Fate/Start Over 星譚運命再度カルデアス   作:ていえむ

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第14話 Paris brûle-t-il?

時が来た。

時は来た。

遍く欺瞞に審判を、我らが憎悪に喝采を。

裏切られ、嘲笑され、貶められた結末に相応の対価を求めん。

例えそれが故国に弓引く行為であろうと、それがかつての栄光に泥を塗ることになろうとも、求めずにはいられない。憎まずにはいられない。

故に憎んだ。歪んだ男によって生み出された歪んだ少女、しかし誰よりも純真な心で男の願いを受け入れた。

何故なら、自分はそうあるべきと願われたから。

誰もが彼女を魔女と貶めるのならば、そのように振る舞おう。神が作り上げたこの国の悉くを地獄に貶めよう。

自分という歪な存在を許容した時点で、神は在り方を間違えてしまったのだから。

 

「…………っ」

 

忌々し気に唇を噛む。

いつの間に転がり落ちたのか、小川の中ほどで倒れ込んでいた。流れる流水は傷ついた体から容赦なく体力を奪っていき、死の宣告を一つずつ数えていく。

何とか起き上がろうとしたが、体に力が入らない。

高所から叩きつけられたせいか、至る所が痛みに満ちていた。ここまであぜ道を這ってきたこともあってあちこちが傷だらけだ。

何より胸の傷が酷く。肉を抉り取られてぽっかりと空いた空洞からは止めどなく血が流れており、小川の水を赤く染めていた。

誰が見ても限界、死体と見間違われても無理はない。

だが、それでも少女は生きようとした。

1センチも動く事ができないはずの体に喝を入れ、出来の悪い人形師が操るマリオネットのように強引に手足を動かして前へと進む。

川底の鋭利な岩で肌を切り、冷たい水は体温を奪う。息をするだけでも激痛が走る。

惨めで無残な姿を晒しながら、少女は汚泥の中から空を見上げていた。

 

――ユルサナイ――

 

許さない。

許さない。

逃がさない。

生かしてはおかない。

あれの存在を許してはおけない。

あれの生存を許してはいけない。

私の復讐を踏みにじった、いけ好かない王妃をあのままにはしておけない。

彼から復讐の機会を奪った、彼の願いの邪魔をした、彼の激情を弄んだ。

あの連中を許せない。

 

「……っ……ぁ……」

 

精神が痛みを凌駕する。

動かぬはずの腕が、手が、指先が、まるで別の生き物のように蠢いた。

川底に膝を突き、体を起こし、渾身の力を込めて、前へ前へと進む。

そうして、欠伸が出るほどの時間をかけて小川から這い出ると、鉄の匂いが混ざった草原の香りへと倒れ込んだ。

乱れた呼吸を整えようと、大きく息を吸って吐き出す。

限界だった。

血も魔力も何もかもが足りない。そう遠からず自分は消滅するだろう。壊死し始めた指先が残酷な事実を物語っている。

その理不尽に少女は笑みを零した。

声を出すことなく口の端を釣り上げ、狂ったように笑い転げる。

次の瞬間、徐に目についた生き物に手を伸ばした。

穀物を集団で食い散らす害獣。可愛らしくも耳障りな声で鳴きながら、逃れようと藻掻くそいつに少女は躊躇なく噛みついた。

生温かい血と臓腑が口を汚す。自らの血の匂いで嗅覚が麻痺しているのか、獣臭さは感じなかったが、筋張った肉が喉に詰まった。

堪らずえずいて喉の中のものを吐き出してしまうが、少女はひとしきり咳き込んだ後に泡立つ吐しゃ物へと再び手を伸ばしてそれを嚥下した。

腐肉だろうと汚泥だろうと、この命を繋ぐ為には食わねばならない。

生きねばならない。

まだ死ぬわけにはいかない。

それは生の喜びを知るからではなく、憎き仇を野放しにはできないというどす黒い思い。

何としてでも生き延びて、奴らに復讐する。

まるで口にしている害獣のように、肉と骨を食い散らかしながら、少女は爛々と輝く瞳で空を見上げる。

無垢だった心が染まっていく。

自らを構成するものが根底から裏返り、漆黒の意思を持つ。

裁決は下った、審判者など最早、不要。

ここにいるのは憎悪に駆られた一人の復讐者であった。

 

 

 

 

 

 

鮮血が迸り、少女の悲鳴が木霊する。

姿を隠したジークフリートの宝具を警戒し、守りを固めていたオルガマリー達の目前で、突如として魔獣達の巨体が弾け飛んだのだ。

まるで水風船のように血飛沫と肉片をまき散らし、断末魔を上げることなく絶命していく肉塊。マシュの盾の後ろにいたおかげで直撃こそしなかったが、それでもオルガマリーや立香の衣装には飛び散った赤黒い染みが広がっている。

同時に耳を引き裂くかのような大音響が戦場に轟いていた。あまりの衝撃で敵も味方もその場でのた打ち回り、地面にはいくつもの亀裂が走る。

その発信源となっているのは、不気味で巨大な城を背後にして立つ鮮血魔嬢だ。

 

