水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第拾話 胡蝶姉妹

 鮭大根。それは至高の料理。

 

 鮭大根。それは永遠なる美味。

 

 汁の染みた大根、ほかほかの鮭の身。炊き立ての米を添えて口に入れればあら不思議、思わず顔が発光するくらい綻んでしまう。しかもこの鮭大根は良い昆布から出汁を取っているらしい。実に味に深みがある。

 

「ふぅ……また一つ、お気に入りの店が増えてしまった」

「またってことは、此処以外にもあるのか?」

「ああ。いずれは鮭大根を扱う店の関東制覇を目指している。俺のお勧めはやはり漁村と農村の中間にある店だな。鮭と大根はやはり新鮮なものに限る。一番美味いのはやはり姉さんの鮭大根だが」

「公平性の欠片も無いな……」

 

 ズズ、と焼き鯖定食の味噌汁をすすりながら錆兎は呆れた表情を見せてきた。何を言う、姉さんの鮭大根が最高に最強なのはお前とて理解しているはずだろうに。

 

 現在、俺たちは昼食を摂るために町の小さな定食屋に来ていた。小さいと言ってもその質はかなり良く、言わゆる掘り出し物に相当する店だろう。店員の老夫婦曰く二十年以上営んできた生粋の老舗。安心安全美味ときた。鮭大根も完備していて完璧だ。

 

 こんな店を見つけていたとは、やはり錆兎は凄い。近い将来に水柱……は無理でも柱になるだろう男は格が違った。

 

「さて、呼吸についての用事も終わってしまった以上やることが無くなってしまった。義勇、お前は何か用事は無いのか?」

「無い。強いて言うなら、そうだな……」

 

 杏寿郎から炎柱への紹介状は無事貰うことができたが、だからと言ってすぐに訪問という訳にはいかない。柱は俺たち一般隊士と違って己の担当区域を毎日駆けずり回っている多忙の身だ。手紙で前もって連絡を入れて伺った方が良いだろう。

 

 しかし問題なのは俺たちは時間はあっても特にすることが無いと言う事だ。まあ最悪鍛錬に時間を当てれば問題無いが。というか初日だけ休んで後は鍛錬に当てるつもりだ。

 

 だが休みは休みだ。今日くらいは鍛錬の事は頭から取り除いて、俺は何かやることが無いかとご飯を頬張りながら熟考し――――ふと、あることが思い浮かんだ。

 

「……胡蝶の所に挨拶に行かないか?」

「? ああ、胡蝶か。そう言えばお前が世話になったしな。何か土産でも持って訪ねてみるか」

「そうしよう」

 

 最終選別時、錆兎は殆ど負傷することが無かったため世話にはならなかったが、俺は気絶した体から介抱してもらった恩がある。その礼をするために一度挨拶に伺うべきだろう。何より助けられた身のくせに最終選別で別れてから一度も碌に連絡していないのは流石に人間としてどうかと思う。

 

 もう一ヶ月も経ったから十分駄目だろうって? ……男なら、細かいことを気にしてはいけない。とりあえずその分は高級な土産を持っていくことで補填しよう。

 

 そうと決まれば後は行動あるのみ。俺たちは昼食の残りを口の中にかき込んで手を合わせて礼を残しつつ、急ぎ近場の高級菓子店を探すことにした。

 

 幸いこの街は首都(東京)付近。探せばそこそこ名の売れた菓子店くらい見つかるだろう。

 

 和菓子は当然として、珍しい洋菓子も幾つか包んで行こうか。少々値段は高いが、幸い金はある。鬼殺隊は高給取りなのだ。常に死と隣り合わせな対価に見合ってるかと言われればまあ答えに苦しむが、自分から危険な仕事に飛び込んでおいて文句など言えるわけがない。そもそも金目当てで鬼殺隊に入るような奴は余程の酔狂者くらいだ。

 

 そんなこんなで菓子を包み、俺たちは足早に胡蝶邸へと赴いた。

 

 烏の案内で少し街離れにある大きな屋敷、人が三、四人程住めそうなほどの敷地を持つ立派な屋敷にたどり着く。

 

 自然に囲まれた心安らぐ場の中央にポツンと建てられた屋敷。独特の雰囲気に少しだけ浮かれながら俺たちは戸の前まで歩み、取り付けられていた呼び鈴を鳴らした。

 

「…………来ないな」

「……留守か?」

 

 一分ほど待ってもうんともすんとも言わない。というか集中して意識を巡らせれば家の中には人の気配らしきものすら無かった。と言う事は今カナエは不在なのだろう。

 

 そも俺たちが休みだからといってカナエが休みとは限らないのだ。これは失敗した。前提からして間違っていたとは痛恨のミスである。

 

「仕方ない。錆兎、時間を改めてまた今度――――」

「――――誰よ、貴方たち! 人の家の前で何してるの!」

「あら? 貴方たちは……」

「「ん?」」

 

 諦めて帰ろうとした矢先に、背後から随分と鋭い声と柔らかい声が上がった。

 

 振り向けば――――そこには探していた少女(カナエ)と、その少女によく似た、しかし似つかない不機嫌そうな顔を浮かべた少女が洗濯物を入れた籠を両手に立っていた。

 

 不機嫌そうな少女の瞳の色や顔立ち、そして俺の場合は頭の中にある知識と符合して彼女が隣にいる少女――――胡蝶カナエの縁者であるとすぐに理解する。

 

「いや、俺たちは怪しい者では……」

「帯刀している人が言っても説得力皆無よ! 何の用事かは知らないけど、早々に立ち去らないと……って、その隊服」

 

 明らかに警戒心剥き出して迫る少女は俺たちの身に付けている服を見てすぐに顔色を変えた。どうやら私服ではなく隊服で行動していたのが良い結果に出たようだ。

 

「もしかして、鬼殺隊の人?」

「そうだ。……久しいな、胡蝶」

「ええ、二人とも久しぶり~。ずっと連絡も無いから、何かあったのかと心配したわ」

「……姉さんに何か用事ですか?」

 

 カナエによく似た少女は俺たちが姉の名を出した途端すぐに表情は先程の、否、更に冷えた険しい顔つきに変わった。何故だ。

 

 カナエはその様子に呆れ半分の笑顔を浮かべながら少女を窘めている。

 

 ”姉さん”、という事はやはり、この少女は……。

 

「ああ。最終選別で胡蝶に世話になってな。そのお礼を言いに来た」

「あらそう? じゃあ折角だし二人とも上がって上がって~。こんな所で立ち話も疲れるでしょう?」

「ね、姉さん!?」

「では遠慮なく」

「義勇、ちょっとは遠慮というものを覚えろ」

 

 折角の厚意に甘えて素直に家へと上がろうとするも、若干眉間にしわを寄せた錆兎とこの上なく苛立ちの表情を浮かべた少女から同時に肩を掴まれて阻まれてしまった。なんで?

