水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第拾参話 愛ゆえに

 顔や刀を握る手から冷汗が滝のようににじみ出てくる。緊張のあまり喉から空洞を通る風のような音が聞こえてくる。

 

 相対するは鬼。それもただの鬼ではなく、十二鬼月。

 

 鬼の首魁、鬼舞辻無惨に選ばれし十二体の猛者たちのうち一人が、俺の目の前に立っていた。

 

 まずい。俺一人ならともかく子供を一人抱えたまま、しかもしのぶが背後にいる状況など完全に想定外だ。少女はむしろ俺から離れた方が危険なため抱えたままで正解ではあるのだが。

 

「き、気を付けて冨岡さん! その鬼は――――」

「わかっている!」

 

 わざわざ言い出さなくても嫌でもわかってしまう。あの女鬼の左目に刻まれた『下陸』の文字。それは間違いなく目の前の敵が下弦の陸ということを示す何よりの証拠。

 

 俺は今の自分の力量を把握しているつもりだ。その上で断言しよう。

 

 無理だ。勝てない。情報も何もかも足りない状態で、尚且つ子供と女子一人庇いながら十二鬼月と渡り合え? 冗談を言うな、俺はまだ鬼殺隊に入って一ヶ月程度で、齢もまだ体が出来切っていない十三なんだぞ。

 

 未熟な体に未熟な技量。その上でハンデを負って十二鬼月とまともに渡り合えると思える程俺は自惚れられない。

 

「立て胡蝶。俺が隙を作るからこの子を連れて全力で逃げろ」

「逃げるって……そんな!」

「いいから早くしろッ! 時間が無いんだ!!」

 

 正直言って彼女と問答している時間すら惜しい。俺がぶち破った天井から夕陽が差しているからこうして呑気に会話が許されているが、陽の光も後数分もすれば弱まり始めてくる。完全に日が暮れればもう、鬼にとっての狩りの始まりだ。

 

 それまで何としても、アレから可能な限り距離を取らなければならないのだ。生き残るにはもう逃げるしか選択肢が残っていない。

 

「不快なり」

「………」

「仮の住いとはいえ、妾の屋敷に陽の光などと言うものを入らせるなど。ああ、不快。不快、不快、不快ッ!! 何たる侮辱か! 我が食事を邪魔するだけでなく、妾の髪を陽日で灼いてくれようとは! この行い、万死に値するぞ、小僧!!」

「……」

 

 返事は返さない。こんな奴と会話するだけ不毛だ。

 

 だが、食事。食事と言ったか。あの女鬼は今さっきまで、しのぶを食らうつもりだったようだ。後数秒遅れていたら、どうなっていたことやら。

 

 そう思うだけで、頭に血が上り始める。心臓が大きく跳ね、肺が深く息を吸い始める。

 

「言ってろ、年増」

「―――――――――――」

 

 心から思ったことを衝動的に口にした。

 

 瞬間、女鬼の顔中から青筋が浮かび出始める。……どうやら逆鱗を良い具合に逆撫でてしまった様だ。

 

「ほざいたな、溝鼠がぁぁぁぁああああああああ――――ッ!!!」

「!?」

 

 女鬼が激昂のまま頭から伸びる大量の毛髪を蠢かせ、それらを床下に這わせるとおもむろに数個の畳を床から引きはがした。

 

 そして持ち上げたそれを――――天井に空いた穴に打ち付け、髪で縫いつける。

 

 その光景を見て俺の顔から一瞬で血の気が引いた。

 

「っな――――」

「死ね」

 

 俺は止まっていた足を動かして即時に撤退行動に移る。四方八方から襲い掛かる髪を刀で弾きながら後ろにいたしのぶを片腕で抱え、子供を肩に乗せて俺は全力で後方へと駆けた。

 

「なっ、どっ、何処触って――――!?」

「文句は後にしろッ!!!」

 

 こんな時にまで馬鹿な事を言い出すしのぶに大声をぶつけつつ通路を駆ける。当然背後だけでなく前後左右上下から絶え間なく襲い掛かってくる髪の大群。逃げ場はない。

 

 だったら正面突破するしかない――――!!

