Fate/Start Over 星譚運命再度カルデアス   作:ていえむ

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第13話 不正働きの霧衣

魔獣の一団による奇襲から二日が過ぎた。

ファントム・オブ・ジ・オペラという尊い犠牲によって無事に窮地を切り抜けたカルデアとフランス軍は一旦、方々へと潜伏した後に機を伺い、再び集結しつつあった。

続々とフランス全土から集まってくる兵士達。あれほどの数の魔獣に攻め立てられていながら、その数は二千は下らない。

彼らは魔獣達の執拗な追跡を掻い潜り、時に目の前で故郷が蹂躙される様に歯を食いしばりながら雌伏を強いられた精鋭達ばかりだ。

その目には仄暗く燃える闘志がゆらゆらと揺れており、明日の決戦を前にして誰もが口をきつく結んで彼方の方角を睨んでいた。

ここ、オルレアンから北東に130キロメートル。華の都と呼ばれるパリこそが魔獣達の棲み処と化している。

それはこの忌まわしい惨劇を引き起こしたサーヴァント。マリー・アントワネット一派もまたそこに潜伏していることを意味していた。

いわばこのオルレアンはフランス魔獣戦線における最前線。泣いても笑っても明日の決戦で全てが決する。

オルガマリー達カルデアがカーミラに連れられてここを訪れたのは、そんな世界の終末時計が鐘を鳴らす数刻前のことであった。

 

(ええ、まったく。今更ながら怖気づいている自分が嫌になるわ!)

 

決戦を前にした緊張からか、情緒不安定に陥っていたオルガマリーは自分の情けなさを呪いながら宛がわれた部屋を飛び出した。

張り詰めた神経が無音の孤独感に耐えられなかったのである。

久方ぶりに屋根の下で眠れることに安堵し、明日に備えて早めに就寝したというのにこの様だ。

場数を踏んで成長できたつもりでも、生来の小心さだけはどうにもならない。

組織を率いる重圧が常に圧し掛かり、戦うことの恐怖は足を竦ませる。加えて先日のエリザベートからの拷問もあり、オルガマリーの脳裏には何度も不吉なイメージが浮かんでは消えていた。

今まではレフ・ライノールという頼れる大人が側にいてくれたのだが、今となってはカルデアの憎き敵である彼の名を夢枕に呟くこともできない。気持ちは未だに引きずっているが、それくらいの分別は彼女の中でもできているつもりであった。

それでもオルガマリーは不安から誰かの温もりを求めずにはいられなかった。

何も慰めて欲しいとは言わない。ただ、隣にいてくれるだけでいい。そんなことを考えながら廊下をさ迷うこと十数分。意を決したオルガマリーは、目についた扉を勢いよく開いて就寝している少年を叩き起こしていた。

 

「起きなさい、藤丸立香!」

 

突然の訪問に、立香は雷に打たれたかのような勢いで飛び起きて目を丸くする。

既に時間は日付を跨ごうとしている頃合いだ。驚くのも無理はないし、追い返されたところで文句は言えない。だが、お人好しの少年は怒ることなく来訪者を受け入れてくれた。

大一番を明日に控えているのはこちらと同じはずなのに、彼はとても落ち着いていた。穏やかに微笑み、何か飲み物を用意しようかと気を使ってくれるほどだ。

とても年下の少年とは思えない優雅で余裕に満ちた佇まいは、皮肉にもオルガマリーが求めて止まなかった大人の包容力そのものだった。

 

「何よ、余裕ぶって。明日には全てが決するというのに、どうしてそう落ち着いていられるの?」

 

ひょっとしなくてもこの少年、恐ろしく鈍感なのかもしれない。カルデアの職員、マスター候補達、ゲオルギウス、ファントム、多くの犠牲の上に自分達はここに至った。

明日で全てが終わるのは何もいい意味だけではなく、失敗すれば人理の崩壊は免れない。その重責を思うだけで自分は吐きそうになるというのに、ただ責任を取る立場にいないというだけでこの能天気な振る舞いは不公平ではないか。

だが、そう不平不満を口にすると、立香はそっとこちらの手を握り締めて首を振った。

何と言う事だろう。大きくも繊細な少年の手の平は、自分と同じように小さく震えていた。

死への恐怖、散っていった者達への思い、肩にかかる責任。彼もまたそういったものに震えていたのだ。それでいながら彼は歯を食いしばってやせがまんをしている。

誰にも心配はかけさせたくないと、彼は静かに本心を告げた。

 

「俺は、ただいるだけのマスターだから…………所長やドクターの立場に比べたら、俺なんて…………」

 

「馬鹿ね。そういう生意気は、もっと大人になってから口にしなさい」

 

震える手を握り返し、オルガマリーはロウソクの明かりに揺れている立香の顔を見上げる。

よく見るとまなじりには涙の跡が見て取れた。決戦を前にして落ち着いていたなんてとんでもない。彼は少し前まで泣いていたのだ。

今日までの別れを思い返し、己の未熟さを思い返し、涙していたのだ。

 

「ファントムのことを、考えていました」

 

「彼の損失は私のミスよ。あなたが気にする必要はありません」

 

