ふと思ったのだが煉獄さんの「よもや!」は「マジか!」と同じニュアンスで使われてるよね、知らんけど。
錆兎と義勇が吊るされている木を硝子越しに眺めながら、俺は物思いに沈んでいた。
禰豆子が朝だから普通に寝ていて悲しかったり、そもそも何しに来たんだっけ俺、とか考えなくも無かったが、目下の最重要事項は煉獄についてである。どうやって彼を生かすかだ。
煉獄は少しうるさいけど、人情に溢れた優しい男だ。俺は今だかつてあそこまで純粋に他人を思える人間に会った事がない。少しうるさいけど。
絶対に猗窩座なんぞに殺させるものか!
そう決意したのは二年前。いまだに完璧な対策が思いつかない。
嘘です。思いついています。悲鳴嶼さんが無限列車に乗れば全部解決なんです。
目が見えないから下弦の壱の催眠術効かないし、透明な世界入れちゃうし、猗窩座までだったらサシで倒せると思う。まじであの人強いから。
問題は悲鳴嶼さんを列車にのせる話術が俺に無いことである。
悲鳴嶼さんは周りから歴代柱最強クラスに思われているため、本人の性格も相まって担当地域が非常に広い。つまりは忙しい。
列車のある場所は煉獄の担当場所に近い上に、煉獄も十分強いから、『念のため柱二人でいったらどうですか?』なんて言えば本人たちに却下されること確実なのである。
柱の共同任務は効率が悪いからね。ただし、しのぶさんは例外。
今の所一番実行可能なのは俺も煉獄にちゃっかり着いていく事だ。錆兎と一緒に着いていけば、結構な戦力になると思う。
しかしその場合、無惨が慎重になって上弦を二人派遣してきたら確実に詰むのだ。無惨の頭無惨確率ガチャなんて絶対やりたくない。
おのれ猗窩座ァ!!
だがまだあと数ヶ月はある。取りあえずはかまぼこ隊を叩き上げることか。そうだ俺こいつら鍛える為に来たんだ。
幸いにも人材は揃っている、錆兎に義勇、しのぶさんにカナエさん、真菰に村雲。炭治郎は弟弟子達に頼むとして、伊之助は風の派生だから村雲か?善逸は、俺でいっか。
指導には慣れてるぜ、何せ錆兎を育てたのは俺だからな!
六年前、柱になりたての頃に『俺今から百回技出すから、お前
煉獄については宇髄にも相談してみたいと思う。適当に言葉を濁してだけど。
目を覚ました善逸が俺の事をじっと見ていたので、要件だけを伝えておく。
「俺は一門流。これからお前を鍛える」
「ながれ……。流さん?」
お、どうやら俺の事を知っているようだ。まあ俺水柱だし、地味に位高いし。
「もしかして、狭霧山の変態!?」
な ん で や ね ん 。
「待たせてしまいすいませんね、炭治郎君。改めまして、わたしは胡蝶しのぶ。胡蝶カナエの妹です」
「お構い無く!俺は竈門炭治郎で、こっちは妹の禰豆子です。ほら禰豆子、あいさつだ」
「んん……」
「禰豆子ぉ……」
がばりと頭を下げる炭治郎。禰豆子にも促すが、禰豆子はしのぶに怯えて炭治郎の後ろに隠れた。炭治郎は困った風に禰豆子を見る。
「ごめんなさい、しのぶさん」
「仕方がありませんよ炭治郎君。わたしが禰豆子さんの命を狙った事は事実なのですから」
しのぶは笑って受け流すと、炭治郎と禰豆子の為にお茶を出した。医務室には、換気の為に開け放った窓から男の溌剌とした声が響いてくる。
「話はすぐに終わると思いますが、一応」
「ありがとうございます」
湯飲みを受けとる炭治郎。禰豆子も手で受け取ろうとするが、その熱さにすぐ手を離す。しのぶはそれを見て、卓の上に湯飲みを置いた。
ゆらゆらと立ち上る湯気に、禰豆子の目が釘付けになる。
「かわいいのね、姉さんの言っていた通りだわ」
しのぶは憂いをおびた表情で小さく呟くと、表情を改め炭治郎に向き直る。
「炭治郎君、禰豆子さん。あなた達の保護はこの蟲柱が直々に承った任務です。ひとまずこの蝶屋敷にいる間はあなた達の絶対の安全をわたしが保障します。ええ、もちろん隊士からの安全も含めてです」
「ありがとうございます」
炭治郎はほっとした表情でしのぶに感謝を告げた。
「ですが残念ながら、これはただの善意ではありません。あなた達は鬼舞辻無惨に遭遇し、命を狙われる何かがあること。それを利用して数代に渡って姿をくらましている鬼舞辻無惨を見つける事が理由の一つであることも確かです。わたしも完全な味方、というわけではないの」
「いえ、それを教えてくれただけでもありがたいです」
「そして、姉と違って禰豆子さんと必要以上に親しくするつもりもありません。もしもの時に『情け』を覚えてしまったら柱の名折れですから。それも最初に言っておきます」
「はい。その時は俺も禰豆子の頚を切って自刃するつもりです」
炭治郎は少しも躊躇わずに答えた。しのぶは炭治郎の瞳から確かな覚悟を感じとり、信頼に足る人物であると評価する。
「本来ならば炭治郎君の居ない隙にやろうと思っていたのですが……予定変更です。その覚悟、いかほどか試させて貰います」
しのぶが窓に寄り、顔を出すと、「応ッ!」と男が返事をした。
「ここ、蝶屋敷は鬼殺隊の医療施設として、日夜怪我人を受け入れています。今回のように、血鬼術の治療を行うこともあれば、四肢を欠損し、血にまみれた人間を運びこむこともある」
