Fate/Start Over 星譚運命再度カルデアス   作:ていえむ

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第6話 第一特異点 讐怨■■宮殿■■■■■

すえた匂いが鼻につく。

脂ぎったものが焼ける匂いと、飛び散った贓物の腐臭だ。

それはほんの今しがたまで行われていた惨劇の残り香だ。

憎き者を殺し、そうでない者も屠り、全てを血と灰で覆いつくさんとした一人の復讐者。

形のない憎悪に駆られ、継ぎ接ぎだらけの恩讐に焦がれながらも成した細やかな報復であった。

その怨嗟がたった今、この手の中で儚くも潰えようとしている。

 

「ごめんなさい、わざとではないの」

 

顔にかかった返り血を自らの手で拭いながら、少女は身を捩る復讐者に告げた。

ガラスの鈴のようによく通る声であったが、どこか空々しく冷たい響きがあった。

復讐者は動かない。怨嗟に焦がれていたはずの顔は、今は見る影もなく弱っており、こちらを睨み返すので精一杯だ。

苦痛で言い返すことができないのかもしれない。何しろ、この手で喉を引き裂いたばかりなのだから。

人の肉というものは意外と固いもので、整えていた爪の何本かがひび割れてしまった。

 

「ええ、本当にわざとではないの。だって、即死させるつもりだったもの」

 

本当に、心の底から申し訳がないという気持ちを込めて謝罪する。

声なき罵倒が聞こえた気がした。

痛みに喘ぎ、苦しみにのたうちながら、あらん限りの意思を総動員して憎しみをぶつけんとする様は何と無様であろうか。

ああ、本当に申し訳がない。

この人にこんなみっともない姿を晒させてしまって、本当に申し訳ない。

そう心の中で謝罪しながら、血で染まった黒衣の胸元をそっと押し出す。

すると、バランスが崩れた体が音もなくバルコニーから落下した。

凍り付いた表情は様々な感情を物語っている。

自分を殺そうとした相手への恨み、死を目前とした恐怖、全てを受け入れた諦観。

それらがない交ぜになった表情の何と甘美なことか。

惜しむらくはそれが一瞬の儚い芸術であることであろうか。

ここが何階だったかは覚えていないが、あんな状態では例え即死は免れたとしてもすぐに息絶えるであろう。

 

「さようなら」

 

どこか空虚な別れを告げ、少女は振り返る。

そこにもやはり、憎悪に彩られた顔があった。

傷つき、苦し気に息を漏らしながら、必死でこちらを睨み返す。

ぎらついた双眸から伝わってくるのは焼き焦がされるかのような憎しみだ。

 

「おのれ……魔女め……」

 

「ええ、それで結構。この身を焦がす激情を解き放てるのなら、甘んじてその名を受け入れましょう」

 

「何れ報いを受けることになるぞ」

 

「どの口がそれを言いますか。最初に始めたのはそちらでしょうに」

 

未だ鮮血が滴る右手を掲げながら、少女は苛立ちを口にする。

これ以上の問答を交わす義理もない。これから忙しくなるのだから、このような些末な事にいつまでも時間をかけている訳にはいかないのだ。

そう思い、躊躇なく脳天へと手を振り下ろそうとした刹那、男は最後の力を振り絞ったのか、まるで跳ねるようにその場を飛び退いた。

右手が大きく空振りし、少女はバランスを崩す。その隙に男は脇目も振らず、一目散に駆け出した。

怨嗟に奥歯を噛み締め、目を血走らせながら、脱兎の如く広間を飛び出す。

こちらが気づいた時には、窓を突き破って城の外へと飛び出した後であった。

 

「良いのかい?」

 

いつからそこにいたのか、仮面を被った男がバルコニーに腰かけていた。

一仕事終えた後なのか、頬を汗が伝っているのが分かる。

少女は手短に労いを告げると、男の問いかけに対する答えを口にする。

 

「彼はいずれ、戻ってくるでしょう」

 

あの男はそういう輩だ。

内なる感情を決して無視できない。例えそれが自らの信じる神に背くものであったとしても。

 

「ああ……ああ、ありがとう……ございます……」

 

