【完結】いくら望まれたとしても、私はまどかに恋をしない   作:曇天紫苑

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13 『暁美ほむら』

 夜の見滝原は、当然だけれど場所によって姿を変える。

 私達の家の前は外灯が点々と並ぶが、あまり明るくはない。ほのかな光で照らされたアスファルトが薄く光っている風だ。住んでいる人は多いけれど、交通の利便性は高くなく、その分だけ人気はあまり感じられない。

 雨がすっかり止んで、今日の夜空は明るかった。雲が消えた後に残ったのが沢山の水たまりだ。

 靴を濡らしてしまってはいけない、私達は水を避けながら歩道へと出て、共に外の空気を吸った。

 

 少し歩いた先で、ほどほどに人通りのある道路へと出た。

 私達より少し年上の人達の姿も見える。あと数時間ほどすれば学生の深夜外出で怒られてしまうだろうが、今はまだ問題ない。

 

 横を通った飲食店からトマトの焼ける良い香りがして、そういえばまだ夕食を口にしていないと思いだした。

 しかし、食事をする気はまるでなかった。

 本当のところ、私に食事は必要ないのかもしれない。魔力で誤魔化せるという意味ではなく、ただ人の真似事をして飲食を行っているだけなのではないかと。

 というのも、空腹感が無かったからだ。私達はまどかを家に送り届け終えてから、自宅に戻ってシャワーを浴び、しばらく勉強に費やした。それから、まどかと連絡を取り合って色々な話をしていたのだが、その間中、水分の一滴すら摂取していない。

 喉も乾かず、お腹も空かず、これがまどかとの時間が楽しすぎて忘れていただけなら良いが、そうでないなら私は人という姿から益々かけ離れていく。

 その疑念を焔にぶつけてみると、彼は溜息を吐いて「僕も同じだ」と呟いた。

 

「僕の場合は、まどかと話をしていた訳じゃないが、空腹という物を感じない。満腹感もな。きっかけがあるとすると」

「……私達が自分に違和感を抱いたから?」

「かもしれない」

 

 自覚したから、私達は人間ではなくなっていた。私の自覚が鍵なのだ。

 

「なら、私達の正体を知れば、私達はどんな物になるのかしら」

「どんな姿になるかより、何をする存在かだろう」

「そうね……」

 

 己がまどかに対して危害を加える存在だと確定した時点で、彼を始末して私も手早く死ぬつもりだった。もちろん彼も私を始末するつもりだろうから、実際には互いを消し去る結果となる。

 二人とも早急に消えなければならない。気は進まないが、まどかの安全と引き換えにできるほど、自分の命は高価ではなかった。

 

 魔法少女としてではなく人の力の範疇で歩くと、見滝原は相応に広く感じる。

 しばらく無言のまま歩いていると、高架の道の先に巴さんの住むマンションが見えてきた。

 どの部屋に彼女が居るかは分かっている。カーテンで中の様子は窺えないが、留守なのか、あるいは就寝しているのか、視力を強化しても隙間から明かりは見えなかった。

 眠っているのだと思いたい。この記憶が事実だとして、巴さんは魔女との戦いの為に夜中まで起きて、いつも私達を先導してくれたのだが、その実誰よりも無理をしていた人だった。穏やかな夜を過ごしているのなら幸いだ。

 魔法少女は、願いを叶えた時点で戦いに囚われる。

 条理を覆した代価は払わなければならない。魔法少女は、懸命に戦い続ける宿命にある。それでも、せめて日々を明るく生きる術があるのなら、彼女達には出来る限り幸せな道を歩いて貰いたかった。

 魔法少女になった事が彼女達の絶望であって欲しくはない。今は切にそう思った。

 

「こうして平和な時間を過ごしてしまうと……本当に残酷なものね……」

 

 思わず感情が声に出たその時、ちょうど巴さんの部屋にある窓から何かがすり抜け、飛び出していった。

 それなりの高さから落ちたものは私達の傍で着地し、何事もなく歩き出す。

 

「っ……!」

 

 私達はとっさに変身し、身構えた。そこに居るのは明らかに人間でも、魔法少女でもなく、三体の人形だった。

 金髪のロング、茶髪のボブカット、銀髪のロング、全員が頭に小さな帽子を乗せている。どれも黒の服に身を包み、何かの葬儀にでも行ったような格好をしていた。

 

