Fate/Start Over 星譚運命再度カルデアス   作:ていえむ

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第12話 地獄にこそ響け我が愛の唄

ランスロットを仲間に引き入れたカルデア一行は、南部にあるとある街を訪れていた。

いくつかの街で聞き込みを行ったところ、不可思議な力を行使する超人が魔獣達から街を守っているという情報を耳にしたからだ。

人を襲うのではなく守っているという内容から、オルガマリー達はこれをサンソン達と同じく召喚されたはぐれサーヴァントであると踏み、仲間に引き入れることができないかと考えたのである。

かなり戦力が揃ってきたとはいえ、まともにジークフリートとやり合えそうな者はランスロット唯一人。戦力は大いに越したことはない。

 

(マリー・アントワネットは唯の王妃。武功に関する逸話はないから戦闘向けのサーヴァントのはずはない。はずはないのに…………)

 

少し前から脳裏を過ぎる不安を、オルガマリーは拭うことができなかった。

マリー・アントワネットはフランス革命の中で散った王族の一人でしかない。それがたまたまセンセーショナルであったから人々の記憶に残り、人類史に英霊として刻まれたのだろう。

当然ながら武功と呼べるものもない。時代背景を考えれば怪しい魔術結社の儀式に参加していてもおかしくはないが、その程度だ。

だというのに、彼女はこれだけのことをやってのけた。

聖杯の力を用いて魔獣を操り、フランス全土を戦禍で覆い尽くした。

それは執念の為せる業なのだろう。唯の王族がここまで人類を憎まねばならなかった。それだけの悲劇があの革命にはあったのだ。

だからこそ、彼女は()()()()()()()()

自らの中に芽生えた仄暗い憎悪を燃え上がらせるために。

 

「信用、できるのでしょうか?」

 

街の外に残してきた立香達のことを思い、サンソンは言葉を漏らす。

 

「今は、藤丸の言葉を信じるしかありません。一応、警戒しているから街には入らせなかった訳だけど」

 

オルガマリーに同行しているのはサンソンとファントムの二騎であり、残りのメンバーは街の外で待機している。

バーサーカーであるランスロットは何がキッカケで暴走するか分からないので、街に連れ込むのは危険と判断したからだ。

幸いにも彼はマシュの言う事は素直に耳を貸す為、暴れ出しさえしなければ御すのはそう難しいことではなかった。

そして、ジル・ド・レェは立香達と共にランスロットの監視役として残っている。立香と正式に契約を結んだので、一緒にいるのが妥当であると説明したが、実際は違う。

彼自身も恐らくは気づいているだろうが、監視されているのはジル・ド・レェの方なのである。

 

「元帥の話は、俄かに信じがたい。マリー王妃が……彼女が聖杯を、彼から奪っただなんて…………」

 

「けれど、彼女は聖杯を所持している」

 

「だとしても、奪い取ってまで……そこまで思い詰めていたなんて……」

 

特異点を形成する核となる聖杯。恐らくはレフ・ライノールが用立てたものなのだろうが、それは元々マリー・アントワネットのものではなかった。

先の戦いの後、ジル・ド・レェが語った真実によると、あれは当初、ジル・ド・レェ本人が所持していたものだというのだ。

 

『私はこの国が憎かった。聖女を貶めたこの国を、そこに住まう民を……そして、その理不尽を許容した世界そのものを……』

 

胸の内に憎悪を刻んだままこの地へと召喚されたジル・ド・レェのその手には、知らぬ内に聖杯が握られていたらしい。

因果にすら干渉し、歴史を捻じ曲げるほどの凄まじい魔力が秘められたその聖杯は、使い方次第では死者すら甦らせることができる。

そう確信したジル・ド・レェが真っ先に行ったのは彼の聖女の再誕であった。

 

『……ですが、あの方は私の呼びかけに応えなかった。耐え難き屈辱を受け、貶められてなお、聖女は皆を許していたのです。そんな彼女が我が憎悪に応えることなどないでしょう』

 

聖杯の力を以てしても、ジャンヌ・ダルクの復活は叶わなかった。

故にジル・ド・レェの狂気は加速したのである。フランスは憎いが聖女は応えない。ならば自らが望む形を生み出せば良いと。

ジャンヌ・ダルクは清廉で敬虔、不条理すらも許し愛する眩き存在。だが、多くの人々の中にはこう信ずる者もいる。

国に裏切られ、苛烈な異端審問の果てに火炙りに処されたのだから、その心にはきっと憎しみが芽生えたはずだと。

彼女には恨みがあり、復讐の権利があると。

ジル・ド・レェはその妄念に形を与えた。

聖杯の力を以て自分が知るジャンヌ・ダルクの姿を整え、その中にありもしないフランスへの憎悪を注ぎ込んだ。

聖女では決して至れず、持ちえない激情をその身に宿した架空の英霊。それはジャンヌ・ダルク・オルタとして産声を上げ、ジル・ド・レェの望むままに復讐を成し遂げる――――はずであった。

 

『全ての段取りを終え、後は手駒となるサーヴァントを召喚するだけ。彼奴らめの襲撃を受けたのは正にその時でした』

 

