Fate/Start Over 星譚運命再度カルデアス 作:ていえむ
間一髪、マリー・アントワネットの一団から逃れることに成功したカルデア一行。
彼らは今、傷ついた体を癒すための霊脈を求め、鬱蒼と茂る森の中を進んでいた。
誰も彼もが傷ついており、無傷な者は一人としてない。
直接、戦闘を行わないオルガマリーや立香も、魔力の枯渇により疲労困憊となっていた。
『よし、ここならカルデアとラインも構築できるはずだ。マシュ、盾を霊脈の上に』
「了解、ラウンドテーブル展開します」
ロマニの指示を受けたマシュが、額から汗を流しながら緩慢な動作で自身の盾を地面の上へと設置する。
すると、青白い光が円を描き始め、大気中の魔力濃度が増していった。
霊脈の魔力を利用してカルデアとの簡易的な繋がりを構築する召喚サークルだ。
これを用いれば、レイシフトでは送り込めない食糧などの補給物資をカルデアから送ってもらうことができる。
サーヴァントには食事は必要ないが、デミサーヴァントであるマシュやマスターは別だ。特にマスターはサーヴァント維持の生命線。藤丸立香という楔がなければ、カルデアの炉心からサーヴァント達に魔力を供給することもできない。
なので、彼らがまず第一に行ったのは立香を休ませることであった。
「はい、これ食べて。それからこれも飲む」
「先輩、毛布はこちらです。すぐに焚火も起こしますので」
マシュによって蓑虫みたいに毛布を巻きつけられ、オルガマリー手ずから無理やりビスケットを口の中に押し込まれた立香は、突然の出来事に目を丸くした。
手足を縛られ身動きが取れず、何かを喋ろうにも口の中の水分を奪われたことで喉を詰まらせ息ができない。
我慢できずに大きく咳き込むと、飛び出したビスケットのカスが真正面にいたオルガマリーの顔へとかかり、思いっきりジト目を向けられたことに一抹の恐怖を覚えた。
それでも立香は勇気を出して自らの意見を口にする。
「す、すみません……いえ、でも、俺だけ先に休むなんて……」
美女二人から介抱されるのが嫌な訳ではないが、自分よりもずっと傷ついているマシュや他のみんなを差し置いて、休んで良いものなのかと考えたからだ。
薪を集めるのだって楽ではない。寧ろ、ここは男子として無理をするべきなのではないだろうかと。だが、そんな見栄っ張りな意見はオルガマリーが流し込んできたカフェイン飲料によって却下されてしまう。
「あなたに倒れられたらみんなが迷惑するの。だから、休める時に休んでおきなさい」
「わ、分かりました……待って、熱い! それホットチョコ!? 何の罰――――」
「つべこべ言わない!」
顎を押さえつけられ、無理やり熱々のホットチョコを流し込まれて立香は毛布にくるまれたままその場で七転八倒する。
明らかに喉を通っていい熱さではない。舌で口の中をなぞると、火傷特有のザラザラとした感覚が伝わって来て思わずまなじりが涙ぐんだ。
別に人類最後のマスターだからと粋がるつもりはないが、それにしたってこの扱いはどうなのだろうか?
