【完結】いくら望まれたとしても、私はまどかに恋をしない 作:曇天紫苑
ショッピングセンターの休憩用のソファへ腰掛け、まどかの膝の上に広げたファッション雑誌を二人で一緒に眺めていると、水着のページでまどかの手が止まった。
「ほむらちゃんにはこういう水着が似合いそうだよね」
まどかが雑誌を広げ、そこに写ったモデルを指さした。
青く長い髪をした、細身で背の高い女性だった。彼女はどこか鋭さを思わせる瞳の下で口元は穏やかな笑みを浮かべ、綺麗な姿勢でポーズを取っている。
下の方に「七海やちよ」と名前が書かれていた。聞き覚えがある様な気もしたけれど、それ以上に、見間違えようもないものに視線が向かう。
この人は、魔法少女だ。
「?」
「いえ、とても綺麗な人だと思って」
とっさに出た言い訳だけれど、写真の中の人は確かに綺麗だった。物静かな顔つきをしていて、細身の上に背も高く、見事なモデル体型の女性だった。きっと、何を着ても見合うだけの魅力を持ち合わせているのだろう。
身に着けているのはチューブトップの白いビキニで、胸の真ん中は紐で留められている。
モデルの女性は見事に着こなしているが、私が同じ物を着るのは自信がなかった。あまり肌を人に晒すのが得意ではないのもあって、似合う気はあまりしない。
この手の大人びた水着なら、巴マミには相応しいのではないだろうか。
「このモデルさん、ちょっとほむらちゃんに似てるから同じ水着ならきっと似合うと思うの」
「そうかしら……」
「うんうん。綺麗な髪とか、細くてカッコいい所とか、顔立ちとか、雰囲気も少しだけ近いかも。あ、写真だけ見た感じはだけどね」
言われてみると、確かにどちらも髪は長い。けれど、ひ弱な私とモデルとして整えられた女性では同じ痩せ型でも天と地の差がある。
背丈も私よりずっと高く、顔立ちも身体と見合っている人だ。
でも、私自身がどう思っていたとしても、まどかが褒めてくれるのは純粋に嬉しかった。
「私には少し派手かもしれないわ。それに、こういうモデルみたいな美人ではないから」
「そんな事ないよ!」
「きゃっ」
まどかは、私の手を飛びつくようにぎゅっと握った。
不意を打たれて声が出たけれど、まどかの声はもう少し大きくて、私には強く響いた。
「ほむらちゃんが転校してきた時にね、すごい美人な子が来たんだなって思ったんだ」
「そ、そう」
「ほむらちゃんにはね、良い所がいっぱいあるの。自信を持っていいんだよ?」
嬉しそうに私の手を撫でると、頬の近くへ引き寄せる。
両手で優しく揉んだり、さすったり。それを繰り返す。繰り返す。その手つきが途方もなく優しくて、なんだかとても心地よい。
だからこそ彼女の指先を掴んで、その瞳をしっかりと見つめた。
「言葉をそのままお返しするわ。貴女は、貴女自身が思っているよりもずっと良い人よ。良い人過ぎて心配になるくらいに……いつか、友達の為に危ない事をしてしまうかもしれないわ」
「ええっ、わたしはそんな人じゃないよ!?」
「いいえ。貴女は自分の事がよく見えていない」
不思議そうなまどかの顔色に、自分の言葉が届いていないのだと自覚させられる。
「初対面なのに私達を優しく扱い過ぎていたわ。私達が貴女を利用しようとする人間であれば、貴女は簡単に罠にかかっている筈よ」
「あの、迷惑だったかな……」
「い、いえ、そういう事では決してないけど」
「……ほむらちゃんだって、初めて会った時からわたしに優しかったよ?」
それは違う。
私にはまどかと過ごした沢山の思い出と記憶がある。まどかはそうではない筈だ。
言葉を止めた私に向かって、彼女は顔を近付けた。
「じゃあ、一緒だね」
「え?」
「だって、私達はどっちも自分の事が見えてないんだから」
私の鼻先をつんとつついて、彼女はくすくすと笑い声をあげた。
夢中になって口を回してしまったが、語気が強すぎたかもしれない。遊びに来たのに、突然こんな話になるのはおかしいだろう。
