Fate/Start Over 星譚運命再度カルデアス   作:ていえむ

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第7話 復讐するは我でなく

そこがかつて、活気に満ちた村であったなどと誰が思うだろうか。

家屋は瓦礫の山と化し、野畑は無残にも踏み荒らされ、押し倒された木々が積み重なっている。

群れを成してやってきた魔獣達によって、人間が生活していた痕跡は跡形もなく消し去られてしまった。

オルガマリー達がこの光景を目にするのは初めてではない。この時代に訪れてから既に幾つかの街を訪れていたが、どこも同じような惨劇の爪痕が刻まれていた。

営みは壊され、戦争で疲れ果てた人々の心には荒んでいき、住み慣れた土地を手放して逃げ出す者も後を絶たない。

特異点がどのような形で本来の歴史から歪められているのかを事前に知る術はなかったが、まさか魔獣による殺戮が起きているとは思いもしなかった。

同時にこれは非常に由々しき事態でもある。そこに住まう人々を殺し尽くす。ここまで直接的な手段を行使されれば、フランスの人理定礎はそう長くは保たないだろう。

そうなってしまえばフランスから生まれた『自由』という概念自体が失われてしまい、人類史の発展は大きく後退することになる。

 

「急いだほうが良さそうね」

 

『聖杯の反応については索敵を続けます。そちらは現地での情報収集を引き続きお願いします」

 

「ええ」

 

『それと所長、今更ですが……やはり、所長までレイシフトに同行する必要はなかったのでは?』

 

ロマニの問いかけは最もである。

オルガマリーはカルデアの長であり最高責任者だ。有事の際は自らの責任の下に指揮を執り、情勢を見極めて決断を下さねばならない。

本来であれば特異点へのレイシフトなどせずに管制室で指揮を執るべきなのだ。だというのに、自ら死地へと飛び込むことをオルガマリーは選択した。

立香やマシュと同行し、共に戦うことを選択した。

 

「私は生存率の高いプランを採択しただけです。グランドオーダーは前人未到にして失敗は許されません。まだまだ未熟な彼をフォローできるだけの戦力は、今のカルデアには私しかいません」

 

『確かにその通りですが……』

 

「それに現地において高度な判断を必要とする場面があるかもしれないでしょう。不本意ながらあなたは優秀です、ロマニ・アーキマン。レイシフト中の実務面は安心して任せられます」

 

声に出してみたその言葉は、どこか言い訳染みていた。

事実、ロマニへの言葉は嘘ではないが真実でもない。

オルガマリーはいつだって恐怖に震えている。人理修復の失敗、戦場での死、自らの判断ミスによるスタッフからの失望。ありとあらゆる失敗のイメージが常に心を苛み指先が震えるのだ。

そして、何よりも耐えられないのが自らの責任で送り出した立香とマシュの生存が危うくなることだ。

自分の下した指示一つで彼らを危険な目に合わせ、最悪の場合はその死を見届けなければならなくなるかもしれない。

そんな恐怖には耐えられない。彼らの生存を祈り、カルデアの管制室で帰還を待つなんて所業にはきっと耐えられない。

だからこそ、オルガマリーは自らもレイシフトに同行することを選択した。

司令官という立場を一時的にロマニへと譲り、一人のエージェントとして人理修復に向き合う。

そうすれば少なくとも自らに降りかかる責任から目を逸らすことができるからだ。

 

『……分かりました。ですが、くれぐれも無理はなさらないでください』

 

そう言って、ロマニは通信を終了する。とりあえずは納得してくれたらしい。

 

(分かっているわ、あなたに迷惑をかけているってことくらい)

 

声にすることなく、心の中でオルガマリーは謝罪する。

与り知らぬところで七十億の命が消えるよりも、立香達2人の命が目の前で失われる方が辛いのだ。

遠くにいて何もできないまま、彼らの死の責任を負うことには耐えられないのだ。

 

「所長、こちらは終わりました」

 

「ありがとうございます、わがままを聞いてくださって」

 

立香とマシュがこちらに駆け寄ってくる。

魔獣との戦闘を終えた後、2人はこの村で見つかった少女の亡骸を埋葬していたのだ。

恐らくは逃げ遅れたのだろう。少女は崩れた家屋の下敷きにでもなったのか、下半身が潰れて無残な姿になっていた。、

まだ学校にも上がっていないような少女だった。薄汚い格好ではあったが、きっと笑えばさぞ可愛らしかったであろう。

こんなことにならなければ、いずれは教会で賛美歌を歌い、誰かと恋をして大人になれたはずだった。

 

「2人とも、これから先もこの調子じゃ保たないわよ」

 

七つの特異点がどのような災禍に見舞われているのかは分からないが、きっとこれからも人に死に立ち会う場面は何度もあるだろう。

その度にこんな風に墓を作り、冥福を祈っていては心が擦り切れてしまう。生者は死者を背負うことなどできないのだから。

 