 茶髪の子が握りこぶしほどの量のグリーフキューブを持ち、雑なステップを踏んでいた。幾らかこぼすと、他の二体が慌てて拾い集めては再びはしゃいで歩き出している。

 人形が落とした四角形を焔が拾い上げて、私はそれを覗き込んだ。グリーフシードに似た雰囲気を漂わせる、サイコロ状の黒い塊。確かに、ソウルジェムの穢れを浄化できそうだ。記憶のどこかで覚えがある。

 

「……返せ、というのか?」

 

 焔が拾ったグリーフキューブをじっと見つめ、人形達はこちらに向かって手を出していた。見たところ明らかに人間由来の存在ではなく、魔女の使い魔だと言われた方が納得できるのだが、不思議と戦意が沸かなかった。

 彼女達から敵意を向けられないのも理由の一端だ。

 持っておくべきかとも思ったが、ガラスか何かの目が潤んできて、私まで何故か泣きそうになる。

 

「返すから、その顔はやめてくれないかな」

 

 焔が一番前に居る人形の手にグリーフキューブを置くと、それは大事そうに受け取って、小さく会釈をしてきた。

 

「構わないよ。それより、君達がプレゼントを送っているのか?」

「……」

 

 言葉を発せられない、という事はない筈だ。今も、私には分からない外国語で会話していて、同じ単語を連呼しているようにも聞こえた。

 人形達は私達に向けて何度か頷いた。身振り手振りで意思を表現する様は、どこかしら操り人形の様相だった。

 

「あなた達が、巴マミや美樹さやかの家にこれを持ち運んでいる、そう言っていると思っていいかしら」

「……」

 

 ぶんぶん首を縦に振っている。

 

「何故、そんな事を?」

「……」

 

 人形が首を何かを答えているが、私には意味が伝わらなかった。

 これでは埒があかないと、焔が前に出る。

 

「君達に指示を出している存在に遭わせてくれないか」

 

 顔を見合わせ、三体は一斉に私と焔を指さした。

 だが、僅かほどもしない内に首を横へ振る。

 三体が集まり聞き取れない言葉を喋っていて、仕草だけで予想すると「チガウ」「ヒトチガイ」と言っている気がした。

 

「……」

 

 話し合いのような物が終わると、人形達の中の一体、金髪の子が私達に頷いて、背を向けた。

 

「着いていけば分かる、というの?」

「……」

「……分かったわ」

 

 不思議と意図が分かり、素直に飲み込めた。

 人形達は先ほどまでより心なしか鈍い足取りで巴さんの居るマンションから離れはじめ、私達もまたそれに倣った。

 背中から眺めてみた彼女達はまさに人形、仕草は作り物らしさが強い。しかし、その挙動から読み取れる感情は豊かで、幼い子供達のようだった。

 任されたお使いをこなしながらも、街中の外灯を掴んで一回転してみたり、どこからか花火を取り出して振り回してみたりと、自由に振る舞っている。

 今日は茶髪の子が当番なのか、はしゃぎ回る残りの二体を恨めしげに眺めていた。

 そうして遊びながら見滝原を闊歩し、通りがかった美樹さんの家へ入り込んでいったかと思うと、また窓から戻って現れた。先ほど持っていたグリーフキューブは全て無くなっている。恐らく、美樹さんと杏子に配ってきたのだろう。

 

「あなた達の仕事は、これで終わり?」

 

 美樹さんの家の近くにある歩道橋で声をかけると、彼女達は足を止めてしばらく悩み、揃って首を横に振っている。もう少しやる事がある様だ。

 しかし、彼女達は一仕事終わったという風に駆けだして、私達はそれを追うことになった。本当に好き勝手な人形達だ。

 自由な振る舞いの人形達が通り過ぎても、踏み台にしても、通行人はそれに気づかなかった。この人形達は恐らく普通の人には認識できない。巴さんの証言を思い返すと、魔法少女にすら見えないのかもしれない。

 

 人形達は建物の屋上から電柱へ飛び走り、私達はその下の道路を追いかけた。

 その方向は、まどかの家からは遠のいている。

 胸をなで下ろしていると、人形達が足を止めた。

 

「ここは」

「……」

 

