【完結】いくら望まれたとしても、私はまどかに恋をしない   作:曇天紫苑

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14 あの子の時間は進み行き、私は足を止めない

 約束の時間が近づいて、私はそわそわしながら玄関先で待っていた。

 

 全てを思い出してから、私達がまどかに抱く気持ちは前より更に強まっていた。

 彼女の居ない世界は考えたくもないくらい寂しくて、友達として共に居られる時間の一秒一秒が震え上がるくらいに幸せだった。まどかの顔を毎日のように見られて挨拶を許して貰えるだけで私には過分な幸福だというのに。

 永遠にも思えるくらいの感覚で待っていると、音が鳴ってまどかの声が聞こえた。即座に扉を開いて彼女を迎え入れると、彼女は見慣れた赤いリボンを揺らせて部屋の中へ飛び込んできた。

 

「おじゃましまーす!」

 

 こんな元気の良い挨拶を聞いて、飛び上がるほどの幸せが溢れる。

 この家までまどかを案内したのは焔なのだが、彼は控えめに一歩下がって眺め、大した存在感も発していない。

 

 まどかは私達の家をきょろきょろと眺めながら、それはもう楽しげに靴を脱いだ。

 持参した大きめの鞄の中にはお泊まりセットと、一緒に買った水着が入っているのだろう。まどかにぴったりの可愛くて素敵な水着は、今も着られるのを待っている。ひょっとしたらもう着ているのだろうか。

 明日の友達旅行を誰より楽しみにしているのはきっと彼女だ。巴さんや美樹さん、杏子とは明日合流する予定で、今日はまどかが私の家にお泊まりに来てくれた。そういえば彼女を家に入れるのは初めてだ。

本当は巴さんの家に泊まろうという話だったのだが、最終的には美樹さんと杏子は巴さんの、まどかは私の家に来ることとなった。

 

 やや見栄を張りたくて、部屋を綺麗に整理し直した。生活の場を分けている様子で不仲と見られて余計な心配をかけてしまうからとやっておいたが、幸い、効果はあったらしい。

 落ち着かない調子で入り口回りから私に視線を移し、まどかは目をきらきら輝かせた。

 

「わー……!」

「?」

「ほむらちゃんのそのワンピース、すっごく似合ってる! 綺麗だねー……どこで買ったの?」

「これ、かしら?」

 

 スカートを摘まみ上げて見せると、まどかは何度も頷いた。

 魔法少女としてのインナーに近いデザインに運命的な物を感じてしまい、お財布と相談しながら買ってしまったワンピースだ。お金に余裕は無いのに、と焔に睨まれたのは、今では少し申し訳なく思っている。

 腰から上は黒一色のワイシャツのようで、襟の端や袖口、それから胸元に蝶結びで巻かれたリボンは薄い紫色だ。

 背中で垂れ下がる黒いベルトから下も同じく紫の色合いだけど、裾だけは余白のように真っ白で、レースが姿を覗かせているのがお気に入りだった。

 まどかが褒めてくれたお陰で、あらためて買って良かったと思える。

 

「これなら最近出店したお店よ。値段もそこまで高くないから、まどかが気に入ったのなら教えるわ。確か貴女に似合いそうな物もあったから」

「本当? じゃあ今度一緒に行ってもいい?」

「もちろんよ」

「あ、でも……お金がある時にね」

「そうね。水着も買ってしまったし」

 

 根に持たれていて、焔に白い目で見られた。彼は男物の服のセンスが全く分からず、とりあえずで揃えた安い服を着こなしている。

 その視線を流しつつもまどかを部屋に案内し、荷物は床に置いて貰う。

 用意しておいたジュースをコップに流している間、まどかは狭い部屋の中を見て回っていた。

 

「ほむらちゃん達のお部屋って、なんだかすっきりしてるね」

「そうでもないわ。まどかのお部屋と大して変わらないでしょう?」

「ええっ、わたしの部屋はぬいぐるみとかいっぱいあるから、結構散らかってる感じだよ」

「でも、その方が可愛らしいんじゃないかしら」

 

