水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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今回でストックが尽きたので更新はここで一度終わりです。次回はエピローグなので出来次第投下するので遅くはならない、はず(震え声)。



第拾肆話 死闘の果てに

 束ねられた髪が全方位から飛来する。その全てが致死の一撃。当たることを許されない攻撃の群れを紙一重で回避し、防ぎながら俺は一歩ずつ下弦の陸――――蒐麗と名乗った女鬼へと近づいて行く。

 

「ぐ、うぅぅぉぉおぉっ!!」

「クハハッ、チョロチョロと馬鹿の一つ覚えの様に動き回る。殺さない程度に加減してこの様とは、全く愉快よ」

「ッ……!!」

 

 たださえギリギリの綱渡りのような有様だというのに、相手は殆どお遊び気分。本気を出していない。にもかかわらず俺はいい様に翻弄されていた。

 

 当り前だ。身体能力も、経験も、技術も。何もかもが足りやしない。俺の様な凡才がたった一年少し鍛えただけで十二鬼月の首に届くわけがない。ごく一握りの天才ならばできるかもしれないが、俺は違った。それなりの才能はあるかもしれないが、突出した物とは決して言えない。

 

(せめて痣が自在に出せれば……!!)

 

 痣。命を対価として差し出し、とある神の如き人に近付くための技術。俺程度の者でも、発現すれば恐らくは十二鬼月に食いつける程度にはなるだろう。そして俺はそれを過去()()()()発現させることができた。

 

 だが、それは今発動できていなかった。何故か。

 

 前にも触れたと思うが、単純に制御出来ていないのだ。過去における二度の発動。そのどれもが怒りによる無意識の発現であり、任意に発動したことは一度としてない。

 

 条件はわかっている。体温と心拍数を上げれば、自然と出てくるのだろう。だが残念ながら、自力で今すぐそれらを上げられるほど、俺の技量は成熟していない。今も尚体温と心拍数を上げるために必死で呼吸を繰り返しているが、一向に痣の出る気配が無かった。

 

「だがいい加減手足の一本くらいは捥いでおこうか」

 

 ニタリ、と蒐麗が不気味な笑みを零した。瞬間、

 

 

 【血鬼術 斬刑(ざんけい)薄刃髪刀(はくじんばっとう)

 

 

 俺を取り巻く髪の束が変形し、薄い刃を模る。それらは準備運動の様に軽く振るわれ――――掠めた建物の屋根の一角が、まるで豆腐の様に切断され、するりと滑って崩れた。

 

 ぞっと背筋を悪寒が走り抜ける。

 

「さて、何本残る?」

「ッ――――!!」

 

 刃の数、計八ツ。それらが高速でしなって俺の手足を刎ねんと動き出す。俺は血眼になってその全ての動きを予測し捌かんとする。

 

 【参ノ型 流々舞い】

 

 縦横無尽に動き回りながら流水の様な斬撃を繰り出し死の断頭刃を弾き続ける。甲高い金属音が絶え間なく輪唱し続け、攻撃を受けるたびに両腕は痺れを蓄積する。

 

 髪が斬れない。俺の手には余るほど蒐麗の毛髪は硬く、弾き飛ばすしかできなかった。流石は十二鬼月。最弱とはいえ最強の十二の一人だと言う事か。

 

 だが刀は無事だ。ならば大丈夫。武器はまだ持つ。身体は動く。攻撃も防げる。ならば進める。戦える――――!!

 

「おぁあぁあああ!!」

「っ!?」

 

 背後から操られた者達が複数飛びかかってきた。反射的にその手を回避して――――目の前で、彼らは俺を狙った斬撃で胴体を輪切りにされた。

 

「お、前ぇぇぇえええッ!!」

「ちっ、捨て駒にもならんとは、使えない奴らめ!」

 

 自身の手駒だろうと関係ない。奴は俺を葬るために幾つも無辜の一般人を使い潰すつもりだ。無論奴にとっては痛くも痒くもない出費なのだろう。幾らでも確保できる、貧民窟の住人の命など。

 

 俺は怒りに任せて突撃を敢行しようとして――――生存本能が訴えるまま身体を捩って()()()()()何かを回避した。

 

 【血鬼術 千死翔毛(せんししょうもう)

 

「な――――!?」

「チッ、勘のいい……!」

 

 脇下から黒い何かがすり抜けた。それはズガン! と轟音を立てながら地表へと突き刺さる。

 

 それは……槍の様に編まれた髪だった。髪の束を武器として編み上げ、それを切り離しながら撃ち出しているのか。

 

 見上げれば、蒐麗は今放った物体を幾つも待機させ、その尖端はこちらへと照準されている。

 

 唖然とする暇もなく、それらは怒涛の勢いで放たれた。

 

「ッ、うあぁぁぁぁあぁあぁああああ!!!」

 

 悲鳴にも似た雄叫びを上げながら回避は不可能と断じ、俺は両足を踏みしめて両手で刀の柄を握りしめる。

 

 【拾壱ノ型 凪】

 

 己に迫る髪の槍を片っ端から叩き落とし続ける。動きの鈍い左腕を必死で鞭打ち動かし続ける。縫合した傷から血が噴き出て痛覚が絶叫するが無視する。でなければ、死ぬのは俺だ――――!!