「はい……でも、気になるんです。どうして、何も言わずに行ったんだろうって。どうして、自分の死を覚悟して行けたんだろうって……それは、とても怖くて恐ろしいことなのに……」

 

「分からないわ。他人の考えなんて、結局はその当人にしか知り得ないことなのだから。けれど、彼は納得して逝ったのでしょう。彼は死に場所を求めていた…………惰性で生きる事も自死を選ぶこともできたのに、彼は最後に戦って消えることを求めた。そうしなければならない何かが、彼の中にはあったのでしょう」

 

きっと、これから先もこういった出会いと別れを繰り返すことになるのだろう。人類史を救うために、焼却された七十億の命のために、多くの者達を犠牲にしてカルデアは前に進むことになる。

ふと、オルガマリーは自分が殺された前の時間軸へと思いを馳せる。

あちらの時間ではオルガマリー・アニムスフィアは殺されており、藤丸立香がたった一人でグランドオーダーに臨んでいるはずだ。

本来であれば彼が担う必要がなかった責任、不安、恐怖、そういったものを抱えて彼は七つの特異点を巡っていく。

どこまで行けたのか。そもそも、立ち向かうことができたのか。それは当事者になれなかった自分には分からないことではあるが、何れにしても不要な重責を担わせてしまったことに変わりはない。

本当に、彼には申し訳ないことをした。

その重みも涙も、全てはアニムスフィアが背負わねばならないものだというのに。

 

「自分を追い詰めるのは止めなさい。そういうことは、私がしてあげるから」

 

空いている左手で、そっと立香の頬に触れる。

仄かな温もりが手の平から伝わり、柄にもなく緩んだ頬が微笑みを形作った。

 

「良いのよ、あなたはあなたにできることをすれば……ここには私がいるのだから」

 

「所長」

 

「もう休みましょう。遅くにごめんなさい」

 

そう言って立ち上がろうとしたが、立香が咄嗟に腕を掴んだために止められてしまう。

思わず不快そうに目を細めると、気まずそうにこちらを見上げる立香と目があった。

 

「いえ……その…………」

 

「なに?」

 

「えっと…………もう少しだけ、一緒にいませんか? このロウソクが消えるまで、一緒に……」

 

「…………はあ――良いわ。それだけよ」

 

ため息を吐き、オルガマリーは居住まいを正して立香の隣に腰かける。

どことなく気まずい空気もあり、それから二人は何も言葉を発さなかった。

お互いの体温を肌で感じられるほどの至近距離で、ただゆらゆらと揺れるロウソクの炎を見つめながら夜の静寂に耳を傾けるだけの穏やかな時間。

こんな風に静かな時間を過ごすのは、いったいいつ以来だろうか。

父親が死に、カルデアを引き継いでから今日までがむしゃらに駆け抜けてきた。

何一つとして上手くいかず、唯々、自分の不出来さに絶望する毎日だった。

だからなのだろう。いつまでも燃え続けるロウソクの炎が堪らなく愛おしい。これが燃え続けている限り、自分はあの重荷から解放される。

例えほんの僅かな休息であったとしても、一呼吸の後には終わってしまうものだったとしても、鉛を飲み下すかのような重責から逃れることができる。

溶けていく蝋をただ見守るだけの時間は、そうして静かに過ぎていった。

やがて、最後の一片が溶けて消え去る頃、オルガマリーは急激な睡魔に襲われ、成す術もなくその場に倒れ伏す。

丁度、肩に手を廻した立香に己の体重を預ける形となった。

肌に暖かな温もりを感じる安心感からか、彼女はすやすやと寝息を立てながら脱力していく。

張り詰めていた緊張が解けた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

同刻。

眠れる夜を過ごしていたのは、マシュ・キリエライトも同じであった。

ここまでの旅路で色々と思う事も増えたマシュはどうしても寝付く事ができず、気持ちを切り替えようと宿舎の外に出たのが数十分前。

そのまま特に何をするでなく、玄関口で夜空を見上げていたのだが、夜空に輝く星々が悩みを聞いてくれるはずもなく、これ以上の夜更かしは明日の戦いにも響くであろうと諦めた時の事である。

不意に通りの向こうで影が蠢き、馴染みのある男の声が呼びかけてきたのだ。

 

「やあ、奇遇ですな」

 

暗闇の向こうから現れたのは、大柄で怪物染みた風貌。このフランスへの憎悪を滾らせながらもカルデアに協力することを約束してくれた魔元帥。ジル・ド・レェであった。

 

「ジル元帥」

 

「夜歩きはお肌に悪いですよ、マシュ殿。それとも見回りですかな?」

 

「少し寝付けなくて……あの、あなたは? ひょっとして…………」

 

ジル・ド・レェはジャンヌ・ダルクの死後、冒涜的な殺人をいつくも犯していたことで有名である。

カルデアに協力している間は自重すると言っていたが、こんな夜更けに出歩いていたのでは、もしやと思わざるを得ない。

すると、ジル・ド・レェはにこやかな笑みを浮かべて首を振った。

 

「ここは彼の聖女と別たれた地ですからな。消滅を確認した訳ではありませんので、もしやと……」

 

「元帥……すみません……」

 