それはまるで、嵐のような奇襲であったという。

ジャンヌ・オルタと共にオルレアンを制圧し、その場で英霊召喚を行おうとした瞬間、どこからか現れたマリー・アントワネットが聖杯を奪い取ったのである。

当然ながら英霊召喚は失敗し、完全に不意を突かれた二人は成す術もなく深手を負わされた。ジャンヌ・オルタは無残にも喉を掻き切られた末に塔より身を落として消息は不明。

消滅を確認した訳ではないが、核となる聖杯を奪われ、瀕死の重傷を負わされていては無事に生き述べているとも思えない。

一人、生き残ったジル・ド・レェは悔し涙と憎悪を呑み込み、その場から逃げ出したらしい。

あの場で戦っていては、恐らく自分もジャンヌ・オルタの後を追っていたことであろう。

自分一人ではどうやっても敵わない以上、身を隠して雌伏に徹するべきだと残っていた理性が彼を突き動かしたのだ。

そこから先はオルガマリー達が知っての通り、彼は自らの罪科を伏せてカルデアに接触してきた。

マリー・アントワネット達と戦うための戦力として利用するためにである。

服従を選ぶという選択肢は彼の中にはなかった。

マリー・アントワネットに屈服し命乞いをすれば、自らの手でフランスを火の海に出来ていたというのに、彼はそれを選ばなかった。

聖女への屈折した願望が、故国への憎悪を上回ったのである。

フランスが憎い、世界が憎い。だが、何よりも目の前で聖女を奪った彼の王妃が憎い。

正直に言って、信用できるのかと言えば嘘になる。寧ろ、この話を聞いて余計に信じられなくなった。

情念に突き動かされた者は常に暴走の危険が付きまとう。下手に理性的な分、バーサーカー以上に厄介だ。

戦力が減ることになるが、今後のカルデアの安全を考えれば、ここで切り捨てておいた方が賢明かもしれない。だが、立香はそこに待ったをかけた。だからこそ信頼できると。

聖女への思い、故国への憎悪、そしてマリー王妃への報復の意思は紛れもなく本物であり確かなものである。だからこそ、彼は報復の順番を違えない。

マリー・アントワネットをその手にかけるまで、彼は決して自分達に敵対することはないと。

 

(本当、サーヴァントがサーヴァントならマスターもマスターよ)

 

どちらも正気の沙汰とは思えない。第一、その責任を持つのがこちらであると彼は分かって言っているのだろうか?

そう思いながらも、オルガマリーは強気に出ることができず、不承不承ながらジル・ド・レェの同行を認めてしまった。

実際のところ、ジル・ド・レェが抜ければ自分達の戦力はがた落ちなのである。

ジークフリートという難敵が待ち構えている以上、戦力の目減りはできるだけ抑えておきたいのだ。

 

「いざとなったら令呪で自害させる必要が……ああ、ごめんなさい」

 

「いえ、構いません。必要ならばそうするべきです」

 

少しだけ寂し気に、サンソンは俯いた。

彼も同じサーヴァントである。先ほどの発言が無粋に過ぎたとオルガマリーは内心で自分を罵りたくなった。

もちろん、サンソンは気にしていないと手を振ってくれたが、その顔つきからはあまり覇気が感じられない。

元よりマリー王妃のことで精神的に追い詰められているのもあって酷く憔悴しているようにも見えた。

 

「ええ、確かに頭がいっぱいです。僕には分からない。チャンスが目の前にあったとしても、その恐ろしい考えを実行に移せるなんて…………」

 

確かにマリー・アントワネットの内には憎悪があったのかもしれない。

世界を憎むほどの情念に揺れていたのかもしれない。

だが、サンソンが真に恐れていることは彼女が自らの意思でそれを選択したことである。

誰かに命じられたからではなく、偶然が重なってそうせざるをえなかった訳でもない。

世界を救う道と滅ぼす道の双方が目の前にあり、自分自身の意志で滅ぼす道へ踏み出したのだ。

同じ時代を生きた者として彼女の人となりを知るからこそ、サンソンにはそれが信じられないのだ。

 

「考えても仕方のないことよ。彼女は選び、あなたはこちらにいる。敵対するのにそれ以上の理由は必要ありません」

 

「そう割り切れれば、楽なのですが…………」

 

そこで言葉を切ったサンソンの眼光が、途端に鋭いものへと変わった。

同時に控えていたファントムが気配遮断を解いてオルガマリーを庇うように躍り出た。白昼といえども仮面にカギ爪という異様な風体を晒すファントムの姿は悲鳴を呼び起こすには十分な異形であり、往来は彼を目にした住民達の混乱で溢れ返った。

そうして逃げ惑う人々とは真逆の方向――即ちこちらに向かって駆けてくる一団の姿があった。使い古された甲冑に身を包んだ兵士達だ。恐らくはこの街の警備隊か何かなのだろう。騒ぎを聞いて駆け付けたにしては余りにも早すぎる。

 

「オルガマリー、こちらに。囲まれているようです」

 

「歌姫の口を噤まんとするか……ならばここよりは臓腑で街路を彩ろうか」

 

一触即発の空気が辺りを支配する。どうやら彼らは少し前から自分達の後をつけてきていたようだ。

 

「ロマニ、何をしていたの!」

 

『すみません! ですが、ずっとモニターしていましたが周囲に怪しい動きはありませんでした!』

 