 

 弾く。弾く。弾く。

 

 だが、無情にも限界は訪れる。

 

「ぐあぁぁあぁあああああッ!!?」

「冨岡さん――――!!!」

 

 すぐ傍を通過した髪の槍が突如変形、刃の付いた触手となって俺の知覚外から奇襲をかけてきた。嫌な予感がして直前で気づき回避を行えたが、それでも足の肉が深く斬り裂かれてしまった。

 

 傷を負ったことで凪の維持ができなくなり、更に他の髪の槍も変形を開始したのを見た俺は残った体力を絞り出して後方へと跳躍し距離を取った。目標を見失った髪の触腕はその場で気味悪くうねうねと蠢いた数秒後、そのまま灰となって消滅してしまう。

 

 まさか切り離した髪の自立行動まで可能とは。本体のソレと比べて遥かに動きは遅いし、時間が経てば消えてしまうようだが、それでもこの性能は脅威としか言いようがない。

 

 闇雲に近づくのは無理だと判断し、俺は後方彼方にあった川の土手の裏に潜り込むことでどうにか蒐麗の猛攻を凌ごうとする。だが碌に水分も無いカラカラの土があの鬼の攻撃を耐えられるはずもなく、髪の槍は容赦なく壁をぶち抜いて俺目がけて飛んでくる。

 

 だが幸い相手がこちらを視認できていないからか精度は多少鈍った。何とか掻い潜る隙を見つけた俺は蒐麗に対して回り込むように土手の裏を駆け抜け、視界から外れた所で土手を昇って遮蔽物に身を隠し荒くなった息を整える。

 

 正面から行っても無駄だ。物量と手数が違い過ぎる。ならば意識外からの奇襲しかない。

 

「成程。鼠らしくコソコソ隠れるか。下らん目論見を――――では、一掃しよう」

 

 微かに声が聞こえた。俺は嫌な予感がして地面に飛び込むように伏せる。

 

 

 ――――直後、黒い閃光が走り一帯が更地となった。

 

 

「きゃああああああああっ!!」

「な、なんだ! 何が起こってる!?」

「誰か助けてくれ! あ、足がっ!」

「ぐっ、う、ぐっ……一体、何が……!」

 

 周囲から住民たちの悲鳴が聞こえ始めた。今まで家の中に隠れていたのか、それらが纏めて破壊されたことでそこら中が阿鼻叫喚の有様だ。

 

 駄目だ、俺が隠れると奴は見境なく暴れて炙り出そうとする。これでは民間人に被害が広がってしまう。俺は事実上選択肢を一つ潰されたことに歯噛みしながら、蒐麗の前へと飛び出す。

 

「ハハハッ! 耐え切れなくなって出てきたか! 全く、無関係な貧乏人共等放っておけばよいものを……」

 

 巨大な髪の刃を見せびらかすように振りまわしながら、蒐麗は嗜虐的な笑みと共に俺を見下し続ける。そして髪を一度解くと、また幾つもの刃を形成する。

 

 奇襲は不可能。もう、正面突破しか残されていない。

 

 勝機は薄い。だが、相手はまだ俺の事を下に見て侮っている。精神的な隙は未だ健在だ。

 

 其処に全てを賭けるしかない。

 

「ふぅぅぅぅっ……! ふぅぅぅぅぅぅっ……!!」

「さて、次は何だ? 貴様らお得意の特攻か? それとも尻尾を巻いて無様に逃げるか? ククククッ……まあ、逃げても構わぬぞ? 邪魔者が居なくなったのならば、妾はあの小娘をじっくりと味わいながら食らうだけだ」

 

 落ち着け。挑発に乗るな。息を整えて、呼吸と技の精度を極限まで上げろ。一片の隙も見逃すな。

 

 地を踏み――――走る。

 

「オォォォオォォオォォォオオオオオ――――ッ!!」

「ハッ、特攻! 無様な!!」

「冨岡さん!」

 

 【拾ノ型 生々流転】

 

 うねる龍が地表を駆ける。回転しながら襲い掛かる髪の刃を弾き飛ばし、一回転、二回転、三回転。そして四回転目でついに髪の刃が俺の攻撃に依って寸断された。

 

「何ッ――――!?」

 

 その事実に蒐麗は動揺した。自分の中にあった絶対的な優位性、それが崩されたことでほんのわずかであるが彼女の動きが鈍る。

 

 この瞬間を待っていた。

 

「たぁぁぁぁぁああああああああああッ!!!」

 

 全霊で距離を詰める。髪の足場を伝って駆け上り、ついに俺は蒐麗の眼前にまで迫る。

 

 生々流転、最大倍率。それを一部の狂い無く蒐麗の頸目がけて振り下した。

 

 刃が吸い込まれるように空を走る。斬れる、勝てる。これでやっと――――

 

 

 

「薄汚い男風情が妾の肌に触れるな」

「冨岡さん下がって!!」

 

 

 

 底冷えた、どす黒い声音と警告の声が耳を突き刺す。俺は生物本能のまま髪の足場を蹴って後ろへと飛び、一秒の間もなく()()()()()()()が俺の居た場所を薙いだ。そして追撃に放たれる一撃を俺は宙で受け止め、

 

 赤い刃が、俺の刀を真っ二つに切り裂いた。

 

「     」

 

 口から漏れる声にならない声。咄嗟に首と身体を捩じって赤い刃を回避するも、掠った頬からは肉が焼ける音が響く。

 

 そのまま地面に落ちた俺は受け身を取りながら限界まで蒐麗と距離を取る。現状が把握できていない以上、やみくもに近づくのは危険だと判断したからだ。

 

(何だ、何が起こった)

 

 刀を見る。間違いなく、半ばから叩き斬られている。切断面を見れば微かに熱を帯びており、まるで焼き切られたようだった。いや、()()()()()()のだ。

 

 突然凄まじい熱を帯びた、髪の刃によって。

 

「……刀を握ったばかりの小僧かと思えば、成程確かに腕は立つらしい。妾の髪を切るとは。だからこそ、不運だった。――――妾は髪を切った輩は必ず嬲り殺しにすると決めている。楽に死ねると思うなよ、小僧……!!」

 

 今までの傲慢な顔は何処に行ったか、未だ宙でこちらを見下ろしている蒐麗の顔は憎悪の一色に染まっていた。最早一片の驕りなど無い、全力で俺を殺す腹積もりだ。

 

 蒐麗がやっと地面に足を付ける。瞬間、宙に張られた髪が徐々に赤く染まっていく。

 

「【血鬼術 紅鎧髪(くれないのよろいがみ)】。血を纏わせた妾の髪は更に速く硬くなる。もう、斬らせぬわ」

 

 マズイ。しくじった。今ので仕留めるべきだったのに。あと一手遅かった……!!

