水に憑いたのならば 作:猛烈に背中が痛い
「全身複数個所に重度の火傷、左上腕部、第二から第四肋骨骨折、全身打撲、右肩脱臼、左肩貫通、右脇腹と右太腿と左脹脛に大きな裂傷。おまけにここに運び込まれた時にゃあ失血寸前の有様……アンタ何で生きてんだい?」
「……運がよかったとしか」
俺が目を覚ましてから大体一時間ほど経過しただろうか。今の俺は主治医であるこの屋敷の家主である老齢の女性――――灸花 菫さんに一通りの検査を受けていた。
彼女の口から改めて俺の受けた損傷がどれだけ凄惨なものだったのかを聞く度に俺は苦い顔を浮かべざるを得ない。しかし事実、俺は今身体の節々から伝えられる鈍痛によって一番マシな状態の右腕を動かすので精一杯な状態だ。
本当に、今回ばかりは二度も死を覚悟した。いや、下弦の陸と相対した時点で無事に帰れるとは露ほども思わなかったのだが。
「……その、隊士への復帰は」
「残念ながら――――と言いたいところだけどね。この程度なら時間さえかけりゃあ全部元通りさ。幸い、内臓には傷一つ付いてなかったからね。全く、運が良いのか悪いのか」
「そうですか」
それを聞いた俺はホッと一息ついた。こんな所で復帰不能な傷など負っていれば取り返しのつかないことになっていたのだ。可能な限りとはいえ意識して致命傷を避けた甲斐もあった。
「何にせよ、一ヶ月は絶対安静だよ。怪我を悪化させたくなきゃ大人しく療養するんだね」
「はい。ありがとうございます」
菫さんは点滴の交換を終えて、ぶっきら棒にそう言い捨てながら部屋から立ち去った。
そうして一人になった部屋で、俺は唯一動く右腕を上げ、感覚に異常が無いか右手を眺めながら逡巡する。
下弦の陸の手によって多くの人が死んだ。今まで食い殺された人達は、仕方なかったとまだ諦めもつく。だが此度の戦いで生じた犠牲者の数を聞いて、俺は酷く苦い顔をするしかなかった。
自分がもっと強ければ、こんな夥しい数の犠牲を少しでも少なく出来たのではないかと何度も思うのだ。事実、俺が痣を出すのがもっと早ければ最初の遭遇の時点で仕留められた可能性も決して低くは無かっただろう。無論、高い物でもないが……こんな犠牲を出す前に決着を付けることは可能だったはずだ。
痣が無ければ、俺など少し腕の立つ新人隊士に過ぎない。十二鬼月の相手は荷が重すぎることなど分かっている。あの時点では情報を持って逃げることこそ最善の手だった。
だが、それでも後悔は何度も心の表層を引っ掻き続ける。もっと強ければ、もしああすれば――――
「……ままならないな」
右腕から力を抜いて布団の腕にぼすっと落とす。もう過ぎたことだと言うのに何時までも思い返し続ける己の何と女々しい事か。
これからの事を思えば、こんな出来事程度で立ち止まっては先が知れるというのに……。
「義勇、お粥ができたわ~。しのぶちゃんと姉さんの合作よ~!」
「わざわざ冨岡さんのために腕によりをかけて作りましたからね! ちゃんと全部食べてくださいよ!」
「あうあー」
「……………」
そんな俺の気を知ってか知らずか、向日葵を抱えた蔦子姉さんとしのぶが元気溌剌といった調子で部屋に入ってきた。先程菫さんの入室と共に席を外していたのだが、どうやら厨房を借りて粥を作っていたらしい。
自分と空気の温度差に何を言えば良いのか思いつかず、俺はつい呆けた顔になってしまった。
「むっ、ちょっとなんですかその顔は。折角作ったのに、食べたくないんですか?」
「……いや、食べる」
点滴を受けているとはいえ胃の中は見事に空っぽだ。粥の匂いに釣られて腹の音も鳴り始める。
俺は姉さんに上体を起こしてもらい、膝の上に乗せたお盆の上に置かれた粥をレンゲで掬う。色が少し黄色がかっている所から、恐らくこれは卵粥だろう。仄かに香る胡麻と鶏ガラの臭いが実に芳ばしい。
息を吹いて冷ましながら一口咀嚼。
「どう?」
「……美味しい」
「そうですか。良かった……」
長らく空いていた食道が食物を確認して蠕動運動を始める。俺は身体の訴える空腹を埋めるために一心不乱に粥を口の中に運び続けた。勿論、口を火傷しないように注意しながら。
粥の量は決して少ない物では無かった。しかし俺の食欲は予想以上で、粥はたったの数分で空になる。
「二人とも、御馳走になった。ありがとう」
「いいのよ。弟の面倒を見るのはお姉ちゃんの役目なんだから。……あ、お皿は私が片づけてくるから、しのぶちゃんは義勇をお願いね?」
「えっ、は、はい!」
「じゃあえ~」
蔦子姉さんが何かを察した様子で向日葵を連れてそそくさとこの場を去ってしまう。一体どうしたのだろうか?