 

「女子しかいない家にあっさりと上がろうとするなんて不埒! 不遜! 不快よ! 挨拶が済んだならとっとと帰りなさい! ほら姉さん、こっちに!」

「あ、ちょっとしのぶ~」

 

 ぶっきらぼうにそれだけを言い放ち、少女は姉の手を引っ張りながらずんずんと俺たち二人を横切って屋敷の中に入ってしまった。

 

 ビシャリ、と音を立てて締まる戸に哀愁が漂う。

 

「義勇、どうする?」

「……………」

 

 錆兎にそう問われた俺は、とりあえず無言でもう一度呼び鈴を鳴らした。

 

 それを見た錆兎が心底信じられないものを見る目で俺を見るが、理由がさっぱりわからない。俺はせっかく買って持ってきた土産の菓子を二人に渡そうとしているだけなのに。

 

「……なによ? まだ何か用事でも?」

「…………これを」

「あらあら! これって噂の洋菓子? これ、結構高級って聞くのだけれど、いいのかしら?」

「ああ。胡蝶には世話になったからな」

「うふふ、別に気にしなくていいのに~」

 

 俺は戸を開けて姿を見せたカナエに持っていた菓子入りの包みを手渡した。

 

 カナエは中身に気付いて大層驚くも、俺たちの好意を素直に受け取ってくれる。彼女が笑顔を浮かべると、俺の顔も自然と緩んでいった。

 

 ホワホワとなんだか柔らかい物が生まれる音がする。

 

「用事は済んだわね! ではこれで!」

「あ、しのぶ~! 大丈夫よ、二人は姉さんの友達で――――」

 

 少女は包みと俺の顔を三度ほど交互に見て、まるで得体の知れないモノを見るような顔を浮かべながら全く感謝の念が感じられない台詞を残して流れるように戸を閉めた。どんだけ警戒されているんだ、俺たちは。全く心当たりがないのだが。

 

 それにしてもあの見事な足さばき、さながら水の呼吸【参ノ型 流々舞い】に通ずるものがある。洗練された実に良い動きだった。

 

「お、おい義勇、とりあえずまた後で出直して」

「…………」

 

 俺は三度目の正直とばかりにもう一度呼び鈴を鳴らした。錆兎は頭を抱え出したが、俺は終ぞそんな反応をする理由がわからなかった。

 

 開いたと戸からはまるで般若のような顔をした少女とおろおろと不安な表情を浮かべたカナエが出てきた。

 

 ……何をそんなに怒っているんだ?

 

「あのね、いい加減にしないと人を呼ぶわよ? それともその蛆が湧いていそうな頭を川底に沈めて冷やして差し上げましょうか???」

「しのぶ~! 大丈夫だから! 冨岡君はちょっと天然なだけで悪気は無いのよ~!」

「……その、お手伝いを」

「え?」

「は?」

 

 久しぶりに初対面の者(知っている顔ではあるが)、しかも女子と喋るので舌が上手く回らない。が、俺は何とか精一杯言葉を出そうと努める。

 

「洗濯物が多そうだったし、屋敷も広いから……女子二人では大変そうだし、恩返しとして家事の手伝いを、と……」

 

 俺が弱々しく精一杯の説明をすると、隣と前方から二つの深いため息が聞こえた。

 

 ただ単純に、大変そうだから手伝いをしようとしただけなのに、何故ため息を吐かれなけれはならないのだろうか。辛い。

 

「……ねえ、この人っていつもこんな感じなの?」

「本当にすまん。普段はもう少しまともなんだが、初対面の者に対しては凄まじく口下手で奇行が目立ってな……」

「私はそこが可愛いと思うのだけれど~」

「……俺は口下手じゃない」

「「それ本気で言ってるのか(ます)?」」

 

 二人から同時に寄越される絶対零度の視線に俺は思わず膝を突いた。純粋な善意での行動なのにどうしてこんなにも悪い結果が出るのだろうか。世界はそう簡単にできていないと言う事だろうか。心が折れそうだ。

 

 というかカナエ、可愛いってどういう事だ。俺は可愛くないぞ。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ…………。わかったわよ、お茶くらいなら出すから。それでいいわよね、姉さん?」

「うんうん。しのぶも美味しそうな洋菓子貰って嬉しいのよね~」

「姉さん!」

「……その、お手伝い」

「しなくて結構」

 

 俺の善意は言葉の刃で一刀両断された。女心って複雑だと思った。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 その後、居間に通された俺たちはカナエと少女――――胡蝶カナエの妹である胡蝶しのぶの二人に客人として持て成されることとなった。湯気を立てる緑茶を口に運びながら、俺はしのぶを少しだけ観察する。

 

 とても華奢な少女だ。恐らく十歳程だろう彼女の体は年相応に小さかった。

 

 これからどれだけ成長するかはまだ不明だ。だが剣に精通する者ならばある程度直感的に理解してしまうだろう。彼女の体格では、鬼の頸を斬ることは無理だと。

 

 鬼の皮膚は極めて硬い。人を二、三人しか食っていない雑魚鬼であろうと人間の皮膚と比べると岩並の硬度を誇る。最強の序列に選ばれた十二鬼月ならそれ以上の、さながら鋼の如き堅強さだ。