 

「なっ、何をしているんだお前たち! ひ、人の家の前で暴れてんじゃ……!」

「駄目だよせ! 前に出るなァッ!!」

 

 中年の男性がよからぬ気配を纏った蒐麗を指さして叫んだ。その内容は、至極常識的なものだ。

 

 だが、鬼という非常識な生き物にそんな声は意味を成さない。

 

 

「黙れ、塵め」

 

 

 赤い刃を一振り。視認すら困難な速度で刃がそこら中を駆け巡り、地面と家屋に赤く輝く線が深々と刻まれる。

 

 一拍間を置いて――――線から激しい炎が噴き出した。

 

「【血鬼術 妖緋髪(あやかしひがみ)】。髪を燃やすというのは心底気に食わぬが、やはり心地よいものよな。肉を焼いて斬る感覚は」

「ね、ぇ」

「あ、ぁぁ」

 

 べちゃりと音を立てながら、上半身と下半身が焼き切られた男が倒れ伏す。同時にまるで戦いの号砲のように辺りの家屋が斬られた個所から爆発、炎上を始めてしまう。

 

「誰かぁっ! 誰か助けてぇぇぇぇええ!!」

「うわあぁぁぁああぁぁあ! 火が! 火があああああ!!」

「かあちゃん! 返事しろよ! 何で何も言わないんだよぉ!」

「おあごぁぁぁがぁぁあああああ!!」

「なっ、なんだお前! や、やめろっ、来るなぁ!」

 

 燃える。地獄が燃える。

 

 先程までも十分悲惨な有様だというのに、あの鬼は更に悪化させた。なんだこれは、ふざけるな。こんな、こんなのが……!!

 

「違う……!」

 

 俺のせいだ。俺がもっと強ければ、もっと早く倒せていればこんなことにはならなかったのに……!!

 

「まだ生きていたか。全くしぶとい奴だ。とっとと死ね。周りにいる無価値な貧乏人共と一緒に地獄へと送ってやろう。一人では寂しいだろう? 感謝するといい」

「ふざ、けるな……ッ!! 地獄に落ちるのはお前だ……!」

「落ちるわけがないだろう。馬鹿か貴様は。私は死なない。死なない者が地獄に行くか?」

「俺が、殺してやる……!!」

「そうか、頑張るといい。――――ただし、先に死ぬのはお前だ。雑魚め」

 

 一瞬だった。

 

 たった瞬きする間に、蒐麗は俺の目の前に立っていた。そして背後には、髪で編まれた巨大な腕がそびえ立っている。反応はできない。しようとした瞬間に、その拳はもう俺の腹に叩き込まれていたから。

 

 ジュワリと肉の焼ける音が腹に広がる。まさか、俺をより長く苦しませるために即死しない形にしたのか。

 

「がッ、あぁぁぁぁあぁああぁぁあぁぁああああああああああああ!!?!?」

 

 拳が振り抜かれて俺の小さな体は弾むように吹き飛んだ。地面を回転しながら幾度も跳ね、遥か向こうの廃屋に突っ込んでようやく動きを止める。

 

 左腕が折れた。肋骨も何本か。苦しい、動けない。血が喉から這い上がってくる。

 

「は、ぁ、ごぶっ」

「冨岡さん! 冨岡さんっ!! 私の事はいいからもう逃げて! お願い……!!」

 

 遠くからしのぶの声が聞こえた。だがその声に従うつもりは微塵も無い。あるものか。

 

 約束したんだ。

 

 

「守るって……約束、したんだッ……!! だから、俺はっ……!」

「滑稽な」

 

 

 燃える家屋が二つ、空に浮かんでいた。大量の赤い髪が、それを掴み上げていた。

 

「貴様の相手も、もう飽きた」

「…………ご、ぼっ」

「死ぬがよい」

「地獄に、落ちろ」

 

 

 俺の居る廃屋に、燃える家屋が二つ叩き込まれた。

 

 最後に聞こえたのは爆音だけだった。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「冨岡さん! いやぁぁぁああああああああああっ!!!」

「ハッハハハッハハハハハハハハハハハハ!!! 中々派手に吹き飛んでくれた! なんとまあ清々しい!」

 

 大量の瓦礫の山が燃え上がっている。冨岡が吹き飛ばされた廃屋は最早原型を留めない程崩壊しており、止めを刺すかのように激しい炎上をしていた。これはどう考えても、中に居る者は、もう。

 

 自分を守ろうとした人間が、また死んだ。

 

 あの夜、鬼から娘たちを庇って死んでいった父と母の様に。またしても、自分は何もできず、見ているしかできなかった。

 

 しのぶは己らの幸福が打ち壊された瞬間が何度も脳裏にフラッシュバックし、無力感のあまりわずかばかりの抵抗すらできなくなってしまう。

 

「しかし残念だ。宣言通りあの小僧の前で貴様を踊り食いする計画が台無しだ。まあ、所詮は余興。どうでもよいか」

「ッ…………」

 

 燃える髪を自切しながら、蒐麗は悠々とした足取りでしのぶの前に立った。

 

 眼下に広がる地獄。爆発した建物から次々と炎が燃え広がっている。このままでは貧民窟は一晩で焦熱地獄も同然となってしまうだろう。そしてその原因を作り上げた張本人、数多の人の命を何の悪びれも無く奪い尽くそうとする諸悪の権化を見て、しのぶはどろどろとした黒い炎を燃え上がらせ女鬼をキッと睨みつける。

 

「フン、そちらの子供は薄汚くて美しくない。妾が口にするに能わず。消えろ」

「!!」

 

 しのぶのついでに雁字搦めにされていた少女が髪の束縛から引きずり出され、そのまま無造作に放り捨てられた。そのまま地面に落ちて大怪我を負ってしまうと思われたが、落下先には幸運にも藁が積み上がっていたが故に無傷で済んだ様だ。

