心とは何だ。ウルキオラ・シファーは、そんな疑問を抱いた。
きっかけは、何だったか。ノイトラがやけに自分に突っかかってくる事だったか、グリムジョーが喧嘩をふっかけてきた事だったか、ヤミーが何やら楽しそうに笑っていることだったか、とにかく、自分には理解できたい行動をする彼等に対して思ったことを、疑問を口に出しそれを市丸に聞かれたのが始まりだ。
市丸は言った。人だった頃持っていた心が戻ってきているのだろう、と。ウルキオラは問うた、心とは何だと。
ウルキオラは人だった頃の記憶はない。いや、大概の虚は持たない。ただ中級大虚になると人だった頃の知識を思い出し言葉を手にする。ウルキオラも同じ理由で言葉や単語など知識はある。心とは何を意味するか、辞書のようなものとして知っている。
それだけだが。
それは物理的に存在せず、それは触れられず、目に映らぬ。なのに何故それがあるなどと言えるのか。
理解できなかった。しかし藍染の腹心の言葉だ。生真面目なウルキオラはそれを理解しようと思った。となると、プラスの魂魄に接触するのが良いだろう。彼等が心を失った結果が今の自分達。逆説的に彼等は心とやらを持っていることになる。
「…………織姫」
井上昊は死者である。大凡二ヶ月前に死に、未練を残し現世に留まる霊となった。今こうして見ているのは妹の織姫。喧嘩したまま、仲直り出来なかった。それが心残りだ。
彼女を思って買った髪飾りだったのだが、気に入らなかったらしい。それに、少し腹立ってしまった。声を荒げた妹ともっと話すべきだった。。何が気に入らなかったのか、話してもらえば良かった。
けど、仕事が終わった後で良い、そう思い家から出た。
彼女は、泣いていた。謝っていた。喧嘩別れしたことを悔いていた。
そんなこと、気にしないでくれ。笑っていてくれ。そう願う声は届かない。だから、見守る。彼女が笑える日が来るのを待って。
「おい……」
「………え?」
不意に声をかけられる。誰に?自分に?幽霊たる自分に、誰が?
振り返ると一人の男が立っていた。材質が解らぬ白いもので全身が覆われており、頭の部分がかけ端正な顔を除かせる。翡翠の瞳がジッと昊を捉えていた。
「心とは何だ──」
いや、とりあえずお前がなんだ。
話を聞くと彼はホロウと呼ばれる存在が進化し至ったヴォストローデ。その仮面が砕けたアランカル擬きという存在らしい。彼は心とは何かを確かめるため心を持っているはずの霊に話しかけたのだとか。
「お前があの女に付きまとうのは心があるからだろ?」
「つ、付きまとうって言い方は………織姫は普通に妹なんだけど………でも、そうだね。心だ……家族を守りたい、そういう心───」
とはいえ、このまま此処に留まれば何時か自分もホロウとなり家族である織姫を喰おうとするのか。それは、良くない。耐えなくてはならない。別れを──何時か、分かれなくてはならない。
胸が締め付けられるようだ。これが心有る故の痛み。それを彼は知ろうとしている。いや、或いは思い出そうとしている?
心有るが故に未練が生まれ、だからこそ彼はホロウと成り、乾き続けヴォストローデへと至ったのだから。
「解らんな……守る?お前に何が出来る」
「………え」
「俺があの女を殺そうとしたら、お前に何か出来るか?」
「な!?そ、そんなことさせるわけ────ッ!?」
物騒な言葉に叫ぼうとして、止まる。止められる。首を捕まれた。万力のような力が飛び出そうとした声を喉に押しとどめる。逃れようともがくが、ピクリともしない。
「お前がどれだけ叫んだところで、俺が一度あの女を喰おうとすればあの女は終わる。いいや、俺じゃなくても同じだ。お前に、虚を止める術などありはしないのだから」
「そ、んな………こと──!」
「そうか……」
ウルキオラはそうつぶやくと手を離す。ゲホゲホ咳き込む昊に目を向けず、背を向けて歩き出す。
「ならば見ていると良い。お前の言うその心など、何の役にも立たないものだと言うことを」
「な、ま、待て!」
妹の方に向かってあるこうとするウルキオラの肩を掴む昊。腕を捕まれ、投げ飛ばされる。しかし直ぐに掴みかかり、腹を膝で蹴られる。それでも掴み、攻撃され、掴み、吹き飛ばされる。
───何なんだ此奴は?