 私達の家はあまり広くなく、二人暮らしにしては部屋も一つしかない。元々が一人暮らしの暁美ほむらが居た部屋なのだから、狭いのはごく自然だった。

 今日は部屋に備え付けのスクリーンも使っていない。お陰で背景が真っ白の殺風景な状態だ。ひょっとしたら華やかな景色でも映せば良かったのだろうか。

 まどかの部屋と比べてしまうと、可愛らしさが全く足りない。

 

「そういえば、お父様やお母様には話してきたの?」

「うん、言ってあるよ? まず友達の家でお泊まりしてから、その次の日に海へ行くって」

「片方が男子なのは伝えた?」

 

 気がかりになって尋ねると、まどかはちょっとだけ下を向いた。

 

「えっと、一応は」

「まどか……」

「ほ、本当に伝えたよ!? パパとママは心配してくれたけど……そ、その、そういうのじゃないのにね、ほむらちゃんも居るのに」

 

 私にはご家族の心配がよく分かった。

 同級生の男子の家、しかも親の居ない家にまどかが泊まりに行くなんて、ご両親は間違いなく心配するだろう。力強さのあるお母様なら笑って受け入れてくれるかもしれないが、気にはなる筈だ。

 焔も同じように思った様で、眉を寄せている。

 

「大丈夫大丈夫、焔くんと友達になったのを話したら、パパもママも焔くんに会ってみたいって言ってたから」

「……」

 

 顔を見なくたって、焔が不安を覚えているのは分かった。

 彼女のご両親の中で、彼の存在はどんな物になっているのだろうか。異性に縁の無かったまどかに突如出来た男の友達。しかも転校生で、親御さんも性格を知らない。

 

「本当に、焔くんが怖がる事なんて何もないよ? わたしに友達が増えたことを喜んでくれたくらいだもん」

 

 まどかは機敏に察知して、彼の唇に指を当てた。

 蠱惑的ですらある柔らかな仕草と、それを受け止める焔の面持ちはまさしく仲睦まじい恋人同士という有様だ。

 

「分かった。僕もご両親に挨拶するから、今度まどかの家に行ってもいいかな?」

「もちろん大歓迎! ほむらちゃんも一緒に来るの?」

「……え、ええ。行くわ」

 

 頭を抱えたくなって、彼の心に声を飛ばす。

 

『落ち着きなさい。結婚の申し込みに聞こえたわ』

『……確かにそうね。僕の油断だわ……』

 

 念話の声から生気が失せた。

 この調子では、まどかのご両親に会った時にとんでもない誤解を生んでしまいそうだ。

 そういう事は苦手だけれど、私が仲裁するしかない。ちゃんと友達なのだと説明できれば良いのだが。

 決意を新たにしていると、まどかは声を弾ませた。

 

「じゃあ、今度は二人でわたしの家に遊びに来てね。あ、良かったらお泊まりもどうかな」

「誘ってくれるのなら歓迎よ」

「僕は……ご両親に迷惑じゃなければ」

「うん。パパやママにはちゃんと許可を貰うから、その後でね」

 

 全く恋愛らしい反応を示さないまどか。

 彼女はごく当たり前のように私達を友達の枠に入れている。これが本当に嬉しくて、今もその認識が全く変わっていないのだと分かって、こみ上げる不安感はたちまち薄れていった。

 ご両親に関わる話題は一端落ち着き、まどかの興味は焔へと向かった。

 

「そういえば焔くんの水着だけまだ見てないけど、どんな水着にしたの?」

「僕は大した物じゃないから、パーカーで隠すつもりで……」

「ええっ、もったいないよ!」

「も、もったいな……え」

 

 目を見開いたまどかに手を握られ、焔はいとも容易く真っ赤になった。

 彼も水着を買っているが、本人はあまり自分に似合うという自信がないようで、私にも見せようとしない。

 本当はどんな水着なのかは私も気になっていた。けれど、まどかはハッとした顔で小さく頭を下げた。

 

「あ、ごめんね。誰かに見られるのは、やっぱり恥ずかしい?」

「……ちょっと」

「そっか。そうだよね」

 焔が何か言いかけたのを、まどかは声を大きくして遮った。

「ううん、気にしないで! わたしもちょっと恥ずかしいなって思う時はあるから、すごく分かるよ」

 

