傘を忘れた雨の日は、いつも図書室に向かった。
そこで時間を過ごして、自分の担当プロデューサーを呼ぶのが雪美の日常だった。
平日で、しかも相手はプロデューサーという役職であるためにプロデューサーが直接雪美を迎えに来ることは少なかった。多くの場合、同じ事務所に所属する他のアイドルが代わりに迎えに来た。
雨の日にプロデューサーを呼ぶ行為を繰り返していると、そのうち、雪美が連絡する前に彼から連絡が入るようになった。迎えに行けるかどうかの知らせと、行けない場合はそれに謝罪が付いただけの短い文だったが、それで雪美は満足だった。
仕事の付き添いで他のアイドルと共にいる中で、雨を見れば雪美の事を思い出して自然と連絡をしてくれている。そう思うと、短いメールひとつでも不思議と嬉しくなる。
図書室に着くと、好きなように本を見繕って席に着いた。六個の椅子が備えられた長方形の長テーブルの、ちょうど角の席に座る。シリーズ物の本を続けて読むときもあれば、前に読んだ本と全く関係の無いものを読む時もあった。今回選んだのは前からずっと読み続けているもので、少年と少女の淡い恋愛模様を描いた小説だ。
携帯電話を机の上、ちょうど手に持つ本の真横あたりに来るようにして、いつでも画面を見れるようにしておく。黒猫をかたどったスマホケースからは耳と尻尾が飛び出していて、スマホが元々の本体のサイズよりだいぶ大きく見える。
ちらちらと画面を気にしながらも本を読み進めた。時間を潰す為に本を読んでいるのに、そうやって気にしていると逆に時間を意識してしまう。この時間はいつもこうなってしまって、すこしじれったい心地がする。
それから十分と少し時間は流れて、やがて軽い電子音が鳴った。
待ちに待ったその音を聞いて画面を見れば、新たな通知が一件追加されている。メールを開けば、やはりそこには、待ち焦がれていた「着いた」の三文字があった。
直ぐさまランドセルを手に持って、席から跳ねるように立ちあがった。椅子と床の間で大きな音が音がなっても気に留めず歩きはじめる。古くなって動きづらい図書室の扉を力を振り絞って開けて、それから廊下を駆け出した。雨で湿った床は上履きが擦れる度に甲高い音を鳴らす。歩く速度を上げていくと、追ってくるようにその音もテンポを上げていく。廊下を曲がるところで思わず滑りそうになったところで足の速度を落とした。
窓からはまだどんよりと暗い雲が空を覆っているのが見える。しかし雨の勢いは弱くなっていったようで窓を打つ雨粒も、そのぶつかる音もいつのまにか少なくなっていた。
昇降口に出る頃には、運良く雨は止んでいた。まだまだ雲は分厚い。時間が少し経てばまた同じように雨を降らしてくるのだろうか。
傘を右手に持って駐車場に臨むと、いくつか止まっている車の中に、見慣れた黒色の軽自動車の姿があった。側に歩いて行って窓を覗くと、運転席に座っている男が携帯を覗いているのが見えた。窓をノックすると彼女の姿に気づき、窓を開けた。
「……………ただいま………」
「おかえり。待たせちゃってごめんな」
「…大丈夫……一緒に…帰ろう…」
ドアを開けて、当然のように助手席に座った。この席なら、男のより近くに居られるし、運転しているその横顔を覗くことだってできる。
携帯をポケットに仕舞った男がキーを回してエンジンをかける。そのエンジンの振動がシートを伝わってお尻と背中に伝わってくる独特の刺激は、意外と気に入っている。
ちらり、と眩しさを感じた。
「……わぁ………!……」
空を見上げてみると、雲に小さな割れ目が入って、そこから光が漏れている。ちょうど雪美と男の乗る車に降りてきたそれは、ガラス越しにも神々しい雰囲気を感じさせた。
その割れ目に続くように雲の隙間が増え、漏れてきた光がちらほらと見えてきた。
「せっかく来たのに、晴れちゃったな。あ、事務所寄るか?」
そういってこちらを振り向いた男に向かって、雪美は首を横に振った。
「…ううん………家に……帰る………ペロ…待ってる………」
「そっか。了解」
「……プロデューサーも………うちに…来る……?……」
「おお、お誘いか?それじゃあお邪魔させてもらおうか。今日は時間はあるし」
事務所に帰れば、同い年の子たちがたくさんいる。みんなが素敵なアイドルで、友達だ。そして雪美が会いに行けばきっとおかえりと言って、喜んで迎えてくれるだろう。
男のことは好きだし、みんなのことも好きだ。事務所に帰ってもきっと楽しいだろう。ただ、今日はそういう気分になってしまったのだ。
事務所からはあの景色は見えただろうか。もし見れたのがこの車の中からだけだったなら、それは少し、素敵なことかもしれないと、胸の中でひっそりと思った。