そんな理不尽に涙していると、見かねたロマニがオルガマリーを窘めようと通信を開く。
『所長、藤丸くんのことが心配なのは分かりますが、どうかお手柔らかに――――』
「べ、別に心配なんてしていません!」
ロマニが言い終わるよりも前に、顔を真っ赤に染めながらオルガマリーは反論する。
その拍子に手にしていたホットチョコが零れ、首筋から胸にかけて灼熱の雫が伝って立香はもんどりを打った。
「彼にもしものことがあれば、グランドオーダーが立ち行かなくなります! それを気にしているだけです!」
「そうなのですか? 所長が先輩と相対すると心拍数が上昇しているようですから、わたしはてっきり――――」
「マシュ! そんなのじゃないから!」
物凄い勢いでマシュが言いかけた言葉を遮ろうとするオルガマリーの姿に立香は何となく寂しさを覚えた。
何もそこまで全力で否定しなくてもいいのでは、と考えてしまう。
「別に心配していません気にもしていませんこんな男なんてどうなっても構いませんただ人理修復に必要だから仕方なくやってるだけですそう仕方なくなの分かるでしょう?」
『えっと……おかしいな、通信機の調子が悪いぞ』
触らぬ神に何とやら。ロマニは白々しい口振りで通信を切り、自らの保身に走る。
その態度が余計に癪に障ったのか、オルガマリーは手近な木に八つ当たりをしてからくるりとこちらに背を向け茂みを掻き分けていく。
「所長、どちらへ?」
「獣避けの結界を張ってきます。マシュ、その馬鹿がちゃんと休んでいるかしっかり見張っていなさい! ジル、あなたも来て! 護衛が必要です!」
こちらを指差して叫んだ後、オルガマリーは茂みの向こうへ消えていく。
一拍遅れて、はたと我に返ったジル・ド・レェが魔導書を手に彼女の後を追っていった。
これはしばらく荒れるなと、立香は大きくため息を吐く。
そこでふと、物静かに俯いているサンソンの姿が目に入った。
「大丈夫?」
口を出すのも野暮かと思ったが、それでも放ってはおけず話しかけることにした。
生憎と歴史にはそこまで明るくないので、マリー・アントワネットやサンソンが生前にどういったことをしてきたのかということは知らないが、彼が彼女を処刑したことについてはロマニやマシュから教わっている。
一度は自ら手をかけた女性が、再び自らの前に姿を現した。それも敵対する立場としてだ。何か思うことがあるのか、サンソンは表情を曇らせたままどこか遠くを見つめている。
「僕はもう一度、彼女の首をはねることになるのか」
発せられた言葉は、驚くほど空虚なものだった。
まるで迷っている自分に言い聞かせているかのような、弱々しい響きだ。
「サンソン……」
「……今でも信じられません。彼女はフランスを愛していた……誰よりもこのフランスに恋をしていた。その彼女が、復讐を願うだなんて…………」
そうはなって欲しくなかったとサンソンは述懐する。
マリー・アントワネットは自由に奔放に生きたフランスのアイドルであった。
国民の皆が彼女に恋をし、彼女は民を含む国そのものを愛していた。
裏切られ首をはねられることになろうとも、恨み言を述べることなくギロチンにかけられた。
その時点においてサンソンの中で、マリー・アントワネットという偶像が出来上がったのだろう。
自らを裏切ったフランスを恨むことなく、愛したままこの世を去った悲劇の王妃であると。
その内に芽生えていた微かな憎悪を自分は見逃していた。例えどれほどの聖人であろうとも、憎しみを抱かない人間などいないというのに。
「彼女は処刑される直前となっても穏やかなままだった。これからその首をはねる男の靴を誤って踏んでしまったことを詫び、まるで礼拝堂の扉を開けるかのように厳かな足取りで歩を進めたんだ。その後ろ姿に僕は心を揺さぶられた。自分が務めてきた責務の重みを一際に強く実感し、彼女がこの世界から失われることを嘆いた。例え罪はあったとしても、その魂は気高く崇高なものであったと。けれど、それはただ彼女を処刑したことを懺悔し、哀悼を捧げることで勝手に納得していただけだったのでしょうね」
そう呟いたサンソンの横顔は、今にも泣き出しそうなくらい悲痛な色を浮かべていた。
焚火を起こしながらこちらの話に耳を傾けていたマシュも、居た堪れなくなって顔を逸らす。
唯一人、ファントムだけが彼を悼む歌を歌い続けていた。
「憎しみは炎。燃えて燃えて燃え尽きて、ただただ焦がれ灰となる。ああ悲哀、ああ悲劇。星は落ち世界は燃える」
悲しいかな歌うようにしか話せぬファントムの言葉はどうしても真意が掴めず困惑するしかなかったが、それでも彼がサンソンのために歌っていることだけは何となくではあるが察することができた。
そんな哀れな怪人の慰めにサンソンは礼を述べると、思い改まった表情でこちらに向き直った。
「マスター、僕は覚悟を決めなければならないということだけは分かる。もう一度、この手で王妃を処刑するのだと」
「サンソン」
「僕は法の使徒だ。どのような結果であれ判決が下りたのならそれに従うまで。そして、彼女の行いはこの世界にとって間違いなく有罪だ」
胸の内を焦がす憎しみが如何ほどのものなのかは知り得ないが、その衝動に従って無関係な人々を虐げることは悪でしかない。
その憎しみにどれほどの共感を得ようとも、無辜の民の命を奪っていい理由にはならない。
世界はその行いを時代に対する罪悪であると結論付け、一人の男をこの地に呼び寄せた。
それが自分なのだとサンソンは結論付ける。
マリー王妃と相対し、自らに問いかけたサンソンが導き出した戦う理由であった。
「それでもマスター、もしも僕が迷うことがあれば、どうか令呪を使って欲しい」
迷いはどうしても拭えない。敬愛する王妃に再び刃を向けた時、冷静でいられるかは未知数だ。
仕損じるだけならばまだ構わない。自分が果たせずとも誰かが成すだろう。だが、もしも血迷いその刃を主に向けてしまったら?
