そんな思い出を胸にしまっていた少女――古手川唯は、その相手である海外に引っ越した少年――山上新汰が高校入学を期に日本に戻ってくることを母親から伝えられる。
さらに相手の両親の仕事の都合で日本に戻ってくる時期が中途半端になってしまうため、相手の両親が帰ってくるまでの数ヶ月、その子を家で預かることとなったということも。
野蛮だとばかり思っていた男子の中でたった一人優しいと信じた少年との再会。それはその物語の一幕である。
「誰かー! 手伝ってほしいの!……」
ミンミン、カナカナと蝉が鳴く夏の神社にそんな女の子の声が響く。赤いランドセルを背負っている事から小学生であることが分かる、黒い綺麗な髪をツインテールに結った可愛らしい女の子だ。
「ねえ、お願いよ。猫ちゃんが木から降りられなくなってるの!」
その言葉通り、一匹の猫が木に登ったはいいが降りられなくなったのか震えている様子が見え、女の子は懸命に助けを呼ぶ。
「なんだ、誰かと思ったら風紀委員さんかよ~」
「いつも偉そうにしてるくせに、それくらい自分でやれよ~」
しかし助けを求めた生意気そうな男子小学生は、女の子を見てそう言い捨てると「行こうぜ行こうぜ~」と言って走り去る。そんな男子に女の子は「そんな……」と弱々しく声を漏らした後、キッと気合を入れたように目つきを鋭くした。
「こうなったら、私が自分で登って助けるしか……」
覚悟を決めてその木を見ると、その木に誰かが登っている様子が彼女の目に映った。
「あ……あの!……猫ちゃんが、木から降りられなくて困ってて……」
慌てて駆け寄ってその誰か――女の子と同い年だろう男の子だ――に声をかける。
「うん、分かってるよ。今助けてあげるから、待ってて」
その男の子は黒色の髪を柔らかく風で揺らしながら、簡単に木を登っていく。そして猫が待っている枝まで登ると、その猫を抱きかかえてひょいっと木から飛び降りた。
「あぶない……」
思わず声を出してしまうが、男の子は柔らかく着地をすると悠々と立ち上がって女の子に猫を見せるように抱き上げた。
「ほら、もう大丈夫。この子、君の猫なの?」
「え? う、ううん……違うんだけど……あ、ありがとう」
「あ、そうなの? ってうわっ!?」
抱き上げて猫を見せてくる男の子の言葉に首を横に振る女の子、それに小さく首を傾げる男の子は突如悲鳴を上げた。というのも突然猫が暴れ出したからで、たまらず男の子が猫を地面に下ろすと猫は逃げるように走り去る。
「わぁ、びっくりした。でも怪我もなさそうだしよかった」
男の子は助けた猫に暴れられたにも関わらず、むしろ暴れて走り出したなら怪我もなさそうだと安心したように笑い、帰ろうかと踵を返す。
「あ……ま、待って!」
しかし女の子が慌てて呼び止め、ポケットからハンカチを取り出した。
「け、怪我してるよ……左のほっぺ……」
「え?」
そう言われて男の子は左の頬――正確には左目と左の頬の間ぐらいだろう――を手で触って確認、確かに血が滲んでおり、その頬の三本線はさっきの猫が暴れた時に引っかかれたのが原因なのだろうと予想させ、女の子はハンカチをその傷口に当てる。
「ごめんね、こんなものしかなくって……」
「ううん、気にしないで。ありがとう」
絆創膏でもあればよかっただろうにハンカチで血を拭うのがやっとの自分が情けなく、謝罪の言葉を出してしまう。しかし男の子はへにゃっとした微笑みを浮かべながらお礼を返す。
そんな微笑みを見ながら、女の子の意識は不意に遠ざかるのだった。
「ん……」
微睡みの中、高校生くらいの少女が目を覚ますとベッドから起き上がる。掛布団をどけて可愛らしい猫柄のパジャマを見せながら、うとうととした目をこすって刺激を与え、目を覚ます。