まどかの様子を窺うと、彼女は照れた風な顔色となった。
「えへへ」
「?」
「ごめんね。ほむらちゃんがここに居るのが、なんだかとっても嬉しくって」
また私の手をなぞり、さすっている。何が楽しいのか、そうして私の指や手のひらに触れる彼女は本当に上機嫌だった。
私も彼女に優しくして貰えるからか、指先から言葉にならない気持ちの良さがどんどんとこみ上げてきた。一瞬でも気が緩めばどろどろに溶けてなくなってしまいそう。
「ま、まどか?」
「どうかしたの?」
「いえあの……何でもないわ」
彼女が楽しそうならいいか。そう結論づけて、されるがままに身を任せる。
意識を外に切り替えると、館内の音楽がよく聞こえた。流行の楽曲で、私の耳にも覚えがある。まどかの好きな曲だった筈だ。
見滝原のショッピングセンターはこの辺りで一番大きな商業施設だから、利用者もとても多い。まどかと話している間にも何人もの子供が通り過ぎ、買い物を終えた大人が袋を持ってお店から出て行っている。知らない女の子が走り回って、棒のようなものを振り回している所が視界に入り、通路の角を曲がって見えなくなった。
点々と設置されたソファの一つに私達は体を預け、気持ちの良い状態で会話が進んでいた。少なくとも私の部屋の椅子よりは座り心地がよく、長く座っても後でお尻が痛くなる心配は無用だ。
焔は何か食べるものを買ってくると言って席を外している。女同士で待っている方が話しやすいだろうからと、気を回したのだ。
「……」
「……ふふっ」
どこまでも喜色満面のまどかと目が合った。
沸き起こる昔の記憶を噛み締めて、私はふと、まどかとの会話に気になる所を見つけた。
「そういえば、なぜ急に水着の話になったの?」
回答は楽しげな声だった。
「実は今度の夏休みね、さやかちゃんが海に行こうって誘ってくれたの。ほむらちゃん達も一緒にどうかなって」
「美樹さやかに了承は得ているの?」
「うん。この機会に色々と話してみたいって」
美樹さやか。今の彼女との関係は決して悪くはない。
まどかと最初から友好だからか、よく冗談めかした調子で話しかけてくれる。
既に魔法少女だけれど、生来の快活で優しい性格のまま接してくる姿は眩しくて、そんな彼女を幾度も見捨ててきた自分のおぞましさがより深まった気がした。
そんな彼女が、私を誘って良いという。
「みんなで水着を選びたいな。一緒に決めればきっと凄く楽しいと思うの。だから、ほむらちゃんに似合う水着を考えてみたくて。でも、ちょっと気が早いかな。えへへ……」
まどかの声は幸せいっぱいだった。
そういえば、彼女と海へ行く経験は一度も無かった。私が繰り返していた時間は長い休みとは被らなかったから、遠出はできなかった。
今回だって一緒に行けるかは分からない。ワルプルギスの夜を倒さないと、彼女が夏休みを過ごす事すらただの夢想で終わる。楽しそうに立てている計画が何もかも無駄になってしまうのだ。
だから、今度こそ未来を切り開いてみせる。そう決意を強める中で、まどかの言葉のニュアンスに気になる部分を見つけた。
「待って……私達? 弟も誘うの?」
「うん……出来れば来て欲しいの。焔くんと一緒に遊びたいし、さやかちゃんや杏子ちゃんとも、もっと仲良くなって欲しい」
「それは、難しいんじゃないかしら」
あれは、まどか以外とは距離を取っている。私もそうだけれど、彼の場合は異性なのもあってより遠い。
彼女はそれを分かっていない様で、寂しそうに声の調子を落として、私の指先をなで続けている。
「だから、このチャンスに仲良くなれたらいいなって」
「貴女の気持ちは分からなくはないけれど」
しかし、行き先は海で、水着で、宿泊だ。
「やっぱり焔くんだけ男の子じゃ居心地が悪いかな……上条くんは予定日が音楽の発表会で忙しいみたいなんだ」