「それでも、やっておきたかったんです」

 

「死が許しであるならば、埋葬は明日への旅立ちです。どんな魂であれ旅立ちは穏やかに祈られるべきだ」

 

後ろに控えていた黒衣の青年――サンソンも立香の後に続いた。

穏やかではあるが真剣な眼差しに、思わずオルガマリーはバツの悪さを覚えて目線を逸らした。

 

「……ここにはお人好ししかいないのね。いいわ、グランドオーダーに支障がない限りは勝手にしなさい」

 

「はい、ありがとうございます。マドモアゼル」

 

皮肉のつもりで言った言葉も、サンソンには通じなかった。

シャルル=アンリ・サンソン。史上二番目に多くの罪人を処刑したフランスの処刑人。

カルデアがフランスにレイシフトして最初に出会ったはぐれサーヴァントだ。

処刑人という恐ろしい肩書に反して温和な性格で、こんな風に優しい笑みを浮かべることも多い。

オルガマリーとしては肩書だけで苦手意識を抱いてしまうので、どうにもやりにくい相手だった。

 

『それでは所長、今後の方針ですが……』

 

「当初の予定通り、現地人がいる大きな街を目指します。それと、今後はサンソンや彼のようなはぐれサーヴァントについても情報を集めましょう」

 

チラリと、オルガマリーは少女の墓前で祈りを捧げている仮面のサーヴァントへと目をやった。

ファントム・ジ・オペラ。気が狂っているのか意思の疎通は困難を極めたが、何とか聞き出せた話によると彼もサンソンと同じく聖杯によってこの地に呼ばれたはぐれサーヴァントらしい。

ロマニの推論では、聖杯が特異点を形成する際の人類史への干渉に対する逆作用――特異点へのカウンターとして召喚されたのかもしれないということだ。

サーヴァントでありながらマスター不在でも存在を維持できているのがその証左であるらしい。

彼らの協力を取り付けることができれば、これからの戦いにおいて非常に頼りになる戦力となるのだが――――。

 

「この娘はもう歌わない……もう唄えない……ああ、私は……私は……」

 

彼に関しては、誰も臆してしまって話しかけることができなかった。

何しろ、殺人鬼の英霊である。愛に狂い、妄執の果てに破滅した仮面の亡霊。

その凶悪な爪がいつ、こちらに向けられるか分からない恐怖は筆舌に尽くし難い。

加えて宵闇で出くわせば間違いなく恐怖で悲鳴を上げる恐ろしい風貌と、要領を得ない怪しい言動は平素ならば絶対に近づきたくはない人種だ。

それでも彼が貴重な戦力である以上、誰かが声をかけねば始まらない。

その場にいた全員が探りを入れるかのように互いの顔を見合わせる中、一人の少年が勇気を出した。

 

「ファントム、俺達と一緒に行こう」

 

震える腕を隠しながら、藤丸立香がそっと殺人鬼の側へと寄り添った。

 

「私を……この爪を取るというのか。肉を裂き悲鳴を奏でる悍ましき悪魔の爪を」

 

「それでも、あなたは愛するもののために戦える英霊だ。だって、ここでこの娘を守っていたんだろう?」

 

「……星詠みの魔術師よ。私の歌は、あの娘に届いていただろうか?」

 

「うん、きっと届いているよ」

 

「ならば歌おう、復讐の歌を。ならば奏でよう、悲鳴のオーケストラを。我が爪は悉くの害意を葬り、あなたの進むべき標とならん。屍の山を我が愛の頂きとしよう」

 

立香が差し出した手をそっと制し、ファントムはその場に跪いた。

言っていることの意味はほとんど理解できないが、どうやら協力してくれる気にはなってくれたようだ。

 

「さすがは先輩です。私も見習わなければ」

 

「見習うのは結構だけれど、相手は選びなさい」

 

もしもマシュが殺人鬼の友達なんて紹介してきたら、卒倒できる自信があった。

ロマニならきっと、育て方を間違えたとハンカチを噛み締めて咽び泣いてしまうだろう。

 

「まあいいわ。ロマニ、ここから一番近い次の街はどっち?」

 

『南の方ですね。距離は…………待った、西から魔力反応? これは……速いぞ、ワイバーンの群れだ!?』

 

「なんですって!?」

 

即座にオルガマリーは視力を強化し、西の方角へと目を向けた。

すると、空の一部が黒く染まっており、こちらに向かって少しずつ近づいてきているのが見て取れた。

ロマニの言葉通り、飛竜達が大挙してこちらに向かってきているのだ。

まだ距離はあるが、ワイバーンの移動速度ならば今から走って逃げてもものの数分で追いつかれてしまうだろう。

こちらに移動手段がないのが辛かった。せめて乗り物があれば、奴らを振り切ることもできるのに。

 

