ネイア・バラハの聖地巡礼!   作:セパさん

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・この話は後日談であり、蛇足です。ネイア・バラハの聖地巡礼!本編を前提とした話しとなっておりますので、ご了承下さい。

・IF設定が更に独自の進化を遂げた世界を舞台にお送りしております。

・キャラ崩壊注意です。

・ネイアちゃん視点ではありません。また、くがね先生と異なる文体を使用しております。アンチ・ヘイトのつもりで書いておりませんが、そんなの無理と言う方はブラウザバックしてください。

 以上を踏まえた上でお読み下さい。


【番外編】南から来た女

 〝いよいよこのときが来てしまった……。〟

 

 わたしは慙愧の念を宿し、無言で最高神である水神の聖印を固く握りしめる。忌まわしきアンデッドを崇拝する組織【魔導王陛下へ感謝を送る会(仮)】。ローブル聖王国南部に居を置くわたしの故郷は、遂に奴らの手に墜ちた。蒙昧な領主もわたしを除く他の神官たちも、清廉なるカルカ聖王女の理念より死を司るアンデッドにその魂を売り渡した。地獄で業火に焼かれるがいい、わたしがこの後磔刑に掛けられ串刺しの火炙りにされようと、貴様らほどの罰は受けないであろう。

 

 最早希望もなくなった。わたしは異端審問に掛けられるよりも早く神の身許へ往く術を考え、短刀をとりだし、自分の心臓へ勢いよく突き立てた。だくだくと血が噴き出す様子を見て、思っていたよりも苦痛がないことに違和感を覚える。最期とはこんなに呆気ないものなのかと一瞬思案したが、目の前の光景に唖然とする。

 

 わたしが手にしていた短刀は、自らの心臓を貫くことが叶わず、見ず知らずの男性の手のひらに風穴を開けていた。

 

「同志隊長!」

 

「わたしのことはいい、それよりもこの女性の保護を優先せよ!」

 

 彼らの佩用する胸章や腕章に血の気も凍る思いを覚える。魔導王陛下へ感謝を送る会(仮)の尖兵たちだ。ここまで迅速に居場所が割れるとは、やはり監視されていたのだろう。この地に残った最後の神官として見せしめにするつもりだ。

 

「自傷・自殺の恐れが非常に高い。不本意だが、しばらく拘束するほかないだろう。」

 

 手に風穴が開いた部隊長らしき男がそういうや否や、わたしは手足を拘束され口枷を付けられた。練熟した訓練の施された手慣れた動きに、何が不本意だと脳内で悪態をつく。多くのものから同じように自由を奪い、その狂った思考に染め上げてきたのだろう。なんという醜態だ、このあと待ち受けるのは拷問か処刑か……。いや、奴らの狂った思考に洗脳されるという最悪の想像さえ浮かぶ。

 

 どのみち神は、わたしに死の救済を与えて下さらなかった。即ちわたしにはまだ生きて果たすべき務めがあるという事であろう。それは(仮)の悪逆非道を世に広め伝える役割ではないだろうか。わたしが処刑や拷問を課せられることで奮起する信徒がいるかもしれない。未だ闇に包まれる洗脳の過程を公(おおやけ)にすることで被害に遭う人間が一人でも減るかもしれない。

 

 そう考えればわたしの命、わたしの信心など安いものだ。

 

 拘束されたわたしは男二人がかりで丁寧に運ばれ、馬車へ座らされた。中は広く、椅子も座り心地が良い。しばらく座っていると、外から喧騒が聞こえてきた。聞き耳を立てれば〝なにもバラ…まが!〟〝あまりにも危険です!〟と揉め事をしているようだ。そしてその喧騒はすぐに収まり、わたしと同じ馬車に入ってきた人物に驚愕を覚える。

 

 背負う月光の如く煌めく弓、光に反射する射手の籠手、顔の上半分をミラーシェードで覆い、彼の〝豪王〟バザーの鎧を纏った、噂に名高い凶眼の狂信者……(仮)の教祖、ネイア・バラハその人であった。わたしは手足が拘束されていることも忘れ、猛獣のようにネイア・バラハへ襲い掛かった。目からは涙が止め処なく溢れ、視界がぼやける。この女がいなければローブル聖王国は……。