彼は探していたのだ。かつて復讐のために自らの手で生み出した聖女の生き写し。

存在しえない負の側面を携えて産み落とされた虚構の英霊たるジャンヌ・ダルク・オルタを。

ジル・ド・レェにとっては崇めるべき聖女であり、ある意味では娘のようなものといってもいい。目の前で存在の要となる聖杯を奪われ、その命を奪われてもなお、心のどこかで生存を願っているのだ。

 

「いえいえ、お気になさらず。あれから時も経っております。これは単に私の執着ですので」

 

「それだけ、ジャンヌ・ダルクさんのことを思っていたのですね」

 

「私にとっては全てです。彼女の存在が、彼女の輝きが、神の実存を証明するものでした。ええ、あの時までは…………」

 

過ぎ去りし日々へと思いを馳せるジル・ド・レェの横顔は、不気味でありながらも哀愁の漂うものであった。

その目が見ているものは在りし日の思い出。聖女と共に駆け抜けた戦場だ。

勇猛果敢にして心優しき聖女は、燻っていた百年戦争を駆け抜け様々な奇跡を起こした。

シャルル七世が王位につけたのも偏に彼女の存在があったからだと言えよう。

だが、領土奪還を主張する聖女と厭戦の空気に囚われた王の側近達との間には僅かな溝があり、それは聖女が囚われの身となったことで決定的なものとなる。

無慈悲な魔女裁判によって烙印を押された聖女を、ジル・ド・レェは救い出すことができず、またシャルル七世も様々な事情から積極的には動くことができなかった。

そして、誰もが願った神の奇跡は起こらず、ジャンヌ・ダルクは魔女の汚名を被ったまま火刑に処されたのである。

 

「神はこの世にいないのかと嘆きました。いるのならば我を罰するがいいと、多くの悪徳に耽りました。そして、それすら叶わぬと知った時…………私はこの国を心から恨んだのです」

 

戦後に数多の殺人に手を染めたジル・ド・レェを裁いたのは神ではなく人であり、それも彼が領地を他国へ売り渡す前に没収するのが目的の利己的なものであった。

彼の死は正義によるものですらなかったのである。

 

「今でも、この国のことを?」

 

「ええ、憎んでいますとも。自らの手で燃やし尽くさねばならぬほど、この腸は煮え滾っています。ははっ、そんな私がこの国を救うなどとは……こんなにも皮肉が効いた運命の悪戯はありますまい」

 

「そうですね…………ええ、そうなのですね。あなたはやはり……」

 

「マシュ殿?」

 

俯いて表情を曇らせるマシュの様子を不信がったジル・ド・レェは、ギョロっと飛び出した目をくるくると回しながら彼女の顔を覗き込んだ。

 

「何か、お考えですか?」

 

「……はい。あなたと……マリー・アントワネットのことを……考えていました」

 

沈鬱な表情のまま、マシュは歯切れ悪く唇を動かした。

己のマスターや上司であるオルガマリーにも話していない悩みを、果たして彼に打ち明けてよいものかと迷う。

だが、ジル・ド・レェは朗らかな――月夜の晩に垣間見るには恐怖でしかない――微笑みを浮かべて両手を広げる。

 

「良ければ、お聞きしましょうか? お話するだけでも気が晴れるものですよ」

 

「え、ええ……はい……」

 

若干、顔を引きつらせながらもマシュは頷いた。大変に失礼なことなのかもしれないが、その風貌で近づかれるととても心臓に悪い。彼自身は百パーセントの善意で動いているだけに余計に質が悪い。

とはいえ、このまま気持ちを燻らせていては明日の戦いに何か支障が出るかもしれない。そういう意味ではここで悩みを打ち明けて気持ちの整理をつけておくのは、決して悪いことではないはずだ。

できるサーヴァントとはマスターの手を煩わせないものでもある。ただ、ジル・ド・レェの気分を害してしまうかもしれないことだけは先に説明しておいた。

 

「ほう、であるならば……」

 

「はい、あなたとマリー王妃……お二人の戦う理由についてです」

 

最初は気にも止めなかった。アーサー王が敵に回り、オペラ座の怪人が人理の為に戦う。生前の所業や人格はどうあれ、サーヴァントとして召喚されたからには善悪の立ち位置は流動的なのだと納得していた。

だが、自らの意思で聖杯を奪い取ってフランスへの復讐を企てたマリー・アントワネットと、そんな彼女と戦うために自らの復讐心を呑み込んで人理の側についてジル・ド・レェ。どちらも大切なものを奪われたことに変わりはないというのに、その在り方はまるで鏡写しのようであった。

マリー・アントワネットは言う。フランスのこともそこに生きる人々のことも愛している。けれども、憎まない理由にはならない。

ジル・ド・レェは言う。誰よりもフランスのことを憎んでいる。だからこそ、誰かの手に脅かされるのががまんならない。

片や愛を語りながら悪行を為し、片や憎しみを説きながら正義を振るう。この矛盾は何なのか、二人にとって善悪とは何なのか。どうして言葉とは真反対の所業を為せるのか。

考えれば考える程、答えは出ずに思考は深みに陥るばかりであった。

 