「はあい、私のライブへようこそ」

 

華麗なステップを踏みながら、エリザベートは声を張り上げる。途端に空間がわななき、台風が直撃したかのような衝撃で小型の魔獣が宙を舞った。

 

「エリザベート・バートリー……」

 

マシュの盾に隠れながら、オルガマリーは忌々し気に舌を打つ。

あの仄暗く濁った眼に睨みつけられ、なぶり者にされた時の事を思い返してぞわぞわとした恐怖が手足に蘇ってくる。

 

「かたき討ちよ。この歌は清姫に捧げるわ」

 

「どの口が……彼女を盾にしたのはあなたでしょうに!」

 

「ええ、その通りよ。だから、他でもない私自身の手であんた達を殺すわ! 血も浴びない! 殺してバラシて搾り取った血は、みんな清姫に捧げる。それがケジメよ!」

 

きつく目を吊り上げながら、エリザベートは叫ぶ。それと呼応するように背後の城から強烈な衝撃が解き放たれた。恐らくはこれが彼女の宝具なのだろう。

音速の衝撃波で無差別攻撃を行うとは、持ち主の性格に似て凶悪な宝具だ。あまりの衝撃に盾を持つマシュの体がジリジリと後ろに押されていく。

立香が全力で魔力を回し、オルガマリーの補助も受けてやっと耐えられる威力だ。

 

(けれど、ジークフリートには及ばない。あの魔剣ならもっと……)

 

そこではたと気づく。来るであろうと予想していたジークフリートが、一向に宝具を解放しないのだ。

エリザベートによって足を止められたこの状況ならば、全員を纏めて宝具で葬る事も容易いはずだ。

周囲は衝撃波でぐちゃぐちゃに引っ掻き回されているのに、あの凶悪な黄昏色の光はどこにも見当たらない。

すると、隣に立つヴラド三世が忌々し気に口を開いた。

 

「そうか、ジークフリートの狙いはランスロットだ!」

 

彼の予想はこちらの更に先をいっていた。

ジークフリートには最初から、自分達と戦うつもりはない。自らの脅威となりえるランスロットを可及的速やかに暗殺し、こちらに打つ手がなくなった後に正面から叩き潰す。

ランスロットを魔獣の襲撃で孤立させたのも、敢えて宝具を見せびらかしてこちらを警戒させたのも、入れ替わるようにエリザベートが現れたのも、全てがジークフリートの策略だ。

 

「気づいても遅いわ! このまま豚のように泣き喚いて死になさい!」

 

トドメとばかりにエリザベートは衝撃波を強めていく。

大気が戦慄き、地面までもがめくれ上がって砂粒へと砕けていった。

一歩でも踏み出せば忽ちの内に潰されてしまう不可視の重圧。武勲など持たない貴族の娘がこれほどの力を有するのかとオルガマリーは戦慄した。

だが、まだ打つ手はある。

この宝具はエリザベートの咆哮が基点だ。彼女の声を背後の城が増幅し衝撃波として放っている。

ならば、必ず息継ぎのタイミングが存在するはず。その隙を突いて窮地を脱するしかない。

 

「――と、あんた達は考えているわね!」

 

顔を斜めに傾けながらこちらを指差すエリザベートの言葉に、オルガマリーは顔を強張らせる。

図星だ。こちらの考えを完全に見抜かれている。そして、この挑発が意味することに思い至って戦慄する。

エリザベートの口が閉じている。彼女が叫ぶのを止めて城を背に可愛らしいポーズを決めている最中も、耳障りな超音波は発せられ続けている。

何と言う事だ。この音は止まない。エリザベートが疲れ果てて叫ぶのを止めても、暴風の如き咆哮はこちらを苛み続けるのだ。

 

「この監獄城チェイテは私のステージ! 照明も! スモークも! 歌うのに必要な機材は全て揃っているわ! 録音は趣味じゃないけれど、あんた達を殺れるなら別よ! この歌は止まらない! この城がある限り、永遠にリピートし続けるの!」

 

エリザベートが両手を広げて叫ぶと、城から放たれる音量が更に跳ね上がった。

もはや、局地的なハリケーンだ。辛うじてマシュが宝具で耐え切っているが、衝撃に耐えれても脳を揺さぶる音までもどうしようもない。

耳を塞いでも鼓膜を突き破る爆音をこのまま聞き続ければ、何れは脳が破壊されるかその前に発狂してしまうだろう。

加えてジークフリートの事もある。

正に絶体絶命。

覆しようのない窮地にオルガマリーは歯噛みし、彼方で暴走を続けるランスロットを虎視眈々と狙う竜殺しの姿を幻視する。

その時、巨大な何かが監獄城に向けて投擲された。

 

 

 

 

 

 