 

「ヒュゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウッ――――!!!」

 

 【拾壱ノ型】

 

 前傾姿勢のまま、前に出した足に力を集中。目を限界まで見開き、動体視力を限界まで研ぎ澄ませ攻撃を俯瞰。しのぶと子供に当たりそうなものと、致命傷になりうるものを数多の攻撃から取捨選択。

 

 いける。

 

「ハァァァァッ――――!!」

 

 【凪】

 

 疾走しながらの拾壱ノ型の行使。反動のあまり刀とそれを握る右腕が悲鳴を上げるが、その対価として俺以外は無傷で攻撃の波を通り抜けることができた。ならば十分すぎる。

 

「凄い……!」

「ぅ、ぐ、っ……!」

「え、ぁ、ぁあっ!?」

 

 痛みのあまり崩れ落ちそうになる。だが気力で無理矢理足を踏み出して、駆ける。

 

 致命傷は避けた。()()()()。二人を庇う上でどうしても捌き切れない攻撃が幾つかあったのだ。それらは遠慮なく俺の右太腿と右脇腹を切り裂いていってくれた。力を込めると面白いように血が流れ出てくる。

 

 訂正しよう。全く面白くない。

 

「とっ、冨岡、さ……その傷……!」

「――――二人とも頭を守れ!!」

「っ!!」

 

 出口が見えた。それを確認して俺は一度刀を宙に放り、二人の服を無造作に掴んで思いっきりブン投げた。

 

 次の瞬間二人の居た場所を髪が正確に貫いた。まさに間一髪。直後に聞こえる扉をぶち破る音と、戸が壊れたことでそこから差し込む日光。俺は放った刀を宙で握り直し、振り向き様に襲い掛かる髪を迎撃しながら後ろへと跳び――――

 

 

 暗闇から飛来した桜色の閃光に左肩を貫かれた。

 

 

「がっは――――」

 

 俺の体はその衝撃で弾き飛ぶ。不幸中の幸いか、その方向には光のある出口だったことか。

 

 鋭い痛みと重心が崩されたことで碌に受け身も取れず、俺はゴロゴロと地面を転がる。身体が地面に打たれるたびに左肩が痛むのは、何故だろうか。

 

「っ、()……冨岡さん! 突然投げるなんて貴方――――正気、で……」

「……してやられた」

 

 理由はすぐにわかった。嫌でも目に入る、桜色の刃と花を模した柄。それが、俺の肩から生えていた。

 

 ジワリと広がる熱さが、酷く生々しい痛みをようやく呼び起こす。

 

「あ、ぁあ、あ」

「……胡蝶、子供を抱えろ。なるべく離れるぞ……!!」

「はっ、はい!!」

 

 鬼狩りは、手負いの獲物へと成り下がってしまった。

 

 頼みの綱の日は沈み出した。夜の帳が広がれば、逃げ切れる可能性は果てしなく低くなる。

 

 如何にしてこの場を乗り切れるか。

 

 それはもう誰にもわからないことであった。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 ついに日が暮れた。空を塗り潰す残酷なまでの黒。代わりに月と星明かりが地を照らし始めるが、鬼狩りたちにとってそんな物は何の慰めにもなりやしない。

 

 空に浮かんだ真っ白な月は、鬼たちの時間が訪れたことを告げる合図なのだから。

 

(結局、逃げ切れなかったか……)

 

 後半刻あれば余裕を持って戦域から離脱できただろう。だがたったの数分では少し離れた場所で追跡を撒くのが限界だった。

 

 何とか人気の無い廃屋に駆けこんで身を隠すことはできたものの、安心なんて全くできない。

 

 何時見つかるかわからない。とりあえず、今行うべきことは迅速に終わらせるべきだろう。

 

 とりあえず俺は烏を呼んで錆兎を探させることにした。折角の貴重な連絡手段だ。こういう時こそ活用すべきだろう。俺は最低限の情報、しのぶや民間人の少女をこちらで保護している事、そして負傷している事を烏に伝えて空へと飛ばした。

 

 これで上手く行けばいいのだが……。

 

「と、冨岡さん……刀が刺さったままで、大丈夫なの?」

「大丈夫に見えるか?」

「……ごめんなさい。不躾だった」

 

 幸いと言うべきか、刀に貫かれた肩は傷口周りで血が固まったおかげで出血が抑えられていた。無論下手に動かせばまた血が出てくるだろう。

 

 それを承知の上で、俺は肌を貫いている刀身の、手で掴めそうな峰部分を凝視する。

 