「みんな、戦闘準備!」

 

「はい! ですが、先輩もサンソンさんも消耗しています。ファントムさんは……」

 

「……っ」

 

ふらつきながらもファントムは立ち上がる。彼も魔獣との戦いでかなりの魔力を消耗しているようだ。

このまま戦いに突入するのは非常に危険である。

 

(どうすればいいの……どうすれば……)

 

救いを求めるように、オルガマリーは自らの右手の令呪に目をやった。

特異点Fで発現したこの令呪は、一画につきサーヴァントの(アバター)を一体だけ召喚できるという不可思議な力を秘めている。

これを使って特異点Fで出会ったセイバー――アーサー王を召喚すれば、ワイバーンの群れを一掃することも容易だろう。

だが、これを使えるのは三度までだ。一度のレイシフトで召喚できるのは最大でも三体まで。それ以上は呼べない。

果たして、ここで使ってよいものだろうか。

 

「ワイバーン、目視に捉えました。所長、来ます!」

 

「所長、指示を!」

 

「分かっています! 分かっているわ……」

 

焦りが思考回路を鈍らせる。

接敵まで一分とないだろう。急いで決めなければならない。

このまま戦うか、逃げるのか。

戦うにしても殲滅か、それとも脱出か。

令呪を使用するのか、マシュ達だけで戦うのか。

 

「急いでここを離れます!」

 

令呪は使えない。この先、もっと強力な敵と戦わねばならなくなるかもしれないからだ。

その判断は決して間違いではない。彼女達はまだ、敵の全容どころか尻尾すら掴めていないのだから。

だが、最初の判断の遅れが致命的だった。

すぐに村を飛び出したはいいが、飛竜の群れの移動速度は危惧した通り非常に早い。こちらの存在を目ざとく見つけると、あっという間に追いつき襲い掛かってきたのだ。

経験の浅いマスターとデミサーヴァント、消耗した二騎のアサシン。加えてワイバーンは下位とはいえ竜種だ。その力は計り知れず、戦闘に突入したオルガマリー達は忽ちの内に群がる飛竜達によって追い詰められていく。

三騎のサーヴァントは懸命に戦うものの、飛竜の数が多すぎてどうしても手数が足らない。

一体を倒す間に三頭ものワイバーンによって空から強襲をかけられ、少しずつマシュ達に消耗が蓄積されていくのだ。

 

「数が多すぎる。マスター、礼装での援護をお願いします!」

 

「分かっている。けど、間に合わな……!」

 

マシュが傷つく度に悲鳴染みた声を上げながら、立香は身に纏ったカルデアの礼装を起動して魔術による援護を行う。

動きが鈍り始めていたマシュは、彼の支援を受けて再び機敏に走り出し、重い盾を振り回して飛竜の頭をかち割った。

サンソン、ファントムの二人も互いに背中を預け合いながら戦っている。だが、どちらも精彩を欠きつつあった。

特にファントムの方が消耗が激しく、このままでは直に動けなくなってしまうだろう。

立香の方も魔力がそろそろ限界のはずだ。

 

(まずい、こんなにも乱戦になったら、アーサー王を呼んでも宝具が使えない)

 

自らの判断ミスを痛感し、オルガマリーは歯噛みした。

リソースなど気にせず、最初から全力で殲滅するべきだったのだ。

 

「っ……!?」

 

「ファントム!?」

 

立香の叫び声を聞き、ハッと振り返る。

そこには肩から腹にかけてを裂かれ、流れ出た血で半身を真っ赤に染め上げたファントムがマシュに庇われていた。

 

「所長、ファントムが俺を庇って!」

 

『まずいぞ、早く休ませないと消滅の危険もある。所長! 南下したところに森があります! そこまで逃げ込めれば、ワイバーン達から逃げられるのでは!?』

 

「それしかないようね!」

 

森に逃げ込むことさえできれば、ワイバーンは大きな翼が邪魔になるので中までは追って来れないはずだ。

そのまま木々に隠れてやり過ごすこともできるだろう。

だが、そこまでどうやって辿り着くかが問題だ。

連戦で全員の体力と魔力は残り僅かであり、起死回生を狙うならば令呪でサーヴァントを召喚するしかない。

誰を呼ぶのか。

信頼のおけるクー・フーリンか。

アーサー王の聖剣で突破口を開くか。

或いは、ヘラクレスを呼ぶか。

目まぐるしく変わる戦況を目で追いつつ、オルガマリーは思考を走らせる。

視界の片隅ではサンソンが膝をつき、立香も疲労から青白い顔色を浮かべている。

迷っている時間はない。

誰を呼ぶのか、何をさせるのか。その一手がこの戦況を決定づける。

自分達の運命を左右する。

 