 

 猛獣のように飛びかかったわたしを、ネイア・バラハは避けもしなかった。いや、避ける必要すらなかったのだろう。忌まわしきアンデッドに下賜されたという彼のバザーの鎧にぶつかる鈍い音とともに、わたしは床へと転がった。

 

「ぐっ……!」

 

「あの、大丈夫ですか? 派手に頭を打ってますし、縄が食い込んでは痛むでしょう。少し緩めてあげてください。」

 

 冷徹な処刑宣告をされるものと身構えていたわたしに投げかけられたのは、意外なほど平坦で、どこか呆れたような、しかし妙に落ち着いた少女の声だった。武装親衛隊の一人が慌てて馬車の隅から布製のクッションを差し出し、ネイアがそれをわたしの背中にそっと当てる。

 

 その仕草があまりにも自然で、逆に気味が悪かった。

 

「なぜだ……! なぜ殺さない! わたしを聖王国の反逆者として、その醜悪なアンデッドの教義に屈服させる気か!」

 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、わたしは目の前の「凶眼の狂信者」を睨みつけた。彼女の顔の上半分を覆うミラーシェードが、わたしの醜態を冷たく反射している。

 

 しかし、ネイアは微動だにせず、ただポケットから取り出した小さな干し肉の包みを開けて、無言でそれを差し出してきた。

 

「……食べますか? 自決しようとするくらいだから、お腹も空いているはずです。」

 

「ふざけるなっ……! そんな懐柔策に、この聖王国の神官が屈するものか!」

 

 わたしが叫ぶと、ネイアは小さくため息をついた。その表情は、教祖というよりも、手に負えない駄駄っ子をあやす苦労人のそれだった。

 

「懐柔も何も……。私たちはただ、あなたたちを保護しに来ただけなのです。危害を加えるつもりは一切ございません。というか、その……聖王国の現状を見てほしいのです。領主さまも他の神官さまも、みんな必死で生きるために魔導王陛下に助けを求めている。アンデッドを恐れる気持ちは理解しますが、人間同士でいがみ合って死んでいくより、生きて国を立て直す方が大事ではありませんか?」

 

「何を……! 魔導王などという不死者の王にすがるなど、正気ではない! 貴様らは洗脳されているんだ!」

 

 わたしの言葉に、ネイアの動きがピタリと止まった。

 

 ――その瞬間、馬車の空気が凍りついた。

 

 噂に名高い〝凶眼〟が、ミラーシェードの隙間から覗いた気がした。南部の民を震え上がらせ、数々の難局を暴力だけではなくその凄まじい威圧感で沈黙させてきたという、あの恐怖の眼光。

 

 ……しかし、実際に向けられたネイアの瞳は、怒りや狂気ではなく、深い絶望と、それを必死で飲み込もうとする痛々しいまでの真面目さに満ちていた。

 

「洗脳……ですか。」

 

 ネイアは自嘲気味に鼻を鳴らし、自分の胸に手を当てた。

 

「私だって、最初はアンデッドが怖くなかったかと問われれば嘘になります。アインズ様……魔導王陛下のお力に畏怖を覚えたこともあります。ですが……」

 

 彼女の声のトーンが、わずかに、しかし確実に変わった。そこに宿るのはただの狂気ではなく、狂信的なまでの心酔だった。

 

「アインズ様は、見捨てなかった。聖王国が魔皇ヤルダバオトに蹂躙され、誰も彼もが絶望して逃げ惑う中、自分の利益なんて確定もしていないメイド悪魔の確保という口約束だけで、この国の民のために手を差し伸べてくださった。それは、他でもないアインズ様なのです。私が絶望のどん底にいたとき、救いを与えてくれたのは神の奇跡なんかじゃない、アインズ様のご慈悲でした。」

 

 ネイアはまっすぐにわたしを見据える。その視線から、わたしは一歩も動けなくなった。

 

「あなたが信仰する水神が、この戦争の最中に何をしてくれましたか? あなたが絶望して自分の心臓を突き刺そうとしたとき、その神はあなたを救ってくれたのですか?」

 