王妃を逃がすために、彼女達の側に自分が加担してしまったとしたら?
疑念はどうしても消えない。だからこそ、サンソンはマスターである立香に頼るしかなかった。
自らの役目を果たせなった時、その刃がこちらに向けられる前に自害させろと、サンソンは悲壮な覚悟を口にしたのだ。
人理を担う英霊として、マリー・アントワネットと再び対峙し責務を果たさんとするサンソンの強い覚悟と言葉の重みは、立香の心を激しく揺さぶった。
背負うにはあまりにも重い、一人の男の覚悟。
ほんの少し前まで、命のやり取りだとか世界の運命なんてものと無縁の生活を送ってきた自分にはとても耐えられない。
だが、彼のまっすぐな瞳を裏切りたくはないという思いもある。
自分は人類最後のマスター。他に担える者はおらず、彼の思いをきちんと受け止められるのは自分だけなのだ。
彼のマスターとして恥じない人間でいたい。
彼らと並び立つことができず、戦う姿を見守ることしかできない自分にできることなんて、それだけしかないのだから。
(……ああ、そうか)
ふと脳裏に、オルガマリーと初めて出会った時のことが思い浮かんだ。
ファーストオーダー直前のミーティングに遅刻してしまい、更に居眠りをしてしまったことでオルガマリーの怒りを買ってしまった自分は管制室を追い出されてしまった。
もちろん、あの時の自分はカルデアの事情なんてものは知らなかったので、どうして目の前の女性が不機嫌そうに殺気立っているのか分からず、頬を引っ叩かれたこともあって気性が荒いヒステリックな女性であるというのが彼女の第一印象であった。
だが、実際の彼女はあの大舞台を前にして、今の自分のように気持ちの余裕をなくしていたのだ。
観測できなくなった未来への対処と、どんな危険が待っているかも分からない特異点に調査員を送りこむ責任に押し潰されそうになっていたのだ。
誰かを気遣う余裕なんてなく、ただ目の前の問題を受け止めるだけで精一杯。ひたすらに自分を追い立てながら走り続けるのは地獄でしかない。
そんな苦痛の中で彼女はずっと戦ってきたのだ。
今ならば分かる。
彼女がどれだけ苦しんで、足掻いていたのかを。
そう思うと拳に力が入った。
肩にかかる重圧は変わらないが、気持ちの整理がついたことでほんの少しだけその重みが気にならなくなる。
たった一人で戦い続けてきた少女が、今も自分と共に人理修復の旅を続けてくれている。
それに気づけただけでも小さな前進だ。
未だ至らぬマスターではあるが、目指すべきものの取っ掛かりが見えた気がした。
「サンソン、俺達が最後までついている。だから、一緒に行こう」
彼だけに背負わせはしない。
マシュは盾、彼らは剣。共に戦う仲間であると同時に人類史を担う英霊達。
せめて痛みだけでも共有しよう。
戦い傷つくのは彼らでも、命令を下すのはマスターの役目なのだから。
□
鬱陶しい茂みを掻き分けながら、オルガマリーは手早く森の要所に結界の術式を刻んでいく。
日没間際の森の中を徘徊する影は少なく、たまに思い出したかのように小さなネズミや鳥とすれ違うばかりであった。
穏やかな風と小川のせせらぎは平穏そのもので、フランス全土が魔獣達によって蹂躙されているのがまるで嘘のようであった。
「ジル、そっちは?」
「何匹か海魔を放っておきました。結界内に侵入する者があれば音もなく捕食するでしょう。これで今夜は安心して眠れますな」
「生態系とかに影響でないでしょうね、それ?」
ジルの足下でうねうねと蠢いているヒトデのような生き物を見て、オルガマリーはこめかみに酷い頭痛を覚えた。
何度も目にしている光景ではあるが、きっと慣れることはないだろう。気を張っていないと眩暈を起こして倒れてしまいそうだ。
寒気と震えが止まらず、オルガマリーは二の腕辺りを擦りながら、無意識に他人の温もりを求めてしまう。
だが、すぐに思い浮かんだのがあの憎きシルクハットの魔術師の顔だったため、オルガマリーは慌てて頭を振って彼との思い出を意識の隅へと追いやる。
