ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。 作:4kibou
甲高く、チャイムの音が響いた。これで、もう何度目になるだろう。空高くのぼった太陽は、すでに朝から遠ざかっているコトを示していた。日差しは強い。真夏のような暑さだが、今日は風がある。屋上なんてそれこそ吹き荒ぶほどだった。前髪がもっていかれそうになって、ふと動かした腕が固まる。……動かすことが、できなくて。
「……五加原さん」
「…………、」
「五加原さん」
「…………あ、うん! ……な、に……?」
「もう、二限目が終わる」
「あ……」
ちら、と覗いた腕時計は、やはりというか大分時刻が過ぎていた。遅刻も遅刻、大遅刻だ。厳密に言えば校舎内には居るので遅刻とも違うが、授業には完全に遅れていた。ホームルームを過ぎ、一限目を過ぎ、いま二限目も過ぎた。これじゃあ不良学生だ、なんて玄斗は思いつつ息を吐く。
「そっか……もう、そんなに……」
「うん。……その間、ずっと、抱きついてたから分からなかった?」
「そうかも…………そう、かも?」
んん? と碧がすぐ側でこてんと首をかしげる。なんだかすこしこそばゆい。
「…………うぉわっ!!??」
「っと」
ぎゃん! と凄まじい勢いで跳ね起きた碧は、そのまま一メートルほど後じさった。今の今まで玄斗に抱きついていたという現実が、どうにも受け止めきれていないらしい。それほど必死だったのか、すっかり忘れていたのか。
「……危ないよ、急に動いたら」
「や、や! や! や! だだだだって、その、ああああああの、うえぇ……!?」
〝な、なんであんな大胆なコトしたんだあたし――!?〟
わたわたと驚く碧をよそに、玄斗も土埃を払い除けながら立ち上がる。学校……というより授業をさぼるのはこれで二度目だった。校内にいる分今回のほうがマシだろうか。考えて、どちらもサボりであるコトには変わらないとうなずく。授業がどうなっているかなんて、それこそいまはどうでも良かった。
「……五加原さんは」
「でも十坂の匂いはちょっと――……あ、うん。えと、えと……なに?」
「……僕の匂い?」
「そ、そこはスルーで!」
なんでもないから! と手を振ってばたばたと慌てる碧。ちょっと玄斗は、香水でもつけるべきかと一瞬悩んだ。
「……五加原さんは、どうしてこんなコトしたんだ?」
「いや、そりゃあ……あたしが訊きたいくらいだけど……さ……」
きゅっと、スカートの端を掴みながら、碧は応えた。わけが分からない。それは彼女も同じだ。分からないままに動いて、なんとか繋ぎ止めて、これからどうするか。きっと自分にはうまくできない。あの日に揃った他の
「なんていう、か……このままじゃ、十坂が……遠くに、行っちゃうような……気が、して」
「……別に、どこにも行かないけどね」
「だ、だからっ、そんな気がした……だけで…………そりゃあ、あたしは……十坂のこと、知ってるようで、なんも知らないし……」
彼女の見てきた十坂玄斗は、所詮うわべだけのものだ。その奥底にある本質なんて一切手をかけてすらいない。ただあるのだと知ったのがついさっき。そこになにか大きな問題があるからこそ、手が届かないのだと気が付いた。……で、あるのなら、
「……知りたい、よ」
「……知りたい……?」
「うん。……十坂の、こと、教えてほしい。わかんないまま……そのままにして、見て見ぬフリなんてしたくない。だから……」
「……僕のこと、を……?」
「……、」
こくり、とちいさく碧はうなずいた。きっとそれこそが彼女の願いであり、本心だったのだろう。紅く染まった顔を隠すように俯いて、必死になにかを堪えるように、スカートをきつく握りしめている。――なんて、強い姿だろう。