 ほんのり恥ずかしげに顔色を変えながらも、胸を張って顔を上げている。

 

「でもね、今回の水着はみんなに選んで貰ったの。焔くんにも見て貰いたいな」

「ああ、それはもちろん楽しみだ」

「でもちょっと派手で、わたしにはかわいすぎるかも」

「きっと似合うよ」

 

 何かしら口出しをしたい気持ちを堪えながらも、私は二人の会話に耳を傾ける事ができた。

 私達の正体が分かって以降も、まどかと私達の関係は変わらなかった。

 かつて暁美ほむらを命がけで守ってくれたあの日の彼女と同じで、献身的で、気遣いができる、そういう最愛の友達だ。

 

「ひょっとして、ほむらちゃんの水着もまだ見てない?」

「まだだな」

「そうなんだ。なら楽しみにしないとね」

「まどか、流石にそこまで言われると恥ずかしいわ……」

 

 私は落ち着かずに髪をかき上げ、まどかを直視できなくなった。選んで貰ったとはいえ、あまり似合うと言われるとやはり来る物がある。

 

「……客観的に見れば、確かに、ああ、美人……うん、美人だと思う。みんなが選んでくれたなら、似合うんだろうな」

『考えてみると、ひどい自画自賛よね』

『そういうのじゃない』

 

 内心で互いに言葉を飛ばし合い、顔では二人ともまどかに微笑みかける。

 言葉で軽くお互いを馬鹿にはしても、喧嘩や敵対とはほとんど縁がなかった。人前では少なくとも家族でいるべきだ。そうでなければ悲しませてしまう。

 

「さて、水着の事は海へ行けば着るからその時にしよう」

 

 焔は髪に何度か指を流して、それから椅子を引いた。

 手で座るように促して、まどかが腰掛けると向かい側へ腰掛け、私もそれに続いた。

 対面する形となると、まどかの顔がよく見える。心配なんて何一つ無さそうで、悲しみも苦しみもそこにはない。そんな憂いのない面持ちを眺めていると、私はどうしても、悪魔の顔を思い浮かべてしまった。

 あれの望んだ通り、まどかは何が起きているのかを知らない。それが正しいのかはともかく、そこにある笑顔と幸せには他の何よりも意味があって価値がある。

 

「今日のまどかの寝る所だけど、僕のベッドを使うといい。あっちの方だ」

「え? 焔くんはどこで寝るの?」

「僕は床でいい。いや、部屋を分けた方がいいなら僕はお風呂場で寝よう」

 

 まどかが家に泊まる為の準備は終えている。じゃんけんで勝った焔がベッドを提供し、シーツはいつも以上に注意深く敷かれていた。

 寝心地が悪くてもいけない。空調を効かせつつ、お布団の柔らかさには普段よりずっと注意を払ったつもりだ。

 

「ん、一緒の部屋で平気だよ」

 

 まどかの答えに僅かだが間があった。何か言いたそうにしてやめた調子だ。

 気づいたからには無視はせずに、どこに気になる点があったのかを聞き出さなければいけない。焔と私は示し合わせたように僅かだが身を乗り出した。

 

「どうしたの? 何か希望があるなら聞くわ」

「出来る限り、まどかには楽しんで欲しいからな」

 

 そう尋ねてみると、まどかは二つ並んでいるベッドを何度か交互に見比べた。

 

「あのベッドは、動かせるの?」

「ええ、簡単よ」

「じゃあ、ベッドをくっつけて、それで……三人で一緒に寝たいなって」

 

 そう口にしたまどかは、華やかで好意に満ちた視線を惜しまず私達へ注いでくれた。

 

「三人? 私と、まどかと、焔で?」

「うん、どうかな」

 

 やっぱり、焔への扱いは友達そのものだった。どこまでも私達に気を許し、警戒のない姿勢を崩さない。

 私達にはあまりにも贅沢すぎる厚意に遠慮してしまいそうだったのだが、何がまどかにとって幸せなのかを考えると、断る道はないように思えた。

 

「……そうね、まどかがそうしたいのなら」

「僕は……うん、一回くらい構わないか」

 

 迷ったのも、頷いたのも同時。

 互いの目線が交差する。まどかを間に挟むとしても、私達が同じベッドに入る日が来るとは全く思わなかった。

 