「いえ、そうではなくて……恥ずかしいとは思わない?」
「え? 焔くんだよ?」
首を傾げられてしまった。
まるで伝わっていない。どう説明すればいいかと悩んでしまう。
学校指定の水着ならまだしも、遊びに行く時の水着を誰かに見せつけたいかと言えば、多少は、いえ、かなり抵抗がある。
少なくとも私はそうだけれど、まどかは違うのだろうか。
黙って何を言うべきか選んでいる間に、まどかは何やら考え込んで「あ」と呟き顔を赤くした。
「……うーん。でも平気だよ。さやかちゃんや杏子ちゃんに水着を見せるのも、ちょっとは恥ずかしいし……」
これは、まどかが友達想いの素晴らしい良い子だからって、幾らなんでも。
「まどか、あなたは彼をどう見ているの?」
「え? ほむらちゃんによく似てて、凄く美人な男の子、かな」
まどかは首を傾けていた。
「そうじゃなくて、その、どんな関係になりたいか、とか」
「これからもっと仲良くなりたい友達だよ。もちろん、ほむらちゃんも同じだけど」
「ありがとう。じゃあ……例えば、れんあ」
致命的な問いかけを口にしかけた所で、聞き慣れた男の声が届いた。
「お待たせ、アイスを買ってきたよ」
「ああっ、ありがとう!」
思わず彼を睨んでしまった。
偶然にも邪魔となった焔は、私の視線に気づいて首を傾げる。
見た目こそ私によく似ているが、こうして立っている姿を観察すれば男性なのは明らかだった。
「本当にありがとう、わざわざ買って貰ってきちゃって」
「僕がそうしたかったんだ」
私の目など当然どうでも良かったらしく、彼は買ってきたアイスをまどかに渡す方を優先した。
「どれがいい? こっちがストロベリーで、こっちがチョコレート、これがバニラだ」
「わぁっ、美味しそう……あ、お金は足りた?」
「ちょうどだった」
両手でカップを持っていて、中には大きなボール状のアイスクリームが一つずつ入っていた。
どれも見るからに濃厚そうなクリームに小さなハートのチョコレートが幾つも中に埋められていて、僅かに溶けていた。
「焔君はどれにするの? ほむらちゃんは?」
「まどかが先に選んで。私は残った方にするわ」
「まどかが先でいい。僕は残った方から選ぶから」
「いいの? それじゃあ……これかな」
まどかがストロベリーを選ぶと、私はチョコレートを、一番最後に彼はバニラを手に取った。
紙のカップから冷気が伝わってくる。香りが広がって、まだ食べていないのに口の中が甘くなった。
見ているだけでは意味が無い。桃色の使い捨てスプーンでボールを少し削ると、中までハートのチョコが入っているのが見えた。どう見てもまどかと私が渡した金額よりは高そうだ。
『意外に安かった。でも少し足りなかったから後で不足分は払え』
『もちろんよ』
心の中だけで意思を交わしつつも、スプーンの上のアイスクリームを口に運んだ。
深い味が広がって、口腔内が甘さに支配された。チョコレート特有の風味と濃厚なクリームの食感はややしつこかったが、それを含めても気分の良くなる後味だ。
「んんっ、甘くておいしいっ!」
すぐ目の前でまどかは鮮やかな笑みを咲かせて、晴れ晴れとした声をあげた。
そしてスプーンにアイスを乗せると、私の口元へ運ぶ。
「ほむらちゃんもこれ、食べてみる?」
「ええ、いただくわ」
「じゃあ、あーん」
慣れた物で、私は迷わず口を開けた。
「……ん」
飛び込んできたアイスの風味は確かにイチゴで、濃厚な味が柔らかに整っている。後味も軽く気分がいい。まどかのくれた物だからか、より美味しいという感覚が強かった。
咀嚼しながら口の中で溶ける感触を最後まで味わって、それから飲み込む。
私の感想を待って覗き込んでくる顔に、思わず微笑みかけてしまった。
「うん、爽やかな甘味ね」
「……」
「まどか?」
「ほむらちゃんが笑ってるところ、珍しいなって」
呆然とした反応は予想外で、何のことだと疑問を抱いた。