「っ……!」

 

 言葉が出なかった。先ほど、短刀の先を受け止めてわたしの自決を阻止したのは、他ならぬあの(仮)の武装親衛隊長だったのだから。

 

「私はですね、あなたを無理やり改宗させようなんて思っておりません。ただ、アインズ様……魔導王陛下という方がどれほど慈悲深く、素晴らしいお方なのかを、一人でも多くの人に知ってほしいだけです。……まあ、難しいでしょうね。私は布教が下手くそだってことは自覚していますから。」

 

 最後は少し照れくさそうに頭を掻くネイアの姿は、先ほどまで想像していた〝血に飢えた異端審問官〟のイメージとはあまりにもかけ離れていた。

 

 わたしは混乱した頭のまま、目の前の少女を見る。この圧倒的な強さと、不器用なほどの真っ直ぐさ。そして、彼女をそこまで狂わせる――あるいは魅了する――という、魔導王なるアンデッドの存在とは……。

 

「……私は、どうなるのだ。」

 

 震える声で尋ねるわたしに、ネイアは優しく微笑んで答えた。

 

「安心してください。まずはちゃんと美味しい食事をとって、ゆっくり寝ることです。……それから、魔導王陛下の素晴らしさについて、じっくり語り合いましょう!」

 

 馬車の揺れの中、わたしは神の聖印を握りしめたまま、返す言葉を失っていた。

 

 

 

 馬車に揺られること数時間。わたしは身柄を拘束されたまま、かつて水神の神官が誰も足を踏み入れなかったであろう(仮)の拠点へと連れ込まれ、とある一室の椅子に座らされていた。手足の拘束こそ解かれてはいないものの、口枷は外されている。

 

 ――こうなれば、もはやこれまでだ。

 

 あの狂信者の甘言に惑わされるものか。喉が裂けようとも、奴らの食べ物など一口たりとも口にしない。飢えと渇きに耐え抜き、この不当な監禁と洗脳の試みに断固として抗うことこそが、今わたしに残された唯一の殉教の道である。

 

 その時、ガチャリと音を立てて頑丈な扉が開いた。

 

「失礼します。……あ、起きていましたか」

 

 入ってきたのは、武装親衛隊の一人――先ほどわたしが自決しようとした際、素手でその刃を受け止めたあの部隊長だった。その右手には、白い包帯が痛々しく巻かれている。わたしの短刀で風穴が空いたはずの掌だ。

 

「なっ……何の用だ。拷問なら他の者に頼め、わたしは――」

 

「拷問? いえいえ、違います。お昼も食べ損ねているでしょうし、夕食の時間ですので。」

 

 部隊長はそう言って、持ってきたトレイを机の上に置いた。その瞬間、部屋の中に、暴力的なまでの芳醇な香りが一気に広がった。

 

 嘘だ。ここはローブル王国北部だぞ!?南部と異なり、魔皇ヤルダバオトの襲撃と戦火で畑は焼け落ち、人々は草の根をかじり、乾いたパンくずですら奪い合って生き延びていると聞いていたのに……この部屋に漂う香りは、一体なんだ。

 

 私の鼻腔を強烈に刺激したのは、じっくりと煮込まれた肉と根菜のスープの匂いだった。しかも、ただの保存肉ではない。ゴロッと大ぶりに切られたジューシーな豚肉に、ほんのりと甘い湯気を立てる温かいミルクの香りが混ざり合っている。そして横には上等な小麦で作られたであろう芳ばしく焼き上げられた柔らかな白のパン。

 

「……っ!」

 

 私の喉が、意思とは無関係にゴクリと音を立てた。恥ずかしい。死を覚悟した聖職者が、たかがスープの匂いごときで生理現象を起こすなど、水神への冒涜だ。私は必死に顔を背け、目を固くつむった。

 

「あの、手は縛られたままですし……よければ食べさせましょうか?」

 

「ふ、ふざけるな……っ! そんな買収工作に、このわたしが屈するとでも……!」

 

「買収って……。ただの晩御飯ですが。あ、もしかして怪我をした私の手を見て気遣ってくれているんですか? いやぁ、お気遣いなく。これくらいかすり傷ですし、あなたにしっかり食べて元気になってもらわないと、教祖……バラハ様に『ちゃんと保護してください!』って怒られちゃいますんで。」

 

 そう言って部隊長は、スプーンにたっぷりとスープの具をすくい、私の口元へと差し出してきた。湯気がほのかに頬を撫でる。

 

 ――耐えろ、私。これは魂を売る行為だ。これを一口でも飲めば、私はあの忌まわしきアンデッドの軍門に降ったも同然なのだ……!