「あの夢……懐かしい夢を見たなぁ……」
そんな事を呟き、少女――古手川唯はにこっと微笑を浮かべたのだった。
「ねえ、唯ちゃん。
「ん、あっくんがどうしたの?」
少し時間が過ぎて夕食時、ご飯を食べていると不意に母親にそう言われ、唯はご飯をお箸に一つまみ口に入れながらこてんと首を傾げる。ツインテールに結っている髪がふわりと揺れた。
あっくんこと
そんな幼馴染のことを突然聞いてきた母親に唯は不思議そうな顔を見せ、むしろ今日夢に見た彼のあだ名を呼んでとりあえず覚えている事をアピール。それに母親はうんと満足そうに頷いた。
「実は昨日新汰君のお母さんから電話があってね。海外での仕事がひと段落して、日本に戻れそうだっていう話だったのよ。またこの町に帰ってくるんだって、唯ちゃんと同じ彩南高校に行くらしいわよ」
「へー、そりゃよかったじゃん」
母親の言葉に唯の兄――古手川遊が、妹の友達が彩南町に戻ってこられそうで、さらに同じ学校に進学することを喜ぶ。唯の顔もぱっと輝いていた。
「だけどね。ひと段落したって言ってもまだ色々あって、戻ってこられるのは五月か遅くても六月になりそうだっていう話なのよ」
「うん、仕事の引継ぎとかもあるだろうしね」
母親の言葉に父親が仕事人として同意。唯もまだ仕事に関してはよく分からないもののそうなのだろうと勝手に納得していた。
「でも、そうなると新汰君が中途半端な時期に転校する事になって可哀想でしょう? だから五月か六月まで、うちで預かってもらえないかって連絡があったのよ……もちろん唯ちゃんもお年頃だし、可能だったらっていうお話よ? ダメならダメで五月か六月に引っ越しや転入するように調整するらしいわ」
「ううん、別に大丈夫よ」
母親の言葉に唯はあっさりと受け入れる返事を返す。それに遊が驚いたような顔を見せ、その反応が妙に癪だったのか唯がじろりと遊を睨むように見た。
「なによ、お兄ちゃん」
「いーや、別に。ちょっと意外だって思っただけだよ、唯のことだから“男の子と一緒に暮らすなんてハレンチ!”とか言いそうだったのに」
「だってあっくんだもん、大丈夫よ」
睨む唯に遊は大袈裟に肩をすくめ、唯の口癖を真似て自分が予想していた唯の返答を口にする。しかし唯はその一緒に暮らす男の子が、自分が唯一認めるハレンチではない男子のあっくんなんだから心配ないと答えていた。
「じゃあ、オッケーの連絡入れておくわね」
「頼んだよ、母さん。賑やかになりそうだな」
「そうね、お父さん」
母親がオッケーの返事を入れておくと言い、賑やかになりそうだと微笑む父親にふふっと笑って同意。唯も幼馴染との再会に胸を躍らせていた。
それから一週間ほど後。既に中学校の卒業式も終えた春休み、唯は高校に入ってから困ることが無いようにと中学校の勉強の復習と兄から教科書を借りての高校の勉強の予習を行っていた。
「唯ちゃん」
「なに?」
すると自室のドアが開いて母親が声をかけ、唯が勉強の手を止めて母親の方を向く。彼女はすまなそうな顔を見せて両手を合わせてきた。
「これから新汰君を駅まで迎えに行く事になってたんだけど、お母さんちょっとお昼の材料に買い忘れてたのがあって……悪いんだけど唯ちゃん、代わりに迎えに行ってあげてくれない?」
「うん、いいよ」
母親のお願いを二つ返事、むしろ目をキラキラさせてノリノリで快諾。すぐに席を立つとお出かけの準備を整え始め、元々几帳面で出かけるための荷物は一ヶ所に纏めていたためあっという間に準備完了する。
「よかった。じゃあこれ、新汰君の写真……」
「大丈夫よ、幼馴染なんだから見れば分かるもの。じゃあ行ってきまーす!」
