。