カルデアからの観測で分かるのは生命反応や魔力などの動きだけで、それらが敵対者かどうかまでは判別できない。

それでも不自然な動きがあればロマニも警戒を促しただろうが、往来の人々の流れに溶け込まれていては見落とすのも無理はなかった。

この一団は魔術師ではないが、訓練された兵隊だ。市井に紛れて尾行するなど造作もないことなのだろう。

見渡せば数にして十人ほど。どれほどの手練れかは分からないが、サーヴァントを前にすれば物の数ではない。だが、伏兵がいないとも言い切れない。

サンソン達が切りかかった瞬間を見計らい、物陰から矢を射られる可能性もある。或いは近くにある樽や木箱の中に潜んでいるかもしれない。2メートルも行けばあからさまに怪しい路地裏まである。

故にサンソンもファントムも動く事ができず、そのまま兵士達との睨み合いをせざるを得なかった。

 

『すぐに藤丸くん達を向かわせます、それまで……』

 

「いえ、その必要はなくってよ」

 

ロマニの言葉を艶のある女性の声が遮る。

いつからそこにいたのか、兵士達の後ろに一人の女性が立っていた。

一目で目を引かれるのはその異様な風貌であった。病的なまでに白い肌をボンテージのようなインナーで締め上げ、そこに豪奢ではあるが赤く毒々しい色合いのドレスを纏っている。

ドレスは茨のような装飾で覆われており、顔はマスクで目元を隠されているので定かではないがそれなりに年を重ねていると思われる。前述した肌の色もあって第一印象は魔女か何かのようだ。

ファントムやジル・ド・レェも怪しい風貌ではあったが、彼女は衣装から何から全てが異様で目を引かれる。

まるでお伽噺の中からヴィランがそのまま抜け出てきたかのようであった。

 

『所長、彼女はサーヴァントです』

 

その言葉にオルガマリーの背筋が震え上がった。

不思議な力でこの街を守る存在。探していた相手が向こうから姿を現したことに対する衝撃と、呑まれそうになる彼女の眼光に対する恐怖からだ。

只者ではない気配を纏ったこの女性の眼光は、まるで爬虫類のように冷たく、よく砥がれた刃物のように鋭い。その鋭い光はオルガマリーの矮小な心を掴んで放さず、息苦しさで吐きそうになった。

本能が確信する。彼女は強いと。恐らくはサンソンとファントムが二人がかりで挑んだとしても、容易く返り討ちにできるだけの力を秘めている。

 

「そう警戒するものではなくてよ。あなた達が何もしなければこちらも手を出さないわ」

 

こちらの動揺が伝わったのか、女性は怪しく微笑みながら手で指示を出して兵士達を下がらせた。

見透かされているかのような笑みと余裕のある態度に対して、オルガマリーは内心で反感を募らせる。

自分が誰かの上に立つ事を当然と捉え、他者を使うことに何の抵抗も抱かない貴族然とした態度。

そんな振る舞いをする者を自分はよく知っている。そう、時計塔で政争を繰り広げている魔術師達だ。特に自分を含む貴族主義の連中にはこういった輩が多い。

だからなのだろう。なまじ馴染みがある分、彼女の余裕に満ちた大人な振る舞いがいちいちカンに触るのだ。サーヴァントであるという恐怖さえなければ、その嫌悪を声に出していたかもしれない。

 

『所長、体調が優れないようならボクが代わりに……』

 

「……大丈夫よ。ファントム、あなたも手を下ろしなさい。彼女と話をします」

 

威嚇するようにカギ爪を振り上げていたファントムを制止、オルガマリーは一歩だけ前へと踏み出した。丁度、目の前に立つ女性サーヴァントと向かい合う形である。

 

「懸命な判断ね。目指すべきものが同じならば事を荒立てる必要もないでしょう」

 

「それはつまり、一緒にマリー・アントワネット達を倒したい、ということで良いのかしら?」

 

「その通りよ、天文台の魔術師。私達はあなた達が来るのを待っていた」

 

「待っていた、ですって?」

 

意味深に微笑む女の言葉に対して、オルガマリーは眉間に皺を寄せる。

いつかと同じ違和感だ。このグランドオーダーにおいて、あまりにも自分達の存在が方々に知れ渡っている。

人理焼却という一大事を前にして英霊達が呼び寄せられるのは分かる。歴史に何かしらの干渉を行えば、その反動としての修正が働くのは自明の理だ。物事にはいつだって元に戻ろうとする力がある。

だが、いくらサーヴァントが時間軸の外から招かれたといえど、カルデアの存在を知っていることの理由にはならない。なのに、ジル・ド・レェもマリー・アントワネット達も、このサーヴァントもカルデアを知っている。

人理修復のためにここを訪れることを、最初から知っていたかのように振る舞っている。

この違和感はいったい何であろうか?

何か、自分達は重要なことを見落としていないだろうかと、オルガマリーは不安を抱かずにはいられなかった。

 

「さあ、行きましょう?」

 

茨のドレスを翻した女性が歩き出すと、控えていた兵士達が道を開ける。呆けていて出遅れる者など誰一人としていない。その一糸乱れぬ統率は圧巻の一言であり、思わずサンソンも感嘆の言葉を漏らしていた。

 

「すごいな、彼らはかなり訓練されているようだ」

 

「ええ、おじ様が選りすぐった精鋭達ですもの」

 

先導する女性サーヴァントが自慢げに微笑む。

気のせいだろうか。口の端が吊り上がるその一瞬、ほんの少しだけ年に不釣り合いな無邪気な光を垣間見たのは。

 

「これからあなた達が会うべき方よ……そうね、串刺し公とでも呼べば良いかしら?」

 

(串刺し公!?)