 

 人間、鍛えたからと言って無限に強くなれるわけではない。鍛えて増やすことのできる筋肉量は個人個人で必ず決まっている。そして胡蝶しのぶの場合は、その限界量は鬼の頸を斬る最低基準にさえ達していないだろう。

 

 だがこうして相対すると、嫌でも見えてしまう。

 

 彼女の瞳の奥で燃える、鬼と言う存在に対しての憎悪の炎が。決して絶えることのない猛火が。

 

「……なに? 人のことをじっと見つめて。私の顔になにか?」

「いや……何でもない。姉に似ているなと、思っただけだ」

「確かに似ているな。まあ纏っている雰囲気は真逆だが」

「ふん、余計なお世話よ。……どうせ私は姉さんと違って可愛げのない女ですよ」

「あら、私はしのぶの事を世界一可愛いと思うんだけどなー」

「姉さんが言うと嫌味にしか聞こえないわ……」

 

 確かに女としての魅力はカナエの方が上かもしれない。カナエは温和で優しく、家事もできる上に、人当たりも良い。最早欠点を探す方が難しいレベルだ。まあちょっと性格がふわふわし過ぎているが、それはそれで一つの魅力だろう。

 

 対してしのぶは、一言で言えば凶暴な小型犬である。身もふたもない言い方だと思うが今の彼女にしっくりくる表現はこれしかない。常に不機嫌そうな顔で、姉に近付こうとする輩には分け隔てなく噛みつく。まるで切れた刃物だ。正直怖い。

 

 だからと言って可愛げが無いかと言われれば別にそんなことは無いのだが。むしろ個人的には、これはこれで結構可愛いと思う。

 

 そんな率直な感情が今の今まで気を張り詰めていた反動なのか――――ポロリと、不意に零れた。

 

「胡蝶は、可愛いと思う」

「は?」

 

 しのぶから殺気を飛ばされた。えっ、なんで。

 

「へぇ……やっぱり貴方も姉さん狙いなのね。ええ、ええ、わかってたわ。姉さんは超絶的なまでに魅力的な美少女だからね。その分不埒な男もいっぱい釣れるのよね。……さて、死ぬ準備はできてるかしら?」

「いや、その……姉では無く、お前の方に言ったんだが」

「……………へ?」

「あらあら」

「へぇ、義勇はああいう子が好みなのか」

「いや、好みという訳では……」

 

 なんだかとても盛大な誤解をされているような気がした。

 

 反射的に弁解しようとするが、今度は何故かカナエから威圧が飛んできた。花の様な笑顔のまま鬼顔負けの圧力が放たれるのだから、俺は本能的に黙っているのが正解だと察してしまう。

 

 アレか、妹に恥をかかせたら処すって事か。

 

「わ、私は、可愛くなんて……姉さんの方が、ずっと魅力的で……」

「ほらしのぶ、自信を持って! しのぶはとっても可愛いわ!(正義)」

「……強く生きろよ、義勇」

「ああ……」

 

 愛って怖いなぁ。

 

「……そう言えば胡蝶、今日は隊服を着てないんだな」

「ええ、今日は休みをとってしのぶと一緒に過ごすことにしたの。つい最近しのぶの育手の方から外出許可が下りたから、久々に姉妹水入らずで過ごそうと思って」

「それは……すまなかったな、水を差してしまって」

 

 此処で衝動的に「水の門派なだけに」と言わなかった俺を褒めて欲しい。俺も冗談を言うべき時とそうでないときはわかっているのだ。ムフフ。

 

「全くよ! 折角姉さんと二人っきりで過ごせると思ったのに……」

「でも人が多い方が賑やかで楽しいじゃない~? それにしのぶ、二人は水の呼吸を修めた隊士よ。私たちはその派生である花の呼吸を使っているから、二人の動きや技を参考にもっと腕を磨けるのではないかしら?」

「それは……一理はあるけど……」

 

 そうか、この時点でのしのぶはまだ蟲の呼吸を使ってはいないのか。しかし振る力の弱い彼女が、たださえ一撃ではなく連撃重視の花の呼吸で真価を発揮できるのだろうか。

 

 ……いや、出来ないからこそ、蟲の呼吸を生み出したのか。

 

「でも姉さん、あっちの傷のある人はともかく、この間抜けな顔をした人が強いとはとても思えないのだけれど。選別を突破できたのもまぐれじゃないの?」

(心外!)

 

 えっ、間抜け。人の顔を間抜けと言ったのかこの少女。そんな馬鹿な、確かに気を抜いてはいるがこの顔は普段浮かべている顔の筈。つまり俺はいつも間抜けな顔を公然と晒していたのか……!?

 

「しのぶ、流石にそれは言い過ぎよ。冨岡君の顔は、そう……何も考えていない犬の顔よ」

「胡蝶、それ悪化してないか」

「要は馬鹿犬ってことよね、姉さん」

「俺は馬鹿犬じゃない」

 

 何で俺は胡蝶姉妹から流れるように心を攻撃されているのだろう。俺は辛い。耐えられない。助けてくれ杏寿郎。

 

「あ、でもでも、冨岡君は本当に強いのよ? 選別の時は四体の鬼を一度に斬り伏せたし、異能の鬼が出た時ももう凄い動きで……」

「最後の一閃なんてもう目で追えなかったくらいだ。多分本気を出せば、同期の中で一番強いだろう」

「(痣という例外要素が無ければ)俺なんかより(何年も修行を積み重ねた上に才能もある)錆兎の方が強い」

「どっちなのよ……」

 

 確かに痣ありならば俺の方が強いかもしれないが、素の状態では俺は錆兎に負ける。同条件という縛りを設ければ同期最強は錆兎だ。

 

 大体、たった一年鍛えただけの俺がその何倍も修行を重ねてきた錆兎より強いなんて事があるわけないだろう。先の模擬戦の白星も、錆兎の知らない切り札で不意を突いてやっともぎ取ったような物なのだから。