 人形が私達に振り向いて、今度は人の間を闊歩していった。

 ここは、よく見知った道だった。さっき通った飲食店は今も良い香りが漂い、中のお客の数が増えている。

 

 この先にあるのは私達の家だ。

 

「……そういう事、なのかしら」

 

 なぜそこに向かうのか、察せてしまう。私達にグリーフキューブを配っていないのだから、暁美ほむらの家に行く理由は別にある。

 焔に視線を合わせると、彼もまた小さな溜息を吐いた。

 

「……ここは、魔獣というものが存在する世界で……だけど私達が現れる以前から見滝原には発生していない。なのに、ソウルジェムを浄化する為の物だけは配られている」

「見滝原に近づかないインキュベーター」

「少し前に転校してきたまどか」

「「何より、二人も存在する暁美ほむら」」

 

 声が合わさり、私達は頷き合った。

 どうして私達の名字が暁美ではなく暁海なのか。

 そんな物、答えは一つしかない。

 

「どうしてそうしたのかを考えれば、誰がやったのかは簡単に予想できるわ」

「ああ。こんなに分かりやすい物もない」

 

 察しも勘も自信はないが、こればかりはあまりにも簡単過ぎて、後はもう確定させるだけ。人形達が私の家を通り過ぎてくれれば良いのだが、それはあまりにも望み薄だった。

 

「……外れていて欲しいわね」

「僕だって嫌だ」

 

 そして、予想通りに人形達は私達の家の中へ消えていった。

 ノブを掴み、少し覚悟を決めてから鍵を開け、焔がドアを押した。さっき外出した時と寸分違わない玄関があり、奥は暗く、人間の気配はなかった。

 それでも今の私達なら気づける。この先に存在する確かな気配を。

 

 躊躇は抱かないまま見知った玄関を進み、普段より暗く感じる部屋の中へと足を踏み入れる。そこには何かの袋にグリーフキューブを纏める人形達と、それを従えるものがいた。

 二つの瞳が妖しく光り、いかにも何かをあざ笑うような声が聞こえてくる。

 

 

「遅かったわね。流石は私、我ながら察しが悪いわ」

 

 焔の明かりを点けて、そこにいる者の全身がよく見えた。

 居間の机に腰掛けて足を組み、太ももに肘をついた姿勢でこちらへ向いている。顔にある両目は妖しく濁り、口元は小さな笑みを浮かべていた。

 残念ながら、私達の確信は正しかった様だ。

 

「でも、本当は気づかせるつもりはなかったのに……誤魔化しきれなかったわ。一ヶ月を超えた辺りが境界線だったようね」

「ワルプルギスの夜の先にある未来なんて、私達は一度だって見れなかったもの」

「そうね、ええ、そうでしょう。私だって見たことがないわ」

 

 長い髪をかき上げて、机の上に置いたカップへ手を伸ばす。

 傍らにはお茶の袋があり、封が開けられていた。

 その袋に見覚えがある。あれは、まどかがくれた大事なものなのに。

 

「それ、まどかから貰った大事な茶葉よ。勝手に飲まないで貰えるかしら」

 

 腹立たしさを口に出すと、彼女はぴたりと止まった。

 無言でカップの中身を見つめ、それを持つ手が小刻みに震える。

 

「……ごめんなさい」

 

 思いのほか素直に謝罪してきた。だが、カップの中身はきちんと飲みきると、今度は茶葉の袋を胸の中で抱いている。

 その耳にはトカゲの形のイヤーカフスがかかっており、紫の宝石が垂れ下がっていた。

 

「時々いつの間にかコップが使われていると思ったら、あなただったのね」

「ここは私の家よ」

「だが、ここで寝食を営んでいるのは僕達だろう。家賃は……君の、ご両親が払っているが」

「あなた達のご両親でもあるわ」

「分かってる。いや、分からないな。君が僕達の本体でいいのか?」

 

 焔の質問には答えず、彼女は目を細めて写真立てを眺めていた。

 その視線は紛いようもなく、焔がまどかに向ける物と寸分違わない。

 

「本体、というのは誤った表現よ。あなた達も私も暁美ほむらで、どちらも本体だもの。ただ、あなた達と私はやるべき事が違うだけ」

 