しかし母親が本人確認用の写真を渡そうとするのを幼馴染だから分かると断って部屋を出るとそのまま家を出ていく。その写真を貰うひと手間すら待ちきれないとばかりの行動に母親は苦笑を漏らしていた。
「ふんっふふんふふ~ん♪」
機嫌よく鼻歌を歌い、ルンルン気分で駅に向かう唯。今日新汰が家に来ると聞いて楽しみにしており、着ている服もほんの数週間前に家族崩壊の危機を防ぐための調査(結局ただの唯の勘違いだったが)の時に遊に買ってもらった、初めてのお洒落といっていい記念の服。髪型もツインテールは子供っぽいかと思って思い切って下ろしてみた。
(似合うって言ってくれるかな……)
目を閉じれば思い出す。短く柔らかな黒髪、穏やかなタレ目に女子である自分よりも小柄な少年の姿。ハレンチな男子にイライラしていても、彼のへにゃっとした笑顔を見ていると心が落ち着いてくる、不思議な少年。
そんな彼がその見た目に似合う高く柔らかな声で「その服可愛いね、とっても似合うよ」と言ってきてくれる未来を想像しただけで唯の頬がへにゃりと緩み、しかし慌てて緩んだ頬をぴしっと引き締める。引っ越しで別れてから久々の再会、こっちも情けない姿は見せられないという矜持を胸に唯は駅への歩みを進めた。
それから唯は駅へ到着すると新汰を探してきょろきょろと入り口周辺を見回す。学生である彼女は春休みだが一般的には平日の今日、会社の営業活動に精を出している様子のサラリーマンや、春休みを利用して遊びに回っているらしい私服の学生、彼女と同じく誰かを探しているのだろう長身の男性。色々な人がいるものの唯の脳内データベースにある新汰を彼女が己の優秀な頭脳で予測演算した中学生まで成長した姿はどこにも見当たらなかった。
「ねぇ、か~のじょ」
「ん?」
突然声を掛けられ、しかし探している声とは絶対に違うと確信を持てるチャラついた声に唯は目を鋭く研ぎ澄ませて睨みながら声の方を見る。
そこにはやはりチャラついた金髪にピアスという派手な見た目の分かりやすいチャラ男が数名、彼女をニヤついた嫌らしい目で見てきていた。金髪ピアスというパーツは遊と同じだが、実は実直な兄とは似ても似つかない印象を受けた唯の心にイラッとした感情が浮かんだ。
「今暇? よかったら俺達と遊ばない?」
「結構です。人と待ち合わせをしてますので」
チャラ男の言葉に唯はぷいっと顔を背けながら返答、再び駅の入り口周辺にいる男性と自分の脳内データベースで予測演算した新汰の顔の画像照合作業を再開する。しかしその視界にチャラ男が割り込んできた。
「そんな事言わずにさぁ、ちょっとぐらいいいだろ?」
そう言って無理矢理連れて行こうとでもしているのか手を伸ばしてくるチャラ男。その後ろの取り巻きもニヤニヤと笑っており、唯はやや怯えたように自分の腕で身体を庇おうとする。
「
そこに低い声と共にチャラ男の腕を別の何者かが掴み、唯は思わず入ってきた何者かを見る。
それは自分よりも随分長身の男性。柔らかい色合いの茶髪、栗色というべきだろう髪は短く切っているものの刺々しい硬い髪質で、相手を睨んでいるという補正が入っているだろうが目は大分吊り目という印象。そして身体は細身だが服の上からでも鍛えているのが分かるように見える。
その男性はまるで唯を庇うようにチャラ男の前に立ち、彼らと睨み合っていた。
「あん、なんだよお前? その子の彼氏か何かか?」
「I don't say so, but I'm her friend. It's natural to protect a friend」(そういうわけではないが、僕は彼女の友達だ。友達を守るのは当然だ)
「な、なに言ってんだお前……」
チャラ男に対する男性の口から出てくるのは日本語ではなく英語。優等生と自負する唯すら一瞬聞き取れない程に流暢なそれに今度はチャラ男達が怯んでいた。
