【完結】いくら望まれたとしても、私はまどかに恋をしない   作:曇天紫苑

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12 雨に唄わなければ

「どうしたの? 傘を持ってきてなかったとか?」

 

 反応して顔を上げると、まどかはすぐ前の道で立ち止まっていた。

 

「それに、焔くんも?」

 

 彼女は傘をさして、雨の中で首を傾けている。

 急な雨でまどかの髪が少し湿っていた。膝から下も雨で濡れているが、あまり気にした様子はなかった。

 ここまで近づいた彼女を察知できなかったなんて、私はどれほど混乱の中にいるのだろうか。

 

「……まどか」

「まどか……」

 

 声が聞こえた途端、淀んでいた感情は一気に洗い流された。それもまた偽りなのかと考えると息が止まりそうなくらい怖い。

 

「……二人とも、なにかあったの?」

 

 彼女はこちらに駆け寄ってくると、気遣わしげに軒下へ入り、私達の間で並ぶ。

 

「あはは、流石に三人はちょっと狭いかも」

 

 肩が触れるくらいの距離に彼女がいて、傘を畳みながら私達に微笑んでいる。

 沈み込んでいた気持ちが明るく持ち上がっていき、感情が膨らんで自然に身が震える。

 寒がっていると思ったのか、彼女は「濡れちゃった?」と話しかけてくれた。雨のお陰で目元に流れる物を誤魔化せたのは幸いだった。

 

「……少しだけ」

「そっか。風邪になるといけないから、早く帰らないとね」

 

 いつも以上に柔らかい声だった。

 

「まだ降りそうだねー……」

 

 雨の様子を窺って彼女は少しだけ眉を寄せる。

 それから私達に向き合うと、何を思ったのか自分の使っていた傘を私達に差し出した。

 

「この傘を使う?」

「いえ、私は」

「僕には、必要ない」

「大丈夫だよ、わたしは走って帰るから平気だもん」

 

 そんなわけにはいかない。

 遠慮しようと返事をするより、まどかの指が私の唇に当たる方が早かった。

 

「んむぅっ」

「ふふ、わたしが濡れるより、二人がこれ以上濡れちゃう方が嫌なんだ」

 

 私の思い上がりでなければ、その声は好意で彩られている。

 

「焔くんもだよ?」

「……ああ、知ってる」

 

 まどかは明るかった。その声は雨音よりも明瞭に聞こえ、眩しすぎる笑顔はその場の息苦しい空気まで一気に吹き飛ばし、私達もまた引っぱられて笑みを返す。

 でも、こんな時に出会いたくなかった。まどかを守りたいと思った記憶の上の自分と、ここに存在する自分は必ずしも一致する物ではない。己の行動が何者かに誘導されている以上、自分がまどかに対して危害を加えない保証はどこにもない。。

 それでもまどかを突き放せずにいるのも、誘導されているからなのだろうか。

 

「二人とも……」

 

 まどかは心配そうに覗き込んでくれる。

 気遣わしげな視線が差し込んで、抑え付けていた不安が溢れかえり、まどかの顔を正面から見れなかった。

 

「……焔くん……ほむらちゃん」

 

 ゆったりとした声で私達の名前を呼ぶと、彼女はまず私の目の前に立った。

 片手で私の肩を寄せ、頬に頬と当てて抱きしめてくれた。私達の足が絡み合い、濡れた服は触れ合い、彼女の体温は私の身に熱を伝えてきた。

 拒絶しようにも力が入らず、代わりに涙が浮かび上がって嗚咽が漏れる。

 

「何か、辛いことがあったんだね? わたしには言えない事?」

「……」

「いいよ。でも、落ち着いてからでいいから、ちゃんと教えてくれると嬉しいな」

 

 頭を撫でられながら、彼女の背中に手を回した。

 涙が止まらなくて、息が乱れた。まどかの言葉は、私の繕った心の壁なんか簡単に壊していった。

 

「ほむらちゃん」

「ごめんなさい、ごめんね……もう少しだけ、こうさせて……くれないかな……」

 

 最低な弱さを曝け出してしまって、分かっているのにまるで抑え込めない。

 ああ、どんなに私の存在に嘘があったとしても、この温かさはやっぱり本当だ。

 

「さ、焔くんも」

 

 私が縋り付いている中、まどかの声は焔にも向けられた。

 