 

 しかし蒐麗はそれに見向きもしない。子供が一人死んでようがいまいが、彼女にとってはもうどうでも良いことなのだろう。

 

「ふふふっ、ああ、やはり美しい髪だ。これこそ妾が口にする価値がある。女は美しいほど価値があると思わないか? そして価値ある者を食らうことで、妾はより美しく、強くなる。そしてあの方にも認めてもらえる。例え我が身が限界に至っていようが関係無い。まだ妾は上を目指せるのだ、妾は……!!」

 

 言葉が紡がれるたびに、蒐麗の顔が歪んでいく。その言葉に師から鬼に付いての知識を片っ端から教え込まれたしのぶは彼女の現状をある程度察することができた。

 

 鬼と言うのは人を食えば食うほど強くなれるが、無限に強くなれるわけでは無い。個人個人に鬼としての資質、即ち成長の限界というものが存在している。

 

 ある一定の水準に達すれば大量の人食いができなくなり、それに伴い力を蓄えることも難しくなる。その限界が抜きんでて高く、長年生き残り続けた鬼が上弦と呼ばれる真の最強の六体だ。

 

 当然、資質が高い者もいれば低い者も存在している。蒐麗は決して資質が低いわけでは無い。だが彼女は上弦に至るほどの才は持っていなかった。

 

 だが彼女の貪欲な心は今だ鳴りを潜めていない。例え力が限界に至り、他の下弦の鬼たちに力を上回られ、下弦の陸と言う立場まで落ちぶれようともなお這い上がろうとするその執念。それは鬼の首魁たる鬼舞辻無惨が彼女に失望しつつも唯一評価した点だった。

 

「妾はまだ強くなれる! 妾自身が限界ならば、数で補うまで。強き人間どもを我が支配下に置くことで軍団を作り上げるのだ! いずれは鬼殺隊の柱も従わせ、あの方に献上する! それによって私はあの方から血を貰って、より上へと――――」

「下らない」

 

 蒐麗の高ぶる心に水を差すように、しのぶは不敵な笑みを作って吐き捨てる様に呟いた。それを聞き逃さなかったのだろう、蒐麗の動きがピクリと止まる。

 

「…………何だと?」

「下らない、って言ったのよ。結局は自分の限界を打ち破ろうとせず、他人の力に頼ろうとしてる。なんて無様なのかしら。向上心だけ立派で、他力本願なんて笑っちゃう。きっと鬼舞辻無惨も貴方の事を心の底で嘲笑っているんじゃない?」

「黙れ。貴様の様な小娘があの方を語るな」

「何よ、本当の事でしょう? 鬼舞辻の程度も知れるわ。アンタの様な小物を十二鬼月にするなんて、よっぽど先見性の無い小心者なのね」

「貴様――――!」

「ふんっ、否定できないのね! だからそうやって言葉じゃ無くて暴力で黙らせようとする! 千年間隠れ続けてる臆病者の組織の長に相応しいわ! そんな奴が自分より上の立場だなんて、私だったら恥ずかしくて自死を選ん――――で、ぇっ……ぐ、ぁ……!!」

 

 絶え間なく飛び出す剣幕を無理矢理黙らせるように、蒐麗はしのぶの喉を鷲掴みにして締め上げる。しのぶは苦しそうに嗚咽を漏らすが、笑みだけは崩さない。自分の心の最期の矜持だと言わんばかりに。

 

「言わせておけば鳥のように不快に囀ってくれる。そこまで妾に縊り殺されたいようだな、小娘」

「ふ、ふっ……アン、タ、なんか……怖くも、ない、わ……!!」

「もういい。貴様の言葉は耳を傾ける価値も無い。――――では、いただくとしよう」

 

 蒐麗が口を開く。それは加減など知らないかのように一杯に開き、やがて頬の肉が裂け、顎の骨が外れているのではないかと思える程大きく広がっていく。

 

「――――ホント、醜い、女」

 

 しのぶは最後の抵抗として罵倒と共に彼女の顔に唾を吐き捨てた。同時に、顎が閉じ始める。しのぶは何も言わずに目を閉じる。

 

 脳裏に流れるのは走馬灯。在りし日の、幸せな日々。

 

 

(姉さん、馬鹿な妹でごめんなさい。どうか、幸せに――――)

 

 

 ……怖い。

 

 死ぬのは、怖い。どれだけ強がっていても、まだ十つの少女でしかないしのぶはその感情を払拭することはできなかった。

 

 だからだろうか。誰も聞こえないようなほど小さな声で、助けを求めてしまったのは。

 

 

 

「誰か……助けて…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガリッ、と土を爪で抉り握りしめる。

 

 熱い。痛い。灼熱に炙られ、家屋の残骸が幾つも背中に突き刺さっている。塞いだ傷は広がって血を吐き出し続けている。

 

 今にも死にそうだ。的確な処置をしなければ、後数分もすれば俺は確実に死ぬだろう。

 

(動け、動いてくれ)

 

 まだやらねばならないことが沢山あるのに。こんな所で倒れていられないのに。身体は俺の意思を無視するように、ピクリとも動かない。だけど仕方がないだろう。俺は人間で、傷つけば動けなくなるのは当然の事だ。

 

(何のために、此処まで進んだ)

 

 だけど、それでも、諦められない。

 

(選択した。よりよい未来のために。少しでも悲しい出来事を無くすために)

 

 覚悟なんてとっくの昔から決めている。己が身をすり減らしてでも、幸せになるべき人を幸せにしたいと思って、自分を奮い立たせてきたんだ。

 

 何より、カナエと約束した。しのぶを守ると。それを違えるなど――――男じゃない。

 

「だっ、たら……立た、ないと……!!」

 

 動く度に激痛という名の枷が俺を蝕んでくる。それに耐えながら、俺は身体を徐々に起こしていく。

 