『これで、いいのかしら』

『構わないでしょう。これくらい、あの子が背負ってきた物に比べれば』

『……確かに』

 

 全てはまどかにとってより幸せな道があればこそ。何より優先すべき使命だ。

 一秒一秒を、彼女が誰かを大切に思って、大切にされて生きられるように。その人生がどれほどの薄氷の上に成り立っているか。今は痛いくらいよく分かる。

 

「じゃあ、お風呂も三人で一緒に入ろうよ」

「えっ!? ま、まどか!?」

「えへへ、冗談だよ。流石にね」

 

 ぺろりと舌を出すまどかが可愛らしい。

 

「お、驚かせないで。ここには焔もいるのよ」

「んっと、じゃあ、ほむらちゃんだけなら、どうかな?」

「私なら一緒でもいいわ。でも少し狭いから、それで良ければね」

「わたしは平気だけど、ほむらちゃんは?」

「心配は無用よ」

「だったら決まりだね!」

 

 そのくらいならと了承した後で、少し気恥ずかしくなった。まどかと一緒に入浴するのは恐らく初めてだった。

 

 

 それから、私達はとりとめもない話をした。学校の先生の事や友達に最近あった事などだ。やっぱり私よりもまどかの方がずっと周囲の人に詳しくて、人の事をよく見ていた。友達の身に起きた幸せを我が事の様に喜んで、人の良い所を沢山挙げた。悪口も苦言も一切言わなかった。

 まどかが小さかった頃の思い出話なども聞いていてとても興味深く、見たいと思っていたランドセルを背負ったまどかの写真を持ってきてくれていた。今より少し背が高くて幼い雰囲気だけれど、今と同じくらい可愛らしくて、一緒に写った彼女のお父様やお母様が幸せそうに彼女と並ぶ姿に、やっぱりまどかはこの世に生まれてくるべき人なんだと確信が持てた。

 焔も私も過去は与えられた物だから、お返しで語る過去の思い出は何もかもが嘘なのだが、それでも頷いて聞いてくれる姿には人を饒舌にさせる不思議な魅力があって、気づいた時にはありもしない過去を自分の物として自然と口に出来ていた。

 まどかの人生と暁美ほむらの人生を伝え合っていると時間は一瞬で過ぎていき、気づいた時には彼女が訪れてから一時間は経っていた。しばらくすれば夕食にちょうどいい時間だ。私達は食事を必要としないが、まどかには必要だった。

 弟さんを初めて抱いた時の気持ちを語る彼女に一言声を掛け、私は席を立った。

 

「まだ時間に余裕はあるけど、夕食の準備をしましょうか。食べたいって言ってたシチューの材料は先に揃えてあるわ」

「うん。パパから作り方は教わったから、一緒に作ろうね」

 

 私は座って待っていて貰おうと思ったのだが、まどかが私達と料理ができる事をあんまりにも楽しみにしているので、そのまま手を貸して貰う事にした。

 台所もあまり広くないので、三人で調理に赴くと手狭な感はあった。だけど、まどかは喜んで私と焔に並んで包丁を握ってくれる。手慣れた調子で野菜を切る顔には自信が浮かび、私達の視線に気づくとクスクス笑いながら調理を続けていた。

 

「手先が器用なのね」

「ほむらちゃんだって、ほら、野菜の切り方がこんなに綺麗」

「でも……まどかの切った方が美味しそうじゃないかしら」

 

 多少の差だが、私の記憶にあるまどかよりも料理に慣れている気がする。何故かと疑問に思い、やっと気づいた。

 記憶の中のまどかはいつも同じ時間の中で生きていたが、今は違う。彼女の人生はようやく進み始めたのだ。

 

「やっぱり誰かと一緒にお料理をするのって楽しいね」

「そうね。一人で作るより、気分が良くなるわ」

 

 まどかが食べると思うと、いつもよりずっと手に力が入る。

 美味しく作りたい。心からそう思えた。

 

