Dear…【完結】   作:水音.

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本編第1話の数年前の話。
自サイトにて限定公開していた話です。


第0話 Before Blooming ―蕾―

 それは光の季節を目前に控えた冬の終わり。

 一人の死神と一体の破面が、かつて契りを交わした桜の木の下で再会を遂げる日より数年の時を遡った、淡い蕾の追想録。

 

 **

 

 第4十刃(クアトロ・エスパーダ)

 それが破面として生まれた彼に与えられた肩書だった。

 

「あなたが新しく選ばれた十刃?」

 

 聞き覚えのない声に背後から呼びかけられ、ウルキオラ・シファーは虚夜宮の長い渡り廊下の途中で歩みを止めた。振り返った先には若草色の長い髪の女性破面が立っている。

 

「いきなり4番なんてすごいわね。ノイトラ辺りに目をつけられないよう気を付けてね」

「誰だ」

 

 人当たり良く話しかけてくる女にウルキオラは表情ひとつ動かさずに淡々と問いかけた。彼女は特段意に介した様子もなく微笑を浮かべて歩み寄って来る。

 

「ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私はネリエル。第3十刃(トレス・エスパーダ)よ」

 

 己よりもひとつ高い階級である数字を告げられてもウルキオラは何ら反応を見せることはなかった。ただ冷え切った翡翠の眼差しで目の前の第3十刃を射る。

 

「俺に何か用か」

「別に用ってわけじゃないけど、同じ十刃同士これから顔を合わせる機会も増えるでしょう? 挨拶ぐらいしておこうと思っただけよ」

「俺は他の破面と慣れ合うつもりなどない。藍染様の意のままに動くだけだ」

 

 躊躇いもなくそう言い捨てるとネリエルは肩をすくめて笑った。

 

「取りつく島もないわね。その忠誠心は立派なものだと思うけど。藍染様に特別な恩義でもあるの?」

 

 その問いにウルキオラは暫し黙り込んだ。

 確かに今のウルキオラの存在を創り出したのは彼らの主・藍染惣右介だ。けれどそれは“恩義”とは異なる。言うなれば──

 

「それが俺の存在意義だからだ」

 

 一筋の光明すら射さない暗い絶望の底から、ウルキオラの手を取り引き上げた藍染。

 けれど彼がウルキオラに与えたのは光などではなかった。

 闇すらも覆い隠すほどの絶対的な支配。破面としての自我。そして全てを虚無と化す禍々しき力。

 

 完全なる支配の元に生まれた自分に意思など必要ない。この存在そのものが主の為に創り出されたもの。

 このときウルキオラはそう考えていた。

 

「……そう」

「気に喰わないか」

 

 声色を落としたネリエルは静かに首を横に振った。

 

「いいえ。構わないわ。存在意義なんて他者が口出すことじゃないもの」

 

 強さと儚さを帯びた双眸でウルキオラを見据えて。

 

「あなたにその気はないかもしれないけど、少なくとも私は同じ十刃として助力は惜しまないつもりよ。これからよろしくね」

 

 返答は元より期待していなかったのか、そう言い残すとネリエルはくるりと踵を返してウルキオラとは反対の方向へと姿を消した。

 

 *

 

 時を同じくして、尸魂界──瀞霊廷。

 

「沙羅~! ちょっと聞いてよ!」

 

 十三番隊所属隊士・草薙沙羅はその日の勤務を終えた帰り道、後ろから追ってきた親友に捕まっていた。

 

「そしたらね、隊長ってば『おまえだけは絶対に副官にしたくない』なんて言うのよ! ひどいと思わない⁉」

「うわー可哀想……」

「でっしょぉ⁉」

「日番谷隊長が」

「なんでよ! そこはあたしに同情するとこでしょ!」

 