ウルキオラはボロボロで、今にも消えてしまいそうな人間の魂魄を見る。どうしたって勝てないと解っているのに、何故此奴はこうも向かってくるのか。理解できない。これが心とやらか?
「理解できんな、俺には心とやらは………だが少なくとも、このような無駄な行為を続ける、不必要なものだという事は解った」
「不必要、なんかじゃ……ないさ………」
「………なに?」
「心が必要ないなら、もう調べない。なら、織姫、にも……何もしない、だろ?」
「………………」
確かに。あの女をこの男の前で喰おうとしたのは心とやらを持っているこの男の反応を見るためというのもあった。役に立たないのが確かであるものを、理解しようとする気はウルキオラにはない。あの女はわざわざ喰う価値もないわけだし。
だが、守ったと言えるのか?この体たらくで。実に、くだらない───
なのに、ウルキオラは定期的に昊に会いに行った。理由は不明だ。いや、一度は理解する必要なしと判断した心に、興味が沸いたからだろう。何故かは解らないが。
最初は警戒していた昊も回数が増えれば少しずつ警戒が薄れ、今では普通に話すようになった。やれ妹がどうだこうだと。兄妹そろって物言わぬ相手に話しかけるのが好きらしい。妹は遺影に向かって今日はどうだったこうだったと話している。返事など返ってこないのに。返したとしても、聞く術を持っていないのに。
兄は言う。心は通じ合えていると。やはり理解できない。
それは何だ。
その胸を引き裂けばその中に視えるのか?
その頭蓋を砕けばその中に視えるのか?
貴様ら人間は容易くそれを口にする。
まるで自らの掌の上にあるかのように───
そう問いかけたウルキオラに、昊は言う。心とは目に映らない。でも、此処にある。と──自身と妹の間を広げた両手で示した。
一人ではなく、誰かと思いを通わせて初めて心が生まれると。自分とウルキオラの間にも、もう生まれていると。
「その心故にお前は妹に執着し、守ろうと寝言をほざき、何れお前はお前の妹を喰い殺すことになる」
「その時は、君が俺を喰ってくれないか?俺を止めてくれ──友として」
「友?友だと?
「でも、こうして言葉を交わらせた。心を通わせた。だから、俺とウルキオラは、もう友達だ───なんて………」
照れたように頬をかく昊。やはり、理解できない。何故自分を喰うものを友と呼べる。対等などと思える。心とやらを通わせたつもりになった結果なのか?やはり心というのは、理解できない。
ウルキオラは、昊の下へ行くのを止めた。
藍染が言う。時は近いと。動き出した、と。暫くは死神として現場を操作するらしい。そのため此方には顔を出さないと。元々今は死神としての活動が主だ。特に不満は出なかった。
時は近い、といえば──ウルキオラはふと思い出す。三年………大抵の魂魄はそろそろ虚へと変わる。彼奴は満たされているようだったし、まだ大丈夫だろうか?
「………………」
ウルキオラは無意識、自分でも理由も解らず、現世へと向かった。
織姫は、何が起きているのか理解できなかった。突然何かに押されるような、何かから引き剥がされるような感覚とともに壁に叩きつけられたと思ったら白い仮面を付け、蛇と人が融合したような化け物が親友のたつきを襲っていた。
そして、
「ふ、うっ……が──!?」
「───ッ!」
たつきの声に、現実に引き戻される。そうだ、たつきを助けなくては。何をぼーっとしているんだ自分は!