 

思わずオルガマリーは息を飲む。

その名前は、恐らく欧州において知らぬ者はいない抜群の知名度を誇る。

例え本人のことは知らなくとも、彼に与えられた異名とそれをモデルとしたある人物の名であれば聞き覚えはあるはずだ。

闇夜に生き、陽の光を嫌う不死なる者。吸血鬼(ノスフェラトゥ)の中でも最も有名な名前。

その名はドラキュラ。

串刺し公――ヴラド三世がこの地に召喚されていると、彼女は言うのだ。

果たしてそれを物語るかのように、目の前に不気味な気配を纏った屋敷が現れた。

何の変哲もない、この時代では当たり前の作りの館。だが、ヴラド三世の名を聞いただけでそのイメージは一変する。

曇り空によって落とし込まれた影、怪しいカラスの鳴き声、生暖かい風。

ここで待ち受けるものは希望か、それとも新たな惨劇となるのか。

まだ何も起きていないにも関わらず、早くもオルガマリーの心は不安と恐怖で震え始めていた。

 

 

 

 

 

 

「お前達が天文台(カルデア)か」

 

元は領主のものと思われる屋敷の一室。邂逅するなりヴラド三世は重々しく口を開いた。

腹の底に響くような声音であった。持って生まれた王者の風格と生前の偉業がそうさせるのであろう。恐怖がそのまま玉座についていると、オルガマリーは幻視した。

実際に目にしてみると、正に彼は吸血鬼を髣髴とさせる人物であった。翻した黒衣、血色の悪い肌、仄かに黒ずんだ目の隈は鋭い眼光を不気味に際立たせている。

その眼差しで睨まれると、オルガマリーは竦んだ蛙のように何も言えなくなってしまった。

自分が酷く惨めでちっぽけな存在になった気分だ。足が震え、背中を冷や汗が伝っている。乾いた喉は水分を欲して音を鳴らし、それが周りに聞こえてやしないかと不安を煽る。

途中でサンソンが助け舟を出してくれなければ、この会合は出会い頭に終わっていたかもしれない。

 

「――では、あなた方は反抗作戦に備えて、今日まで雌伏に耐え忍んでいたと?」

 

「そうだ。この戦は我らだけでは勝てぬ。例え奴らを倒せても、この国が終わってしまえば人理の敗北だ。そのために兵を揃え、鍛えさせた。犠牲は前提となるが、事を構えるだけの数は何とか揃えて見せたとも」

 

歴史には常に一定の流れを維持しようとする力が働いている。何らかの形でその時代に干渉しようとも、そこで起きた大きな事件。歴史のターニングポイントは変わらない。

聖女は火にくべられるし、フランス革命は必ず起きる。だが、歴史から切り離された特異点ではその限りではない。前後の流れを断たれた特異点には歴史の修正力も働かず、正しい歴史からの乖離が進めば修正は難しくなる。

今はまだ方々でフランス軍が魔獣の進軍に対して抵抗しているので何とか保てているが、押し切られてしまえばフランスという国は歴史の中から消失し、人理修復の希望は断たれてしまう。

そのためにヴラド三世はゲリラ活動を行っていたフランス軍と接触し、一個の反抗勢力としてまとめ上げたと言うのだ。

 

『えっと、ブラド……さん?』

 

会談がひと段落したところで、通信機の向こうで立香が口を開く。ここまでのやり取りはカルデアを通じて立香達にも伝わっていたのだ。

ホログラフを投影すると、小さく震えながらも吸血鬼と呼ばれた男をまっすぐ見つめている立香の姿があった。

不遜とも取れるその態度を見て、オルガマリーの頬に冷や汗が伝う。円満に話が収まろうとしている時に、この男はいったい何を言い出そうと言うのだろう?

 

『一つ、聞いても良いでしょうか?』

 

「許す、申してみよ」

 

『どうして、そこまでこの国のために戦ってくれるのですか?』

 

「ちょっと、藤丸!」

 

思わずオルガマリーは腰を浮かせてしまう。その質問は今日までこの街を守り、フランスのために尽力していたブラド三世という男のプライドを損なうものだ。

例え一時の気まぐれ、好奇心からの言葉であったとしても口にしてはならない。この男は恐れというものを知らないのだろうか?

ヴラド三世は明らかに気難しい部類の人間だ。苛烈で傲岸で、機嫌を損ねれば何をしでかすか分からない。

首をはねられるかもしれないし、串刺しにされるかもしれない。次の瞬間、カルデアとは敵対関係になるかもしれないこの状況で、どうしてそんな畏れ多いことができるのだろうかと、オルガマリーは無言で頭を抱えるしかなかった。

 

「魔術師よ、その問いかけに意味はあるのか?」

 

『いいえ。ただ、あなたはルーマニアの人……なんですよね? それがどうして、フランスのために戦ってくれているのかなって』

 

「理由が欲しいと? それを不敬と思わないのか?」

 

『気を悪くされたのなら、謝ります』

 

「構わん。同じことをカーミラにも聞かれた」

 

そう言って、ヴラド三世は傍らに控えていた女性に視線を向けた。

そこで初めて、オルガマリーは彼女の正体に気が付いた。

女吸血鬼カーミラ。物語に登場するヴィランであり、若い少女の血を求めて長い時を生きる不死者の名だ。

そして、そのモデルとなった者の名は、ハンガリーの鮮血魔嬢。即ちエリザベート・バートリーその人である。

オルガマリーの脳裏に先日の一件が蘇り、寒気にも似た震えが全身を駆け巡った。

 