「僕は……平気だ」

「ううん。二人とも顔色が同じだから、分かるよ」

「大丈夫、なんだ。僕はね」

「無理をしなくていいの。ほら……おいで?」

 

 声を聞くだけで焔がためらっているのが分かる。

 けれど、踏み留まれたのはそこまでで、まどかの慈悲を聞いただけで殆ど泣き声になっていた。

 

「ほむらちゃんは少し横に寄って、うん、そう、焔くんの場所を作ってあげなきゃ」

 

 言われるがままにまどかの左側へ抱きつくと、焔が右からまどかの体に密着する。

 肩に抱きつき頭を彼女にこすりつけ、溢れる涙を拭いもしない。

 二人とも縋り付くように泣いた。彼女の存在を確かめて、その頬を撫でた。彼女は生きていて、そこに確かに存在した。

 

 私が何だろうと、この子が鹿目まどかだという事実は変わらない。

 暁美ほむらであろうとなかろうと、まどかはこんな私の友達になってくれて、今も沢山優しくしてくれる。

 

 この子を守れる自分でいたいと改めて思った。例え自分が本物でなくとも、彼女が幸せになれる世界が欲しいという願いは変わらなかった。

 だって、まどかはこんなにも優しいのだから。

 

「……ごめんなさい……ありがとう」

 

 どれほど彼女にしがみついていたかは分からない。

 何とか気持ちが落ち着いて顔を上げた頃、まどかは目を瞑って私達の髪をゆっくりと撫でてくれていた。

 雨音を聞き忘れていたものの、まだ降り止んではいない。逆に勢いを増している様にも思える。

 その雨に打たれて、まどかの背中が濡れていた。私達を抱きしめていたせいで軒先から体が少しはみ出てしまったのだ。

 彼女こそ体調を崩させてしまったらと思うとたまらない。焔も同じ事に思い至ったらしく、同時に抱きしめるのをやめてくるりと反転し、自分達を雨の下へ、まどかを軒下の奥へ移させた。

 

「わっ、ふ、二人とも、もう落ち着いたの?」

 

 突然動いた為に、まどかは目を丸くしている。

 私達の涙は雨で徐々に流され、熱っぽかった頭が冷やされていく。

 心配そうにこちらを捉える両目を、少し前までよりは心穏やかに受け止められた。

 

「ぬ、濡れちゃうよ、ほら、奥に詰めよう?」

「ええ」

「そうだな」

 

 焔の声音は落ち着きを取り戻していた。

 

「なんだか調子がよくなかっただけだ。気にしなくていい」

「で、でもっ」

「まどかの気持ちは嬉しいけど、本当に大丈夫なんだ。そうだろう、ほむら」

「その通りよ。あなたのお陰よ、まどか」

 

 雨が止む様子は全くない。私達の気持ちの浮き沈みなんて関係なく降り注ぎ、空は徐々に暗くなっていった。

 通りがかった車が水たまりをはねたが、私達の所までは届かない。

 

「ひどくなってきちゃったね」

「そうね……」

 

 こんな所でずっと傍に居て貰うのは忍びなかった。今も雨水が染みこんで、服が体に張り付いている。

 どうすれば、まどかを家に帰せるか。まどかの傘を借りて自分達だけが帰るなんて論外だ。しかし、私達を残して帰れと言ってもまどかはきっと納得しない。選択肢は一つだけだった。

 

「一緒に、帰るか」

 

 口に出すのは焔の方が早かった。

 

「……うん! 家に着いたら、わたしの傘を貸すね」

「貸して貰わなくても、私達は普通に帰るわ」

「でも、絶対にあった方がいいと思うの。大丈夫だよ、そんなに大事な傘とかじゃないから」

「……それなら、お願いしてもいいかしら」

「うん、まかせて!」

 

 快い反応を見せてから、まどかは傘をゆっくりと開く。

 揃って雨の中に踏み出すと、頭上の雨音は思ったよりも激しい。その雨に打たれる傘を持つまどかの手には、少し力が入りすぎている所が窺えた。

 

「僕が持つよ」

「私が持つわ」

「……」

 

 一瞬だけ目配せし、焔に譲った。

 

「傘に入れてくれたんだから、僕が持とう」

「うん、お願いしてもいい?」

 