 甲高い声を上げて地団駄を踏む乱菊に、沙羅は両手で耳を塞ぎながら「んーそうだね」と適当な相槌を返す。

 今や十番隊の三席にまで昇り詰めた乱菊は実力こそ群を抜いているものの、その内面は沙羅が初めて出逢ったときと何ら変わりない……どころかむしろ傍若無人っぷりが増した気さえする。十番隊の日番谷隊長が彼女を副官に据えるのに躊躇するのはわからなくもない。

 ……とこんなことを言えばまた乱菊がキーキーと喚き出すのは目に見えているのだが。

 

「なんや騒々しいなぁ。乱菊、また沙羅ちゃんに絡んでるん?」

「あ、市丸隊長。お疲れ様です」

「出たわね化け狐」

「化け狐て……」

 

 乱菊の台詞に一瞬面食らいつつも、市丸はまたすぐにいつもの飄々とした笑みを浮かべて沙羅に向き直った。

 

「ごめんなぁ沙羅ちゃん。いつも乱菊の相手すんの大変やろ?」

「いえ、慣れてるんで大丈夫です」

「無理せんとええよ。面倒になったら放っといて構へんから」

「ちょっと! なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ! あったまきた、こうなったら今日は極甘亭の白玉ぜんざい特盛で食べてやるわ。もちろんあんたの奢りでね!」

「あ、ボクはこれから隊舎に戻らなあかんから」

「はァン⁉ そんなの許すと──」

「ほなまた」

 

 ひらひらと手を振った市丸は、乱菊が口を開く前に颯爽と瞬歩で消えた。

 

「あんの狐めぇ~~!」

(……私も逃げれば良かった)

 

 機を逃した沙羅に最早逃げ場はなく、強制的に甘味処へと連れ込まれ散々愚痴を聞かされる羽目になったのであった。

 

 

「──で、本題に入るけど」

「今までのは本題じゃなかったのっ⁉」

 

 極甘亭に入ってから一時間後。特盛ぜんざいを完食したところで切り出した乱菊に、お茶をすすっていた沙羅は思いっきり噎せ込んだ。

 

「え? そうよぉ、今のはただの愚痴じゃない。本題は今度の合同任務について詳細が決まったから、その連絡」

「普通そっちを先に言うでしょ……」

 

 涙目になりながら乱菊を見上げたものの、今更何を言っても無駄と悟ったのか沙羅は額を押さえて「それで?」と先を促した。

 

「簡単に言えば現世での虚討伐。でもね、今回の相手はその辺の虚とはちょっと違うらしいのよ」

 

 曖昧な口ぶりで語る乱菊に沙羅は眉を潜めて続きを待つ。

 

「霊圧自体は大したことないんだけど、妙な特性を持っているみたいなの。個体によっては霊圧が感知出来なかったり鬼道が効かなかったり──いずれにせよこれまでの虚にはなかった能力よ。原因はまだ調査中」

「つまり虚の討伐に加えてその特徴を探ることが今回の任務ってこと?」

「そ。相変わらず察しがいいわね。任務決行は十日後よ」

 

 ずずっとお茶を飲み干して乱菊は湯呑みを置いた。

 

「わかった。それにしても十番隊と合同任務なんて珍しいね。そんなに人手が足りないの?」

「元々は五番隊から回ってきた依頼らしいわ。今席官のほとんどが遠方の任務に出払ってて五番隊だけじゃ手が回らないみたいなの。ウチの隊長、そういうのすーぐ引き受けてきちゃうのよねぇ。全く人が良いんだか馬鹿なんだか」

「呼んだか、松本」

「うおぉぉうッ!! 隊長⁉」

 

 声を裏返らせて飛び上がった乱菊の背後には、眉間にくっきりと皺を刻んだ若き十番隊隊長の姿があった。

 