けれど、言われてみれば尤もだ。まどかの前で面持ちが崩れないように抑え込んできたのだから。
「笑っていなかったのね、私は」
「甘い物って凄いね」
「ええ」
甘味が私を笑わせたのか、まどかが私を笑わせたのか。どちらにしても気が緩んでいた。
「……」
焔はそんな私を静かに見つめている。あまりスプーンが動いていない。
「じゃあ、焔くんもどうぞっ」
「っ? ああ、うん」
特に抵抗もなく、焔は口を開けた。そこへまどかのスプーンが入り、ごく自然にアイスを食べさせた。
私も同じ事をしたけれど、こうして見ると何やら妙な気分だ。
間接キスという単語を思い浮かべたが、内心で首を振って消した。
「……まどか?」
「えっ? ……あ、今のはちょっと恥ずかしかったかも」
スプーンを握ったまま、彼女は照れた面持ちとなった。
焔が一瞬だけ難しい顔となったが、この話題は流そうと決めたのか、すぐに元通りの表情へと戻る。
「こっちもいいな。バニラも食べてみるか?」
「一口くれるなら、うん」
焔はカップとスプーンを手渡して、好きなだけ取る様に伝えた。
そう言われた中で、まどかは一口分だけ取って食べ、嬉々として感想を伝えている。
まどかは、こんなにも異性へ近づいていく子だっただろうか。
違った筈だ。男の子と一緒に居る時の方が少なくて、いつも美樹さやかや志筑仁美の傍に居た。
……でも、私が知らなかっただけで、まどかは男の子が相手でも前のめりで関わる方なのかもしれない。
私が見てきたのは極めて限定された時間内のまどかだ。以前の彼女の事は分からない。
そう思わないと胸の奥の痛みが抑えられそうにない。
「んんー、あまーい」
「私のも食べたいのならどうぞ」
「うん、ちょっとだけ貰うね」
私の内心はともかく、まどかはどこまでも美味しそうに甘味を楽しんでいる。
見慣れた店舗と誰かの話し声の間で、私達は同じ時間を共にしている。決して悪い気分ではなかった。
そんな時、どこかから視線を感じた。
確かな存在感だ。魔法少女だからわかる。
「……」
「やっぱりアイスは濃厚なのが美味しいよね」
私が目配せすると、焔もまた頷いた。
幾分か離れているが、あの姿はよく知っている。青い髪に健康な笑み、軽やかな足取り。心優しく善意も持った、まどかの大切な友達。
美樹さやかは、私達が来た方の反対側からこちらに近づいてきていた。
何やらにんまりと口元を緩め、まどかの背後に回り込んでいる。私達に向かって人差し指を唇にあて、忍び足でゆっくりと距離を詰めてきた。私達三人を見比べつつ、その面持ちは悪戯っぽくて楽しげだ。
「美味しかったぁ……」
まどかがアイスを置いたタイミングを見計らい、美樹さやかは背後から抱きついた。
「まっどか!」
「あぅっ……さやかちゃん?」
「うんうん、あたしだよー」
頭を撫で、歯を見せながら彼女は笑った。
突然の登場にまどかが目を丸くしている。でも、すぐに親しい友達の登場を喜びの声で迎え入れた。
「さやかちゃんはお買い物?」
「まあね。ん、まどかの方は……」
突如口を閉ざし、美樹さやかの視線が焔とまどかへ交互に向かう。
何やら神妙な面持ちで頷くと、最後に私へ視線を送ってきた。
「ああ、デート」
「デートじゃないわ……!」
思わず反論の言葉が溢れた。
自分でも驚くほど語気が強くなって、大きな声にまどかが一瞬びくりと飛び上がった。
嫌に腹立たしく、納得し難い感情が私の中で暴れる。自分の中で何かの忌避感めいた物が膨れ上がっているのが手に取るように分かった。
「ほむらちゃん?」
私の変調を察したまどかは、不安そうに顔を歪めた。
そんな顔をさせたい訳じゃない。慌てて抑え付けながら、分かる程度に微笑みを作って誤魔化す。
まどかは安堵した様子で表情に明るさが帯び、小さな声をあげて笑う。
「さやかちゃんったら。ほむらちゃんも一緒に居るんだよ?」
「はいはい。ほむらはあんまりまどかの邪魔しないであげてね」