「えい!」
助走をつけ化け物の腕にタックルする。そのままたつきに逃げようと呼びかけるが、たつきは何も答えない。せき込むばかり。よほど苦しかったのだろうか、それにしても何か違和感が───
「無駄だよ織姫……彼女には俺達の声はおろか、姿を見ることだって出来ない」
不意に化け物は語りかけてきた。見た目よりよほど理性的なしゃべり方。だが───
「ど、どうして……あたしの名前を…知ってるの……?」
「………俺の声も忘れたのか」
仮面の奥の瞳が細くなる。まるで何かを悲しむように。
「悲しいな………織姫───!!」
「───ッ!!」
化け物の腕が振り下ろされる。自分の腰回りよりも太い丸太のような腕に殴られた痛みを想像し、目を閉じ身体を丸くする織姫。しかし衝撃が来ることはなかった───
「そうか、心を失ったか───」
「───ッ!ウ、ウルキオラ!!」
見たこともない青年が化け物の攻撃を止めていた。助けてくれたのだろうか?化け物はどうやら彼を知っているらしい。
「───邪魔を、しないでくれ」
「お前にとってこの女は大切ではなかったのか?喰いたくないから止めてくれと、俺に言っていたではないか」
「………あの時とは違う」
「………心とは、そんな曖昧なものか」
化け物は尾を叩きつける。青年は片手で受け止める。子揺るぎもしない。
「邪魔をするな!お前には、関係ないはずだ!俺が喰おうと、お前に止める権利などないはずだ!」
「…………そうだな。俺自身、何をしているのかと疑問に思う………だが、お前が人間の魂魄だった頃、お前は心がなんたるか俺に教えようとした。人間ごときに借りを作るのは癪だ……妹を喰う前に止めてくれと言うお前の願い、かなえてやる」
「────え?」
妹?
その単語に、織姫は改めて化け物を見る。その声を思い出す。そして、その人物が頭によぎる。
「………お、お兄ちゃん……なの?」
「…………あぁ……やっと、俺を思いだしてくれたんだな織姫」
化け物はそういって髪をかき揚げる。髪の下に隠れていたが、仮面の一部が割れていた。その顔は、目元だけだが間違いなく兄のものだった。
「………お兄ちゃん?本当に、お兄ちゃんなの……」
「ああ、俺だよ織姫。やっぱり忘れてなんかいなかっ──」
「どうして──」
化け物──昊の言葉にかぶせるように、織姫が言う。
「どうして、たつきちゃんにひどいことするの──?」
「どうして?決まっているだろう?彼奴
織姫は毎日欠かさず昊のために祈っていた。ウルキオラも知っている。昊の元に行くと何時もそんな話を聞かされた。だが一年が経ち、ウルキオラも昊の前から姿を消した頃、たつきが現れた。その時から、昊のために祈る回数が減った。そして高校に入り黒崎一護という存在が現れてから、とうとう祈ることをしなくなった。
悲しかった。悲しくて、悲しくて、何度も殺そうとした。
「………解らんな」
「………何?」
「お前は俺に言ったな?笑っていて欲しいと。笑うようになったのだろう?何が不満だ。守りたかったのではないのか?」
まあ、その言葉も心有るが故。出来ないことを、自身に益のないことをやろうとしていたのは、心有るが故。
「奇しくもお前は証明したわけだ。それが心を失った姿というのが事実であり、心というのは確かにあると」
まあ、それでも少しも理解できないが。それでもあるとは認めてやろう。この代わりようなのだから。
「喜べ。お前は俺に心があることを証明したぞ……礼だ。約束通り喰ってやろう」
「……………」
ウルキオラの言葉にたじろぐ昊。当然だ。ウルキオラは名前の通り
「ど、どうして……?寂しかったなら、言ってくれれば良いのに。どうしてこんな……たつきちゃんを傷つけるようなことするの……どうして………」
言ったところで、言葉など届かぬだろう。やはり心が通じ合っているなど昊の戯れ言か。と判断するウルキオラ。昊は、静かに目を見開く。
「あたしのお兄ちゃんは、こんなことする人じゃ無かったのに……!」
「──────!!」
その言葉に、昊は警戒していた──恐怖していたウルキオラの存在を忘れ織姫に襲いかかる。