残ったのは寝台で横になる俺としのぶの二人だけ。蔦子姉さんが居なくなった途端、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。――――しかし予想に反して最初に口を開いたのは俺では無く、いたたまれない表情をしたしのぶだった。
「その、冨岡さん。本当に申し訳ありませんでした。私が我が儘言わずに迅速に動いていたら……いや、それ以前に、私が考えなしに飛び出さなければ、こんな事には……」
「気にするな。俺にお前を責める気は無い」
「え……ど、どうして?」
まあ、普通の人間ならこんな踏んだり蹴ったりな目に遭った原因の一つに対して悪態の一つでも付くだろうが、俺は特にそう言う事をする気にはなれなかった。
相手はまだ十歳だ。先を考えて動け、なんていうのは口で言うのは簡単だが、大人でも簡単に出来ないことを子供に、更に言うなら早く親を亡くして情緒不安定になっている女子に対して求める訳にはいかないだろう。
それに――――
「お前を守るという選択をしたのは俺自身の意志だ。カナエとの約束の事もあるが……最終的に困難な道を選んだのは俺なんだ。楽な道を選んで逃げることもできた。だが俺はお前を守ることを選んだ。そこからの怪我は、俺の未熟から来るものだ。決してお前の責では無い。だから、気にしなくていい」
「冨岡、さん……」
俺は選んだんだ、逃げずに戦うという道を。そしてこの傷は、俺が弱かったから付いたものだ。俺がもっと強ければ、こんな大怪我など負わなくても済んだ。つまり今の俺がこんなことになっているのは決してしのぶのせいでは無く、自分の弱さのせいだ。
そう言い聞かせ、俺は彼女の心の重石を少しでも取り除く。この傷は俺が背負うべきものなのだから。
「なんで……なんで、そんなに優しくしてくれるんですか」
しかししのぶは変わらず俯いたまま震えている。……参ったな、一応これが精一杯の慰めなのに。
「私はまだまだ弱くて、力にもなれなくて、何も返せないのに……何の役にも立てないのに……どうして」
「それは違う」
「え」
どうやら先の戦いで碌に戦力になれなかった事を卑下しているらしいが、俺からすれば見当違いもいい所だ。
別に、刀を振るだけが戦いでは無い。
「お前はお前のできることを精一杯やった。少なくともお前は隠が到着するまで市民の避難誘導をしていたし、俺に刀を届けてくれた。お前の行動が無ければ、恐らく俺は死んでいただろう」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「胸を張れしのぶ。俺がお前を助けたように、お前も俺を助けたんだ。その事実は誰でもない、俺自身が肯定する。だから、元気を出してくれ」
「っ…………本当に、姉弟揃って、底なしに優しいんですから……!」
俺が言葉を終えると、しのぶは俺の手をぎゅっと握って泣き出してしまった。えっ、なんで。慰めようとして逆に泣かれるともうどうすればいいのかわからない。
だが――――何となく、この涙は悲しみから来るものではないとわかる。どちらかと言うと感謝の様な……。
「……その、冨岡さん」
「なんだ」
「えっと、その……な、名前についてですけど! 前にも何回か、私の事を名前で呼んでましたよね?」
「ああ。そういえば、そうだったな」
確か彼女を落ち着かせるために何度か苗字では無く下の名前で呼んだ記憶がある。家名ではなく本人の名を呼ぶことで意識をはっきりとさせる効果を狙って、半ば無意識に行ったことだが、もしかして癪にでも触ったのだろうか。
まあ、知り合って間もない男に突然下の名前で呼ばれていい気にはならないか……。
「その、冨岡さんがよければ、下の名前で呼んでも構いませんから」
「え?」
「そ、その代わり、私も冨岡さんの事、名前で呼んでいいですか?」
「あ、ああ……別に構わないが……」
予想していたものと真逆の状況で俺は混乱した。何だ、一体彼女の心境にどんな変化が起こったらこうなるんだ?