 

 しかし、人間の脳というのは、極限の飢えと疲労の前にはあまりにも無力だった。思考の隙間を縫うように、スープの旨味成分が脳髄を直撃する。何日もまともな食事にありつけず、恐怖と絶望で胃酸だけが逆流していた我的な内臓が、本能のレベルで〝あれを入れろ〟と叫び声を上げる。

 

 ――一口だけだ。一口だけ飲んで、奴らの味覚の低さを嘲笑ってやるのだ。そうだ、情報収集の一環として、奴らの食料事情を査定してやるに過ぎない。

 

 私は負け犬の言い訳を脳内で必死に叫びながら、震える口を開き、スプーンの上のスープを飲み込んだ。

 

 ――……っ!?

 

 雷に打たれたような衝撃が走った。濃厚な肉の旨味が舌の上でとろけ、絶妙な塩気と野菜の甘みが疲弊しきった体に染みわたる。うまい。美味すぎる。それは地獄の苦界に突如として現れた、天国の甘露そのものだった。

 

「どうですか? 南部では……特に神官様のいらした魔導王陛下のご慈悲を賜らない地域では、最近こういう温かいスープもなかなか口に出来ないでしょう。慈悲深き魔導国より豊潤な支援物資を頂いている地域なら、こうして物資の流通が安定してきているんです。」

 

 部隊長は悪気のない、どこか誇らしげな笑顔で二口目を差し出す。

 

「くっ……うぅ……!」

 

 私は涙を流しながら、抗うことも忘れ、まるでひな鳥のように次々とスプーンを受け入れてしまった。――あぁ、私はなんて意志の弱い人間なのだろう。こんな美味しいスープ一杯で、私の強固な信仰心と殉教の誓いは、音を立てて崩れ去っていく。

 

「ふふ、美味しいですか? よかった。遠慮しないで、パンも浸して食べてくださいね」

 

 慈悲深い笑顔を向ける敵の兵士を前に、私はスープを飲み干しながら、心の中で静かに絶叫した。

 

(……くそっ! 魔導王め、こんな美味しい料理で私を懐柔する気か……!)

 

 私の〝聖戦〟は、シチューとパンのあまりの美味さに敗北するという、最も情けない形で幕を開けたのだった。

 

 

 

 シチューの美味さに完敗し、精神的にも肉体的にもすっかり腑抜けてしまった私に、部隊長からさらに追い打ちをかけるような一言が投げかけられた。

 

「あ、そうそう。食事のあとは、大浴場の支度をしておりますのでどうぞ。」

 

「……は?」

 

 私は思わず聞き返す。大浴場!?この荒廃したローブル王国北部で!?そんな贅沢な響きを聞くとは思わなかった。

 

「いや、あの……わたしは囚人ではないのか? なぜ、湯あみ場などに……。」

 

「ですから、囚人ではなく〝保護〟だって言ってるではありませんか。それに、何日も追われてお風呂にも入れず、そんなにガチガチに緊張していたら体が凝り固まってしまいますよ。お湯に浸かってリフレッシュしてください。あ、香油や洗うための布も用意してありますから。もちろん手足の拘束は外しますので。」

 

 親切心の塊のような顔をして、部隊長はトレイを持って部屋から去っていこうとする。――待て。風呂だと? 広い湯船に、たっぷりと温かいお湯が張られた大浴場だと……?