 彼女はぞっとするほどおぞましい気配を垂れ流し、重苦しい空気を纏っている。仮にまどかの傍へ近づいたら、即座に戦闘を決意するほど邪悪な存在だった。

 目元は暗く瞳の色合いは紫だが致命的に濁っていた。髪の長さも体つきも、全体的な姿こそ暁美ほむらだったけれど、どこか致命的な不健康さが隠せない。

 着込んでいるドレスは真っ黒で、胸の間や背中はほとんど見えている。脇腹から腋までも思い切り露出していて、似合うは似合うがあまりに派手すぎるし、肌の露出が多いのはあまり好ましくない。魔法の衣装でなければ冬場は空調を効かせなくては寒そうだ。

 とてもではないが健康とは言い難い存在感の彼女こそ、暁美ほむら。暁海ほむらでも暁海焔でもない、本来あるべき女だった。

 

 ああ、大体は理解した。

 

 

 

 

 

「……あなたが魔獣とキュゥべえを見滝原から排除していたのね」

「ええ」

 

 特に誤魔化しもせず、堂々と認めた。

 髪をかき上げて人形達を下がらせ、彼女はその耳にあるソウルジェムらしき物を見せてくる。

 

「濁らなかったでしょう? それはソウルジェムじゃないんだから当然よ」

「魔法少女じゃないんだから、呪いを溜める筈がない……僕達は、そういう存在ではないのね」

 

 焔の言葉遣いがおかしい。

 隣を見てみると、暁海焔は暁美ほむらの姿に戻っていた。

 長い髪で体つきも異なる。

 

「そうならそうと先に提示しなさい。君にはずいぶんと焦らされたわ。僕達の記憶の欠落と、行動の制限。どちらも理由が分かるまではかなりの危険を感じたもの」

「私が悪魔としての、あなた達がまどかのクラスメイトで魔法少女としての暁美ほむらだもの、知る必要はないでしょう?」

 

 平然と、少なくとも見た目には平然と言い切って、彼女は欝々しい顔色を隠そうともしない。

 

「確かにあなた達の体は私を写し取って、記憶や魂は私が魔法で渡した物だけれど、偽物という訳ではないわ。だって、あなた達と共に居たまどかだって本来は人ではないし、本体から切り分けられた人間としての部分。あなた達は、あのまどかが偽物だと思うのかしら」

「肉体が作り物という時点でまどかとは違うでしょう。記憶も体もまどかの場合はちゃんと彼女が持っていた物だもの」

 

 「頑固ね。厄介だわ」と悪魔が呟いた。

 何を言われようと私の体が作り物なのは変わらないが、もう吐き気はしなかった。強い納得が気分の悪さを押し流し、まどかがくれた友情は目の前の邪悪に立ち向かう勇気をくれる。

 

「いいでしょう。あなた達が自分を偽物だと思うならそれでいい。あなた達の気持ちなんて知らないわ」

 

 ふいに、彼女は恥じらうように目線を落とす。どこか不安げに焔へ近づき、落ち着かない調子で彼へ顔を寄せた。  

 

「ところで……一つ聞きたいんだけれど」

「僕に聞きたい? 何かしら」

「まどかとは、どういう関係なの」

 

 「こんな時に何を」と言いかけて、やめた。

 私も少し前に問い詰めた事だからだ。彼女もまた私と同じ考え方でいるのなら、その問いかけが出る事は無理もない。

 少し前なら青ざめていた話題だが、焔は顔色を変えなかった。

 

「友達よ。あなたには、それ以外に見えたのか?」

「まさか、ひょっとしたらと思ったわ。でも、私とまどかじゃ」

「ああ、釣り合う筈がないよな……っ、ごめんなさい、つい癖で」

 

 こほんと大げさな咳払いをして、彼……彼女が髪をかき上げた。

 一ヶ月も話し方を別の物にしていれば、早々簡単に戻る物でもないのだろう。

 

「……性別が変わったくらいで、私がまどかに抱いた気持ちが変わると思ったの? まどかを恋人にしたいと願うようになると?」

「そんな事は考えていないわ。だけど……不思議だったの、彼女がどうしてあんなに積極的だったのか」

「君は、僕達の記憶や感情を共有している訳ではないの?」

「せいぜい遠目で見たり、使い魔を経由してまどかの状況を確認していた程度よ」

 

 彼女は机に両手をつけると、仰け反るように天井へ顔を向け、小さく息を吐いた。

 