「案ずるな。彼女が信に足ることは保証しよう。それでも事を起こせば磔にした上で心の臓を穿つ」

 

こちらの不安を察したのか、ヴラド三世は声の調子を幾分だけ落として声をかけてきた。言っている内容は物騒ではあるが、こちらを安心させようとしているようだ。

 

「あら、酷いおじ様もいたものね、ヴラド三世。あれが向こう側にいる以上、私はこちら側よ」

 

「ふん、貞淑さも知らぬ生娘の言葉など、余の他に誰が信じるものか。もっとも、今はそれを論じている場ではない。質問に答えよう、カルデアのマスターよ」

 

ヴラド三世は鋭い眼光で立香を睨みつける。ただそれだけで空気が凍り付き、悲鳴を上げているというのに、彼は逃げる事なくその眼差しを受け止めていた。

つい最近まで魔術や戦いとは無縁であった一般人のどこに、これほどの胆力が秘められていたのだろうか。彼は僅かに肩を震わせ、恐怖で目を潤ませている。言葉にはしないが、聞くんじゃなかったと後悔しているのがありありと伝わってくる。

それでも発した言葉を翻すことはしない。叩きつけられる感情から逃げ出したりはしない。

震えながら、怯えながら、それでも己を鼓舞して立ち続けている。

情けないその姿が、堪らなく勇ましく見えたのは決して夢ではないだろう。

この場を支配しているのはヴラド三世ではあったが、オルガマリーの目は自然と立香の挙動を追っていた。

彼が震える様を。乾いた喉が唾液を呑み込む様を。まばたきの瞬間を。僅かな鼻先の動きを。その全てを逃がすまいと視線を注ぐ。

 

「余が戦うのは、乞われたからだ。この地に住まう人々、縁も所縁もない無辜の民。しかし、確かにこの地、この時代に生きる者達だ。余は英霊であり、最後まで英霊としてこの身を全うする。ならば、その者達を救うのにそれ以上の理由は必要なかろう」

 

その言葉に息を飲んだのは、問いかけた立香でもヴラド三世の逆鱗に触れやしないかと不安がっていたオルガマリーでもなく、立香の後ろで無言のまま成り行きを見守っていたマシュであった。

思いもしない方向からの反応に、立香は半ば反射的に振り返っていた。そこには目を見開き、戸惑いを覚えているかのように震えている少女の姿があった。

無言の交錯。赤面する盾の騎士と視線が絡み合い、気まずい空気が室内を満たし始める。

何かを言わなければとオルガマリーは内心で焦り出した。

立香の不躾な質問に対して、ヴラド三世は誠心誠意を以て応えてくれた。ならば、礼を以てそれを返さねばならない。この沈黙はあまりにも不敬だ。

そう思っていながら、言葉は思うように喉を上っては来なかった。認めてしまうのは恥ずかしいことではあるが、完全に委縮してしっている。

状況に流されるままだった特異点Fの時とは違い、今の自分はカルデアの代表としてグランドオーダーに臨んでいる。態勢を立て直し、完璧ではないが万全を尽くしている。

なのに、人類史に名を残す名立たる英霊達を前にして気圧されてしまい、思い描いた通りに動く事ができないでいる。

上に立つ者として、ヴラド三世の堂が入った佇まいを前にして、自分がアニムスフィア家の当主として如何に未熟であったのか思い知らされた気分であった。

弁舌がどうだとか、心構えがどうだの話ではない。纏う気配、気品、空気が違う。ただそこにいるだけで場を支配する格と呼べるものが自分には決定的に欠けており、その嫉妬と恥辱が心を軋ませる。

故に何も言えなかった。唯の一人の小娘に成り下がり、事の行く末を見つめることしかできなかった。

助けて欲しいと願う。

誰でも良いから、自分の代わりに何かを言って欲しい。

この凍り付きかけた空気を打破して欲しい。

今までならレフ・ライノールがその役目を買って出てくれた。自分が躓きかけた時、いつも彼が助けてくれた。だが、それはもう叶わない。彼はここにはいない。誰にも頼ることはできない。これからは一から十まで全てを自分が担わねばならないのだと、否がおうにも思い知らされる。

 

「…………」

 

視界の端で、僅かにヴラド三世の眉が吊り上がるのが見えた。それに遅れて向き直った立香の唇が動く。先ほどの質問の無礼を詫びるつもりなのだろう。

だが、遅い。あまりにも遅い。彼が詫びるよりもヴラド三世が失望を口にする方が早いだろう。せめて、後2秒は早く反応して欲しかった。

あの時、マシュの反応に気を取られていなければ、そうはならなかったのに。

そんな後悔を胸に抱いたところで、最早どうすることもできない。この会談は護国の将に僅かな棘を残して幕を落とす。

そう思った刹那、通信機から耳を裂かんばかりの勢いでロマニの悲鳴が聞こえてきた。

 

『会談中に失礼します! 所長、緊急事態です!』

 

切羽詰まったロマニの声は、先ほどまでとは別の緊張を室内に走らせた。

こちらの内情をよく知らないヴラド三世やカーミラすらも、只ならぬ事態が起きていることを察して身構える。

 

『所長達がいる街に向かって、大量の魔力反応が向かっています。こちらで計測できただけでも数は八百!』

 

「なんですって!?」

 

『反応からして魔獣の群れです。恐らく、マリー・アントワネットの手勢かと!』

 