「今度、マミさんや他のみんなも誘って作ってみようかな。ほむらちゃんはどう?」

「楽しそうね。どんな物を作れば良いのかしら?」

「うーん……ケーキなんてどうかな、甘くて美味しいし、盛り上がると思うの。作った物をマミさんの家でお茶と一緒に食べたら、もっとみんなで楽しめそうじゃないかな」

「ケーキ? じゃあ……焔、何か手軽な材料はあったかしら」

「カボチャなんて美味しいかもしれないな。前に安く売っていたから、量も確保できる」

 

 美味しいケーキの材料について話しながらも、調理の手は止まらない。

 視界の端でアレの使い魔がまどかを見張り、包丁で怪我をしないか目を光らせていた。以前は気づけなかったけれど、自覚した今となっては人形達の行動が見えてしまう。

 あれらが大本となる私に幾分か情報を届けているのだろう。今日はまどかがどんな事をしたのか、どんな風に生きたのかと。

 悪魔の病んだ瞳を思い出す。

 あの日、泣き止んだ彼女と話した事が不意に頭へ浮かんだ。

 

 

 

 

 

+

 

 

 

 

 

 

 まどかとの通話からずっと泣き続けていた悪魔も、やっと落ち着いて目元を拭っていた。

 また邪悪で近寄りがたい雰囲気が戻ってきて、心なしか顔色が穏やかになっていても、ひどく濁った瞳は元に戻らなかった。

 

「あなた達は、これからどうする?」

「こんな話を聞かされて、やる事は一つしか無いでしょう?」

「ああ……僕達もまた、まどかを維持する道を選ぶわ」

 

 私達が導き出した答えは、まったく同じだった。

 これは、まどかへの裏切りだ。

 

 まどかの意思を無視した惨い行為だと、三人とも分かっている。

 

 けれど自分の倫理観が悲鳴をあげる程度の事で屈せば、彼女は誰の記憶にも残れない残酷なものに戻ってしまう。

 この一ヶ月以上、記憶の上ではもっと沢山の時間をまどかと関わってきた。彼女がどんなに良い人で、どれほど家族や友達を大切にしていて、どれほど大切に想われているか。そんな事実の一つ一つがあまりにも尊かった。

 

 私たちは嘘吐きで、裏切り者で、どうしようもなくまどかの敵だ。それでも、やるべきだと思った事からは逃げられない。

 私達の全存在は、あるべき筈だった幸せと、失ってはいけなかった彼女の人生を守る為にある。

 

「そう、良かった。あなた達のその言葉に、嘘はないわね」

 

 返事を受け取った彼女の笑みは、自分の物とは思えないくらいに透明だった。

 顔色は青ざめて目元は不健康な隈でひどく暗いのに、その時だけは見事なくらい面持ちに曇り一つもなかった。

 

「私は、まどかを危険に晒す物事と、まどかに真実を気づかせてしまう出来事の回避に全力を注ぐわ。他はあなた達と人形達に任せる」

「それは、どれくらい保つの?」

 

 私が問いかけると、悪魔は押し黙った。お茶の袋を抱きしめ続けている。

 簡単ではあるまい。人形達に手伝わせているとしても、魔獣の発生を未然に潰して手に入れたグリーフキューブを他の人達に渡して回り、誰とも関わらず、敵も味方もなく一人で過ごし続けるのだから。

 

「……まどかは、何物にも代えられない平和で穏やかな世界の中で、家族に恵まれて、友達に恵まれて、きっと恋人にも恵まれて、愛されて、誰かを愛して、笑って、泣いて、また笑って……生きて、そして生きて……」

 声が掠れ、最後に消え入る様な声で付け加えていた。

「いずれ、亡くなる」

 

 

 

「……だから、百年くらいは、ね」

 

 

 

 痛ましい声だが、特別何か感情は覚えない。ただ、この調子では本人が言うほど保ちそうにないのは分かった。

 

「百年ね。厳しくなってきたらいつでも私と交代しなさい」

「……あなた達の能力では私の真似は難しいわよ?」

「でも、難しいだけなら何とかなるわ。つまらない事に拘って、体力が尽きて失敗したでは済まされない」

 

 彼女は私から顔を逸らし、「考えておくわ」と呟いた。こうして見ると私はかなり頑固で、自分一人で全部背負ってしまう性分なのだろう。

 それでも、無理をして潰れられては私達が困る。じっと彼女を見つめ続けていると、髪を一度かき上げ、目を瞑った。

 