耳障りな声が足下から聞こえてきた。

見ると、丸々と肥え太った男が床の上にうずくまっている。

確か、逃げた男達に捕まえられて連れて来られた内の一人だ。

身なりからして教会の関係者だろうか。大方、後で拷問にでもかけるつもりだったのだろう。

 

「ありがとうございます。あの魔女から、助けてくれて」

 

「ええ、気にしないで……ええっと、あなたは…………」

 

「はい、私はピエ――――」

 

男の言葉はそこで途切れた。

どくどくと脈打つ臓物が、背中を突き破って飛び出したからだ。

 

「ごめんなさい、そこにいられるとお邪魔なの」

 

少女は手にした男の心臓を、細い指先に似合わぬ握力で握り潰しながら耳元で囁いた。だが、汚い男の息遣いを頬に受けてすぐに顔を顰める。

殺す為には仕方がないとはいえ、少し近づき過ぎてしまった。次からはもっと手軽に殺せる方法を考えた方が良いだろう。

 

「あら、爪がまた割れてしまったわ」

 

後で手入れをしなければと、赤く染まった指先を眺めながら少女は一人呟いた。

 

「ねえ、そちらの首尾はどう?」

 

「ついさっき、終わったところさ。慣れないことはするものじゃないね。疲れたよ」

 

その言葉を合図に、男の左右に数人の男女が姿を現した。

武器を携えている者や、一見すると戦士には見えない装いの者もいるが、彼ら彼女らは人類史に名を刻まれた英霊達だ。

ただ、此度の召喚は通常のそれとは違って全員に狂化の術式が込められている。そのため、どのサーヴァント達も程度の差はあれど目にぎらついた光を携えている。

そんな状態で先ほどからずっと息を殺して待機していたのであろう。些細なきっかけがあれば今にも暴れ出してしまいそうな者もいた。

 

「マスター権限は君に移譲しよう。雇うよりも雇われる方が性に合っている」

 

「ありがとう。魔獣達の方は?」

 

「そっちも概ね飼い慣らせたよ。ただ、邪竜(ファヴニール)だけはダメだった。幻想種っていうのは気位が高くて困るね。だから、始末したよ」

 

邪竜(ファヴニール)。北欧の英雄ジークフリート、或いはその起源を同一とするシグルドによって倒されたという幻想種。

強大な力を持つドラゴンは、手懐けられれば大きな戦力となったであろうに、本当に残念だ。

 

「なに、代わりがいたからね」

 

「ええ、その通り。あなた達ならば邪竜(ファヴニール)に匹敵する災厄となれるでしょう。だから、その手でこの国を蹂躙なさい。愛しきフランスを、そこに住まう人々を、老若男女の区別なく、貴賤に一切の区別なく、あらゆる者を平等に殺しなさい。それがマスターとしてあなた達に送る唯一の命令です」

 

サーヴァント達の反応はまちまちだった。

無言で頷く者、血気に逸る者、不服そうに顔を歪める者、実に様々だ。

だが、全員がその命令に逆らうことができない。

聖者であろうと英雄であろうと、壊れた魂では正常な活動など不可能であろう。

 

「この国は素晴らしいわ、愛おしいわ。けれど…………それでも許すことはできないの。善人であれ悪人であれ、この国に連なるというのならそれは有罪です。故に全て殺しなさい。ただの一人も逃がすことは許しません。この国が二度と立ち上がれぬよう徹底的に殺し尽くすのです」

 

「君がそう願うのなら、その通りに」

 

仮面の男が恭しく頭を垂れると、控えていたサーヴァント達がそれに倣う。

少女は虚ろな瞳でぐるりと一同を見渡すと、バルコニーへと出向いて遠く広がるフランスの地へと思いを馳せた。

これからこの国は地獄へと変わる。自分のこの手で、愛するフランスを蹂躙するのだ。

その心には、一切の呵責はなかった。

 

 

 

 

 

 

今、フランスは一つの激動を終えようとしていた。

フランス王家の王位継承権を巡る争い。後に百年戦争と呼ばれる争いである。

1340年以後、休戦を挟みつつも断続的に続けられたこの争いは、救国の聖女たるジャンヌ・ダルクの登場によって一つの大きなうねりとなった。

何の所縁もない、ただの村娘が軍を率いて一つの街を解放した。人々は大いに賑わい、フランス軍はそのまま勢いでイングランド勢力を撃退してシャルル七世の戴冠を成し遂げた。