「そんなことを……それはあなたにとって関係のないことでしょう。戦う理由など人それぞれ。あなたにはあなたの守るべきものがある。私には私の譲れないものがある。それだけです」

 

「はい、そうです。そうなのですが……」

 

ヴラド三世が戦う理由を述べた時、誰よりも心をかき乱されたのはマシュであった。

助けを求められたから戦う。愛も憎しみもなく、ただ理不尽に苦しむ無辜の民の悲鳴を聞いたから馳せ参じた。戦う動機はそれだけであると、ヴラド三世は口にしたのだ。

それは英霊として当たり前の、模範的な回答であった。英雄とはこうあるべきだという一つの指針であった。

同時に、マシュは自分が何故、善悪について悩んでいたのかを理解した。

それは自分の中に戦う理由がなかったからだ。

グランドオーダーに臨むにあたって、自分には戦う動機がない。人類史を救わねばならないという使命はカルデアより与えられたもので、薄っぺらい藁のような理由でしかなかった。

人類史に名を刻まれた英霊達。敵味方に分かたれた幾人もの英雄・偉人達と出会い、その信念の一端に触れる度にマシュの心は揺れる。

愛していたからこそ憎む。

憎むからこそ守る。

ただ愛する者のために。

神の御名の下に。

己の理想のために。

唯々、欲望のために。

強烈な信念、揺るぎなき精神、それはマシュの中にはないものであった。

 

「それでも、その理屈を理解することはできます。何故、その考えに至ったのかを分かります。ですが、お二人についてはそれが分からない。どうして愛おしいものを憎めるのかと。何故、嫌悪するものを守れるのかと」

 

「なるほど。尊きものは尊く、悪しきものは悪しきままに。あなたにとっての道徳とは実に模範的なのですね。ああ、そういう方ならばヴラド三世の言葉は実によく響くでしょう。あなたは良くも悪くも世界を知らない」

 

「はい……私はその……外の事を知る機会があまりなかったもので」

 

デミ・サーヴァント実験のために生み出され、ある時までずっと無菌室の中で過ごしてきた。生まれてからずっとカルデアを出たことはなく、外の世界の空気も土の暖かさ知らない。

自分が知っていることは全て、本に書かれている知識でしかないのだ。英霊達のような確固たる思いが培う土壌が自分にはなかったのである。

そのことに対して負い目を感じている自分がいることを、マシュはこの特異点での戦いで思い知った。

果たして、このままで良いのかと悩みながら振る盾は重く、それがますます自分を追い立てるのだ。

 

「おお、嘆かわしい。天上の調べたる悲鳴、血と臓腑の温もり、快楽の何たるかをあなたは知らない。マシュ殿、悪徳を知ることを恐れてはなりません。無垢であることと無知は違うものなのです!」

 

急に言葉に熱が入り始めたジル・ド・レェの姿を見て、マシュは思わず身を引いてしまう。だが、彼は構わずマシュに顔を近づけると、口の端から唾が飛び出るほどの勢いでまくし立て始めた。

 

「素晴らしきことにこの世界には尊ぶべき道徳と同じように愉しくも悍ましい快楽で満ちているのです。ですが、人が一生の内にそれと触れる機会はあまりに少なく短い。美への探求こそが命題なのです。美徳も悪徳も等しく賛美であり、世界を知ることで人は祝福を得るのですから」

 

「元帥……少し、落ち着いて……」

 

「何を言いますか! あなたの方こそ! 善悪がどうだの信念がどうなのと! それよりも見るべきものがあります! 人を、世界を、この世の美を! あなたは知るべきだ! 何故ならあなたという生命がこの世界に生れ落ちたこと、それ自体が神の奇跡に他ならないのですから!」

 

その言葉は、頭を金づちで殴られたかのような衝撃をマシュに与えた。

自分がこの世に生を受けたこと自体が神の奇跡であると、ジル・ド・レェは言うのだ。

マシュはこの不気味で奇怪な反英雄に対して、初めて畏怖以外の感情を覚えた気がした。

何故、彼はそのような言葉を口にできるのだろうと。

神に見放され、故国に恨みを抱いたまま生を終えた異端の魔術師が、どうして再び神の愛を説く事ができるのだろうかと。

 

「神はおられます。あなたが英霊をその身に宿した事、マスターと共に人理修復の旅に出た事。いくつもの運命の中から選ばれた今こそが、あなたのために神が書いた脚本なのです! 神は残酷で冷酷だ。私が憎しみでのた打ち回る様や、あなたが小さな悩みで苦しんでいる様を見て心の底から悦に浸っているでしょう。この世に美徳と誘惑が満ちているのは神が自らの創造物を弄んで楽しむためなのです。ですから、あなたはまずこの世界に溢れる神の愛を知るべきだ。神を意図する演出をこえ、存分に嘲り返してやるために!」

 