 傷をこれ以上放っておいたら傷口が化膿するし、移動や戦闘の妨げにもなる。……放っておくわけにもいかない、か。

 

「冨岡さん……何を?」

「目を閉じていろ。子供の目も隠せ」

「っ、まさか!」

 

 俺は腰に吊った風呂敷から刀に着いた血糊を拭くための布を幾つか取り出し、それを束ねて捩じったものを噛む。

 

 そして、刀の峰の部分を空いた右手で挟み持つ。そこから伝わる手の震えでじんわりと滲んでいた痛みが徐々に激しさを増してくる。

 

 思わず手が止まるが、俺は布を噛みしめて覚悟を決めた。

 

「ふっ、ぅ、お、ぐっ……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!!」

「っ…………!」

 

 鉄が骨肉と磨れる音が頭に響く。痛覚が必死の悲鳴を叫び続け、ゆっくりと全身を刺す痛みが体中の汗腺から汗を絞り出す。

 

 慎重に引き抜かねば傷口が広がるため、強引に引き抜いてはいけない。痛みに負けるな。耐え続けろ。少しでも生き残れる可能性を残すために。

 

「ふぅっ、ふぅぅぅっ、ふぅぅぅぅぅぅ―――――…………ッ!」

 

 痛みのせいか時間感覚が限界まで引き伸ばされたせいで、何分経過したかわからない。だが忍耐の末に、俺は肩に深々と刺さった刀剣を抜くことに成功する。

 

 震える手から零れ落ちた刀がカランと音を立てながら腐った木床を転がり、同時に俺も肺に溜まった息を深く吐いた。

 

 しのぶは恐る恐るといった様子で床に落ちた刀を手に取り、何も言わずに血を拭き取って鞘に納める。……やはりアレはカナエの日輪刀。もしかして無断で持ち出してきたのだろうか?

 

「すぅぅぅぅ……ふぅぅぅぅぅぅ……」

「と、冨岡さん、わ、私にできることはある? 何でも言って!」

「……風呂敷の中にある消毒液、布と包帯をくれ。あと、そこの小包にある針と糸を……」

 

 無気力にへたり込む俺を見て、しのぶは涙目になりながらそう言い出した。遠慮する余裕など欠片も無いので、俺は言葉に甘えて指示を出す。

 

 その後目の前に並べられたものを一つ一つ確認しつつ、俺は迅速に簡素ではあるが応急処置を開始する。

 

 消毒液を惜しまず傷口にぶっかけ細菌を消毒。傷に滲み渡る凄まじい激痛からくる声を全力で押し殺しながら固まった血を布で拭き取り、その間にしのぶが針に糸を通してくれたのでそれを使って俺は傷の縫合を始めた。

 

 この頃になるともう脳内から分泌される大量の脳内麻薬によって痛みも麻痺していた。これ以上痛みを味わったら失神する自信があったので非常に助かったが、もう少し早くしてくれなかったものかと俺は自身の脳に悪態をつく。

 

「ごめんなさい……私のせいで、こんな……!」

「謝るな。傷を負ったのは、俺の未熟さ故だ。それより聞きたいことがある。何故お前がこんな所に居る?」

 

 そうだ。一番気になっていたのはその事だ。

 

 姉であるカナエが来るのであればまだわかる。彼女も一端の鬼狩りなのだから休日を返上したり、緊急時故に強制的に派遣された等々理由など幾らでも思いつくからだ。

 

 だがまだ鬼狩りですらないしのぶがここに来ている理由が全然思いつかなかった。

 

 俺がそう問いかけると、しのぶは何も言わぬまま沈鬱とした表情を浮かべた。どうやら彼女によってこの場に居る理由は少々深刻なものらしい。

 

「……冨岡さんには、関係無い」

「……言いたくないなら言わなくていい。だが、鬼狩りでないお前は此処に居ていい理由は無い。まだ余裕があるうちにその子を連れて出来る限りこの場所から離れ――――「嫌」……」

 

 傷を縫っていた手が止まる。顔を上げれば険しい顔をした女子が一人。明らかに意地を張っているようにしか見えない。

 

 これが平時であればため息の一つや二つ付いて静観するだろうが、残念ながら今は命に係わる緊急時である。何より、先程の通り今の俺には戦力外の二人を連れて鬼と戦える程余裕はない。

 