「……検討しましょう」

「そうしなさい」

 

 会話はそこで区切られ、悪魔は人形を伴って私達から背を向ける。

 もはや語るべき事はないと言いたげだった。

 気を抜けば消え去りそうな背に、焔の声が向けられた。

 

「最後に一つ聞かせなさい。僕は結局、どうして男なの」

「……別な何かが見えるかもしれないでしょう? 微かな可能性でもね」

 

 頭を傾けて振り返り、悪魔はそれだけを答えた。

 本当にただ、それだけらしい。

 少しだけ、共感できた。今の自分ではなく、別の自分ならあるいは今より良い結果を生み出せるかもしれない、そう願いたくなる気持ちは誰にでもある物だと思う。まどかにもあったし、私も当然持ち合わせていた。

 

「でも、元の姿に戻りたいのなら」

「いや」

 

 悪魔が言い終えるよりも早く、彼は首を横に振った。

 

「今更そんな事を言うな。このままでいい。いや、こうであるべきだ。暁美ほむらは二人もいらない。僕がこのまま存在し続けるのなら、多少なりとも誤差があった方がいいだろう」

「……本当に、まどかとは友達でいいのね?」

「何を心配されているのかは分かっているつもりだが、誰が望んだとしても、僕がまどかに恋をすることはない。有り得ないことだ」

 

 何やら疑わしげな様子だった悪魔も、その切実な響きの乗った言葉を受け入れた。

 

「そう」

 

 悪魔は険しい表情を緩めた。

 

「そうね。あなたなんかがまどかに相応しいわけがないものね」

 一瞬だけ私達と目を合わせ、悪魔は続けた。

「気を悪くしたかしら。けれど自分の事だもの。暁美ほむらがいかにダメな人間かはよく分かっているわ」

 

 髪をかき上げながら嘲笑する姿からは強がりの匂いがした。

 私もこの悪魔も、自分を演じる事にかけては慣れている。 

 張り付くほど長く演じ続けた仮面は既に私の一部分だが、仮面は仮面だ。悪魔もまた同じく、その内側にあるであろう泣き虫で弱い姿が嫌でも幻視できてしまった。

 

「でも、そうね。あなた達はよくやっている。ちゃんとまどかの傍で、まどかを見ている」

 

 それでも、悪魔は両足でしっかりと立っていた。

 

「あなた達が二人いるのはね、もしもどちらかがまどかの事を忘れ、彼女を守りたいという気持ちを失ったら、都合の悪い方は……」

 

 途中まで言いかけて、分かるでしょう? とこちらに笑いかけてくる。

 涙の痕が色濃く残る目元とどこか赤らんだ顔に意思を乗せて、どろどろに濁った瞳は大きく開き、その背には黒い翼が現れた。

 

「でもやっぱり、あなた達も私も暁美ほむらで、だから、これからもまどかを見ていなさい」

 

 きっと慣れ親しんだのであろう真っ黒い気配を漂わせたまま翼に己を包んで姿を消し、瞬く間に存在を感じられなくなった。

 彼女のいた痕跡はお茶の袋とカップくらいで、まるで世界に溶けて消えたかの様だった。

 

 

 

 

+

 

 

 

 

 悪魔との出会いから、もう一ヶ月は経っている。

 あれから彼女とは会っていない。相変わらず魔獣は見滝原を探し回ってもどこにもいないのだから、活動はしているのだろうが、接触してくる事は一度も無かった。

 人形達がたまに私へ耳打ちして彼女の近況を教えてくれる。言葉は変わらず聞き取れないが意味は感じ取れ、悪魔は特に変わりないと伝えてくる。

 もしも弱りだしたら声を掛けろと思念で人形達に頼めば、彼女達はスカートをちょっとだけ摘まんでお辞儀した。

 自分の事だ。あんな生き方をして、耐え続ける事ができないのは分かっている。すり減らした心は悲鳴をあげ、いずれ限界が訪れる。他に誰も頼るべき者がいないならまだしも、私達が居るのだから失敗の可能性は削るべきだった。