 

 水神殿にいた頃は修業もかねて毎日のように清めのため水や湯に浸かっていたわたしだが、戦火に追われてからの数週間、満足に水で体を拭くことすらできなかった。日々のハードな逃避行と、死を覚悟した極限の緊張感で、私の神経は限界まですり減っていたのだ。

 

(くそっ……! 胃袋を美味しいスープで懐柔し、今度は温かいお湯で私を完全に骨抜きにする気か……!)

 

 頭では〝罠だ、警戒しろ〟と警報が鳴り響いているにもかかわらず、わたしの身体――特に長旅と恐怖で凝り固まった神経と肩や背中の筋肉――は、〝早くお湯に入れ〟とヨダレを垂らすように熱望していた。

 

 結局、私は武装親衛隊の者たちに案内されるがまま、(仮)の拠点内にあるという大浴場の前まで連れてこられた。

 

 頑丈な木の扉を開けると、そこにはふわりと心地よい湯気が立ち込めていた。照明は控えめだが、清潔に保たれた広い脱衣所。そして、その奥にある浴室からは、滔々と湯が溢れ出る心地よい水音が聞こえてくる。

 

「どうぞ、ゆっくり休んでください。見張りは外に立っていますが、鍵は内側からかけられますから。」

 

 部隊長はそう言い残すと、静かに扉を閉めていった。

 

 一人残された私は、重い足取りで脱衣所に立ち、震える手で自分の衣服を脱ぎ捨てていく。

 

 ――もうどうにでもなれ、だ。スープに屈し、今さら風呂ごときで誇りを守れるものか。

 

 私は湯気漂う浴室へと足を踏み入れた。

 

 目の前に広がっていたのは、見事なまでに掃除の徹底された、広々とした石造りの大浴場だった。湯船の中からは、煌々と湯気が立ち上がり、その表面が揺らめいている。湯舟には木炭や柑橘の果物が浮かんでいる。また別の扉を除くと焼き石に湯を打つスレイン法国やバハルス帝国では一般的と聞いたことがある〝サウナ〟の施設があった。

 

「…………。」

 

 言葉を失った私は、吸い寄せられるように湯船のふちへと歩み寄り、そっと足を浸した。

 

「――っあぁ……。」

 

 思わず、情けない声が喉から漏れた。適度に熱めのお湯が、冷え切った足の先からじんわりと染み渡っていく。私はそのまま体を沈め、肩までたっぷりと湯に浸かった。

 

「ふぅ……。」

 

 極限まで張り詰めていた神経が、一気に緩んでいくのを感じる。水神の聖印を握りしめ、〝死をもって抗う〟と息巻いていた先程までの気概が、この温かいお湯によって綺麗に溶かされていくようだった。

 

 お湯の温かさが全身の筋肉をほぐし、疲労物質を外へ押し出していく。……ずるい。こんな極楽のような環境を用意されたら、反逆の闘志も何もあったものではない。

 

 私は湯船のふちに頭を預け、天井から立ち込める湯気をぼんやりと眺めながら、心の中で小さくため息をついた。

 

(魔導王陛下とやらは、一体どんな魔法を使って人間を骨抜きにするつもりなんだ……)

 

 スープと大浴場のダブルパンチにより、私の〝反逆の聖戦〟は、開始早々に致命的な敗北の色を濃くしていくのだった。

 

 

 

 温かいお湯と極上のリラックスによって、私の〝反逆の聖戦〟はすでに風前の灯火となっていた。――だが、まだだ。まだ私は水神の僕。いかにスープが美味かろうと、いかに大浴場が天国であろうと、私の魂まで売り渡したわけではない。私にはまだ、神官としての誇りと、奴らに屈しないという最後の意地が……。

 

「…………失礼。」

 

 その時、脱衣所から静かな足音が聞こえ、浴室の扉がガチャリと開いた。

 

「っ……!?」

 

 私は慌てて湯船のふちにすがりつき、胸元までお湯に浸かって警戒心を蘇らせた。いよいよ処刑か? それとも、ついに過酷な尋問が始まるのか!? わたしは身構え、震える声で叫んだ。

 

「き、貴様は……! わたしをどうするつもりだ! どんな恐ろしい拷問器具を持ってきた!」

 