 一刻も早く離脱してもらわないと、俺だけでなく皆死ぬのだ。それだけは何としても避けたい。

 

「一応聞いておくが、理由は?」

「私は……鬼を殺さなきゃならないの。証明する、私の様な者でも鬼を殺せるって。そうすれば、きっと師匠も、姉さんも……!」

「どうやって殺す」

「それは、当然その日輪刀で――――」

「やれるのか? 今のお前に」

「っ…………!」

 

 はっきり言おう。今の彼女では雑魚鬼の頸さえ斬れないだろうし、きっとこれからも彼女が普通のやり方で鬼を殺すことは不可能だ。要求される先天的な素質というものが欠けているが故に。

 

 つまり今のしのぶがするべきなのは頸を断つ以外で鬼を殺せる方法を手に入れる事。そして、今の彼女はそんな手段は持ち合わせていない。出来ないことを無理にやろうとする蛮勇に満ち溢れている。今のままでは、彼女は確実に命を落とすだろう。

 

 一体何が、彼女を此処まで焦らせているのか。

 

「冨岡さんも、そうなの。私には鬼を殺せないって、思っているの……?」

「そんなことは言ってない。……だが、今のお前では絶対に殺せない。出来もしないやり方を無理に貫いたら、待っているのは鬼の餌になる未来だけだ」

「そんな悠長な事言ってられない! だって今すぐやらないと、私は、私はっ……!!」

「……はっきり言おう。足手まといだ。とっとと逃げろ」

 

 俺の方も既に精神的余裕など限界まで切り詰められていた。何時鬼がこちらの場所に気付くかわからないのに何時までもこんな場所で悠長に話をしている暇は無い。

 

 例え嫌われることになろうとも構わず、俺は強い言葉で彼女を突き離した。でないと、しのぶは何時までもここから動こうとしないと何となく察してしまったからだ。

 

 だが、返ってきたのは……パン、と何かが弾ける音と共に俺の頬に走る鋭い痛みだった。

 

「あなたにっ……あなたに何がわかるの!! 目の前で両親を殺されて何もできず見ているしかなかった私の! 復讐したいのに、鬼を殺したいのに、この体じゃ鬼の頸が斬れないと言われた私の……!! 貴方なんかに何がわかるって言うのよ!! 鬼の頸を斬れる貴方なんかに!!」

 

 しのぶは今まで辛うじて被せられていた心の蓋を投げ捨てて、俺に向かって心の内をぶちまけた。

 

 見れば、しのぶはその両目に涙を流しながら怒りの表情を浮かべていた。……少し、言葉が強すぎたか。

 

「みんな応援しているようで、誰も期待なんてしてなかった! どうせ、貴方も私の事をできもしないことに無理矢理しがみ続けている哀れな小娘だとか思って見下しているんでしょ!? 師匠は諦めろって何度も何度も言ってくる! 姉さんは結局私の事を信じてなんていなかった! あなただって、上辺だけの言葉で私を――――っ!!」

 

 

「しのぶ」

 

 

 ぽろぽろと大粒の涙を零し続ける彼女の頭に、俺は自分の小さな手をぽんと被せた。

 

 正直、こんな時にどうすればいいのかなんて全然わからない。いや、俺が頭の中で思いついたことは行った所で彼女の怒りを刺激しそうなものだと何となくわかった。

 

 だから、心に従う。今自分がしのぶに対して何をしたいのか。どんな言葉を掛けたいのかを。

 

「俺は、お前を信じている。その言葉に嘘は無い」

「うそだっ……」

「嘘じゃない。もし嘘だったら、俺は腹を斬って詫びよう」

「そんなの、信じられるわけないじゃない!」

「俺を信じろ」

 

 ゆっくりと、しのぶの頭を撫でて宥める。

 

 この子は、まだ十歳だ。まだ親からの愛を貪欲に求める年頃だ。それが消えた以上、感情が不安定になるのは当然の帰結だろう。だから、代わりとは決して呼べないけど、俺なりの”愛”を彼女に示し、注ぐ。

 

 無論、性愛ではなく親愛の方だ。

 

「お前が姉との間にどんなことが起こったのかはわからない。お前の言葉通り、カナエがお前の気持ちを裏切った可能性もあるだろう。だが、これだけは断言できる。……しのぶ、カナエはお前を愛しているんだ」