それから英語で話しかけてくるなら日本語で喋っても無駄と思ったらしく無言になったチャラ男と相手から喋らなければこちらは喋る気のない様子の男性の睨み合いが続くが、やがてチャラ男が舌打ちを叩いて掴んだ手を払いのけると踵を返した。
「こ、言葉の通じない奴に言ったって無駄だな。行こうぜ!」
外見的にもし喧嘩になったら勝ち目がないと踏んだのもあるのだろう。チャラ男はそう言って取り巻きと共にその場を去っていき、男性がふぅと息を吐く。と唯がその後ろから話しかけた。
「あ、ありがとうございま……あ、違う……Thank you very much」
英語は授業で習った程度だが、これくらいなら分かる。というレベルだが唯は英語でお礼を言い、男性も笑みを見せる。
「いや、構わないよ」
「……日本語?」
「ああ、ああいうのは英語でまくしたててやれば逃げると思って」
流暢な英語を話していた口から出た日本語に目を点にした唯に対して男性はそう言って悪戯っぽく笑う。
「えっと、ところで……」
そして次に男性は唯を見下ろした。
「ゆーちゃん、だよね?」
「……はい?」
目を点にしたまま唯はそんな声を漏らす。ゆーちゃん、そんな呼び方をしてくる男子を唯は一人だけ知っている。
「……あっくん?」
「うん。久しぶり、ゆーちゃん」
その相手の名前を口にすると、男性――新汰はへにゃっとした微笑みを浮かべて再びゆーちゃんと呼んでくる。
あり得ない、唯の頭の中にそんな言葉が浮かぶ。
「え、だって、あっくんは黒髪……」
「僕の父さんの髪もこんな色だったでしょ? 大きくなったら変わったんだ。髪質もあっちに行った頃から硬くなってきちゃって」
「タレ目……」
「大きくなったら吊り目気味になっちゃったんだ」
栗色の髪は父親の遺伝らしく、タレ目も成長して変化したらしい。背丈や体格も大きくなればそりゃ変わることもあるだろう。だがそれよりも確かな物的証拠が存在する。
「左頬の引っかき傷……」
「あはは、そんな事もあったね。懐かしいなぁ」
左頬、正確には左目と左頬の間くらいにある三本線の小さな引っかき傷。何故だか傷跡が残ってしまったそれは逆に彼が幼馴染の新汰であるという物的証拠。だがそれより間違いのない証拠があのへにゃっとした微笑み、それはどれだけ顔の雰囲気が変わったって分かる新汰の微笑みだ。
唯は無言でそんなことを思い、論理的に理解する。だが同時に自らの頭脳で予測演算した新汰の未来予想図にビシリ、とヒビが入る光景を幻視した。
「で、でも、なんであっくんは私が分かったの?」
「おばさんからゆーちゃんの写真をメールで送ってもらったんだ。ゆーちゃんったら、僕の写真を貰わずに来たって聞いたから慌てたよ」
そう言って新汰は携帯を見せる。そこには間違いなく家の中で撮ったのだろう唯の写真が写っていた。
「あ、ところでゆーちゃん」
新汰は思い出したように唯の名前を呼び、またへにゃっとした微笑みを見せた。
「その服、とっても可愛いね。似合ってるよ」
想像していた高い声とは似ても似つかない、変声期を経て声変わりしたのだろう低い声だが、昔と変わらない柔らかさもあって妙な色気が加わり、そこに期待していた言葉を投げかけられた唯の顔がぼふんっと湯気を立てるような勢いで真っ赤に染まるのであった。
「いやー、それにしても見違えたよなー! 小学校の時は唯と同じか少し低いくらいだったろ? 今はすっかりでかくなっちまって!」
場所は古手川家に移る。新汰の歓迎のために家族集合していた古手川家の台所で昼食を食べながら、遊が新汰を見て随分大きくなったと快活に笑う。それに唯の父も同意するように頷いた。
「うんうん。男子三日会わざれば刮目してみよとは言うけれど、何年も会わなければ刮目どころじゃないな」