ロマニが言い終えるのと同時に、勢いよく扉が開いて伝令の兵士が駆け込んでくる。

報告の内容は、ロマニが言っていたことと同じであり、それを聞いたヴラド三世は厳めしい顔で言葉を吐き捨てた。

 

「数で攻めるしかない能無しども。それ故に始末が悪い!」

 

八百の魔獣。確かに驚異的な数ではあるが、その一体一体の力は平均的なサーヴァントに劣る。ここに集った面々ならば容易に切り抜けられる数であろう。

だが、殲滅には至らない。事を構えれば間違いなく押し留める事ができず、街への侵入を許してしまうだろう。そうなれば、街の人間に被害が及ぶことになる。

 

「それだけではない。今、ここで兵士達を消耗させる訳にはいかない。余が預かった命、どこで血を流すべきかは決まっている」

 

カルデアの戦力だけでは魔獣の軍勢を全て相手にすることはできない以上、フランスに残された最後の希望である兵士達の流血はどうやっても避けられない。

サーヴァント達が敵の本丸へと攻め込む間、魔獣の軍勢を抑え込んでもらわなければならないからだ。故に来るべき最終決戦のためにも兵力はできるだけ温存しなければならない。

ヴラド三世の判断は早かった。即座に街を放棄し、住民達と共に駐留しているフランス軍を避難させることにしたのだ。兵の犠牲は最小限にとどめるための苦渋の決断であった。

 

「間に合うの!?」

 

戦いに備えて疎開を進めていたらしいが、残っている住民の数はまだまだ多い。果たして、魔獣達が訪れる前に街から逃げ出せるだろうか。

 

「間に合わせるしかあるまい。兵と民は余が責任を持つ。カーミラ、お前は彼女達と共に行け。決戦の日に再び見えよう」

 

「ええ。ご武運を、串刺し公」

 

恭しく一礼するカーミラに対して、ヴラド三世は無言で応える。多くを語る必要はないという、確かな信頼がそこにあった。

 

『所長達も早く。藤丸くん達と合流してください!』

 

「ええ、言われずとも! みんな、急いでここから…………待って、ファントムは? 彼はどこ?」

 

矢継ぎ早に聞こえてくる怒号。建物を揺らすいくつもの足音。

魔獣達の襲撃を前にして、町全体が大きく浮足立つ。

既にヴラド三世は自らの役目を果たすために部屋を後にしていた。残された自分達も急いでそれに続かなければならない。

だというのに、いるべきはずの者が一人、何処かへと姿を消していた。

別れの言葉もなく、残り香すら残さずにその者はいなくなっていた。

ただ、確信だけはあった。これがファントム・オブ・ジ・オペラとの永遠の別れになると。

この特異点において、彼とはもう再会が叶わないと、その場にいた誰もが漠然と感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

街は引っくり返ったかのような混乱に満ちていた。

人が、荷馬車が、迫りくる魔獣の脅威に怯えて街から逃げ出そうとしている。

それを御する兵士達は皆、一様に悔しそうに歯を噛み締めていた。

本来であれば自分達が守らなければならないものを見捨てて逃げねばならないことに、心を痛めているのだ。

魔獣を相手に無力な自分を呪い、死者である英霊を頼らねばならぬ矛盾に怒り、理不尽な死と絶望を嘆いている。

その気持ちは痛いほどよく分かる。何故なら同じ思いを自分もまた味わったからだと、ファントム・オブ・ジ・オペラは己の胸中を反芻しながら街路を駆ける。

その足取りに迷いはなかった。

あの村からの旅立ちの時、愛しき歌姫(クリスティーヌ)との別れの時から、そう遠くない内にこうなるだろうという確信があったからだ。

思えばあの日を境に自分は死に、そして今日という日を以て本当の意味でこの世界から消えることになるのだろう。

逃げ惑う人の流れに逆らい、抜けるような青空を目がけて外壁を跳び越えながら、ファントムは召喚されてから今日までの出来事を振り返る。

それは慚愧か後悔か。悔悟することすら自分にとっては罪なのか、思いを馳せれば頭が軋む。

その痛みに苛まれながらも、ファントムの顔からは歪んだ笑みが消えなかった。

兵力を温存するため、街を捨て去るというヴラド三世の決断には、一つだけ無視できない問題がある。それは時間だ。

脇目も振らずに一心不乱に迫りくる魔獣達を前にして、街の住民が逃げ切るだけの時間はないに等しい。

如何に兵達が先導しようとも、恐怖と混乱で迷う人々の足取りでは容易く奴らに追いつかれてしまうであろう。

故に、誰かが時間を稼がねばならない。

幸いにもランスロットという最大の戦力が手に入り、ヴラド三世率いるフランス軍という軍勢とも足並みを揃えることができた。戦うための戦力は十分に整った。

ならば、もう自分一人が抜けたところで大差はないであろう。

そう考えたファントムは、何も告げずにカルデアと別れる道を選択したのだ。

相対するは二千の魔獣。背後の街を蹂躙せんとする異形の群れ。狂った怪人の死に場所には相応しい、最高の舞台ではないか。

薄暗い暗闇の中で生きてきた自分の生涯では決して手が届かなかった晴れ舞台。

この一瞬こそが、自分がこの地に召喚された真の理由であったのだろう。

 