ジークフリートという英霊は、数々の冒険の果てに財宝と力を手に入れた。

末の一族まで浪費しても使い切れぬほどの黄金、聖剣バルムンク、姿を隠す外套、不死身の肉体、愛すべき伴侶と友人、何不自由のない地位。

だが、彼はそれを誇る事も誇示する事もなかった。誰よりも英雄らしく生きていながらも、彼の心はどこまでも謙虚であった。

人より多くのものを得たからこそ、彼はその力を独善に振るう事は是としなかったのだ。

乞われれば助け、そうでなければ見捨てる。

生前はこの主義を貫き続け、結果としてある争いを止めるために自らの命すら差し出す羽目になった。

そんな彼にも人並みの欲求は存在する。

一つは正義の味方であること。かつてはできなかった、自らの意思で目の前の人々の助けになりたいという願い。残念ながら此度の召喚ではそれは叶わない。狂化の術式を施されていることもあり、どうやっても殺戮を生んでしまう。

もう一つは強敵との死闘。互いの全力をぶつけ合い、力と技を競い合うこと。だが、これもまた難しい。竜の血を浴びて不死身となったこの体は痛みも傷も縁遠く、闘争はいつしか敵を無造作に屠るだけの作業と化した。

 

(湖の騎士ランスロット……せめて、貴公が理性ある姿であれば……)

 

不正働きの霧衣(タルンカッペ)』で姿を隠し、魔獣達を相手に暴れ回るバーサーカーの背に狙いをつけながら、ジークフリートは心の中で呟いた。

この特異点には数多くの英霊達が召喚されたが、誰もこの不死身の体に傷をつけられる者はいなかった。

立ち向かってきた者、或いは命じられた相手を『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』で滅ぼすだけの日々。

その繰り返しは少しずつ心を蝕み、虚無で満たしていった。マリー・アントワネットの願いを叶える為だけの願望器となった我が身は、戦場で効率的に人を殺すだけの現象と成り下がった。

ここでは貫くべき正義も心躍る果たし合いもない。唯一の希望ともいえた湖の騎士もまた、狂戦士として召喚されたために容易く策に乗せられ仲間から孤立している。このまま無防備な背中を手にした魔剣で切り裂くことは容易いだろう。

それで全てが終わる。ランスロットを失えば、この身に傷をつけられる者はいなくなり、カルデアとフランス軍は成す術もなく蹂躙される。

 

(許せ、我が慚愧!)

 

虚空から剣閃を走らせる。

完全なる不意打ち。

群がる魔獣達を薙ぎ払い、踏みつける狂戦士が絶対に対応できない瞬間を見切っての斬撃。

例えこの一撃に気づけたとしても、伸び切った四肢の筋肉は脳の意思を受け付けずに硬直する。

湖の騎士は、故郷であるフランスの血にて無残にも背後から切り捨てられるのだ。

 

「――Ga!?」

 

「何ッ!?」

 

乾いた音が響き渡り、剣を振るったジークフリートと背後を取られたランスロットの驚愕が重なる。

 

「させ……ませんっ!」

 

盾の騎士だ。

剣を振り下ろした刹那、空間を跳び越えて割って入ったマシュ・キリエライトがジークフリートの奇襲からランスロットを守ったのである。

 

(ならばっ!)

 

間髪入れずに腰を捻り、上半身の力だけで二撃目を打ち込む。半端な一撃ではあるが、踏ん張りも効かせずただ盾を構えているだけの少女の防御を崩すには十分なものであった。

バランスを崩したマシュは勢いを殺し切れずに盾を浮かせてしまい、そこにジークフリートの更なる切り上げが叩きつけられて腕ごと盾をかち上げられてしまう。

 

「――っ!?」

 

直後、少女の柔肌に無骨な剣が叩きつけられた。

遅れて鈍い音が耳に届き、ぶつ切れの悲鳴と共に少女の体が宙を舞う。

まるで投げ捨てられた小石のように、マシュは何度も地面に体を叩きつけられた。

 

「マシュ!」

 

「落ち着きなさい! 鎧が守ってくれたから! 急いで治療を!」

 

地面に倒れ、痙攣するマシュのもとへ立香とオルガマリーが駆け寄る。

疲弊はしているようだが、目立った負傷は見当たらず、ジークフリートは眉をひそめた。

エリザベートはふざけた性格ではあるが強さは本物だ。特に今回は清姫の一件もあって意気込みもあり、必ずカルデアの魔術師を殺すと言っていた。

だからこそ、ジークフリートは分断後の足止めを任せたのだが、カルデアはそれを潜り抜けてここまでやって来た。

マシュが先んじて駆け付けたのは、令呪を用いた空間跳躍によるものだろう。だが、そんなことをすれば魔術師達の身を守る者がいなくなる。

マスターの生存が最優先である以上、マシュはエリザベートの攻撃から己が主を守り続けなければならない。

ランスロットを守ろうとすればマスターを殺され、マスターを守り続けても何れは押し切られて殺される。

そうなるようにエリザベートは宝具を使用し続けてマシュをあの場に釘付けにさせていたのだから。

 

(……そうか、カーミラか)

 