 幸か不幸か、俺は瓦礫の下敷きにならず運よく隙間に避難できていた。ぶつけられた家屋が思いのほか空洞だらけだったのだろう。外傷は致命的なものは避けられている。

 

 ……だが、身体は依然重傷だ。左腕の骨と肋骨は折れて、全身は打撲と疲労でズタボロ。更に隊服が焼けて肉が焦げる音まで聞こえてくる。このまま出ていったとしても、あの鬼と戦うことなど出来やしないだろう。

 

 それでも、と俺は立ち上がろうとして――――不意に懐から何かが零れ落ちた。

 

(これ、は)

 

 小さなお守り袋。出立する前にしのぶがくれた、薬の入ったお守りだった。確か、中に入っているのは。

 

 それを思い出して、俺はフッと小さく笑う。

 

 

「――――ああ、役に立ったよ。しのぶ」

 

 

 袋から取り出したソレを、俺は無造作に口へと放り込み、噛み砕いた。

 

 

 

 

 

 しのぶは目を開いた。目を閉じた後には痛みしかないはずなのに、その代わりに凄まじい爆音が轟き、束の間の浮遊感の後に己の体を暖かいものが包んだからだ。

 

 目を開いて見えたのは、醜い鬼の姿などでは無かった。見えたのは、少年の姿。燃え朽ちてしまったのか上着を脱ぎ捨て、その鍛え上げ引き締まった肉体を外気に晒している見覚えのある少年の顔がしのぶの前に広がっていた。

 

 ただし先程とは少し違い、左頬に奇妙な痣を浮かべていたが。

 

「――――すまない、待たせた」

「冨、岡……さん?」

 

 先程まではまるで別人の様な気迫を纏う少年に、しのぶは思わず見とれてしまう。そう、まるで歴戦の戦士を見ているような。自身とそう歳は離れていないはずなのに。

 

「貴、様。何故、生きている……!」

「お前を殺してしのぶをカナエに返すまでは、死んでも死にきれないからだ」

「ふざけているのか……!!」

 

 視線を変えれば、そこには胸を深々と切り裂かれて地に倒れ伏した蒐麗の姿があった。今の今まで碌に外傷を負っていなかっただけに、突然の負傷にしのぶは目を丸くしてしまう。

 

 そして己を抱えた腕が握っている折れた刀からは、確かに血が垂れていた。つまり、斬ったのだ。義勇があの鬼を。

 

「何時の間に……」

「お前の拘束を解くときに、ついでに斬っておいた。頸を斬るつもりだったが、直前で避けられてしまった」

 

 一体どういう事だ。彼は先程まであの鬼に翻弄されていたというのに、まるで力量が違う。一体、何が起こっているというのか。しのぶの頭を疑問符が埋め尽くす。

 

 だがその問いの答えは返されることは無く、しのぶはゆっくりとその場に降ろされた。

 

「しのぶ、周りの人達を避難させろ。もうこいつはなりふり構わず暴れ出すだろう」

「で、でも」

「頼む。お前だけが頼りだ」

「っ……わかりました!」

 

 鬼と義勇の力を間近で見た以上、しのぶは己がこの戦いでは足手まとい以下だと言う事を嫌でも理解出来た。故に今は自分ができることをしなければならないと、覚悟を決めて動き始める。

 

 しのぶが離れたのを見届けると、義勇は――――俺は息を深く吐きながら一歩踏み出す。

 

「お前は俺と戦うのが飽きたと言ったな。――――俺も同感だ。お前の癇癪に付き合うのもいい加減飽きた」

「貴様ァッ……! ただのまぐれ当たりで調子に乗って……! もう許さぬ。出てこい! 妾の軍勢達よ!!」

 

 今の今まで隠れ潜んでいた蒐麗の手駒たち、血鬼術によって洗脳された人間たちが凶器を手に現れた。中には鬼殺隊員まで多数紛れており、彼女がどれほどの人々を食い物にしてきたかを示している。

 

「柱を相手にするまで温存するつもりだったが、もういい。貴様は精々同じ鬼狩りに嬲り殺されるがいい! お前の様な奴にはお似合いの結末――――」

「――――水の呼吸、【参ノ型】」

 

 俺はこの場に現れた四十人を見据え、流れるような動作で足運びを始める。それは、今までの比では無いほどに洗練され、力強く、素早いもの。そこにあって当然の様な自然さで四十もの人々の間を一瞬で駆け巡り、そして音も無く足を止めた。

 

「【流々舞い】」

 

 残心。それと同時に俺の背後にいた四十名全員が力なく倒れ伏した。その予想外の光景に蒐麗は狼狽えてしまう。

 

「きっ、貴様ッ!? 斬ったのか! 同胞を! 無関係の者まで!?」

「斬ってない、峰打ちだ。手足の関節を打ち付けて物理的に行動不能にした」

 

 そう。蒐麗の血鬼術による洗脳は仕組みこそ把握して居ないが、物理的な干渉でないのは確かだ。かと言って念力の様なものとも思えない。つまり、物理的に動けない体になってしまったら、どんな命令を出そうが無意味になるという事だ。

 

 もし糸などを使って物理的に操作しているならばその限りでは無かっただろうが、残念ながら彼女の血鬼術はその類では無かった。

 

 一部とはいえ、自身の作り上げた軍勢を容易く崩した俺に対し、蒐麗は畏怖を抱いたのか一歩ほど足を下げる。

 

(何だアイツは。先程まで妾に圧倒されていた様子は何処に行った。本当に同じ人物なのか)

 

(相手は死にかけの小僧だ。後一撃加えれば死ぬだろう)

 

(なのに、その一撃が遠い。先程まで奴は少し手強いだけの子供だった筈なのに。今回も簡単に縊り殺せるはずなのに。これは一体なんだ?)