「じゃあ、私の名前を呼んでみてください!」
「……しのぶ?」
「っ……ぎ、義勇、さん……」
「……しのぶ」
「……義勇さん」
「???」
「えへへ……」
これは一体どういう状況なんだ。誰か説明してくれ。
俺は焦りながら誰かに助けを求めるように辺りを見回したが、当然俺たち二人しかいない――――と思っていたら、開かれた扉の前で何やら沢山の人が顔だけ出してこちらを見ていた。
「あら、気づかれちゃった」
「えっ!?」
緩んだ表情で俺の手をぐにぐに弄っていたしのぶはようやく俺と自分以外の人の気配に気づき、顔を驚愕で染めながら背後を振り向いた。すると見えたのは姉のカナエ含む、我ら鱗滝一派。
そう、錆兎や鱗滝さんだけでなく何故か真菰までこの場に現れていた。
「なっ、ななな……ね、姉さん!? 一体いつから居たの!?」
「うーん、『お前を守るという選択をしたのは俺自身の意志だ』ってところからかしら?」
「ほぼ最初からじゃない! もうっ!」
「やっほー。義勇、一ヶ月ぶり~。大怪我したねぇ」
「ちゃんと関係が進んでいるようで兄弟子として鼻が高いぞ、義勇」
「これも青春か……」
「?????」
助けを求めた筈なのに状況が一層混沌と化しているのか気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。
何はともあれ、鱗滝さんと真菰はどうやら俺が大怪我をしたという知らせを聞いて当日中にすっ飛んできたらしい。何とも心配性と言うか。……いや、死ぬ一歩手前の大怪我しておいて言える立場でもないか。
「さて……まず、何を言えばいいか。死ぬ寸前まで無茶をしたことを叱ればいいのか、それとも十二鬼月討伐を褒めればいいのか。正直こんな事は初めてでな、儂もどう声をかければいいのかわからん」
「あ、あはは……」
俺自身も正直複雑な感情を心の中で渦巻かせていた。
入隊一ヶ月目で十二鬼月に遭遇。此処まではまあ死ぬほど運が悪かったという事で済むだろう。しかしそこで討伐なんて言われても、元柱である鱗滝さんだからこそ簡単に飲み込めなかったに違いない。
「だが……そうだな、今の自分の心に従って言わせてもらおう。……頑張ったな、義勇」
「……はい」
大きな手が頭に乗せられた。そこから来る安堵に、思わず涙が滲み出始める。
「義勇君、私からもお礼を言わせて。……ありがとう、しのぶを助けてくれて。本当に、ありがとう」
「約束、だからな」
「俺からは謝罪を。すまなかった、義勇。俺が少しでも早く駆けつけていれば、少しでも負担を減らせたかもしれなかったのに……」
「錆兎……」
「義勇、早く元気になってよね。私の最終選別を突破する晴れ姿を見ないなんて、絶対許さないから!」
「……ああ」
身体は相変わらずくたくただ。だけど周りにいる人達が俺の事を心配してくれている事が酷く申し訳なくて、しかし同時に嬉しいとも思ってしまう。自分は確かに、正しい選択をしたのだと、そう思えるのだ。
「にしても……これだけ大怪我を負ったのにもう目覚めるなんてな。これも愛の成せる業か」
「は? 愛? 錆兎、一体何の事を言ってるんだ」
「ん? 聞いてないのか? お前の心臓が止まった時、胡蝶妹がお前の口に「ああああああっ!! 錆兎さん! それ以上言うとぶっ刺しますからね!?」」
「しのぶ、暴力はいけない」
「貴方はさっさと寝て傷でも治しててください!」
錆兎が訳のわからないことを言い出したかと思いきや、しのぶがその口を遮るように錆兎の肩を前後に揺らしまくった。いきなり何をしているんだと戒めようとしたが有無を言わさぬ勢いで叩き返されてしまった。理不尽だ。