「……いいか。もう。五加原さんになら」
「え……?」
だから、すこしだけ鍵を開けてしまった。そも、見せるつもりも聞かせるつもりもなかった話を。誰かに見破られても、全容の一切は明け渡さなかった物語のはじめから終わりまで。彼が
「……すこしだけ、馬鹿な話をするけど、いい?」
「……さっきみたいな、やつじゃない……?」
「うん。もうちょっと、馬鹿な話」
「…………じゃあ、お願い」
うん、と返すように玄斗もうなずいた。理由なんて様々。もう頭が吹っ切れそうで、はち切れんばかりで、考え抜いた結果に救いがなくて、心なんてはじめから折れていて、ともすれば苦しくて限界だったのかも分からない。ただ――
「――五加原さんは、僕が人生二週目って言ったら、信じる?」
そう言葉に出した瞬間。スッと、玄斗の心からなにかが抜け落ちていくのを感じていた。
◇◆◇
ゲーム会社の代表取締役社長である父と、イラストレーターであった母。その間に生まれたのが、明透零無という少年だった。彼が生まれた直後に母親は死んで、父親とふたりだけの生活が続くも、家庭環境は崩壊寸前。必死に繋ぎ止めていた父親も、彼の成長と共に逃げるよう仕事へ走った。そのせいで、ろくな人生を歩めなかった。簡単にまとめてしまえば、こんなコト。
「――――、――――」
「…………え? いや……」
玄斗は話した。一生分を優に超えるほど、言葉にした。
「――、――――、――」
「いや……うそ。なにそれ……ええ!?」
話して、話して。話しきるまで、とても時間がかかった。なにせヒトの人生一生分。とても一時間や二時間で終わるようなものではない。心に抱えていた自分だけの記憶を、ひとつずつ、ひとつずつ紐解いていく。
「――――、――――」
「…………それ、って……」
「――――――、」
「……うん。…………うん」
明透零無の人生はうすっぺらいが、話すのに不足はしなかった。それは単に彼女が聞き上手なだけか、それとも玄斗の口が思いの外すべっていたのか。話して、話して、話して。
「――――、――――、――――」
「……うん。……うん、うん」
「――――――?」
「あはは……そう、だね。それは……まあね」
「――――、――――……」
「……うん」
時間がすぎて、日は傾いて。腹の虫が鳴いても話して。話して。話し続けて。
「――――――それが、
「…………うん。そう、だね」
すべてを語り終えた頃には、とっくに学校も終わりかけていた。
「……そっか。十坂は、二回目……なんだ……」
「そうなんだ。どういうわけかは、分からないけど」
「……でも、なんか納得した。十坂、ちょっと……同年代とはズレてたし」
「そうかな」
「そうだよ。……本当に、そう……」
「…………、」
そうして、沈黙が訪れた。ふたりの間の会話が途切れる。玄斗はもうすべて話した。これ以上なにかを言うコトもないと、口を噤んだ。碧は口を開こうとして、それが言葉になるまえにそっと閉じる。なにを言うべきか、なにを言えば良いのか。たかだか十六年ぽっち。あるがままに生きてきた少女には、すこしばかり難しすぎる問題だった。
「…………、」
「…………、」
日は傾く。沈黙は続いていく。なにをどう言えば良いのか。自分のなかでの答えを碧は探る。いっそ気楽に「ちょっ、十坂ってばやっぱ冗談下手すぎだって! もう、あたしをからかっても無駄だからねー?」なんて言えばいいのだろうか。……いや、ないだろう。それをするのはもっと、違う場面でこそだと思った。
「……そういえば、ひとつだけ言い忘れてた」
「……なに、を……?」
「零無」
凛と。その声だけは妙に、耳の中で透き通るように響いた。
「明透、零無。……それが、ぼくの名前。なにもないって意味の込められた、ぼくの本当の名前なんだ」
「あとう、れいな……」