 

「何なんだ、お前は」

「―――――鬼殺隊、階級壬。冨岡義勇」

「何なんだお前はぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!」

 

 戦いの流れは完全に逆転する。

 

 冷静さを失った者に、勝利の二文字は掴めない。

 

 

 

 

 

「皆急いでここから逃げて! 燃えている家は燃え広がらない様に何かで壊してください! 女子供は川の近くに集まって!」

「な、なんでぇお前さんは!? いきなり何言って……」

「いいから! さっさと!! 動きなさい!!! 早くっ!!!!」

「ひぃっ! な、なんて子供だ!」

 

 募る苛立ちを足に乗せて近くの燃えている建物の壁を蹴り壊しながら、しのぶはまくしたてるように今だ狼狽えている者達へと指示を出し続けた。

 

 どんなに頭が鈍くとも今が緊急事態だと理解出来ない者はいないだろう。しのぶのただならない様子に圧されて人々は怯えながらも言われた通りに動き出す。彼女の有無を言わせない気強な性格が役に立った瞬間であった。

 

「――――!!」

「えっ!?」

 

 横から飛び出した影がしのぶの体にぶつかった。何だと思えば、義勇に保護されていた、そして先程藁の山へと落ちた少女ではないか。

 

 いきなり何だと言うのだ、としのぶは尻もちを付きながら少女に文句を言おうとするも――――直後に自身の頭上を髪の刃が通過したことで、その言葉は行き詰った。

 

「ま、まさか貴方……今の、見えていたの?」

「…………!」

「嘘でしょう……」

 

 自分ですら霞んだ残像が見えるのでやっとなのに、この年端もいかない子供は今の攻撃が見えていたらしい。一体どんな動体視力だと言いたくなるが……その前にしのぶはあることを思いついた。

 

「……ねぇ、貴方。あの人を助けたいと思うなら、私に力を貸して」

「…………(コクリ)」

 

 こんな手助けは余計なお世話かもしれない。必要ないのかもしれない。それでもしのぶはやらずにはいられなかった。

 

 彼女は願掛けの様に、刀の収まった鞘をギュッと握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 地面が爆ぜるほどの速度で俺は駆ける。前方から燃える髪の刃が迫るが、俺はその全てを()()()()()。先程とはまるで真逆の結果。十全な身体能力と洗練された技から繰り出される斬撃は思い通りの結果を叩き出してくれる。

 

「ぐぅぅぅぅぅっ――――!!」

「シィィッ――――!!」

 

 全ての攻撃を正面から捻じ伏せた俺は蒐麗の懐に入り込み、その頸目がけて刀を振るう。しかし寸前で蒐麗は後ろへと跳び、刀が半分にされ長さの足りない刀は空しく彼女の喉笛を掻っ切って終わる。

 

 だが終わりでは無い。俺は飛び退く蒐麗を追いかけるべく跳躍。焼ける家屋の屋根の上へと逃げた彼女の後を追う。

 

「クソッ、クソッ!! 貴様さえ! 貴様さえいなければ!!」

「おぉぉぉぉおぉおおおおっ!!」

 

 髪の刃が八つから四つにまで数が減った。だが代わりに鋭さと硬度を増したのか、髪の刃は先程と違い切断されずに俺の刀と火花を散らし合う。戦い始めた時とはまるで違う、一進一退の互角の攻防。極限の均衡の上でこの勝負は成り立っていた。

 

 互いに決定打を出せないままこう着状態に陥っている。僅差で圧しているのは俺の方だが、同時にこのままでは負けるのも俺の方だ。鬼が疲労とは無縁なのに対して、俺の体力は有限だ。長期戦になればどちらが負けるかなんて想像しなくても分かる。

 

(だがっ、決め手がない! いや、()()()()()()()!!)

 

 攻撃範囲が半減したことで、俺の攻撃は先程から蒐麗の喉笛を斬る程度に留まってしまっている。せめて元の長さであればこんな状況にはならなかった筈なのに。

 

 だが刀鍛冶に文句を言う訳にはいかない。刀を折ったのは剣士である俺の未熟ゆえだ。

 

 しかしこのままでは――――!!

 

「しつこい! しつこい! しつこい!! いい加減死に腐れよ溝鼠が!! 塵畜生以下の分際で()をこれ以上イラつかせるなァッ!!」

「やってみろ厚化粧の年増が!!」

 

 蒐麗の顔は当然憤怒に歪んでいた。最早当初の美貌など微塵も感じられない、醜い女の顔だ。互いに罵り合いながら終わりの見えない剣戟を繰り広げる。だがもう俺の体力も限界が近い。まだか、まだなのか柱の到着は。この大惨事な有様が伝わっているのなら必ず駆けつけてくれる筈……!

 

 頼むから、これ以上被害が増える前に、誰か…………!!

 

 

「――――冨岡さん!!」

 

 

 しのぶの声が聞こえた。本来なら聞こえるはずの無い背後からの声に、俺の焦りが増す。馬鹿な、何故だ。やめろ何故来た。

 

「しのぶよせ!! こっちに来るんじゃない!!」

「小娘が邪魔をするなァァァ!!!」

 

 蒐麗が四つの髪の刃の内一つをしのぶに向かって振るった。不味い、この速さは彼女は反応しきれない。こちらで防がなくては、いやダメだ残り三つの刃に阻まれて間に合わない――――!?

 

「――――きゃっ!? や、やったっ!!」

「なっ!?」

「何、だと!? 貴様どうやって!!」

 

 避けた。どうやって。

 

 手数が減ったことでよそ見をする余裕が出来た俺はしのぶの方に視線を向ける。すると、信じられない光景が目に入ってきた。

 

 しのぶは一人では無かった。

 

 脇に少女を抱えていたのだ。俺が保護していたあの少女を。一体何をやっているんだアイツは。馬鹿なのか!?

