ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。 作:4kibou
〝私のお兄ちゃんは壊れている。〟
そう気付いたのは小学二年生のとき。料理の手伝いといって包丁で指を切った兄が、涙ひとつ流さずにぼうと指を眺めていたのを見たのが切欠だった。
「だいじょうぶ?」
そう訊くと、玄斗は声をかけてきた彼女に気付いて微笑んだ。切ったのは右手だ。ちょうど彼の利き手側になる。とっさに伸ばそうとして腕を引っ込めて、玄斗はにこりと笑いながら反対側の手で真墨の頭を撫でた。
「大丈夫だよ」
また、笑う。血が出たとき、彼はひとつも声をあげなかった。身体を跳ねさせることもしなかった。ただちょっと違和感を覚えるように、むっと切った指を持ち上げたぐらい。痛みはある。決して薄いわけではない。ならばその理由は簡単で、そんなものを違和感としか感じ取れないほど痛みに慣れている。十坂玄斗は、そういう人間だった。
「玄斗! 大丈夫か!? 怪我か!? どこを切った!? 指か! 指だな!? よし父さんがいま包帯と消毒液を――」
「いや父さん焦りすぎ。絆創膏でいいから」
「ばかっ。おまえー! おまえなあ!? 傷口からばいきんが入ったらどうするんだ! 病気になっておまえ、おまえ死ぬぞおまえ! いいのか!?」
「このぐらいじゃまだ死なないよ」
「ばかやろうこの……このばかっ。ああもう無理してでもおまえを止めるべきだったっ! いいから待ってろよ!?」
ドタドタと一緒に料理をしていた父親がリビングから出て階段をかけていく。今日はちょうど母の日だ。そのため我が家の主婦はちょっとした日帰りの旅行に出ている。そんな合間に起きた、取るに足らない些細な事件。けれど、それを未だに真墨は覚えている。
「……おとうさん、うるさいね」
「そうだね」
ぽつりと溢すと、玄斗は苦笑して応えた。ぼたぼたとシンクに血が落ちている。真っ赤に広がる熱い雫。それが真墨には、彼にとって大事な何かに思えた。当然、血液なんて大事なのが分かったうえで、そう感じたのだから尚更のこと。きっとこのヒトはなにを手放しても痛くないんだと。
「……いたいね」
「……真墨?」
「おにい、いたいよ。おてて、いたい」
「……そうだね」
やっぱりまた苦笑する兄に、やっぱり真墨は言葉にならない感情を持った。だって、そうだろう。痛いと言っても痛くないように振る舞うのは、きっと本当に痛くないからだ。そんな真実は知りたくなかった。ずっとずっと、過ごしてきた大好きな兄だった。だから、幸せに居て欲しいと思ってもいたのに――
「(でも、そっか)」
そんな壊れた人間が、どう動くかなんて手に取るように分かる。どうするかも、どう言うかも、どう考えるかも。まるで、操ったみたいに。
「(そうすると……あたしのお兄ちゃんは、ずっとあたしのものなんだ)」
その結論に思い至ったのが中学一年生のとき。以来彼女は、兄のおかしさを見て見ぬフリのままにし続けてきた。だってそうすれば、きっと兄は誰にもついていかないから。
「(ずっとそのままで居れば良いよ。お兄。だって、それはいつかあたしがなんとかしてあげるから。誰にもついていかなくて、誰からも拒絶されて、お兄の側にあたし以外いなくなったとき……やっと触ってあげるから。だから、そのままでいいよ)」
――そう、思っていたのに。そうあれかしと願っていたのに。彼女の幸せは、この数ヶ月でいとも簡単に砕け散った。
「よく、頑張ったね、零無」
「――――っ」
……あの日。気まぐれで屋上にまで上ったのは正解で、間違いだった。なにせそれで確信してしまった。段々と笑顔が増えてきた。悩むことも考えることも多くなった。眉間にしわを寄せている時間が多くなった。色々なものを見るたびに目を輝かせることが多くなった。それはとても喜ばしい。妹としてこれ以上に嬉しいこともない。けど、それはまったく別の問題で。
「(……やめてよ。お兄が、あたしのお兄じゃなくなっちゃうじゃん……)」
本当に、そのとおり。どれだけ酷い過去でも、どれだけ傷付いていても、ましてやそれが生死に関わるほどの問題だとしても。十坂真墨は自分の兄に、誰からも救われて欲しくはなかったのだ。
◇◆◇
――あたしはずっと知ってたんだ。そう言った真墨の顔は、どこか、物憂げな表情だった。
「知ってたって……なにを?」
「お兄が、すっごいもの抱えてるってこと」
「――――――」
動揺しなかったと言えば、嘘になる。けれど、そこまで衝撃的でもなかった。なにせ十坂真墨は頭がいい。玄斗の何倍も回転する知恵を持っている。ならば、気付く気付かないのは時間の問題だろう。それすら家族の繋がりが縮めている。むしろすっきりするぐらい、納得はいった。