 

 それに……()()()()()()()()()()()()不安定な力を自慢げに誇示したいと思うほど、俺は恥知らずではない。

 

「気にするな。こいつの謙遜癖はいつもの事だ」

「俺は謙遜してない」

「何で喋る度に意見の相違が発生するのよ貴方たち」

「うふふ、皆仲睦ましくて何よりだわ~」

 

 そんな調子で俺たちは世間話を交えつつこの一ヶ月間どうだったか、どんな鬼と遭遇してどう対処したか等の情報交換を行った。

 

 情報と言うのはとても大事だ。あるのと無いのとで大差がある。互いに少しでも生き延びる確率を上げるという意味では、彼女らとの会話はとても有意義なものだったと言えよう。

 

 話の種が尽きそうな頃にはもう日が暮れ始めていた。よく見れば雲行きも怪しくなり始め、暗雲が空を覆い始めていく。まるで嵐の前兆だ。

 

「……さて、そろそろ俺たちは出よう。雲行きも怪しくなってきた」

「むっ、確かに風が荒々しくなってきたな……もしかすると嵐が来るかもしれない」

「あら、そうなの……? なら泊まっていった方が良いんじゃないかしら。ここから町までは少し離れてるし……。折角の休みに風邪でも引いてしまったらいけないわ」

「姉さん! 絶対に駄目だからね! 歳の近い男を二人も泊めるとか何考えてるの!」

「えぇ、でも~」

「でももへちまもない!」

 

 流石に女子二人しかいない家に泊まるというのは気が引けるため、俺はしのぶの意見に心の中で賛成の意を送った。俺も錆兎も死んでも胡蝶姉妹に同意無しで迫るなんてしないし、あり得ないと思うが万が一間違いがあれば腹を斬る覚悟で謝罪するつもりだ。

 

 何にせよ、もう退散するのだから考えてもしょうがない――――そう思いながら戸を開けば、

 

 

 暴風と豪雨と遠雷が渦巻く光景が見えた。

 

 

「「「「…………………」」」」

 

 予想の数倍以上に荒れ狂っている光景に、見送りに来ていた胡蝶姉妹と俺と錆兎は無言で立ち尽くす。

 

 引手に手を掛けていた俺は無言で戸を閉め、傍に立てかけてあった心張り棒で扉が吹き飛ばない様に固定した。

 

 自然の力ってすごい、俺はこの状況でそんな小学生並の感想しか抱けなかった。

 

「何故だろうか。とても作為的なものを感じる嵐だぞ……何故こうも狙いすましたような瞬間に嵐が……?」

「……すまない胡蝶、今晩だけお世話になっていいか?」

「ええ、勿論! 二人のためにも、今日はお姉さんは頑張って御馳走振舞うわよ~!」

「むぅぅぅぅぅぅぅっ……! …………はぁぁぁぁぁぁ。仕方ないわね……。あ、もし姉さんや私に手を出そうものなら、最低限”コレ”を覚悟してもらうから。わかった?」

「「あっはい」」

 

 しのぶが笑顔のまま手をシュッシュッと何かを下から突き上げるような仕草をするので、男二人(俺たち)は何も聞かずに肯定の返事だけを述べた。あの動作が何を突いているのかは考えないでおこう。ナニだけに。

 

 しかし困った。まさか女子二人と男二人で一つ屋根の下とは。真菰の場合は鱗滝さんという頼れる大人が居たので家族の様な物だと認識できていたが、流石に歳の近い少年少女だけでというのは余裕でアウトでは。

 

 いや、落ち着け冨岡義勇。良く考えろ、間違いが起こる可能性なんて皆無だ。俺も錆兎もそこら辺の自制には自信がある。伊達に元水柱に育てられたわけでは無いんだ。

 

 明鏡止水。いかなることが起ころうと、俺たちの心に邪心が芽生えることなどない。

 

 ……と思う。

 

「じゃあちょっと早いけど、早速晩ご飯の用意をしましょう! 二人は何が好きかしら~?」

「鮭大根」

「鶉の卵だな。水煮を醤油漬けにするとご飯によく合うんだ」

「うーん……大根はともかく鮭は無いし、鶏の卵ならともかく鶉の卵は無いわねぇ」

「そうか……」

 

 今夜は鮭大根が食べられない事を聞いて、俺は思わず項垂れる。無いのか、鮭大根……。

 

「義勇、お前朝も昼も鮭大根食べたくせに夜も食べるのか? ……いや、まさかお前、今までずっとそんな食生活だったのか?」

「ああ、そうだが」

 

 思い返してみれば、この一ヶ月間、藤の花の家で泊まった時を除けば朝昼晩すべてに置いて鮭大根を口にしていた記憶しかない。おかしいな、鱗滝さんや錆兎たちと一緒に過ごしていた時は全然普通の食生活だった筈なんだが。

 

 そう思い耽っていた俺に対する視線はやはりというか呆れ一色であった。

 

「義勇、お前一週間は鮭大根禁止だ。少しは他のものも口にしろ」

「なん……だと……!?」

「冨岡君、固定食は栄養に偏りが出るからお勧めしないわ。成長期なんだから色々な栄養を摂らないと駄目よ?」

「いや、栄養云々の前に人としてどうなのそれ。私より年上のくせに自制心の欠片も無いの? 何なのよ毎日毎食鮭大根って。そんなだから人に嫌われるのよ」

「俺は嫌われてない」

 

 そうか……駄目なのか、毎日鮭大根は……。いや、良く考えなくても好物ばっかり食べるのは良くない事だった。ぐむむ、長い修行の反動でいつの間にか鮭大根に関する自制心が吹き飛んでいたらしい。

 

 何と言う失態。己の心を制御できないなど未熟にも程がある。猛省せねば。

 

「ま、それはいいとして、二人はとりあえず家の戸や窓が外れてたり、雨漏りしているところが無いか確認しに行って。その間に食事の用意をするから」

「了解した。行くぞ、義勇」

「ああ」

 