「隊舎にいねえと思ったらまたこんなところで油売ってやがったのか。俺の副官になりてえなら少しは真面目に働きやがれ!」

「だーかーらー、あたしは隊長の副官になりたいわけじゃなくて副隊長になってぐうたらしたいだけなんですってば」

「そんな副官はいらねえっつってんだろ! そんなにやる気がねえならとっとと辞表出して死神やめろ!」

「ひっどーい! 沙羅、聞いた今の⁉ これってパワハラよね! 総隊長に上告するべきかしら!」

「日番谷隊長……心中お察しします」

「いや……おまえもいつもこいつに振り回されてんだろ。お互い苦労するな」

「だからなんであたしを邪魔者扱いするんですか~!!」

「やかましい!」

 

 そのまま日番谷に引き摺られるようにして去ってく乱菊を苦笑交じりに見送ってから、沙羅はすっと表情を引き締めた。

 

「特殊な虚か……抜かりのないようにしないと」

 

 

 *

 

 その日、ウルキオラは玉座の間へと赴いていた。

 真っ直ぐに向けられた視線の先には玉座に腰掛ける主・藍染の姿がある。平時は死神として護廷十三隊の五番隊隊長を務めている藍染が虚夜宮に滞在することはまれで、彼はその限られた時間を用いてウルキオラに任を与えていた。

 

「そういうわけなんだ。頼めるかな?」

「かしこまりました」

 

 躊躇いひとつ見せずにウルキオラが頷くと玉座に腰掛ける藍染は満足げに微笑む。

 

「とはいえ君はまだここへ来たばかりだ、慣れないことも多いだろう。──ネリエル」

「はい」

 

 その藍染の呼びかけに、いつの間にこの場に現れたのか先日声をかけてきた第3十刃の女性が背後から姿を見せた。

 

「ウルキオラは今回が初めての現世任務になる。彼をサポートしてやってほしい」

「わかりました」

 

 藍染に深く頭を垂れて頷いたネリエルは立ち上がってウルキオラを振り返る。

 

「そういうことだから私も同行させてもらうわ。藍染様の意向ですもの、文句はないでしょう?」

「……ああ」

 

 抑揚のない声で呟いて、ウルキオラは最後にもう一度藍染に礼をしてネリエルと共に玉座の間を後にした。

 

 

「藍染様から聞いてるでしょうけど、今回の任務は藍染様が作られた破面の試験体の実戦調査よ」

 

 現世に向かって黒腔を進みながらネリエルは隣を歩くウルキオラに話し出した。

 

「私たちは虚の死神化を完璧に成し遂げたほんの一握りの成功例。他の試験体の大半は皆破面化する進化の途中で成長を止めてしまった。出来損ないでしかないのよ、藍染様にとってはね」

 

 ひとつ間違えれば自分とて同じ道を辿っていたかもしれない。何十何百といる報われない同胞に想いを馳せながらネリエルは淡々と続ける。

 

「でもそれらの虚は成体の破面とまではいかなくても、各々特殊な能力を身につけている個体が多いわ。彼らが戦力としてどこまで使えるか、それを見極めるのが今回の任務の命題よ」

「……目的はわかった。だがどうやって闘わせる? 奴らを現世で暴れさせたところで必ずしも死神が現れるとは限らないだろう。仮に現れたとしても相手が雑魚では力試しにもならない」

「その点については問題ないわ。席官クラスの死神を討伐に向かわせるよう藍染様が手を回して下さっているから」

 

 それを聞いてウルキオラにも合点がいった。

 尸魂界では五番隊の隊長として絶大な信頼を寄せられている彼らの主にとって、その程度の画策は訳もないこと。全ては藍染の根回しによって算段通りに運ばれているのだ。

 

「もうじき空座町の北西部に任務を請け負った死神が現れる手はずになってるわ。私たちはその近辺に試験体を放って闘いの様子を観察する。──さあ、着くわよ」

 

 黒腔の先に現世へと繋がる道筋が浮かび上がり、ウルキオラはネリエルの後を追った。

 

 

 黒腔を開いた先には緑と光に溢れた美しい世界が広がっていた。虚圏とはかけ離れたその光景に、ウルキオラはしばし無言で目を細める。

 