「所長、危ない!」

 

思考に意識を割かれていたからであろう。真上からワイバーンが近づいていることに気が付けなかった。

ワイバーンは聞くに堪えない汚らしい鳴き声を上げながら、巨大な舌を覗かせる。

一瞬、オルガマリーは恐怖で竦み上がった。

マシュがこちらに向かってきているが、とても間に合いそうにはない。

魔術による迎撃も、令呪での召喚も間に合わないだろう。

死を直感して思考が硬直する。

竦んだ足が不規則に震え、まるで鉛を嵌められたかのように動いてくれない。

 

(いや……死ぬのは、いや……)

 

歯を食いしばり、必死でオルガマリーはその場から動こうとする。

だが、悲しいかな恐怖に縛られた肉体は意思に反して全く動こうとしない。

このままでは、ワイバーンの強靭な顎に噛み砕かれるか、爪で無残にも体を引き裂かれ殺されてしまうだろう。

見るも悍ましいナニかが目の前を過ぎったのは、その時であった。

 

『何だ、巨大な魔力反応?』

 

「な、や……いやああぁっ!!」

 

堪らず、オルガマリーは悲鳴を上げた。

彼女の眼前では、どこからともなく現れたいぼだらけの巨大な触腕がワイバーンを羽交い絞めにしていたのだ。

紫色の固い表皮と腐臭のする粘液。一方で触腕の裏側はぬめぬめと妖しく光っていて不気味な脈動を繰り返していた。

そそり立ったいぼは人間の指ほどの太さを持ち、まるで意志を持っているかのように一つ一つが蠢いている。

そんな生理的な嫌悪を呼び起こす異様な物体が、巨大な飛竜に巻き付いて万力のように締め上げている。

聞こえてくる音は飛竜の肉が引き千切られ、骨が砕かれる音だ。

見回すと、いつの間にか至る所で同じ光景が繰り広げられていた。

あれほど手こずらせられたワイバーンの群れが、一方的に断末魔の悲鳴を上げながら息絶え蹂躙されている。

耳に残る飛竜の悲鳴。人間の生態では到底、出すことができないであろう気味の悪い断末魔。

生暖かい鮮血は緑の原を侵し、腐った粘液が花々を溶かす。

あまりの悪臭に誰もが顔を歪ませていた。

そして、それらを最前列で見せつけられていたオルガマリーの精神は限界を迎えつつあった。

この世のものとは思えない恐ろしい生き物の一端を、僅かとはいえ垣間見てしまったからだ。

マシュ達はまだ気づいていないが、先ほどまで戦っていた数に比べて死体の数が驚くほど少ない。

何故なら、ワイバーンの死骸は触腕達が何処かへと持ち去っているからだ。

姿は見えないが、その音は確かにオルガマリーの耳に届いていた。

涎を溢れさせながら、肉を咀嚼する気持ちの悪い音。

超自然的なナニかが自分の背後で、異形の生物をすり潰す音。

音は一つではない。

いくつもいくつも、背後から聞こえてくる。

 

(なに、なにがいるの? 私の後ろになにがいるの? ねえ、どうしてみんなは平気なの? 気づいていないの?)

 

見てはいけないと、必死の思いで自戒する。

ほんの一部だけで気が狂いそうになるほどの恐怖に蝕まれているのだ。何の用意もなく全貌を目にしてしまえば、きっと理性は戻ってこない。

そう自分に言い聞かせ、オルガマリーは貝のように縮こまって全てが終わるのを待ち続けた。

やがて、自分達以外に動くものがなくなると、背後からの圧迫感と入れ替わるように不気味な気配が忍び寄ってきた。

 

「ふむ、ご無事でなによりです、天文台の魔術師よ」

 

耳につくねっとりとした声音が寒気を誘う。

伸ばされたのはカサカサに荒れ病的な色に染まった悪魔のような腕。

そして、血走った眼が魚か蛙のように飛び出た不気味な顔。

幾重にもローブを纏った巨漢が柳のように体を折ってこちらを覗き込む様は、恐怖以外の何物でもない。

 

「お初にお目にかかります。私、キャスターのジル・ド・レェ……おや?」

 

急速に遠退いていく意識を、オルガマリーは繋ぎ止めておくことができなかった。

死への恐怖とそれすら捕食したナニかの存在、ジル・ド・レェとの邂逅。

立て続けに起きた恐ろしい出来事に、とうとう彼女の精神は限界を迎えて気絶してしまったのだ。

オルガマリーが意識を取り戻したのは、それから小一時間ほど後のことであった。

 

 

 

 

 

 