 

「しのぶっ! なんでその子を連れてこっちに来た!? 危ないから逃げろ馬鹿!」

「大丈夫ですっ! それより、これを!」

 

 蒐麗の攻撃を避けながら、しのぶはその手に持った日輪刀を掲げた。そう、彼女の姉の物である、無事な形の日輪刀を。それを見た俺の行動は決まっていた。

 

 残った力を少しだけ振り絞って髪の刃を大きく弾き飛ばし、俺は屋根を強く蹴ってしのぶの元へと跳んだ。不利になっていく一方の戦況を、死の運命を打開するための一手を掴まんとする。

 

 

「ハハハハハハッ!! 隙を見せたな馬鹿共がッ!!」

 

 

 背後で強烈な炎熱が撒き散る。首だけを回して背後を見れば――――巨大な炎の蛇が顕現していた。

 

 

「【血鬼術 焔舞踊(ほむらぶよう)大炎蛇暴食(だいえんじゃぼうしょく)】」

 

 

 彼女の頭から生えた炎を纏う大蛇。見るだけでわかってしまうほどの凄まじい熱量を秘めている。

 

 恐らく蒐麗は此処で一気に勝負を決めるつもりなのだろう。彼女は全ての髪を集約し燃やす事で最大火力を権限させてきた。食らえばきっと、間違いなく消し炭になる。

 

「諸共に塵芥と成るがいい! 小童共ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 蒐麗の叫びと共に、大炎蛇が顎を開いて獲物を食らわんと俺たちへと飛びかかった。

 

「冨岡さん!」

 

 しのぶが手に持った日輪刀を俺へと投げつける。そして彼女は少女を抱えたまま横へ跳び、術の射線上から抜け出した。そして俺は折れた刀を放り捨て、投げつけられた日輪刀の柄を掴む。

 

 俺は鞘が付いたままの刀を、地面に向かって振った。そうすることで鞘が勢いよく滑り抜け、地面に鐺が浅く突き立った。

 

 身体を捻る。鯉口を足底で踏みつける。

 

 そう、俺は――――鞘を足場として、後方上空へと跳び上がった。

 

 

「え――――」

 

 真下で轟々と燃え盛る蛇が通り抜けていく。俺たちには掠りもせずに空しく消え去っていく。

 

 恐らく、あの術は蒐麗の奥の手だ。あれだけの火力、上弦ならともかく下弦に過ぎない蒐麗がそう何度も使える物では無いはずだ。証拠に今、逆さまになった視界で蒐麗は茫然と突っ立っている。まさか無傷で凌がれるとは思わなかったのだろうか。

 

 だとしたら、とんだ間抜けだ。勝負を焦るあまりに己の首を絞めてしまったのだから。

 

「まっ、あ、いやッ!! 髪っ、髪無いぃぃぃぃいいいいいい!!!」

 

 その叫び通り、今の彼女は術の代償なのか髪の毛一本たりとも生えていなかった。美しかった姿は何処に行ったのか、頭は醜く焼け爛れ顔には炎が燃え広がっている。彼女が嫌悪する、醜い者達の様に。

 

「全集中・水の呼吸――――【肆ノ型】!!!」

「わっ、()がっ! ()がぁっ!!」

 

 ようやく蒐麗が後退を試み始める。だがもう遅い。俺の方が早い。

 

 逆さまになった身体を捩じる。呼吸を深く鋭いものにする。

 

 相手はもう防御も、回避も、迎撃もできない。

 

 刀を振る。もし刀が折れたままであれば、この攻撃は哀れな空振りに終わっただろう。だが、今持っているのは万全な状態の代物。

 

 足りなかった距離が埋まり、刃が鬼の頸を捉える。血が噴き出し、肉が裂ける。

 

 俺の、いや――――

 

 

「こんな餓鬼共なんかにィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイ!!!!」

 

 

「【打ち潮】ぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 

 桜が薙がれて、月が欠けた。

 

 

 

 ――――俺たちの、勝ちだ。

 

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 

 貧しい時は、私はまだ美しい心を持っていた筈だった。

 

 その日その日を偶々知り合った男の子と手を取り合い、必死で生き抜いた。明日を生きればきっと幸福になれると信じて、耐えて耐えて耐えて、耐え続けた。母譲りの、男の子が綺麗だと言ってくれた髪すら切り売りしながら底辺の場所で生き続けた。

 

 そんな生活を何年も続けて、やがて私は男の子と将来を誓い合った。未来にどんなことがあっても、二人で生き抜こうと。

 

 時が過ぎて、私は遊郭で禿として働くことになった。男の子はまた別に道に行った。しかし二人とも心は確かに繋がっていた。沢山銭を稼いで、何時か二人で幸せな家庭を持とうと心血を注いだ。

 

 

 その誓いは、一体どこから歪んでしまったのだろうか。

 

 

 やがて私は花魁として名を馳せた。美しい髪と美しい顔。誰もが私の虜となった。誰もが私に大金を積んで顔を拝みに来た。その時私は確信した。「ああ、私は此処までこれた。そしてこれからも上に行ける。もっと幸せになれる」と。

 

 何のために上を目指したのかも忘れて。目的と手段を逆転させて、ただただ貪欲に美しさを求め続けた。

 

 やがて私はあの時の男の子と再会した。彼は小さな商売人として成功していた。――――だが、それだけだった。大きな成功もしていなければ、大きな価値を持っている訳でもない。ただ一人の花魁を身請けするためにコツコツと馬鹿みたいにお金を稼ぎ続けた間抜けな男。

 

 私は彼を切り捨てた。彼より魅力的な殿方は幾らでもいたから。

 

 そしてその晩、私のいる屋敷は炎で焼かれた。誰の仕業かは考えなくても分かる、切り捨てたあの男だ。過去に私が捨ててきた何人もの男どもと結託して私に復讐してきたのだ。

 

 私は呪った。私は美しいはずなのに。何をしても許されるはずなのに。まだ上を目指せるはずなのに。

 

 

 

「吉原で一等美しい花魁とやらを拝みに来たが……何ともまあ酷い有様だ」

 

 

 

 焼け落ちる屋敷の中で、高価な着物に身を包んだ妖艶な美しさを秘める男が現れた。彼は炎など気にも留めないような態度で、生きたまま焼かれている私の前で屈む。

 

 

「まだ生きたいか? 生きてお前をこんな目に遭わせた奴らに復讐したいか?」

「し……た、い……」

「よかろう、その貪欲さ気に入った。鬼となった後も精々、私の役に立てるよう精進するがいい」

 

 

 そうして私は鬼となった。人の頃の美しさを保ったまま永遠を生きられる至高の存在になった。全ての人間の上に立てたのだ。

 

 

 

 

 それで?