「止まるがいい、亡者の群れよ。この先へ進むことは何人であっても許されぬ。ここは舞台、ここは劇場。招かれし観客はここで私の歌に酔い続けるだけで良い…………それでも、進もうというのなら……席を立ち汚らしい言の葉を吐くというのなら……お前達は歌うがいい。己に捧げる鎮魂歌を…………」

 

両手を広げ、天を仰ぐように朗々と歌い上げる。

いきり立った先頭の魔獣達が獰猛な唸り声を上げて突撃してきたが、次の瞬間には血飛沫が舞い上がっていた。

振るわれる一閃。

両の手のカギ爪が虚空を描く度に、いくつもの骸が積み重ねられていく。

強靭なバイコーンの踏み付けを躱しながら肉を抉り、飛びかかってきたウェアウルフの四肢を刻み、スケルトンの群れを蹴り砕き、ゾンビは冥界へと送り返す。

忽ちの内に平原は地獄絵図と化していった。

群がる魔獣の数は八百。数にものを言わせて踏みつければ、それだけでファントムの命は終わる。そうでなくてもこちらは一騎、無視して迂回すれば街への侵入は叶うであろう。

だが、扇状に広がった魔獣達は散発的にファントムへと突撃することを繰り返すばかりであった。何故なら、ファントムの背後で巨大な禍々しい髑髏のパイプオルガンが音色を奏でていたからだ。

それはファントム・オブ・ジ・オペラが持つ宝具『地獄にこそ響け我が愛の唄(クリスティーヌ・クリスティーヌ)』。

魔なる響きと共に放たれるのはファントム自身の情念であり、視認できるまでに凝縮された極大な魔力波だ。それが魔獣達の進行を抑え込んでいるのである。

無論、本来であれば自らの手で演奏せねばならない宝具を遠隔操作することは、ファントム自身の霊基が軋むほどの負担を強いる。だが、彼は迷いなく己がカギ爪と宝具を振るっていた。

ここで全てが燃え尽き、消え去ってしまっても構わない。死んでいたはずの骸が正しい場所へと還っていくだけであり、未来への礎となれるのならそれは本望であった。

 

(ああ、クリスティーヌ。愛しき歌姫……歌っておくれ……笑っておくれ……名も顔も声も分からぬ遠き人よ。愛しき人よ。それだけで私は踊り続けることができる。この命が燃え尽きる瞬間まで)

 

魔獣から負った傷の痛みによるものか、無茶な宝具の使用による霊基の軋みからか、ファントムの意識は混濁していく。

生前の出来事が幾度もフラッシュバックし、切り捨てた魔獣の骸に自分が手にかけた者達の姿が重なり合う。

ともすれば次の瞬間には引き千切れてしまいそうになる自我を、ファントムは廃村で少女と過ごした温かな思い出を呼び起こすことで保っていた。

だが、断絶した記憶は曖昧で、不確かで、饒舌に愛を歌い上げていた愛しき人の思い出すらインクをぶちまけたかのように汚されたいた。

あの声が思い出せない。

あの眼差しが思い出せない。

果たして自分がクリスティーヌと呼ぶ愛しき人は、生前の彼女のことなのか、この地で失われた無垢なる命なのか。

それすらも分からなくなったのか、初めから区別などついていなかったのか、今のファントムには判断がつかない。

ただ、笑っていたことだけは覚えている。

歌い上げた彼女を褒めた時、天上の天使の如き笑みを浮かべていたことだけは覚えている。

例えその笑顔を思い出すことができなくとも、そうであったという事実だけはこの胸に刻まれている。

ならば、戦える。

この霊基の一片まで砕け散るその時まで、自分はここで戦い続けることができる。

 

「さあ、独唱は続く。輪唱は続く。奏でるがいい、歌うがいい。お前達の鎮魂歌を」

 

全身に返り血を浴び、壮絶な笑みを浮かべながら、ファントムは告げる。

すると、魔獣の群れの中から一人の男が姿を現した。

 

「へえ、僕に鎮魂歌を歌えときたか」

 

長い長髪を携え、マントを纏った青年であった。仮面で目元は隠されているが、露になっている顔の下半分には酷薄な笑みが浮かんでいる。

まるで言の葉の一つにすら魔力が宿っているかのような、蠱惑的な声であった。詩を詠えば万人が拍手喝采を起こすそれは、悪魔的な魅了の呪いでもある。

彼が現れるやいなや、動きを止めた魔獣達が怯えるように道を開ける。先ほどまで暴れ狂っていたのが嘘のようだ。

しかし、それも無理からぬことであろう。現れた黒服の魔術師はヒトの姿こそしているが、内に秘めたるものはこの世ならざる何かであるとファントムの直感が告げていた。

この男は、本質において自分に近しいものを持っている。

度し難い何かに大切なものを侵され、破綻する寸前の思考で動いている生き人形。

理性と狂気の挟間で揺れ動く哀れな小舟。

望んで堕ちたのか、そうせざるをえなかったのかは分からないが、この男はヒビだらけの霊基で以て現界を続けている。

そうまでして何を望むか。

そうまでして何を為そうというのか。

答えは――考えるまでもなかった。

 

「お前は……違う……」

 

「…………」

 

白百合の騎士(忠節)ではない……清姫(狂気)ではない……竜の娘(執着)ではない……竜殺し(虚無)でもない……お前は違う。違う、違う……」

 

「そうとも、僕は違う」

 

「ああ……だが、それは報われぬ。愛されしものよ、お前は何も得られない。お前には……何も為せない。観客なき喜劇は悲劇でしかない。滑稽な一人芝居に何の意味がある?」

 