遠くの獣の唸り声が聞こえる度に、立香は背筋をビクつかせながら辺りを見回した。

ここはフランス東部に広がる森林地帯。気絶したオルガマリーを介抱するために立ち寄った場所だったが、ファントムの負傷などもあってこれ以上の行軍は難しいと判断し、今日はここで野営をすることになったのだ。

初めての野営、それも野生動物が闊歩する森の中ということで、立香は不安を隠せず先ほどから立ち上がったり座ったりを繰り返している。

きちんと休めるだろうか、寝ている間に魔獣の類に襲われないだろうか。そんな不安がどうしても頭の片隅を離れないのだ。

一応、ジル・ド・レェが魔術で呼び出したヒトデか蛸のような不気味な生き物を警戒の為に徘徊させているのだが、こういった状況にまだ慣れていない立香からすれば気休めにもならなかった。

というより、その海魔こそが一番の悩みだった。先ほどから聞こえてくる咀嚼音は間違いなく奴らのものだろう。境界線を踏み越えたものを自動的に捕食しているらしいのだが、それが却って森全体に不気味な雰囲気を醸し出している気がする。

オルガマリーが気絶してしまったのも無理はない。

 

「マスター、何なら簡単な薬を処方しましょうか? 少しは寝入りがよくなるかと思いますが……」

 

「……頼める?」

 

「分かりました、用意します」

 

サンソンの気遣いだけが唯一の救いであった。彼がいなければ、きっと自分もオルガマリーに続いていたことだろう。

どうして自分がこんな気苦労を背負わねばならないのかと、立香は思わず愚痴りたくなった。

 

「おお、ジャンヌジャンヌジャンヌ!」

 

「クリスティーヌクリスティーヌ!」

 

目の前で繰り広げられているのは、常人には良く分からないサバトめいた光景であった。

一時は消滅の危機も危ぶまれたファントムであったが、サンソンの迅速な処置によってとりあえずは一命を取り留め、今は魔力を回復するために休息に務めている。

そんな彼の話し相手になっているのは、先ほど自分達を救ってくれた魔術師のサーヴァント。

真名をジル・ド・レェ。お伽噺に出てくる魔法使いのような風貌なのでとてもそうは見えないが、ロマニ曰く、あのジャンヌ・ダルクと共に戦ったフランスの元帥らしい。

そして、どういう訳かファントムと意気投合して物騒な話に華を咲かせているのだ。

 

「ああ、クリスティーヌ。お前の歌は天上の調べ。その囀りと微笑みは全てを癒し、悲鳴もまた至高の旋律とならん」

 

「ええ、無垢なる子どもの悲鳴は何よりも心地よい音色となりましょう。あの調べを耳にした時の何とも言えない昂ぶりは、思い返すだけでも堪りません」

 

「君を我がもとに留めたい。陽の光すら忘れる石の天井。暗い牢獄へ共に共に……」

 

「生に飢えさせた上で希望を与えれば、奪われた時の絶望は新鮮にして極上の美味。助けを求める子らの悲鳴はどのような歌劇すらも陳腐に落とすでしょう」

 

通じ合ってはいるが絶妙に噛み合わない二人の会話は、端で聞いているだけで気が滅入ってくる。

膝の上で蹲っている白い謎生――フォウも何だかさっきから落ち着かないようだ。

 

「というか、こんな物騒なことを言っているのに英雄なんだ」

 

『うーん、英雄といっても反英雄だからねぇ』

 

「反英雄?」

 

『分かりやすく言うならば、物語の悪役だね。悪を成すことで善を際立たせる、彼らという悪が潰えることで人々が救われる。人類史からすればそういう人達も立派な英霊なんだ』

 

悪政を敷いた暴君、市民を恐怖に陥れた殺人鬼、人間に害を与える妖の類、祟り神や悪魔なども含まれるらしい。

ロマニ曰く、英雄とは歴史という大地に残った轍のようなもの。

善性であれ悪性であれ、遠い未来からすれば偉業であることに違いはないらしい。

 

「じゃ、ジルも?」

 

『そうだね。彼の場合は、もう少し複雑かな』

 

救国の聖女ジャンヌ・ダルク。百年戦争の最中に突如として現れ、神のお告げを聞いたと宣う少女と共に彼は戦った。

当時のフランスは長らく続いた戦禍とペストの流行によって苦難の中にあったが、聖女を旗頭に据えた彼の軍隊は見事にイギリス軍を押し返し、ジル・ド・レェは救国の英雄とまで持て囃されたのだ。

だが、ジャンヌ・ダルクが魔女として異端審問にかけられ処刑された後は一転して悪涜を極め、自らの領地で放蕩を尽くしながら何百人もの子ども達を虐殺したという。

善と悪、光と闇、異なる側面を有する英霊ジル・ド・レェ。ある意味では複雑な人間の本質というものが如実に現れた英雄といえるかもしれない。

 