正に鬼気迫るという言葉の通り、ジル・ド・レェは両の眼を血走らせながら自らの持論を並べ立てる。

その言葉の意味することのほとんどをマシュは理解できなかったが、それでも彼が口にした神の愛、神の奇跡については何となく思い当たる節があった。

それは人との出会いだ。

ジル・ド・レェが聖女と出会い、失ったからこそ神への失望を覚えた。それと同じように自分にも人生を左右するほどの大切な出会いがあった。

あの日の廊下で、藤丸立香と初めて出会った瞬間。

彼に手を取ってもらいながら爆発に飲み込まれた瞬間。

そして、炎に包まれた冬木の街で、敵に襲われて倒れ込んでいた彼を見下ろした時。

その一つ一つの出会いの瞬間が、重なり合って今の自分に続いている。

透き通るような景色に色彩が帯びた瞬間だった。

マシュ・キリエライトというサーヴァントの原点があるならば、それは正しくその瞬間だ。

 

「感謝します、ジル元帥! 何かが見えた気がします!」

 

自分はこの世界のことを何も知らない。

正義は正しくて、悪が悪いということしか知らない。

けれど、この思いが間違っていないことだけは分かる。

あの日に手を取ってくれた先輩を守りたいという思いは、誰から学んだものでもない、自分自身の意志だ。

なら、自分は最初から戦う理由を持っていたことになる。持っていながら、気づいていなかっただけなのだ。

 

「はははっ、光明が射したのなら喜ばしい。では、次は遊興について語らせて頂きましょうか? あれは実に瑞々しい幼子を使った…………」

 

「いえ、それは結構です! 全力で遠慮します!」

 

「……残念ですね」

 

ジル・ド・レェはしょんぼりと肩を落とす。だが、口の端は少しだけ吊り上がっていた。

釣られてマシュも小さく破顔する。それは一人の英霊が迷える子羊に道を示したことに他ならなかった。

そして、それもまた少女にとってかけがえのない出会いの瞬間の一つであった。

 

 

 

 

 

 

静寂の闇に包まれた広間で、男は鍵盤に指を這わせていた。

血と肉と腐臭に塗れた地獄のような大広間で奏でられているのは、男の大作にして遺作。

生前に己の最期を悟った男が、あらん限りの魂を絞り尽くして書き上げた一作。それは聞くものを魅了し、この世の理すらねじ伏せる魔の調べであった。

ただひたすらに無言で奏でられる鎮魂歌。命と呼べるものが狩り尽くされたこの街にとって、彼のピアノが奏でる悪魔の音色こそが唯一の生きた音であった。

だが、生命の躍動は唐突に終わりを迎える。まるで断頭台の刃が落ちたかのように、ぷつりと男の指が止まってしまう。

それを見た少女――マリー・アントワネットは少しだけ拗ねたような声で問いかけてきた

 

「あら、もうおしまい? いい音色なのに」

 

窓から差し込む月明かりが、マリーの横顔を照らす。そこにはいつもの朗らかで屈託のない笑みはなく、憂いを帯びた眼差しと冬のガラスのように曇った微笑みが浮かんでいた。

髪も肌も手入れが行き届いておらず、ドレスの端々は赤い血のりで汚れたままになっている。常に身だしなみには気を使っていた彼女からは想像もできない姿であった。

鈴のような声音も今は、まるで錆びた車輪のように軋みを上げているかのようだ。召喚されたから今日まで続けてきた凶行。愛するフランスを血で染めるという所業が彼女の中に残っていた僅かな人間性を締め上げ、ズタズタに引き裂いてしまったからだ。

 

「ねえ、もうおしまいなの?」

 

「あの曲は未完成なんだ。僕が自分で譜面を書いたのはここまでなのさ」

 

男は病床の身の上でこの鎮魂歌を書き出し、未完成の部分は彼の妻が他の音楽家に依頼して完成させた。後の未来で多くの人々が耳にすることになるこの曲は、実のところ男が思い描いていたものとは違う形となって産み落とされたのである。

何故、この曲を作ろうと思ったのかは定かではない。その辺りの記憶はインクで塗り潰されてしまったかのように抜け落ちていて、思い出すことができないのだ。

高額の報酬に釣られてどこかの貴族の依頼を受けたような気もするし、顔を隠した灰色の男が己の死期を知らせに来たのかもしれない。或いは、自分の中の魔なるものを鎮める為に作曲したのかもしれない。

何れにしても多忙な合間を縫っての作曲は、彼の人としての生を削り取るには十分な負担であった。悪化したリウマチは全身を蝕み、満足に筆も握れないままその生涯を終えたのだ。

 

「分かり切っていたことさ。筆を止めて休めばもう少し生きられた。けど、この曲と向き合っている間、僕は確かに生きているのだという実感を得た。魂の安らぎを祈る鎮魂歌の中に命の息吹を感じたんだ」

 

そして、最後には自らの鎮魂歌によって命を絶たれた。これ以上にないくらい皮肉の効いた結末だ。

 

「後悔しているの?」

 

「いいや。けど、無念ではある。こいつを僕だけの鎮魂歌として書き上げてやりたかったってね」

 

「なら、すれば良いじゃない」

 