「……邪魔?」
どの辺りが、と聞きたかったが、まどかの手前これ以上は空気を悪くしたくない。
まどかが横目で焔を見ると、何やらすぐに逸らした。なぜか、とっても嬉しそうだ。
「そうだ、さやかちゃん。ほむらちゃんも一緒に海に行くよ」
「ほむらも参加ね。もう片方は?」
「僕か? いや、何の話かな」
「あのね焔くん」
私にしたのと同じ風な説明を、焔は顔色を変えずに耳を傾けた。
彼は全て聞き終えてしばらく考え、やや大ぶりに首を振る。
「不参加だ。女子だけで行ってくればいい」
「そっか、やっぱり女の子ばっかりの中に一人はちょっと困るよね」
「あたしとしては、まどかのボディガードに男子が一人居ればいいなと思ってたんだけどねー」
ぽんぽんと焔の肩を叩きつつも、美樹さやかはどこか面白がった口調で語りかけた。
「まどかは可愛いからね、水着なんて着たら男の視線を釘付けにしちゃうかもしれないよ?」
「ええー。さやかちゃんも凄くかわいいよ? 前に見せてくれた水着だって明るくて元気で、とってもかわいかった」
「おおう。そこまで言われると流石に照れるなぁ。でも、今年は新調するから印象が違うかもよ」
「うん、一緒に選んでいい?」
「もっちろん!」
二人で話していると、空気を共有しているのがよく分かる。まどかも美樹さやかも同じくらい明るい調子で、間違いなく一緒に笑っていた。
やっぱりこの二人の仲はとても良い。お互いが幸せそうだ。その関係には距離感が全くなく、そこには確かな絆があった。
「あたしとしては二人とも来て欲しいんだけど、駄目?」
「……」
「実は男手も欲しかったりする。ほら、まどかも一緒に行きたがってるよ?」
美樹さやかはあくまで愉快そうに焔を覗き込んでいた。
長く考え込んで、やがて彼は己の髪をかき上げる。
「分かった。行こう」
思わず焔にジトリとした視線を向けた。
だが、まどかの歓声がそれを打ち消した。
「えっ、い、いいのっ!?」
「せっかくまどかが誘ってくれたんだから、行くさ」
「無理してる訳じゃない、よね?」
「嫌なら嫌と言うさ。嫌じゃないから誘いに乗るんだ」
「……二人とも来てくれるんだね! やった!」
「……ふふっ、楽しそうだね、まどか」
美樹さやかはどこか感慨深そうに面持ちを明るくした。あんな表情をした彼女を、私を知らなかった。
けれど、そのどこまでも柔らかな顔色はやがて消え、いつもの明瞭で元気そうな態度に戻る。
「二人とも参加決定ね。水着はまた今度一緒に買おっか」
「うん、焔くんはどうする?」
「流石にそれは別で買うさ」
僅かな間だけ慈しむような顔をすると、彼女はまどかの両肩を撫でた。
「じゃ、あたしはそろそろ帰らなきゃいけないから、またね」
「うん。またね、さやかちゃん」
話すことだけ全て話すと、続けてさりげなく焔の肩を叩いている。
「まどかと仲良くしなよー?」
何度も叩かれた焔が顔をしかめるが、そんな事は知らないとばかりだ。
ひとしきり叩くとと、彼女は満足そうに頭の後ろで手を組み、去っていった。
姿が見えなくなった所で、私はアイスを食べ終えた。口の中に残った甘味が、嫌な予感を軽くしてくれる。
何度も死の危険を掻い潜ったお陰で、反射的な危機察知くらいはある程度鍛えられている。本来なら戦う時にしか動かない部分だが、今は非常に嫌な警告を発していた。
「来てくれるのは凄く嬉しいけど……本当に大丈夫? 無理に来なくてもいいんだよ」
とても明るい様子だけれど、まどかは焔の顔を見るにつれ、はっとした声となった。顔を覗き込んでいて、雰囲気はとても心配そうだ。
「いや、特に予定があるわけでもないし、まどかが僕を呼びたかったのなら構わない。僕だけ男子というのも、そこまで抵抗はないからな」
彼女の視線を一身に受けても焔は顔色を変えなかった。
「本当に? それなら良かった」