「……そうなんだ」
「うん。ずっとね、気付いてた。気付いてて……見逃してたんだ。そのままでいいじゃんって」
「どうして?」
「だって、お兄がそのままなら誰とも繋がらない。恋人にも結婚にも、ましてや親友だってつくらないだろうし。で、ずっと苦しんで悩んで、いつか死にかけるでしょ? その頃にはほら、お兄の周りにはあたししかいない」
「……すごいね。そこまで見通してたの?」
当たり前じゃん、と真墨はつまらなさそうに答える。振り返ってみれば、どれも自分で「まあそうなっちゃうかも」なんて思うほどのベストアンサーだった。我ながら酷い。
「いまのお兄は、好きだよ? 笑顔見せてくれるし、すごい気持ちよさそうだし。生きてるのも辛くなさそう。でも……あたしは、ずっとお兄に苦しんでいてほしかった」
「……真墨」
「もう笑い方が不器用で、苦しくて、悩んでもがいて、それでもまだ落ちていくだけで、心も身体も生き苦しくなってるような……そんなお兄のままで、良かった」
だってそれは、彼女にとっての幸せの未来だ。側に居るのはひとりしかいない。救えるのは彼女しかいない。だいたい、真墨にとってしてみればこの兄の心を解きほぐすことなんて容易にすぎることだった。それを今までしなかったのは、偏に自分のためだったというのに。
「……でも、それも終わり。お兄は救われて、こうしてあたしの悩みを訊きに来るぐらいになった。なら、もうわざわざ無視する必要もなくなっちゃったし。……それがまあ、嬉しいけど複雑」
「……真墨は、頭が良いね」
「あはは……なにそれ、馬鹿にしてる? あたしさ、お兄のこれまでの幸せ全部なくしてきたんだよ? それでいいの? それだけの言葉で」
「だったらなんて言うんだ? 真墨に不満を言ったって、それこそお門違いだ。悪いのは僕で、なにかしたのも僕。なら、ぜんぶ僕の責任だよ。僕がいなければ、真墨だってそう思うこともなかったんだろうし」
だから死ぬんだ、と続けるような台詞は、けれどとっても優しかった。きっと彼がそんなことを思わなくなった証拠だろう。以前までは、そのまま押し潰れて死んでしまいそうなほど苦しく言っていたのだ。
「だいたい、これまでとか別に気にすることでもないよ。真墨がそう思ったんなら、これから後悔しないようにしていけばいい。なんであれ、僕は真墨の味方なんだから」
「……じゃあ、さ。ひとつだけ、お願い……聞いて欲しい」
「うん」
そっと玄斗の目を見据えて、真墨はベッドのうえで正座をする。
「恋人になってとか……迷惑になるようなこと、言わないからさ……」
「……別に、迷惑はしないけど……」
「でも困るでしょ。悩むでしょ。苦しむでしょ。もうそういうのは良いのっ! ……だから、あの、その……ひとつだけ」
「…………、」
「あたしと…………っ」
ぐっと、拳を握って、彼女は――
「あたしと――えっちしよ?」
「いやそれは無理」
やっぱりとんでもないコトを言ってきた。
「なーんーでーだーよう!? いまのは「ああ、仕方ないね……真墨は。イケない子だ……」とかちょっと妹に興味あった性欲豊富な兄ムーヴを決めるところでしょ!? ムードってもんが分かんないかなあお兄は!」
「そんなムードがあるなら僕は一切分からなくて良いと思う」
「おおう……言うじゃねえかこの兄貴……ああいいよじゃああたしからヤってやんよ!」
「えっ」
ちょっ待っ――だからズボンはやめて!? と叫ぶ玄斗に真墨が容赦なく襲いかかる。結局疲れた妹がぐっすりと横になったのがそれから一時間後。疲れきってぜえはあと肩で息をしながら、玄斗もベッドに腰掛ける。はじめから終わりまで。なんともまあ、疲れのたまる一日だったと思いながら――
◇◆◇
「――誰だ?」
凛とした問いかけ。ぎしっと床を軋ませる音。それは、堂々と扉を破りながら入ってきた。
「……ち。腹が立つ。
「……?」
「おまえのことだ。名乗りは……まあ、どうでもいいか。突然だが、君にチャンスを与えよう」
「……チャンス……?」
「ああ。このまま朽ちて死ぬか、目を開けて生きるか。おまえはどちらを選ぶ、お姫様――?」
――それは、ゆったりと。
彼女を縛る、鉄の枷を外す音――
実は一人勝ちできてたけどその前後含めて危機管理していた妹パイセン。こいつが本気出せば玄斗君瞬殺だった。うむ、まあ結果としてまさか他の誰かが救うとか考えつかないからね! 仕方ないね!
ちなみに活用班で苦しいのは主人公じゃなくヒロイン側なので安心してほしい。