フランスにとって全てが追い風となっていった大きなうねり。しかし、それもほんの数ヵ月前までのこと。今やフランス軍――否、フランス全土にはかつての栄光は見る影もない。

何故なら、解放の象徴たるジャンヌ・ダルクは反国王派の手でイギリス軍に売り渡され、宗教裁判による異端の烙印を押された後に処刑されたからだ。

百年戦争の休戦期、神のお告げを受けた少女は異端の魔女として裁かれた。

同時にとある異変がフランスの各地で起き始めていた。

寓話に出てくるような異形の獣を従えた亡霊が各地に出没し、手当たり次第に人々を手にかけ始めたのだ。

ある者は悪魔の如き哄笑と共に鮮血をまき散らし、ある者は街ごと人々を焼き払い、ある者はただ黙々と目につく人間を狩っていく。形に違いはあれど引き連れている大多数の獣よりも彼らが起こした殺戮の方が遥かに多く、瞬く間の内に国土は蹂躙されていった。

フランスは今、少しずつ滅亡へと近づいている。時に1431年。ジャンヌ・ダルクの処刑から実に数日後のことであった。

 

 

 

 

 

 

「ああ、小鳥は囀る。その美しい舌で何を語り何を騙る。爽やかな朝の息吹か、涼やかな風の手触りか。ああ、お前はただ囀るだけ。私に言葉は届かない」

 

崩れかけた廃屋の一室で、仮面を被った青年が踊るように手を振りながら歌っていた。

まるで観劇の舞台に立つ役者のような装い。紡がれる声音は美しく聞く者を魅了させる。

一方でその手は禍々しくも鋭い異形のカギ爪であり、触れれば人の肉など柘榴のように裂けてしまうだろう。

だが、そんな恐ろしい青年の爪を見て恐怖に竦む者はここにはいない。

彼が歌い踊っているのは、たった一人を除いて住民が全ていなくなってしまった廃村だからだ。

青年の名はファントム・ジ・オペラ。聖杯の縁によってこのフランスの地に召喚された、マスターを持たないはぐれサーヴァントだった。

 

「クリスティーヌ。おお、クリスティーヌ、出ておいで。愛しき声を聞かせておくれ。優しき笑顔を見せておくれ。クリスティーヌ、愛しき人よ」

 

壊れたオルゴールのように、繰り返し韻を踏みながらファントムはステップを踏む。

それは姿のないパートナーと踊るダンスのようで、美しくはあるはどこか痛々しい。

誰かに見咎められれば間違いなく騒ぎになるであろう不審な素振りだ。

もっとも、ファントムにはそれを気にするような理性は残されていない。

彼は『オペラ座の怪人』と呼ばれる小説のモデルとなった人物。愛する歌姫のために殺人を犯した醜き怪人としての殻を纏った彼は重度の精神汚染を受けており、言動の端々が狂っている。

彼にとって現実は舞台であり、大衆は観客であり、世界は歌劇に他ならない。

例えこの街に動く者がおらずとも、世界が滅びに向かいつつも、彼は孤独に歌い続けるだけなのだ。

そんな狂える怪人にとって唯一の安らぎは、この村にたった一人だけ残っていた観客のために歌うことだった。

 

「おじさん?」

 

ごそごそと、物陰から一人の少女が姿を現した。

みすぼらしい身なりに手入れもなにもされていない髪、そばかすだらけの汚れた顔。靴は片方だけなくしており、開いた口からはすきっ歯が見え隠れしている。どう見ても浮浪者でありお世辞にも美しいとは言えない少女だ。

だが、彼女の小さな唇が震えると、埃塗れでネズミが走り回る廃屋に美しい薔薇が咲くのだ。花々は息を吹き返し、野原には爽やかな息吹が走る。ちゃんとした教育を受ければ聞く者を虜にし、大舞台にも立てるであろう歌声となるであろう。

それは天が彼女に与えた唯一無二の才能であった。

 

「おお、クリスティーヌ、クリスティーヌ。愛しき人よ、未来の歌姫よ。君の声を聞かせておくれ、微睡む君を起こした私を罰しておくれ」

 