「現世は初めてよね。綺麗な場所でしょう?」

「…………」

 

 ネリエルの言葉に何も返さなかったのはにわかに疑問を抱いたからだった。

 

 ……初めて? 本当にそうなのだろうか。

 胸を埋め尽くすのは漠然とした既視感。ともすれば懐かしさすら憶えるような。

 

 黒腔の裂け目から踏み出し、大地に一歩足を降ろす。けれどいくら念を凝らしてみてもそれ以上の感覚が呼び覚まされることはなかった。

 

「時間だわ。始めましょう」

 

 その声に我に返ったウルキオラは掌の上に藍染から授かった漆黒の球体を呼び出す。そうしてその球体に向けて霊圧を籠めると、封印術を破って今回の試験体となる虚が解き放たれた。

 

 

 *

 

「さーてと。沙羅、準備はいい?」

「準備はいい? じゃない! 集合時間に三十分も遅れておいて!」

 

 十番隊の隊舎裏の穿界門の前には、まだ半分寝ぼけ眼の乱菊と般若のように目を吊り上げる沙羅の姿があった。

 

「夕べ京楽隊長と修兵と飲み過ぎちゃったのよ~。あ、そういえばあんた昨日は早番だったのになんで来なかったのよ? 二人とも寂しがってたわよ」

「話をすり替えないの! 飲み過ぎたなんて遅刻の理由にはなりません!」

「やーねえ、三十分くらいでそんなに怒ることないじゃない」

「時間厳守は隊務の基本でしょ! 本当ならもう任務を始めなきゃいけない時間なんだからね? とにかく急がないと……」

 

 慌ただしく穿界門の解錠を済ませ、開かれた扉に駆け込んでいく沙羅の後ろを欠伸を溢しながらついていく乱菊。

 

「ほんっと真面目なんだから。そんなに焦らなくても大丈夫よぉ、何も任務の開始時間ちょうどに虚が現れるとは限らないんだし──」

 

 全くと言っていいほど反省の色を浮かべていない乱菊がそこまで言いかけたところで、向かう先の最奥部、現世へと導く扉を隔てて禍々しい霊圧と虚の雄叫びのような声が響いてきた。

 

「あらー……お早いことで」

 

 それ見たことかと言わんばかりの形相で振り返る沙羅に対して、さすがにバツの悪そうな表情を浮かべた乱菊はあははと肩をすくめる。どこまでいっても緊張感のない親友にまざまざと溜め息を溢し、沙羅は腰の斬魄刀に手をかけると小さく喉を鳴らした。

 

「急ごう!」

 

 

 穿界門を飛び出した二人を待ち構えていたかのように、黒い巨体を蠢かせて虚が激しく(いなな)いた。

 

「咲き誇れ、夢幻桜花!」

「唸れ灰猫」

 

 同時に斬魄刀を解放した沙羅と乱菊は虚を両側から挟み込むようにして地上に降り立つ。

 一瞬の膠着の後、虚が奇声を上げて飛び出したのを皮切りにその場は戦闘状態へと移行した。

 

「すぐに仕留めちゃ駄目よ。こいつの特性を探らないと」

 

 乱菊の声に頷きを返した沙羅は、襲いかかってきた虚の鋭い鉤爪を斬魄刀でがっちりと受け止める。

 姿形は虚に違いないが、間近で観察してみるとその最たる特徴とも言える大きな仮面に深い筋状のひびが入っているのがわかった。まるで何者かに無理矢理叩き割られたような──

 鉤爪を弾き返して距離を取ると、虚はおぞましい牙が覗く大口を開いて喉の奥に赤い光弾を呼び出した。

 

「縛道の三十九・円閘扇(えんこうせん)

 

 虚が放った光弾は真っ直ぐに沙羅に向かっていったが、すかさず乱菊がその軌道上に割り込み縛道の盾で防ぐ。

 パァンッ! と衝撃音がして辺りに黒い土煙が立ち昇った。

 

「やっぱりこいつの放つ技は鬼道性質なのね……──ッ⁉」

 

 普段対峙している虚との違いを目の当たりにして乱菊が瞠目していると、正面にいたはずの虚が一瞬にして姿を消した。

 

(……瞬歩⁉ いえ、違う!)