「……そんな事、わかってるわ」

「彼女がお前に対して何をして、どんな言葉をかけたとしても、その根底には愛がある。お前を愛しているから、お前が幸せになって欲しいから。だからと言って別にその言動全てを許容してやれと言うつもりは無いが……拒絶だけは、してやるな。この世でたった一人の肉親ならば」

「でもっ、でもっ……私、置いて行かれたくなくて……! 姉さんを一人で戦わせたくなくて……っ!」

「だから、共に戦える方法を探せ。安心しろ、お前の姉は、お前が思っているよりずっと強い。きっと、お前が隣に来るまで待っていてくれる。……姉に自分を信じさせたいのならば、まずはお前が姉を信じろ、しのぶ」

「!!」

 

 ハッと、しのぶが目を見開きながら俯かせていた顔を上げた。

 

 そうだ。彼女は姉が自分の事を信じていないと言っていたが、それはしのぶにも同じ事が言えた。相手の事を信じていないのに、どうして自分が信じてもらえるだろうか。

 

 肉親の安否が心配なのは痛いほどわかる。だけど、少しだけでも勇気を出して、相手を信じてみてくれ。

 

「あ、冨岡さ……ごめんなさい、私……!」

「別にいい。俺も、強く言い過ぎたからな。それでお相子だ」

 

 俺の頬の赤みを見てようやく冷静さを取り戻したのか、しのぶは涙目になりながら俺の頬に手を当てた。だがまあ、そこまで痛まないから気にするほどでもない。むしろビンタ一発で彼女が落ち着けたのならば十分だ。

 

 状況が好転したのを理解した俺は止めていた手を素早く動かし始めた。急いで縫合を終わらせねば傷口が開いたまま激闘を行わなければならないという洒落にならない事態になる。

 

「むっ」

「冨岡さん? どうかしたの?」

「……流石に後ろは自力で縫えない」

 

 腹や足の傷はともかく、肩の傷は貫通している。つまり傷は前だけでなく後ろにもあるということだ。無論俺の目は後ろにはない。見えない傷を手探りで縫うのは無理とは言わないが、時間がかかりそうだ。

 

「じゃあ、私がやる」

「できるのか?」

「裁縫みたいなものでしょう? 大丈夫、私に任せて!」

 

 まあ、あながち間違ってはいないか。俺に至っては裁縫の経験すらないただの見様見真似だし、俺がやってもしのぶがやっても大差はないだろう。むしろ時間短縮に繋がるのだから拒否する理由は無かった。

 

 俺はしのぶに背を見せて、傷を縫合する時間を使って別の傷の手当てを行う。鱗滝さん特性の傷薬を塗りたくって包帯を巻くだけの簡単なお仕事だ。

 

「……冨岡さん、本当に色々、ありがとう。会ってまだ一日なのに、こんなに世話を焼かせてしまって……」

「気にするな。困っている奴を放って置けるほど薄情では無いつもりだし……お前の姉と約束したんだ」

「約束?」

「ああ。もし自分に何かあった時は、(しのぶ)を助けてやって欲しい、と」

「…………姉さん」

「俺は約束は破らない。何があっても、お前をカナエの元に帰してみせる」

 

 ――――例え命に代えても。

 

 傷の縫合がようやく終わり、そちらにも傷薬を塗って包帯を巻きつける。これで最低限の応急処置は済んだ。そして未だに襲撃の気配はない。実に運が良い。

 

 できればこのまま二人を逃がせれば文句無しなのだが……。

 

「…………ん」

「? ああ、大丈夫だ。安心しろ。お前もちゃんと兄の元に返す。もう少しだけ辛抱して……違う?」

「……!!」

 

 先程から一言もしゃべらず黙りこくっていた少女が突然、壁を見ながら俺の羽織の裾を強く引っ張ってきた。何だ? と少女が見ている壁を凝視すると――――ミシリ、と軋む音がした。

 

「何? 老朽化……?」

「いや、これは、まさか――――」

 

 ギシギシと木材に負荷がかかる音はやがてこの廃屋全体に広がっていく。

 

 そして――――窓から”黒”が入ってきた。

 

「伏せろッ!」

「っ!」

 

 俺はしのぶと少女を庇うように蹲り、窓から迫るもの……鬼の髪と思しきものを回避する。だがそれは一度では収まらず、外から壁を突き破りながら侵入してきた毛髪の群れは四方八方へと張り巡らされた。

 

 が、それは数秒で動きを止めてしまう。何だ、と俺が訝しむ瞬間――――”収縮”を開始した。

 

(ッ――――まずい!!)