男の口の端に、ほんの少しの不快が刻まれる。

それは些細な苛立ちであったが、この男が置かれている現状においては堪らなく刺さる一言であった。

分かりやすいまでの怒気。抑えきれぬ魔力が渦を巻き、巻き込まれた何匹かの魔獣が圧壊して無様な死に顔を晒した。

 

「言ってくれるじゃないか殺人鬼。そういう君はどうなんだい? こんなところで一人、野垂れ死ぬつもりかい? 今時、自己犠牲なんて流行らないぜ。それともマスターの指示なのか?」

 

震える指揮棒を握り締め、身を屈めながら魔術師は嘲りの言葉を吐く。そうしなければ己の中の獣性を抑えられないとばかりに、自分自身を抱きとめているかのようであった。

 

「どうするつもりだい? 君一人でこれだけの数の魔獣を抑えると? 魔力も宝具も限界だろう? ざっと一割は殺されたみたいだけど、ここいらが潮時じゃないかな?」

 

「否……否、否……」

 

ファントムの顔から笑みが消えた。

魔術師が言うように、確かに彼の体は限界だった。

無茶な使い方をして宝具も限界にきており、体は軋みを上げている。生きてここを離脱できるだけの力すら残されていない。

だが、それがどうしたと言うのだ。まだ手足の感覚は残っているし、絞り尽くせば宝具を動かすだけの魔力は賄える。

生存など最初から望んではいない。オペラ座の怪人は、孤独に消えゆく運命なのだから。

 

「我が歌は終わらぬ……我が命の限り……汝らはここで……否……ここで……」

 

震える手で、しかし確固たる意志で以てファントムは己の顔から仮面を引きはがす。

抜けるような陽光の下に晒されたのは、めめ麗しき眼差し。怪人と呼ぶには似つかわしくない端正な美貌であった。

 

「ここで、お前達は殺す。私の全てを賭して、カルデアにも……あの街にも手出しはさせぬ」

 

今までの歌うような喋り方ではなく、ハッキリとした口調でファントムは告げる。

それは彼自身が抑え込んでいた狂気と殺意の加速を意味していた。

もう、安らぎには戻らないという決意の表れであった。

 

「確信したぞ、神に愛されし者よ。私が止めるべきはお前一人。貴様の獣性、情念、絶望。オペラ座の怪人が全て受け止める」

 

元より魔獣達は烏合の衆。将であるこの魔術師の支配がなければ進軍もままならない。

ならば、自分がするべきことは一つ。この命を使い果たし、この者をこの場に釘付けにすることだ。

 

「私は報われた。無垢なる少女(クリスティーヌ)の笑顔を得ただけで、私は救われたのだ。お前はどうなのだ? お前が仕える王妃(クリスティーヌ)に、笑顔はあるか?」

 

その最後の言葉が決定打となった。

相対していた魔術師の中で決定的な枷が外れ、暴風の如き魔力が吹き荒れる。

赤く、黒く、どこまでも悍ましい悪性に満ちた波動であった。

その凄まじさたるや、余波だけで弱い魔獣がショック死してしまうほどであった。

魔神の如き威圧。無数の眼差しに射抜かれたかのような恐怖。体が竦み本能が警告を発する。狂気すら消し飛ぶほどの絶望が目の前に立ち塞がった。

それでもファントムは背を向けず、後退ることなく己が恐怖を支配する。

目論み通りに引き出すことができたこの男の全力、何としてでも受け止めなければ後を託した仲間達に報いることができない。

彼らが街の住民達と共に逃げ切れるだけの時間を、自分は必ず稼いでみせよう。

 

「聞くがいい、魔の響きを!」

 

「唄え、唄え、我が天使……『地獄にこそ響け我が愛の唄(クリスティーヌ・クリスティーヌ)』!」

 

両者の切り札が発動し、互いの思いが乗せられた演奏がぶつかり合う。

同時に魔獣達が疾走を始め、ファントムが背にしている街を目指して雲霞の如く押し寄せたが、それらはいずれも境界線を越えることなく音の重圧に押し潰されて息絶えていく。

平原は忽ちの内に臓物と血に染め上げられ、相殺し切れなかった魔力の残滓が呪いとなって大地に染み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

空も川も大地すらも汚染し尽くしたその戦いは一昼夜にも及び、遂に限界を迎えた悲しき怪人は魔の響きに屈してこの時代から消え失せることになった。

後に残されたのは彼が身に着けていたマントと仮面。それはまるで自らを捨て石と定めた彼自身の墓標のようであった。

だが、ファントム・オブ・ジ・オペラの死は決して無駄ではない。

彼の犠牲により、ヴラド三世は誰一人として犠牲を出す事なく住民達を避難させることができたのである。

そして、孤独に消えた怪人ではあったが、彼は満たされたまま消えていった。

反英雄たる自身が僅かな間とはいえ人理のために戦えたこと。

何よりも、自分はこの時代で出会った愛しきクリスティーヌに報いることができたのだと、確信を持って逝けたからであった。




かーなーりお久しぶりです。
色々と忙しくて執筆時間が取れず、こんなにも空いてしまいました。
もっと手早く済ませるつもりだったのに、フランスだけで結構、話数取ってますね。
今後のネタは煮詰まってきているのに、書けないジレンマが歯がゆいです。

それと皆様、バレンタインイベ頑張りましょう。
バカも休み休み、イエーイ!
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