「私も、あなた達の気持ちは分かるわ。どれほど不愉快でも分かってしまう。なのに、まどかの気持ちは難しいわね……」

「でも、分かる事はあるわ」

 

 あの、初対面の時から続くまどかの好意的な態度にも理由がある。実際にまどかと共に居て、記憶の中の彼女との違いを知る私には幾らかの予想があった。

 

「あら、どういった予想? 願望から来る妄想ではないのね?」

 

 言葉の端々にあまり好ましくない物が混じっている。恐らく、彼女は私の事が大嫌いだ。そして私も彼女の事が大嫌いだった。

 だが、私の好悪は関係ない。頭の中にまどかの笑顔を思い浮かべ、彼女が今まで私にくれた言葉と焔にあげた言葉を比べた。

 

「まどかは何かを覚えてる。記憶じゃなく、他のどこかで」

 彼女が息を呑んだのを、私は見逃さなかった。

「私達が暁美ほむらだと無意識のうちに分かっていて、暁海焔は恋愛対象じゃなく友達なんだと判断しているのよ。だって、まどかは暁美ほむらを恋人として見ていた訳じゃないんだから」

 

 仮説でしかないが、自分で口にしてみるとよりそれらしい。

 まどかの言葉は最初から今までずっと私達を大事にしてくれたが、この記憶が本物の暁美ほむらの物であるなら、最初はもう少し他人行儀な接し方で、あそこまで友好的ではない。

 焔もそう思ったのだろう。頷いて、どこか嬉しげにしている。

 

「かもな。まどかもまた、私達の事を昔から知っているような態度だった」

「私もそれが……ええ、正しいと思うわ」

 

 淀んで無理に調子を上げた声に、隠しきれない喜色が混じる。

 

「記憶がなくても、全部なくしても、あの子は……こんな私の事を、忘れずにいてくれたのね」

 

 濁った目とは別に声音は柔らかくなって、それがますます好かなかった。

 私達とよく似た泣き声らしき物が混じったのは聞かなかった事にして流し、彼女との距離を詰めた。たった一歩だ。

 

「不思議に思っていたの、なぜ私達が存在しているのか、どうして暁美ほむらなのか」

「……それで?」

「まどかに取り入る何者かの、例えばインキュベーターや魔女の仕業かと思った。でも、真相は単純なのね」

 魔女というのは案外間違っていないかもしれないけど、と前置きし、悪魔と真っ向から視線を交わす。

 

「暁美ほむらが、自分を役割分担させていただけ」

「そうよ、あなた達の存在理由はまどかを利用する事じゃない。まして彼女に危害を加える事でもない。全ては、彼女の存在を維持する為」

 

 全てを思い出した私には、その説明だけで十分だった。

 

 今の鹿目まどかは、魔法少女の為の概念的存在から削り取った一部分に過ぎない。

 安定はしているが、何かのきっかけで彼女が元の存在に戻れば、人としてのまどかという情報は世界から完全に消える。

 ただ魔法少女に手を差し伸べる慈悲を携えた何かに変わり果て、家族にも友達にも愛されず、どこかへ遊びに行ったり、誰かを好きになったりもできない、永久不変の牢獄に閉じ込められてしまう。

 そうならない為の見張りが、私達。まどかの日常を隣から支え、出来るだけまどかの幸せに尽くすべくして作られた人形。

 

「となると、君はまどかと魔法少女に接点を持たせないつもり? 魔獣を狩り続けてインキュベーターを追い出しているという事は、そういう事でしょう?」

 

 私達の質問を聞くと、悪魔はあからさまに露悪的な笑みを浮かべた。

 

 無意味に悪ぶった雰囲気に辟易しながらも、目の前の悪魔の意図は分かった。

 まどかに契約させたくない、戦わせたくない。それ以上に、まどかに魔法の存在を知らせたくない。その先にある自分のかつての姿を思い出してしまったら、何もかもが台無しだ。

 

「ああ、よくわかっているわね。そうよ、まどかを魔法に触れさせる気はないわ」

 僅かも好意的に笑わず、彼女は不気味に顔を曇らせる。

「まどかが気づかないように……あの子がそれらに触れてしまわないように。今の私の目的はそこだけよ」

「なら、他の子達にグリーフシー……キューブを配っているのはなぜ?」

 

 彼女は意外そうに目を見開いた。

 