 湯気の中から現れたのは、これまでの屈強な武装親衛隊員たちではなかった。赤金(ストロベリーブロンド)の長い髪をした非常に整った顔立ちをもち、その左目はアイパッチで覆われており、右目に宿る瞳は翠玉(エメラルド)を思わせる美少女が無表情で立っていた。

 

 噂に聞いたことがある。彼の魔導王がヤルダバオトの討伐と引き換えに眷属たちを仕えさせたという逸話。冷酷非道なメイド悪魔のひとり。一瞬で人間の命を刈り取る、恐ろしい死神だ。

 

 彼女(しにがみ)の冷たい瞳が、わたしをじっと捉える。あぁ、終わった。この無機質な瞳で値踏みされ、容赦なくメイド悪魔の担いでいる魔道具の餌食となるのだ。わたしの短い生涯は、ここで――。

 

「…………。」

 

 メイド悪魔がトコトコと足音を立てて、湯船のふちまで歩み寄ってきた。わたしは恐怖のあまり息を呑み、目をぎゅっとつむった。殺すなら一息で頼む、せめて苦しまずに……!

 

 わたしが目をつむっていると、ポチャ・ポチャという何かが投げ込まれる音が断続的に聞こえだし、不意に目を開けた。そこには謎の物体で出来た、魔物?をモチーフとした片手で持てるオモチャたちがぷかぷかと浮いていた。

 

「…………うん。かわいい。」

 

「へ?え!?」

 

「…………握ってみて。」

 

 わたしはメイド悪魔に言われるがまま、おもちゃの一つを手に取り握りつぶした。すると「グエエエエ!」という間抜けな音を鳴らし、おもちゃがお湯を吹いた。

 

「…………どう?」

 

「どう、って。」

 

 ここで問答の二者択一を間違えればわたしは死ぬのだろうか。神のため死ぬ覚悟はできているが、流石にこんなくだらないおもちゃの感想で死にたくはない。

 

「と、とてもかわいいと思います。」

 

「…………よかった。お前は見所がある。ネイアに伝えておく。」

 

 そういうとメイド悪魔は役目を終えたとばかりに大浴場を去っていった。散々怯え、死を覚悟し、自分の心臓を突き刺そうとまでした私の緊張感は一体どこへ行けばいいのか。

 

 あまりの拍子抜けに、私の全身から戦闘意欲だけでなく、ありとあらゆるプレッシャーが霧散していくのを感じた。冷酷な拷問・異端審問を想像していた私の肩すかしは、あまりにも盛大だった。

 

 

 恐怖と絶望、そして数々の〝想定外の精神攻撃(スープ、大浴場、そしてメイド悪魔の謎のおもちゃ)〟によって心身をすり減らされた私が次に連れていかれたのは、(仮)の拠点の中央広場だった。

 

 私は処刑でも尋問でもなく、武装親衛隊の一人に連れられ、ただの〝見学者〟としてその場に立たされていた。

 

 ――目を疑う光景が、そこに広がっていた。

 

 噂に聞こえていたヤルダバオトの襲撃と戦火によって地獄絵図と化していたローブル王国北部の街。その面影は、驚くべきことに跡形もなく消え去っていた。

 

 石畳の通りには活気が戻り、あちこちに臨時の露店が並んでいる。肉や野菜、焼きたてのパンの匂いが鼻をくすぐり、商いをする人々や買い求める客たちの威勢のいい声が飛び交っていた。

 

 子供たちが泥まみれになって駆け回り、その母親たちが柔らかい笑顔を浮かべてそれを追いかけている。ヤルダバオトの脅威は南部貴族の帰還兵から聞いていた。その帰還兵は、絶望から2週間もしないうちに首を吊った。南部の帰還兵があのザマだ、北部の恐怖は如何ばかりかと想像する。恐怖に怯え、すがりるように祈るしかなかった絶望の日常が、嘘のように塗り替えられていた。

 

「すごい……ですね。」

 

 隣に立っていた武装親衛隊員が、どこか誇らしげにうなずいた。

 

「以前は食料も枯渇し、飢餓と病・暴徒に怯えて泣き叫ぶだけの街でした。ですが、魔導王陛下の治めたる魔導国より豊潤な支援物資を賜り、物流が整備されてからは、こうして普通の生活が戻ってきたんです。……まあ、治安を維持するために、私たち『魔導王陛下へ感謝を送る会(仮)』が少しばかり厳しく目を光らせているというのもありますが。」