 料理の事は胡蝶姉妹に任せて、俺たちは屋敷が嵐の被害に見舞われてないか見回ることにした。

 

 幸い雨漏りは無かったが、代わりに数カ所ほどが強風によって戸が外れて倒れていたりしていたのでそれを直しつつ確認することおよそ十数分。粗方点検を終えた俺たちは味噌や飯の香りに誘われるまま少しだけ顔を出して厨房を覗き込んだ。

 

「全く! 何なのよあの無口男! 言葉足らずにも程があるわ!」

「あらあら。でもしのぶ、冨岡君は悪い人じゃないのよ? 錆兎君と一緒に選別に参加した人達を何度も助けたし、私なんて冨岡君に二回も助けられたんだから」

「え……そうなの?」

「ええ、あの時はもう本当にダメかと思って……。もし冨岡君がいなかったら、私は此処に帰れなかったと思う」

 

 戸の隙間から姉妹の会話が聞こえてきた。どうやら最終選別の時に起こったことを話しているらしい。

 

 思い返せば確かにカナエが危うくなった場面はいくつかあった。しかしどうもおかしい。本来の時間軸では彼女は何事も無く選別を通過できたはず。にも拘わらず幾度も命の危機に晒されるなど、少し違和感を感じる。

 

 ……もし、もし(異物)の存在や行動のせいで、変化が生じているとしたら?

 

 正史とのズレによって起こる事象に大きな変化が起こっている可能性は、きっと高い。いや、むしろ最初からそれを考慮すべきだった。だが、変化を予測するなんてできる訳がない。俺は未来を知ってはいるが未来予知ができる訳ではないのだ。

 

 だが、だからと言って何もしないわけにはいかない。何が起きても対応できるよう、力を付けねば。

 

「……だったら不本意だけど、あの人に感謝しないとね。絶対に伝えないけど」

「しのぶ~。感謝は伝えるものよ~?」

「いいの! あの人だって、姉さんならともかく私に感謝されても何も思わないわよ……」

「大丈夫! 冨岡君はしのぶの事を好いているみたいだから!」

「「は?」」

 

 あまりにも突拍子の無いカナエの言葉に俺としのぶの声が重なった。

 

 えっ、どういうこと。俺そんな事言った覚えない。

 

「姉さん、いきなり何言ってるの?」

「お姉ちゃんの恋愛勘にビビッと来たのよ! これは脈あり、間違いないわ!」

「えぇ……」

 

 ある訳ないだろう。何を言っているんだあのポンコツ恋愛脳は。そもそも今日が初対面だぞ俺たちは。

 

「しのぶは可愛いもの~。きっと積極的に攻めれば行けるわ!」

「行く訳ないでしょ! 大体、私はあの人の事好きでもなんでもないわよ! 今日会ったばかりの男をどうこう思う訳ないでしょうが!」

「えぇ~、お姉ちゃん的には二人はお似合いだと思うんだけどなぁ……」

「例え好かれていようと、あんな男お断りよ! 無神経で、不愛想で、きっと私の事も弱そうな小娘だのなんだのと見下しているに違いないわ!」

 

 俺は見下してない……確かに背が低く筋肉が細いとは思ったけど……。

 

「……で、実際の所どうなんだ? 好きなのか?」

「ああ、(誰かを引っ張り上げたり、倒れそうなところを支えてくれそうな強い女子だ。口こそ厳しいがしっかりと接していれば彼女がとても純粋で優しいとわかる。女性としてはまだわからないが、一人の人間としてはあの気強い在り方は好ましく思う。そういう意味では)好きだな」

「そうか……。では俺は兄弟子として全面的にお前を応援しよう。ふふっ、お前も立派な男になったな」

「……? ああ、ありがとう」

 

 何だろう、錆兎と俺の間に何かとてつもなく認識のズレが発生したような気がした。

 

 しかしそんなに重要なことでは無いだろうと思い、俺は早々に考えるのを諦めて錆兎と共に出来るだけ音を立てない様にして居間に戻ることにした。

 

 そして暖を取るために囲炉裏の炭に火を着けながら胡蝶たちを待つこと十分。お盆に夕食を乗せた二人がついに姿を現した。

 

 目の前に置かれたのは、山盛りの白米、山菜のお浸し、鰊の塩焼き、茸の味噌汁等々、素朴ながらもしっかりとした作りの料理たち。香りだけで既に美味いと確信できる。

 

「おお……」

「美味しそうだ」

「当り前よ! 私と姉さんが丹精込めて作ったんだから!」

 

 フンス! と鼻息をしながら胸を張りつつ輝くようなドヤ顔を見せつけるしのぶ。成程、やはり今はまだ年相応の十歳らしい。何とも可愛らしい仕草に、俺は思わず微笑みを零す。

 

「ふふっ、じゃあ皆、挨拶しましょう」

「「「「いただきます」」」」

 

 両手を合わせて一礼。そして早速俺は味噌汁を一口すする。

 

「美味い」

「味噌汁はしのぶが一人で作ったのよ~。凄いでしょう? しのぶは昔から手先が凄く器用で、薬師みたいに庭の薬草でお薬も作れちゃうの! この前冨岡君に飲ませた痛み止めもしのぶが頑張って作ってくれたものなのよ?」

「それは……凄いな」

「こ、この程度の事でそんなに褒めないでいいわよ。それに、それ以外は全部姉さんの方が凄いんだから。筝も、生け花も、お茶もなんでも上手く熟せて。私たちの居た町の男はみーんな姉さんに夢中だったんだから!」

「もう、しのぶ!」

「確かに、胡蝶はいい妻になるだろうな。嫁に貰える奴はこれ以上無い幸せ者だ」

「むっ、何よ貴方。貴方も姉さん狙いなの?」

 

 目の前の姉妹の団欒に顔をほころばせた錆兎がそう言うと、やはり顔を不機嫌そうに歪めたしのぶがじっと錆兎を睨みつけた。が、錆兎はそんなしのぶを見ても面白そうに笑みを崩さないまま返事をした。

 

「安心してくれ、俺の想い人はもう別にいる」

「え」

 

 待って。初めて聞いたんだけど。え? いるの? マジで?