月明かりに背を向けて、儚げに微笑みながらマリーは提案する。どこか壊れている歪な笑みを見て、男の脳裏に先日のファントム・オブ・ジ・オペラの言葉が蘇る。

生前と違い、今は共にいるにも関わらず、彼女は微笑みをなくして孤独の中で苦しんでいる。胸の中で愛と憎悪がせめぎ合い、霊基すらも軋みを上げているのが分かる。

あの美しく魅力的な微笑みは今は見る影もない。壊れかけの霊基を意思の力で無理やりつなぎ合わせているのが痛々しい。

こうなることは分かっていたはずだった。復讐に走れば月明かりの中にはいられない。かといって、闇に沈むには彼女は純粋すぎる。

それでも突き進むと決めたのは彼女の意思だ。境界線に立ったまま、微笑む事もできずに壊れる事を願ったのは彼女自身であり、自分はそれを止めなかった。

この罪の一端は彼自身にもあるのだ。

 

「その曲を完成させるの。そして、全てが終わったら、また聞かせてちょうだい」

 

壊れた笑顔と空虚な響きが男の胸を締め付ける。

全てが終わればこの時代には何も残らない。

破綻した時間はどこにも繋がらず、何も生まれる事無く闇へと堕ちていく。果たしてそんな世界で奏でる音に何の意味があるのだろうか。

捧げるべき人がいない世界で音楽は生まれるのだろうか。

 

「ああ、そうしよう」

 

それでも男は胸の内の疑問を呑み込み、愛しい王妃の願いを受ける。

それで彼女が少しでも安らぐのなら、そうしよう。今度こそは最後まで一緒にいると心に決めたのだから。

 

「ふん、逢瀬の邪魔だったか?」

 

不意に闇の中から声が聞こえた。

振り返ると、暗闇の中に爛々と輝く二つの眼が浮かんでいた。そこからゆっくりと姿を現したのは、古風な装束に身を包んだ豹のような青年。

不愉快そうに鋭い歯を噛み締めている様はまるでこちらを威嚇しているかのようであった。

 

「何をしに来た、フラウロス? そもそも君の担当はここじゃないだろう?」

 

「ここがもっとも遅延しているから来てやったまでだ。お前はどれだけのバグを放置すれば気が済むんだ?」

 

「君が全部、取り除いてくれただろう?」

 

「アニムスフィアの後始末など虫唾が走る」

 

不機嫌に喉を鳴らしながら、レフ・ライノール・フラウロスは再び闇へと溶けていく。

 

「直にカルデアがここに来る。役目を果たせ。彼女の始末はお前がつけろ」

 

闇の底から染み出るような怨嗟の言葉を残し、レフの姿が見えなくなった。

誇張ではなく完全に目の前から消え去ったのだ。恐らくはここではない別の時代、別の特異点へと向かったのだろう。

 

「あらあら、嫌われたわね」

 

「構わないさ。元々は袂を分かった身だからね」

 

シニカルな笑みを浮かべながら、男は確かめるように鍵盤を叩く。

二度、三度と気紛れに音を鳴らし、それで気が済んだとばかりに立ち上がって影の中から夜空に浮かぶ月を見上げた。

恐らく、明日で全てが終わる。

この時代の行く末を駆けた最後の戦い。

カルデアの使命か、マリーの悲壮なる願いか。

どちらが鎮魂歌を奏でるのか、それはまだ誰にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

怒号が耳をつんざき、大地を踏み締める音が空を揺らす。

気が付くとオルガマリーは戦場の只中にいた。

どこまでも広がる平原。照り付ける太陽と肌寒い風。纏わりつくは血と臓腑の匂い。

目の前では武装したフランス軍が迫りくる獣人や骸骨兵とぶつかり合い、空を飛ぶワイバーンや駆けるバイコーンの群れにいくつもの砲弾が叩き込まれて轟音が響く。

悲鳴と怒号、断末魔がシェイクされた地獄のような光景に、オルガマリーは思わず悲鳴を上げて飛び退いた。

 

(何、何なの!?)

 

思考が波のように乱れる。彼女の記憶は昨夜の時点で途切れていた。決戦に備えてオルレアンで最後の夜を過ごしていたはずなのに、どうしていきなり戦場に放り出されているのだろうか?

 

「所長、危ない!」

 

頭上から飛びかかってきたウェアウルフのこん棒を、間に割って入ったマシュの盾が受け止める。

続けてサンソンの剣が強靭な狼の首をはね飛ばし、生暖かい鮮血がオルガマリーの髪を赤く染め上げた。

 

「マスター、所長を!」

 

「所長、こっちに!」

 

マシュの言葉を受けて飛び出した立香に手を引かれ、オルガマリーは後ろに下がる。

サーヴァントへの魔力供給によるものか、険しい顔つきには疲れが見えた。しかし、震えながらも必死で腕を引く姿からは小さな頼もしさを覚え、オルガマリーは思わず彼の腕に縋り付いていた。

 

「藤丸……ねえ、何があったの? 私達はいつ、オルレアンを出立したの!?」

 

頭痛と吐き気がする。

今、目の前で起きている出来事すらビデオの早回しのように感じられて視界が回るのだ。

立香の腕の感触だけが確かなものであり、オルガマリーは不安から彼の腕を強く抱きしめる。

 

「落ち着いてください、所長。俺達は予定通り、オルレアンを出たじゃないですか」

 

明朝を待ってオルレアンを出立し、全速力で北上してパリを攻め落とす。残存している全戦力をぶつけて防衛線に風穴を空け、そこからカルデアという銀の弾丸を撃ち込んでマリー・アントワネットを倒すというのがヴラド三世との取り決めであった。

そこまでは覚えている。作戦の段取りを確認し、就寝しようとしたが寝付けず立香の部屋を訪ねた。それはハッキリと思い出すことができる。だが、そこから先の記憶はハサミでフィルムを切られたかのように抜け落ちていた。

精神的なストレスによる一時的な記憶喪失であろうか?