あれほどうるさく響き渡っていたエリザベートの歌も聞こえなくなっている。

視線だけをそちらに向けると、翼を広げた竜の娘が血の伯爵夫人と切り合う光景が繰り広げられていた。

恐らくは何らかの手段でエリザベートの宝具を破壊か無効化したのだろう。さすがはかつての自分、あの壊滅的な歌にもある程度は耐性があるようだ。

 

(だが、ここまでだ)

 

淡々と、ジークフリートは次なる一手を準備する。

生憎と『不正働きの霧衣(タルンカッペ)』を纏ったままでは最大出力の宝具解放には及ばないが、それでもこの一帯を焼き払うことくらいは容易い。

ランスロットも、カルデアの魔術師もまとめてここで始末せんと黄昏の光が刀身を包んでいく。

刹那、咆哮が大気を震わせた。

 

「Arrrrrrrrr――――!!」

 

漆黒の靄をまといながら、狂戦士が走る。

視界に割り込んだバイコーンを素手で引き千切り、兜の奥から赤い眼光を光らせながら地面を抉る様はどちらが魔獣なのか分からない。

それは不意を突かれたことによる怒りか、それとも仲間を傷つけられた事への報復か。何れにしてもジークフリートの冷静さは揺るがない。宝具の発動を保留したまま、手近な魔獣達に指示を出してランスロットを背後から襲わせる。

脇目も振らずに一直線にこちらへと向かって来ていたランスロットは、死角から飛びかかったゴブリン達の攻撃を躱すこともできずに背中を滅多打ちにされる。

直後、飛びかかったゴブリン達は振り抜かれた剛腕で胴が真っ二つに千切れ飛ぶ。不意を打とうとも相手はサーヴァント。小鬼程度の膂力では仰け反らすことすらできない。

だが、その取るに足らない攻撃をバーサーカーは無視できない。狂化によって理性を失った英霊は、ただ目の前の敵に飛びつくだけの獣と化すのだ。

何と嘆かわしい。誉れ高き円卓の騎士ですらこの摂理には逆らえない。両の手を小鬼の血で汚した狂戦士の目に映るのは、竜殺しが放たんとしている黄昏の光ではなく次々と飛びかかってくる魔獣の群れだ。

その光景を目にしたジークフリートの心を去来した思いは、何度目かの虚無であった。

この程度の陽動に引っかかるようでは、やはり死力を尽くした真っ向勝負なぞ望めない。後は『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』を薙ぎ払い、全てを終わらせるだけだ。

そう確信した直後、望みながらも予想だにしなかった光景が彼の目に飛び込んだ。

 

「Arrrr!」

 

向かってくる魔獣に背を向け、ランスロットが再び疾走したのだ。

手には先ほど、血祭りに上げたゴブリンから奪い取った短剣が握られており、視線はまっすぐにこちらを睨んでいる。

その姿に警戒を覚えたジークフリートは、咄嗟に『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』の切っ先を迫りくるランスロットに向けて解き放った。

急な軌道修正、不自然な態勢から放たれた斬撃の威力は心もとないものであったが、それ故に不意打ち気味で回避は困難なはずであった。

だが、ランスロットは紙一重で転がってそれを回避し、起き上がりながら手にしていた短剣を投擲。更に自身は獣人の死体から剣を掠め取り、残る距離を一気に詰めんと跳躍した。

 

「くっ……」

 

途轍もない膂力で放たれた短剣を、ジークフリートは姿を隠したまま剣で打ち払う。それを目印としたのだろう。目の前に降り立ったランスロットは短剣が弾かれた箇所を目がけて剣を振り下ろし、不可視の剣と激しい鍔迫り合いを演じてみせる。

恐ろしい怪力だ。両足を踏ん張り、渾身の力を込めているというのに少しずつ剣が押し込まれている。このままではまずいと感じたジークフリートは、裂ぱくの気合で僅かに剣を押し返すと、ランスロットの胴に蹴りを打ち込んで距離を取ろうとした。

すると、ランスロットは聞き取ることもできない奇声を発しながら地面を蹴り込み、逃げるジークフリートを追撃する。

一撃目が空振り、二撃目が掠り、三撃目で切っ先が捉える。何度目かの攻撃で刀身が限界を迎えるが、即座に落ちている武器を拾い上げてくるため攻撃が止むことはない。

後退しようと、横に躱そうと、息を潜めようとも無駄だった。何をしてもランスロットはこちらの居場所を見つけ出すうえ、攻撃も段々と正確さを帯びていった。

 

(見えてはいないはずだ……だが、動きを読まれている!?)

 

不正働きの霧衣(タルンカッペ)』は姿だけでなく魔力や体温といったあらゆる気配を遮断する。だが、隠せるのは外套の内側にあるものだけだ。

例えば足音だとか僅かな空気の流れでこちらの位置を感じ取っているとしたら?

砂埃や煙の動きでこちらの動きを察知しているとしたら?