「むしろ、まどかこそ僕が行っても構わないのか? 他の子もだが」
「それなら心配しないで。焔くんとほむらちゃんを誘って良いかはちゃんと確認したよ」
「なら問題ないな」
焔は平坦な、だがどこか嬉しそうな声をしていた。私だって一緒に海へ行けるのはもちろん嬉しい。素直に認めざるを得ない、だけど。
目の前で自分がそうしている姿は、なぜこうも危機感を煽るのか。美樹さやかが焔に語った内容と「デート」という単語が何度も頭の中でぐるぐると輪を描き、止まらずに回り続けていた。
「ほむらちゃん?」
「なんでもないわ」
頭の中で警報が鳴り響くような気分を見通されている気がする。
だけど何とか気づかれずに済んで、彼女は「そう?」と不思議そうに首を傾けると、それから明瞭な声で私達に声をかけた。
「アイスが美味しかったねー」
「ええ」
空になったカップを三つとも重ね、その上に使い終わったスプーンを纏めた。どれもまだ濃厚な甘い香りを残している。
満足そうなまどかに目を注いでいると、幸せそうな姿がとても心地よく、達成感すら沸いてくる。今だけは不安も危惧もどうでもいいようにすら思えた。
もっとずっと、出来る限り長く彼女と共に居たかった。けど、時計を確認してみると、もうお開きの時間だった。
「さあ、そろそろまどかは門限でしょう?」
「えっ……あ、ほんとだ」
残念そうな反応をして貰えて、心が弾む。
名残惜しいのは確かだ。周囲を見る限り客足は落ちていないし、いまだ外は明るいだろうが、時間帯としてはそれなり。もう少し遊んでも大丈夫そうだが、そんな我儘は口にしたくない。
「でも、もう少しくらいなら遊んでも……」
「いいえ、ご家族を困らせちゃいけないわ」
「同感だな。二人暮らしの僕達が言えた事じゃないかもしれないが」
お父様やお母様を心配させる訳にはいかない。
私達は一緒に立ち上がり、空のカップとスプーンを分別して傍の四角いゴミ箱へ捨てた。
まだまだ口の中は甘いが、楽しい時間は終わった。だからか、数秒前よりどこか味わいが落ちた様な気がした。
「家まで送っていこう」
「いつもの様に家までは行ってもいいかしら」
「うん、時間が大丈夫なら一緒に帰ろっ」
慣れきった様子で私達と並び、そこには一欠片の警戒心も見て取れない。
「今日はすごく楽しかったよ。二人も楽しんで貰えたなら良かったんだけど」
「心配する必要はないわ。私達もちゃんと楽しかった」
「僕も同じくだ」
焔の声も、きっと本心を口にしている。
本当に、間違いなく楽しかった。まどかが気にしなきゃいけない事なんて、どこにもない。贅沢なまでに幸せ過ぎて、こんな時間を過ごしている自分に嫌悪感すらあった。
「本当? 良かったぁ」
彼女は私達二人をちゃんと見て、交互に目を合わせていた。
その瞳から垣間見える深みに心を震わせていると、気づいた時には既にお店の外だ。人の多い場所だが、魔女の気配はどこにもない。
少しばかり夜にさしかかっていたけれど予想通りに空はまだ明るく、道路に沿って植えられた木々は風に煽られ揺れている。
三人で並んで歩くと道は少し狭くて、後ろから来た女の人と肩が当たりそうになり、私はまどかの傍へ寄った。
「失礼します」
「いえ」
知らない女性が会釈一つして私達の隣を通り過ぎていく。長く柔らかな銀のサイドテール。翡翠色の瞳。落ち着かない足取り。プレゼントだろうか、何かの、そうぬいぐるみか何かの包装紙を抱きしめている。
会ったことはない筈なのに、どこか見覚えがあった。そう、あれは。
「っ」
私はまどかの正面へ回り込んで抱きしめ、腕の中へ納めた。
何かから彼女を守るように。
「?」
「あっ、いえ……これは」
我に返ると、女性の姿は既にかなり遠ざかっていた。
焔は私達の前に立ち塞がり、無言で佇んでいた。だけど、数秒も経つとこちらへ振り向き、私の状況を怪訝そうに見つめた。
「んっと、えいっ」