 

 

 それで私は何をしたかったの?

 

 

 上に立って、それで何を得られたの?

 

 

 

 

 

 私は何のために、こんな所まで来てしまったのだろう。

 

 

 答えなんてもうわかってる。

 

 

 だけど、あまりにも、思い出すのが遅すぎた。

 

 

 

 

 

 




 《血鬼術》
 【血鬼術 《髪》】
 読んで字の如く己の頭髪を操作する。基本的に伸縮自在かつ量も際限なく増やせる(ただし相応の時間と疲労を伴う)。ただし髪が自身から切り離されると(自分から切り離した場合は例外)操作ができなくなり、灰化してしまう。また自身から切り離した髪も大まかな操作はできるが反応や運動性は極めて劣化してしまうという弱点がある。また、時間が経てば強制的に消滅する(切り離した髪の量によって持続時間は比例する)。
 髪の操作も一本一本個別に操ることはできず、基本的に幾つかの束にして操作する。操作する量が少なければ少ないほど速度と柔軟性は上がり、多ければ多いほど力は増すが操作性と速度が低下する。
 【糸操人形(しそうにんぎょう)誘髪(ゆうはつ)
 時間をかけて作り上げた特殊な髪を対象の脳幹に打ち込み、生きた操り人形に改造する。特殊な髪の生成は一時間に一本と極めて時間がかかり、貧弱な者だと措置に耐え切れず死亡してしまう可能性がある。ただしこの術は要である髪が脳内に入っている特性上日の下に出ていても効果が持続する特異性を持つため、極めて厄介。
 なお、髪を打ち込まれた者の知能は著しく低下してしまう欠点があるため、鬼殺隊員を操り人形にしても呼吸が使用不可となってしまう。
 前述の通り発動には時間がかかるため本編では披露できなかった。
 【斬刑(ざんけい)薄刃髪刀(はくじんばっとう)
 髪を凄まじい切れ味を誇る薄い刃として形成する。岩すら容易に切断できる程の威力を持つが、他の要素を無視して無理に攻撃性を特化させたため強度が比較的脆く、また高精度の刃を形成するためにはかなりの集中力を要されるため基本的には近接戦専用。
 【千死翔毛(せんししょうもう)
 髪を槍状に束ねて射出する。射出した髪槍は着弾後も数秒間のみだが独立して動き、近くの人間へと襲い掛かる。制限時間が過ぎれば自動的に灰化して消滅する。
 【紅鎧髪(くれないのよろいがみ)
 髪に血を纏わせることで硬度や運動速度を格段に底上げする。実はかなり消耗が激しい上に、本人は黒い髪を気に入っているため余程の緊急事態でなければ滅多に使いたがらない。更に夜闇に隠れた黒髪が赤に染まってしまうため、視認されやすくなる欠点も存在する。
 奥の手を使うための仕込みになっている。
 【妖緋髪(あやかしひがみ)
 血を纏わせた頭髪に血を媒介とすることで高熱を付与し、熱による溶断を可能とさせる。この状態では髪による攻撃が鉄を豆腐の様に両断せしめるほどに強化される。ただし長時間この状態が続けば髪が燃え尽きてしまう上に、髪の再生も通常よりもかなり遅くなってしまうため蒐麗にとってもこの技は諸刃の剣となっている。
 【焔舞踊(ほむらぶよう)大炎蛇暴食(だいえんじゃぼうしょく)
 全ての髪を使用した蒐麗の奥の手。全頭髪に纏わせた血を励起させることで超高熱状態に持ちこみ発火。炎に身を包んだ大蛇を形成して相手に食らいつかせる。威力・射程共に最大級であり、自身の正面十町(約一km)を数千度の炎で直線状に焼き尽くす。ただしこれを放った後は全ての髪が消失し、また自身も技の反動でしばらくの間身動きが取れなくなる。この技を凌がれた場合後が無いことを意味するため、文字通りの最終手段である。


今回の下陸さんの敗因

<壱> 相手を格下と侮っての油断・慢心
<弐> それによる人質戦法などの除外
<参> 敢えて速攻で勝負を付けず態々苦しむ様を見るために甚振る(これによって少しずつ動きに対応された)
<肆> 逆鱗に触れられ本気を出したと思いきやまたもや慢心からの甚振りプレイ(冨岡さんをふっ飛ばした時に拳ではなく刃だったら終わっていた)
<伍> 目の良い少女の安否をどうでもいいこととして無視した(これに関しては運が悪かった)
<陸> しのぶとの舌戦に夢中になって冨岡さんの生死を再三確認しなかった
<漆> 冨岡さんが滅茶苦茶しぶとかった(厳密に言うなら強心薬によるドーピングが想定外だった)
<捌> 全然事が思い通りに行かず冷静さを失ったことで冨岡さんの痣発現による急激な身体能力の変化に対応できなくなった
<玖> 相手に大きな隙が出来た瞬間歓びのあまり勝負を焦って冷静に対応せず、使用後の隙が致命的な大技で纏めて吹き飛ばすという愚策を選んだ(よほど自信があったのだろうか)
<拾> 切り札が回避されることを想定していなかったせいで対処が致命的なまでに遅れた

他にも色々あるけど総合的な結論は「相手を舐めてかかった自業自得」。流石無惨の血を引く者よ……

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