並の戦士ができる芸当ではない。それこそ、一つの時代において無双を誇るまでの武芸に到達した達人でなければ不可能だ。

その不可能が、理不尽の権化ともいえる凄腕が目の前にいる。

剥き出しの感情をぶつけ、執拗に追いかけ回してくる。

この時、ジークフリートはこの時代で初めて畏怖を覚えた。

それは彼の中で僅かに感情が動き出した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

一方、別の戦場ではカーミラとエリザベートが互いの得物を振るっていた。

先ほどまで好き放題に暴れていたエリザベートの宝具は既に機能を停止しており、戦場は再び魔獣の嘶きと兵士の怒号で満ちていた。

 

「よくもやってくれたわね!」

 

「あら、私がこっそりと近づいていたことに気づけなかったのはそちらの落ち度でしょう。ステージの変化にも気を向けておくのがプロのアイドルではなくて?」

 

「アイアンメイデンを投げつけるなんて、意外過ぎるわよ!」

 

ヒステリックに喚きながら、エリザベートは手にした槍を振るう。

背後では力を失った監獄城が遂に消失し、巨大な鉄塊が地面に落ちて地響きを起こす。

それはエリザベートの宝具を止めるためにカーミラが投げつけたアイアンメイデンであった。

強烈なジャイロ効果を伴って飛来した拷問器具は、エリザベートの歌を増幅している監獄城のアンプを直撃し、その機能を完全に破壊したのである。

それによって宝具の効果が減衰し、オルガマリー達はランスロットの救援に走ることができたのだ。

 

「本当に鬱陶しい()ね! いいわ、どうせジークフリートには敵わないのだから、あんたは私が相手をしてあげる!」

 

「それはこちらの台詞よ、()。来なさいな、実力(芸歴)の違いというものを教えてあげる!」

 

カーミラの挑発に対して、エリザベートは無言の激昂を示す。

尾で地面を叩いて跳躍し、大上段からの刺突。竜の筋力と乙女の体重による乗算は肉など裂けて分かれるほどの威力を誇る。

しかし、カーミラの言葉に嘘偽りはなかった。手にした杖をまるで槍のように持ち直すと、落下してくる槍の支点を見抜いて真横から殴打。

哀れ、エリザベートは落下の勢いのまま固い地面に激突し、砂埃が宙を舞う。

 

「こ、このっ!」

 

起き抜けに放たれる連撃。突いて、薙いで、叩き、自らの未来の姿へとエリザベートは果敢に攻める。その全てをカーミラは捌いて見せた。

同じ構え、同じ得物、しかし遥かに上回る技術で以て少女を羽虫のように叩き落す。

そのやり方が更に少女の怒りを買った。

未来の自分、覆しようのない事実、何れは至る結末。そして、認めたくはない罪の結晶。

それが自分と同じ戦い方をしている事に腹が立つ。

 

「ふざけないで! 何なのよそれは! どうして、私の真似なんか!」

 

「そりゃ、私はあなた()なのだから、(マイク)の扱いくらい嗜んでいるわ」

 

「そうじゃない! あんたはそうじゃない! それは()のものよ!」

 

「いいえ、あなたは私。あなたのものは私のもの。私の罪はあなたのもの。分かっているはずでしょう、何をしようとも自分の罪からは逃げられないと」

 

カーミラの冷たい言葉の一つ一つがエリザベートの心を攻め立てる。ギリギリと歯を食いしばり、槍を握る手に力がこもる。未来の自分を打倒せんと力めば力むほど動きは直情的になり、その度にカーミラは苛烈な一撃を以てかつての自分を地に叩きつけた。

それはあまりにも無様で惨めな光景。戦場の只中で繰り広げられる、一人の少女の拷問劇であった。

 

「何よ……何よ何よ! 今更何よ! 他ならぬあんた()がそれを言うの! 私のしたことを、あんたが責めるの!」

 

「あなたは自分の罪から逃げているだけよ。けれど、それは罰からも目を背けるということ。それではあなたは救われない。罪を認めない限り罰せられず、永遠に罪科で苦しむ羽目になるわ」

 

拷問で数多くの少女を屠り、その血を己の美貌のために搾取した。貴族の娘として、領主の妻として、ただ美しくあることに自身の価値を見出した。

自分には他に何もなく、美しくなければ誰も振り向かず声も聞いてもらえない。少女の血で体を洗えば失われた美が戻ってくる。もっと血を、もっと血を。

彼女はそれを悪と思わぬまま成し続け、弾劾を受けた後も認めようとはしなかった。

裁かれたのなら、自分は悪いことをしたのだろう。

罰せられたのなら、自分は悪事を為したのだろう。

けれど、自分の何が悪かったのか。

自分はただ美しくあり続けたかっただけなのに、そのために領民を殺した事の何がいけないことだったのだろう?