「……うん」
そうして、やっぱり、
「…………そっ、……か…………」
「…………、」
「………………、」
人生二度目。壊れやすかった身体。愛されなかった現実。育児放棄にも近い仕打ち。心を折るような言葉の数々。朽ち果てていった肉体の結末。思えば、どれも、碧には経験のないものだった。人並みではあろうが、大抵の子供は親に愛されて生きていく。きちんと育てられて大人になる。優しくも厳しい言葉を受けて、正しさを身に付けていく。碧もそうだった。髪を染めたり軽い口調で振る舞う彼女だが、だからこそあるべき正しさというものは知っていた。
「…………、」
はたしてそれは、どんなモノだったのだろう。想像は易くない。きっと彼女の思っている以上に、彼の現実は悲惨だったはずだ。それこそ二回目の人生ですら素直に楽しめないほど。
「――――――、」
なんて声をかけていいかは、さっぱり分からない。でも、「ああ、こうだ」と言いたいことは思いついた。なんてことはない。彼女の自己満足。ただ、あまりにもなコトを聞いて、それを受け止めようとしてみたとき、自然と心から溢れた感情が、それだった。
「十坂……じゃ、ないや。えっと……零無」
「……ん」
短く応えた
「――――零無」
「!」
ふわり、とその香りが
「よく、頑張ったね。零無」
「――――っ!」
そんな、たった一言に。力が、抜けた。
「な、に……を……?」
「なんでも。……頑張ったよ、零無。よく、頑張った。だから、そう言ってるだけ」
「そん、なの……っ」
ぐらついた。視界が揺れる、ぶれる、かすむ、曇る。なんでだろう。どうしてだろう。とても、まともに、前が見えない。
「ち、違うっ……ぼくは、……ぼくは、そんな……っ」
「ううん。違わない。零無は、頑張ったじゃん。いっぱい、いっぱい頑張って……それで、こんなになっちゃったんだね」
「――――――っ!」
ぶんぶんと、まるで子供のように頭を振る。違う、違う、違う! そうじゃない。そういうコトじゃない! だって、そうだ! そんなのはあまりにも違いすぎている! なんだってそんな、こんな、なんのためにもならない人生を歩んできた人間に、称賛の声なんてかけている――!
「ちがっ……ぼくは……ぼく、は……!」
「いいよ。違わないんだよ。だって、零無、頑張ってた。必死に、必死に生きようとしてた。だからさ、覚えてるんだよ。そんなに。十坂が、零無だったときのことも」
「違う……っ! 違うんだ……五加原さん、ぼくは、ぼくは……!」
「いままで、よく我慢してきたね。もう、泣いて良いんだよ。零無」
「――――っ!!」
――ああ、否定したい。それは違うと突きつけてやりたい。なのにどうして、涙が溢れて、止まらない。
「ち、が……ぼ、くは……っ、ぼく、は……っ!」
「……いいから。いいんだって。これはね、私が、勝手にすること。だから、零無も勝手に泣くなり怒るなりしなよ。……もう、さ。零無の幸せを邪魔する人なんて、誰も……いないんだから」
「……っ、だめ、なんだ……! ぼくは、そんな……こと……ゆるされ、ちゃ……!」
「なら、あたしが許す。零無のこと……十坂のこと。勝手に許したげる。だってさ、そうでもしないと……ずっと抱えてそうだもん、
「なん、で…………!」
ぼろぼろと溢れてくる涙は、すでに涸れていると思っていた。なのに、溢れて溢れて止まらない。ただただ只管に、雫が頬を伝っていく。とても信じられない暖かさ。贅沢だ。死にたくもなろう。なのに、いまはただ嬉しくて、悲しくて、とても、とても、感情が追い付かない。
「いいんだよ……もう、ひとりで頑張らなくても。だって
笑う碧の顔に、我慢もなにもできなくなった。嗚咽を漏らしてただ泣く。泣いて、泣いて、泣いて――その暖かさに、やっと――
明透零無は、救われたのだ。