 

 〝少しばかり〟どころではない。あちこちをパトロールする部隊員たちの姿は、住民たちから恐れられるどころか、子供たちに手を振られたり、露店のおばちゃんから差し入れを受け取ったりしている。

 

 ――凶悪なアンデッドを崇拝する狂信者の集団。洗脳と恐怖で支配する暴力組織。私が思い描いていた〝(仮)の正体〟とは、あまりにもかけ離れた光景だった。

 

 その中心に、彼女がいた。

 

 少し離れた場所で、ネイア・バラハが住民の老女と何かを話している。彼女の顔の上半分を覆うミラーシェードは相変わらず威圧感を放ち、その背負った月光の如く煌めく大弓は歴戦の戦士であることを物語っている。おまけに、すれ違う人々は彼女の姿を見ると、畏敬の念からか一瞬ピクリと身を硬くする。

 

 しかし、ネイアは老女の手を両手でしっかりと握りしめ、どこか不器用で、しかし心底真摯なトーンでこう言ったのだ。

 

「……何か困ったことがあれば、すぐに私たちに言ってください。アインズ様……魔導王陛下の慈悲に恥じぬよう、この街の平和は絶対に守りますから!」

 

 その表情は、恐ろしい教祖などではなく、ただひたむきに人々を守ろうとする一人の少女のそれだった。老女は涙を流し、何度も頭を下げながらネイアの手を握り返していた。

 

 私の胸の中で、何かが音を立てて崩れ去るのを感じた。

 

 ――神よ。

 

 私は心の中で、ずっと握りしめていた水神の聖印を思い浮かべた。この戦争の最中、私たち聖職者がどれだけ祈りを捧げても、神は何もしてくれなかった。人々が飢え、見捨てられ、絶望の淵で泣き叫んでいても、天から奇跡が降り注ぐことは一度たりともなかった。

 

 神は救わなかった。

 

 だが――あの忌まわしき〝アンデッドの王〟は、その圧倒的な力と慈悲で、この泥沼のような現実を救い上げた。冷酷非道な死神だと思っていたメイド悪魔たちは謎のおもちゃで私の戦闘意欲を蒸発させ、恐ろしい狂信者だと思っていたこの少女は、文字通り血を流しながらこの街の平穏を支えている。

 

「……間違っていたのは、わたしの方なのか。」

 

 ポツリと零れた私の声に、隣の部隊員が首をかしげた。

 

「え? 何か言いました?」

 

「……いや。」

 

 わたしは首を横に振り、ゆっくりと息を吐き出した。スープの温かさも、大浴場の極楽も、メイド悪魔の謎のオモチャも、そしてこの街の笑顔も。すべてが私の中の「正義」を粉々に砕いていく。

 

 水神の信仰という名の殻に閉じこもり、現実から目を背けていたのはわたしの方だったのかもしれない。アンデッドを崇拝していようが、教義が歪んでいようが関係ない。今、目の前で人々の命を救い、笑顔を取り戻させているのは、他でもない「魔導王陛下へ感謝を送る会(仮)」なのだから。

 

 ――すべての抵抗の意志が霧散し、わたしが自分の内なる信仰と向き合っていたその時だった。

 

「――ローブル聖王国の皆様!」

 

 広場の中心、一段高くなった特設の演壇。そこに立ったネイア・バラハの佇まいは、先ほどまでの〝少し苦労性の少女〟ではなかった。顔の上半分を覆うミラーシェードの奥から放たれる眼光は、まるで聴衆の魂の底まで焼き尽くすかのような異様な熱を帯び、その背負った月光の大弓は、まるで新たな世界を切り開く神話の武器の如くそびえ立っていた。

 

 彼女が一声を発した瞬間、ざわめいていた広場は、氷点下の冷気に呑まれたかのようにピタリと静まり返った。誰もが息を呑み、その一挙手一投足へと強制的に引きずり込まれていく。

 