「……ええ、言いたい事は分かるわ。魔法少女は戦い続けなければならない。願いを叶えた代価だもの。私は彼女達からその機会を遠ざけている。そうでしょうね」

 

 悪魔は鼻を鳴らすような声を漏らし、机から腰を上げた。

 だから、と彼女は続けた。

 

「まどかの周囲の人達の分くらいなら、私が代わりに動けばいい。まどかの近くて戦わせるくらいなら、宿命なんて」

 

 濁った目は狂気のように爛々と輝いて、目元に涙が浮かんでいるのに本人は拭いもせずにこちらを凝視している。

 

「まどかが人として生きられるのであれば、魔法少女の宿命なんていらない。そうでしょう?」

 

 私も焔も、気圧されるように同意した。

 気にくわないが、その意思が徹頭徹尾本気だというのはよく分かった。

 

「そう、そうなのよ。戦うのは私でいい。私は一人で十分よ」

 

 どこか虚ろな顔色で、彼女は私達の方を向いていた。

 だけど、彼女は私達と会話なんてしていない。暁美ほむらが時分自身に決意表明を行っただけで、これは問答ではなかった。

 

 魔法少女を遙かに超越した存在でも、心は私と同じ暁美ほむらで、疲労もすれば苦痛も覚える。

 辛い事を耐えられたって、辛くないわけではない。

 出口のない道を進む彼女の姿勢から回し車を想起させられた。ひたすら走り続けて回転させる為だけの歯車として生きる。それはもはや魔法少女でなければ、いっそ悪魔でさえもなかった。

 

「そうよ、私は私の望みの為ならどんな事だってできる。あの子が誰かを愛して誰かに愛される権利を、失っていい筈がないんだから」

 

 髪をかき上げ、私達の存在など忘れたように自分へと言い聞かせている。

 それでも私は止める気なんてなかった。

 誰かに救われたいなんて、少しも思っていないだろうから。

 

 

 

 私が悪魔を黙って眺めている時、電話が鳴った。

 流行の音楽が、これを薦めてくれた彼女からの連絡を示している。

 その音を聞き、話すべき事は終わったとでも言いたげに悪魔は私達に背を向けた。

 

「じゃあ、私はお暇するわ」

「いえ、待って」

「……あら、なぜ?」

「これはまどかからの電話よ」

「なら、尚更私は必要ないでしょう?」

 

 逃げ出すように歩き出した彼女の腕を、焔が掴んでその顔を見つめる。

 

「……何のつもり」

「自分の欲望のままにまどかの腕を掴んだのなら、君はもう少しそれらしくなさい」

「待ちなさい、私はそんなこと」

「傍目から見て、君がそこまで耐えられるほど心が頑丈な人間だとは思えないわ」

 

 その背を押して端末に近づかせている隙に私がスピーカーに切り替えて画面に触れると、端末からまどかの声が響いた。

 

「ほむらちゃん? えへへ……ちょっと話したくなっちゃって」

 

 邪悪な気配がどこかへ消し飛び、まどかのほんわかした声音で部屋がいっぱい。やや眠たげでおっとりと言葉を紡ぎ、人の心に明るい物を沢山広げてくれる。親しい友達として私に声を向けてくれるだけで、もう何もかもが鮮やかに彩られる気さえあった。

 暗闇から這い出るような風だった悪魔ですら一気に優しげな面持ちとなり、自分の胸元を抱いていた。口が開いたままだった。

 

「あ、ごめんね。もう寝ちゃってた?」

 

 しばらく私達が何も言わなかった為か、まどかの声に不安そうな色が混じり出す。迷惑にならないか気遣ってくれているんだ。

 焔は口を噤んだまま、首を横に振った。今の彼の話し方では不審がられるだろう。

 

 何も言わず、端末をそっと悪魔に差し出す。早く安心させてないと、無視されていると思われる、と。

 彼女は鬼気迫る眼光となったが、聞こえてくるまどかの声が「寝ちゃってるのかな……」と小さな声に変わりつつあり、このままでは通話が切れてしまうと無理矢理に押しつけた。

 おずおずと受け取った彼女は、恐れつつも端末に話しかけた。

 

「まどか……大丈夫よ。まだ寝ていないわ」

 

 一拍後れて、まどかの声が返ってくる。

 