「おはよう、おじさん」

 

「おはよう……ああ、何と爽やかな朝なのか。君を包むこの陽の光すら憎らしい。その微笑みはまるで陽だまり……我が愛、我が全て……変わりなく、そこにいることこそ……我が喜び……」

 

「うん、よく分からないけれど、おじさんも元気そうだね」

 

要領を得ないファントムの歌に対して、少女は首を傾げながらも屈託なく笑う。

二人にとって幸運だったのは、少女の目から光が失われていたことだった。

生まれつきなのか、それとも何かしらの病気によるものなのか、少女は目が見えないのだ。

なので、ファントムの容貌を目にすることはなく、彼を恐れることもない。

もしも、彼女の目が見えていれば、きっとファントムを見て悲鳴を上げていただろう。そうなっていれば、その後にどのような惨劇の幕が上がるかは語るまでもない。

 

「クリスティーヌ、朝の恵みは瑞々しい果実か芳醇な森の実か。君の指先に示された運命に私は踊ろう。狂えるように、惑うように、滑稽な姿のまま駆け回ろう」

 

「うーん、じゃあ果物がいい」

 

「仰せのままに。ああ、その指に摘ままれる滴りが憎らしい」

 

ファントムが差し出した果実を手に取り、少女は小さな口を開けて齧り付く。歯を突き立てられた瞬間、すきっ歯から果汁が飛び出して少女の頬や衣服を汚すが、目の見えない彼女は気にすることなく朝の食事を堪能する。

こうしてファントムが日々の糧を届けるようになって、既に数日が経過していた。

この地に呼び出されたファントムは、聖杯から与えられた知識によって人理の危機を察しはしたが、精神汚染の影響もあってマスターがいない状態ではまともな活動は困難であった。

そうして、途方に暮れつつも何かに導かれるようにこの廃村へと立ち寄ったファントムが出会ったのが、誰もいない村で衰弱しかけていた少女であったのだ。

何故、そのようなことになっていたのかをファントムは知らない。魔獣達に襲われたのかほとんどの家屋は無残にも壊されてしまっていたが、死体の数は少なく埋葬された跡があった。

フランスに起きた人理の異常によって村人達が自主的に立ち去る中、盲目故に一人だけ残されてしまったのかもしれない。ただ、深く追求しようという考え自体がファントムの中にはなかった。

何れにしてもファントムが手を差し伸べなければ少女の運命はそこで潰えていただろう。彼の介抱を受けたことで少女は持ち直し、何とか歩ける程度には回復したのだ。

 

「おじさん、何度も言うけれど、あたしはクリスティーヌじゃないよ」

 

「いいや、君は私の愛しき人。その歌声は天上の調べ、我が心を波打つそよ風。歌っておくれ、紡いでおくれ。クリスティーヌ、クリスティーヌ」

 

「もう、変なおじさん」

 

そう言いつつも少女はファントムを邪険にしようとはしない。時々、ファントムが彼女に無理を言って歌を歌わせようとするのだが、それも快く引き受けてくれた。

それが本心からの好意なのか、生きるための打算なのか、考えるだけの理性をファントムは持ち合わせていなかった。

ただ、こうして少女と戯れながら、才能ある彼女の歌声を育む日々がいつまでも続いて欲しいとは願っていた。

 

「ねえ、村の外れの方にお花畑があるんだけど、行っちゃダメかな? 良い香りのする花がたくさん咲いているんだよ」

 

「それはできない」

 

「どうして?」

 

「外は危険だ。奴らの牙を君の体を貫き、無残にも引き裂くだろう。我が爪のように臓腑を抉り、滴る血で喉を潤すだろう」

 

「難しくてよく分からない」

 

「分からなくていい。君は何も知らなくていい……ここにいておくれ……クリスティーヌ、我が愛。君を侵す全てから私は守ろう。君を害する全てを私は屠ろう。クリスティーヌ、クリスティーヌ、歌っておくれ。私はそれだけを望む。それだけを」

 

「おじさん…………うん、分かった」

 

恐らくは、彼の言葉の意味を何一つとして理解していないであろう少女の微笑みがファントムの胸を打つ。

それは無数の針で鼓動を打つかのような痛みと共に、血流となって全身を駆け巡る。

守らなければならない。

人理も、この国も、何もかもがファントムにとっては些末な事。例え世界が終ろうとも、この歌声だけは枯らしてはならないと心に誓う。

 