理解できぬまま彼女はその生涯を終え、英霊として座に召し上げられた。未だ、罪悪感を抱えながらも、罪を罪と認識できないままに。

 

「うるさい、うるさい! お父さまは何も言わなかった……! お母さまは初めからいなかった……! じいやも執事も、誰も彼も、私に教えてくれなかった! それが悪い事だったなんて、誰も、私に教えてくれなかったくせにぃぃぃ!」

 

激昂と共に尻尾を振るう。だが、それはフェイント。股座から投げつけた槍が、尾の一撃を躱したカーミラの顔面に迫る。咄嗟に首を捻ることで直撃は免れたが、槍が掠めたことでつけていた仮面が弾けて色白な素顔が露になった。

 

「もらったわ、『竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)』!」

 

振り返り様に、エリザベートは宝具を解放する。監獄城を使用しない己の喉のみを使用した竜の吐息。

効果範囲こそ狭まるが、音響機材を通さない分、音の通りはこちらの方が優れている。即ち、単体への破壊力という一点に関しては勝っているのだ。

例え相手が未来の自分であろうと、至近距離からの超音速のソニックブレスをぶつけられてはひとたまりもないだろう。

そう安堵しかけた瞬間、エリザベートは土煙の向こうに見える違和感に気が付いた。

宝具の直撃を受け、微動だにしないシルエット。その形がカーミラのものとは明らかに違う。

躱す暇などなかったはずだ。

周りに盾になるようなものもなかったはずだ。

ならば、カーミラはいったいどこに?

その答えは、すぐに土煙の向こうから現れた。

 

「そ、そんな……あんた、自分で……」

 

「私自身の手であなた()を止める。そう覚悟しなければこの選択は取れなかった。私自身を串刺しにするというこの道を選べなかった」

 

土煙の向こうから現れたのは、カーミラの宝具である『幻想の鉄処女(ファントム・メイデン)』。鉄の処女と呼ばれるこの拷問器具は、生前のエリザベートが愛用していたものであるといわれている。

無論、それは幻想。実際にはこのような器具は存在しなかったのだが、実存が不確かでも生前の逸話と結びついたことでアイアンメイデンは血の伯爵夫人の武器となり、宝具となった。

そして、ゆっくりと開いた鉄の処女の中から現れたのは、全身の至る所を串刺しにされ夥しい血を流しているカーミラその人であった。

 

「この宝具は存在不確かな幻想そのもの。ないはずのものを人はあったと言い、確かにここにあるものを人は実在しなかったと言う。その矛盾を持つアイアンメイデンならばあなたの歌から身を守れる……」

 

「正気なの!? 痛みを与える側であるあなたが自分自身を拷問にかけるなんて!」

 

竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)』から身を守れるかもしれないが、串刺しによる出血死は免れない。カーミラの今の状態は、単に即死を免れただけという悲惨なものであった。

全身を蝕む苦痛、血と共に体温が失われ、誇っていた美貌は見る影もない。

だが、苦し気に立つ未来の自分の姿にエリザベートは気圧されていた。

敵わないと、体よりも先に心が折れていた。

その一瞬の隙を突き、カーミラは手にした杖の先端をエリザベートへと突き刺した。

吸い込まれるように肉を抉じ開けていく鉄の棒は、まるで吸血鬼を罰する杭のようであった。

 

「がっ……はっ……」

 

「あなたの血は貰わない。それがケジメよ。月の裏側からでもやり直してきなさい」

 

憐憫の眼差しを携えながら、カーミラは手首を捻って最後の一押しを行う。

肉を抉られ、完全に霊核を砕かれたエリザベートの体は、急速に形を失い霧散していった。

 

「……あん……たは……」

 

「遠い遠いいつか、どこかの時代で……あなたは求められる。その時までには、少しは自分の罪を認められるようになりなさいよ、エリザベート()

 

「……そう……けど、これで終わったと思わないことね、カーミラ()。この私は……まだ、しつ……こ……」

 

そこで言葉が途切れ、エリザベートはこの時代から完全に消失する。

同時に力を使い果たしたカーミラは膝を折るが、倒れ込む前にヴラド三世が駆け付けたことで彼の腕の中に倒れ込んだ。

 

「まったく、無茶をしたものだ」

 

幻想の鉄処女(ファントム・メイデン)』で自らの身を守る。成功するかどうかも分からない一か八かの賭けであった。

宝具の強度事態は、監獄城を破壊した時点で証明できていたが、串刺しの痛みと恐怖ばかりはどうにもならない。最悪、自らの手で命を失う可能性もあったのだ。

 

「それでもね……自分からは逃げない……不始末は、自分でつけるって……決めたから……」

 

「そうか。なら、もう休むがいい」

 

「ええ、そうさせてもらうわ、優しいおじ様…………それと……」

 

苦し気に吐息を漏らしながら、カーミラは東の空を見やる。その視線の先に何があるのかを知る者は、彼女以外には誰もいなかった。

 

「後は……達に……たの……」

 

そこで力尽き、カーミラもエリザベートの後を追うように消滅した。

 

 

 

 

 

 

戦況は僅かに好転するも、それは局所的でしかない。

ジークフリートとエリザベートによってもたらされた被害は甚大で、魔獣は無尽蔵ともいえる数で休むことなく押し寄せてくる。

カーミラの最期を看取ったヴラド三世はすぐさま指揮に戻ったものの、この圧倒的な数の暴力を前にしてフランス軍は最早、風前の灯であった。

 

「ヴラド殿!」

 