頼れる男で、理想の父性であったことは否定のしようがない事実ではあるが、今の彼はカルデアの敵だ。向けるべき感情は慕情ではなく憎悪と嫌悪である。
ならば、他に誰がいるだろうかと想像力の翼は広がっていく。
疎遠だった父やロマニは違う。片や家族らしい思い出なんてないし、片や有能だが能天気でいまいち頼りない部下だ。
それよりもクー・フーリンのような強くて逞しい男性が良い。弱気な自分をリードし引っ張っていってくれるような男性ならば心置きなく甘えられるのに、どうして自分の周りにはそんな人間がいないのだろうか。
(そうよ、別にあいつのことなんか…………)
脳裏に浮かんだ立香の真剣な眼差しを思い、オルガマリーは作業の手を止める。
48番目のマスターにして、人類最後のマスターとなってしまった少年。
自分やマシュのために、何かできることはないだろうかという理由だけで世界を救うことを選択した愚かな男。
愚図でのろまで現状認識も甘く、魔術師ですらない素人。
なのに、彼は不平も不満も漏らさず必死で食らいついてきている。
思い返せば戦いの中で怯えているのは自分ばかりで、同じくらい恐怖を感じているはずの彼は泣き言すら吐くことはなかった。
そして、こちらが挫けそうになった時、震えながらも自分を支えてくれた彼の手の感触は今もハッキリと体に残っている。
(思ってたよりも大きな手だったな…………って、何を考えているのよ!)
手近な木を八つ当たり気味に蹴飛ばして、あらぬ方向に進み始めた思考を無理やりリセットする。
変に思い詰めるから余計なことまで考えてしまうのだ。自分は上司で彼は部下、それ以上でもそれ以下でもない。
そう自分に言い聞かせて、オルガマリーは作業を再開することにする。
「ふむ、そろそろ陽が落ちますな。皆のもとに戻る頃合いではありませんか?」
蛙かなにかのように両目をギョロギョロと回すジル・ド・レェの提案に、オルガマリーは無言で頷いた。
突貫ではあるが、十分な精度の結界は張る事ができた。これとジル・ド・レェの海魔があれば、とりあえずは魔獣の襲撃に怯えずとも一晩を明かすことができるだろう。
贅沢を言うならば暖かいお湯を頭から浴びて柔らかいベッドに潜り込みたいところだが、それはカルデアに戻るまでのお預けだ。せめて今夜は苦味の効いたインスタントコーヒーを呑んで自分を慰めるとしよう。
「そうだ、戻る前にあなたに言っておこうと思っていたの」
「おや、何ですかな?」
「さっきの戦闘のことよ。私のことを庇ってくれたでしょう? そのお礼」
ジークフリートと対峙して動転してしまった時、ジル・ド・レェは身を挺してこちらを庇ってくれた。
相手は世界的に有名な竜殺し。英霊としての格も実力も天と地ほどの差があり、下手をすれば攻撃に巻き込まれて自分も死んでしまうというのに、彼は一歩も臆することなく大英雄に立ち向かったのだ。
使い魔であるサーヴァントが主人を助ける。それは当たり前のことなのかもしれないが、それでもあの時の出来事については素直にお礼を述べた方がいいという気がするのだ。
「いえいえ、共に戦う以上はこれくらい……」
「ええ、本当に……だから、信じて良いのよね、ジル・ド・レェ?」
ジル・ド・レェは自分達と共に必死になって戦ってくれている。
だが、彼の根底にあるものはこの国への憎しみだ。
聖女を裏切り、貶め、処刑したフランスという国への憎しみが英霊としての彼を突き動かしている。
聖女にも自分にも復讐の権利がある。だからこそ、他の誰にもこの国は渡さない。
誰よりも惨たらしく凄惨な報復を与えてやらねば気が済まないからこそ、その機会を奪われぬために戦おう。
それこそが反英雄ジル・ド・レェが自分達と共に戦う理由である。
だが、それは全てジル・ド・レェが自らの口から語ったことでしかない。
彼はカルデアのことを最初から知っていた。もしも、彼が最初からマリー・アントワネットと通じており、カルデアを出し抜くための伏兵として近づいてきたのだとしたら?