「次に来る時は、花を摘んで来よう」

 

「本当?」

 

「影のように身を潜め、風に舞う羽根のように静かでいるのなら」

 

「良い子にしていればいいの?」

 

少女の問いかけに、ファントムは無言で頷いた。

 

「なら、頭も撫でてくれる?」

 

「それは……すまない、私の爪は君の柔肌を傷つけるだろう。赤い虹が弧を描き、消えることなき痕を刻むだろう。許して欲しい。私には君に触れる資格はない。その声だけでいい。歌声だけが私の報酬……願い、全て……クリスティーヌ」

 

「おじさん? お声が遠いよ……どこにいるの?」

 

少女の言葉で我に返り、ファントムは知らず知らずの内に彼女から距離を取っていたことに気づく。

少女はこちらを探そうとまだ覚束ない足取りで立ち上がるが、数歩も進まない内に足を縺れさせてバランスを崩す。

慌ててファントムは手を差し伸べようとしたが、すぐに自らの手が鋭いカギ爪であることを思い出して引っ込めた。

直後、少女の矮躯が小さな音を立てて床に倒れ込む。

彼女は泣かなかった。

痛みを堪え、涙目になりながらも声を呑み込んだ。

こちらに心配をかけさせまいとしているかのように、頬を引きつらせながら笑みを浮かべる。

 

「……へいき、へっちゃら」

 

震える少女の肩を抱きしめたいと、ファントムは心の底から願った。

その叶わぬ願いが通ずるのなら、我が身が永遠に地獄で苛まれようとも構わないとも思った。

この身の狂気が憎らしかった。

生前の罪故の怪物。愛に狂ったからこそ今の自分があるというのに、それ故に愛する者を慰めてやることすらできない。

 

「クリスティーヌ、私は…………」

 

その時、彼方から獰猛な唸り声が聞こえてきた。

腹の底から響くような地響きと、墓場の鴉の鳴き声の方がまだ耳に心地よく聞こえるほどの不協和音。

魔獣の群れがこの村に迫ってきている。

事態を察した少女の顔が青ざめ、慌てて床を這って寝所代わりのカーテンにくるまった。

光の消えた瞳は不安そうに守り人を探しており、美しくもか細い声が助けを求めて言葉を紡ぐ。

 

「おじさん」

 

「ここにいるんだ、クリスティーヌ」

 

歌う事を止めた怪人は、マントを翻して風となった。

一足で家屋を飛び出し、二足で川を跳び越え、三足で村を抜ける。

元はただの殺人鬼といえど、サーヴァントと化した肉体は超常の身体能力を発揮する。

ましてや今の彼は暗殺者たるアサシンのサーヴァント。その気になれば如何なる敵対者にも悟られることなく、村へと入り込む前に魔獣のもとへと駆け付けることができる。

村の境界を跨ぐ際、ファントムは安堵していた。

数が多い魔獣達は厄介な相手ではあるが、水際で堰き止められれば少女に被害が及ぶことはない。

自分がこの位置に陣取り、向かってくる魔獣の群れの悉くを殺戮する。

自分から攻めることはなく、また一歩でも下がることがなければ村を無事に守れるであろう。

それはいつもと同じ、彼にとっては日常の中の作業の一つとでもいうべきものであった。

ただ、今日だけは一つだけ違うものがあった。

視界の端に映り込んだヒナゲシの花。うっすらと色を付けた赤い野花達が一面に広がる光景を目にしてファントムは息を飲んだ。

 

『ねえ、村の外れの方にお花畑があるんだけど、行っちゃダメかな? 良い香りのする花がたくさん咲いているんだよ』

 

ファントムの脳裏に、少女の言葉が蘇る。

彼女が来たいと言っていた花畑だ。

赤い花が一面に咲き乱れ、香しい香りが風に乗って村へと流れる楽園。

この場所を楽し気に駆け回る少女の姿をファントムは幻視した。

それはまるで一つの絵画のようであり、狂える怪人が正気を求めるほどの美しい光景であった。

だが、実際に花畑へと踏み入ろうとしているのは二本角の馬、空を舞う飛竜、二足歩行の小鬼に獣人。

人の心を持たず、血に飢えた獰猛な魔獣達が楽園を踏み荒らす。

花々は踏み潰され、根は土ごと掘り返される。安らかな香りは瞬く間に土と腐臭によって乗り潰された。

地上の楽園は、あっという間に煉獄へと塗り替えられたのだ。

 