駆け付けたジル元帥――生前のジル・ド・レェからの報告は、更に表情を曇らせるものであった。

既に各大隊は三割以上の損失を受け、錯乱した兵による同士討ちや戦線を離脱しようとする部隊まで出ているらしい。

こうなってしまえば最早、戦闘の続行は不可能であった。

苦渋の決断を下し、ヴラド三世は各隊に撤退を命じる。明日に繋がらない地獄へ兵士達を追い込む訳にはいかないからだ。

だが、激しい混戦による指揮系統の混乱は既に取り返しがつかないところにまで来ていた。

ヴラド三世が指示を飛ばそうとも、各部隊はてんでバラバラに動くばかりでまとまりがない。

指示を無視して魔獣達に突撃する者や、友軍から孤立してしまい敵に囲まれる部隊もあった。

 

「ヴラド殿、このままでは全滅です!」

 

「所詮は異国の将……我が身ではここまでなのか」

 

ここは異国の地。故郷ならばいざ知らず、ドラクルの名も知らぬ者達がよくぞここまで付き従ってくれたものである。

それだけ故国への思いが強いということではあるが、それでも異国の将では彼らを御し切るだけの器とは足りえない。

時間をかければまた別の話ではあるが、此度はその余裕すらなかったのだ。ヴラド三世に出来たことは兵を選りすぐり、この日に備えて手綱を握り続けたことだけ。自分では彼らの心の拠り所にはなれないのだ。

彼らを導けるだけの圧倒的なカリスマがいればまた別の話なのだが、今はそれを望むこともできない。ここにはオルレアンの乙女はいないのである。

 

「私が殿を務める。元帥、貴公は可能な限り兵を纏めて離脱するのだ!」

 

「はっ、この命に代えても!」

 

「――いえ、その必要はありません!」

 

突如として、第三者の声が戦場に響き渡る。

凛とした透き通るような声音。可愛らしくもありながら、その声には確かな強かさが込められている。

その声を耳にしたジル元帥はハッと顔を上げ、ヴラド三世は戦場に起きた異変に気が付いて驚愕した。

 

「これは……魔獣達が同士討ちを……」

 

雄叫びを上げて飛来したワイバーンの群れが、突如として眼下のキマイラに飛びかかったのである。

向こうでは巻き上げられた突風が小鬼と獣人の小隊を吹き飛ばし、頭上からは食い破られたバイコーンの頭部が落ちてくる。

鮮血が迸り、悲鳴が木霊する阿鼻叫喚。だが、そこで描かれているのは魔獣達による血の饗宴。中には明確にフランス軍を守るかのように飛び回る飛竜の姿すらあった。

そう、飛竜だ。空を埋め尽くすワイバーンの群れがこちらに加勢するかのように他の魔獣を攻撃しているのだ。

 

「まさか……」

 

この異変の元凶がなんであるか、何がここで起きようとしているのか。それに気が付いたヴラド三世は、ジル元帥が見つめる方角へと目を向けた。

そこにはどうだろう。黒衣に身を包み、傷だらけになりながらも立つ少女の姿があった。

元は白い筈の肌は泥と血で汚れ、双眸は爛々と輝きを放ち、触れればこちらが裂けてしまいかねないほどの危険な気配を身に纏っている。

血に飢えた野獣のような凄味すらあった。

 

「失礼。お借りしますよ、元帥殿」

 

いつの間に近づいてきたのか、サーヴァントのジル・ド・レェがジル元帥の手からを軍旗を奪い取る。

 

「貴公は……」

 

「今はまだ……いずれ、お会いするでしょう」

 

戸惑うジル元帥に笑みを返すと、ジル・ド・レェはヨタヨタと旗を振り回しながら丘を駆け上る。そして、恭しく臣下の礼を取ると、持参した旗を少女へと手渡した。

少女は一度だけ躊躇するように自身の手を見つめるが、すぐに意を決して旗に手を伸ばす。震えるその手に力を込めて、柄尻を地に突き刺し、吹きすさぶ風に旗を靡かせながら、この戦場の端々にまで届くようあらん限りの声を張り上げた。

 

「聞け! この戦場に集いし、一騎当千! 万夫不当の兵士(英霊)達よ! 我が名はジャンヌ・ダルク! 復讐のために、我が故国を荒らす賊を滅ぼすために、再びこの地に戻ってきた!」

 

風向きが変わる。

たなびく旗はまるで存在を誇示するかのように広がり、戦場の怒号をかき消して少女の声が満ちていく。

誰かが口にした。

その姿を垣間見た。

その事実が端々へと伝播した。

オルレアンの乙女が、処刑されたはずの聖女がこの地に舞い戻ったと。

命を投げ出そうとした者が思い止まった。

仲間を見捨てて逃げようとした者が足を止めた。

故国を取り戻す為に馳せ参じ、絶望に打ちひしがれていた全ての者達が彼女の帰還を知った。

 