「俺をこんなにしたのは誰だと思ってやる!お前だろう織姫!殺してやる!殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるぞ!」
ウルキオラが昊に妹を守ることなど出来ないと言った理由。それは
「───ッ!?オ、オオオオオオッ!!」
「やはり心というのは俺には理解できんな。通わせている気になればただただ笑い、それが幻想だと知れば怒り狂う……」
「何故だ!?何故邪魔をする、ウルキオラァ!」
昊はそうとう織姫にご執心らしい。逃げることもせず留まる。それだけ、失った心を潤してくれる存在なのだろう。
15の時、屑のような両親から織姫を連れて逃げた時からずっと二人で暮らしていたのだから。
「織姫を育ててきたのは俺だ!織姫を守ってきたのは俺だ!俺のものだ、誰にも渡しはせん!邪魔を、するなぁぁぁ!」
叫び、口から粘着性の液を吐き出す昊。片手をなぎ弾くと壁や窓がシュウウと音を立て溶ける。ウルキオラの腕は、無事だ。噛みつこうと襲ってくる昊は壁に叩きつける。壁が破壊され外に放り出される昊。
「心を失い本能が剥き出しになったくせに、生存本能は失われたか……愚かなものだ」
「─────」
「ましてや他者の所有権を主張するなど、力無き者の言葉とは思えんな」
「織姫は俺のものだ!俺は織姫の為に生きてきた!だが織姫は!俺のために生きてくれない………ならばせめて、俺のために死ぬべきだ──」
昊はウルキオラに背を向け織姫に襲いかかる。遅い。織姫の下にたどり着く前に殺して────
「──────」
向かってくる昊を見て、ウルキオラにも目を向ける織姫が目にはいる。途端にウルキオラの足が止まる。邪魔をするな、そういわれた気がした。あんな雑魚に、この場で最も無力な女が、この場で最も力があるウルキオラに命じてきたのだ。
結局何も出来ず噛まれたが。いや、自分から受け入れた?
腕を伸ばし、昊の巨大な頭に手を添える。抱き締めるように。
「────織、姫……?」
目を見開く昊に織姫は回した手に力を込める。
「……ごめんね、お兄ちゃん──あたし、お兄ちゃんに聞いて欲しかったの」
学校であった楽しいこと、好きなこと、好きなもの、好きな人達。
悲しんでいるところばかり見せたくないから。心配などかけたくないから。
「だから見せたかったの!あたしは幸せですって、心配しなくても大丈夫だよって!」
「───────」
「けど、それがお兄ちゃんを寂しくさせてたなんて、あたし全然気づかなかった………お兄ちゃん……淋しくさせてごめんなさい。大好きだよ───」
そういって倒れる織姫。昊は慌てて駆け寄ろうとして己の爪を見て躊躇う。
「ああ、俺は本当は気付いていたんだ……お前が俺を心配させないために、祈るのを止めたって事を───」
それでも祈っていて欲しかった。自分のために祈っている時は、織姫の心は自分だけのものだったから。
傷つけぬように、そっと指で織姫の頭をなでる。そして、気付く。
「これは────」
「どうした?」
織姫の髪についているヘアピンを見て目を見開く昊。
「俺が、昔あげたヘアピンだ………喧嘩の原因。捨てたのかと、ずっと思っていた───気付かなかった」
昊は、笑う。まるで救われたかのように。髪飾り一つで未練が消えたかのように………。
「ウルキオラ───」
「………」
「俺を、喰ってくれ………このままだと俺は、織姫をまた襲うんだろう?」
「…………解った」
ウルキオラはそう言って昊の胸を貫く。大きく抉れた傷から、ボロボロと昊の霊子が崩れ消えていく。
「お、お兄ちゃん───」
「…………」
「いってらっしゃい……」
「─────ああ」
昊の霊子が完全に解け、ウルキオラに吸い込まれた。
「────?」
妙な感覚だ。これは、我の相当強い
「あ、あの──ウルキオラ?君……」
「………何だ?」
「ありがとう。お兄ちゃんを止めてくれて………」
「………………」
ウルキオラは無言で立ち去ろうとする。去り際にチラリと見ると手を振ってきていた。ウルキオラはその掌をジッと見つめる。
──心は、此処にある
昊の言葉を思い出す。人と人との間に、心はあると。無意識に手を伸ばす。その間に心があるのだろうか?
何を馬鹿な。再び背を向けるウルキオラに、織姫はまたね、と呟いた。