私の口から何かしらの言い訳が飛び出す前に、まどかは私の腰を抱き返した。
「落ち着いて、ほむらちゃん」
「あ、あの、まどか……」
「どうしてそんなに緊張してるの? 焔くんも、なんだかさっきと雰囲気が違うよ?」
「それは……いや、僕は……?」
言われてやっと、全身がひどく強ばっているのだと自覚した。背筋に冷たいものが走っていると気づいたのも、たった今だ。
自分の行動の説明がまるでつかない。確かに私は何かに反応して、今の行動に移った。けれど、あの女性に見覚えがなかった。
私と違う動きだったとはいえ、焔も同じ筈だ。だが、彼も首を傾けるばかりで答えは出てこない。
「……ごめんなさい、急に。私にもよく分からなくて」
「うーん……そっか」
「もう大丈夫よ、ありがとう」
「もう落ち着いた?」
「ええ、私は平気だから」
不思議そうにしていたが、まどかは追求せずにいてくれた。
私にも説明できないのだからどうしようもない。彼女の配慮に強く感謝しながら、何事もなかったかの様に帰り道へ向かう。
「やっぱり、ほむらちゃんはモデルさんみたいな服が絶対に似合うと思うの」
「?」
「あのね、さっき抱きついてみて、やっぱり細くて綺麗だなって」
「貴女だって……」
私達にひっついて歩く彼女の体温を感じながら、私達はまどかの家へと足を進めた。
こうして彼女と遊びに出かけて、何事もなく帰る。海へ行って遊ぶ約束まで取り付けて、本当にちゃんとした友達同士みたいだ。ずっとこうしていたいと思ってしまう。
けれど、どんなに私が喜ぼうと幸せを噛みしめようと、ワルプルギスの夜はもうすぐ来る。まどかの命の危機が来る。
倒せば私の知らない未来が訪れる。そこに私の居場所があるかないかは、倒してみればわかる事だ。
決して彼女を犠牲にさせたりはしない。誰かを救うためにまどかが戦う必要も、誰かがまどかの命を奪う事も、絶対に許容しない。必ず防いでみせる。
「今日は風が気持ちいいねー」
通り抜ける風に、私とまどかは一緒になって髪を押さえた。
そよ風と呼ぶには勢いがあって、確かに心地よい。けれど、この心地良さを与えてくれたのは風じゃないのだと、私にはよく分かっていた。
+
今日の夜も、私は夜の見滝原を出歩いていた。
半ば夜の散歩と言ってしまっても良い状態で、補導される寸前までは歩き回っている。
行き先は特に決まっていない。魔女の気配を探りながら、心の赴くままに歩くだけだ。
見知った病院の屋上で、私はフェンス越しに外を眺めていた。
ここは良い風が吹いている。でも、あまり気持ちの良さを感じない。ただ自分の髪が風になびいて顔に掛かり、その度にかき上げる。
ここから見える町並みは、私の知っているそれと少しも変わらない。
高い建物から眺めてみれば、見滝原は意外と薄暗い所のある街だと分かる。治安のよい安心して住める街でも、夜になってみると重い空気が漂ってきて、どこかから魔女や使い魔が私を見ている様な気にすらさせられた。
だが、そんな纏わり付いてくる嫌な雰囲気を、今は少しも怖いと感じない。
この病院に居た頃の私はもっと恐怖を知っていた様な気がするけれど、さして記憶にはなかった。自分がより弱く愚かだった頃の事はあまり思い出そうとは考えない。それより、今の自分が恐れている事の方が重要だ。
「やっぱりいない、わね」
だが、そんな私の恐れを駆り立てる魔女も、インキュベーターも、どこにも見当たらなかった。
この時間軸に来た時からずっと探しているというのに、それらはこの見滝原には存在の痕跡すらもない。まるで、どこかへ消え去ってしまったかの様だった。
フェンスを握る指先に力が入る。魔法少女の手は人よりずっと力があって、危うく握り潰してしまう所だった。
運営の方からオリ主タグが必要とのご連絡をいただきましたので追加いたしました。
失礼いたしました。
なお本作は既に完結済みで全話予約投稿済みです。全14話、毎日20時更新予定です