相談しようにも肝心の医療スタッフはカルデアの管制で手一杯のようだ。そして、こちらの混乱など魔獣達はお構いなしに襲い掛かってくる。足を止めていては殺されるのは火を見るより明らかだった。

 

(お馬鹿なマリー、ちゃんとしなさい。取り乱すのも暴れるのも後よ……今は、やるべきことを!」

 

頭を振り、立香から離れて自分の足だけで地面を踏み締める。

脳裏を掠めるいくつもの不安を片隅に追いやり、深呼吸する間すら惜しんで自身の魔術回路を励起させる。

いつまでもお馬鹿なマリーでいる訳にはいかない。自分はアニムスフィアで、カルデアの責任者なのだから。

 

「ロマニ、状況を教えて! 手短に!」

 

『現在、戦闘開始から二十分。こちらの計算では彼我戦力は5:1ですが、乱戦により差は更に開いています』

 

「ランスロットは!?」

 

『側面からの奇襲を受けた際に暴走を開始。こちらの制御を離れてどんどん離れていっています』

 

光学ディスプレイで位置を確認すると、確かにランスロットだけが前に突出する形になっていた。何とかマシュが追い付こうとしているようだが、それは立ち塞がったキメラの群れによって阻まれてしまっている。

このままランスロットの暴走を許せば彼は戦場の中で孤立し敵に囲まれてしまうだろう。そう簡単には倒されないだろうが、燃費の悪いバーサーカーではいつガス欠を起こすか分からない。彼はこちらの最高戦力にして切り札だ。ジークフリートにぶつける前に消耗させる訳にはいかない。

 

「ジル・ド・レェに命令して! 宝具でも何でもいいから道を抉じ開けろって! そしたら……」

 

『前方に魔力反応! 所長、止まって!』

 

ロマニの叫びと、黄昏色の光が視界を焼いたのはほぼ同じタイミングであった。

暗雲を吹き飛ばし、天すら衝くほどの巨大な光柱。夕日が水平線に沈む瞬間の黄昏色は、まるで巨大な竜巻のように周囲の風を巻き込んで膨れ上がり、混迷する戦場を縦断する。

それは一瞬の内に目の前の全てを焼き払い、地面に大洪水でも起きたかのような爪痕を残して遥か彼方まで駆け抜けていった。

もしも、後数歩でも前に出ていれば自分もこの光に巻き込まれていたかもしれないと思うと、オルガマリーはぞっとするほどの恐怖を覚えて背中が冷たくなった。

 

『この魔力反応は……ジークフリートの『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』だ!」

 

「馬鹿な! ジークフリートの姿はどこにもない! 奴は最大限に警戒せねばならぬ相手、見落としはない!」

 

立ち塞がる魔獣達を切り捨てながら、ヴラド三世が叫ぶ。

彼の言う通り、戦場のどこを探してもジークフリートの姿は見つからなかった。あれほどの宝具ならば発動の予兆などが必ずあるはずだが、それすらも感じ取れない。

目を凝らそうと、魔術やカルデアの計測機器を用いようと、魔力の残滓すら見つけられないのだ。

そして、そうこうしている内に更なる黄昏が大地を染める。本来であれば自らの手勢であるはずの魔獣達も容赦なく巻き込み、巨人が山を踏み潰すかのように戦場を焼き払っていくのだ。

膨大な魔力にものを言わせた宝具の連射。ただの人の集まりでしかないフランス軍に成す術はなく、ただでさえ劣る数が見る見る内にすり潰されていった。

 

『被害甚大! まずいぞ、既にフランス軍の被害は全体の二割に及んでいる! これでは戦闘の継続は不可能だ!』

 

「だが、退こうにもこの攻撃をどうにかしなければ背後から焼き払われる!」

 

光が放たれる毎に多くの兵士が焼き殺される。死体すら残せず、一瞬の内に蒸発してしまうのだ。

魔獣の群れを前にして一歩も引かなかったフランス軍の士気も、さすがにこの事態となれば陰りが見えてくる。

進むべき足は竦み、張り上げる声は萎え、弱気を口にする者、敗走を考える者も出てくる。

黄昏の光はそんな者達を無慈悲に焼き払った。

黄昏が過ぎればそこは夜。

一切の呵責なく、加減なく、足を止めた者から地獄という名の闇に落ちていく。

前に出たマシュが盾で受け止めるものの、彼女一人だけでは味方の全てを守ることはできない。

この窮地を切り抜けるためには、まず何としてもジークフリートを仕留める必要があった。

 

『解析出た! 放射角度から位置を推定! 北東、五百メートル!』

 