「おお……おおお……クリスティーヌ……クリスティーヌ!!」

 

ファントムは地を蹴った。あの花園を踏み荒らされることは、少女から笑顔と歌を奪う。それは彼にとって我慢ができない所業であった。

歌うことを忘れ、激情に身を任せ、人々から恐れられる怪物の名を受け入れるほどに、彼の心は怒りで波打っていた。

飛来したワイバーンの翼をもぎ取り、突撃してきたバイコーンの首を引き裂き、鮮血で汚れながらもゴブリンや獣人の首をへし折り、心臓を抉る。

煉獄は地獄へと堕ちていく。

ありもしない幻想を守るために、ファントムは自らの手で楽園を悍ましき血の色で染め上げていった。

彼は止まらず、狂気は加速する。

目につく全てをひたすらに殺し、殺し、殺し尽くす。

魔獣達と同じように花園を踏み荒らし、怪人は殺戮の限りを尽くす。

やがて、そこがかつて美しい花園であったことが分からなくなるほど、血と臓物で溢れ返ったところで、ファントムは遥か遠くから悲鳴が聞こえたことに気が付いた。

 

「クリスティーヌ!?」

 

既に動くことがなくなった魔獣の死体を放り捨て、ファントムは踵を返す。

魔獣達を殺すことばかりを考えていたせいで、いつの間にか村から離れてしまったのだ。

ファントムの爪を逃れた何匹かが境界を越え、村の中へと侵入している。

崩れかけていた家屋や荒れ果てた畑が無残にも踏み荒らされている光景がここからでも見て取れた。

そして、先ほどの悲鳴は間違いなく少女のもの。村の中で一人、自分の帰りを待つ愛しきクリスティーヌのものだ。

 

「あああああああぁああぁあああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

急いで村へと戻ったファントムが目にしたのは、魔獣達によって踏み潰されている少女の棲み処であった。

 

「クリスティーヌ! クリスティーヌ!」

 

半狂乱になりながらも、ファントムは目についた魔獣達の息の根を止める。

そして、瓦礫に埋もれているであろう少女に呼びかけ続けた。

名前も知らぬ愛しきクリスティーヌ。もう一度、彼女の声が聞きたいと天に願いながら、瓦礫を掻き分けて少女を探す。

すると、どうだろう。か細い声が潰れた家屋の下から聞こえてくるではないか。

ファントムが彼女の声を聞き間違うことはない。彼女はまだ生きている。

 

「クリスティーヌ!」

 

「……おじ……さん」

 

果たして、それは無事であったと言えるのだろうか。

少女は確かに生きていたが、崩れた屋根によって下半身を潰されていた。

瓦礫の一部には夥しい量の血が飛び散っており、彼が瓦礫をどかすと腹からはみ出た臓物が陽光を反射して気味悪く光っていた。

 

「おじさん……ありが……」

 

血で汚れた少女の手がファントムの頬を触り、その直後に力なく地面へと落下する。

それっきり、少女は二度と言葉を発さなかった。ファントムが愛してやまない天上の美声を口にすることは、二度となかった。

カギ爪が傷つけてしまうため、亡骸を抱き締められないことが堪らなく悲しかった。

だが、それは怪人として罪を犯した自分への戒め。甘んじて受け入れよう。

愛する者が自らのもとを離れていく。それも受け入れよう。

しかし、彼女から歌を奪うことだけは許せない。

それだけは、決して許してはいけないのだ。

 

「この娘が何をした……何をしたというのだ……」

 

