転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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電子の海に生まれた配信者
#0 配信を見てみよう!


もうすぐ18時ちょうどになる。

 

夏のとある休日、今日も僕はパソコンの前でその時間になるのをネット掲示板を眺めながら待っていた。

 

『待機』『今日は間に合った~!』『ただいま』『ただいまー』

 

掲示板の横で動画配信サイトを開き、生放送のタブを選択する。

おすすめ一覧の一番上に表示されている見慣れたサムネイルをクリックするとまだ放送が始まっていないにも関わらず配信枠ではすでに数百人がコメントを書き込んでいるようだった。

 

『ただいま』

 

僕もその数百人と同じようにそうコメントを打つ。するといくらかの視聴者が僕のコメントに反応を返してくれる。

 

『おかえり』『おかー』『やあ』

 

なんだかおかしな挨拶。だが、この配信ではこれが普通、視聴者は皆この配信へと帰ってきたのだ。

 

もうすぐ配信が始まる。真っ暗だった配信画面は18時ぴったり、コンマ1のずれもなく正確に動き出した。

 

配信画面に映し出されたのは部屋だった。畳と呼ばれる床に、木製の背の低い丸い机?が置かれている。その上には冷たく冷やされているのだろう、露のある硝子製の入れ物。色からして中身は……麦茶だろうか。そばにはこれまた硝子製のコップ。半分ほど麦茶が入れられている。

他にも蚊取り線香と呼ばれるものが白い煙をゆらゆらと昇らせたり、紫陽花柄のうちわと呼ばれるものが置かれている。

 

部屋の奥は障子戸が開け放たれ、縁側が続く。小さな畑が見えさらにその奥に田んぼが段々になって形作られている。田んぼには水が張られ青々とした苗が風によって波打っているのが見える。その先に大きな山々が連なり、ちぎれた雲がぽつぽつとその姿を現していた。

 

その光景は今の時間、つまり夕焼けによってオレンジ色に美しく映し出されていた。

 

障子戸の先がまるで絵画か何かのようだと錯覚してしまう。あるいは絵やアニメのような創作物のように。

あまりにも美しく、幻想的。それは僕の心に懐かしく、寂しい感覚を呼び起こさせる。

 

誰かがかつてコメントしていただろうか、それは"ノスタルジック"なる感覚なのだという。昔を思い出し、切なく懐かしく思うことなのだという。

 

だが、当時その説明を聞いた僕は首を傾げていた。

なぜなら僕は、あるいは今この生配信を視聴している視聴者の誰もがおそらくこの光景をリアルに目にしたことなどないはずだから。

 

鉄とコンクリートと合成樹脂、それこそが僕たちの懐かしく思うべき対象であるはずだ。

 

ふと僕はこの風景を切り取っている枠の縁に何かがぶら下がっている事に気が付いた。光漏れる障子戸の上、長押部分からぶら下がるそれは丸いガラスの器のようなもので、その中にも涙型のガラスがぶら下がり、その先には長細い紙片が風で揺れ動いている。

 

これもコメントで教えてもらった。風鈴と呼ばれるものだ。

 

僕は慌ててパソコンに音声受信用の端末を取り付け、音量を上げる。

 

そして、衝撃が僕を襲った。

 

予想していた風鈴の音。風に揺れ動く紙片より伝わる動きは凧糸を通して結ばれた涙型の硝子へと伝わり、丸い硝子の器へと遠慮がちに触れ合う。

機械的な法則に則った音楽とは異なる、自然をもって音を鳴らす風鈴は不思議とその音色に清涼感をもたらす。

 

だが、それだけではない。全くの予想外、いや予想以上だ。

風鈴の涼やかな音の後ろから聞こえてくるのはいくつもの種の蝉がなく音に、風が田んぼの苗を撫でるざあざあという音、障子と縁側の間を吹き抜けていくひゅうひゅうという音。

あるところでは木々がざわざわと、あるところではさあさあと、麦茶の中に入っていた氷がからんと、虫たちがりーんりーんと、田んぼの中のカエルががあがあと。

 