 

 だっ、誰なんだ相手は。馬鹿な、錆兎と関わりの深い女性など俺の知っている限りでは既婚者である蔦子姉さんと妹弟子の真菰しか――――あ。

 

「錆兎、まさか」

「義勇、それ以上を口にしたら殴るからな」

「え!? 錆兎君に好きな女の子!? 誰かしら! 可愛い系? それとも綺麗系!? 私凄く気になるわ! もう付き合ってるの!? それとも片思い!?」

 

 カナエがものすごい勢いで、具体的には隣に座っていたしのぶがドン引きする勢いで食い付いてきた。色恋沙汰は年頃の女子には格好の獲物らしい。

 

「……………接吻は済ませた、とだけ言っておく」

「えっ」

「きゃーっ! 両想い! 両想いよしのぶ! お姉ちゃん高ぶってきたわー!」

「姉さん、うるさい」

 

 俺もしのぶと全くの同感であった。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 ――――目が、覚める。

 

 閉じていた瞼を見開けば、見慣れない木の天井が目に入る。目をこすりながら布団を退けて体を起こせば、隣には就寝中の錆兎の姿が。

 

(ああ、そうか。胡蝶の家に泊まっているんだった……)

 

 結局夕食を食べても嵐は止まず、俺たちは仕方なく家に泊まったのだった。無論、胡蝶姉妹とは別々の部屋で寝ている。歳の近い男女が同じ屋根の下というだけで十分マズいのに同じ部屋など論外だろう。

 

 乾いた目元を擦りながら、俺は少し催してきたのを自覚する。就寝前に厠に行かなかったせいだろう。

 

 俺はボサボサの髪と少しだけ痒い腹を掻きながら、おぼつかない足取りで厠へと歩く。うろ覚えではあるが事前に場所の把握はしている。故に俺は特に何事も無く厠へ辿り着き、溜まっていたものを体外へ放出。束の間の安心感を堪能した。

 

(ふぅ……さて、戻るか――――)

 

 

「いやああああああああああああああああああっ!!!」

 

 

「!?!?!?」

 

 尋常では無い叫び声が聞こえて、俺の頭の中に漂っていた眠気は一片残らず吹き飛ばされた。

 

 俺は弾けるように走り出し、悲鳴の聞こえた部屋の戸を乱暴に開ける。

 

 その部屋は、胡蝶姉妹の寝室。障子の向こうには身体を震えさせながら縮こまり、カナエに抱きしめられるしのぶの姿があった。どう見ても尋常じゃ無い様子に俺は思わず喉を鳴らす。

 

「どうした、何があった! 盗人か!?」

「冨岡君……ごめんなさい。その、しのぶが、夢で……」

「お父さん……お母さん……!! あ、あぁっ、あ……」

 

 血を吐くような嗚咽。口から零れ出る言葉から、俺は大体の状況を察した。

 

 思うに恐らく、夢で見たのだろう。己の両親が鬼に殺される、その瞬間を。

 

「……両親が、死んだか」

「うん、やっぱりわかっちゃうわよね……」

 

 俺は元々前知識があったので少し違うが、それがない錆兎もある程度彼女らの事情を察してはいるようだった。姉妹が二人だけでこんな大きな屋敷で暮らし、剰え両方鬼殺隊を目指しているなどどう考えても嫌な想像しかできない。

 

 だからこそ俺も錆兎も触れずにいた。カナエはともかく、まだ幼いしのぶにとってそれに触れることはあまりにも酷すぎるだろうから。

 

「鬼が……鬼が、お父さんとお母さんを……う、うぁぁあぁあぁっ!!」

「大丈夫よしのぶ。大丈夫、大丈夫だから……!」

「なんで……なんで私だけっ……! 鬼を、殺したいのにっ……! どうしてぇっ……!!」

 

 半ば朦朧とした状態で、しのぶは呪う様などろどろとした声音で心中を吐露する。ああ、やはり彼女は、斬れないか。大好きな両親の命を奪った、鬼という存在の頸を。

 

「置いて行かないでよぉ……! 姉さん、私を、置いて行かないでぇ……!!」

「しのぶ……」

「やはり、足りないか」

「……ええ。育手の方から、初日から鬼の頸を斬るのは無理だってはっきり言われて。それでも一年間頑張ったけど……今はもう、ほぼ見捨てられたような形で」

 

 なるほど、しのぶはかなりいい目を持った育手に当たったらしい。彼女の素質を即座に見抜き、初手からしのぶの心を折るつもりだったのだろう。しかしそれでも少女は折れず、険しい道を進み続けた。例え無理だと言われても、突き進むだけの理由があったから。

 

 だが、気合や根性で全てが解決できるわけがない。ましてや生まれ持った才能という高く分厚い壁は。

 

「お父さん、お母さん……ごめんなさい……! ごめんなさい……! こんな、弱い体で生まれて……! 私、わたしっ……!」

「しのぶ、落ち着いて。駄目よ、自分を否定しては駄目……」

「う、ぅぅううぅぅうぅうっ……!」

 

 絶望のあまり無意識に自己否定まで始めるしのぶ。それを必死で慰める二人の姿が居たたまれなくて、俺は無言で二人の傍に寄った。

 

 そしてぎゅっと、震えるしのぶの手を握る。彼女の現実の冷たさに震える心を、少しでも温めたくて。

 

「あ、ぁ……ぅ、うん」

「しのぶ……よかった」

「ああ」

 

 そうする事数分。ようやく落ち着いたしのぶは泣き疲れたのか、そのまま気絶するように眠りに落ちてしまった。突然の事に驚いたが、上手く収まって何よりだ。

 

 さて、そろそろ俺も部屋に戻って寝直さなければ――――。

 

「いやっ!」

「えっ」

 

 しのぶが何故か俺の手を握って離さない。えっ。

 

「あら、しのぶ?」

「行かないで……お父さん……!」

「……………嘘だろ」

 