しのぶの鋭い視線に炭治郎は息を飲む。
「血の臭いに鬼は非常に敏感です。あなた達を守ることがわたしの任務ではありますが、わたしは柱以前に一人の人間としてここの看護師達と患者を守る義務があります」
しのぶは懐から鍵を取り出して、奥の小さい棚に差し込む。そこにあるのは大量の印がつけられた小瓶だ。中にあるのは赤い血液。
禰豆子の瞳孔が開き、爪が伸びる。
「なので証明してください。わたし……いいえ、鬼殺隊に対して、禰豆子さんが人を喰らわない鬼であるという事を」
「待たせたな、胡蝶!」
目の前のしのぶや流とはまた違った強者の匂いに、炭治郎は燃え盛る炎のようだと感じながら振り返った。
「あいにく、わたしだけでは信頼に足りないという話だったので。炎柱の煉獄杏寿郎さんです。禰豆子さんがこの稀血に耐えられるか、見させてもらいます」
しのぶが皿に血を流し、禰豆子の前に置く。
「ガッ!!」
「禰豆子!!」
先程までとは売って変わった形相で皿へと向かう禰豆子。炭治郎はその手を掴もうとするが、別の手がそれを阻む。
「すまないな、少年!無理やり止めては意味が無いのだ!」
「なっ!?禰豆子!!だめだ!」
しのぶはそれを真剣に見つめている。
皿まであと少しの所で禰豆子は、足を止めた。無理やり衝動を押さえつけるように歯を食いしばりながら、血を凝視し続ける禰豆子に、意外にも声を掛けたのはしのぶだった。
「禰豆子さん。姉さんの理想、姉さんの信じたあなたを、わたしにも信じさせて」
「ムー!」
禰豆子はすぐに身体を小さくすると、窓から毬のように転がりながら外へ出ていった。
「禰豆子!?」
炭治郎も呆気に取られた煉獄の隙をついて拘束から抜け出し、外へ飛び出していく。
「ぷっ!」
しのぶは煉獄の表情を見て、堰を切ったように笑い出す。煉獄は眉を寄せると、脱力して近くの椅子に腰かけた。
「胡蝶、君ははじめからあの鬼に厳しくするつもりなど無かったな?」
「十分厳しくしましたよ?わざわざ貴重な稀血まで使ったのですから」
煉獄は辺りを見回した。
「いつでも抜け出せるようにと開けたままの窓、静止する言葉。もし脱走して人を襲うなんて事をしたらどうするつもりだったのだ」
「でもその中庭には冨岡さんと鱗滝さんがいたでしょう?」
「吊るされていたがな!それに極めつけはあの少年だ。常中はまだ未発達とはいえ、あの若さで呼吸をあそこまで使いこなせるのはなかなかではないか!」
「それに関してはわたしも知りませんでしたよ。昨日会ったばかりなのですから……。ええ、でも煉獄さんの拘束から抜け出せるとは思っていませんでした。姉さんに指導されただけはありますね」
カナエは常中を使えない隊士であるが、そのぶん瞬発力を高めた呼吸を一年かけて習得したのをしのぶは知っている。だからこそ、まだ隊士でいられるのだ。
「どうですか、煉獄さん?いろいろしたとはいえ、鬼の彼女が稀血の誘惑に打ち勝ったのは紛れもない事実です」
「むぅ……。彼女を完全に無害であると認めるにはまだ足りないが、俺は俺の見たことをお館様に伝えよう」
「よしなに」
しのぶは静かに頭を下げた。
戸口まで向かった煉獄だが、ふと思い立ったようにふりかえる。
「胡蝶、なぜ君はあの鬼をそう素直に信じられる?君も鬼に因縁があるのだろう?」
しのぶは少し逡巡した。家族を殺した鬼のこと、友を殺した鬼のこと、大切な姉を瀕死にした上弦の弍が頭をよぎる。
それでも、
「それでも、わたしは姉さんの夢を一緒に見たいんです。やっとその機会が来たんですよ?無意に潰すわけにはいきません」
しのぶはいたずらっぽく微笑んで、首を傾けた。
「それに、姉さんが『良い子』と言った鬼が悪いわけないじゃないですか」
胡蝶カナエが嘘をつかないことをしのぶは知っている。
カナエが穏やかで誰にも優しいのは確かだが、彼女は絶対に気休めで嘘をついたりしないのだ。良いものは良いと言い、悪いものは悪いと言う。
カナエが持つ何よりも強いものはその精神力。
鬼殺隊内で物怖じせずに『鬼と分かりあいたい』などと主張することからも分かる。
判断なんて見誤るわけないのだ。
「そうか。確かに元花柱殿の言葉であれば信頼に足りるな……」
煉獄は風の吹き込む窓を見やると大きく頷いた。
「質問に答えてくれてありがとう!千寿郎もここに来てから笑顔が増えたし、君には感謝してもしきれない!」
「千寿郎君については攸花さんにお礼を」
「む、確かに!一門家には世話になってばかりだ!ではまた今度!」
杏寿郎が去るのを見届けた胡蝶は窓に手をつき、中庭を見下ろした。
柔らかい表情が一瞬で崩れ、硬直する。
「……何やってんのよ、あいつら」
そこには目を回して木刀を振り続ける千寿郎と、ぶらんぶらん吊らされたまま回避する男達の姿があった。
「いいか、我妻。変態というのはあれの事だ」
俺は窓の外で行われている『狭霧山流』の訓練を指差した。
「俺が横を通りかかると、真剣でやるよう頼まれる」
「キモチワル!!」
そう、やばいのあいつら。そんなの頼まれてやるのは真菰くらいだから。
「俺にはあれを気持ち悪いと思える正常な感性がある。だから俺は変態じゃない」
証明完了。Q.E.D.