 傘の柄を握ると、焔はまどかに最も雨が当たらない位置を探り、その角度を維持した。

 この傘の大きさでは精々が二人までで、三人では使い難い。焔の背中がより雨に当たっていた。

 

「流石に、狭いかな……」

「大丈夫よ。もう濡れているから、今更少しくらい平気だわ」

「ああ、だから気にしなくていいんだ」

 

 見知った道の上に雨水が幾つも落ちて、無茶苦茶で激しいリズムを刻んでいる。私達の通った女の子は傘を持たず、踊りながら走り去っていった。

 恐ろしく自由な人もいたものだ。真似をしたい気持ちはまるでなく、私は歩道の車道沿いを歩んだ。

 こうすれば、車がはねた水でまどかが濡れる可能性を減らせる。かなり密着して歩を進めている為か少し暑い。まどかは平気だろうか。

 

「平気だよ。むしろほむらちゃんこそ蒸れちゃってない?」

「少しね。けれど帰ったらシャワーを浴びるから、心配には及ばないわ」

 

 まどかも同じ事を考えていたのか、何度か頷いている。

 服がびしょ濡れになっているのは思いのほか不快で、早く体を洗い流し、服も急いで乾燥させたかった。

 もちろん、それも全てはまどかを無事に送り届けてからだ。

 

「わたしの家でお風呂に入っていく?」

「いや、遠慮しておこう。こんなずぶ濡れの人間が二人も上がり込むなんて、まどかのご家族に申し訳ないからな」

「気にしなくて良いよ? パパもそれくらいで嫌がったりしないと思う」

「いいえ。私達は本当に大丈夫だから」

 

 それに、まどかのお父様の話題になった時、焔は僅かに身じろぎした。

 まだ会うつもりはない。その意思がそれとなく伝わってきて、私はまどかの親切な提案をはっきりと断った。

 

 まどかは特に気分を害した風ではなく、私達と歩く時間を楽しんでいる様にすら見えた。

 

「やっぱり、まどかは優しいね」

「えっ、あの、急にどうしたの?」

「いいえ、特に何もないわ。ただ再認識しただけよ」

 

 触れた肩の温かさを感じながら、そこにいるまどかを感じる。記憶の中の彼女ではなく、今のまどかを。

 すると、気持ちが少し軽くなった。

 大事な大事な友達との思い出は私を支えてくれて、例え記憶が偽りでも、ここにいる今の私が抱いている気持ちは嘘なんかじゃなかった。

 

「へくちっ」

 

 冷たい風が通り、まどかが抑えたようなくしゃみをした。

 

「寒いの? 少し急ぎましょうか」

 

 彼女に合わせて歩幅を狭めていたが、却って体調を崩させてしまったかもしれない。

 何か濡れていない上着があれば渡す所だ。残念ながら私も焔も替えの服は持ち合わせていなかった。

 私達が顔を合わせて困っていると、まどかはそんな私達を楽しげに見つめていた。

 

「あはは、大げさじゃないかな」

「でも、病気になってしまったら困るでしょう。良ければあなたの家まで私が背負っても……」

「いいのいいのっ、そこまでして貰う様な事じゃないから。それに、その、重いだろうし」

「平気よ。まどかは軽いから」

「わたしなんかを背負ったら、ほむらちゃんが潰れちゃうよ」

 

 まどかはくすくすと笑い声を漏らした。

 確かに私が大げさだった。彼女を守りたい、その気持ちを固く結び直した影響で、神経質になりすぎていたのかもしれない。

 

「さあ、ほむらちゃんこそ濡れてるんだから、早く帰らなきゃ」

「……そうね、体を冷やしてしまう前に」

 

 決して大きくない傘の中で、まどかと私達の距離は殆ど空いていない。

 気持ちの上でも、私達の間はそう離れているとは感じなかった。どんどんとまどかが遠くなっていった記憶とは違い、私達はちゃんと友達でいられた。

 まどかに救われた。

 彼女の笑顔と気遣いと、沢山の友情が、沈み込んでいた私の意思を引っ張り上げてくれた。

 

 空いている手を強く握る。

 だからこそ、私が何なのかをはっきりさせなければならない。今の状況では自分がまどかを害する存在ではないとは言い切れない。

 

「……」

 

 今にも歌い出しそうなくらい上機嫌なまどかから、その姿をいかにも嬉しそうに見つめる焔に視線を移す。

 彼も、同じように私を見ていた。

 

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