「私は主に見放された! 魔女の烙印を押され処刑された! お前達の中には私を魔女だと罵る者がいるだろう、蔑む者がいるだろう! その通りだ! 私はお前達を騙し、唆し、戦場へ送り出した! 私はお前達が言うように魔女なのだろう! それで構わない! お前達が向ける憎悪に焼かれて私は死んだ! お前達を憎んで私は死んだ! 私に向けられた思いも私が抱いた思いも正当なものであるはずだ! お前達はどうだ!? 奴らに国を奪われ、荒らされ、憎くはないのか!? 愛する者を殺され、愛する故郷を焼かれ、遍く幸福を奪われた! その絶望を味わいながらもここに立つのはどうしてだ!? 憎いからだろう、憎悪をしたからだろう! ならばその怒りは正当だ! その報復は正当だ! 奴らはお前達から土地を奪った、愛する者を奪った! ならば取り戻せ! 立ち上がれ! お前達には復讐の権利がある! 何もかも奪い取られてこのまま死ぬか!? 違うだろう! お前達は戦って取り戻す! そのために立ち上がるというのなら、私はお前達と共に燃え上がろう! 復讐の炎となって、我が軍門に下りし飛竜と共に戦場を駆けよう! 聞け! 英霊達よ! 我が魂の兄弟よ! パリは燃えているか! お前達の報復で、奴らの棲み処を焼き払え!」

 

その言葉に呼応するように、ワイバーン達が咆哮する。

ここに来て兵士達は理解した。今、ワイバーンが自分達を守るように戦っているのは、彼女が起こした奇跡に他ならないことを。

それでもまだ戸惑う兵士達ではあったが、最後を締めくくったジル・ド・レェの言葉が決定的な一押しとなった。

 

「諸君! 我らは神に見放されたのかもしれない! ここはこの世の地獄なのかもしれない! だが、案ずるな……ジャンヌ・ダルクは我らと共にある!」

 

それはまるで、燃え広がるかのようであった。

誰もが抱いていた絶望と諦観。それを吹き飛ばして余りある勢いで拡散する狂気。そう、狂気の伝播だ。

 

「そうだ、聖女と共に!」

 

「我らの国を取り戻す!」

 

「報復を! 故国を荒らす獣達に報復を!」

 

「全軍に通達! ワイバーンは敵に非ず! ワイバーンは敵に非ず!」

 

逃げ出そうとしていた者も、自決しようとしていた者も、皆がそれを諦めて一つの方向へと向き始める。

パリへ、パリへ。

奪われたものを取り返す。

受けた痛みに報復する。

瓦解寸前であったフランス軍は、たった一人の少女の登壇によって一気にまとまりを帯びたのである。

それを後押しするのは、黒い聖女に従わせられた飛竜とジル・ド・レェが呼び出した海魔の群れだ。

牙持つ翼と触腕が、鬼気迫る兵士達と共に行軍し、無数の大砲が敵陣を吹き飛ばす。先ほどまでの劣勢が嘘のように、フランス軍は宣戦を北へ北へと押し返し始めていた。

 

「ご無事で喜ばしい限りです、ジャンヌ」

 

帰還した黒衣の聖女――ジャンヌ・ダルク・オルタの姿を目にしてジル・ド・レェは感慨深く微笑んだ。その目には涙すら浮かべている。

 

「ジル、無駄話は後よ。私は……」

 

素っ気ない言葉を口にした直後、ジャンヌ・オルタは苦痛で顔を歪ませた。見ると鎧の隙間から血が流れており、その向こうには抉られたかのような大きな傷跡が見え隠れしていた。

すぐにジル・ド・レェは、マリー・アントワネットによって聖杯を奪われた際につけられた傷なのだと察した。

ジャンヌ・オルタは人類史に存在しない英霊だ。本来であれば要である聖杯を奪われた直後に消滅していてもおかしくないのだ。それでも彼女はここに馳せ参じた。自らを傷つけ踏みにじった相手への憎悪が彼女の消滅をギリギリで食い止めているのである。そして、ここに至るまでにどれだけの苦渋を舐めたのか、察するに余りある。

 

「ヴラド三世!」

 

「ああ! カルデアにも伝えよう! お前達はパリへと飛べ! ここは余と仏竜同盟軍に任せておくがいい! 兵士達の命は、余が責任を持つ!」

 

ワイバーンの一頭が舞い降り、ジャンヌ・オルタとジル・ド・レェを背中に乗せる。

向こうでは同じようにカルデアの面々を乗せて飛び立つ飛竜の姿があった。

戦場の只中では湖の騎士と竜殺しが切り合いを演じ、そそり立つ無数の杭が魔獣達を串刺しにする。

この世に描かれた地獄絵図。だが、それは正統なる憎悪によって生まれた報復。人は大義のためにどこまでも醜い獣に成り下がる。

そして、フランス特異点での戦いはいよいよを以て終盤に突入しつつあった。




エリザベート・ランス「いくら未来の私といえど、この至近距離からの『竜鳴雷声(ボルテッカ)』を受ければひとたまりも……なにぃっ!?」

書いていてエリちゃんも彼も槍だということに気が付きました。
これでフランスは後2話くらいで完結できるはず。
改めて絵をイメージすると、飛竜と海魔を従えて行軍するフランス軍。地獄だね。
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