「ほむらちゃん、疲れてる?」

「……ええ。雨だったから、かしら」

「凄く濡れちゃったし、帰る時は特に凄かったよね」

「そうね、まどかは……」

「わたし? ああ、あの後お風呂に入って温まったから、寒いのはなくなったかな。ほむらちゃんこそ、傘はちゃんと使えた?」

 

 悪魔はまどかの話している事がよく分からなかったのか、私に目をやった。

 話を合わせなさい、と無言で伝えると、首を傾けて難しい顔をしている。だが、まどかとの会話に戻り「ええ」とか「そうだね」と相槌を打った。

 目元の病的な隈はそのままではあるが、傍目にも元気を取り戻していた。

 

「じゃあ、ほむらちゃんもちゃんとお休みしなきゃ。そうそう。この間渡したお茶があったよね? あれ、リラックスできる効果があるみたいだから、飲んでみるといいかも?」

「うん。さっそく試してるよ。これ……結構、効くんだね……」

 

 一言一言発するごとに瞳が潤んで止まらなくなり、ついにはしゃがみ込んで端末を握りしめた。

 涙がどんどんこぼれ落ち、声に出さない為に唇を噛んで耐えている。

 

 それでも微かな声の震えは隠しきれず、まどかの反応が途切れた。

 再び聞こえてきた声は、これまでより更に確かな慈しみに溢れ、繊細な硝子細工を愛おしむようにゆっくりと、丁寧に耳へ流れ込んできた。

 

「辛かったら、いつでも話してね。力になれるかは分からないけど……ほむらちゃんの悩み事なら、わたしは聞かせて欲しい。聞きたいの」

 

 何も言わず、悪魔に任せた。ずっと話せていない彼女の方が、もっと幸せな心地の筈だから。

 

「わたしも、苦しい時とか悩んだ時は相談するから、ね?」

「……うん」

「じゃあ、わたしも寝ようかな。ほむらちゃんも今日は早く寝ないと」

「分かった。そうするわ」

「うん。おやすみ、ほむらちゃん」

「……おやすみなさい、まどか」

 

 通話が終わり、彼女はへたり込んだまま嗚咽を漏らす。

 床に髪が垂れ下がっている。きちんと掃除はしていても、そんな風に座れば多少は汚れが付着してしまうのだが、気にした素振りは一つもない。

 露出した肩を震わせ、うずくまっていて表情は窺えない。黙って衣装ケースからコートを取り出し、その背中にかけた。背中も肩も思い切り肌が見えていて、寒そうだった。

 

「……」

 

 彼女は端末だけを返し、何度か深呼吸をしている。吸って吐いている間に何度か息が震えていた。

 この分では完全に落ち着くまで時間が必要だろうから、しばらくそっとしておく事にした。 こんな状況では泣き止もうとしても難しい。

 だって、私は暁美ほむらの嘘の顕現だ。彼女の強がりは誰より知っている。

 

 

 この私は記憶も体も全て与えられた作り物で、けれど、今はあまり気にならなかった。

 私は暁美ほむらで、まどかの事が大切で、それが全て。

 

 心の中で反芻すれば、彼女の良い所が沢山浮かんでくる。包み込んでくれた腕の感触、頭を撫でてくれた手のひら、優しくかけてくれた声と彼女の体のあたたかさ、何よりもあの慈悲深い心。どれも私の中にしっかりと残って今の私の心を突き動かす。

 この一ヶ月の間に覚えた全てが、私の中でまどかを鮮やかに照らしていた。

 

 逆に言えば、それ以外の過去の全ては嘘なのだ。

 ああ、安心する。

 私は暁美ほむらとして戦えて、私には、まどかしかない。

 余計な物がなくなるというのは、なんて清々しいんだろう。

 

 

「……なさい」

 

 悪魔が顔を覆ったまま、何かを小さく呟いた。

 何となく意味が分かって、首を横に振ってみせる。隣で焔も全く同じ行動をしていて、私達はまったく同時に動いていた。

 

「あなたが誰かに謝る資格なんてないし、資格だってありはしないわ。それに」

「僕はね、自分の意思と責任でここにいるの。僕の意思はあなたの意思じゃない。これは、僕が選んだ道だ」

 

 記憶があろうと何があろうと、まどかを助けたい。

 それが、暁美ほむらの総意だった。

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