何射目かの光が大地を焼く中、遂にロマニがジークフリートの潜んでいる座標を特定する。

すぐさまオルガマリーはその知らせをヴラド三世へと伝えると、彼は承知したとばかりに槍を翻して己の内より魔力を解き放った。

隆起する大地。

突き上げる無数の杭は波のように折り重なって狙い定めた場所へと押し寄せていく。

ヴラド三世の意思によって自在に流れを操られた杭の波は、かつて彼が行った粛清の象徴。二万ものオスマントルコ兵を串刺しにした伝説に由来する。

その名は――。

 

「『極刑王(カズィクル・ベイ)』!」

 

押し寄せた杭が黄昏色の光を遮り、鳳仙花のように弾け飛んだ。

舞い上がる粉塵。竜殺しが戦場を地獄に変えるというならば、護国の鬼将は更なる地獄を以て塗り替える。

黄昏を覆いつくさんとした無数の杭は幾多もの魔獣を串刺し亡骸を天へと掲げた。

同時に光の奔流が収まり、怒号と悲鳴が木霊する戦場に似つかわしくない静寂が訪れた。

 

『そうか、タルンカッペ! ジークフリートがその伝説の中で手に入れた財宝の一つだ! 彼はそれで姿を隠していたんだ!』

 

伝承に曰く、それは纏う事でこの世から姿を隠し、また使用者に戦士12人分の剛力を与えるという。

それこそが『不正働きの霧衣(タルンカッペ)』。ジークフリートはこの見えざる外套を身に纏い、義兄となるグンター王がアイスランドの女王ブリュンヒルデと添い遂げる手助けをしたという。

果たしてヴラド三世の宝具によって白日の下へと引きずり出されたジークフリートは、確かに衣を纏っていた。だが、それは後世において伝承で伝わっていたものとは大きく違う形をしていた。

 

「霧です! ジークフリートを包み込むように濃霧が発生しています!」

 

マシュの叫んだ通り、ジークフリートの周囲だけ朝焼けの山頂のような真白の霧が立ち込めていた。それが徐々に濃さを増していくにつれて、竜殺しの体は周りの景色に溶け込むかのように透明化していくのだ。

伝承に伝わるタルンカッペの正体。それは霧を外套のように纏うことで姿を隠す秘宝であったのだ。

 

「やはり、我が杭では不死の鎧を貫けぬか」

 

忌々し気にヴラド三世は呟いた。

先ほどの宝具は渾身の一撃であったが、それでもジークフリートに傷を負わせることはできなかった。彼は表情一つ変えることなく、黙々と作業を進める職人のように霧散した霧を再び纏って攻撃の機会を伺っている。

やはり、彼を倒すためにはランスロットの力が必要なのだ。ひょっとしたら魔獣達が彼と自分達を分断したのもジークフリートの策だったのかもしれない。

 

『まずい、完全に反応が消失した! これではジークフリートがどこにいるのか分からない!』

 

ロマニの悲痛な叫びが耳に響き、更に痛みを増した頭痛にオルガマリーは眩暈すら覚えた。

気を抜くと膝から倒れ込んでしまいそうになり、歯を食いしばってそれに耐える。

こんな時に何故、と自分を呪いたくなったが、そんな余裕すら今は惜しい。

再び姿を消したジークフリートが、次に仕掛けてくる瞬間に備えなければならない。

あの嵐のような宝具の連射をまた叩き込まれては、如何にマシュの盾が堅牢とはいえいつまでも防ぎ切ることはできないだろう。

 

「マシュ、盾!」

 

「はい!」

 

オルガマリーの指示を受けたマシュは盾を構えて攻撃に備え、その後ろではいつでも宝具を展開できるように立香が魔力を供給する。

乱れた呼吸を無理やり落ち着かせる為に肺の空気を吐き出すが、不安と恐怖は拭えない。

緊張によるものなのか、時間の経過が酷くゆっくりに感じられた。

いつ、またあの光が迸るのか。

次に大地が黄昏色に染まるのはいつなのか。

その時が訪れるのを恐怖しながらも、オルガマリー達はジークフリートの次なる一手に備える。

次の瞬間、虚空から剣閃が駆け抜けた。

迸る鮮血と女の悲鳴。

誰もが失念していることがあった。

宝具という最大の攻撃手段があるからといって、律義にそれを使ってくるとは限らない。

敢えて見せ札として派手な攻撃を見せた後、相手の死角を突く戦法がある。

それは即ち、暗殺であった。




不正働きの霧衣(タルンカッペ)
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
ジークフリートが生前に得た財宝の一つであり、かつて小人族の王が所持していた魔法の隠れ蓑。形のない濃霧で作られた外套であり、身に纏うことでこの世から姿を消す性質を持つ。
使用中は視覚から消え失せるだけでなくあらゆる機器や道具、魔術による知覚をも遮断する。また使用者の筋力判定に120%の補正が入り、筋力を用いたあらゆる行動が自動的に成功する。
本来であれば『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』の死角である背中の一部分は呪いにより隠すことはできないが、これは自然界に存在する霧であるため例外として扱われる。
ただし、使用中は常に膨大な魔力を消費するため『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』の出力が低下する。



隠れ蓑と背中の呪い、両立するにはどうすればいいか。
これは防具じゃなくて単なる自然現象です、という理屈で考えてみました。
此度のすまないさんに手加減という言葉はない。

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