 

 外側から握り潰すように、内側から中心へと引っ張り込むように。二つの力がこの廃屋を丸ごと廃材の塊にせんと活動を開始した。俺は即座に二人の体を抱えて窓から外へと脱出し、砂利の上を転がった。

 

 直後反響する莫大な倒壊音。振り向けば、まるで団子の様に丸くなった廃材の塊が宙に浮いていた。もし判断が後数瞬遅かったらと思うと悪寒が湧き出る。

 

「――――ほう、生きていたか。鼠らしいしぶとさ、実に見苦しい」

「くっ……………」

 

 声のする方を見上げれば、下弦の陸は悠々と宙に張り巡らせた髪の足場の上からこちらを見下している。成程、どうやら彼女にとっては俺たちは小動物同然のようだ。脅威とすら見られていない。

 

 この傲慢さと驕り。付け入るとしたらそこしかないか。

 

「貴様は何故私の邪魔をする? 妾は貴様よりもずっと強く、美しい。弱者は何も言わず強者の糧となるべきだろう。故に、今頭を垂れて這い蹲えば苦痛なく首を刎ねるだけで許してやろう、小童共」

「戯言を……!!」

「戯言? 貴様らとて家畜の皮を剥いで売り物とし、肉を美味しく食らうだろうに、何の違いがある? 生物的強者が弱者を食らって何が悪い? それと同じだ。お前たちは我々の家畜なのだ。抵抗するな。逆らうな。付け上がるな。命じられた通り疾く死ね。己らに選択権があると勘違いするなど、畜生の分際で増上慢にも甚だしい」

「…………もういい。お前の持論なぞ聞く価値も無い……!」

 

 大人しく聞いて居ればべらべらと聞くに堪えない説法以下の囀りを垂れてくる。本当に、腹が立つ。

 

 俺たちの食事は、感謝し、命を頂く儀式だ。同じ命を奪う行為であれど、そこには確かに感謝が存在する。次の命へと繋ぐために、明日を健気に生きるために、礼を捧げて口にするのだ。”いただきます”、と。

 

 だが鬼にそんな物があるか。感謝があるか。繋ぐ命があるのか。無い。奴らは徒に、快楽に、人の営みを嘲笑いながら奪うだけなのだ。何も生み出さない。何も産まれない。

 

 それが同じだと? ふざけるのも大概にしろ。

 

「貴様らはこの世にあってはいけない命だ……!!」

「フン、言うに事欠いてまだほざくか。……ああ、丁度良いことを思いついたぞ。そうだ、これは中々に面白そうだ」

「何を――――」

「きゃあっ!!?」

「っ…………!!」

 

 背後で悲鳴が聞こえた。すぐさま振り返れば、全身を髪で雁字搦めにされたしのぶと少女の姿が。

 

 何時の間に――――!?

 

「小僧、貴様を半殺しにしてからその娘を目の前で生きたまま食ってやろう。何、傷はつけぬよ。楽しみが減ってしまうからな。クククッ……余興としては丁度良いとは思わないか? 妾を虚仮にした償いとしては実に温情に溢れていよう?」

「貴様……!!」

 

 完全に俺のミスだ。あんなやつの話など無視して全力で二人を逃がすべきだった。だがもう何を言った所で結果は変わらない。

 

 考えろ。今の俺にできる最良最善の行動を。足掻け、足掻くんだ。何としても――――!!

 

「――――さぁ、宴を始めようか!」

「――――これ以上、好き勝手はさせない……!」

 

 死闘が始まる。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「くっ……お前たち……!」

「おあぁぁがぁぁぁぁああ!!」

「うろろぉぁおぁあ!!」

 

 少し離れた場所にて、錆兎は剣戟を繰り広げていた。

 

 目の前には正気を失ったように白目を剥いている鬼殺隊員が複数。更に農具などを持った現地人が彼を囲い込んで嬲り殺さんと飛びかかっている。

 

 それらをどうにか相手を傷つけないように捌きつつ、錆兎は相方である義勇を探すために貧民窟を駆ける。

 