呆然と呟いたファントムの体が宙を舞った。

ゴブリンによる強烈な痛打が真横から襲い掛かったからだ。

見上げると、周囲を魔獣達に囲まれていた。

ここまでの戦いでかなりの数を血祭りに上げたこともあって、その数は両手で数えるほどではあったが、それでも自分を嬲り殺すには十分な数だ。

無論、切り抜けるだけの余力はまだ残っていたが、クリスティーヌという生き甲斐を失ったことでファントムの心は燃え尽きつつあった。

憐れな罪人の心は常に天使を求めてしまう。鎖で縛られ羽根をもがれた幼き天使。歪な形であってもファントムにとってはそれがなければ生きてはいけない。

最早、抵抗する気力は失せていた。

 

(……いいや、まだ)

 

残酷なまでに美しい青空を見上げながら、ファントムは奥歯を噛み締めた。

クリスティーヌは死んだ。だが、歌声が止まない。

二度と聞こえぬはずの歌声が耳から離れない。

瓦礫に潰され、助けを求めて泣き叫ぶ、悲鳴という歌声が張り付いたように止んでくれない。

その狂気が精神を蝕んでいく。

萎えていたはずの闘志がわき上がる。

恩讐を、この身を焦がす憎悪の炎に喝采を。

この魔獣達を解き放った首魁に報復を与えねば、こちらの気が済まない。

 

(ああ、だが少しだけ遅かった)

 

決断が僅かに遅かった。

後、ほんの数瞬でも早くに決断を下せていれば、振り下ろされた蹄を躱すことができたであろう。

傷ついた体がこの魂に応えてくれるには、ほんの僅かに時間が足らなかった。

ここで終わってしまうのかと、無念がファントムの胸を過ぎる。

その時だった。

強い魔力の迸りを肌に感じたのだ。

 

「はあああぁぁっ!」

 

裂ぱくの気合と共に、巨大な盾がファントムを踏み潰さんとしたバイコーンの頭をかち上げる。

骨が砕ける鈍い音が響き、振り下ろされた蹄はファントムの頭蓋を砕くことなく頬を掠めるに留まった。

いったい、何が起きたのであろうか。

再び活力を取り戻した肉体に命じて臨戦態勢を取りながら見渡すと、数人の武装した集団が周囲の魔獣達と戦っている姿が目に入る。

一人は巨大な盾を構えたサーヴァントの少女。

一人は大きな剣を振りかざす黒衣の青年サーヴァント。

そして、魔術師らしき少年と少女。

 

「マシュ、ワイバーンを引き付けて! サンソンはサポートを!」

 

「はい、了解です!」

 

「分かったよ」

 

飛びかかってきた飛竜の爪が巨大な盾で防がれ、その隙を突いた青年の剣が胴を薙ぐ。

適確に、無駄のない一撃は容易く竜種の命を刈り取り、その巨体を痙攣させながらワイバーンは動かなくなった。

 

「所長、俺は!?」

 

「礼装でマシュを援護しなさい! ぐずぐずしない!」

 

「りょ、了解!」

 

魔術師の少女に一喝された少年が、呪文らしきものを唱えて盾の少女へと魔術を施す。

すると、盾の少女はその華奢な体からは想像もできないほどの力を発し、バイコーンの突撃を受け止めてみせる。

ファントムが唖然とする中、二騎のサーヴァント達は残っていた魔獣を次々に沈黙させていった。

 

「ふう……もう大丈夫ね」

 

動く脅威がいなくなったのを確認し、震える腕を押さえながら魔術師の少女は呟いた。

毅然と振る舞っていても、内心では恐怖で震えていたのだろう。

それはこちらに振り返り、手を差し伸べてきた時も変わらない。

未知なる存在に対して警戒心を抱き、恐怖と不安に震えながらもそれに抗おうとしているのだと、すぐに察することができた。

 

「あなたはサーヴァントね。少し、話をさせてもらえるかしら?」

 

「君達は……」

 

「私達はカルデア。この特異点を修正しに来ました」

 

天文台の魔術師は自らの名を告げる。

オルガマリー・アニムスフィア。

遥か未来から、人理焼却に抗うためにやってきた星詠みの魔術師の名であった。




という訳で最初の特異点フランスのスタートです。
日常話挟むことも考えましたが、本編をサクサク進める方向でいこうと思いました。
今回も書きたいもの、思いついたネタはどんどんぶっこんでいくつもりですよ。
そして、早くも主人公が最後の方にしか出番がないという展開に。
本当は華麗に活躍させてファントムを助けるつもりだったのに、気づいたらこうなってました。
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