「あ、いえ……どうも」
「そんなに緊張しなくてもいいのよ。はい、お代わり。デザートにクッキーも作ってるからね」
「あ、ありがとうございます」
唯の両親のニコニコとした笑顔での言葉に対して新汰はどこか緊張の面持ちで答えており、そんな彼をよそに唯はパクパクと無言で食事を進める。そんな唯を隣に座っている遊がちらりと見た。
「どうしたんだよ唯、昨日までは“あっくんが家に来るんだー”ってあんなに楽しみにしてたのに」
「な、なんでもないわよ! ご馳走様! わ、私勉強があるから!」
唯は遊の言葉に怒鳴るように返して席を立つとどこか逃げるように足早に台所を出て行こうとする。
「あら、クッキーはどうするの?」
しかし母親からそんな言葉を投げかけられた瞬間ビタリと足が止まり、まるで何かに後ろに引っ張られながらも懸命に前に進もうとしているように震える。その口から「う~」と声が漏れ、やがて意を決したように振り向いた。
「の、残しておいてね! 後で食べるから!」
顔を赤くしながらどこか涙目で言い残すと、再び歩みを進めて台所を出ていく。しかし心なしか後ろ髪を引かれているような様子に見えた。
「……どうしたのかしら?」
唯の母がきょとんとした様子で小さく首を傾げながら呟くと唯の父も腕組みをする。新汰も困ったような顔を見せる。
「ま、唯もお年頃だってこった」
ただ一人、遊はテーブルに頬杖をついてニヤニヤと笑いながらそう言い残した。
一方唯は台所を出ると足早に階段を上がり、自分の部屋へと飛び込んでバンッとドアを閉めるとそのドアにもたれかかり、同時に足に力が入らなくなってそのまま崩れ落ちるように座り込む。
「ど、どうしたんだろう……」
唯はそう一人ごちる。新汰のへにゃっとした微笑みを見た時から妙におかしい。
新汰を見ていたら顔が熱くなる感覚を覚えて、特にあの微笑みを見たら胸がどきどきする。そう考えて唯は頭を抱えてうーうーと唸り始め、やがてどうにもならないと悟ったかのろのろと立ち上がる。
「……勉強しよ」
そしてまるで現実逃避をするようにそう呟くと、勉強机にふらふらと歩き寄って教科書と向き合い始めた。
それから唯は高校の予習を続ける。しかし頭を抱えてうーうーと唸っている辺りあまり順調ではないらしく、右手を横に伸ばすと、結局おやつの時間になっても食べに来なかったからと母親が届けてくれたお皿からクッキーを一掴み取って口に放り込むとまるでその鬱憤を晴らすようにバリバリと噛み砕く。
「あー、うー……うーあー……」
しかしそれだけでは何も変わらず、動物のような唸り声を上げる唯。全くもって集中できておらず、自覚があるのか唐突に勉強机から離れるとベッドに倒れ込んでゴロゴロと転がる。
「ふぎゃ!」
すると勢いよく転がりすぎてベッドから落ちてしまい、小さな悲鳴を上げて起き上がる。踏んだり蹴ったりだと言いたげにまたうーと唸り声を上げて、起き上がった先にあった窓を見る。既に太陽は沈んで薄暗くなり始めていた。
「もうこんな時間だったんだ……」
耳を澄ませば、先日新汰の部屋にするからと荷物を運び出した元物置だった部屋の方から、新汰の私物が届いたのかどたばたと音がする。兄や父の声がするから荷解きを手伝っているんだろうと予想し、唯ははぁと息を吐いた。
「じゃあ今の内にお風呂にでもいこ……」
つまり三人とも荷解き中、その間にお風呂を済ませておいた方が合理的だろう。どうせ今の状態では集中して勉強も出来ないからひと風呂浴びてさっぱりして気分を変えた方がいい。唯はそう考えて部屋のタンスの上に用意しておいた寝間着置き用のカゴからパジャマや替えの下着を準備すると部屋を出ていく。