しかし傷に響くため大人しく寝ていなければいけないのは事実。本音を言えば、このまましのぶの言葉に甘えて泥のような睡魔に身を任せたい。
だが、まだやるべきことが一つだけ残っている。些細な、しかし確かに交わした約束を、叶えねばならない。
「鱗滝さん、実はお願いしたいことがあるのですが……」
「どうした。何でも言ってみるといい」
「はい、実は――――」
きっと何とかなると思っていた。全部上手く行くと、そう思いこんでいた。
だけど現実と言うのは俺が思った以上に残酷で、厳しいものだと言う事を、俺はこの先思い知らされることになる。
暗い部屋の中で、行灯の放つ仄かな明かりが揺らめく中、九名の男女が正座で佇んでいる。
その中でも一際目を引くのが、烏の濡れ羽の様に美しい黒髪を肩口で切り揃えている美しい青年。まるで全てを包み込むような不思議な空気を纏っており、見る人が見ればただ者で無いことを察することはそう難しくは無いだろう。
「さて、柱合会議を始めようか」
かの青年が放つ声音や動作の律動は、対面している者を心地よい気分にさせる。溢れんばかりの天性のカリスマとも言うべきか、青年――――否、現鬼殺隊当主、産屋敷耀哉は目の前にいる八名の男女をまとめ上げることに遺憾なく能力を発揮している。
この八名こそ、現在の鬼殺隊における最高戦力たる「柱」たち。
その彼らが半年に一度こうして集まり開く会議こそ、柱合会議。本来ならば柱は九名までおり、今は一人程欠けている様だが――――。
「皆知っての通り、六日前に花柱……桜が殉死した。瀕死になりながらも、烏が情報を届けてくれた。彼女を殺めたのは、上弦の弐だそうだ。残念ながら、どんな能力を持っていたのかまでは依然不明のままのようだけどね」
『……………』
柱の損失。それは鬼殺隊にとって大きな損害だ。だが残る八名の様子はそれに反して異様に静かなものであった。
何故なら、柱が欠けることはそう珍しいことではないのだから。そも、柱以前に平隊員すら常に死と隣り合わせの状況。全員がいつ死んでもおかしくはないし、全員がいつ死んでもいい覚悟を決めている。それが鬼殺隊だ。
常人からば異常としか思えないだろうが、鬼との殺し合いに身を投じたということはそういうことなのだ。異常な存在を相手取るために常識なんぞ投げ捨てている。
無論、良識までは捨ててはいないだろうが。
「では各自、担当区域に異常があった者は報告をお願いできるかな」
「……では、私から」
まず先に手を上げたのは毛先の赤い橙色の、炎の様な髪を持つ青年、煉獄 惣寿郎。
彼は一見すると何だか気弱そうな印象の男だが、その鍛えられた肉体と洗練された動きは確かに強者のそれだ。
「まず、巡回中に下弦の肆と遭遇。交戦しましたが私の剣技と呼吸では相性が悪く、仕留める寸前に逃してしまいました。面目次第もございません」
「ほう、炎柱たるお前が鬼を取り逃すとは、随分と府が抜けていると見える。もしかして、どこぞの町娘に懸想してよそ見をしていたのか? はははっ」
「……本当に申し訳ない」
茶化すように惣寿郎の言葉に横やりを入れたのは他でもない黄色の混じった黒髪の青年、鳴柱である桑島 霆慈郎。柱らしからぬ軽い口調と様子で、彼は遠慮なく惣寿郎を言葉で突いていく。
彼の軽い態度に幾人程顔を顰めるが、しかし鬼を取り逃したのは間違いなく惣寿郎の大きな過失。周囲の者は敢えて霆慈郎を止めず静観した。
「それと……散発的にではあるが神隠し、行方不明事件が多発しています。暫くは精査するつもりですが、恐らく鬼の仕業かと。可能ならばそれらの街々に隠を数人ずつ配置して調査をしたいので、後で許可の申請を願います」