「そんな人が、フランスを救うために戦っているんだ」

 

『ジャンヌ・ダルクは彼にとって神の存在の証明でもあった。その彼女を失ったことが、彼の人生を狂わせたんだろうね』

 

「ジャンヌ・ダルクか……」

 

一人の人間の一生を狂わせるほどの存在。

彼がジャンヌに対して抱いていた気持ちが強くまっすぐであったからこそ、失われた時の絶望もまた深かった。

彼の中ではそれほどまでに強烈な存在として、ジャンヌ・ダルクが胸に刻まれていたのだろう。

自分にとってのマシュやオルガマリーのようなもの。いや、きっとそれ以上の存在だ。

そんな彼が今、崇拝した聖女を裏切ったこの国を救わんと戦っている。

それはきっと、自分では想像もできない心境であろう。

 

「うん?」

 

ふと顔を上げると、出目金のような二つの目玉がこちらに向けられていた。

血走った眼はこちらを興味深げに覗き込んでおり、気づくと音もなくすり寄ってきている。

ハッキリ言って、怖い。どうしてこの人が味方なのだろうと、つい不謹慎なことまで考えてしまう。

 

「おやおや、何やら秘密のお話ですか? 私、これでも耳聡い方でして、彼の聖女のお話ならば是非とも啓蒙させて頂きたく……」

 

「いえ、その……」

 

「そう、あれはまだ私が元帥として各地を転戦していた頃…………」

 

「何か語り出したよ、この人!?」

 

どうやらこのジル・ド・レェ、人間的に非常に面倒くさい性質のようだ。

基本的に人の話を聞かないし、喋り方も勿体ぶった言い回しが多くて聞いていて疲れが溜まる。

加えて自分の好きな話になると物凄く早口になる。熱量が込められすぎていて圧倒されてしまい目が回りそうになるのだ。

見かねたサンソンが助け舟を寄越さなければ、きっとオルレアンの解放に至るまで延々とジャンヌ・ダルクを賛美し続けていただろう。

 

「ジル元帥、マスターはお疲れだ。聖女様のお話は一朝一夕で語り尽くせるものでもないでしょうし、今日はこのくらいにしておいては?」

 

「おお、確かにそうですね。彼女について語るには我が舌では些か語彙が足りません。ここは今一度、聖女を如何に称えるか思案に耽るとしましょう」

 

「はは、お手柔らかに」

 

懐から取り出そうとした本をローブにしまい直し、ジル・ド・レェは再びファントムのもとへと戻っていく。

その背中を見送りながら、立香は彼に聞こえないように小さくため息を吐いた。

 

「はあ……助かったよ、サンソン」

 

「いえ、お気になさらずに」

 

「本当に、ジャンヌのことが好きなんだな、この人」

 

だからこそ、解せないのだ。

ジャンヌ・ダルクはある意味ではフランスに殺されたと言っても良い。

同胞に裏切られ、同じ神を信奉した者達に烙印を押され、火炙りにされたのだ。

それでも彼はこの国を救おうとしている。

ジャンヌ・ダルクを見捨てたこのフランスを、彼は救おうとしている。

それだけではない。ここに来るまでに立ち寄った村々、そこの僅かな生存者達から知り得た噂話を彼は知っているのだろうか。

 

『魔獣を操る亡者を従えているのは、戦場に似つかわしくない可憐な少女であった』

 

魔獣との死線を潜り抜けた兵士が、息絶える寸前の農夫が、荒らされた村から逃げ延びた親子が、言葉の端に告げたのだ。

処刑されたジャンヌ・ダルクが蘇り、祖国に復讐しようとしているのだと。

もしも、それが真実なのだとしたら、ジル・ド・レェは立っていられるのだろうか。

自分が愛し、尊敬し、崇拝した聖女と戦うことができるのだろうか。

その疑念が視線に表れてしまったのか、それとも彼自身の直感故なのか、ふと立ち止まったジル・ド・レェはこちらを振り返ることなく、怒りを押し殺すかのように悲壮な声音を漏らした。

 

「あのお方は復讐なぞ望みません」

 

「ジル?」

 

「天文台の魔術師よ。忠義故に敢えて本心を明かします。私はこの国が憎い……彼女を裏切り、貶め、冒涜せしめた者達など滅んでしまえば良いと思っています」

 

「元帥、言い過ぎだ!」

 

昂り出したジル・ド・レェを嗜めようと、サンソンが声を上げるが、彼は止めなかった。

震える肩を抱きながら、虚空を見上げて絞り出すように言葉を紡ぎ続ける。

 

「私は決してこの国を許しません……ですが、彼女は許すでしょう。例えこの地に呼ばれようとも、誰かに唆されようとも、復讐なぞ考えもしないでしょう。しかし、彼女には資格がある! 彼らを詰り、怒りを口にする資格がある! 彼女こそがこの国を滅ぼさねばならない! だから……私はあなた方のもとを訪れた。この国を他の者になど、渡してなるものですか……」