あらゆる音が一緒くたになって訴えかけてくる。

 

まるで自分がこの空間に居るかのような錯覚さえ覚えてしまうほどに。

 

 

『はっ!?wwwwww』『これはすげえええええええええ』『まじかあああああああ』『圧倒的リアル、リアル知らんけど』『マジでこれ全部3Dモデルなのか?どっかのロケ地じゃねえの?』『←こんな場所もう無い定期』『うん、いるよー今俺はここにいるわー』『←お前映ってないんだが…』『成仏』

 

 

コメント欄が追い付けないほどに加速する。すでに来場者数は数千を突破し、さらに増え続けている。

コメント欄はこの光景、あるいは音に様々な感想を言い合う場となり、だれもかれもが懐かしい、寂しいといった感情を書き込んでいた。

今の僕なら彼らと同じような感想を書き込むだろう。たとえ行ったこともなく、見たことさえない場所に望郷の念を抱くその感情を。自身でもうまく説明できないそんな感情を抱かせるその光景に視聴者は魅せられているのだ。

 

 

しばらくすると話題は風景からこの動画の主役へと移っていく。

 

『そういえばわんころちゃんは?』『さっきから姿が見えん』『配信開始したんだから近くにいるのでは?』『←おっ初見か?わんころちゃんの生は自動配信設定だぞ』『前に寝ちゃってて1枠つぶれたことがありましたね…』『あれは許した』『わんころちゃん後日の生配信で泣きながらめっちゃ謝ってたからな』『泣き顔かわいかったです』『泣き声かわいかったです』

 

話題が変態的な方向へと進み始めたのをスルーして僕は改めて配信画面へと視線を移す。

誰かが言っていたように、ここに映るものはすべて3Dモデル。作り物だ。部屋の内装も小物も、畑や田んぼ、果ては山や空、夕焼けとなっている太陽さえも。

それらはすべてたった一人の動画配信者によって創られ、設定され、命を吹き込まれたものだ。

 

『おっ来たんじゃね?足音するぞ』『聞こえん』『音量上げろ』『蝉ニキがうるさくて無理です』

 

僕も聞こえなかったのだが、しばらくすると足音は大きくなり誰かが縁側を歩いているのだと分かった。

障子に影が映り、ついにその姿が現れる。

 

…両手に山のように洗濯物を持っているため姿が見えない誰かが。

 

「遅れてごめんね~思ったより洗濯物がね~」

 

ゆったりと優しい声が響く。心が和らぐ安心するこの声音は紛れもなくこの配信の配信者である少女……のはずだ。

 

『またかよwwww』『おいwwwww』『山盛洗濯物で顔がみれんwwwww』『初見を混乱させるな』『洗濯物が実況者になる時代か……』

 

「しょうがないよ~いきなり通り雨なんだもん、狐の嫁入りってやつだよ~」

 

畳の上に洗濯物を置き、その場にぺたんと座り、少女はこちらへと視線を向ける。

浴衣と呼ばれる服を着てにこにこと楽しそうに体を揺らす彼女。黒い髪は夕焼けを反射して美しく映え、前髪は真っ直ぐ切りそろえられている。目立つのはその頭に髪色と同じ黒い犬の耳がくっついているところだろうか、耳がぴくぴくと動くたびお尻のもふもふなしっぽもゆらゆら動き出す。幼い容姿でありながらその鮮やかな翡翠色の瞳は何ともいえない暖かさと安心感を与えてくれる。

 

「は~いみんなおかえり~ヴァーチャル配信者のわんこーろだよ~わんころって呼んでね~」

 

『ただいまー!』『ただいままー』『やっと家に帰ってきたんだなぁ』『心の故郷』『本当にその呼び方でいいのか(困惑)』

 

電子生命体のヴァーチャル配信者わんこーろ、それがこの配信の主役であり自らが作った世界に住んでいるという少女の名前だ。

 

「ふふ、それじゃ~今日もわんこーろと一緒にこの世界を創っていこ~!」

 

 


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