 

 死神が得意とする瞬歩は肉眼では追いきれないほどの高速移動歩法だが、霊圧の流れを追えば対象の動きは把握できる。けれど今乱菊の視界から消えた虚は、その姿を視認出来ないどころか霊圧すらも完全に消していた。

 刹那の間に乱菊の背後に回り込んだ虚は研ぎ澄まされた鉤爪を光らせる。それがまさに振り下ろされる瞬間、そのすぐ上方で斬魄刀を振り被った沙羅が虚の右腕ごと鉤爪を斬り落とした。

 

『グガァァアアッ!』

「霊圧をコントロール出来るのは驚いたけど、知能はそこまで高くないみたいだね」

 

 耳をつんざくような叫びを上げてもう一方の鉤爪を振り回す虚を、沙羅は落ち着き払った面持ちでひょいひょいと交わしていく。

 霊圧を消して乱菊の隙をついたものの、沙羅の存在はすっかり失念していたらしい。

 目前の対象に意識を注ぐあまり周囲への注意が疎かになる。脅威的な能力を身につけているのは確かだが、高度な思考能力があるとは言いがたい。

 

 今度は破壊対象を沙羅に定めた虚は彼女に向けて一心不乱に襲いかかっていった。

 その間に乱菊が後方で縛道の詠唱を始め、やがて一瞬だけ沙羅に視線を送るとそれを確認した沙羅は力強く足場を蹴って飛び退いた。

 

「縛道の六十二、百歩欄干!」

 

 乱菊の手掌から放たれた棒状の光線が虚の身体に纏わりつき動きを封じる。完全に言霊が紡がれた術式を解除するのは、縛道の性質に精通している死神にとっても容易なことではない。

 

「勝負あったわね」

『グオォォォ……!』

 

 乱菊の言葉に虚が憎々しげな呻きを漏らし、勝敗は決した。

 

 

 *

 

 試験体の虚と死神との戦闘を黒腔を隔てて観察していたネリエルは、金髪の死神が放った縛道に虚が完全に絡め取られたところで視線を隣に移した。

 

「……終わったわね。あなたはどう見た?」

 

 彼女の横で同じく戦闘の結末を見届けたウルキオラは、感情の起伏を示すことなく端的に感想を述べる。

 

「技の破壊力と俊敏性はまずまずだが、隊長格でもない死神相手にああも簡単にあしらわれているのでは戦力としての期待は出来ない。利用価値があるとすれば精々下級の死神の足止め程度だろう」

「そうね。せめてもう少し知能指数が上がればいいんだけど」

「あの死神共は始末しないのか」

 

 その問いにネリエルは瞼を伏せて首を左右に振った。

 

「私たちの任務はあくまで試験体の戦闘能力を把握することよ。それ以外の行動は命令に反するわ」

「そうか」

 

 彼女の返答に異を唱えるでもなく、ウルキオラは再び黒腔の界壁に映し出される景観に視線を戻す。

 二人の女の死神は霊圧分析をかけて捕らえた虚の特性を調査しているようだった。ウルキオラの立ち位置からは退屈そうに欠伸を溢す金髪の死神はよく確認出来るものの、それに苦言を呈している薄茶色の髪の死神はこちらに背を向けている為、その顔までは窺えない。

 

 やがて調査も終えたらしく、彼女は薄桃色に煌めく斬魄刀で虚を昇華した。

 斬魄刀を鞘に納め、祈るように空を仰ぐその死神の表情はやはりウルキオラの角度からは見えなかった。

 