彼には動機がある。この憎き故国を蹂躙し聖女の復讐をするという理由があるのなら、寧ろそう考える方が自然だ。
それでもオルガマリーの中には、彼を信じたいという気持ちがあった。
身を挺して自分を助けてくれたこと。そして、マリー・アントワネットに対して激しい怨嗟の声をぶつけた時の、鬼気迫る血走った眼。
あのぎらついた双眸は、決して演技などではない。心の底から湧き出てきた感情によって生まれた輝きだった。
それすらも嘘であるなどとは思いたくない。
理性が彼には裏があると告げている。
本能が彼は信じられると告げている。
だから、後1パーセント信じたい。
彼の言葉の裏に更なる裏があろうとも、そこに偽りの親愛などないことを信じるために。
「…………」
その表情に一切の変化は見られなかったが、ジル・ド・レェの中で何かのスイッチが入ったという予感がした。
凄味が増したとでも言えばいいだろうか。飛び出した目を血走らせ、手には宝具である魔導書が携えられたまま。彼が一言命じれば忽ちの内に足下の海魔は自分に襲い掛かるだろう。
それを躱し、ジル・ド・レェに一撃を打ち込む技量は自分にない。魔術も
この予感が嘘であって欲しい。
彼の言葉に偽りはなく、最後まで共に戦う同士であって欲しい。
そう念じてオルガマリーはジル・ド・レェからの返事を待った。
「……私の答えは常に一つです。あなた方と共に……戦うと!」
言うやいなや、ジル・ド・レェは振り返って魔術書を開き、人間のものとは思えぬ奇声染みた呪文を唱える。
すると、足下にいた海魔が破裂するかのように膨張し、伸びた触腕が茂みの向こうへと叩きつけられる。
その威力たるや、バイコーンの突進にも匹敵するだろう。濛々と立ち込める土煙の向こうでは大木に亀裂が走り、轟音と共に幹を千切りながら倒れていく。
『サーヴァントの反応!? いつの間に!?』
ロマニからの通信に、肉の弾ける音が重なった。
土煙の向こうで腐臭と共に血飛沫が舞い、海魔の断末魔が森の中に響き渡る。
「気づいていましたか。アサシンの真似事はさすがに無理がありましたね」
ゆっくりと姿を現したのは、銅色の鎧に身を包んだ長髪の剣士であった。
返り血で汚れていても損なわれることのない神聖さを携えた、理知的な瞳が印象的な紳士だ。
抜き身の剣が光っていなければ、その端正な顔には柔和な笑みが浮かんでいたことだろう。
だが、今の彼から発せられているのは強い敵意の念だ。
隙を見せれば即座に切り捨てられる。そんな危険な気配を纏っている。
「結界を張るのは構いませんが、露骨過ぎれば却って怪しまれますよ。不自然に獣が避けて通るのなら、その先に何者かが潜んでいると思うのが自然でしょう」
「あなたは、マリー・アントワネットの仲間なの?」
「故あって真名は伏せましょう。クラスはライダー、あなた方と刃を交える者です」
言うなり、ライダーは剣を翻して大地を蹴る。
普通の人間では到底、出すことが出来ない音速の踏み込む。そこから繰り出される斬撃は、オルガマリーの体など容易くねじ伏せてしまうであろう。
だが、クー・フーリンやジークフリートに比べれば明らかに襲い。故にジル・ド・レェの迎撃が間に合った。
再び唱えられた異界の言葉と共に海魔の死体が膨れ上がり、新たな命を得てライダーの進路を遮ったのだ。
『藤丸くん達を呼んでいます! 耐えてください、所長!』
ロマニの叫びが森の中に響き渡る。
敵は一騎、他に伏兵の類は見当たらない。言い換えればそれだけの自信があるということなのだろう。
ならば躊躇している訳にはいかない。今、この場で最高の戦力を呼び出さなければ、生き残ることはできないだろう。
「令呪を持って命じます! 来なさい、ランサー!」
熱と共に右手の令呪が光を放ち、クー・フーリンの
最速の英霊、その名に恥じぬ神速の刺突が海魔の絨毯を跳び越え、行く手を遮られていたライダーの胸元へと吸い込まれていった。
咄嗟にライダーは身を捩り、構えた剣で槍先を捉える。
響き合う乾いた打撃音。軌道をずらされた槍は微かにライダーの肩を掠めるに留まり、傷を負わすには至らない。
その隙に膨れ上がった海魔は次々と触腕を叩きつけるが、ライダーはまるで背中に目があるかのように巧みな体捌きで攻撃を躱していく。
ライダーは弧を描く触腕の動きを見切り、時に剣で切り落として腐った血の匂いをまき散らし、雨のように降り注ぐ中で槍兵対峙していた。
双方ともに、一歩も引かない大立ち回り。海魔の無差別攻撃への対応が一瞬でも遅れれば、忽ちの内に食いつかれてしまう魔の決闘だ。
「ぬうう、ならばこれで!」
海魔の攻撃がまるで通じないことに業を煮やしたジル・ド・レェは、更なる魔力を込めて海魔を膨張させる。
直立したグリズリーほどの大きさにまで成長した巨大ヒトデは、細い触腕を蛇のように震わせながら
腐臭のする涎を垂らしながら、大口を開ける様はまるで食虫植物だ。あまりにも冒涜的な光景にオルガマリーは吐き気を覚え、眩暈でバランスを大きく崩す。
精神的な疲労が重く、これ以上の戦いは困難であった。それでなくとも
隙を見つけて何としてでも抉じ開けなければ、立香達が駆け付ける前に押し切られてしまう。
(やるしかない、宝具を!)