「次は、私から報告を……。鬼がいるという噂がある森に隊員が何人か入り込みましたが……全員、未帰還という結果になりました。烏からは……隠とは違う、黒装束の集団が妨害していた、と……嗚呼、南無阿弥陀仏」
次に口を開いたのは額に大きな横一文字の傷を持つ盲目の巨漢、悲鳴嶼 行冥。
周り、鋼柱以外と比較すれば一回り抜きん出ている体格を誇る巌のような男。しかしその両目には滝の様に涙が溢れている。恐ろし気な外見なのに慈悲深そうに涙を流す様は筆舌に尽くしがたい。
「こちらも厳密な調査をし……鬼と無関係だと確信が持てたのならば、調査を切り上げる予定です……」
そう言葉を言い終えた行冥の次に手を上げたのは、同じくらいの巨大な体躯を持つ男。鋼柱、金剛寺 拳斉。
こちらもまた行冥と同じくただならぬ威圧感を鋼の様な筋肉と共に纏っており、彼を見れば子供どころか下手な大人すら腰を抜かすだろう。
「では、次は私が。私の担当区域では、生後五歳以下の幼児が突如失踪する事件が発生しています。目撃情報では『夜中に宙に浮いた水が赤子を攫って行った』との情報があり、十中八九鬼の仕業かと思われます。現在は多数の隊員と隠を使い、居場所の特定を行っております。ですが、成果は乏しく……」
彼の剣呑とした様子の原因は正しくそれだった。今だ幼い赤子を連れ去っている鬼がいる。そしてその末路は言わずとも周囲の者達は理解している。故に彼の中に渦巻く怒りを理解し、この場に居る柱全員が同様の思いを抱いた。
その後は、誰も手を上げない状態が十数秒続く。その様子を柱たちの中で一番耀哉の近くで座していた毛先が青みがかった長髪を持つ妙齢の女性、現水柱である漣 雫が見た後、小さく手を上げた。
「ふむ、私が最後の様ですね。まず初めに、担当区域内の街々に散らばっていた下弦の壱……の、分身らしき個体を合計十四体仕留めましたが、本体は依然と所在不明。また二日前、下弦の壱捜索中に上弦の肆と遭遇し交戦しました」
『!!!』
その情報に雫と耀哉以外の全員が目を見開いた。上弦、十二鬼月の上位六体であり、百年以上もの間鬼殺隊の柱を仕留め続けた不敗の鬼たち。鬼舞辻の誇る最強の配下。その一帯を相手取り帰還したのだから、その驚きは必然だろう。
「交戦中、運よく夜明けが来たため相手が撤退。結果的にほぼ引き分けに終わりました。結論だけ言うなら……あれは私一人では無理ですね。ついでに言うなら相性も最悪です」
「雫さんがそこまで言う相手ですか……」
「ええ。何故か頸を斬っても死にませんし、斬ったら斬ったで分裂する上に、それぞれの分身が多彩な血鬼術を発揮していました。複数人で対応しなければ討伐は困難を極めるかと。詳しく話せば長くなりそうなので、後で得た情報を改めて皆と共有しましょう」
雫の言葉に大きな頭巾を被った女性、雪柱の明雪 真白が気落ちするような言葉を漏らすものの、上弦の情報を得たことは間違いなく大きな収穫だと口元を引き締めた。
この情報を活かせば、百年以上の不敗神話を崩せる可能性が高くなるのだから。こんな所で弱音など吐いてはいられないと言う事だろう。
「うーん、今回はあまり良い知らせは無いみたいですね。桜さんは亡くなるし、下弦たちの行方も上手く掴めないし……」
「仕方ないじゃろうよ。今代の下弦はどいつもこいつも隠れるのが巧い。最後に討伐したのは一年ほど前に雫さんが仕留めた下弦の伍じゃったか? いや、正確に言うんなら、ここ五、六年程下弦の肆と伍以外の入れ替わりが発生しておらん。ちとばかし、由々しき事態になってきたのう」
この場に似合わぬ幼い声の持ち主は、操柱たる神子星 廻。若干十三歳にして柱を務めている神童であり、史上初の