 他の何もかもを頼れないとしても、暁美ほむらだけは暁美ほむらの味方でいられるのだから。

 

「そういえば」

 

 シチューを混ぜながら、まどかはふと顔を上げた。

 

「二人は泳げるの?」

「……どうかしら」

「実は久しく泳いでないんだ。ほら、病気だったから」

 

 彼女の笑顔が一瞬陰った。

 気を遣わせてしまった。久々に焔の足を踏みつけたくなるが我慢して、努めて笑みを維持する。

 まどかが何かを口にする瞬間に言葉を遮った。

 

「私達にとって嫌な過去じゃないわ。あの入院の日々があったから、私達は見滝原に来たの。あなたと友達になれたのよ。それだけで十分、私は報われているわ」

「そうだ。昔の僕達と違って、今は君がいる。だから気にしないで」

「……ふふっ、二人ともほんっとうに優しいね」

 

 まどかは輝ける感情で答えてくれた。私達二人に、等しく最高の扱いをしてくれる。

 

「ん、いける。ほら、焔くんも味見してみて?」

 

 味見に使った小皿を、まどかは何の躊躇いもなく焔へ差し出した。

 焔は微笑みながら受け取ると、シチューを混ぜていたお玉を掴んだ。

 クリーム状のシチューは三人で切った野菜が沢山入り、良い香りと共に湯気を立たせていて、普段食べている物よりもずっと美味しいのだと主張しているかの様だ。それに何より、まどかと一緒に作ったという事実一つで世界の何よりも幸せな料理に見えてしまう。

 焔もお皿に口を付け、小さく頷いていた。期待を裏切らない味だったらしい。

 

「うん、いい。やっぱり、まどかは料理もこんなに上手なんだな」

「ふふっ、三人で作ったんだから、わたしだけの料理じゃないよ?」

「いや、僕達はまどかに手伝って貰うつもりだったんだが、実際には逆だった。教わりたいくらいだよ。僕もほむらもイマイチ料理の腕がよくなくて……」

 

 シチューが焦げない様にさりげなく混ぜつつも、私は会話に夢中な二人の声に耳を傾けていた。

 真実を知っている私にも、やはり仲睦まじい恋人同士に見えてしまう。

 こみ上げてくる恐怖感はかなり薄れたが、今でも消えてはいない。

 

 今もまだ問題ない。幸いな事に、まどかの目に浮かぶそれは私に向けられる物と変わらず、友達としての親しさだけがある。

 だが、このまま仲良くなって、ずっと一緒に居ればどうなるだろう。

 素晴らしい事に、まどかの時間は着実に進んでいた。私がこの世界に現れた時よりまどかの髪が少し伸び、背も心なしか高くなった気がする。

 想いだって、どこかしら変わっていくのだろう。

 

 気持ち悪いことだけれど、あれがまどかにとって一番に身近な異性だというのは、理性では、客観的に見れば……百歩譲って、認める事ができた。

 うぬぼれかもしれない。でも、こんな私達を魅力的で素敵だって言ってくれる子だ。万が一がある。

 

 それが、今でも恐ろしかった。

 ことに私達は同じ暁美ほむらなのだ。人生の全てをかけて守りたい友達は、友達であって恋人じゃない。それは今も変わらない絶対の事実だ。

 

「二人とも、そろそろシチューが出来上がっているわ」

「あっ、ごめん。話し込んじゃった」

「構わないから、まどかは席に座って待っていて。お皿や他の食べ物は私が用意するわ。パンでいい? お米の方がいいかしら」

「シチューと一緒だから、うーん、パンがいいかも」

「そう。ならそれで行きましょう」

 

 焔の姿へ目をやると、彼はまどかの前にコップを置いている所だった。

 ……もしも、まどかが恋を望む時が来たとして、彼はどうするのだろう。

 

 考え込みながらシチューを真っ白なお皿によそって、パンとマーガリンを別のお皿に乗せると、焔がそれを受け取って、彼女の前へと並べる。

 ……あの時に、悪魔へと口にした言葉通りに行くのだろうか。

 

「ほむらちゃんも早く座ろうよ」

「え、ええ……うん」

「えへへっ」

 

 いつの間にかまどかは私の元へ来ていて、手を引いてくれた。

 あたたかな指先の感触が、命を私に伝えてくれる。

 