ジル・ド・レェの海魔が跳びかかった瞬間を見計らい、オルガマリーもクー・フーリンの宝具を発動する。
如何に直感に優れていようと、人である以上は動きに限界がある。ひとっ跳びでこちらの射程距離から逃れられなければ、この宝具を躱すことはできないのだ。
「『
狙い違わず、呪いの朱槍が心臓を穿つ。
槍の射程距離であるならば、如何なる加護をも突破して獲物を屠るこの宝具に死角はない。
ジークフリートを倒すには至らなかったが、あれは例外中の例外だ。不死身の英霊などそうそう巡り会うはずがない。
そう思っていたオルガマリーが目にしたのは、ライダーを守るように現れた美しい駿馬の幻影。そして、胸を貫かれながらも表情を変える事なく槍を引き抜き、背後の海魔を切り捨てるライダーの姿であった。
「そんな、どうして!?」
「我が愛馬、『
そう言ってライダーは、穏やかな表情を浮かべて剣を鞘へと納めた。同時に時間切れとなったクー・フーリンの
『ベイヤードだって? なら、彼は聖ゲオルギウスか!? 聖剣アスカロンを持ち、毒を吐くドラゴンを対峙した守護聖人の!?』
何と言う事だ。聖堂教会においても信仰の篤い守護聖人。もう一人の
もしも彼があのまま剣を抜いて切りかかっていれば、自分は今頃、ジル・ド・レェと共に地に伏していただろう。
それをしないということは、何かしら思惑があるということだろうか。
「あなた方の力量は分かりました。サーヴァントの影法師、面白い術を使うものです。そしてこちらも手の内を明かし真名も露呈した。ならば、このまま戦うよりも私は話し合いの席を所望したい」
「何を言うか、魔女めの傀儡が!」
「元帥、私はあなた方の事情は把握しています。戦いを続けると言うのなら、あなたの復讐も潰えることになりますよ」
「ぬぐぐぐぐ……」
その二つの眼差しが、血走ったジル・ド・レェの眼を捉える。
一瞬の沈黙。両者はそのまま睨み合いながら動きを止め、やがて海魔は魔力が尽きてどろどろの粘液へと溶けていった。
彼らを操っていたジル・ド・レェは奥歯を噛み締め、手にしている魔導書を握り潰さん勢いで力を込めている。
海魔に命じてゲオルギウスに襲い掛かるのは簡単だが、自信に満ちた彼の言動を見て理性が待ったをかけているのだろう。
今すぐにでも八つ裂きにしてやりたいが、それは得策ではないと感じ取っているようだ。
「ジル、落ち着いて」
「……ええ、分かっていますとも。今の我々では彼には勝てません」
受けたダメージを無効化する『
「何が目的なの、聖ゲオルギウス?」
「無論、あなた方との共闘です。そのための手段と情報を持ってきました」
そう言って一礼するゲオルギウスの瞳には、穏やかな知性の光が輝いていた。
□
『では、あなたはマリー・アントワネットによる狂化をほとんど受けていないのですね?』
あの後、駆け付けたマシュ達の手でゲオルギウスは形の上では拘束され、野営地で即席の会談が設けられることになった。
そこで彼が語った話によると、マリー・アントワネットに従っているサーヴァント達は狂化スキルを植え付けられて本来の人格が歪められているが、ゲオルギウスにはその効果があまり効いていないというものであった。
「私には強い主への信仰心があります。加えて聖人としての加護のおかげか、植えこまれた狂化スキルが著しくランクダウンしているようなのです」
『聖ゲオルギウスは何度も棄教を強要されても応じなかった。なるほど、精神的な攻撃には強い筈だ』
「とはいえ、彼らの動向を探る為に悪事に加担したのも事実。止むを得なかったとはいえ、よい気分ではありません」
それに効果が薄いといっても機能していない訳ではない。何かのきっかけで歯止めが効かなくなることもあり、その度にゲオルギウスは後悔に苛まれながら狂化の制御に務めてきたらしい。