うなじ辺りで綺麗にまとめた焦げ茶色の髪を指で弄びながら少女は切迫した事態に苦言を零し、それに追随するように風柱の嶺颪 豊薫も同じく現状の危うさに苦々しく顔を歪めた。
しかし耀哉は笑みを崩さない。その心配を拭ういい知らせを持っているのだから。
「そんな君たちに朗報だ。――――我々の手を十年近く逃れていた下弦の陸が、数日前に墜とされた」
その知らせに全員が息を呑んだ。下弦の陸、今まで幾多柱たちの手を逃れ、毎回討伐寸前に追い込んでは人質や肉盾などの卑劣な手段を使われ逃してしまっていたあの鬼が討たれた。それは間違いなく喜ぶべき知らせだ。
だが此処で一つの疑問が出てくる。それを成したのは、一体誰なのか、と。
「お館様、それは一体誰が?」
「うん。信じられないかもしれないけどね、下弦の陸を下したのは壬の子だ。つい一ヶ月半前に選別を突破したばかりの、異形の鬼を討伐した三人のうちの一人だね」
「……は?」
耀哉の言葉にこの場の最年少である廻が信じられないと言った声を漏らす。
遅すぎたとはいえ援軍として現場に駆けつけ、事の顛末をおおよそ確認出来ていた雫以外の殆どの柱の心の声も似たような物であった。
「ええと……それは、援軍に駆けつけた高位の隊士と共闘したという話でしょうか?」
「いいや、他の人の協力も少しあったようだけど、隊士はあの子一人だった様だ。複数の烏にも確認を取ったから、間違いなく彼の手柄さ。どうやら、今期の
「……信じ難い」
拳斉が訝し気にそう言うが、無理はない。何せ下弦という存在は柱の一つ下、甲隊士でも一歩間違えれば死にかねないという、平隊士には手に余る存在だ。経験を積んだ柱にとっては少々手ごわい鬼止まりではあるものの、彼らを下してようやく柱になる条件を満たせるのだから、その存在は決して予断が許されるものでは無い。
それをまだ壬の隊士が討伐した。それもまだ入って一ヶ月少しの隊士が。そんなことを言われて直ぐ鵜呑みにしろと言うのは、現実というものをよく知る柱だからこそ難しい話であった。
一応、史上最年少柱の廻という例外中の例外がここにあるといえばあるのだが。
「その子はどうやら水の呼吸の使い手らしくてね。雫、君がよければその子の面倒を見てくれるかい?」
「ええ、喜んでお受けいたします。これで私の後顧の憂いも無くなるというものです」
それは雫にとっても願っても無い提案であった。何せ今の彼女にとって次を託せる相手が、今のところ見つかっていないのだ。甲隊士に水の呼吸の使い手がいない訳ではないが、その全員が雫にとっては安心して次を託せると見込めなかった。
勿論今までも継子を作ってはきたのだが、大半は彼女の鍛錬の厳しさに逃げ出してしまった。残った者も、才能を開花させる前に鬼に踏みつぶされた。
だが此処で、磨けば確実に輝くだろう特大の原石が飛び込んできた。それを逃す手は無い。
……その後は、各自の持つ鬼の情報を交換したり、今の鬼殺隊の問題点について柱たちが議論していく。
時間はあっという間に過ぎ、障子の向こうが暗闇に包まれた頃には八人の間で交わされる言葉も少なくなっていった。
そろそろ頃合いだと見たのか、耀哉は静かに手を翳した。それだけでこの場に静寂が訪れる。
「それでは、これにて柱合会議を閉めよう。……殉死した桜や、これまで死んでいった者達のためにも、皆の活躍を期待しているよ。私の
こうして柱合会議は終わりを迎えた。
悪しき知らせも多かったが、それでも柱たちの闘志は潰えていない。むしろ鬼への怒りによって更に燃え盛っていると断言できるだろう。
十数分後、誰も居なくなった部屋の中で静かに佇む耀哉は笑みのまま、宙で輝く満月を見ながら呟く。
「……波が来る。極めて強い、でも来るのに時間のかかる大波が。さて、どうすればこの波を君にまで届けられるかな? 鬼舞辻無惨……」