 少しだけ力を入れて手を解こうとするも、しのぶは力いっぱい握りしめて全く離さない。それに、震えて涙まで見せられては強引な方法に出るわけにもいかない。どうしたらいいのかわからない状況に突然放り込まれた俺は、思わず手で顔を覆う。

 

「ええと……ごめんなさい、冨岡君。少しだけしのぶの傍に居てあげてくれないかしら」

「……ああ、構わない」

 

 思わぬ展開にため息を付くが、俺は諦めて状況を受け入れることにした。落ち着けばいずれ手も放してくれるだろう。少しだけ辛抱しよう。

 

「……ねぇ、冨岡君と錆兎君は、どうして鬼殺隊に入ったの?」

 

 それを問われると同時に、俺の心臓は強く締め上げられた。

 

 果たして彼女は、彼女らは、この話を聞いて俺の事をどう思うだろうか。嫉妬するだろうか、怒るだろうか。だが、隠していれば解決する話でもない。

 

 俺は数秒間を置いて、腹をくくる。

 

「錆兎は、物心つく前に両親を失ったらしい。どういった経由からわからないが、その後育手に拾われて剣士として育てられた様だ。本人も、自らの様な者をこれ以上増やさないために、大切なものを守るために戦うと誓っている」

「そうなの……。私もしのぶも、同じような理由よ。これ以上私たちの様に、鬼によって悲劇に見舞われる人を減らすために。もう悲しみを広げないために、私たちは戦うことを決めたの。冨岡君は?」

「俺は……義務感や、使命感のようなもの、だろうか」

「え?」

 

 予想通り、カナエは酷く不思議そうな顔をした。当然と言えば当然か。そんな理由で鬼殺隊に入る者など、それこそ先祖代々鬼狩りをしてきた者たちくらいだ。そして勿論俺はそんな大層な家系に生まれたわけでは無い。

 

 ただ、いずれ起こるだろう悲劇を知っているのに、何もせずに傍観するのが絶えられなかっただけだ。

 

「俺は姉と共に鬼に襲われたが、ギリギリで元鬼殺隊の方が駆けつけてくれたおかげで、何とか両方とも生き残ることができた。本当に、運がよかった」

「その、ご両親は……?」

「物心つく前に流行り病で亡くなったらしい。鬼は関係無い」

 

 それを聞いたカナエは怒ることなど無く、深い悲しみを帯びた顔をする。これは少し予想外だった。

 

「……何故悲しむ?」

「冨岡君、貴方は寂しくないの? ご両親との思い出も、愛も、何も作れていないのよ?」

「…………ああ」

 

 言われて初めて気づいた。

 

 ああ、そうか。冷静に考えれば、俺も大概良い境遇とは呼べなかった。父や母からの愛を知らず、姉と二人きりで日々貧しい生活を送る。確かに傍から見れば、悲しく辛いものだ。

 

 寂しくなかったかといえば嘘になる。だが唯一の肉親である姉が俺にとっては母親のようなものであったし、少し自慢になるがちゃんと愛されて育ったとも思う。

 

 それに……それ以上に、俺は”罪”の意識を感じざるを得なかった。

 

 一人の人間の人生を塗り潰したという”罪”が。人の体を借りて第二の生を謳歌するという”悪”が。

 

 それを気にせずに過ごせるほど、俺の顔の皮は厚くなかったらしい。

 

「いいんだ、胡蝶。俺は十分幸せに育った。()()何も、理不尽に奪われていない。だからこそいつも思うんだ。奪われた悲しみを知っているお前たちの隣に……俺なんかが居ていいのかって」

 

 きっと資格なんて無いだろう。俺は未だ彼ら彼女らの心を真の意味で理解することはできない。命より大切なものを失った悲しみを味わったことが無いのだから。

 

 ……それでも、それでも俺は……。

 

「……例え他人から疎まれようと、俺は戦うよ。短い命が尽きるその日まで」

「冨岡君……そんなことを言わないで……」

 

 カナエはまるで泣いている子供をあやすかのように、俺を両手と胸で包み込んだ。

 

 いきなり抱きしめられたことに俺は瞠目した。だがそれ以上に、暖かい温もりが冷たい心を少しずつ温まっていくのを感じる。

 

 一言では言えない、不思議な暖かさだった。

 

「私は貴方を蔑まない、妬まない、怒らない。貴方はどうあれ、同じ剣を持って、同じ志で、同じ敵と戦う仲間だもの。例え貴方が誰かに否定されても、私は貴方の手を握り続けるわ」

「…………胡蝶は、優しいな」

「貴方も、とっても優しい人よ」

 

 そう言うカナエの表情は笑顔だった。だが、頬に涙を伝わせている。痛ましいほど優しく、悲しいその有様に、俺は何も言わず彼女の手を握り込んだ。

 

「……お前は、何とも思わないのか? 両親が鬼に殺されたことについては」

 

 しのぶですらこの有様なのに、共に死に様を見ていたであろうカナエの様子は異様に穏やかだった。

 

 普通の人間ならば多少なりとも怒りを抱く筈なのに、彼女の顔から観て取れる感情は哀れみと悲しみ、慈しみの感情だけ。正直に言わせてもらうと、俺は少しだけカナエに対して畏怖を覚えた。

 

 どうして彼女は、此処まで優しくなれるのだろうか。

 

「私は、助けたいの。人も――――()()

 

 知っている。彼女が何を思っているのかは。

 

 だけどやはり、理解しがたい。実際に目で見て戦ったからこそ、俺は複雑な感情を抱く。例え不本意で鬼にさせられた者がいたとしても、本能のまま人を襲い無数の悲劇を作り出す害悪にどうして慈悲を掛けることができようか。

 

 同情や哀れみを抱いていないかと言われると、俺も答えに詰まるが。

 

「……それは、本気で言っているのか?」

「ええ」

「鬼は、人を食らう化外だぞ」

「元は、人よ。鬼舞辻によって運命を捻じ曲げられ、死ぬまで人を食らうことを強いられる、悲しい生き物なのよ」

「…………」

 