 

最後は消え入りそうな声で、ジル・ド・レェは締めくくる。自分よりも遥かに大柄なはずの彼の背中は、不思議と今は老人のように小さく見えた。

立香は何も言えなかった。何か思うところがあるのか、サンソンも複雑な表情を浮かべている。

ファントムも歌うのを止め、神妙な顔つきでジル・ド・レェの側に寄り添っていた。

 

「……お耳を汚してしまいましたな。申し訳ありません」

 

振り返ったジル・ド・レェの顔には、不気味ではあるが穏やかな笑みが浮かべられていた。

何と言うべきだろうかと、立香は悩む。

こんな時、マスターというものは何を言えば良いのかと。

助けを求めるように、立香は視線だけを動かした。

すると、今まで大人しくしていたフォウが不意に立ち上がり、可愛らしい鳴き声を上げてぴょんと茂みに向かって駆けだした。

 

「フォウ!」

 

「あ、待って……」

 

伸ばした手をすり抜けて、フォウは茂みの奥へと消えていく。

慌てて立香は立ち上がると、振り向きながらサンソン達に向かって手を合わせた。

 

「ごめん、捕まえてくる!」

 

「気を付けてください、森からは出ないように」

 

「海魔には指示を出していますので、あなたを襲うことはありません。いざとなれば守ってくれます故」

 

「うん、ありがとう」

 

内心では気まずい空気から抜け出せたことに安堵しつつ、立香はフォウを追って茂みを掻き分ける。

その時は、数分後に我が身に災難が降りかかるなどとは、知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

一方、その頃。

オルガマリーとマシュは野営地点から少し離れたところで見つけた泉で涼を取っていた。

透き通った清流は手で掬ってみるとキラキラと陽光を反射し、ひんやりとした冷たさもあった。

幸いにも周囲は茂みと木々に囲われており、野営地点からは死角となっている。

昼間の連戦でかなり汗をかいたこともあり、二人は互いに相談した上で、ここでこっそりと水浴びをしてからみんなのもとに戻ろうということになったのだ。

 

「ふう……こんな風に落ち着ける状況が今後もあるとは思えないし、休める時に休んでおかないとね」

 

足の裏をくすぐる小魚の感触に身を捩りながら、オルガマリーは泉の縁に腰かけているマシュに話しかけた。

今の彼女は衣類を全て脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で白い肌を白日に晒している。

青い清水に仰向けで浮かび、二つの膨らみを上下させながら思い出したかのように足をバタつかせて泉の中をぐるぐると回っているのだ。

 

「はい、とても気持ちがいいですね、所長」

 

そう言って水を手で掬ったマシュも、鎧やインナースーツを脱いで両足を水に浸している。

形の良い膨らみは自分よりも大きく、マシュはやや重そうに腕で持ち上げているのが少しばかり癪に障るが、朴浴の心地よさはそんな邪念もどこかに洗い流してしまう。

いっそこのまま水に溶けて消えてしまえればどれだけ気楽かと、オルガマリーは思わず考えてしまった。

グランドオーダーの重責、仲間達の生死、カルデアの今後について、考えることが多すぎて脳みそは今でもパンクしそうなのだ。

こんな風に形だけでも休息を取って気持ちを切り替えることができるようになったのは、果たしていつ以来のことだろうかとつい考えてしまう。

 

「マシュはどう? 無理はしていない?」

 

マシュのもとまで流れ着くと、オルガマリーは水から上がって彼女の隣へと腰かけた。

岩肌が少しだけお尻に擦れて痛いが、直に慣れるだろう。

 

「所長……」

 

「うん、なに?」

 

「いえ……近いです……」

 

「そう?」

 

確かにお尻同士がくっつき合ってしまうので、マシュの言う通り少し距離が近いかもしれない。

バランスを取る為に微妙に体重を預けているので、彼女からすればこちらがもたれかかってきているように感じているのだろう。

 

「ごめんなさい。こう?」

 

「はい、すみません」

 

「いいのよ、別に。それで、どうなの? あのへっぽこなマスターとやっていけそう?」

 

「先輩のことですか? はい、それは大丈夫だと思います」

 

意外だった。マシュは気配りはできる子ではあるが嘘はつけない。

藤丸立香はハッキリ言ってマスターとしては三流以下。カルデア支給の礼装がなければ自力で魔力も生成できないし、サーヴァントへのパスも呆れるほど短い。

ファーストオーダー直前になって見つかった数合わせの補欠であるため、訓練だってロクに受けていなかったのだ。

だが、マシュは彼と共に歩むことを問題ないと言った。

経験の不足やマスターとして素養などは問題ではないと彼女は言うのだ。

 