「マリー王妃の側にいるサーヴァントは複数いますが、彼女の側近として動いているのは三騎。ジークフリート、シュヴァリエ・デオン、そして仮面をつけた謎の魔術師。その内、厄介なのはジークフリートです。かの竜殺しが持つ宝具『
悪竜ファヴニールを殺し、その血を浴びた事で不死身となったジークフリートの肉体。英霊となったことで宝具へと昇華されたその逸話は、彼に無敵の肉体を与えている。
ゲオルギウスの話によると、Bランク以下の物理攻撃と魔術を完全に無効化し、それ以上の攻撃であっても大幅に威力を減衰させてしまうらしい。
だが、菩薩樹の葉が張り付き背中の一部分は悪竜の血を浴びることができなかったという伝承の通り、彼の背には宝具の加護を持たない箇所があるのだそうだ。
なので、『
しかし、それはどちらも非常に困難な方法であった。
まずゲオルギウスを含む自分達の中にAランク以上の攻撃ができる者がいない。オルガマリーならばアーサー王やヘラクレスを召喚することで対応可能だが、ジークフリートほどの大英雄となれば自身の弱点への警戒は決して怠らないはず。彼の剣戟を掻い潜って背中を狙うのは容易ではないはずだ。そうなると長期戦を避けることができず、3分間しか召喚を維持できないという
「全員でいっぺんにかかれば……」
「馬鹿、さっきもそれで返り討ちにあったでしょう」
浅い考えを口にする立香をオルガマリーは窘める。
不死身の肉体を抜きにしても、ジークフリートは最優に恥じない性能を持つサーヴァントだ。
弱点が分かっていても攻略のための前提条件が厳しく、真名が知られてしまった以上は向こうも背中の急所に最大限の警戒を向けているだろう。
そもそも次に戦う際も彼一人だけを相手にできるとは限らない。
「向こうにはシュヴァリエ・デオンや他のサーヴァントもいます。連携を取られればこちらに勝ち目はありません」
「その通りです、シールダーのお嬢さん。それにこの身に宿る狂化を完全に消し去ることができない以上、私もいつあなた方の敵に戻るかは分かりません」
マシュの言葉を肯定し、ゲオルギウスは一拍を置く。
その場にいる全員の注目が集まる中、彼は厳かに口を開いた。
「マリー・アントワネット側の最大の脅威はジークフリート。ならばそれに対抗できるだけの戦力を用立てるべきでしょう。この特異点において、唯一人だけそれが可能な英霊がとある街に囚われています」
ジークフリートと真っ向から戦うことができ、『
アーサー王か或いはシャルルマーニュか。いずれにしてもそれほどの英霊がこの時代に召喚されているのならば、仲間にできれば心強い戦力となってくれるだろう。
「無論、捕まえているのはマリー王妃のサーヴァントです。その者は彼女達が支配している街に囚われ、凄惨な拷問にかけられていると聞いています」
「その英霊を私達に助け出せと言うのね。いったい何者なの?」
「最も騎士道を体現した理想の騎士。彼の英雄は優れた武勇と高潔な精神故に人間のみならず精霊にまで祝福されたと言います。別名は『湖の騎士』――円卓最強の騎士ランスロット。彼がこの時代に召喚されているのです」
その名を耳にしたマシュが息を飲んだ。意外な反応にオルガマリーは驚いたが、それも無理はないとすぐに納得する。
ゲオルギウスが語ったランスロットという英霊は、それだけ高名な英雄なのだ。
湖の騎士ランスロット。
アーサー王の円卓でも最強と謳われた理想の騎士。そして、彼とアーサー王の妻との不義の繋がりが円卓の終焉を招いた裏切りの騎士。
異なる二つの側面を持って人類史に刻まれた騎士の英霊が、この時代に召喚されているという。
混迷となりつつある第一特異点において、その存在は切り札となりえるのか。
今の時点では、まだ誰もそれを知らなかった。
□
どことも知れぬ闇の中で、少女の悲鳴が木霊する。