産屋敷の眼は、
夜空の下で身体が揺れる。
俺は今、鱗滝さんに背負われるまま錆兎や真菰、しのぶやカナエと共にとある場所へと移動していた。何故背負われているかと言えば、当り前だが今は怪我のせいで上手く身動きがとれないからだ。
無理をすれば歩けなくもないが、傷が広がるのは明白なのだからやるわけがない。
まあそれ以前に絶対安静の言を貰っておきながら無断外出する時点で、我ながら何とも無茶をしているとは思うのだが。
「まさか子供を引き取って欲しいなどとは。義勇、お前の口からそんなことを頼まれるとは儂も思わなんだ」
「……すみません」
無茶なことを言ったと思う。まさか貧民窟でたまたま知り合っただけの子供を数人引き取って欲しいなどと。世話になった人の負担を更に増やすなど、一発打たれても文句は言えない。
だが鱗滝さんは小言の一つも言わず、俺の頼みを受け入れてくれた。本当に、この大恩はどう返せばいいのか思いつかない。
「だが義勇、わかっているのか。助けられるのはあくまでもその子供たちだけ。他の者達に手を差し伸べることは出来ん」
「……わかっています。だけど、それでも……俺には見捨てる選択は、できない」
彼らを助けたからと言ってこの貧民窟の状況が良くなるなんてことは決してない。何も変わらない、救えたのはほんの少しの子供たちだけだ。つまり、俺の行為はただの自己満足にしかなりえない。
だからといって見捨てるなんて事も、俺にはできなかった。せめて数人、せめて少しだけでも、この暗い場所から引き上げたかった。
例えその心が偽善にまみれたものだったとしても。
「義勇、そう自分を卑下するな」
「錆兎……」
「確かに考えれば考える程難しい問題だ。だけどな義勇、俺から見たお前の選択は決して間違ったものじゃない。それだけは断言できる」
「そうだよ義勇。何もしないより何かをやったほうがずっと良いって、私は思うよ?」
錆兎と真菰は俺の心を察したが、精一杯俺を励ましてくれた。気休めかもしれないが、信頼している友二人からそう言われると、とても気が楽になるような気がした。
「大丈夫よ義勇君! 私たちもできる限り手伝うから、大船に乗った気持ちになって!」
「姉さん、また根拠のない事言って……。あ、私もちゃんとお手伝いしますからね!」
「……ありがとう、二人とも」
まだ知り合って間もないのに、胡蝶姉妹も俺の背中を後押ししてくれる。それを感じて俺は思わず涙が出そうになった。
俺の行いは少しずつ良い結果を出してきている。決して、無駄な行為なんかじゃないんだ。
だからこれからもきっと良くなる。着実に頑張れば、いずれ鬼舞辻の頸にも――――
「あ……此処です、この辺りで出会いました」
目当ての場所に着いたので俺はすぐに考えを切り替える。
記憶が確かならば、この辺りであの少女と出会ったはずだ。遠出の場合あの責任感の強そうな兄が妹から目を離すとは思えないので、恐らくあの子達の家は近いと推測する。違っていたら、見つかるまで探すだけだ。
「この辺りは……ふうむ」
「酷い……こんなに焼けて……」
火事の影響は此処まで手が届いていた。そこら中真っ黒な炭と、灰が山積みになっている。中には人の焼死体らしきものまで見えて、耐性があるだろう鱗滝さん以外は思わず口を押えてしまう。
その光景を見ていた俺は、ふと嫌な予感に苛まれた。もしかしたら……あの子達は火事に巻き込まれてしまったのではないか、と。辺りがこんな状態だ、決して可能性は否定できない。
「義勇……」
「……探そう。最後まで諦めたくない」
錆兎は俺を心配してくれたが、俺は覚悟を決めて捜索を続行した。