 ふと、心が少し軽くなった。

 心配事の全てが取るに足らない事だったような気がした。

 

 だって、彼女の人生は再び始まったばかり。失われるべきではなかった全部をこれから取り返していくのだ。成長も、学校も、恋だって。

 その一助になれるのなら、恐怖も絶望も苦しくない。これから先、どんなに苦しかったとしても、どれほど悩んだとしても、彼女がそこに居てくれる限りきっと平気だ。

 どういう選択肢だとしても、最後には、まどかにとってより明るい道を選びたい。途中で少し泣いたとしても、きっともっと幸せになれる道を。

 

「じゃあ、いただきます」

「「いただきます」」

 

 三人で声を揃え、口にしたシチューの味は予想よりも遙かに味わい深くて、涙が出そうなくらい美味しかった。

 暁美ほむらがまどかと一緒に作った料理。私達だけで独占するには幸せすぎる。まだ鍋には余分に残っていて、まどかがお代わりしなければ残る筈だ。

 残った分は、人形達に持たせてあの悪魔に届けよう。

 

「お水を足すけれど、まどかも飲むかしら」

「うん、お願いしていい?」

 

 三割ほどになっていたまどかのコップを持って、冷蔵庫から代わりの水を注ぎ、シチューの鍋に関心を示す人形達の頭を撫でる。

 料理の味とパンの相性について語り合う二人の声は幸せそのもので、口元に残ったものを焔に指摘され、顔を赤くして拭うまどかの楽しそうな雰囲気が私達の心まで明るい所へ連れ出してくれる。

 

「……」

「ほむらちゃん、さっきからどうしたの?」

「あなた達は本当に仲が良いわね」

 

 私の言葉に何を感じたのか、こちらに向かって身を乗り出すと、まどかは私の頬を包み込んだ。

 

「ほむらちゃんとも、仲が良いんだよ」

 

 その優しさにお礼の言葉を返して、私は己の中の意思が完全に固まっていくのが自覚できた。

 本当にそれが必要なら、私は選べる。今の私達は人の体ではなく、同じ暁美ほむらなのだから、もしも私と彼が入れ替わっても、きっと誰も気づけない。

 

 焔は、突如として向けられた私の視線の意味をよく分かっていない様だった。

 そして私も何も答えたりはせず、ただまどかと料理を楽しむ時間に戻るのだった。




これで完結となります。



鹿目さんが将来的にどうなるかとか、どうならないかとか、それは分かりませんが、とりあえず暁美さんは鹿目さんの心を読めるわけではないし、逆もしかりです。暁美さんの心配は杞憂に終わる可能性の方が高いでしょう


この作品はあくまで暁美さんの視点なので、鹿目さんが何をどう思っているのかは分かりませんし、書きませんでした。あと私自身が鹿目さんの思考をあまり真似できないので
ただ、鹿目さんは実は凄く我の強い人だという事は分かっています。暁美さんが、こうと決意した時の鹿目さんに言葉でも実力でも勝てないのは本人が一番わかっていると思うんです。
鹿目さんは本人が思っているより遥かに優しくて、それでいて頑固で力強い。「そんなのは違うって言い返せる、そう言い張れる」人。まさに主人公気質の持ち主。そんな彼女だからこそ、笑顔が似合うし、日常が似合うんですね。

だからこそ、暁美さんが鹿目さんを守り続けたければ、決して知られる訳にはいかない。何が起きているのかなんて知らないまま、ただ素敵な人に囲まれて生きてくれる様に全力を尽くすしかないのだと思います。
彼女に武器を取らせるような事があってはいけない。
例えそれが鹿目さんの想いへの裏切りだとしても、行動しない理由にはならないのですから。



ところで、小ネタは幾らかあります。マギアレコードから一人と、テレビ版の没デザインなんかですね。暁『海』ほむら、というのがそもそも暁美さんの初期設定での名前です。
男の方の暁美さんが変身した姿もうめ先生の初期デザインから。本作は暁美さんを三人にした為、ほんの少し変えました
あと遊園地の描写元は叛逆の物語のOPに出ていたあのレジャーランドの写真から持ってきました。
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