石造りの壁に反響する耳を裂くほどの奇声。それは言葉としての体裁を取っておらず、ただただ激痛を訴えるだけの音でしかなかった。
それもそのはず。少女が閉じ込められているのは天上から吊り下げられた球状の檻。その内側には鋭い針がいくつも生えており、逃げ場のない激痛を絶え間なく少女に与えているのだ。
痛みで少女が身を捩れば檻が揺れ、その拍子に針が少女の皮膚を裂く。その反動で少女が動けばまた檻が揺れて針が刺さる。
衣類を剥ぎ取られた少女の若く美しいはずの肌は、見るも無残に切り裂かれて痛々しい傷が無数に走っている。
足の裏はとっくに皮膚が擦り剝けており、肉が抉れている部分もあった。手も腕も胸も背中も性器すらも針で貫かれ、血抜きされている家畜のように傷口から血が滴る様は狂気以外の何物でもない。
その真下で零れ落ちる少女の血を受け止めているのは、角と尻尾を持つ年若い少女であった。
「うーん、良い声で鳴くわね。おかげで頭痛も少しだけ治まってきたわ。けど、段々と声が小さくなってきたわよっ!」
痛みの余り精神が先に限界を迎え、叫ぶこともできなくなった少女はただ檻が揺れるに任せて血を流す肉塊と成り果てていた。
それが気に入らなかったのか、角の少女は苛立ちをぶつけるかのように、手にした槍を檻の隙間へと突き刺す。
途端に、雨のように夥しい量の血液が頭上から降り注ぎ、角の少女は恍惚とした笑みを浮かべて血のシャワーを堪能する。
「もう鳴けないのなら、生きていてもしょうがないでしょう? ああ、新鮮な血は格別ね。お肌の瑞々しさが違う」
真っ赤な血を全身に塗りたくり、赤く染まった自身の肌を少女はうっとりとした目で見つめる。
死んだ少女には気の毒な話ではあるが、これは角の少女にとって日常的な出来事の一つ。このような目も覆いたくなるほどの拷問と処刑を彼女は飽きるほど繰り返しており、その度に年若い少女の命が無残にも散っていくのだ。
「あらあら、あまり殺し過ぎては備蓄も尽きてしまいますよ」
扉が開き、鉄を帯びた血の匂いに焦げた肉の匂いが交じり合う。
凄惨な拷問部屋に入ってきたのは、着物を纏った東洋の少女であった。彼女もまた、頭に2本の角が生えている。
「あら、殺しちゃったの?」
着物の少女が引きずってきたのは、顔も年齢も分からぬまでに炭化した男性の焼死体であった。
まだ年端もいかない少女が細腕で大の男を引きずっている光景は異様でしかなかったが、この場でそれに言及する者はいない。
いたとしても、恐ろしさの余り口を噤む事だろう。
それほどまでに彼女達はこの街で絶対の権力を握っていた。
それほどまでに彼女達は狂っていた。
「このお方、嘘をおつきになったんです。私が丹精を込めて作った手料理……失敗してしまったのに、美味しいって言うのですよ。私、ちゃんと言いましたのに。火を入れ過ぎて味付けも間違えてしまいました。お口に合わなければ
「言わなかったの?」
「真っ青な顔で咳き込みながら、『
「うん、殺されちゃっても無理ないわね。良いでしょう、男も女もまだまだいるのだから」
「私は殺したい訳ではないのですよ。でも、嘘は許せません。嘘だけは……絶対に……」
倫理観を破綻させている着物の少女と、目に狂気の光を宿す着物の少女。
この街では彼女達の気まぐれで住民は拉致される。そして、女は拷問の果てに殺されて血を搾り取られ、男は献身的に愛された果てに思わぬ行き違いから焼き殺される。
ここは愛憎渦巻くデッドエンドの街。
カルデアの次なる目的地において、狂った竜の少女達は今日も惨たらしい死体の山を築くのであった。
えっちゃんピックアップは完全な想定外でした。
もちろん来ませんでした(泣)。
それにしても兄貴の槍は本当に毎度毎度何故当たらないのか?
当たったらそこでお話が終わってしまいますからね、仕方がない。