元物置だった部屋からの喧騒を聞き流しながら階段を下りて一階に向かい、流れ作業でお風呂と繋がっている脱衣所の扉を開ける。
「え……」
「……え?」
そこには新汰が立っていた。というか脱衣所だから当然かもしれないが新汰は服を脱いでおり、今はパンツを洗濯機に放り込んでいる。そして服も脱ぎ終わっている、要するに全裸だった。
「な……」
それに気づいた唯が顔を真っ赤にし、対する新汰は予想だにしない状況にフリーズしてしまっていた。
遊には及ばないが長身かつ細身の身体はあっちで筋トレでもしていたのか鍛えて締まっており、所謂細マッチョという体型だろう。唯の頭に何故だかそんなハレンチな考えが浮かぶが、互いに思いもよらない状況にフリーズしているのか動く様子がない。
「おーい唯、言い忘れてたけどよ。新汰のやつ父さんが今日は疲れただろうしって、俺達に荷物整理任せて先に風呂に行かせてんだよ。だから間違えて入らないように気をつけ……」
そこに遊が階段を下りてそう声をかけてくるが、既に脱衣所の入り口で顔を真っ赤にして硬直している唯を見ると再び「あー」と声を漏らしながら頭をかく。
「遅かったか」
「ハ、ハ、ハ……」
頭をかいてぼやく遊の視線の先で、唯は真っ赤な顔に目をぐるぐると渦巻きにして声を喉から絞り出す。
「ハレンチなー!!!」
「うんうん、大丈夫よ。新汰くんは良い子だし、唯ちゃんもとっても喜んでたわ」
一方。唯の母はまた買い忘れを見つけたのか買い物袋を片手に道路を歩きながら携帯電話で誰かと会話をしていた。
「それにしても大変ねぇ。仕事で問題が起きて、帰国が遅れちゃうなんて……ええ、いつ戻れるかが分からなくなったんでしょう?」
唯の母は電話相手とそう話し、朗らかに、しかし力強く微笑んだ。
「ええ、ええ。任せといて。新汰君は責任持って預かるわ。皆には帰ってから説明することになるんだけど、きっと大丈夫よ。うん、だからそんなに謝らなくたって大丈夫よ……うん、うん、じゃあねぇ」
唯の母はそう言って電話を切り、るんるんと鼻歌を歌いながら帰路をのんびりと歩く。
どうやら、この共同生活はまだしばらく続きそうであった。
ToLOVEる~氷炎の騎士~もしくは自分の別の作品をお読みいただいている皆様お久しぶりです。お読みいただいていない方は初めまして、カイナと申します。
仕事が忙しかったり色々あったりで小説を書く暇もなく、加えて氷炎の騎士のネタがなく上手く書けず、どうしよう→そうだ気分転換に短編書こう!となったわけで、氷炎の騎士の方で言っていた「古手川唯ヒロインのオリ主もの」を書いてみました。
最近なかなか書けてなかったから勘を取り戻すというかリハビリ的な意味合いもありますが。
今回のオリ主こと新汰君は原作での唯が(無自覚とはいえ)リトに初恋の恋心を抱くイベントを代わりにやって、さらにそこで唯と友達になってフラグを構築した感じです。そして当時は可愛い系王道ショタでしたが帰国してからは長身細マッチョと化しました。(笑)
そんな男らしく変わり果てた幼馴染と同棲する事になった唯がパニクりつつイチャイチャする系の物語を予定したいんですが……多分続かないと思うのでこの短編でご勘弁ください。続いたとしても盛り上がらせる自信がありません。
まあそういうわけで、最近投稿ペースは落ちてますが。一応ToLOVEるの方はエタるつもりはありませんので、これからも気長にお付き合いいただければ幸いです。それでは。
PS:ちなみに新汰がチャラ男を追い払うために使った英語はルビ内もしくはルビが使えなかったので英語の後に記載している日本語をまんまエキサイト翻訳で英訳をかけて表示されたものを転用しています。
もしも文脈などにおかしい場所があってもツッコまないでいただけるとありがたいです。(汗)