(クソッ、仕組みが不明な以上対処の仕様がない……。一番いい方法は元凶を叩くことだが、肝心の鬼が見つからない……! とにかく早く義勇と合流して――――)

 

 夜の街を駆ける最中、錆兎は自身が進んでいる先の方向で何かの諍いがあることを優れた感覚で感知した。もしかしたら義勇かもしれないと錆兎は更に足を速めていき、そこに予想外の人物を見つけて目を丸くする。

 

「――――胡蝶!?」

「っ、錆兎君!」

 

 そこに居たのは胡蝶カナエだった。彼女は自宅で休んでいた筈なのにどうして此処に? それに、持っているのも日輪刀ではなく訓練用の真剣。

 

 一体どういう状況なのか飲み込めず、しかし緊急事態なのは承知故に錆兎は彼女を囲んでいた者達の凶器を一瞬の内に破壊し尽くす。

 

「引くぞ! こいつ等は操られてる! 気絶させようとしても無駄だ!」

「え、ええ、わかったわ!」

 

 血鬼術の類なのだろう。錆兎は何度か気絶させることでの無力化を試みたが、全て無駄に終わった。恐らく本人の意思に関係なく、何かによって強制的に体を動かされている。関節部に見られた異様な腫れからもその事を推測できた。

 

 かと言って遠慮なしに傷つけることもできやしない。相手は同僚と無関係な一般人。彼らに向けてためらわず刃を向けられるほど、錆兎やカナエの心は成熟していない。

 

「何故此処にいる? 召集を受けたのか?」

「違う、違うの! しのぶが……しのぶが私の刀を持って飛び出して……!」

「何だと!?」

 

 予想だにもしていなかった状況に錆兎は驚愕の声を上げることしかできなかった。一体何がどうしてそんなことになったのか。

 

「その、私の部屋にあった遺書を見られて……それで……」

「何かまずい事でも書いていたのか……?」

「……鬼殺隊を目指すのは、やめなさいって」

「…………」

 

 この姉妹と知り合ってまだ間もない錆兎であるが、彼女の妹であるしのぶが鬼に対して並ならぬ執着を抱いているのはある程度理解している。そして望む力を得られず大きな悩みを抱えていることもだ。

 

 そんな中一番信頼している肉親から正面切って強い制止の言葉をかけられればどうなるか。

 

 答えはこのザマだ。

 

「私、嘘をついてたの。しのぶの事を信じてるって、一緒に戦おうって言ったのに……自分から遠ざけた! 私はしのぶの事を信じていなかった!」

「胡蝶……」

「ちゃんとしのぶに謝らないと……! ちゃんと謝って、今度こそあの子を信じたいの! お願い、助けて錆兎君……!」

「当然だ。男なら!!」

 

 目の前に現れた群衆を蹴散らしながら、錆兎は高らかに叫ぶ。

 

 そこに突如黒い鳥――――錆兎のものではない鎹烏が現れた。錆兎はその個体に見覚えがある。間違いない、義勇の烏だ。

 

 

「カァァ――――ッ! 冨岡義勇、胡蝶シノブと民間人ノ少女ヲ保護! ソシテ下弦ノ陸ト交戦シ負傷状態ニアリ! 鱗滝錆兎、至急救助ニ向カウベシ! 急ゲ! 急ゲ! カァァァ――――ッ!!」

「「ッ――――!!」」

 

 

 まさかの情報に錆兎とカナエは息を呑んだ。義勇がしのぶを保護している。それを聞いて一度は胸を撫で下ろしたが、直後に伝えられた下弦の陸という言葉を聞いて二人は戦慄する。

 

 十二鬼月。最強の鬼の列席の一人。確実に自分たちでは手に負えない存在。

 

 錆兎は手をグッと握りしめて、足に籠める力をさらに強めた。最早一刻の猶予も無いことを自覚した故に。

 

「胡蝶、急ぐぞ!!」

「ええ……!!」

 

 二人は間に合ってくれと、切実な願いを胸に烏の後を追い始めた。

 

 

 

 

 




※戦いに間に合うとは言ってない(間に合ったとしてもどう考えても戦力外)

知人の妹を助けようとしたら太腿と脇腹バッサリ斬られたり肩を貫通させられたり、助けた相手にビンタされて罵られたりと割と踏んだり蹴ったりな今回。もうやめて!冨岡さん(憑)のライフはもうすぐゼロよ!

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