 そんな事とっくの前から分かっている。極一部の、余程の事情もなく自ら進んで鬼となった救いようのない阿呆共を除外すれば、鬼舞辻無惨という害悪に目を付けられ、その在り方を歪められた者達に憐憫はする。

 

 だが容赦は無い。ただ幾つかの例外を除けば。

 

「ごめんなさい、冨岡君。やっぱり私、おかしいわよね。鬼を救いたい、だなんて……」

「いや、おかしいとは思わない」

「え?」

「鬼は加害者だが、()()()()()()()。鬼舞辻無惨という全ての元凶によって作り上げられた、人食いの因果に囚われた者達。その所業は決して許される訳じゃないし、鬼の中には自分から望んで餓鬼道に堕ちた同情もできない畜生にも劣る屑共もいるだろう。その上で、俺は彼らの首を断つことは、その宿業から解放することだと思っている」

「冨岡君……!」

 

 自身の考えを理解してくれる者が現れたのが嬉しいのか、カナエはこれ以上無い喜びの声を上げた。だが俺はそれ以上舞い上がらせない様に釘を容赦なく打ち込んだ。

 

「だが俺がそう思えているのは、俺がまだ何も奪われていないからだ」

「あ……!」

「俺は運よく鬼から大切なものを守り通せた。そして、そんな人間は基本的に鬼殺隊になど入らない。……胡蝶、鬼殺隊に入る奴らの大半は鬼に何かを奪われた者だ。故に、お前の思想に共感できる者など片手で数えられる程も居ないだろう」

「それは……わかっているわ」

「胡蝶、別にお前を責めるつもりはない。お前の底抜けの優しさは美徳だと思っている。だが……奪われた側の人間に、奪った者を許せと、あまり言わないでやってくれ。過ぎた優しさは、時に無自覚な悪意となりうる。薬が過ぎれば毒と変ずるように、な」

「……ありがとう、冨岡君。心配してくれているのね」

 

 直前とは打って変わって落ち込むカナエの姿を見て、俺は深いため息を付きながら天を仰ぐ。

 

 カナエは柔らかい笑顔だった。しかし頬には涙を伝わせている。痛ましいほど優しく、美しくも悲しいその有様に、俺は何も言わずその手を包むように握り込んだ。

 

「ねぇ、冨岡君。もし、もし私がしのぶの事を守れなくなったら。その時は、しのぶの事をお願いできるかしら」

 

 ふと、カナエは搾り出すようにそう呟いた。その言葉に俺は一瞬思考を止め、唇を噛む。

 

 何故そんなことを言うんだ。俺は、そうなることを防ぎたいのに。

 

「……何故、俺に? 探せばもっと他に適任がいるだろう」

「そうかもしれない。けど、今の私は、貴方に任せるのが一番だと思ったの。優しくて強い貴方に」

「…………善処は、する。だが胡蝶、自分が死ぬ前提で物事を考えるな。縁起でもない」

 

 そんな事させるものか。死なせるものかよ。

 

 未来は変えられる。運命などありはしない。彼女にも権利があるはずだ、姉妹仲良く笑顔で幸せな未来を生きる権利が。苦労が報われる権利が。

 

 絶対に、変えてみせる。

 

「ふふっ、本当に優しいわね、冨岡君は。――――ああ、それと……”胡蝶”だと少し紛らわしくないかしら?」

「……? 何がだ」

「だって、胡蝶って呼称だと、(しのぶ)の方と区別がつかないでしょう? だから、カナエって呼んでくれないかしら」

「いや、だが知り合って間もない女性を下の名前で呼ぶのは……」

「ほら、一回だけでいいから! ね? ()()君?」

 

 物理的に詰められる距離はもう無いというのに、更に精神的にも距離感を詰め出したカナエ。突然の行動に俺は困惑を隠せなかった。

 

 何だ、何が起こっているんだこれは。

 

「ねぇねぇ、ほらほら。名前を呼ぶだけなんだから」

「…………カナエ」

「もっと大きな声で!」

「……カナエ」

「うふふ、うんうん。カナエさん大満足~」

 

 満面の笑みでカナエは俺の両手を握って上下にぶんぶんと振った。最近の女性は距離の詰め方が凄いな……。

 

「う、ぅん……」

「……おい、待て。胡蝶、おい」

「うふふ、もう逃げられなくなったわね~」

 

 カナエは満面の笑みを浮かべているが俺の心は焦燥で満ちていた。何故なら、手を放すと思われていたしのぶが今度は俺の腰に手を回してしっかりと掴まってしまったからだ。

 

 こうなってはもう抜け出せない。俺は無言で空を仰いだ。

 

「義勇君、布団敷きましょうか?」

「…………頼む」

 

 深いため息を吐きながら、俺はカナエの提案に頷くしかなかった。

 

 それに、そろそろ眠気も限界だ。俺はカナエの敷いてくれた布団に横になりながら、俺の体を抱きしめているしのぶの寝顔を何となく眺める。

 

 綺麗だ。しかしまだ幼い。こんな幼子が、両親を目の前で失った悲しみを背負っている。

 

 それはきっと苦しくて、痛くて、悲しいものに違いない。

 

(……俺が少しでも肩代わりできればよかったんだがな)

 

 叶わぬ願いを抱きながら、俺は瞼を閉じる。

 

 

 

 ああ、鬼の居ぬ夜は、一体何時訪れるのだろうか。

 

 

 それはきっと、神にしかわからない。

 

 

 

 




(知り合ったばかりの歳の近い美人姉妹と同衾は)まずいですよ!

冨岡さんの元が色濃いのか油断してると偶に浮き出てくる言葉足らずと天然のデバフパッシブスキル。天然はともかく前者は同年代や年下の同性の時には姿形もなかったのにどういうことだ! 答えてみろルドガー!

因みにフレーバー程度の設定ですがこの冨岡さんの中身の比率は大体四(元岡さん)対六(憑岡さん)です。

ほぼ半分冨岡じゃねぇか!

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