「思い出してほしいのです!我々はこれまで、何に怯えて生きてきたのか! ――そう、魔皇ヤルダバオトの暴力であり、抗いようのない絶望であり、そして――我々を見捨てて沈黙し続けた〝神々〟の欺瞞です!」

 

 その声は拡声の魔道具がなかったとしても広場全体をビリビリと震わせただろう。それほどに人々の心臓を直接わしづかみにするような圧倒的な覇気をまとっていた。

 

「見渡してください!思い出してください! 焼け落ちた家屋! 飢えに泣く子供たち! そして無責任に天を仰ぐだけの無力な祈り! 我々の血が流れ、肉が引き裂かれるその最中、天の神々は一度たりとも我々に手を差し伸べたか!? 答えは『否』です!神などいない! 絶望の淵にある我々を救う奇跡など、この世界には存在しなかった!」

 

 聴衆の間にざわめきが走る。だが、それは恐怖ではない。心の奥底に押し隠していた怒りと絶望のマグマが、彼女の言葉によって一気に刺激され、一つの巨大な熱へと変わり始めるざわめきだった。

 

 ネイアはさらに身を乗り出し、右の拳を力強く突き上げた。その姿は狂気と神聖さが同居した、恐るべきカリスマそのものだった。

 

「ですが! 暗黒の闇に覆われたこのローブル聖王国に、唯一――! 唯一、その慈悲の手を差し伸べてくれた御方がおられました!」

 

 場の空気が、沸点に達する。

 

「死を司るアンデッド? 不死者の王? ふざけたことを! 我々に秩序をもたらし、商いを蘇らせ、この街に再び笑顔とパンを与えてくださったのは誰ですか! 他でもない、慈悲深き至高の王――魔導王陛下であられるのです!!」

 

「おお……っ!」

 

 誰かの感嘆の声が漏れた、いや広場にいる者たちの総意だったのかもしれない。もはや群衆の目はネイアに釘付けになり、誰もが彼女の発する一言一句に魂を奪われていた。

 

「魔導王陛下の慈悲に疑いを挟む者は、我が国の復興を阻む敵です! アンデッドへの恐怖という妄執に囚われ、人間同士でいがみ合う愚行は今日ここで終わらせます! 我々は、陛下の絶対なる統治の下に一つの強大な意志となり、この聖王国をその慈悲深き御手に抱擁していただき、魔導王陛下の御造りになる新たな世界秩序の繁栄、その一助となるのです!」

 

 その演説が終わった瞬間、広場を揺るがすような「魔導王陛下万歳!!」という止まない喝采が大地に轟き天空へ達する。人々は笑顔で互いに顔を見合わせ、力強くうなずき合っている。そこにあったのは、もはや恐怖による支配ではなく、未来への確かな希望だった。

 

 私はその光景を、一歩も動けずに眺めていた。

 

 胸元に手をやる。そこにはずっと握りしめていた、冷たい水神の聖印があった。かつては私のすべてであり、精神の支えであったはずの、最高神のシンボル。

 

(……あなたは、どこにいたのですか)

 

 心の中で、静かに問いかける。ローブル聖王国を救ってくれたのは、神の奇跡でも教義でもなく――あの忌まわしきアンデッドの王の慈悲と、その教えを不器用なほどまっすぐに貫く、目の前の少女の血の滲むような奮闘だった。

 

 迷いは、もう消えていた。

 

 私はゆっくりと首から聖印を外し、手のひらの上でその重みを確かめた。それはかつての信仰の証ではなく、ただの冷たい金属の塊にしか感じられなかった。

 

「……今まで、ありがとうございました」

 

 誰にも聞こえないほどの小さな声で、私はかつての神に、そして過去の自分に別れを告げた。

 

 私は聖印を橋から川に投げ捨てて、顔を上げる。広場の中心で、次の支援物資の割り振りに奔走するネイアの背中へと、私はしっかりと地に足をつけ、歩みを進めるのだった。いつの間にやら、ネイア・バラハの横には昨日も見たメイド悪魔が立っていた。

 

「…………ん。昨日も見た顔。ネイアの新しいシモベ?」

 

「いえ、彼女は……」

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