 穿界門を開いて尸魂界へと戻っていく死神。その気配が完全に失せたところでウルキオラとネリエルは黒腔を裂き地上に足を降ろした。

 辺りには薄茶色の髪の死神が虚を昇華した際の霊圧がまだうっすらと残っている。

 自分たち破面のそれとも、虚のそれとも違う。深く包み込むような、暖かみのある澄んだ霊圧。

 特別意識したわけでもなく、ウルキオラは先程のあの死神と同じように上方を振り仰いだ。

 一面の蒼で埋め尽くされる視界の隅に小さな蕾が芽生え始めた樹木が映る。何となしにそちらに目を向けてしばらくその体勢のままでいるとネリエルもそれに気付いたようだった。

 

「桜が好きなの?」

 

 翡翠の瞳に映し出されているのはまだ蕾が顔を出し始めたばかりの若い桜の木。虚圏で誕生したばかりのウルキオラにとっては初めて目にする──はずのもの。

 

「開花するととっても綺麗なのよ」

 

 桜を見上げて笑うネリエルに、馬鹿馬鹿しい、とウルキオラは思った。

 この木がどれだけ美しい花を咲かせたとして、何を喜ぶことがある。

 花鳥風月、山紫水明。人間たちが勝手に意義づけた風雅にいちいち高揚する感情など持ち合わせてはいない。

 

「くだらんな」

 

 短くそう吐き捨ててウルキオラは桜の木から目を逸らした。

 

 自分には必要のないものだ。

 花を愛でる心も、その美しさに酔いしれる心も。

 

 ──何故ナラ、俺ハ──

 

 ──最モ愛スベキモノヲ、トウノ昔ニ失ッタノダカラ──

 

 つきん、と心臓の辺りが疼いてウルキオラは眉をしかめた。反射的に胸元に置いた右手の下には、破面特有の白い装束を隔てて十刃の序列を示す4の数字が刻まれている。

 この数字が痛んだのだろうか。刻印を刻まれたときには痛みなど微塵も感じなかったというのに。

 

「任務を終えた以上長居は無用だ。虚夜宮へ戻って藍染様へ報告する」

 

 湧き上がる違和感には思考を注がずにウルキオラは身を翻した。

 そして肩をすくめるネリエルには目もくれず、再び黒腔を開いて虚圏へと続く闇の中に身を投じた。

 

 

 

「──……」

「沙羅? どうかした?」

 

 尸魂界へと帰還する道すがら、沙羅は唐突に歩みを止めて振り返った。

 

「今、誰か……」

 

 半信半疑といった面持ちで首を巡らせ、傾げる。誰かの呼び声が聴こえたような気がしたのは気のせいだろうか。

 しかしどれだけ耳を澄ましてみても、現世から隔絶されたこの空間では雑音ひとつ響かなかった。

 

「ううん。何でもない」

 

 訝しげにこちらを振り返っている乱菊に首を振って笑いかけ、再び歩み始める。

 死神として己があるべき世界へ戻る為に。

 

 

 

 互いに互いを認識していなかった二人にとってこれは“出逢い”ではない。

 冬の名残に包まれる蕾は幼く、開花の時期にはまだ早い。

 彼らが本当の意味で二度目の出逢いを交わすにはまだ暫しの時間が必要だった。

 

 忘れ去られた公園の片隅で巨大な一本桜は待ち続ける。

 その太い幹に決して癒えない傷を抱えたまま、繰り返されるいくつもの季節を越えて。

 

 やがて、桜があの情愛に満ちた恋人たちの哀しい別れを見届けてから百年もの月日が刻まれたとき──

 

 動きを止めたはずの歯車は再び廻り始める。

 

 

 

 物語が、始まる。

 

 

 

 

 

 Beginning of “Dear……”

 

《Before Blooming……蕾》

 

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総合評価:6285/評価:8.44/完結:101話/更新日時:2021年08月23日(月) 00:00 小説情報


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