巻き込まれた可能性はあるが、逃げ切れた可能性も確かにあるのだ。ならば俺はその可能性に賭けよう。男ならば、約束は最後まで守らねばならないのだから。
一歩一歩、進んでいく。その度に俺は隅々まであの子達の姿を探す。だけど子供たちどころか、人間の影さえ見えない。もしかしたら、もう皆何処かへと避難してしまったのだろうか。
そう思った瞬間だった。
「あっ、義勇さん! あそこに!」
「!!」
半刻程探し続けて、見覚えのある少女をようやく見つけることができた。ああ、良かった。生きていた。
俺は一先ず胸を撫で下ろし、鱗滝さんに少女の傍まで連れて行ってもらい地面へと降り立った。少しだけ足が痛むが、大丈夫だ。これくらいなら我慢できる。
「すまない、待たせてしまった。俺のことは覚えているか? 少し前に会った……」
「…………」
声をかけてみるが、返事が無い。どうしたのかと、俺は反射的に俯いていた少女の顔を覗き込み、
絶望を見た。
「…………何があった」
「…………」
その両目に光は灯っておらず、顔は死人のように痩せこけている。まるで何日も飲まず食わずのような状態だ。
肩を揺さぶっても少女の反応は無い。少女はただ、正面を見続けているだけ。
真正面にある、焼けた家屋を。
「…………………まさ、か」
手が、震え出す。息をするのも忘れ、全身の痛みを無視しながら俺は炭の山と化した家屋に手をかける。手が真っ黒になるのも構わず、焼け朽ちた廃材を退けていく。
やめてくれ。そんな、何で。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だと言ってくれ――――!!
炭になった、子供の手が出てきた。飴状の何かが垂れている、甘い匂いのする袋を握りしめた、手が。
見覚えのある、金平糖が入っていたであろう袋を握りしめた手が。
「あ…………ぁ、あ」
それだけで俺は全てを理解し、幽鬼の様な足取りで再び少女の傍へと戻る。
誰も声を発しない。きっと俺と同じように、わかってしまったのだろう。
「……ごめん、な」
「………………」
「俺が……俺が、もっと、頑張っていれば……こんな、こんな事には」
もうすべてが手遅れた。いくら言い訳しても、泣き喚いても、死者は生き返らない。取り零したものは、もう拾えない。それが世の理で、現実だ。
少女の家族は死んだ。少女以外、全員焼け死んだ。
俺が、未熟だったせいで。
俺が、殺した。
「ごめん、ごめんな。大事な時に、何もできなくて。助けられなくて、約束も守れなくて」
「………………」
俺は少女を抱きしめながら、虚ろ気に謝罪の言葉を口にしながらただ泣いた。
少女は何も応えない。
ただ、俺の体を精一杯、弱々しい力で抱きしめ返すだけ。
「う、ぁ、ぁぁあぁあぁぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁああぁぁああああああっ!! あぁぁぁぁぁぁあぁぁあああああぁあぁぁああああああっ!!!」
情けない少年の鳴き声が、無情にも月下に響いた。
どうして、どうしてこんなにも、現実というのは残酷なのだろう。
答えは得られないまま、それでも俺たちは歩き続けなければいけなかった。
この残酷な世界を。
僕はね、速筆投稿者になりたかったんだ。
でもそんな事が出来るのは一握りの天才だけでね、社会人になると時間的に小説を書くのが難しくなるんだ。
そんなこと……もっと早くに気付けばよかった。
という訳で連続更新は此処で終了。次の目途は立ってないです。「貴様アアア!! 逃げるなアアアア!! 投稿から逃げるなアアアア!!」と思うかもしれないけど、これは逃げでは無く前を向いての後退だからセーフ(半天狗並感)