「先輩は、当たり前のことを当たり前にこなせるごく普通の人です。きっと先輩となら上手くやれる気がします。ですが、わたしはサーヴァントとしてはまだまだです。冬木の時は無我夢中でしたが、ここに来てからは訓練通りに上手く体が動きません」

 

魔獣と相対した時も、その命を奪ってしまうことに躊躇してしまうのだという。

戦うことの恐怖に足が竦むことに加え、その迷いが僅かに体の動きを鈍らせる。

さっきの戦いの時も、ワイバーンへの追撃を戸惑ってしまったが為に立香を危険に晒してしまったのだ。

ファントムが庇ってくれなければ、どうなっていた分からない。

それを聞いてオルガマリーはまず目を丸くし、次にこめかみを押さえながら小さくため息を吐いた。

何てことだ、この期に及んで彼女は自分のことよりも自分が奪うべき命の心配をしている。

戦うのが怖い癖に、マスターを守る為に戦場へと立つことを選択した少女。なのに彼女は命を奪うことを躊躇する。例えそれが意思疎通のできない魔獣であったとしてもだ。

 

「本当、お人好しなんだから」

 

「所長?」

 

「いいのよ。そんなあなただからこそ、あなたの中の英霊は力を貸してくれたんだから」

 

マシュと融合した英霊は、デミサーヴァント実験という非道な所業に怒り彼女の中で沈黙することを選択した。

カルデアには協力しないが、自分が消え去れば融合しているマシュが死んでしまうからこその選択だ。

そんな義憤を抱いて眠りについた謎の英霊が、マシュの思いを汲んで力を貸してくれている。それはきっと彼女が誰よりも清らかで優しい心を持っているからなのだろう。

我が身を人間としてではなく実験動物として扱ったカルデア、そしてそんな組織の長の娘であった自分のことを恨むことなく信頼を向けてくれている。そんな無垢で歪な心を持っていたからこそ、彼女の中の英霊は力を貸してくれたのだろう。

 

「自信を持ちなさい。冬木で私達を守ってくれたあなたを。あなたのマスターを守りたいと願ったその優しさを」

 

「所長……はい、ありがとうございます」

 

こちらに向き直りながら、マシュは小さく微笑んだ。

眩しくて幼い、子どものような可愛らしい笑みだった。

 

「フォウ」

 

不意に茂みの向こうから、白い毛むくじゃらの生き物が飛び出してきた。

慌てて飛び退いたオルガマリーは、マシュの胸の中へと飛び込んだそれが彼女に懐いている謎生物であることに気づいて胸を撫で下ろす。

 

「何だ、あんたか」

 

「フォウさん、どうしてここに?」

 

二人して首を傾げる中、フォウが飛び出してきた茂みが更に大きく揺れ動き、そこから葉っぱに塗れた黒い髪の毛が顔を出した。

 

「おーい、フォウ。戻って……」

 

視線が合う。

凍り付く時間。

水の冷たさが気にならなくなるくらい、背筋がゾッと冷え込んでいく。まるで氷を背骨に突き付けられたかのようだ。

衝撃の余り、マシュは抱えていたフォウを手放してしまい、足下で小さな水飛沫が跳ねる。

見られてしまった。

自分達は今、何も纏っていない。

両の膨らみも、くびれたラインから臀部にかけても、水に浸った太股も、何もかもが彼の目の中に収められてしまった。

次の瞬間、オルガマリーとマシュは互いの顔を見合わせて大きな悲鳴を上げた。

 

「きゃああぁぁぁぁっ!!」

 

「え、えっと……待って、これには訳が……」

 

茂みから顔を出した立香が、顔を真っ赤にしながら手で覆っている。

そうしていながらも、指の隙間が開いていてチラチラとこちらに視線を送っているのがバレバレであった。

 

「いいから向こうに行け、見るなぁっ!」

 

「先輩、最低です! あっちに行って!」

 

先に動いたマシュが泉の水を立香目がけてぶっかけ、オルガマリーもそれに続く。

驚きのあまり混乱しているのか、それでも立香は動こうとせず、それが逆に二人を更に追い込んでいく。

マシュは立香への抗議を水から石へと切り替え、オルガマリーはガンドまで放ち始めたのだ。

忽ち、清らかな泉に少年の情けない悲鳴が木霊し、少女達の怒声が響き渡る。

その光景を目にした白い小動物は、呆れるかのように小さな鳴き声を上げた。

 

「フォーウ」

 

結局、その日は少女達二人の怒りは収まらず、少年と一切口を聞こうとしなかったため、事情を知らないサーヴァント達はただただ首を傾げるばかりであった。




前半のシリアスから一転、後半は書かずにいられなかった。
できればもっと詳しく書きたかった(血涙)。
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